万葉集その四百五十五 (鏡王女)

( 舒明天皇陵 右の道の奥に鏡女王の墓がある 奈良県桜井市忍坂)
b0162728_913865.jpg

( 道脇を流れる清流 )
b0162728_9132391.jpg

( 鏡女王の墓 )
    注: 鏡王女の氏名表記は鏡女王、鏡姫王もありますが
        本文では王女に統一、写真説明は表示のまま女王としました。
b0162728_9134526.jpg

( 同説明板:画面の上をクリックし、右下に表示される虫眼鏡(+印)をクリッックすると拡大出来ます)
b0162728_9135830.jpg

( 談山神社 鏡女王の夫藤原鎌足を祀る  奈良県桜井市 )
b0162728_9141924.jpg

( 同上 )
b0162728_914377.jpg

( 同 )
b0162728_9145738.jpg

( 恋神社  鏡女王を祀る 談山神社内 )
b0162728_9151724.jpg

鏡王女(かがみの おほきみ) は舒明天皇陵の隣近くに葬られていることにより
天皇の皇女もしくは皇孫とする説、あるいは鏡王(伝未詳)の娘で
額田王の姉とする説があります。
もし、皇女であれば中大兄皇子(のち天智天皇)の異母妹にあたりますが、
残念ながら詳しい記録がなく確たることは不明です。

容姿端麗の才媛であったらしく、額田王と共に皇極女帝の宮廷に出仕して
中大兄皇子にみそめられ、後に藤原鎌足の正妻になって不比等を産むという
数奇な運命を辿りました。
また、鎌足の許に降嫁するとき既に身籠っており、それが不比等だともいわれ、
奈良の興福寺(当初は山階寺:やましなでら)の開基は鎌足が病気のとき
王女が発願された、など藤原氏栄華の礎になった女性です。

万葉集中、王女の歌は5首(うち1首は重複しているので実質4首)。
いずれも名歌とされているものばかりで、次の歌のやり取りは
万葉最古の相聞(恋歌)とされています。

「 妹が家も 継ぎて見ましを 大和なる
    大島の嶺(ね)に 家もあらましを 」
                     巻2-91 中大兄皇子(後の天智天皇)


( せめてあなたの家だけでも毎日見ることができたらなぁ。
 大和のあの大島の嶺に我家でもあればいいのに )

中大兄皇子が難波の都にいた頃、大和に住む鏡王女に送った歌です。
大島の嶺は大和生駒郡三郷町の高安山とされ、ここから王女の家が見下ろせたらしく、
いつもお前さんの家を眺めたいものだと若者らしい率直な詠いぶりです。
この歌を受け取った王女は次のような歌を返します。

「 秋山の 木(こ)の下隠(がく)り 行く水の
     我こそまさめ 思ほすよりは 」  巻2-92 鏡王女


 ( 秋山の木の葉の蔭をひっそりと隠れるように流れる水。
  その水かさが増しても表だってそれと分からないでしょうが、
  そんなふうにあなたより私の方がずっと深くお慕いしていますのよ )

落葉に埋もれた隠水(こもりみず)に控えめな恋慕の情を暗示し、
「行く水」の「まさめ」に「水が増す」と「慕う思いが増す」の意が
込められている細やかな女心。
さらに、「思ほすよりは」と止めることで優雅にして無限の含み持たせています。

なお、結句は「み思(おもひ)よりは」という訓み方もあり、こちらの方が
上品な響きを感じさせるようです。

「清く、つつましく、ひそやかな気持ちの人にはまことにふさわしい」名歌。
                     ( 犬養孝 万葉の旅上 平凡社) 

「 君待つと 我(あ)が恋ひ居れば 我がやどの
     簾(すだれ)動かし 秋の風吹く 」   巻8-1606 額田王


( 愛しい方のおいでを恋い焦がれてお待ちしておりますと
 戸口の簾(すだれ)をさやさやと動かして秋風が吹いてまいりました。
 もしや,と思ったのに- -。 )

この歌が詠まれた頃、天智天皇の心は既に鏡王女から大海人皇子(のち天武天皇)と別れて
後宮に入っていた額田王に移っていたようです。

訪れる人(天智)を今か今かと待ち続け、足音が聞こえないかとじっと耳をすませている。
緊張が張りつめている中、一陣の風がさっと吹き抜け、すだれが揺れ動く微かな音が。
もしや、と胸をはずませたものの、待ち人来たらず。
あとは静寂あるのみ。
恋人を待つ微妙な女心のふるえるような揺らぎを見事に歌い上げている万葉屈指の歌です。

「 風をだに 恋ふるは羨(とも)し 風をだに
   来むとし 待たば 何か嘆かむ 」 
                      巻8-1607  鏡王女


( あぁ、秋の風 その風の音にさえ恋心がゆさぶられるとは羨ましいこと。
 風にさえ胸をときめかせて、もしやおいでかと 待つことが出来るなら
 何を嘆くことがありましょう。)

どうにもならない侘びしい気持ち。
天皇と疎遠になり、鎌足も逝ってしまった。
「風をだに」と「し」を二度重ねてリズムよく心に響く歌です。

なお、この8-1606,1607の2首は巻4-488、489に同様の歌が置かれていますが、
名歌ゆえ古歌として再登場させたのではないかと推定(伊藤博)され、また別々の歌を
編者が意図的に結びつけたとも。

「 忍坂(おつさか)の 陵(みささぎ)どころ 芋の露」  大星たかし

近鉄桜井駅から大宇陀行のバスで約10分、忍坂(おつさか)で下車し
東の小高い丘のほうに向かって歩くと舒明天皇陵があります。
万葉集巻1-2 「大和には群山(むらやま)あれど とりよろふ天の香久山- -」と
国見の歌を明るく、大らかに詠われた天皇です。
その御陵の前を流れる小川の脇に犬養孝氏揮毫の歌碑が木陰の下に建っていました。

暗くて字がよく見えませんが説明板によると原文で

「 秋山之 樹下隠 逝水乃 吾許曽益目 御念従者 」と書かれている由。
( 秋山の 木の下隠り 行く水の 我こそまさめ 思ほすよりは)

清らかなせせらぎと松籟の音が重なり合って心地よく耳に響き、この歌を
奏でているようです。

畑の畦道をさらに約5分ばかり上ると急に視界が広がり、杉に囲まれた
鏡王女の墓がひっそりと佇んでいます。
舒明天皇の陵が宮内庁の管轄、こちらは多武峰の談山神社保存会の所有。
王女が藤原氏に降嫁されたことによるものと思われますが、
その談山神社境内にも「恋神社」、縁結びの神として祀られています。
藤原鎌足との夫婦仲がよく、氏母としても大切にされたのでしょう。

歌のようにつつましく、清らかな生涯を終えた女性だったようです。
  
「 あがりきて 忍坂の凧  峰を ちかみ 」 山口誓子             
                               ちかみ: 近く
[PR]

by uqrx74fd | 2013-12-20 09:16 | 生活

<< 万葉集その四百五十六(馬と駒)    万葉集その四百五十四 (秋山我れは) >>