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万葉集その五百六十一 (新年の歌:申)

(謹賀新年 本年の干支は申  上高地明神池への途中で )
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( 一刀彫  奈良 )
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( 猿面  京都物産館:八重洲口 )
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( 三番叟香合  赤膚焼  尾西楽斉作  月刊ならら表紙より )
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( 奈良町庚申堂 )
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「 新(あらた)しき 年の初めは いや年に
     雪踏み平(なら)し 常にかくにもが 」 
                        巻19-4229 大伴家持


( 新しい年の初めは 来る年も来る年も 雪を踏みならして
  いつもこのように賑々しくありたいものです。)

751年正月 越中国守の新年賀宴での歌。
その日1mもの大雪が積ったと詞書にあり、
「 人々は雪を踏みならして目出度い新年を祝ってくれる、
このめでたさがずっと続いて欲しいものです」
と挨拶したもの。
当時大雪は豊作の瑞兆とされており、天下泰平、実り豊かな新年を祝う喜びが
あふれている一首。

なお、「新(あらた)しき年の初め」や「初春」(はつはる)は、天平の終わり頃に成立した
慣用表現で、1月1日から7日までをいい、現在も綿々と受け継がれている
由緒ある言葉です。

本年は申年。
申は正式には「しん」と訓み、元々稲妻を表した象形文字とされていますが、
後に「伸」の原字になり、「草木が伸び切り、果実が成熟して固くなってゆく」
状態を表すとされています。

動物の猿が当てられている理由は全く不明ですが、「さる」は病や不幸が
「去る」に通じるので神社などで祀られて魔除けとされたり、
能楽で3番目に演じられる三番叟(さんばそう)が猿楽に由来し五穀豊穣を寿ぐ
神事的な内容であるため猿の飾り物が多く作られています。

奈良の猿沢池からほど近いところに「ならまち」とよばれる古い街並みを残す
一角があり、中心部に青面金剛像を祀る庚申堂、その前面に猿の石像が
置かれています。
青面金剛は文武天皇の時代(697~707年)、悪疫が流行したときに町を守った神様、
猿はその使者とされ、猿のぬいぐるみを家々の軒先に吊るし魔除けとしています。
厄災を代わりに引き受けてくれるので「身代わり猿」ともよばれ、
大きいものは大人、小さなものは子供、家族の数だけ吊るしているそうです。
町中吊るし猿が溢れているところは日本広しといえどもこの町だけでありましょう。

「 あな醜(みにく) 賢(さか)しらをすと 酒飲まぬ
    人をよく見ば  猿にかも似む 」   
                             巻3-344  大伴旅人(既出)

( あぁ、見られたものじゃないよ。
 わけ知り顔して「俺は酒を飲まないんだ」という奴をよくよく見ると
 まるで小賢しい猿そっくりではないか )

万葉集唯一の猿の歌です。
旅人が何故酒飲まぬ人を猿に喩えたのかよく分かりませんが、
宴席をいつも辞退する部下に猿面がいたのかも。

「十二支の話題辞典」によると 申年生まれの人は

「 機敏にして進取の気性に富んでいて、若くして異色の出世をする人がいる。
  研究意欲が旺盛で、世話好きで、味方もあるが口舌が災いして敵を作ることも。
  軽率に人を信用して失敗することもあるが生来、怜悧な素質だから、晩年は安泰」 とか。 
                                 ( 加藤廸男著 東京堂出版 ) 

 「 七草や 女夫(めをと)女夫(めをと)に 孫女夫(まごめをと) 」 

                                志太 野坡(やば)
 
「 正月になると息子、娘夫婦、それに孫夫婦が各地から集まり、
  一族再会を喜びあう。
  七草のように別々に住む夫婦たちが、七草粥のように一緒にまじりあって
  お互いの息災を祝っている 」という情景。

 まことに、ほのぼのとした雰囲気が感じられ、七草粥の暖かい湯気まで
 漂ってきそうです。

「  千歳(ちとせ)に余る しるしとて
           君が代を経る 春の松が枝 」  和泉民謡

by uqrx74fd | 2016-01-01 00:00 | 生活

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