万葉集その五百四(巨勢路)

( 万葉時代に詠われた「やぶ椿」  学友 N.F さん提供 )
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( 巨勢寺跡 奈良県御所市 )
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(  同上 説明文  画面をクリックすると拡大できます )
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( 阿吽寺:あうんじ )
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( 同境内の歌碑 
  巨勢山のつらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を )
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( つらつら椿  森野薬草園 奈良県桜井市 )
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(  同上 )
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( 巨勢路の街並み )
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( このあたり一帯の山々を巨勢山というらしい   近鉄吉野口駅から )
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( 万葉列車も走る巨勢路 )
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巨勢は古代、葛城氏の支族である巨勢氏が支配していた地域だったのでその名があり、
現在は近鉄吉野口駅付近の御所市古瀬あたりとされています。
飛鳥の都から吉野、紀伊に向かう人々は必ずこの地に至り、東南に進めば吉野、
西南に向かえば紀伊さらに瀬戸内海や朝鮮への海路にも通じる要衝の地でした。

緑の山間を清流がさらさらと音を立てて流れ、椿の名所でもある美しい巨勢は
旅行く人にとって格好の休息地であり、吉野離宮や紀伊の牟婁(むろ)温泉に度々御幸された
持統天皇もここで足を止めて遊宴を催しておられたようです。

「 巨勢山の つらつら椿 つらつらに
       見つつ偲(しの)はな 巨勢の春野を 」 
                    巻1-54 坂門人足(さかとの ひとたり ) (既出)

 ( 巨勢山のつらつら椿 この椿をつらつらと偲ぼうではありませんか。
   椿の花満開の春野のありさまを。)

701年、文武天皇と持統太上天皇が揃って紀伊国に行幸された折の
宴席での歌と思われます。
時期は椿にはまだ早い10月の終わり頃、作者はおどけたような口ぶりで
一同に声をかけます。

「  皆さん、目を閉じて!
   そうすれば丘一面に咲き誇っている椿の花が目の前に浮かぶことでしょう。
  さぁ、さぁ  」 

「つらつら椿」の「つらつら」は色々な解釈があり、椿の並木、花や葉が連なっている様、
 あるいは葉がてらてらと光る様子ともいわれていますが、
「ツラツラツバキ、ツラツラニ」と「つ」が続く軽快なリズムは旅行く人の浮き浮きした気持ちを
良く表しています。
後に続く「つらつらに」は「つくづくと」というほどの意です。

「 直(ただ)に行(ゆ)かず こゆ巨勢道(こぜぢ)から 岩瀬踏み
   求めぞ我が来し 恋ひてすべなみ 」 
                               巻13-3320 作者未詳

( 「平らな近道をまっすぐに行かずに こちらからお越し」という巨勢道を通って
  岩のごつごつした川瀬を踏みながら、あなたを探し求めて私はやってきました。
  恋しくて恋しくて どうしょうもなくて。)

この歌は前に長歌があり
 『 紀伊の国の浜へ鮑玉(あわびだま:真珠) を採りに行った男を、
  いつ帰るかと待ちわびている女が夕占(ゆうけ)に問い、
 「 あと7日、早ければ2日ほどで帰って来ると」いうお告げを得たので
  待ちきれなくなった女が途中まで迎えに来た 』
とあります。

夕占(ゆふけ)とは、言霊の活躍する夕方、辻に立って行き交う人々の
言葉の端々から吉凶を占うことです。

「こゆ巨勢道」は「巨勢道」(こせぢ)に「来(こ)せじ」の意を含めた言葉遊びです。
近道があるのに 「こちらへ来い(来ゆ)、そしたら愛しい人に逢える」
という言葉に魅かれて、わざわざ険しい岩根を踏みながら迎えに来たというのです。


「 わが背子を こち巨勢山と 人は言へど
    君も来まさず 山の名にあらし 」
                           巻7-1097 作者未詳

( 「 わが背の君を こちらに来させると云う名の巨勢山 」
  人はそう言うけれど、私の想う人は一向にお出でにならない。
  この山の名は単なる山の名前だけ。
  おまじないなど利くものですか。)

巨勢の地名に興味を覚えて作った歌 
「こち巨勢山」は「こちらに来させる」の意の「来せ」(こせ)と同音の巨勢を
起こしています。
「あらし」は「あるらし」の意で名ばかりで実を伴わないことを嘆く女。

右吉野、左紀伊の標識が立つ分かれ道。
巨勢路はその地理的位置と相まって男女の逢い別れの歌に使われたのでしょう。

「 花御堂 巨勢野の花を 摘み集め」  右城暮石

近鉄吉野口から西へ1㎞ばかりのところに巨勢氏の菩提寺と伝えられる巨勢寺跡が
ありますが、今は小さなお堂と礎石だけが残るのみです。
また、近くに「阿吽寺(あうんじ) 山号 玉椿山(ぎょくちんざん)」という
巨勢寺の子院の境内に犬養孝氏揮毫の歌碑

「 巨勢山の つらつら椿 つらつらに
       見つつ偲(しの)はな 巨勢の春野を 」 
             巻1-54 坂門人足(さかとの ひとたり ) 

があり、賑やかだった古を偲ぶ縁(よすが)となっています。

    「巨勢山の つらつら椿 実となれる」  石井桐蔭
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by uqrx74fd | 2014-11-28 06:38 | 万葉の旅

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