万葉集その五百十一 (橘いろいろ)

( 橘の実  春日大社神苑 万葉植物園 )
b0162728_17504850.jpg

(  橘の花   同上 )
b0162728_17502724.jpg

( 柚子の花   橘とほとんど変わらない  自庭で)
b0162728_1750734.jpg

(  京都御所 右近の橘 )
b0162728_17495496.jpg

(  文化勲章 筑波大学朝永記念館蔵 )
b0162728_17493339.jpg

橘は近畿地方以西の暖かい海岸線に近い山地に生育するミカン科の常緑高木で、
古くは蜜柑類の総称とされていました。
6月頃、5弁の白い花を咲かせ、秋には黄色の美しい実を付けますが、古代の橘は
我国固有のニホンタチバナと推定され、酸味が強くて食べられなかったので、
もっぱら観賞用として植栽されていたようです。

清々しい香りを漂わせる白い花、黄金色の実、常緑の葉。
万葉人はこの植物に永遠の生命が宿ると信じ69首もの歌を詠んでいます。

「 橘は 実さへ花さへ その葉さへ
      枝(え)に霜降れど いや常葉(とこは)の木 」
                   巻6-1009 聖武天皇(元正上皇とも)

( 橘の木は実も花もめでたく、そしてその葉さえ冬、枝に霜が降っても常緑。
  ますます栄える目出度い木であるぞ。 )

『 「さへ」を三つ重ねて、逆接の「霜降れど」で盛り上げ,体言止めで結んだ
調べの高い歌で、王者の風格がある。(伊藤博) 』一首。

736年 葛城王、佐為王たちが臣籍に降下し、「橘 宿禰」の姓を賜ったときの歌で、
常緑樹で霊木とされた橘の木をたたえることで、橘氏の繁栄を予祝したものです。
葛城王は後の橘諸兄。
光明皇后の異父兄で天皇の信頼厚く、左大臣,正一位と位人臣を極めます。

「 橘の とをの橘 八つ代にも
     我れは忘れじ この橘を 」 巻18-4058 元正上皇

 「とを」は実の重みで枝が撓むさま

( 橘の中でも特に枝も撓むばかりに実をつけたこの橘
  私はいつの世までも忘れはしませんよ。
  この見事な橘を )

元正上皇が左大臣橘諸兄の邸宅を訪れ、宴を催したときの挨拶歌。
橘の木に寄せて橘氏を讃えています。

臣下の屋敷を訪問する格別の思し召し。
当時、諸兄は朝廷最高の権力を持ち、大伴一族の後ろ盾ともなっていました。

「 我が宿の 花橘の いつしかも
      玉に貫くべく その実なりなむ 」
                      巻8-1478  大伴家持

( 我が家の庭の橘の花は、いつになったら
  玉として糸に通せるほどの大きさの実になるのだろうか )

万葉人の美しい造語「花橘」。
白い花を愛でながら黄金色の実を待ちわびる。
玉飾りは愛する人に贈るのでしょうか。

家持は殊の外橘を好んだらしく25首もの歌を残しています。

「 橘は 花にも実にも 見つれども
    いや時じくに なほし見が欲し 」
                      巻18-4112 大伴家持

  「時じくに」 絶えず

( 橘は花が咲いた時も、美しい実がなった時も見ているが
 見れば見るほど素晴らしい。
 もう、時を定めず、毎日でも見ていたいものだ )

ここまでくれば橘狂としか言いようがありません。

家持が橘を特に讃えたのは、左大臣、橘諸兄を持ち上げる意図があったのかも
しれません。
藤原氏に対抗するには諸兄の支えが絶対不可欠の政情。
事実、諸兄が引退すると大伴家はたちまち衰退してゆきます。

なお、家持が「時じく」と詠ったのは記紀の次の逸話を下敷きにしたものです。

『 その昔、垂仁天皇が田道間守(たじ まもり)という人物を常世の国(外国)に遣わし
  不老長寿の霊薬「非時の香菓(ときじく の かくのみ)」即ち
「 季節に関係なくいつも瑞々しさを保っている香り高い木の実」を求めさせた。
  間守は10年間探し求めて、その実のなる木(橘)を手に入れ帰国したが
  天皇は既に崩御された後であった。
  間守はその木の一部を皇后に献上すると共に、残りは天皇の御陵の
  ほとりに植え、嘆き悲しんで亡くなった』 と。

以来、橘は永遠の繁栄を人の世にもたらすものとして珍重され
「常世草」(とこよくさ)ともよばれました。
また「神が立つ花」すなわち神霊が現れる花(中西進 花の万葉秀歌)との
説もあります。

橘と云えば文化勲章。

その図案は当初、桜花に配する曲玉の意匠が予定されていましたが、昭和天皇から
「 桜は昔から武を表す意味に用いられているから、文の方面は橘を用いたらどうか 」

という意味のお言葉があり、橘になったそうです。
    ( 井原頼明氏 東京朝日新聞宮内庁記者 昭和13年当時)

また氏は以下のような文章も残しておられます。(一部現代仮名使いに変更)

『 橘は古来わが国では尊重され愛好せられ、桓武天皇が平安京に遷都遊ばされてからは
  紫宸殿の南庭に用いられて右近橘と称せられ、左近櫻と共に併称せられて今日に及び
  万葉集にも数多く詠ぜられているところである。
  垂仁天皇が常世の国に橘を求められたことよりして、橘は永劫悠久の意味を
  有しているものであり、その悠久性、永遠性は文化の永久性を表現するのに
  最も適するものとの聖慮と拝察される 』 (増補皇室事典 富山房)

かくして記紀の伝説「時じくの橘」は万葉集から古今、新古今和歌集、さらに
源氏物語、枕草子などにも採りあげられて平安御所の象徴となり、櫻と共に
国花ともいえるような存在になったのです。


「 唄は ちやっきりぶし
  男は 次郎長
  花は たちばな
  夏は たちばな
  茶の かをり
  ちやっきり ちゃっきり
  ちゃっきりよ
  きやァるが啼くから 雨づらよ 」 

          ( ちやっきり節 1番 
           北原白秋 作曲 町田嘉章作詞 )

(  梅に橘  春日大社神苑 万葉植物園 )
 
b0162728_17544246.jpg
 
[PR]

by uqrx74fd | 2015-01-13 17:54 | 植物

<< 万葉集その五百十二 (有馬)    万葉集その五百十 (我が心は燃... >>