万葉集その五百四十五 (草の露白し)

( 草の露白し  学友 N.F さん提供 )
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( 露草 山の辺の道 奈良 )
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( 萩    同上  )
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(  薔薇  自宅 )
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( 桔梗  山の辺の道  奈良 )
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( 高砂百合   自宅近くで )
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(  馬酔木   正倉院 )
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(  駒ヶ岳 千畳敷カールで )
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(  芙蓉   自宅近くで )
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( 海棠桜   自宅 )
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( ミヤマオダマキ  礼文島 北海道 )
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( ヒオウギズイセン   自宅  )
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( ハマナス  知床  北海道 )
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季節には太陽暦の1年を4等分した春夏秋冬のほか24等分した二十四節季
72等分した七十二候があります。
「草の露白し」は七十二候の一つで、現在の9月7日~11日頃に
あたるそうです。  (二十四節季の白露は9月8日)

厳しかった夏の暑さが和らぎ、朝夕の涼しさが際立つころ、草に降りた露は
光を浴びて、さながらダイヤモンドのように美しく光り輝きます。
俳人、川端茅舎はこのような光景を凝縮し、

「 金剛の 露ひとつぶや 石の上 」    (川端茅舎)

と、大粒の露が石の上で燦然と光り輝いているさまを詠みました。
もろさの象徴、消えるべきものの代表である露に金剛(ダイヤモンド)の
強さを見出した意表をつく名句です。

万葉人も露の美しさを愛で、
「まるで真珠のようだ、糸につなぎたい」と優雅に詠っています。

「 我が宿の 尾花が上の白露を 
              消(け)たずて玉に 貫くものにもが 」 
                            巻8-1572 大伴家持


( 我が家の庭の尾花の上の白露 この見事な白露を
 消さずに 玉として通せたらよいのに )

消たずて : 消さないで
貫くものにもが:「もが」は実現不可能なことへの願望

「 秋萩に 置ける白露 朝な朝な
        玉としぞ見る 置ける白露 」 
                         巻10-2168 作者未詳


( 秋萩に置いている白露 その白露を毎朝毎朝玉だと思って見てしまう。 
その美しい白露を。)
古代の人達は露や時雨は紅葉を促すものと考えていました。
秋の深まりと共に大地が急速に冷え、日中の寒暖差が大きくなるほど色鮮やかな紅葉。
間もなく紅葉狩りの季節が近づいてまいります。

「 九月(ながつき)の 白露負ひて あしひきの
              山の もみたむ 見まくしもよし」 
                       巻10-2200 作者未詳



( 9月の白露を浴びて 山々が一面に色づく。
 その様をもうすぐ見ることができるなぁ。
 心楽しく待ちどうしいことよ )

白露負ひて: 一面に露浴びて
もみたむ:揉むように色づく 
見まくしもよし: 「しも」は強調 見ようの意を強めたもの

「 白露に 鏡のごとき 御空かな 」 川端茅舎

露は晴天の風のない夜に多く、早朝に目覚めて外に出ると、草一面の露。

「 朝戸開けて 物思ふ時に白露の
           置ける秋萩 見えつつもとな 」
                          巻8-1579  文忌寸馬養(あやのいみき うまかひ)


( 朝起きて戸をあけ 物思いに耽っているときに
  白露の置いている秋萩 その あはれな風情が目について
  しかたがありません )

見えつつもとな: 露を置いた萩を見ると物思いがつのるばかりなので
見まいとするが、あまりの美しさについつい見てしまうの意

対馬からの遠来の客を迎えて橘諸兄邸での宴席での歌。

恋煩いなのか、床の中でぼんやりと物思いに耽っている。
思い切って起き、戸を開けるとひんやりとした空気が心地よく入ってきた。
庭の秋萩は満開、夜の冷気を存分に吸った美しい白玉がキラキラと輝いている。
「露はすぐ消えるので儚い、我が恋も」と一瞬頭をよぎるが、あまりの美しさに
見惚れてしまい、「これではますます物思いが募るなぁ」と呟く作者。

日が上るとあっという間に消える儚い命は恋の歌の絶好の材料です。

「夕(ゆうへ)置きて 朝(あした)は消(け)ぬる白露の
               消ぬべき恋も 我(あ)れはするかも 」
                          巻12-3039  作者未詳


( 夕方に置いて朝には消えてしまう白露
 そんなはかない白露のように 私は身も消え果ててしまいそうな
 切ない恋をしています )

「 夕月夜(ゆうづくよ) 心もしのに 白露の
     置くこの庭に こおろぎ鳴くも 」 
                         巻8の1552 湯原王(既出)


作者の湯原王(ゆはらのおおきみ)は天智天皇の曾孫、父は志貴皇子。
親子共に気品のある秀歌を多く残しています。

「心もしのに」とは心も萎れてしまうばかりにの意。
心情の世界と夕月夜、白露、こおろぎ、という自然の景とを融合させ
染み入るような寂寥感をうちだしています。

佐々木信綱氏は
「 情緒細やかにして玲瓏たる歌調、風韻豊かな作である。
  作者の感じた秋のあわれは千年の時の隔たりを超えて今日の読者の
  胸臆(きょうおく)にもそっくりそのまま流れて沁みこむ思いがする」

と絶賛されている万葉屈指の名歌です。

万葉集での露は115余首。
白露のほか暁露(あかときつゆ)、朝露、夕露、露霜、露の白玉、露の風、
など様々な表現で詠われていますが、いつ、どこでも見られるありきたりの
小さな自然現象にもかかわらず、その中に美を見出した古代の人達の
繊細な感覚にはただただ驚くばかりです。
その伝統は今なお引き継がれ、露は秋の季語として欠かせない存在に
なっております。

「 芋の露 連山影を 正しうす 」 飯田蛇笏

里芋の葉に露が宿り、その一粒一粒に山々が影を宿している。
小さい中の大きな世界。
作者一代の名句です。
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by uqrx74fd | 2015-09-10 22:21 | 自然

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