2013年 11月 02日
万葉集その四百四十八 (大伴旅人の萩)
( 元興寺境内の萩 奈良)
( 白毫寺への道で 奈良)
( 宋林寺にて 東京谷中)
「もっと光を!」という人生最後の言葉を残したのはゲーテですが、わが大伴旅人は
「萩の花は咲いているだろうか?」と云いながらその生涯を終えたそうです。
727年、旅人は妻子と共に長年慣れ親しんだ奈良の都を離れ大宰府に転任しました。
表向きは栄転の帥(そち:長官)とはいえ63歳、そろそろ老境にかかろうとする
時期です。
天皇に近侍する旅人を遠ざけたい藤原氏の策謀とも云われていますが、
淡々として命を受けたた旅人は着任後、民政を治めるかたわら山上憶良らとともに
筑紫歌壇ともよばれる詩歌の世界を形成しその活躍ぶりは都でも
評判になっていたようです。
然しながら、華々しい作歌活動にもかかわらず望郷の念やみがたく、
「 わが盛り またをちめやも ほとほとに
奈良の都を 見ずか なりなむ 」
巻3-331 大伴旅人
( 私の若き盛りの時代はまた戻ってくるだろうか。
いやそんなことは考えられない。
ひよっとしたら、奈良の都 あの都を二度と見ないままに終わって
しまうのではあるまいか )
と、本心とも思えるような歌も詠っています。
「をちめやも」の「をつ」は「変若」と書き、「若返る」の意
「ほとほとに」 もしかしたら
そのような心境の中、旅人を何かと励まし続けていた糟糠の妻、大伴郎女が
翌年3月下旬頃、突然病に臥し看病の甲斐なく先立ってしまいました。
長旅の疲労と心労が重なったのでしょうか。
旅人の悲嘆は察するにあまりあります。
そして半年後、ようやく気持ちも落ち着いてきた秋深まりゆく頃、
広大な邸に鹿が迷い込んできました。
「 ミュゥ-ン ミュ-ン 」と妻呼ぶ声が静寂(しじま)を破って響き渡る。
深く心に染み入るような声音です。
「 我が岡に さ雄鹿 来鳴く 初萩の
花妻とひに 来鳴く さ雄鹿 」
巻8-1541 大伴旅人 (既出)
( 我家の丘に雄鹿が来て鳴いているなぁ。
萩の初花を自分の花妻だと慕って鳴いているのだろうよ。)
「花妻」、この美しい言葉は旅人の造語とされています。
文字通り「花の如く美しい妻」の意ですが、鹿は殊のほか萩を好んだことから
「萩は鹿の花妻」と詠ったのです。
雄鹿は萩の開花に合わせるように鳴き始め、花が満開の時に最も激しく鳴き、
なんとなく侘しげな声で鳴く頃は花が散るときです。
古代の原野は萩が見渡す限りうねるように咲き乱れていたことでしょう。
雄鹿が胸で萩をかき分けながらゆっくりと進み、やがて花の中に埋没してゆく。
作者はその姿に亡くなったばかりの妻の面影を重ねているのです。
「 我が岡の 秋萩の花 風をいたみ
散るべくなりぬ 見む人もがも 」
巻8-1542 大伴旅人
( 我がの丘に咲く萩、 その萩は風に揺れて散りそうになっている。
咲き散るこの花を共に見て惜しむ人がいてくれればよいのになぁ )
3年後の730年、ようやく念願が叶い大納言に昇進して帰京しますが、
懐かしの我が家に戻っても愛する妻はいない。
旅人は とうとう、病の床に臥してしまいました。
「 さすすみの 栗栖(くるす)の小野の 萩の花
散らむ時にし 行(ゆ)きて手向けむ 」
巻6-970 大伴旅人
( 栗栖の小野の萩の花、その花が散る頃には、きっと出かけて行って
神祭りしょう )
「栗栖(くるす)の小野」は明日香の地とされていますが所在は不明です。
「さすすみの」は栗栖の枕詞 指す墨(印をつける墨)で大工道具の墨縄の意
墨縄を「くり寄せる」、あるいは墨黒の「くろ」(黒) で「栗栖」(くるす)に
掛かるとも。
明日香は旅人の出生地、30歳まで過ごした思い出の場所です。
秋の花が咲き乱れている山野を走りまわり、馬を駆った日々。
そこには小さな祠(ほこら)があり、神祭りの思い出も蘇ってきたのでしょう。
念願の奈良に戻ったものの、已む無く病床に臥さざるをえなくなった旅人が
思い浮かべるのは懐かしい故郷でした。
「 何とか元気になって明日香に行きたい。
そしてあの祠の神に長寿を祈りたい 」
そのような切ない想いも空しく731年の秋、旅人は奈良の佐保邸で永眠します。
大宰府から帰京してわずか1年足らず。
享年67歳でした。
「 かくのみに ありけるものを 萩の花
咲きてありやと 問ひし君はも 」
巻3-455 余明軍(よのみゃうぐん)
( こんなにも 儚(はかな)く亡くなられるお命であったのに
「萩の花は咲いているか」と私にお尋ねになった旅人様は、あぁ。 )
作者は百済王孫系の人物で、長年旅人に付き添った従者。
いまわの言葉を書き取り、5首の挽歌を奉げた中の1首です。
伊藤博氏は次のような心がこもった弔辞を献呈されており(万葉集釋註)
人格者であった大伴旅人の生涯を余すことなく語っておられます。
『 「萩の花咲きてありや」は旅人が臨終のまぎわに放った注目すべき言葉。
清楚な野の花「萩」に関心を払いながら旅人がこの世を去ったのは、
いかにも旅人らしく味わいが深い。
淡々とおおらかな生涯を送った人でなければ、死に際してこういう言葉は
吐けないであろう。
詠っては、うるおいがあってこせこせせず、自然にしみいるような
旅人特有の調べとも、この言葉は調和している。
旅人は、眠るように、流れるように、悠々と人生を閉じたにちがいない。』
「 萩散りぬ 祭りも過ぎぬ 立仏 」 一茶
by uqrx74fd | 2013-11-02 08:26 | 生活