万葉集その四百九十一 (夢のわだ)

( 吉野 宮滝 川が流れこんでいるあたりが 「夢のわだ」とよばれるところ 奈良県)
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( 吉野山から宮滝への道で  苔むした巨岩がゴロゴロ転がっている )
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( 同上  この流れが象「きさ」の小川の源流か )
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( 天武天皇ゆかりの桜木神社 )
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( 桜木神社の脇を流れる 象「きさ」の小川 )
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( 宮滝の巨岩 )
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( 吉野川で泳ぐ子供達  後方左は三船山 )
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( 激流の中で泳ぎよく溺れないものだ )
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「わだ」とは湾曲している水辺が淀んでいるところをいう地形語とされています。
何処でも見受けられる情景ですが、万葉集で夢にまで見るほど美しいと詠われた
「わだ」は奈良県吉野、宮滝の吉野川本流に「象(きさ)の小川」が流れ込む深淵近辺を
いうそうです。
現在は水量が少なくなっていますが、昔は神仙境を思わせるような景観であったらしく、
我国最古の漢詩集「懐風藻」で次のような一節があります。

「 吉野の宮殿は 山深く静かなところである
  すぐれた風景にかこまれ ひっそりと奥深い
  雲は三船の山を取りまき
  霞は八石(やさか)の洲を離れて行く
  葉は黄葉して夏を送り去り
  桂花は白く咲いて秋を迎え入れる
  今、夢のわだのほとりに立つと
  流れは千年の昔の響きをつたえてくる 」  懐風藻 吉田宜(よろし)     
                               (現代語訳 江口孝夫 講談社学術文庫)

「八石の洲」  吉野川の川原の石が多いさまを表現したもの
「桂花(けいか)」 銀木犀か

この辺りは吉野離宮が営まれていたところで、持統天皇は殊の外この地を好み
称制も含めると10年の在位期間中に31回も行幸され、退位してから更に1回という
入れ込みようです。 (称制とは全権をもつが帝位にはつかないこと)
若き頃、天武天皇と共に過ごした思い出の地であり、壬申の乱を勝利に導く拠点とも
なっただけに特別な聖地とされていたのでしょうか。

大宰府の帥、大伴旅人もこの地を熱愛した一人で、都から遠く離れた鄙の地にあって、
望郷の念やみがたく次のように詠っています。

「 わが命も 常にあらぬか 昔見し
    象(きさ)の小川を 行きて見むため 」  巻3-332 大伴旅人

( あぁ、いついつまでも命を長らえたいものだ。
 昔見た象の小川へもう一度行って、あの清らかな流れを見るために )

人生50年の時代にあって旅人は当時65歳。
既に高齢の身、何としても生まれ育った明日香や、吉野を再び見たいと
執念を燃やしています。

象の小川は吉野山系の青根ヶ峰や水分神社の山あいに水源をもち、喜佐谷の
杉木立の中を流れる渓流。
宮滝で吉野川に流れこみます。

「 我が行きは 久にはあらじ 夢(いめ)のわだ
      瀬にはならずて 淵にしありこそ 」  
                           巻3-335 大伴旅人


 ( 私の筑紫在住はそんなに長くなかろう。
   あの吉野の夢のわだよ、浅瀬にならないで深い淵のままであっていてくれよ )

深いエメラルド色の水は人を引き込むような魅力があります。
激流ほとばしる吉野川を詠った例が多い中で淵に静の美を見出した旅人。

「我が行きは」とは「私が都から大宰府に行くのは」の意で意識はあくまでも
都人なのです。
「久にはあらじ」は「そう長くないだろう」
その言葉通り大宰府に赴任してから3年後の730年、念願の都への栄転が叶いました。

にもかかわらず長旅と心労が重なったのか、帰京後病に臥し翌年67歳で逝去。
再び故郷の飛鳥や吉野を訪れることが出来ませんでした。

「夢のわだ」はまさしく夢に終わったのです。

「 夢(いめ)のわだ 言(こと)にしありけり うつつにも
   見て来(け)るものを 思ひし思へば )   
                         巻7-1132 作者未詳

( 長い間、見たい見たいと思っていた夢のわだ。
  とうとう夢ではなく現実のものとなった。
  今、確かに見てきたのだから 思いがかなったのだ)

「言にしありけり」 (夢のわだは今や) 夢という言葉だけのものになった
「うつつにも」 現実に
「見て来るものを」 見てここにいるのだから
「思ひし思へば 」 「思う」を強調したもの。思ったあげくに

「遂に来たぞ! もはや夢でなくなったのだ」と喜ぶ吉野を訪れた官人。
川のほとりで酒盛りをしているのでしょうか。
憧れの景色を堪能した満足感が漂う1首です。

象の小川の上流を見たくなり、吉野山を訪れました。
金峯山寺から西行庵へと向かう途中に宮滝に通じる道があります。
一般のハイキングコースとは違い、あまり人が通らないようですが、
地元の人に聞くと下りの一本道なので迷うことはないとのこと。

「思い切って挑戦するかと」、細い脇道に入ります。
やがて杉木立が続く奥に鬱蒼とした森。
たちまち原始林に迷い込んだような雰囲気です。
周りは人影もなく、いささか心細い。

苔むした巨岩が至るところ転がり、せせらぎが涼しげに流れ下っています。
どこまでも続く下り道ですが急坂は少なく、川音が心地よく響きます。
森林浴に浸りながら鳥の声に耳をすますと爽やかな風が谷を渡ってゆきました。

「この流れが象の小川に通じているのかもしれない」と思いながら歩くこと約2時間。
ようやく広い街道に出る道に辿りつきました。
どうやら喜佐谷を下ってきたようです。

そのまま真っすぐ歩き続けるとやがて桜木神社。
天智天皇の時代、身の危険を感じて近江京から吉野に隠棲した大海人皇子(後の天武)が
近江側が放った刺客に襲われ、この神社の桜の木に隠れて難を逃れたと
伝えられている社です。
脇を流れる川はまさしく「象の小川」。
そのまま流れ下って吉野川と合流するところが「夢のわだ」でありました。

   「 喜佐谷の 日暮れを急ぐ 花筏 」  倉持嘉博
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by uqrx74fd | 2014-08-28 14:10 | 万葉の旅

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