万葉集その五百三十五 (紅の衣 )

( 長福寿寺の紅花畑  約7万本が咲き誇る  千葉県茂原市 2015.6.17撮影)
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( 紅花  同上 )
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( 蝶がいっぱい舞っていました   同上 )
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( 紅花   同上 )
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( 紅花は 黄色→赤色へ変化し、散らずにそのまま枯れる  同上 )
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( 乾燥した紅花  国立歴史博物館  千葉県佐倉市 )
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( 紅餅   同上 )
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( 紅染の実演  長福寿寺で )
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( 古代の人は男も女も赤い衣がお好き  女性の長い下衣を裳裾という 天平祭ポスター 奈良)
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エジプト、中近東原産の紅花は3世紀末頃、シルクロードから中国を経由して
我国に渡来したといわれています。

灼熱の太陽を思わせる神秘の赤。
目も覚めるような鮮やかな色に初めて接した人々はその美しさに驚嘆し、
たちまち魅了されたことでしょう。

紅花の栽培と染色技術は瞬く間に近畿を中心に山陰、関東甲信越などに広がり、
平安初期には全国68国中24国が朝廷に貢納していたとの記録も残ります。

植物染色は根茎や葉を利用することが多い中、花弁の黄色を洗い流して赤だけを残す
新しい技術は極めて美しい色を生み出し、衣服は勿論のこと、敷布、座具、
幡、経典の覆いなどに利用が拡大され、正倉院宝物にも多く残されています。
さらに頬紅や口紅は女性を美しく飾り、種は油、葉は漢方薬など現在に至るまで
用いられ続けている植物です。

万葉集での紅は34首。
紅の衣をまとう女性はよほど男を魅了したのでしょう。
恋の歌がずらりと並びます。

「 立ちて思ひ 居てもぞ思ふ 紅の
    赤裳(あかも)裾(すそ)引き 去(い)にし姿を 」 
                              巻11-2550 作者未詳

( 立っても思われ 座っても思われてならない。
  紅染めの赤裳の裾を引きながら 歩み去って行ったあの子の姿が )

赤裳は赤色のロングスカートのようなもので、当時の男性の心を奪う
美しい姿の一つでした。

美しい乙女が静々と歩いてくる。
鮮やかな赤裳が日に映え、まばゆいばかりの艶やかさ。
すれ違いざま、あとを振り返り姿が見えなくなるまで眺めている。
あぁ、一体どこの娘なのだろう。
たちまち一目惚れした男は、夜も昼もその姿が目に焼き付いて離れない。
といった光景でしょうか。

「 紅の 薄染めの衣(きぬ) 浅らかに
          相見し人に 恋ふるころかも 」 
                         巻12-2966 作者未詳


( 紅の薄染めの着物の色のように ほんの軽い気持ちで逢った人。
 それなのに 恋焦がれてしまっている今日この頃。)

本格的な紅色は何度も重ねて染めるので大変手間がかかりますが、
薄色に染めるだけなら一回ですみます。
手軽なので、ここでは「安易に」という意味で使われています。

「 軽い気持ちで付き合ったのに、いつのまにか本気になってしまったわ」と
初々しい詠いぶりのうら若き乙女。
 
「 紅の八汐(やしほ)の衣 朝な朝な 
           なれはすれども  いやめづらしも 」
                          巻11-2623 作者未詳


( いくども染めた八汐の衣 
 その衣のような美しいお前
 毎朝見なれているけれども幾度見てもますますいとおしいことよ )

「八汐の衣」は何度も重ね染めした真紅の衣。
ここでは古女房とは言わないまでも、長く馴染んでいる女と思われます。

「 何度も何度も抱いているのに一向に飽きない。
それどころかますます愛しい 」

と惚気る男。

   「 百姓の娘顔よし 紅藍(べに)の花 」 高濱虚子

古代の紅染めは乾燥させた紅花を麻袋に入れて手で揉(も)み、
色素を取り出して普通の水温で染めていたため、退色しやすかったようです。

次第に触媒剤などを使い色を定着させていきましたが、生産を一気に向上させたのは
紅の色素を凝縮させた紅餅。
東北、出羽の紅花が最盛期を迎えるのは江戸時代からで、全国の出荷量の
4割を占めたと伝えられています。

紅花と言えば最上というのが通り相場ですが、そのルーツは意外や意外、
千葉県という説があります。

JR千葉駅から外房線で約40分、茂原駅で下車。
バスに乗り継いで20分ばかり、長南町というところに長福寿寺という古刹があります。
798年、桓武天皇の勅願により最澄によって創建され、中世、房総における
天台宗の大本山として末寺308寺院を有していたとされる大寺院です。

広い広い境内、ここで何と!7万本もの紅花が植栽され今を盛りと咲き乱れています。
み寺と紅花の結び付きは、その昔、この地に菅原道真の子孫、長南次郎なる人物が
住みつき、地元の名門千葉氏と外戚関係を結んで紅花の栽培を始めたことに
由来するそうです。

紅花は成長する春から夏にかけて朝霧が立ち、直接日光が当たる時間が短い場所が
栽培の最適地とされていますが、この地もその条件に合致していたのでしょう。
ほどなく房総の特産品となり都に送って大いに栄えました。
ところが、1456年、武田氏が長南に攻め込んで占領し、一族は長野、岩手、山形に
散り散りになり、紅花栽培も衰退してしまったのです。

そして、山形に移住した長南の人々は、紅花の種を持参して植え、最上紅花隆盛の
礎になったと伝えられています。(お寺の説明文による)

そのような歴史から地元の有志の方々が紅花復活運動を長年続けて
見事な紅花畑を再現させ多くの人たちを楽しませてくれているのです。

   「 紅摘みに 露の干ぬ間と いふ時間 」 田畑美穂女
    
    紅花は棘があるので露が消えぬ早朝、柔らかいうちに摘み取ります。
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by uqrx74fd | 2015-07-02 19:52 | 生活

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