2015年 12月 17日
万葉集その五百五十九 (光と影)
( 松影 浜離宮庭園 )
( 光と影 陰翳礼讃の世界 明月院 北鎌倉 )
( ガラスの人影 天龍寺 京都 )
絵画や写真の世界で光と蔭は重要な構成要素の一つとされていますが、
歌や文学での「かげ」も実に多様かつ微妙なニユーアンスを含む
使われ方がなされています。
広辞苑を紐解くと「かげ」: 影、蔭、陰 翳
1、日、月、灯火などの光 (主として影という字を使用)
2、光によってそのものの他にできるそのものの姿 (影)
水や鏡の面にうつるものの形や色
物体が光をさえぎったため、光源と反対側にできる暗い部分
比喩的な用法 ( 離れずつきまとう、やせ細ったもの、薄くぼんやり見える、
ほのかに現れた好ましくない兆候 など)
3、物の姿 (影)
見るかげもない 面影 肖像や模造品
4、物の後の暗い隠れたところ (蔭 翳)
物に遮られ覆われた背面、後方の場所
他のものを覆うようにして及ぶその恩恵,庇護
人目の届かない、 隠されたところ
例:蔭ながら成功を祈る
人目に隠れた暗い面 かげり
例:彼の人生には翳りがある
正式なものに対して略式に行う方法
例:略祭 略式命令
5、下級女郎 (影)
その他: 蔭間(かげま) -江戸時代の男娼
影武者- 敵をあざむく身代わり、黒幕
等と説明されています。
万葉集では面影、磯影、松陰、朝影、夕影、月影などと使い分けられ、
月影は月光に照らされて出来る影ではなく月そのもののことです。
「 木(こ)の間より うつろふ月の 影を惜しみ
立ち廻(もとほ)るに さ夜更けにけり 」
巻11-2821 作者未詳
( 木の間隠れに移って行く美しい月の光に見惚れて
あちらこちら歩き廻っているうちに
すっかり夜が更けてしまったのです )
この歌は男が女に逢いに行き家の門前で
「 これほどまでに じらされても貴女を待つことになるのか。
夜が更けてから昇ってきた月が傾くころになっているのに 」
と問いかけたのに対して
「月に見惚れていたのよ」と小馬鹿にしたように答えたものですが、
頭から逢う気がなかったのか、あるいは出たくても女の母親の監視が厳しくて
外に出られないのか?
返歌しているところから後者とも思われます。
「 燈火(ともしび)の 影にかがよふ うつせみの
妹が笑(え)まひし 面影に見ゆ 」
巻11-2642 作者未詳(既出)
( 燈火の火影に揺れ輝いている、生き生きとしたあの子の笑顔、
その顔がちらちらと目の前に浮かんでくる )
燈火のなかにいる女性の浮き立つような面影。
美しい情景をえがいた秀作です。
燈火(ともしび)は松脂(まつやに)に山吹の軸の芯を乾燥させて燈心とする
明かりで、「かがよふ」はちらちら揺れて輝く
ここでの影は光と影が混然一体となっています。
うつせみ 生身の姿 妹の実在感を高めるための言葉
「 磯影の 見ゆる池水照るまでに
咲ける馬酔木の 散らまく惜しも 」
巻20-4513 甘南備 伊香真人(かむなびいかごのまひと)
( 磯の影がくっきり映っている池の水 その水も照り輝くばかりに
咲き誇る馬酔木の花が散ってしまうのは惜しまれてなりません)
中臣清麻呂(なかとみのきよまろ)邸での宴の歌。
池面に映える情景は、波のゆらめきとあいまって美しい幻想の世界を
作り出します。
「 白鳥の 鷺坂山の松陰に
宿りて行(ゆ)かな 夜も更けゆくを 」
巻9-1687 作者未詳
( 白鳥の鷺坂山の松、この人待ち顔の松の木陰で一夜の宿をとっていこう。
夜も更けていくことだろうし。 )
「松」に「待つ」をかけ家で待つ妻を連想しているようです。
鷺坂山 京都府城陽市、大和から近江へ通じる山道
白鳥は枕詞、土地褒めと望郷の念
物体が光をさえぎったため、光源と反対側に出来る暗い部分の松陰。
「 朝影に 我(あ)が身はなりぬ 韓衣(からころも)
裾(すそ)のあはずて 久しくなれば 」
巻11-2619 作者未詳
( 私は韓衣の裾が合わないように、まるで朝日に映る影法師のような、
ひょろ長い身になってしまった。
随分長い間、愛しい人に逢わないまま日が経っているので
恋しくて恋しくて。)
男、女不明ながら男の心情か?
韓衣 大陸風の衣装 丸襟(まるえり)で裾が膝丈よりやや長く、
その左右を合わせず着用した。
太陽が照ると道に細長い自分の影が出来る。
まるで恋焦がれたひよろひよろの影法師のよう。
「 我妹子(わぎもこ)が 笑(え)まひ 眉引(まよび)き 面影に
かかりてもとな 思ほゆるかも 」
巻12-2900 作者未詳
( あの子の笑顔や眉、その可愛らしさが目の前にちらついて
むやみやたらと愛しくてならない )
もとな: 元無で むやみやたらに、無性に
面影: 恋人の姿を瞼に思い浮かべる
翳と云う字はあまり使われていませんが、谷崎潤一郎に「陰翳礼讃」という
著書があり、和室の障子や床の間の美しさを褒めたたえた一文があります。
「 もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり
床の間は最も濃い部分である。
私は数奇を凝らした日本座敷の床の間を見るたびに、いかに日本人が
陰翳の秘密を理解し、光と蔭の使い分けに巧妙であるかに感嘆する。
なぜなら、そこにはこれという特別なしつらえがあるのではない。
要するにただ清楚な木材と清楚な壁とを以て一つの凹んだ空間を仕切り、
そこに引き入られた光線が凹みの此処彼処へ朦朧たる隈を生むようにする。
にもかかわらず、われらは落懸(おとしがけ)のうしろや、花活の周囲や、
違い棚の下などを填(う)めている闇を眺めて、それが何でもない蔭であることを
知りながらも、そこの空気だけがシーンと沈みきっているような、
永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける。
-―
われらの祖先の天才は、虚無の空間を任意に遮断して、自ずから生ずる
陰翳の世界に、いかなる壁画や装飾にも優る幽玄味を持たせたのである。」
(中公文庫より一部抜粋)
「 新畳(あらだたみ) 敷きならしたる 月かげに 」
岡田野水(おかだ やすい: 江戸時代の俳人)
by uqrx74fd | 2015-12-17 17:36 | 自然