万葉集その五百五十六 (我が心の佐保)

( 佐保路散策マップ  画面をクリックすると拡大できます)
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( 佐保山〈後方〉 中間の家並みあたりに古代貴族の邸宅があった 二月堂で撮影)
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( 東大寺転害門 〈国宝〉 ここから正倉院、東大寺まで5分)
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( 転害門内側から佐保路を見る 今は狭く住宅がびっしり )
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( 般若寺  石仏とコスモスが美しい )
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( 興福院:こんぶいん 閑静な尼寺)
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( 不退寺 在原業平ゆかりの寺院 )
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( 佐保川  近鉄新大宮駅から5分 )
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( 聖武天皇陵  後方 佐保山 )
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( 法華寺  光明皇后ゆかりの寺院 )
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(  奈良女子大 クラシックなたたずまいは絵になる )
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奈良県庁の屋上展望台から四方を見渡すと、東に春日山、西に平城京跡、
南、三輪山、北に京都方面が臨まれます。
佐保山は春日山、若草山から少し離れた東北に位置する標高わずか120m余の
丘陵といってもよい山で、細く長く続く麓に沿って佐保川が流れています。

この辺りは昔、「佐保の内」とよばれ、長屋王、大伴、藤原家など
貴族の大邸宅が立ち並ぶ高級住宅街。
中でも壬申の乱の功労者 大伴安麻呂は佐保大納言と称され、旅人、家持、
大伴坂上郎女等、大伴一族が活躍した場としても知られています。

美しい川のせせらぎ。
千鳥、河鹿が鳴き、川沿いは柳の並木道。
四季折々に船を浮かべての酒盛り。
この地を愛した万葉人は34首もの佐保を詠っており、一地名としては
住吉、吉野にならぶ歌枕です。
                ( 注:歌枕とは古歌に詠みこまれた諸国の名所)

「 わが門(かど)に 守(も)る田をみれば 佐保の内の
     秋萩すすき 思ほゆるかも 」  
                          巻10-2221 作者未詳


( 我が家の門の前で 番をしている田を見ていると
  佐保の里の内の秋萩や薄のさまが思い出される )

作者はこの地在住なのか都人なのかはっきりしませんが
平城京郊外の家の前の田で収穫に従事しながら、佐保の萩や薄が一面に咲いている
情景を思い出しているようです。
佐保の内に恋人がいるのかもしれません。

朝廷から田地を賜っていた官人の中には都から遠く離れた地を
割り当てられた人もいました。
田植えや収穫時なると休暇をとり、仮屋を建てて農作業。
朝廷の役人といえども家族共々畑仕事に従事していたのです。

「 佐保川に 騒ける千鳥 さ夜更けて
      汝(な)が声聞けば 寐寝(いね)かてなくに 」
                             巻7-1124 作者未詳


( 佐保川で鳴き騒いでいる千鳥よ。
  夜が更けてからお前の声を聞くと,寝ようにも寝られないよ )

佐保川のせせらぎの音、千鳥の鳴く声。
瞼に浮かぶは恋人の姿
長い長い秋の夜です。

「 佐保山を おほに見しかど 今見れば
      山なつかしも 風吹くなゆめ 」  
                      巻7-1333 作者未詳


( 佐保山よ、今までたいして気にもとめずに見ていたが 
  今改めてみると心惹かれる。
  風よ、吹かないでくれ、決して。)

「佐保山」を女性に譬えたもの。
今まで大して気にもとめなかったが、久しぶりに見ると驚くほど
美しくなっている。
「こんなに魅力ある女性だったのか ようーし、俺のものにするぞ。
 誰も邪魔するなよ 」
と意気込む男。

「おほに」  いい加減に
「 風吹くなゆめ 」「ゆめ」決して  風は邪魔立てする人の譬え。

尚、佐保山は後に「佐保姫」とよばれ春の訪れを知らせる女神とされました。
やさしいなで肩のような山容が女性を連想させるのでしょうか。

「 あおによし 奈良の 春日山ま近く 
    佐保路に沿いて 佳き環境に 恵まれつつ - -」 (奈良高校校歌)


と歌われている佐保路も今は両側に家がびっしり建ち並び、川は暗渠となって
見る影もありません。
僅かに聖武天皇陵脇と近鉄新大宮駅近くに流れている佐保川が昔の面影を
留めているのみですが川幅は狭く、柳並木は桜並木に変わっています。

以下は筆者のひとり言です。

『 佐保路は高校時代の通学路だったので思い出深いところです。
  当時、転害門は悪童の遊び場になっており、壁にボールを投げたり、
  柱の間をバトミントン、羽子板で遊んだりして荒れ放題になっていました。
  鳥や野良猫が棲みつき、信じられないことに国宝という看板も保護囲いもなく、
  大切な建物だという事を大人が教えなかったので子供達は知らなかったのです。

  旧宅から東大寺、正倉院まで5分。
  家の二階から東の方向を眺めると春日、御蓋、若草山がパノラマ状に展開し、
  恒例の若草山焼きは大人たちが酒盛りしながら見学していました。
  近くの竹藪でオニヤンマ、東大寺の横の小池では蛍がたくさん飛びかい、
  車で30分位の山で松茸がふんだんに採れるという夢のような環境でした。』 

現在の転害門は立派に修復されていますが、周囲は民家がびっしり立ち並び
 昔の面影は全くありません。

 もし、古を偲ぶとしたら、佐保路の出発点、転害門から京都方面に向かう
 なだらかな坂道(奈良坂)を上がり、コスモスと美しい石仏で知られる般若寺へ。
 この辺りが佐保丘陵の頂上で、ここから、すぐ先の林に囲まれた小道を下ってゆくと、
 平城京に向かうことができます。

 大伴旅人の邸宅が近かったとされる瀟洒な尼寺「興福院(こんぶいん)」、
 在原業平ゆかりの「不退寺」、仁徳天皇との愛の歌で有名な磐姫(いはのひめ)皇后の
 御陵、十一面観音像で有名な光明皇后の居宅「法華寺」など、往時の歴史の舞台を
 巡るのも楽しいことです。

   「佐保川の 白鷺けぶる 花の雨 」  犬童 冴子



ご参考:

「佐保路」:   東大寺の転害門から西の法華寺に至る大路 
         佐保山の麓 佐保川の北岸に沿う。
         平城京の南一条門の大路で聖武天皇、光明皇后稜や多くの寺がある。

「佐保川」:   春日山東方の石切峠に発し、奈良市北部を西南に流れ、大和郡山市
          額田部の南で初瀬川と合流して大和川となる。
          全長19km 古くからの歌枕

「佐保陵(さほのみささぎ)」:
              法蓮の西一条南大路と佐保川とが交叉するところから
              すぐ北に、うしろに佐保の丘陵を負って聖武天皇と
              光明皇后との御陵(墓)がある。
              天平文化の最盛期をつくりだした信心あつい天皇と皇后、
              東の方角にその象徴である大仏殿の甍が聳え立つ。

「海龍王寺」:     光明皇后の本願で創建、唐から帰った玄昉(げんぼう)が住したという

「法華寺」:    光明皇后が父不比等の旧宅を寺としたもので大和国の総国分尼寺となり
           尼僧の修法道場として栄えた

「興福院(こんぶいん)」 : 閑静そのものの瀟洒な尼寺 

「不退寺」:   在原業平が平城天皇の萱(かや)の御所に自作の観音象を安置し
          精舎としたのが始まりで業平寺ともいわれる
                                             以上
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by uqrx74fd | 2015-11-27 06:34 | 万葉の旅

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