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万葉集その五百四十六 (故郷:ふるさと)

( 彼岸花咲く棚田   後方多武峰)
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(  甘樫の丘   飛鳥  ここから両親が晩年を過ごした家が見える 筆者第二の故郷)
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( 運動会は公園で   奈良公会堂前の広場 )
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(  大仏池  筆者の故郷 ここから5~6分のところに住んでいました) 
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「故郷」(ふるさと)。
なんと心に優しく響く言葉なのでしょうか。

心に思い浮かべるは母なる大地。
それは、
たたなずく青垣。
清流で泳ぐメダカや小鮒。
暗闇に飛び交う蛍がかもしだす幻想の世界。
オニヤンマや赤トンボがスイスイ飛び、蝶が舞う。

悪さして叱ってくれた父母の思い出。
そして、甘くてほろ苦い初恋の味。

新明解語源辞典によると
「故郷:ふるさと」
『 生まれ育った土地、昔馴染みの土地。
  「ふる」は時間がたつの意の「ふる(経)」、
  「さと」は家々が多く集まったところ。
万葉集には仮名書きの例はないが、「古郷」「故郷」を「ふるさと」と訓み、
なにか事のあったところ、馴れ親しんできたところ、
一族が住んできたところ等の意味に用いられた。』  とあります。

「 心ゆも 我(あ)は思はずき またさらに
          わが故郷(ふるさと)に 帰り来(こ)むとは 」
                            巻4-609 笠郎女

                     
( またもや私が昔住んでいた里に帰ってこようなどとは
  ついぞ思ってもみませんでした。 )

大伴家持を熱愛し、片思いに終わった作者が心の痛みに堪えかねて故郷に
戻ったものの、未練を断ち切れず、家持に贈った歌です。
傷心の彼女にとって心を癒す場所は、故郷しかなかったのでしょう。

私たちが折につけ歌うのは「うさぎ追いし かの山 」。
そこには日本人の郷愁がいっぱい詰め込まれているからなのでしょうか。

この歌をなぞりながら、万葉人は故郷をどのように詠ったのか
辿ってみたいと思います。
まずは一番です。

「 うさぎ追いし かの山
  小鮒つりし かの川 
  夢はいまもめぐりて  
  忘れがたき 故郷 」
             ( 故郷:ふるさと  高野辰之 作詞   岡野貞一 作曲)

続いて万葉人の「忘れがたき故郷」です。

「 清き瀬に 千鳥妻呼び 山の際(ま)に
         霞立つらむ   神(かむ)なびの里 」
                             巻7-1125 作者未詳


( 今ごろあの神なびの里、明日香は 
  清らかな川瀬で千鳥が妻を呼び立てて鳴き
  山あいには霞が立ちこめているであろうなぁ。 
  あぁ 懐かしい。)

詞書に「故郷を思ふ」とあり後に続く歌が明日香川なので、
この場所は飛鳥と判断できます。

「 浅茅原 つばらつばらに 物思(ものも)へば
     古りにし里し 思ほゆるかも 」 
                      巻3-333 大伴旅人(既出)


( 心ゆくまま物思いに耽っていると、昔住んでいた明日香、
 あの浅茅が一面に広がっていた我が故郷が懐かしく思われることよ )

都から遠く離れた九州大宰府に長官として赴任している旅人。
生まれ育った香具山に近い故郷を懐かしく思い出しながら、
茅(ちがや)の穂が野原一面に靡いている光景を思い浮かべています。

浅茅原は『あさぢ「はら」』、『つ「ばら」』と「はら」の同音を
繰り返し、リズムよく流れるような一首。

「つばらつばら」は「心ゆくままにしみじみと」
「古りにし里」は新都「奈良」に対する古き里、すなわち「明日香」。

さて「故郷」の二番。

「いかにいます父母
   つつがなしや 友がき
  雨に風につけても
   思いいずる 故郷 」
            友がき: 友垣 交わりを「垣根を結ぶ」に例えたもの。朋友。

同じように「いかにいます父母」と詠う万葉人。

「 父母が 頭(かしら)かき撫で 幸くあれて
     言ひし言葉(けとば)ぜ 忘れかねつる 」 
              巻20-4346 丈部稲麻呂(はせつかべの いなまろ) 駿河国防人

