万葉集その五百四十七 (山藍:やまあい)

( 山藍 奈良万葉植物園   花芽から白い小花が咲く )
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( 山藍染めの製作工程 西川康行著 万葉植物の技と心 求龍堂 )
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( 同上  藤色に染め上る )
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( 巫女の神事の時の衣装  白い衣に染められた山藍の模様  どんど焼き 奈良春日大社)
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( 同上  大神神社  )
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( 唐橋幻想  本稿の万葉歌をイメージ  堀 泰明 奈良万葉文化館所収 )
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(  小忌衣:おみごろも  yahoo画像検索  )
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( 徳島藍染   同上 )
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山藍はトウダイ草科の多年草で我国最古の染料とされています。
山地の木陰に群生し、3月から4月にかけて白緑色の小さな花を咲かせ、葉は常緑。
古代の人はその葉や根をすりつぶして出た汁を直接衣類に摺りつけて染めていました。

この植物は藍という名前がついているにもかかわらず、濃紺のインディゴという
色素を含まないため、淡い青緑や薄紫色にしか染まらなかったようですが
青々と茂る葉から染められた上品な色は神聖かつ目出度いものとされ、
白衣に花や鳥の模様を摺りつけた神事用の衣服、とりわけ天皇の大嘗会に
着用する小忌衣(おみごろも)に用いられ現代にまで脈々と継続されています。
 
次の歌は万葉集で唯一山藍。
若い女性も山藍染めの衣服を着ていたことを示すものです。

まずは訳文から

「 ここ 片足羽川(かたしは がわ)の 
 赤い丹塗りの大橋
 この橋の上を 紅に染めた美しい裳裾を長く引き
 山藍染めの薄青い着物を着て
 ただ一人渡って行く子

あの子は若々しい夫がいる身なのか
それとも橿の実のように 独り夜を過ごす身なのか。
妻問いに行きたい可愛い子だけれど
どこのお人か知りたいが その家が分からないことよ 」 
                               巻9-1742 高橋虫麻呂

「 しなでる 片足羽川(かたしはがわ)の 
  さ丹塗りの 大橋の上ゆ
  紅の 赤裳裾引き(あかもすそびき)き 
  山藍(やまあい)もち 摺れる衣(きぬ)着て
  ただひとり い渡らす子は
  若草の 夫(つま)かあるらむ
  橿(かし)の実の  ひとりか寝(ぬ)らむ
  問(と)はまくの 欲しき我妹(わぎも)が  家の知らなく 」
 
                                巻9-1742   高橋虫麻呂

語句解釈

「しなでる」 (級照る) 片足羽川の枕詞
               片のつく地名にかかる
               級(しな)とは坂、階段の意で
               重なるように日が照る、あるいは
               葛(くず:かたともいう)の葉が層をなして重なり日に照るの意とも。

「片足羽川」   大和川が竜田から河内へ流れ出たあたりの川

「橿の実の」   「ひとり」の枕詞 
           橿の実は一つの殻に実が一つしか入っていないことによる

裳裾は腰から下を被う衣服で現在の巻きスカートのようなもの。
紅の赤裳裾を引く女性の姿は当時の男性にとって官能をそそる魅力あるものでした。

朱塗りの大橋の上を一人行く美女に淡い憧れの情をよせる作者。
恐らく夕暮れのひとときなのでしょう。
茜色の夕焼け、朱色の橋、紅色の裳裾に山藍染の衣。

想像するだけでも色彩感豊かな情景が目に浮かびます。
ロマンティックな雰囲気の中にも作者の孤愁が漂う虫麻呂独特の世界です。

反歌

「 大橋の 頭(つめ)に家あらば ま悲しく
              ひとり行く子に やど貸さましを 」 
                                  巻9-1743 高橋虫麻呂


( 大橋のたもとに私の家があったら 
  わびしげに行くあの子に 宿を貸してあげたいのだがなぁ )

   「 頭(つめ) 」 端(つま)と同根の言葉。 ここでは「橋のたもと」

   「 ま悲しく 」  「わびしそうに」の意であるが 悲しは「愛(かな)し」で
             「いとおしい」気持ちが含まれる。

当時河内は渡来人が多く住む先進文化の地で、丹塗りの大橋が掛かるところは高級住宅街。
麗しき女性は上流階級の子女だったのでしょうか。
家の所在が分かれば求婚をしたいという作者の気持ちが籠ります。

「 石根山(いわねやま) やま藍(ゐ)にすれる 小忌衣(をみごろも)
      袂(たもと)ゆたかに 立つぞうれしき 」
            大江匡房(おおえまさふさ)  新千載和歌集

( 石根山で採った山藍で摺り染めた小忌衣
 そのあでやかな袂のように 満を持して皇位にお立ちになるめでたさよ )

石根山は滋賀県甲賀郡の岩根山

鳥羽天皇の大嘗会の席上での賀歌
大嘗会は天皇即位後初めて新穀を神に奉げる一代一回の極めて重要な祭りごとです。

「小忌衣」(おみごろも)とは白布に山藍の汁で草木や小鳥などの文様を描いて
摺りつけた狩衣に似た衣装で、現在、京都の石清水八幡宮で採れる山藍が
用いられ、京都の葵祭、奈良の春日大社の衣装にも使われているそうです。

「 ゆふだすき 千歳(ちとせ)をかけて あしびきの
   山藍の色は かはらざりけり 」   
                                賀歌 新古今和歌集


( 神事に奉仕するときに木綿襷(ゆふたすき)をかけて着る山藍摺りの衣の色は
 千歳にわたって変わらないなぁ )

神事の長さを詠うことによって、その神に守られている天皇を慶祝する意味を
籠めています。
染色法も摺り染めから、乾燥したものを搗き出して銅塩などの媒染剤を
用いたりして安定したものになっていたようです。

一方、純粋な藍染めは4~5世紀にかけて中国からタデ科のタデが渡来しており
その美しい色は多くの人々を魅了し、播磨、京都、摂津、和歌山ほか
各地で盛んに生産され、税としても貢納されました。

奈良時代には既に高度な染色技術が確立しており、衣服、料紙、経典など
様々なものに用いられ、正倉院御物にも色鮮やかな作品が残されています。

藍染が最盛期を迎えるのは木綿が安価に供給されるようになった江戸時代からで
特に徳島の阿波藍は全国の生産量の三分の一を占めたと云われています。

明治維新以降安価で色鮮やかなインド藍が輸入されるようになると
タデ藍の生産は大打撃をうけ、さらに1897年に始まったドイツのバイエル社による
合成インジゴの生産により、タデ、インド藍による染色は共に壊滅的な打撃を
受けました。

今日、安全志向が高まる中、再び天然染料が注目され、技術保存の努力もなされて、
徐々に生産復活の兆しが見えるようです。

    「 ふるさとや 今も名残の 藍植うる 」  清水良艸(りょうそう)
























 
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by uqrx74fd | 2015-09-26 21:09 | 植物

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