万葉集その四百八十八 (憶良の天の川)

( 仙台七夕祭り )
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( 同上 )
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( 着物のような絵柄 上品にして繊細 )
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( 同上 )
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( 音楽の上達を願って )
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( 芸術的な飾り付け )
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( 護国神社の七夕祭り  青葉城址公園内 )
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( 渦巻銀河  宇宙博  幕張メッセ )
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(  天の川  同上 )
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「七夕」はなぜ「たなばた」と読むのでしょうか?
  折口信夫氏は
『 太古の昔、季節が夏から秋に変わる頃になると、
一人の少女が選ばれて人里離れた水辺に作り架けられた「棚(たな)」の中で
「機(はた)」を織りながら神を迎えるという風習があった。
この「棚」と「機」が「たなばた」の語源である 』 と説いています。

 この風習と奈良時代に渡来した中国の裁縫の上達を願う「乞功奠(きつこうでん)」とが
 結び付き、さらに牽牛、織女の恋の物語が結合して壮大な「天の川伝説」が生まれた
 そうです。

 日本書紀の記述に 「692年7月7日、持統天皇が公卿を集めて宴を催した」、
 「734年7月、聖武天皇が相撲をご覧になったあと文人に命じて
  七夕(しちせき)の詩を詠ませ、禄を賜った」とあり、当初は宮中の行事であったことが窺われます。

万葉集には132首もの七夕歌が残されていますが、型破りなのは山上憶良。
天の川を天地創造の時から説き起こし、締めくくりは
「年に1度とは言わず毎晩寝たいものだ」と、まるで自分事のように詠っています。

まずは訳文から

「 天と地とが別れた遠い昔から  彦星は織女と
  天の川で 離れ離れになって 向かい立ち
 想う心の中は いつも安らかでなく
 嘆く心のうちも 苦しくてならないのに 
  広々と漂う青波に隔てられて 姿は見えはしない
  はるかに棚引く白雲に仲を遮られて 嘆く涙は涸れてしまった

  あぁ、こんなにして溜息ばかりついておられようか
  こんなにして 恋焦がれてばかりおられようか
  赤く塗った舟でもあればなぁ
  玉をちりばめた櫂でもあったらなぁ

  朝凪に水を掻いて渡り
  夕方の満ち潮に乗って漕ぎ渡り
  天の川原に あの子の領巾を敷き
  玉のような腕をさし交わして
  幾夜も幾夜も寝たいものだ

  七夕の秋ではなくても 」    
                        巻8-1520 山上憶良

(訓み下し文)

「 彦星は織女(たなばたつめ)と 天地の別れし時ゆ
  いなむしろ 川に向き立ち 
  思ふそら  安けくなくに  
  嘆くそら  安けくなくに  
  青波に 望みは絶えぬ
  白雲に 涙は尽きぬ

  かくのみや 息づき居(を)らむ
  かくのみや 恋ひつつあらむ

  さ丹塗りの  小舟もがも
  玉巻の  真櫂(まかい)もがも

  朝凪に い掻きわたり
  夕潮に い漕ぎわたり

  ひさかたの 天の川原に
  天飛ぶや 領巾(ひれ)片敷き

  真玉手(またまで)の 玉手さし交へ
  あまた夜も 寐(い)も寝てしかも

  秋にあらずとも  」      
                      巻8-1520  山上憶良


( 反歌 )

「 風雲は 二つの岸に 通へども
      我が遠妻の 言ぞ通はぬ 」   巻8-1521 同


( 風や雲は天の川の両岸に自由自在に行き来するけれども
  遠くにいる我妻からは 何の便りもない )

長歌を1行づつ訓みくだいてまいりましょう。 (内は訳文)

 彦星は織女(たなばたつめ)と 天地の別れし時ゆ 

       ( 彦星は織女と 天地が別れた時から )

        彦星=牽牛

  いなむしろ 川に向き立ち 

       ( 天の川をへだてて向き合って )

「いなむしろ」は川の枕詞であるが掛かり方は未詳

思ふそら  安けくなくに  

      ( 心中 安らかでないのに )

          「思ふそら」の「そら」は空と同根で心の内
          「安けくなくに」 安らかでないのに

嘆くそら  安けくなくに

      ( 嘆くこころのうちも 苦しくてならないのに ) 
 
青波に 望みは絶えぬ

    ( 天の川の青波に隔てられて 眺望は絶えた)

    「望」は希望ではなく眺望、

  白雲に 涙は尽きぬ

   ( 白雲に遮られて 涙も涸れてしまった )

ここまでが第3者の立場、以下から牽牛の立場で詠う。

  かくのみや 息づき居(を)らむ

   ( このまま 溜息ばかりついておられようか )

    「かくのみや」    このようにして 
    「息づき」      溜息をついて

  かくのみや 恋ひつつあらむ

   ( このようにして 恋焦がれてばかりおれようか )

  さ丹塗りの  小舟もがも

   ( 朱く塗った 舟でもないものか )

     「さ丹塗の舟」    美しく立派な舟
     「もがも」       ~が欲しいものだ

  玉巻の  真櫂(まかい)もがも

          ( 珠玉をちりばめた 左右の立派な櫂も欲しい )

 朝凪に い掻きわたり


         (朝凪に 水をかき渡り )

  夕潮に い漕ぎわたり

     ( 夕の満ち潮に乗って 漕ぎ渡り )

  ひさかたの 天の川原に

         ( 天の川原に)

         「ひさかた」は天の枕詞
 
 天飛ぶや 領巾(ひれ)片敷き

   ( 空を飛ぶという 領巾(ひれ)を敷いて )

    「領巾」   頸から肩にかける装身用の布

真玉手(またまで)の 玉手さし交へ

     ( 玉のような美しい腕を 枕にして )

 あまた夜も 寐(い)も寝てしかも

     ( 一夜といわず 幾夜も幾夜も 共寝したいものだ )

 秋にあらずとも        

( 七夕の秋でなくても )     巻8-1520  山上憶良

        
729年7月7日 大宰府長官大伴旅人邸での宴で披露されたもの。
作者は当時70歳、老いてもまだまだ意気盛ん。
お若いことです。

裁縫の上達を願って行われた中国の行事「乞功奠(きつこうでん)」では
織女星を望む庭に五色の糸や針を供えていましたが、我国では
拡大解釈されて様々な願い事を星に祈る行事になりました。
さらに、江戸時代、庶民の間で手習いが広まると色とりどりの短冊に願い事を書いて
笹竹に飾るようになり、現在に至っております。
七夕祭は7月7日に行う地方も多いようですが、本来は陰暦7月7日(8月上旬)
秋の行事です。

今年の立秋は8月7日。
この時期になると夜空が澄みはじめ、星も清(さや)かに見えることでしょう。

「 七夕や 秋を定(さだむ)る 夜の初(はじめ) 」 芭蕉
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by uqrx74fd | 2014-08-08 06:49 | 生活

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