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万葉集その五百五十七 (君という言葉)

( 君が袖振る  奈良線の万葉列車 )
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( 君のためなら火にも   春日大社どんど焼き  奈良 )
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万葉集で愛しい人を呼ぶ場合「妹、背(子)、君、児」の4つの言葉が用いられていますが、
詩人、萩原朔太郎によると「それぞれに意味があり、万葉人はそれを使い分けていた」
と、次のように述べています。

『 「妹」と「背もしくは背子」は互いに情交関係があり、夫婦もしくは
  それに近い親密の間に呼び交わされる。
  今の口語では、「お前」「あなた」とよぶ場合の親しい言語である。
  勿論実際の関係はそうでなくとも、そうした情愛の気分を出す場合に用いられる。

  次に「君」は崇拝尊敬の意味を持っている場合、即ち未だに深い情交がなく、
  相手の前に跪(ひざま)づいて恋を訴え、遠く崇拝賛美の情熱を送っている場合であって、
  これは情痴関係に入らない前の、純粋に騎士的なプラトニック・ラブの言語である。
  もしくは また、そうした愛情を表現する場合に使用される。
  今の口語でこれに適合する言語がない。

  口語の「あなた」には「君」のような崇拝感も親愛感もない。
  口語の「あなた」は細君が良人を呼ぶときだけの「愛情語」である。

  最後に「児」は愛人を子供のように嘗めつける可愛ゆさの表出である。』

               ( 萩原朔太郎 恋愛名歌集抄 新学社 近代浪漫派文庫所収
                   注:一部現代仮名遣に変更 )
                  
万葉集に見える「君」は約800余首、「主君、父母、配偶者、親族、恋人、友人」など
自分が敬愛する人に親愛をこめて呼び掛けていますが、そのうち、男女の恋の歌の
「君」を数首ピックアップしてみましょう。

「 相思はず 君はいませど 片恋に
     我れはぞ 恋ふる 君が姿に 」 
                         巻12-2933  作者未詳


( あなたさまは私のことなど何とも思わずにいらっしゃるかもしれませんが
 私はただただあなたに恋焦がれております。
 遠くからお姿を見ながら 片恋に苦しんで- 。 )

崇拝、尊敬、いまだ情交なく、相手にひざまずいて恋を訴え、遠く崇拝賛美の
情熱を送っている。
なるほど、朔太郎さんの指摘はこのような歌だろうか。

「 今は我(あ)は 死なむよ 我が背 恋すれば
     一夜一日(ひとよ ひとひ)も 安けくもなし 」 
                           巻12-2936 作者未詳


( もう私は死んでしまいそう。
 あなたに恋焦がれていると 一夜一日とて心が安まることがありません)

これは情交関係がありそうだなぁ。
心も体も燃えていますねぇ。

「 我が命の 衰へゆけば 白栲(しろたへ)の
    袖になれにし 君をしぞ思ふ 」 
                       巻12-2952 作者未詳


( 私の命がしだいに衰えるにつけて 交わした袖がよれよれによれるように
 昔馴れ親しんだ我が君のことばかり思っております )

年が衰えていくにつれ、若き日における愛しい男のぬくもりのある関係が
しみじみと偲ばれる。 
生別したのか死別したのかはっきりしませんが、死別なら寂しい境地が
一層深まるような情味豊かな歌。

「 春日山 朝立つ雲の 居ぬ日なく
   見まく欲しき 君にあるかも 」
                   巻4-584 大伴坂上 大嬢(おほいらつめ)


( 春日山に毎朝決まってかかる雲のように いつもおそばで見ていたいあなた)

大伴家持に贈った歌ですが、作者はまだ10歳程度、
母親、坂上郎女が代作したようですが、これはまさにプラトニック。

「 今さらに 何を思はむ うち靡き
     心は君に 寄りにしものを 」 
                       巻4-505 安倍女郎(あへの いらつめ)


( 今さら何をくよくよ思い悩むことがありましょうか。
  私の心はすっかりあなたにうち靡き、寄りそっておりますのに )

作者はどのような人物なのか全く不明ですが、大岡信氏は

『 中堅官僚の妻でなんらかの窮地に陥った夫が
  「お前はおれと別れてもいいんだよ」と
  云うようなことを言ったときに答えた歌ではないか 』
 と推定されています。  
                      (私の万葉集1 講談社現代新書)

さらに郎女は

「 我が背子は 物な思ひそ 事しあらば
     火にも水にも 我がなけなくに 」 
                       巻4-506 安倍女郎


( あなたさま! 御心配なさいますな。
 いざとなったら、たとえ火の中であろうと水の中であろうと
 飛び込む覚悟の、この私がいない訳ではありませんのに。)

ここまで叱咤激励されれば勇気百倍。
それにしても「あなたのためなら、たとえ火の中、水の中」という
殺し文句を万葉女性が使っていたとは驚き。
その一途な愛情は現在に通じ、心をうちます。

万葉集で君と詠われている愛の歌は数えきれないほどありますが、
「亡き夫を偲ぶ」「火にも水にも」の歌には濃厚な肉体関係が感じられ、
萩原朔太郎がいうプラトニックラブはごく一部にすぎないように思われます。
古代の恋愛は歌垣などがあり予想以上に開放的だったのです。

「 阿波の鳴門に身は沈むとも 
             君の言(こと)なら背くまい 」    河内民謡


  ( たとえ鳴門の渦潮に巻かれて沈もうと、
    惚れたあなたの仰せには背きませぬ )

by uqrx74fd | 2015-12-04 06:00 | 心象

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