万葉集その四百九十八 (瓜:うり)

( 金俵マクワ   国立歴史民俗博物館 くらしの植物苑  佐倉市 )
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( 成歓マクワ   同上 )
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( 藤原京近くで   奈良市)
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( 白はぐら瓜    くらしの植物苑  佐倉市 )
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( 北海甘アジウリ   同上 )
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(  マクワウリの花   同上)
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(  栗   馬来田にて  千葉県 )
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(  万葉歌碑    同上 )    「 銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに
     まされる宝 子に及(し)かめやも 」
                            巻5-803 山上憶良
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メロンの一種とされているウリはアフリカ、ギニアのニジェール川流域を原産地とし、
古代エジプト、中央アジアを経てギリシャ、ローマに伝わりました。
中世以降、ヨーロッパ各地に普及し、改良を重ねてマスクメロンとよばれる
高級果実になり今日に至っております。
一方、古代インドに伝わったウリはマクワウリに分化して紀元前に中国に入り、
我国にも弥生時代に伝来していたことが各地の遺跡から出土した炭化種子で
確認されています。

菓子類が少ない古代、甘くて美味しいマクワウリはさぞ子供たちの好物だったこと
でしょうが、正倉院文書によると極めて高価な贅沢品。
米四合が五文であったのに対し1個三文、庶民には高根の花であったようです。
また奈良漬けに使われるシロウリも粕漬けとして貴族の食膳に供されていたことが
長屋王の木簡の記録に見えます。

万葉集での瓜は1首のみ。
特権階級や金持ち以外にはお目に掛かることが少なかったため、詠われることが
なかったのでしょうか。

「 瓜食めば 子ども思ほゆ 
  栗食めば まして偲(しの)はゆ 
  いずくより 来りしものぞ
  まなかひに もとな かかりて 
  安寐(やすい)し 寝(な)さぬ 」 
                          巻5-802 山上憶良 (既出)

( 瓜を食べると子どものことが思われる。
 栗を食べるとそれにも増して偲ばれる。
 こんなに可愛い子どもというものは一体どういう宿縁でどこから
 我が子として生まれてきたものであろうか。 
 やたらに眼前にちらついて安眠させてくれないことだ )

「子ども」 子供たち 
「思ほゆ」 自然と思い出されてくる
「偲はゆ」 眼前に今見えないものを思い出すこと
「まなかひ」:眼の交(かひ) 眼前
「もとな」(元無);わけもなくやたらに

大宰府に単身赴任していた憶良。
遠く都に置いてきた我が子を思う親心がひしひしと伝わってくる長歌です。

栗は瓜よりさらに高く四合で八文、同量の米五文に対し1、6倍。
「栗食めば まして偲はゆ」に「近くに居れば食べさせてあげるのに」という
気持ちが強く籠ります。

この歌の前に次のような序があり、意訳すると、

『 釈尊が御口ずから説かれるには
 「 等しく衆生を思うことは、我が子羅睺羅(らごら)を思うのと同じだ」と。
 然しまた、もう一方で説かれるには
 「 愛執(あいしゅう)は 子に勝るものはない」と。
 この上ない大聖人でさえも、なおかつ、このように子への愛着に
 とらわれる心をお持ちである。
 ましてや、俗世の凡人たるもの、誰が我が子を愛さないでいられようか 』

仏教では物事に執着することは例え自分の子でさえも道にもとるとされていました。
敬虔な仏教徒である作者はその教えは十分に承知しながらも釈迦如来のような
大聖人でさえ、子への愛にとらわれる心をお持ちだった。
まして自分のような凡愚は、子どもが可愛くて可愛いくてどうしょうもないと
訴えております。
伊藤博氏は
『「愛執(あいしゅう)は 子に勝るものはない」という言葉は仏典に釈迦の言葉として
見られないといわれており、憶良が勝手に作り出したものと考えられる。
そこまでして心の拠りどころを求めるほど我が子にとらわれることへの罪を
意識していたわけである』 と述べておられます。 (万葉集釋注3)

が、人間的情愛の深かった憶良。
厚く帰依する仏教の教えに反してでも愛し続ける我が子への真情。
瓜や栗という身近な食べものを通して詠い上げたこの名歌は万人の心を打ち、
次の反歌とともに時代を越えて詠い続けられることでありましょう。

「 銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに
    まされる宝 子に及(し)かめやも 」
                            巻5-803 山上憶良

( 銀も金も玉など 何のことがあろうか。
  子に及ぶ宝などあるはずがない。
  あるはずがないのだ  )

                              ご参考:万葉集遊楽その184(栗:くり)
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by uqrx74fd | 2014-10-16 17:32 | 植物

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