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万葉集その六百十四 (春菜摘む乙女)

( 万葉人の春菜    カタクリ  弘前城公園 )
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(  同上 )
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( スミレも食用でした   森野旧薬園  奈良 )
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( ニラ  山の辺の道  奈良 )
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(  同上 )
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(  ヨメナ  山の辺の道 同上 )
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(  同上 )
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( ヨモギ  同上 )
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( テレビでも放映されたヨモギ餅つき  奈良 猿沢池の近くで )
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( ヨモギ餅  長谷寺前で  奈良 )
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( ワラビ   山辺の道 )
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長い冬が過ぎ水ぬるむ頃、はだら雪が残る大地を割って顔を出す春菜は
若菜ともいいます。
早春の新芽はアクやエグ味が少なく美味。
乙女たちは暖かくなると一斉に野山に繰り出し、おしゃべりをし、歌いながら
春のピクニックを楽しみました。
摘んだ春菜はヨメナ、ヨモギ、ニラ、スミレ、カタクリ、ワラビ等々。

羹(あつもの:おひたし、汁)にして食べ、その旺盛な生命力を身に付け
健康と長寿を祈るのです。

「 國栖(くにす)らが 春菜摘むらむ 司馬(しま)の野の
     しばし君を 思ふこのころ 」 
                         巻10-1919 作者未詳

( 國栖たちが春の若菜を摘むという司馬の野。
  その野の名のように、しばしばあなたのことを思うこのごろです )

國栖ら: 奈良県吉野郡吉野町の吉野川の上流、國栖(くず)付近に住んでいた人びと。
      春の遅い山奥の住人と考えられていた
      性質が純朴で山の果実を食し、山菜など土地の産物を献上したという。

司馬の野:國栖付近なるも所在不明  「しま」の音から「しばし」を導く

 日本書紀によると

『 289年応神天皇が吉野に行幸されたとき、国栖人は酒を献上し、
歌舞を奏して歓迎した。
その地は京より東南で、山を隔てて吉野川のほとりにある。
峰は高く谷深く道は険しい。
人々は純朴で日頃は木の実を採って食べ、また、蛙を煮て上等の
食物としている 』とあり、
天皇に奉納された歌舞は、手で口を打って音を出しながら歌の拍子をとり
上を向いて笑う独特の所作をするものであったそうです。

それは、のちに「国栖奏」(くずそう)とよばれ、今もなお受け継がれています。

「 春草の 繁(しげ)き我(あ)が恋 大海(おおうみ)の
    辺に行く波の 千重(ちへ)に 積りぬ 」 
                          巻10-1920 作者未詳

( 春草が茂るように しきりにつのる私の恋
  その恋心は 大海の岸辺に寄せる波のように
  幾重にも積ってしまった )

「 おほほしく 君を相みて 菅(すが)の根の
   長き春日を 恋ひわたるかも 」 
                       巻10-1921  作者未詳

( おぼろげにあのかたをお見かけしたばっかりに、
  私は菅(すげ)の根のような この長い春の1日を ひたすら恋い焦がれながら
  過ごしています )

この三首の歌は、純情な乙女が道で見かけた男に一目惚れしたように
思われます。

春菜摘みをしながら凛々しい若者の面影を追い、大海(ここでは吉野川か)の
ほとりに佇み、波が幾重にも重なり合いながら流れているさまと、
自ら気持ちを重ねあわせる。
花咲く野をひねもす散策しながら、傍らの菅の地面深く張る根に、長い春日を想い、
終日の恋焦がれの歓びを詠う。

初恋のやるせなさと喜びが感じられる歌群です。

庶民の行事であった春菜摘みは次第に上流階級の人々の間に普及して儀礼化され
平安時代になると朝廷の行事となり、醍醐天皇延喜年間(901~914)には、
正月最初の子の日(のち七日)に天皇に若菜を奉る公式儀式に制定されます。

民間で羹(あつもの:汁物)として食べられていた若菜は、その後、
七種粥(ななくさがゆ)としてその心意が伝えられ、今もなお新春七日の行事として
脈々と受け継がれているのです。

  「 母許(ははがり)や 春七草の 籠下げて 」     星野 立子

                    (母がり:母のもとへ )




        万葉集614(春菜摘む乙女) 完


       次回の更新は1月13日の予定です。

by uqrx74fd | 2017-01-05 18:12 | 生活

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