万葉集その四百六十九(三椏:みつまた)

( 奈良万葉植物園 )
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( 東慶寺 北鎌倉 )
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( 同上)
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( 皇居 北の丸公園 )
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( 同上)
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( 青梅で )
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( 山辺の道  奈良 )
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( 同上 )
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三椏はじんちょうげ科の落葉低木で枝が三つに分かれていることから古くは
「三枝(さきくさ」とよばれていました。
12月早々、小さな蜂の巣のような蕾を生じますが、そのまま越冬し、
早春に黄や赤色の小花を開いて、ほのかな芳香を漂わせます。
茎の繊維がよく発達するので楮(こうぞ)や雁皮(がんぴ)と共に古くから和紙の優良な
原材料とされ明治時代以降、紙幣に多く使われてきました。
百円紙幣が発行されていた頃は全国各地で盛んに栽培され春に華麗な景観を
誇っていましたが、硬貨が多くなるにつれて需要が落ち込み、現在は岡山、
徳島、高知、愛媛、島根、鳥取、山口県などに産地が限られているようです。

万葉集では2首。
いずれも序詞か枕詞として詠まれています。

「 春されば まずさきくさの 幸(さき)くあらば
   後にも逢はむ な恋ひそ我妹(わぎも)」   
                        巻10-1895 柿本人麻呂歌集(既出)

( 春になるとまず咲く三枝(さきくさ)。
 その言葉のように幸く無事であったら必ずまた会えるでしょう。
 だから、そんなに恋焦がれて苦しまないで下さい。
 いとしい人よ )

作者はこれから長い旅に出かけるようです。
当時の旅は野宿、食料持参が原則。
山道で迷って狼や熊に襲われたり、食が尽きて行き倒れる人も多く、
無事生還の保証がありません。

「まず さきくさの」は「まず先に咲く」と「三枝(さきくさ)」が掛けられており、
さらに「さきくさ(三枝)」「幸くあらば」と同音を重ねている技巧の歌です。

「三枝=三椏」は当時から春を告げる花であると共に幸いをもたらすものと
されていたのでしょう。
なお、「な恋ひそ」は「な」と「そ」で禁止を表しますが、ここでは
「恋焦がれて悩まないで」と優しくいたわっています。

「 三椏の 花の盛りの 里へ嫁(ゆ)く 」  住田祐嗣

次の歌は可愛い盛りの古日(ふるひ)という晩年に生まれた一人っ子を亡くした知人を
慰めるため、作者が本人に成り代わって詠んだ長歌の一部です。
訓み下し文は「 」訳文は( ) 内 左右に記しております。

「 - 夕(ゆうへ)になれば いざ寝よと      (夕方になると さぁ寝ようと)
    手をたづさわり                 ( 手にまとわりつき )
    父母も うへはなさかり            (父さん母さん、そばを離れないでね と)
    さきくさの 中にを寝むと           (ボクはまん中に寝るよと)
    愛(うつく)しく しが語らえば         ( 可愛らしくもその子がいうので )
    いつしかも 人となり出でて- -」     ( 早く一人前になって欲しいと- )

             巻5-904 山上憶良


「うへは なはなさかり」 「うえ」は目に見えるところ、
「な離なさかり」「な」は禁止用語で「離れないで」
「しが 語らえば」の「しが」は「その子が」

親子三人、子を真中にして川の字に寝る様子を「三枝(さきくさ)の」という枕詞を
用いて表現しています。

この歌を詠んだ時、憶良は病中にあり、起きることも困難な状態であったようです。
親しい友人のために渾身の力を振り絞って奉げた哀悼歌。
自分の子供を亡くしたような切々たる気持ちが伝わり作者の優しい人柄が偲ばれます。

「 鮎止めの 滝に三椏 浸り咲く 」 本多静江

古代の「さきくさ」が現在の何にあたるのかについて長い間、論争がありました。
ヤマユリ、ジンチョウゲ、ミツバ、ツリガネニンジン、イカリソウ、松、檜、等々。

手掛かりは歌の、「枝が三つにわかれている」、「春に真っ先に咲く花」、「めでたい植物」。

長い論争の末、ようやく「三椏」に絞られたものの、中国原産のこの植物が当時
渡来していたという記録がないことが最大のネックとして残ります。

610年、高句麗の僧 曇微(どんちょう)が我国に最新の製紙技術をもたらして以来
和紙の需要は急増し、100年後の奈良時代には生産地が20か国に及んでいました。
原料の雁皮も早くから渡来して植樹されていたので、中国で一緒に使われていた
同種(ジンジョウゲ科)の三椏が使用されていなかったとは考えにくく、
記録に残らなかったのは植物の識別名が明確でなかった当時、和紙全体を斐紙(ひし)と
総称されたためと推定されることに落ち着き、現在では古代の三枝は
三椏であるとする説が大半となっています。

     「 海棠の 寺に三椏 いそと咲く 」  安達智恵子
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by uqrx74fd | 2014-03-28 08:58 | 植物

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