万葉集その五百十六 (墨坂)

(墨坂伝称地 奈良県宇陀市)
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( 伊勢本街道跡 同上 )
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( 墨坂神社参道神橋 同上 )
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( 墨坂神社 同上 )
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( 石上神宮  奈良県天理市 )
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( 同上 )
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( 境内で放し飼いされているオナガドリ  同上)
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( 人麻呂歌碑 同上
 おとめらが 袖布留山(そでふるやま)の 瑞垣(みづがき)の 久しき時ゆ 思ひき我は)
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( 柿本人麻呂  阿騎野人麻呂公園  奈良県宇陀市 )
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近鉄大阪線榛原駅から西北約1㎞のところに西峠という坂道があります。
昔、墨坂とよばれ、神武天皇東征の折、八十梟帥(やそたける)という賊が
炭火を焚いて侵入を阻んだのでその名があり、大和中央部と伊勢を結ぶ要衝の地でした。
往時は坂の上に道祖神、墨坂神社が祀られていたそうですが、室町時代に
宇陀川べりに遷座して現在に至っています

 
「 君が家に わが住坂の 家道(いへじ)をも
     我は忘れじ 命死なずは 」
                   巻4-504 柿本人麻呂の妻

( あなた様を忘れないのは勿論のこと、私があなたのお家に住みたいとまで
 思う その家につながる住坂の道さえ 決して忘れることはありません。
 私の命のある限りずっと )

人麻呂の妻はこの辺りに住んでいたのでしょうか?
万葉で唯一の墨坂、歌では住坂となっています。

「住む」には「男女が一つ家に暮す」と「男が女の家に通い続ける」の意がありますが、
当時は男が女の家に通うのが習い。
それでも一つ家に一緒に住みたい、毎日毎日貴方の顔が見たいという気持ちがこもる歌です。

「 家に住む、住坂」と言葉遊びの感じがあり、宴席で人麻呂が妻の立場になって
 詠ったのかもしれない(伊藤博)ともいわれています。

多くの旅人が行き来していたこの地は、今や道端に「墨坂伝称地」と刻まれた
石標がぽつんと立っているだけで周囲は住宅が密集していて当時の面影は全くありません。
わずかに、伊勢街道を思わせる案内標石がその雰囲気を残しているのみです。

「 未通女(をとめ)らが 袖布留山(そでふるやま)の 瑞垣(みづがき)の
     久しき時ゆ 思ひき我れは 」    
                             巻4-501 柿本人麻呂 (既出)


( 乙女が袖を振る その布留山の瑞垣が大昔からあるように
 私は、ずっとずっと前からあの人のことを想っていたのだ )

「未通女(おとめ)らが袖」までが「布留」を導き、「瑞垣の」までが「久しき」を
導く2重の序となっています。
要は「久しき時ゆ 思ひき我は」(長い間、私はあの人を想っていた)が主題の歌です。

本来民謡で使われていた手法を創作の世界に持ち込んだのは人麻呂だそうですが、
若き頃恋人に贈ったものでしょうか。
「未通女(おとめ)」は処女を暗示しており、神に仕える巫女かもしれません。
「瑞垣」は、神域を示す常緑樹の垣根
とすれば、決して手を触れてはならない女性に長い間秘かな恋心を抱いていたと
いうことになります。
技巧を凝らしたロマンティックな名歌です。

「袖布留山」は「袖」を「振る」の縁で「布留」を起こす序。
「布留山」は天理市 石上神宮の山。

近鉄榛原駅から南東、約600mのところに墨坂神社があります。
古くは伊勢街道、墨坂、天神の森に鎮座されていたものが室町時代に遷られた
そうですが、その歴史は古く、崇神天皇の380年に疫病が大流行したとき
夢の中での神のお告げにより、大和の東の入口である墨坂に赤、西の大阪の神に
墨色の盾鉾を祀ったところ病が平癒したことに由来するそうです。
また天武天皇の673年、大伯皇女が奉幣したという記録も残ります。

神社の前に宇陀川が流れ、正面の赤い橋が参道になっているのも珍しく、
背後の向井山の緑と赤を基調とした社の調和が美しい。

本殿で参拝を終え、かぎろひの丘へ。
若々しい人麻呂の像がある万葉ゆかりの地です。

   「花散らす 風の一日(ひとひ)や 宇陀郡(うだごほり)」 福永京子

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by uqrx74fd | 2015-02-20 06:40 | 万葉の旅

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