万葉集その五百七十六 (常盤)

( 常盤なるもの 日の出 精進湖より)
b0162728_7114534.jpg

( 落日の生駒山   奈良 )
b0162728_7113257.jpg

( 皆既日食 )
b0162728_7111923.jpg

( 渦巻銀河  宇宙博で )
b0162728_711449.jpg

( 満月)
b0162728_7104642.jpg

( 母なる海   ハワイで)
b0162728_7103581.jpg

( 父なる山 三島で)
b0162728_795180.jpg

( さざれ石: 小石、細かい石が集まった隙間に炭酸カルシウム、水酸化鉄が入り込み
         固まったもの。学術名 石灰質角礫岩 前の説明文 橿原考古学研究所)
b0162728_793586.jpg

( 宮滝の巨岩  奈良吉野)
b0162728_791484.jpg

( 常盤の松  善養寺  東京小岩 )
b0162728_785341.jpg

( あれ見よ かしこの常盤の杜は 心の故郷 我らが母校 
             早稲田大学校歌3番  大隈庭園にその面影を残す)
b0162728_783463.jpg

( 石山寺縁起 大岡信ことば館  三島  画面をクリックすると拡大できます)
b0162728_781074.jpg

「ときわ」の語源は「とこいわ」とされ「とこ」は常、「いわ」は「岩」で
「岩のように不変、永久に」という祝福の気持ちがこめられた言葉です。

「とこ」から派生したものに「常夏」「とこ葉(常緑)」「とこしえ」などがあり
古くは常盤国、常盤御前、現在では鉄道路線や駅、船、学校、会社名、
神社(水戸黄門を祀る)、姓名(常盤貴子、常盤新平など)、常磐津、はては
饅頭、泡盛の銘柄などにいたるまで、ありとあらゆる分野で幅広く
用いられており、この言葉がいかに万人に好まれているかを窺わせています。

万葉集では宴席での寿ぎ歌、不変と移ろうものとの対比による詠嘆として
「常盤なす」「常盤にいませ」「常盤なる」など4首見えます。

「 吉野川 巌と栢(かや)と 常盤なす
   我れは通はむ  万代(よろづよ)までに 」
                         巻7-1134 作者未詳


( 吉野川の巌と山に根を張る栢の木が変わることがないように
  我々もこれから変わることなく、いついつまでもこの地に通おう )

古代、吉野は都の人たちにとって憧れの地でした。
山あり清流あり、花咲く木々、そして鮎や山女魚、松茸、栗、山菜,筍などのご馳走。
天皇の行幸42回、特に持統天皇は妃時代も含めると34回も訪れた聖地です。

念願かなって吉野を訪れた作者は、仲間たちと川のほとりで飲めや歌えやの宴会。
「何度でも訪れたい素晴らしい地だ」と褒めそやしています。

なお歌の結句「万代までに」の原文が「万世左右二」となっており、平安時代、
源順(みなもとのしたごう)が「 よろづよ までに 」と訓み解くのに
四苦八苦した逸話が残されています。(掲載写真参照)

「 春草は 後(のち)はうつろふ 巌なす
     常盤にいませ 貴(たふと)き我(あ)が君 」 
                      巻6-988 市原王(既出)

( 春草はどんなに茂ってものちには枯れて変わり果ててしまいます。
 わが貴き父よ! どうか巌のように、いつまでも変わらず
 お元気でいて下さい)

「君」は自分が敬愛する人(主人、父母、配偶者、友人、知人)をいい、
作者が宴席で 父、安貴王の健在を寿いだもの。
春草と巌を対比させ、調べは荘重。
安貴王は天智天皇の曾孫、親愛と深い愛情が感じられる一首です。

「 八千種(やちくさ)の 花はうつろふ 常盤なる
     松のさ枝を 我れは結ばな 」 
                      巻20-4501 大伴家持(既出)


