万葉集その四百六十(結び松)

( 旧芝離宮庭園の松 )
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( 浜離宮庭園 )
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( 同上 )
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( 旧芝離宮庭園の松 )
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( 同上 )
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( 皇居東御苑の一本松 )
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744年の正月11日、現在の暦で2月中旬頃でしょうか。
日頃親交ある貴族の子弟たちが集まり、活道岡(いくじがおか)に立つ一本松の下で
新年を祝う宴を催しました。
場所は平城京から遷されたばかりの恭仁京(くにきょう)近辺の小高い丘の上で
現在の京都府木津川市加茂町あたりとされています。
安積王(聖武天皇皇子)の宮もあったと伝えられ、山々に囲まれた平野の中央を
木津川が流れる風光明媚なところです。

将来を嘱望されている前途洋々たる若者たち。
まずは神の依り代である松に向かい
「新年を賀すとともに、老松にあやかり各々末永く長寿清栄であれ」と祈りを奉げます。

雲一つない青空。
春風が吹き渡ってゆき松籟が清らかな調べを奏でています。
一献また一献。
杯を重ねながら宴が盛り上がった頃合いをみて座の一人が詠いだしました。

「 一つ松 幾代か経(へ)ぬる 吹く風の
    音の清きは 年深みかも 」   
                   巻6-1042 市原王 (既出)


( 一本松よ お前は幾代もの長い歳月を経てきたのだろうなぁ。
 風が爽やかに吹き、こんなにも清らかな音を響かせているのは
 お前さんが逞しく生き抜いてきたことを寿いでいるようだねぇ。)

作者は天智天皇の玄孫(やしゃご)で、松を擬人化して話しかけています。
悠久の時の流れの中での心地よいひととき。
気品と透明感にあふれ、平安時代に好まれた松風の美感を先取りした名歌で、
万葉集中松籟が登場するのはこの一首のみです。

彼らが主と仰ぐ安積王は将来天皇にと嘱望されていましたが、病弱がちだった故、
王の無事長久を祈る気持ちも籠っていたのでしょう。

同席していた大伴家持も続きます。

「 たまきはる 命は知らず 松が枝を
    結ぶ心は 長くとぞ思ふ 」 
                  巻6-1043 大伴家持


( 人間の寿命というものは分からないものです。
  我らがこうして松の枝を結ぶのも、互いの命長かれと願ってのことですね )

「たまきはる」の「たま」は「魂」で生命力、霊力、
「きはる」は、磨り減る、尽きるの意とされています。

古代の人達は「たましひ」は「体の胸のあたりにある丸い形のもの」と考え
「 人間の生命は年の初めから次第に磨り減ってその年の終わりに尽き、
冬至の頃の鎮魂(タマフリ)によって生命が再生し新しい年を迎える。」と
信じていたようです。

「松が枝を結ぶ」は、枝と枝とを紐などで結び合わせて無事、安全を祈る
おまじない的行為で、結ぶ紐は自分の魂の分身であると考えられていました。

家持は各々の長寿を祈りつつ、
「 この松のごとく長寿は保ちえないとしても、お互いを結ぶ
友情の絆は不変でありたい。」 と願ったのです。

「紐を結ぶ」という行為は、「御神籤を神木に結ぶ」「慶弔の袋を紐(水引)で結ぶ」、
「組み紐」、さらに「印刷された贈答用の水引き付熨斗紙で包む」等、
形を変えながら今もなお受け継がれています。

「 相生の松とはならじ 幾世かけて
         君と二人は 一本の松 」    服部躬治

  
「相生の松」とは雄株、雌株が寄り添って生えていて1本の松のように
見えるものをいいます。
謡曲「高砂」では「高砂の松と住吉の松は離れていても相生の松」と詠われ、
夫婦仲が良く、めでたいものの譬えとされていますが
「 でも、私は幾世かけても別々ではなく一本松、すなわち同体になりたい 」
と願う作者です。 

「 すなほなる 松の幹など 心地よう
            春青みゆく 山にたつなり 」     岡 稲里


         「すなほなる」は「素直なる」で「癖がなくすくっと」
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by uqrx74fd | 2014-01-24 07:29 | 植物

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