万葉集その五百二十四 (奈良の飛鳥散歩)

( 浮見堂から奈良ホテルを臨む  ホテル左手の小山に瑜伽神社(ゆうがじんじゃ)がある)
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( 浮見堂  奈良公園 )
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( 春日野の朝  後方は御蓋山:みかさやま   浮見堂のすぐ近く )
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(  瑜伽神社:ゆうがじんじゃ  飛鳥から遷された)
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(  同上 )
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(  元興寺  飛鳥から移建  元法興寺、飛鳥寺 )
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(  元興寺極楽房   屋根瓦は我が国最古のものとされている )
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(  元興寺の石仏  秋は境内に萩、桔梗が咲き乱れる )
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(  元興寺の門前町として栄えた奈良町 )
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( 同上 庚申堂 )
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(  昔のたたずまいを残す奈良町 )
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春日大社参道、一の鳥居から本殿に向かう途中、右側の小高い丘を登ると
池の中に立つ優雅な建物、浮見堂が真下に現れます。
東に春日山、御蓋山、高円山、西に小高い林に囲まれた奈良ホテル。
春は桜、夏、百日紅、秋、紅葉が映え奈良公園の中でも特に美しい場所です。

その浮見堂の池端を辿りながら高台に続く坂道を歩いてゆくと、やがて
奈良十六景に選ばれている桜と紅葉の名所、瑜伽山(ゆうがやま)の頂上へ。
歩いて10分足らず、山とはいえない丘の上ですが見晴らしがよいところです。

「 春はまた 花に訪ひこむ 瑜伽(ゆうが)の山
    けふの もみじの かへさ惜しみて 」   
                            藤原良材(よしき) (江戸時代の奈良奉行)

訪ひこむ:訪ひ来む:訪ねよう
かへさ:帰さ:帰るのは

( 今日の瑜伽の山の紅葉は格別に見事なことだなぁ。
  何時までも見ていたいものだ。
  帰るのは惜しいが、日も暮れてきた。
  春にまた桜を見にこよう )

夕日に映える紅葉の美しさに立ち去りかねている作者。
当時は春秋の行楽地であったらしく、打ち揃っての酒宴も催されたことでしょう。

この山の中腹あたりに朱の色も鮮やかな瑜伽神社(ゆうがじんじゃ)が鎮座まします。
上古、飛鳥京の鎮守として祀られていたのを平城遷都とともに遷された社で、
祭神は宇迦御魂大神(うがの みたまの おほかみ)、万物の豊穣をもたらす神様です。

  「 大屋根の 甍美し 元興寺 」 筆者
  
710年、都が藤原京から平城京に遷されたのに伴い、明日香の寺々も続々と
移建されました。
百済大寺(のち大安寺)、山階寺:やましなてら(のち興福寺)、飛鳥寺(のち元興寺)、
薬師寺等々。
中でも元興寺は593年に飛鳥の地で蘇我馬子が創建、もと法興寺(のち飛鳥寺)と
いわれた寺で718年に平城京に移設される際、解体して資材をそのまま使用し、
東西220m、南北400mの大伽藍を誇っていたそうです。

高い建物がまだなかった時代、瑜伽山から大和三山や三輪山が臨まれ、
眼下に大寺院群。
さながら飛鳥の都がそのまま再現されたように見えたことでしょう。
人々はこのような景観を「奈良(平城)の飛鳥」とよんだのです。

「 故郷(ふるさと)の 明日香はあれど あをによし
    奈良の明日香を 見らくしよしも 」
                   巻6-992 大伴坂上郎女 元興寺の里を詠む歌一首(既出)

( 飛鳥寺が立つ故郷の明日香は思い出深くよいところであるが
      奈良の新しい都の飛鳥寺(元興寺)あたりを見るのもよいものだ。)

作者は飛鳥から移され、今は元興寺とよばれる寺やその周辺を見るにつけ
故郷を懐かしく思い出していたようです。
再利用された大屋根の甍を見上げるたびに飛鳥寺のたたずまい、美しい野山や川が
脳裏に蘇ってきたことでしょう。

坂上郎女の歌は瑜伽神社の本殿の脇の歌碑に刻まれ、今もなお遥か彼方の
飛鳥を偲んでいるようです。(現存の飛鳥寺は当時のものが一部残されたもの)

瑜伽神社の石段を下り、奈良ホテルの脇道から奈良町界隈に出ます。
ここは平安時代、元興寺の門前町として栄えたところで、現在も
伝統の墨、筆、麻、漢方薬、酒、和菓子などを扱う格子造りの店の古い街並みが
残されており、庚申さんとよばれるお猿さんの厄除けのお守りが家々の軒下に
ぶら下がっています。
このお猿さんは厄災の身代わりになってくれることから「身代わり猿」あるいは
願い事をかなえてくれることから「願い猿」ともよばれているとか。

近年は若者向けのカフエや土産物屋なども多くなり、なかなかの賑わい。
その中の一角に元興寺がありますが大部分は火事などで焼失し、
今は極楽房とよばれる仮本堂のほか少しの建物を残すのみです。
幸い瓦は創建当時のものがそのまま残っており、その重厚なたたずまいは往古の
面影を偲ばせてくれています。

「 白玉は 人に知らえず 知らずともよし
  知らずとも 我れし知れらば
  知らずともよし」
                     巻6-1018 元興寺の僧 
                      (旋頭歌:577、577を基調とする) 既出

( 白玉、すなわち自分の真価を人は知らない。
  しかし知らなくてもよい。 
  人が知らなくても自分さえ知っていたらそれでよい。 )

 この歌の前書きに「738年、元興寺の僧が自身を嘆いた歌」とあります。

 朝廷の手厚い保護を受けた元興寺。
 数ある名刹のなかでもエリートの集まりです。
 この歌を詠んだ僧は博識で修行も十分受けた人物ながら一癖もふた癖もあったので
 上層部から認められず、もやもやした気持だったのでしょうか。
 「知られなくてもよい」といいながら、諦めても諦め切れない無念さ。
 情実が入り込むはずがない実力主義の寺といえども、
 現実には「えこひいき」があり、要領のよい僧が取り立てられていたことが伺われ、
 現在でも通用しそうな一首です。

 墨の老舗「古梅園」まで ぶら歩きすると奈良町界隈の散策は御終い。
 あたりは夕闇が漂いはじめ、今宵は朧月夜です。
 さてさて、まず近くのお好み焼き屋さんで渇いた喉をビールでうるおし、
 腹ごしらえしてから夜桜を楽しむことに致しましょうか。

   「 奈良町の 墨屋にゆれる 魔除け猿 」  筆者
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by uqrx74fd | 2015-04-17 06:39 | 万葉の旅

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