( 折々の花はとりどりに美しいけれどやがて色褪せてしまいます。
 我らは永久に変わらぬ、このお庭の松を結んで ご主人の長寿とご繁栄を
 お祈りいたしましょう。)

758年 作者と親しかった中臣清麻呂宅での宴の折の歌。
「松が枝を結ぶ」は、枝と枝とを紐などで結び合わせて無事、安全を祈る
おまじない的行為で、結ぶ紐は自分の魂の分身であると考えられていました。

家持は主人と友人の繁栄と長寿を祈りつつ、
「 この松のごとく長寿は保ちえないとしても、お互いを結ぶ
友情の絆は不変でありたい」と願っていたように思われます。

なお、「紐を結ぶ」という行為は、「御神籤を神木に結ぶ」「慶弔の袋を紐(水引)で結ぶ」、
「組み紐」、さらに「印刷された贈答用の水引き付熨斗紙で包む」等、
形を変えながら今もなお受け継がれています。

「 常盤なす 石室(いはや)や今も ありけれど
       住みける人ぞ 常なかりける 」
                      巻3-308  博通法師(伝未詳)

( 石室は常盤のように昔と変わらず今もあり続けているけれども
 ここに住んでいた人は常住不変ではなかったなぁ )

作者が紀伊を訪れ、伝説の人、久米の若子(わくご:若者)が住んでいたという
三穂の石室を見た時の感慨のようですが、どのような伝説であったかは不明です。
ただ、「万葉の歌 和歌山 村瀬憲夫著 保育社」によると

『 都から難をのがれて紀伊国にいらっしゃった久米の若子は人目、人言を避けて
  三穂の岩屋にひっそり住んでいらっしゃった。
  そこで三穂の女性と契りを結び、やがて都へ帰って栄達する。
  ところが三穂の女性は(源氏物語の)明石の君と筋書きが違い、ひっそりと
  この地で果てた。
  こう考えると、久米の若子は日本書紀にある
  「またの名は来目稚子(わくご)とある「弘計王(をけのみこ)」
  すなわち「顕宗天皇(けんぞうてんのう)という説がもっともふさわしい。

  父が雄略天皇に殺されたとき、兄の憶計王(おけのみこ)とともに難を逃れて
  播磨の国に行き、そこで志自牟(しじむ)という家に身を隠し、
  馬飼い、牛飼いの仕事をして世を過ごす。
  その後、清寧天皇(せいねいてんのう)の世に発見され、互いに譲り合いながらも
  弟の弘計王(をけのみこ)が位につくのである。

  もちろん紀伊国とは関係のない話だが、こと伝説となるとあちらこちら駆け巡る。
  弘計王すなわち久米稚子が、紀伊国の三穂の岩屋に隠れ住んでいたという
  伝説が残っていたかもしれないのである。』 と
  想像たくましく述べておられます。

また、伊藤博氏は
「 和歌山県日高郡美浜町の神社の裏手の崖を下りたあたりに巨大な石窟があり
巨岩も沢山転がっている。
このあたりが詠われた地ではないか」とも。

「常盤」で忘れられないのは「トキワ荘」。(東京都豊島区東長崎)
手塚治虫、寺田ヒロオ、藤子不二雄、石森正太郎、赤塚不二夫、園山俊夫など
錚々たる漫画家が若き頃住み、お互いに切磋琢磨していたと言われる木造アパートです。
1982年、老朽化のため残念ながら取り壊されましたが、今なお伝説の地として
記憶に新しく、小説、映画化されました。

 「 牛若の 目がさめますと 常盤言い 」 江戸川柳

          ( 強引にくどき寄る清盛、 避ける常盤御前 )

             万葉集576 (常盤) 完


    次回の更新は4月22日(金)の予定です。
[PR]

by uqrx74fd | 2016-04-15 07:13 | 生活

<< 万葉集その五百七十七(竹は木か...    万葉集その五百七十五 (瀬戸の... >>