万葉集その五百二十八 (湖上の藤見 )

( 藤波  春日大社境内  奈良 )
b0162728_1657770.jpg

( 万葉植物園  奈良 )
b0162728_1656448.jpg

( 同上 )
b0162728_16562563.jpg

( 同上 )
b0162728_1656691.jpg

( 同上 )
b0162728_16554938.jpg

( 同上 )
b0162728_16553317.jpg

( 山辺の道  奈良 )
b0162728_1655164.jpg

( 亀戸天神  東京都 )
b0162728_16545216.jpg

( サツマサツコウフジ   東大小石川植物園 )
b0162728_16543744.jpg

(  十二町潟  氷見市  yahoo画像検索 )
b0162728_16541574.jpg

748年 初夏の爽やかな気候の頃、左大臣橘諸兄の使者 田辺福麻呂が都から遥々、
越中国司の大伴家持を訪ねてきました。
用向きは不明ですが、万葉集の編纂に助力を惜しまなかった元明上皇の健康が
思わしくないので都の様子を報告することと、橘氏直轄の支配地の視察を兼ねての
ことと思われます。

橘諸兄を後ろ盾と頼む家持にとって歌心がある福麻呂は旧知の仲。
来訪を大いに喜び、至りつくせりのおもてなしで遠来の客をねぎらいました。

連日の宴会が続いたのち「そろそろ都へ戻らねば」という福麻呂を引きとめ
「明日は布勢の海に繰り出し、船上から藤をご覧にいれましょう 」と
粋な計らいを演出しする家持。
布勢の海は国府から北へ8㎞、富山湾から奥に入った内陸湖です。

「 いかにある 布勢の浦ぞも ここだくに
   君が見せむと 我れを留(とど)むる 」 
                    巻18-4036 田辺福麻呂( たなべ さきまろ)

( どんなところなのでしょう。布勢の海というのは。
  これほど熱心に あなたが私に見せようと お引き留めになるとは )

最初は「たかが田舎の鄙びた湖、大したことはあるまい 」と
高をくくっていたかもしれない作者。
それでも興味津々です。

翌朝、晴天に恵まれ遊女も伴っての賑やかな船遊び。
大型の屋形船だったのでしょうか?
家持は得意げに案内します。

「 乎布(をふ)の崎 漕ぎた廻(もとほ)り ひねもすに
     見とも飽くべき 浦にあらなくに 」
                          巻18-4037  大伴家持

( 乎布(をふ)の崎 その崎を漕ぎ巡って 日がな一日見ても 
  見飽きるというような浦ではないのですぞ。そこは。)

乎布の崎は布勢の浦の1地点、当時景勝の場として知られていたのでしょう。
やがて水辺に山なりの見事な房を垂らしている巨大な藤の木が見えてきました。

「 藤波の 咲きゆく見れば ほととぎす
     鳴くべき時に 近づきにけり 」 
                         巻18-4042 田辺福麻呂

( 藤の花房が次々と咲いているのを見ると、季節はいよいよホトトギスが
  鳴く時にいよいよ近づいたのですね )

見事な藤を褒めるとともに、家持がホトトギスを特に好んでいることを
知っていた福麻呂の返し歌。

藤の長い房が風に吹かれてゆらゆら揺れている。
万葉人の美しい造語「藤波」です。

「神さぶる 垂姫の崎 漕ぎ廻(めぐ)り
      見れども飽かず いかに我れせむ 」
                           巻18-4046 田辺福麻呂

( 何とも神々しいまでの垂姫の崎 この崎を漕ぎ廻って 
見ても見ても見飽きることがありません。
あぁ、素晴らしい!
私はどうしたらよいのか。 感激のあまり言葉もありません。)

垂姫も布勢の浦の1地点。
現在の氷見市大浦、堀田付近とされています。
御世辞ではなく心の底から感嘆している様子が窺われ、雅な宴を設けてくれた
家持への感謝の気持ちも籠ります。

同席していた遊行女婦(うかれめ)も座を取り持ちます。


「 垂姫の 浦を漕ぎつつ 今日の日は
    楽しく遊べ 言ひ継ぎにせむ 」
            巻18-4047  土師(はにし)

( 今日は大いに楽しく遊びましょう。
私も色々お話し、歌わせて戴き、後々までこのことを伝えてまいりましょう。)

遊行婦女は単なる遊女ではなく、高い教養の持主。
天皇や貴族の席に侍っていた才色兼備の人もおり、万葉集に多くの歌が残されています。

歌えや飲めや。
大いに盛り上がる宴席。
賑やかな笛や太鼓、琴の音も湖上に響きます。

すっかり満足した福麻呂。
都に戻り布勢の海の美しさ、至りつくせりの楽しい歓待の模様を
周囲の人々に何度も語り聞かせたことでしょう。

家持がこよなく愛したその景観は今から300年前に埋め立てられ、
十二町潟(じゅうにちょうがた)とよばれる水面をわずかに残すのみ。
万葉集に歌が残されていなかったら、往時の風光明媚な布勢の海は完全に
忘れ去られていたことでしょう。

   「 稲雀 十二町潟 越えて来し 」  岩切貞子
[PR]

by uqrx74fd | 2015-05-14 17:05 | 生活

<< 万葉集その五百二十九 (山吹い...    万葉集その五百二十七 (長谷路 ) >>