万葉集その五百九十八 (萩の遊び)

( 白毫寺の入り口から山門へ  奈良 )
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( 同 山門から境内へ  両側の萩が道をふさぐほどに )
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( 同 石段を上りきったところから )
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( 同 境内の桔梗も美しい)
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(  元興寺の群萩  奈良 )
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(  石舞台公園  飛鳥 奈良 )
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( 絞り模様の萩  神代植物公園  東京 )
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( 山萩  潮来  茨城県 )
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(  宋林寺  谷中 東京 )
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( 咲く萩、散る萩  向島百花園  東京 )
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「遊ぶ」とは元々祭祀にかかわる行為とされ、鎮魂、招魂の儀礼で歌舞を
奉納することをいうそうです。
巫女が神の依代であるヒゲノカズラ、ツルマサキ、ササなどを髪飾りにして、
鈴を鳴らしながら厳かに舞う。
今でも神社の儀式でよく見られる神事です。

万葉集での「遊び」は40例。
天皇の行為、国見、狩猟、野遊びに対して用いられ、さらに貴族の旅や
宴における詩歌、管弦を楽しむ雅やかな行為にも及んでいます。
「遊び」は時の経過と共に祭祀とは別の意味になっていったのです。

「 漢人(からひと)も 筏(いかだ)浮かべて 遊ぶといふ
           今日(けふ)ぞ我が背子  花かづらせな 」 
                           巻19-4153 大伴家持

( 唐の国の人も、筏を浮かべて遊ぶという今日のこの日。
 さぁ、皆さん、花蘰(はなかずら)をかざして、楽しく遊ぼうでは
 ありませんか )

中國では陰暦3月最初の巳の日を上巳(じょうし)と称し、
格別な吉日としていました。
後に、3月3日に固定されて曲水の宴が行われていたものが
我国でも行われるようになったことを示す歌です。

ここでの花は桃と思われますが、「花蘰」(花で編んだ髪飾り)にして
頭に挿そうと詠っています。
植物の生命力にあやかりながら、わが身を飾ろうというわけです。


「 白露を 取らば消(け)ぬべし いざ子ども
           露に競(きほ)ひて 萩の遊びせむ 」 
                                巻10-2173 作者未詳



( 萩に置く白露、あれを手に取ったら消えてしまうだろう。
  さぁ、みんな、あの露と張り合って萩見の遊びを楽しもう )

当時、露は萩の開花を促すものとされていました。
露が「早く咲け」と催促すると、萩は恥じらって「いやよ いやよ」という。
そのような様子を万葉人は「競う」と表現したのです。

この歌は宴席でのもので、白露を萩の恋人かのようにとらえ、
「我々も露に負けないで萩を愛でよう」とおどけながら詠っています。

「いざ子ども」は親しみを込めた言葉で「おのおのがたよ」と
いったところでしょうか。

「 天雲に 雁ぞ鳴くなる 高円(たかまと)の
           萩の下葉(したば)は もみちあへむかも 」 
                           巻20-4296 中臣清麻呂

( 天雲の彼方にもう雁がきて鳴いている。
  ここ高円の萩の下葉も間もなく紅葉してしまうであろうなぁ。)

753年、秋もそろそろ終わりにさしかかる頃。
2~3人の官人がおのおの酒壺をさげて高円山の麓の高台に登り、
酒盛りをした時の1首です。

当時、雁が渡来すると、萩の落花が始まると考えられていました。
晩秋の時雨に打たれて黄葉が進む。
萩の下葉も間もなくもみぢし、やがて落ちてしまうだろう。
花を眺めつつ一献一献と美酒を味わい、行く秋を惜しむ作者です。

なお、高円は奈良朝官人の遊楽地で、頂上近くに聖武天皇の離宮や
志貴皇子(天智天皇の子)の春日宮がありました。

ある秋の晴れた日、皇子邸の跡地とされている萩の寺、白毫寺へ。
山門をくぐると、長い石段が続き、両側に枝もたわわに群萩が
咲き乱れて道をふさいでいる。
普段は幅2mある石段が、人がようやく通れる位にまで狭まり、
登るたびに紫、萩が頬をなでてくれます。
頂上まで約70段ばかり。
高台の境内に到着すると視界が大きく広がり、奈良盆地が一望。
彼方に生駒、金剛葛城山。
庭に萩や桔梗が咲き乱れ、名木、五色椿も健在。
境内の奥、高円山が見渡せるあたりに、笠金村が志貴皇子を偲んで詠った歌碑が
ひっそりと建っていました。

 「 高円の 野辺(のへ)の秋萩 いたずらに
            咲きか散るらむ 見る人なしに 」  
                        巻2-231 笠金村歌集(既出)

( 高円の野辺の秋萩。
  今は見る人もおらず、甲斐なく咲いては散っていることであろうか。 ) 
 
「咲きか散るらむ」は「咲き散るらむか」の意で、満開となって散る

    「 萩散るや 石段粗き 白毫寺」   筆者



             万葉集598 (萩の遊び ) 完

            次回の更新は9月25日(日)の予定です
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by uqrx74fd | 2016-09-15 20:11 | 生活

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