万葉集その五百七十四 ( 虫麻呂の桜 )

( 花の寺 長谷寺  奈良 )
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(  同上  白木蓮と桜 )
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(  同上  境内満開の桜 ) 
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(  同上 白木蓮、サンシュ、桜の競演 )
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(  二月堂参道     奈良 )
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( 桃と桜  山辺の道  奈良 )
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( 川俣神社 曽我川    奈良 )
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( 大美和の杜  後方は三輪山  山辺の道  奈良 )
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( 玄賓庵  波状の砂庭に散り落ちた桜の花びら  山辺の道 奈良 )
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( 花筏  千鳥ヶ淵  東京 )
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( まるで花吹雪のよう  千鳥ヶ淵  )
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(  京都御所御苑の枝垂れ桜 )
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( 新宿御苑  東京 )
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高橋虫麻呂は浦島伝説や筑波山の歌垣、胸元広く腰が締まった美女、
ホトトギスの托卵など36首(うち34首は虫麻呂歌集)の歌を残していますが、
その大半が地名と美しい女性が登場し、読む人を引き付けてやまない魅力を
もつものばかりです。
にもかかわらず、その経歴は全く不明。
歌から推測できるのは、藤原宇合(うまかい)の庇護を受けて共に東国、近畿を
巡り歩き、各地の伝説や言い伝えを歌に詠み、常陸国風土記を編纂したと
推定されることのみです。

宇合は時の権力者、藤原不比等の子であり、光明皇后の異母兄妹。
虫麻呂は経済的な心配何一つ無く、伸び伸びと活動できたと思われ、
その歌風は色彩的かつ幻想的で独特の美の世界を作り上げているロマンチシスト、
そして美しい女性に対する憧れが強かったにもかかわらず自身の恋の歌を
詠わない孤愁の人でした。

次の歌は桜、それも花吹雪が川に舞い落ちる美しさを詠ったものといえば、
虫麻呂はいかに現代的な感覚の歌人であったことが窺いしれましょう。
まずは長歌の訳文からです。

( 訳文:巻9-1751 高橋虫麻呂 長歌)

 「島山を行き巡って流れる   
  川沿いの 岡辺の道を通って
  私が越えてきたのは ほんの昨日のことであったが
  たった一晩旅宿りしただけなのに
  もう、峰の上の桜の花は 
  滝の早瀬を ひらひらと散っては流れている

  わが君が帰り道に ご覧になるその日までは
  山おろしの風など 吹かせ給うなと
  馬にうち乗りながら せっせと越え行き、
  その名も高い風の神 龍田の杜に 
   風を鎮めるお祭りをいたしましょう 」
                               巻9-1751 高橋虫麻呂
( 訓み下し文 )

「 島山を い行(ゆ)き廻(めぐ)れる 
 川沿ひの 岡辺(おかへ)の道ゆ
 昨日(きのふ)こそ 我が越え来(こ)しか 
  一夜(ひとよ)のみ 寝たりしからに

  峰(を)の上の  桜の花は
  滝の瀬ゆ  散らひて流る

  君が見む その日までに
  山おろしの 風な吹きそと

  打ち越えて 
  名に負へる杜に 風祭りせな 」    巻9-1751 高橋虫麻呂(一部既出)


   (語句解説)

       島山: 「島」は水に面した美しい所。
             ここでは大和川が龍田山の裾を巡っている川べりの山、
             今は芝山とよばれるあたり

       山おろしの風: 山から吹き下ろしてくる激しい風

       名に負える社: 風を祀る神として知られた龍田神社

       風祭りせな:  風の神を祀って祈願しよう
                 当時、台風、風害を防ぐ官祭として4月、7月に
                 豊穣祈願祭がおこなわれていた。

この歌は726年、藤原宇合が難波宮造営の責任者に任命されたのに従い、
大和と難波を往復した時の歌です。
虫麻呂は急用ができたのか、一足先に大和へ戻る途中、龍田山の芝山辺りで
満開の桜が風に吹かれ花吹雪となっている光景に出合いました。
はらはらと舞い落ちる花びらは、川一面に散り敷き、花筏となって流れています。
あまりの見事さに虫麻呂は

「 櫻よ、龍田山の風の神様にお願いに行きますから
  もうこれ以上散らさないで下さい。
  わが主、宇合様が帰りにご覧になるまで 」と祈ったのです。

中西進氏は「 激流に もまれる花びらの美の発見者は虫麻呂だった」と
述べておられる( 旅に棲む 高橋虫麻呂論 中公文庫 )異色の長歌です。

続いて反歌です。

「 い行(ゆ)き逢ひの 坂のふもとに 咲きををる
    桜の花を 見せむ子もがも 」    
                             巻9-1752 高橋虫麻呂


( 国境の聖なる行き逢いの坂の麓に 枝もたわわに咲く桜の花。
 この美しい花を見せてあげられる 乙女でもいればよいのになぁ。 ) 
 
「咲きををる」:茂りたわむ
「い行き逢いの坂」とは隣国の神同士が両側から登りつめて、境界をきめたという
伝承をもつ神聖な坂とされ、ここは大和と河内の境をなす龍田越えの坂。
ここも桜が満開だったのでしょう。

美しい女性に対する憧れが強かった虫麻呂は、帰りの一人旅の気安さからか、
理想の美女を瞼に描きながら詠っています。

さて、この歌のどういうところが虫麻呂風なのか?
犬養孝氏は詳細に解説されていますが要約すると以下の通りです。

 1、虫麻呂の歌はほとんど土地名が出てくるがここでも冒頭に場所が示され、
   しかも、行ったことがない魅力を感じたところを描く。

 2、 花が散り落ちて流れる美に陶酔。

 3、 「 君が見む その日までには」は宇合に対する社交辞令で
    心は花の散り際の美しさによせる耽美の気持ち。
    狙いは櫻だけにある。

  4、 「風祭り」すなわち稲の豊作を祈る行事を、桜が散らないように祈る
      祭祀に利用している。
      つまり都会人の感覚で美の為の神に転用した。
     神を畏れ敬っていた昔の時代には見ることが出来ない感覚。

  5、 反歌に「見せたい児」が出てくる。
     「恋人に値する可愛い女性がいればなぁ」と詠い、
     桜に女性を添え、美を求めてやまない虫麻呂。
                               ( 高橋虫麻呂の世界: 世界思想社 )

じっくり味わうと奥深いですね。

     「 櫻花 何が不足で 散りいそぐ 」   一茶


       万葉集その574(虫麻呂の櫻 )  完

       次回の更新は4月8日です。
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by uqrx74fd | 2016-04-01 00:00 | 植物

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