万葉集その五百五十四 (黄葉)

( 談山神社  奈良 )
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( 長谷寺    奈良)
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( 浄瑠璃寺   京都)
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(  同上 )
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( 大湯屋   二月堂参道の途中で   奈良 )
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( 吉城園    奈良 )
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( 春日大社参道途中のお休み処    奈良 )
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( 東大寺指図堂  奈良 )
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( 奈良公園  )
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(  同上 )
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(  同上 )
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( 正倉院近くの大仏池  奈良 )
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( 鹿は銀杏がお好き?  正倉院の前で   奈良 ) 
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「黄葉」は「もみじ」、古くは清音で「もみち」と訓みならわしていました。
秋が深まりゆくと共に、木々の葉が揉(も)み出されるように染まってゆく、
その揉出(もみち)が語源とされています。
万葉集で「もみち」は135余首も詠まれていますが、大半は「黄葉」や
「色づく」「もみつ」などと表記され「紅、赤」の字が見られるのはごく僅かです。

その理由は大和付近の山々は雑木が多く楓類が少なかった、あるいは万葉人が
黄色を好んだ、もしくは、黄も赤もすべて「黄」と表記したとも言われていますが、
定かではありません。
現在のように紅葉と表記されるようになったのは赤に対する憧れが強かった
平安時代からのようです。

「 秋山に もみつ木(こ)の葉の うつりなば
      さらにや秋を 見まく欲りせむ 」 
                           巻8-1516 山部王 (経歴未詳)


( 秋山のこの見事な黄葉、
 木の葉が散ってしまったなら、さらにいっそう見たくてたまらなくなるだろうなぁ。)

晩秋、山野のさまざまな木の葉が思い思いの色に染まって行く。
作者はその光景を眺めながら行く秋を惜しみ、翌年の黄葉に思いを馳せています。

「 あしひきの 山の黄葉(もみちば)今夜(こよひ)もか
    浮かび行(ゆ)くらむ 山川の瀬に 」 
                           巻8-1587 大伴書持(ふみもち
)

( あしひきの山の黄葉、この黄葉の葉は今夜も散って
  山あいの瀬の上を流れていることであろう )

左大臣橘諸兄の子奈良麻呂宅での宴で披露されたもの。

作者は昼間見た奥山の見事な黄葉が はらはらと散り、
川に浮かび流れている様子を瞼に思い浮かべています。
一枚また一枚、表を見せ、裏を返しながら散り落ちた色とりどりの葉が
小舟のように流れてゆく。
月の光を浴びてきらきら光りながら静かに、滑るように。

風情があり、感性豊かな作者の一首です。

「 祝(はふり)らが 斎(いは)ふ社(やしろ)の 黄葉(もみちば)も
    標縄(しめなは)越えて 散るというものを 」
                        巻10-2309 作者未詳


( 神官たちが崇(あが)め祀っているお社の黄葉(もみちば)でさえ
  しめ縄を飛び越えて散るというのに。 )

男がある女に惚れた。
ところが女は親の目を気にして外に出て逢ってくれない。

親の目を神域のしめ縄に譬え、
「 黄葉の葉でさえも軽々としめ縄を飛び越えてゆくではないか。
  お前さんも勇気を出して出ておいで」と
女に呼びかけたもの。
母親をしめ縄に例えるとは面白い。
きっと怖い存在だったのでしょう。

「 このしぐれ いたくな降りそ 我妹子(わぎもこ)に
    見せむがために 黄葉(もみち)取りてむ 」 
                        巻19-4222 久米広縄(ひろつな)


( この時雨よ そんなにひどく降ってくれるな
  いとしいあの子に見せるため 黄葉を折り取っておきたいのでな)

越中、広縄邸で催された宴での歌。
古代、木々の小枝を折り取って頭や着物に挿すことが粋とされ、
またその生命力にあやかろうとしていました。
黄葉を褒め、主人のもてなしへの感謝の気持ちもこめているようです。

「 あしひきの 山の黄葉に しづくあひて
     散らむ山道(やまぢ)を 君が越えまく 」
                       巻19-4225 大伴家持


( あなたさまが、これから越えて行かれる山道は険しいでしょうが
 黄葉はきっと見事なことでしょう。
 時雨と共にはらはらと散る黄葉。
 そんな山路を行かれるのですね  )

越中在任の秦伊美吉 石竹(はだのいみき いはたけ)が国政一般の報告書(朝集帳)を
都に届けるにあたって催された宴での送別歌。
遠路の任務の苦労をねぎらうと共に、美しい紅葉路を行く人に対する羨望が
感じられる1首です。

「 時雨の雨 間(ま)なくな降りそ 紅(くれなゐ)に
    にほへる山の 散らまく惜しも 」 
                           巻8-1594 作者未詳(既出)


( 時雨の雨よ そんなに絶え間なく降らないでおくれ。
  こんなに降ると美しく紅色に照り映えている山の紅葉が散ってしまうよ。
  まだまだ散らすのには惜しいものなぁ )

738年 光明皇后の祖父、藤原鎌足の70周忌にあたり法会が行われた時に
出席者一同で唱和されたもの。
一種の無常観を感じてのことのようですが、この歌はもともと仏教に関係なく、
散り失せるもみじを惜しむ心を詠んだ歌で、「紅にほう」と赤色を使用した
珍しい例です。

北から始まった紅葉前線は今や関西でたけなわ。
京都の高山寺や東福寺、奈良の室生寺や長谷寺は大勢の人たちで
ごった返していることでしょう。
ゆっくりと楽しむため早起きして一番乗り。
では、では、朝靄かすむ長谷寺の長い石段を登るといたしましょうか。

    「 大紅葉 燃え上がらんと しつつあり  」 高濱虚子
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by uqrx74fd | 2015-11-13 06:35 | 植物

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