( 父さん、母さんが おれの頭をなでながら 達者でなと言ったあの言葉が
      忘れられないよ )

「 旅行(ゆ)きに  行くと知らずて 母父(あもしし)に
     言申(こともを)さずて  今ぞ悔しけ 」
                    巻20-4376 川上臣老(おみおゆ) 下野国防人 (栃木)

( こんな長旅に出るとも知らず、母さんや父さんに ろくに物も言わないで来て
  今になって悔やまれてならない )

「 高山の 嶺行くししの 友を多み
         袖振らず来ぬ  忘ると思ふな 」 
                              巻11-2493 作者未詳


(高山の嶺を群れてゆく猪のように、仲間がいっぱいいたので
 別れる時は袖も振らずにきてしまったが
 お前さんのことを忘れたとは思うなよ )

「 周りに仲間がいっぱいいたので、照れくさくて手も振れなかった。
  でもお前のことは1日たりとも忘れたことはなかったのだよ。」
  と恋人を思い出しながら心の中でつぶやく男。

さて、さて、いざ故郷に帰ろう

 「 こころざしを 果たして
   いつの日にか 帰らん
   山は青き 故郷
   川は清き 故郷  」 

「 わが命も 常にあらぬか 昔見し
    象(きさ)の小川を 行きて見むため 」  
                          巻3-332 大伴旅人(既出)

( あぁ、いついつまでも命を長らえたいものだ。
  昔見た象の小川へもう一度行って、あの清らかな流れを見るために )

人生50年の時代にあって旅人は当時65歳。
既に高齢の身、何としても生まれ育った明日香や、吉野を再び見たいと
執念を燃やしています。

象の小川は吉野山系の青根ヶ峰や水分神社の山あいに水源をもち、
喜佐谷の杉木立の中を流れる渓流。
宮滝で吉野川に流れこみます。

「 年月も いまだ経(へ)なくに 明日香川
           瀬々ゆ渡しし 石橋もなし 」
                       巻7-1126 作者未詳


( 年月はまだそれほど経っていないのに。
 明日香川のあちこちの川瀬に渡しておいた
 飛び石ももうなくなっているよ )

でも青い山々、清らかな川の流れは変わっていなかった。
暖かく迎えてくれた、わが故郷。

このように辿ってゆくと1300年前も今も人々の故郷に対する想い、心情は
全く同じといえましょう。

然しながら、故郷への思いは人さまざま。
暖かく迎えてくれる時ばかりではなく、冷たい仕打ちを
受けたこともありましょう。

石川県金沢、犀川の近くで生まれた室生犀星は21歳の時文人たらんと上京し
貧困のどん底の中で、喰い詰めると金沢に戻りましたが、周囲はその
落ちぶれた様子に冷ややかであったようです。

以下は「小景異情 その二」からです。

「 ふるさとは遠きにありて思ふもの
   そして悲しくうたふもの
   よしや
   うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
   帰るところにあるまじや

   ひとり都の ゆふぐれに
   ふるさとおもひ 涙ぐむ
   そのこころもて
   遠きみやこに かへらばや
   遠きみやこに かへらばや  」
                     [小景異情‐その二] より

大岡信氏の解説です。

「 有名な詩句だが、これは遠方にあって故郷を思う詩ではない。
  上京した犀星が、志を得ず、郷里金沢との間を往復していた苦闘時代、
  帰郷した折に作った詩である。
  故郷は孤立無援の青年には懐かしく忘れがたい。
  それだけに、そこが冷ややかである時は胸にこたえて悲しい。
  その愛憎の複雑な思いを、感傷と反抗心をこめて歌っているのである。」

石川啄木も「煙」という歌集で

「 石をもて 追はるるごとく ふるさとを 
                 出でし かなしみ  消ゆる時なし 」


と詠っていますが、それでも故郷を想う気持ちは終生変わらなかったようです。

「 ふるさとに 入りて まず心痛むかな
          道広くなり 橋もあたらし  」

「 ほたる狩り  川にゆかむと いふ我を
        山路にさそふ  人にてありき 」

「ふるさとの  山に向ひて   言ふことなし
        ふるさとの山は ありがたきかな   」 「煙より」
   

by uqrx74fd | 2015-09-17 15:15 | 生活

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