万葉集その四百七十八(能登の国の歌2)

( 能登の海 )

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(義経船隠しの入江  松本清張 ゼロの焦点の舞台にもなったヤセの断崖に続いている)
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( 巌門 )
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(同上 海側から )
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( 機貝岩 )
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(  見附島、軍艦島とも )
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( 輪島 白米千枚田 )
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( 同上 )
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古代の能登半島は大和から山背(山城)、琵琶湖上水路を経て朝鮮半島に至る
交通の要衝地であり新羅からの渡来人もかなり移り住んでいたようです。

748年、越中国司大伴家持は支配地の実情調査の為、高岡の国庁を出発し
約300㎞に及ぶ巡行の旅に出掛けました。
約1か月をかけ各地の状況を把握しながら民謡など地元に伝わる歌を多く収録し、
また自らの歌も残したことから能登は都から遠く離れた鄙の地であったにもかかわらず、
当時の庶民の生活ぶりが1260余年経た後も知ることが出来ます。

万葉集は単なる歌集ではなく文化生活誌的な側面もあったのです。

「 能登の海に 釣りする海人の 漁(いざ)り火の
    光にい行く 月待ちがてり 」
                       巻12- 3169 作者未詳


( 能登の海で 夜釣りしている海人の漁火
 その光をたよりに 私は旅をして行きます 
 月の光が射してくるのを待ちながら ) 

「い行く」の「い」は強意の接頭語
「月待ちがてり」の「がてり」は 「~をしながら」

しみじみとした旅愁を感じる一首です。
漁火を目にしながら、夜道を辿る男はどこに向かっているのでしょうか。
当時の能登は中国、朝鮮、渤海国との貿易や文化の窓口で筑紫とならぶ先進国。
人の往来も多かったことでしょう。

夜釣りする海人は烏賊漁か。

「 ハ-ァ 沖で揺れてるよ
  あぁ あの漁火は
  好きなあなたの 好きなあなたの
  イカ釣る 小舟ェーヨ 」

と「漁火恋歌」を歌った小柳ルミ子さん。

いやいやこれは余談です。

次の歌は以下のような註が付されています。

「 右の歌にこんな伝えがある。 
あるとき愚かな人がいた。
持っていた斧が海に落ちてしまったが、鉄が沈んだら 
どう見ても浮かぶはずがないのに分からずにいた。
そこでまわりの者が慰みにこの歌をつくって口ずさんであてこすりに
諭したという。 」

「 はしたて 熊来(くまき)のやらに 
  新羅斧(しらきをの) 落し入れ
  わし 
  かけて かけて 
  な泣(な)かしそね 
  浮き出づるやと見む 
  わし 」 
                        巻16-3878 能登の国の歌

( 訳文)

( はしたて 熊来の海底(やら)に 新羅斧 
  そんな大事な斧を落としてしまって
  わっしょい 。 
  気にかけすぎて、
  泣きべそ かかっしゃるな。
  浮き出てくるかもしれんぞ。 
  見ていてやろう。
  わっしょい。)

 「はしたて」「熊来」(くまき)の枕詞。
 「熊来」は能登湾西岸の石川県鹿島郡中島町あたり。
       「はしたて」は邪神の侵入を遮るため樹枝を立ててしつらえた呪力あるもの(ひもろぎ)。
        それを道の隅(くま)、土地の境界に立てたので「熊来」に掛かるという。

「やら」  アイヌ語「ヤチ」(沼沢)に関係あるという説もあるがここでは「海の底」
「 落とし入れ 」  深くに落としこんだ
「わし」は 「わっし」と発し、「わっしょい」のような囃言葉
「かけて かけて」  心にかけて懸けて
「な泣かしそね」   「な」「そ」「~しなさるな」の禁止用語 「泣きなさるな」

 斧を海に落として浮き上がってくるのをじっと待っている男。
 周りが囃すのを真に受けてますます水面を見続けていたとは、
 なんとも滑稽な歌です。

伊藤博氏は 
「 実際には皆が必死になって探した結果ついに求め得た歓びを背景としている
のではないか?」と述べておられますが(万葉集釋注)
宴会の時に歌われた民謡だったかもしれません。

新羅斧は舶来のかけがえのない斧、
斧を落とした男は船材を伐る仕事に従事していたものと思われます。
一介の木こりが新羅風の斧を持っている。
これは家宝に等しい貴重なものだったことでしょう。


「 鳥総(とぶさ)立て 船木伐(か)るといふ 能登の島山
      今日見れば 木立茂しも   幾代 神(かむ)びぞ 」
                           巻17-4026 (旋頭歌)  大伴家持

( 鳥総を立てて神に捧げ、船木を伐り出すという能登の島山。
  今日見ると木々が茂りに繁っています。
  幾代も経たその神々しさよ。 )

「鳥総」とは枝葉がついたままの梢の部分をいいます。
人々は木を伐採した後、「鳥総」の切っ先を切り株に突きたてて
木の再生を神に祈りました。
この歌から能登は造船が盛んだったことが窺われます。

山で伐採した丸木をその場で刳りぬき、刳り船として川に流し
海辺で舷側などをつける作業をしていたようです。

なお「鳥総立て」は 「ことばの鳥総を立てる」 即ち
「言葉の再生を願う」
などのような形で現在でも使われております。

「 ほがらかに 唄ひ奥能登 遅田植 」   中山純子


ご参照

 万葉集遊楽324 「しただみのレシピ」 (カテゴリ- 動物)
  同    478 「能登の酒屋」    ( 同   生活)
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by uqrx74fd | 2014-06-01 05:49 | 生活

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