万葉集その五百九十二 (麻いろいろ1)

( 亜麻の花  学友m.i さん提供 )
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( 苧麻:ちょま カラムシともいう   奈良万葉植物園 )
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( 大麻  新北海道の花より  学友m.i さん提供 )
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( 亜麻  小石川植物園  我国で初めて栽培されたのは小石川御薬園 )
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( 麻のれん、繊維   麻専門店 おかい(岡井)  奈良市 )
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( 復元機織具 弥生時代  橿原考古学研究所  奈良 )
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( 機織具を使って麻を織る女性   同上 )
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( 麻のレース  吉田蚊帳店  奈良町 )
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(  麻の蚊帳  奈良町資料館 )
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( 麻のタペストリー  奈良町センター )
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縄文時代晩期、古代の人達は麻、苧麻(ちょま)、藤、楮、三椏、葛、芭蕉布などの
内皮を利用して衣類や袋、縄、網などの生活用品を作っていました。
とりわけ麻、苧麻は栽培が容易で短期間に大量に収穫でき、しかも質の良い
靭皮を採る作業も比較的簡単なので広く使用され、奈良時代になると
持統天皇が苧麻の栽培を推奨する詔を出されています。(692年)
やがて、亜麻、黄麻(こうま:ジュート)、サイザル麻などが渡来すると、
それら麻類を一括して麻と呼ぶようになり元来の麻は大麻と呼んで区別しました。
大麻とは大きく成長する麻の意です。

万葉集に登場する麻は二十八首、種蒔き、刈り取り、布作り、晒し、
機織りなどすべての生産工程が歌に詠まれています。

「 夏麻(なつそ)引(び)く 海上潟(うなかみがた)の 沖つ洲に
     鳥は すだけど 君の音もせず 」  
                               巻7-1176 作者未詳

( 海上潟の沖の砂州に鳥が群がって騒いでいるけれども
 あなたからは一向に音沙汰もありません。
 いったいどうなさったのでしょうか。 )

「夏麻(なつそ)引く」は「海上潟」の枕詞 
夏の麻を引いて衣に績(う)む、あるいは夏の麻を引き抜く畝(うね)の意で
「ウ」の音を冠する地名「ウナカミ」「ウナヒ」に掛かる。

「海上潟(うなかみがた)」 千葉県銚子市海上郡地方の海岸の千潟

ここでの麻は「引く=引き抜く」とあるのでアサ科の1年草の大麻、
雌雄異株です。
名の由来は茎が青みを帯びた皮の繊維であることから青麻(あおそ)とよばれて
いたものが「あさ(麻)」に転訛したとされています。
原産地は中央アジアから西アジア。
日本では弥生時代の栽培とみられています。

春に播種し、品質を高めるため密植する。(さもないと枝分かれして品質が落ちる)
夏に草丈2~3mで抜き取り蒸して皮を剥いで繊維を採ります。
開花は夏。秋に果実となった苧実(おのみ:麻美)は七味唐辛子の薬味の一つ。
食用油、工業油も採れます。(毒性のないものの栽培は免許制)

成熟した雌株の葉から分泌する樹脂をハシーシュ、栽培種の花序からのをガンジャ、
野生種の花序や葉からのをマリファナと云うそうです。(禁制品:昭和23年大麻取締法)

「 庭に立つ 麻手(あさで) 刈り干し 布 曝(さら)す
    東女(あづまおみな)を 忘れたまふな 」 
                         巻4-521 常陸娘子(既出)

( 庭に生い立つ麻 それを手で刈り取り、干し、布に織って晒す私。
 この東女をどうぞ忘れないで下さいね ) 

この歌は藤原宇合(うまかい:藤原不比等の第三子)が常陸守の任を離れて帰京する際
親しかった女性が詠ったもの。
麻に関わる作業過程が次々と重ねられ、忙しく立ち働く東国女性の姿が想像されます。
たった31文字で麻にかかわる作業と恋歌を重ねた驚異的な手腕。
相当な教養の持主だったのでしょう。

ここでの麻は苧麻(ちょま)。
一年草の大麻は引き抜きますが多年草の苧麻は刈り取る。
翌年に同じ株から新しい茎が成長し、同じ作業が数年に及びます。

苧麻は真苧(まお)、カラムシ、ラミーともよばれるイラクサ科の草木で
春に根分けして植え、夏に茎を刈り、皮を剥いで中の繊維を採ります。
粗繊維を灰汁に漬けて水で晒すと美しい光沢がある糸や布に。

苧麻(一般にはカラムシとよばれる)から作られる越後布は古くから良品として
知られ、朝廷にも貢納されて正倉院に収蔵されています。

中世、越後の国は日本一の苧麻の産地で上杉謙信と執政、直江兼続は
衣類の原料として京都などに積極的に売り出し、江戸時代初期、技術改良を重ねて
高級苧麻布を生み出しました。
中でも新潟県、魚沼地方の越後上布、小千谷縮(おぢやちぢみ)は名高く、
元禄年間に将軍家の御用縮、武家の式服、諸大名は麻裃(かみしも)に
用いられ、金持ちの商人もこぞって買い求めたようです。
現在、国の重要無形文化財に指定されている「小千谷縮・越後上布」の原料である
苧麻は本州唯一の産地、福島県会津地方の昭和村で栽培されています。

江戸時代、魚沼出身の鈴木牧之(ぼくし:1770~1842)はその著
「北越雪譜:ほくえつせっぷ」(岩波文庫)で次のように記しています。

「 雪中に糸となし、雪中に織り、雪水に洒(そそ)ぎ、雪上に晒(さら)す、
  雪ありて縮あり、されば越後縮は雪と人と気力相半(あいなかば)して
  名産の名あり。
  魚沼郡(うをぬまこほり)の雪は縮の親といふべし。」

縮布の「雪晒し」は、太陽の紫外線が作り出すオゾンによる漂白作業で、
縮に独特の風合いを与えましたが、雪中での作業の連続は過酷を極め、
極めて忍耐力が必要とされたようです。

川端康成は小説「雪国」で縮の記述の多くを同著に拠り、主人公(島村)は
自分の着る麻の縮を「古着屋で漁って夏衣にし」毎年晒して着る人物で、
次のように書いています。

『 自分の縮を島村は今でも「雪晒し」に出す。
  誰が肌につけたかもしれない古着を、毎年産地へ晒しに送るなど
  厄介だけれども、昔の雪ごもりの丹精を思ふと、やはりその織子の土地で
  ほんたうの晒し方をしてやりたいのだった。

  深い雪の上に晒した白麻に朝日が照って、雪か布かが紅(くれなゐ)に
  染まるありさまを考えるだけでも、夏のよごれが取れそうだし、
  我が身をさらされるやうに気持ちよかった。』 
                                   (川端康成 雪国 新潮社)

   「 苧(からむし)の 露白々と 結びけり 」 奥園操子

  
            万葉集592(麻いろいろ1) 完




           次回の更新は8月12日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-08-04 19:15 | 植物

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