万葉集その四百五十九(松は緑)

( 養善寺 影向の松 .天然記念物  東京江戸川区)
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 旧芝離宮庭園 東京)
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( 浜離宮庭園 )
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( 銀閣寺 京都 )
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( 浜離宮庭園 東京)
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( 六義園 東京 )
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( 同上 )
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 松は四季を通じて瑞々しい緑の葉を保ち、その美しい枝振りと立ち姿は清々しい
品格を感じさせることから影向(ようごう)の松とよばれてきました。

影向とは神仏を迎える依り代のことで、正月の門松もその名残の一つです。

山野や庭園の景観に美しさを添えると共に、防砂風林、建築材料、松明、
医薬品(樹脂から膏薬、咳止め)、 燃料(とりわけ高温を必要とする瓦、陶器、
砂鉄の精錬に必須)など、生活になくてはならない有用の材とされてきました。

万葉集では神々しい松、松原、願掛けの結び松、「待つ」という言葉に掛けた
恋の松など77首も詠われ、当時の人々の生活と密接に結びついていたことが窺われます。

「 茂岡に 神(かむ)さび立ちて 栄えたる
    千代松の木の 年の知らなく 」
                    巻6-990 紀 鹿人(きのかひと) (既出)


( ここ茂岡(奈良県桜井市)に、立派な松が神々しく立ち茂っております。
 この木は一千年もの年を経た木なのでしょうか?
 私には想像もつかないような長い歳月です。)

大伴坂上郎女の実弟、大伴稲公(いねきみ)宅で催された宴席での歌で、
邸宅の立派な松を誉めると共に主人の繁栄を讃えています。

「茂る(茂岡)、神さび、栄え、千代松、無限(年の知らなく)」と、
これ以上めでたい言葉を取り揃えることができないと思われる祝い歌です。

「 わが命を 長門の島の 小松原
    幾代を経てか 神さびわたる 」 
                     巻15-3621 作者未詳


( わが命長かれと祈る その長門の島の小松原よ。
  いったいどれだけの年月を過ごしてこのような神々しい姿をし続けているのか )

736年新羅に派遣された官人の航海中の歌で、途中停泊した長門の島は
広島県呉市南の「倉橋島」といわれています。
宴席で詠われた松賛歌ですが、
「これから外洋へと向かう困難な船旅をどうかお守りください」と
心から祈る気持ちが「わが命を」に込められているようです。

「八千種(やちくさ)の 花はうつろふ 常盤なる
     松のさ枝を 我れは結ばな 」  
                  巻20-4501 大伴家持


( 折々の花はとりどりに美しいけれども、やがて色褪せてしまう。
 我らは永久(とわ)に変わらぬ松を結んで、主人(あるじ)の
  ご繁栄と御長寿をお祈りいたしましょう )

758年、中臣清麻磨宅で宴を催した時の歌です。
「松のさ枝」の「さ」は神聖を意味し、枝に白い紐でも結びつけたのでしょうか。

家持は数多くの花々を好んで詠う花の歌人であり八千種(八千草)も彼の造語です。
ところがこの歌は主人をはじめ同席の人が梅の花を讃えているにも関わらず
「花は移ろふ=枯れる」ので「私は常盤の松に祈りを奉げる」と詠っているのです。
一座の興をそぎかねない詠いぶり。
これは一体どうした心境の変化なのでしょうか。

当時の政界は藤原氏全盛、大伴一族は衰亡の一途を辿るばかりでした。
そのような背景から察すると、家持は主人の長寿を寿ぐと共に、神武以来
天皇と共に国づくりに携わった名門大伴家の長久繁栄を祈る気持ち切なるものが
あったものと思われます。

余談ながら「八千種(八千草)」は往年の宝塚大スターで今も活躍中の
八千草 薫さんの芸名にもなっています。
1300年を経た今、花のような美しい女優の名に使われているとは家持さんも
さぞ、びっくり仰天でしょう。

    「 かはら焼く 松のにほひや 春の雨 」 酒井抱一

我国全国各地至るところで美しい松は見られますが、とりわけ東京都江戸川区の
善養寺境内に植栽されている樹齢600年「影向の松」(天然記念物) は南北に28mも
伸びている巨大な這い松で面積では我国で一二を争うとされています。

この名刹が広く知られるようになったのは、1979年頃に香川県さぬき市真覚寺の
「岡野松」と日本一争いが起き、見かねた大相撲の立行司木村庄之助が仲裁に入り、
「双方引き分け」と裁き、さらに地元出身の相撲協会理事長、春日野親方(元横綱栃錦)も
「双方東西の横綱に推挙する」と庄之助の裁きを支持して決着を見たことから
一躍注目を浴びることになりました。

JR小岩駅からバスで約10分、江戸川病院前で下車し約200mばかり歩くと善養寺。
広い境内に巨大な松が横に広がり、太く逞しい幹がしっかりと根を張っていました。
素晴らしい生命力。
まさに「影向の松」に恥じない威容を誇り、人々に限りなき力を与えてくれています。

     「 老松の 賑ひ立てる 緑かな」   富安風生

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by uqrx74fd | 2014-01-17 07:32 | 植物

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