万葉集その六百十七 ( 落葉道とカワセミ )

( 落葉散り敷く道  国立科学博物館付属自然教育園 2017,1,25 撮影 )
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( 巨大な松   同上 )
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( コナラの林    同上 )
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( ハンの木    同上 )
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( ヤマコウバシの木  葉は枯れても落ちない   同上 )
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(  カワセミ   同上 )
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( オケラ     同上 )
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(  オケラの花  9月24日撮影   同上)
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( エゾアジサイ  まるでドライフラワーのよう  同上 )
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(  アシ、ヒメガマズミ、ススキ  同上 )
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( ヒメガマズミの幾何学模様  同上 )
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( ひょうたん池   秋の紅葉が美しい  同上 )
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( ひょうたん池幻想    同上 )
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本年4回目の植物園ブラ歩き、今回は国立科学博物館付属自然教育園です。
お目当ては分厚い絨毯のような落葉の散歩道とカワセミ。
JR目黒駅から徒歩10分足らず、交通至便、都会のど真ん中。
園の説明書きによると

「 この地は縄文中期に人が住みつき、奈良時代は武蔵国府の管轄、
広大な原野で平安時代にはムラサキの栽培も広範囲に行われていた。
室町時代には豪族が居を構え、江戸時代は増上寺の領地。
1644年徳川光圀の兄 高松藩主、松平讃岐守の下屋敷になり、
明治は陸海軍の火薬庫。
1917年、宮内省帝室林野局の管理となり白金御料地とよばれ、一部朝香邸に。
1949年、天然記念物および史跡に指定され、国立自然教育園として広く
一般に公開されるようになった。 」 そうです。

敷地面積約6万坪、環境保全のため1回300人までに入場制限されているので
ゆったりとした気分で散策できます。
入口から眺めると、松、椎、檪(いちい)、橿等の巨木が鬱蒼と立ち並んでおり、
木々の手前には季節の花々の植え込みもなされています。
奥に水鳥が生息する沼、水生植物が生い茂る湿原地などもあり、
まるで明治時代の武蔵野を歩いているようです。

 太古の時代、海の底にあった武蔵野は悠久の年を経て地上に出現し、
激しい風雨によって山の岩肌が崩れ落ちて砂礫の層を形成していきます。
周囲には盛んに火を噴く日光、浅間、八ヶ岳、富士、箱根などの活火山。
その降灰が関東平野一面を埋め尽くしていきました。

やがて、地型が安定すると、羊歯類などの植物が繁茂して原始林が出現。
谷間からこんこんと湧き出る水は川や池そして沼地を造り、
その周りに色々な動物や人間が集まり住んで、高度な縄文文化が
形づくられていったと推定されています。

然しながら、豊かな原始林は度々の大火で焼失し、奈良、平安時代には
すでに一面見渡す限りの荒野となり、ススキや萱(かや)が生い茂っていたそうです。

奈良時代の武蔵国は、現在の東京都、埼玉県、神奈川県の横浜市、川崎市を含む
広大な地でムザシ(武蔵)とよばれており、万葉集にも登場しています。

「 武蔵野の 草葉もろ向き かもかくも
      君がまにまに 我(あ)は寄りにしを 」 
                           巻14-3377 作者未詳

(  武蔵野の草葉があちら、こちらへと風にまかせて靡くように
  私はあなた様のおっしゃるまま、自分としてはどうかと思われることでさえ
  ただただ、お言葉に従ってまいりましたのに、どうして今になって
  冷たくなさいますの )

心変わりをした男に恨みを込めながらも、自身の変わらぬ思いを込めている女。
一途に愛を捧げている心情をひたむきに詠っています。

「 わが背子を あどかも云はむ 武蔵野の
                  うけらが花の 時なきものを 」
                            巻14-3379 作者未詳

( あぁ、あの人に この私の想いを何といったらよいのか。
 武蔵野のおけらに花時がないのと同じように、
 私も時を定めずいつも想っているのに。)

「あどかも」は東国の方言で「どのように」。

地味ながらも長く咲き続ける「おけらの花」
その花のようにひっそりと男を慕い続けている女。
想いを男に言い表せないもどかしさ。
東国の可憐な女性の秘めたる恋心です。

「うけら」は現在「朮(おけら)」とよばれ、北海道を除く本州、四国、九州の
日当たりのよい山野に自生しているキク科の多年草です。
春に摘まれる若芽は「山で美味いものは、“ウケラ”に“トトキ”(ツリガネニンジン)」といわれているように、
おいしい山菜の代表格とされています。

秋になるとアザミのような白や淡紅色の小さな花を釣鐘型の総苞(そうほう)の上に
咲かせ、枯れてもドライフラワーのように長く残るので花期がはっきりしない植物です。
ウケラはかってムラサキとともに武蔵野を代表する草花でしたが、今はどちらも
幻の花となってしまいました。

   「 はっきりと 翡翠色に 飛びにけり 」    中村草田男

巨木が立ち並ぶエリアを過ぎ、コナラ(小楢)の林へ。
葉はすべて落として冬木立になっていますが、青空にシルエットが映えて美しい。
沼の近くにくると、美しい鳥が飛び過ぎていきました。
カワセミです。
昨年、子雛が生まれ子育てに忙しかったようですが、今はもう大きくなった?
一羽しか見かけないのでよく分かりませんが、美しい羽を輝かせながら
枝から枝へと飛びまわっています。

「 貎鳥(かほとり)の 間なく しば鳴く 春の野の
        草根の繁き 恋もするかも 」 
                       巻10-1898 作者未詳

( 貎鳥がしきりに鳴いている春の野。その野には草がびっしりと深く茂っています。
  私もその草のように深く、そして貌鳥の鳴き声のように絶え間なくあなたを
  恋い慕い続けております)

男性を慕っている女性の歌と思われ、鋭い声でしきりに鳴く貌鳥によせて
恋人への想いを訴えています。

「貎鳥(カホトリ)」は万葉集に登場する鳥の中でも種類を特定するのが極めて
難解なものとされていますが、万葉学者で動物に詳しい、東 光治氏は

『 「貎鳥(カホトリ)」とはその鳴き声によって名付けられたともいわれ、
  恐らく最初はカッコウに対して呼ばれたらしいが、
  後に美しい姿の鳥、即ち、「カヲヨドリ」までもカホドリと呼ぶようになり
  カワセミや雉などもカホドリの仲間入りをした。
  そのため、とうとう何を指したのか不可解な鳥名となった』
  と述べられています。(万葉動物考)

郭公、アオバト、カハカラス、トラツグミ、ヒバリ、フクロウ、キジ、ヨタカオシドリ、
など諸説あり定まっておりませんが、ここでは翡翠説に従いました。

かわせみ(翡翠)はヒスイ、ショウビンともよばれています。
その名の由来はその鳴き声が蝉に似ているところからきているといわれ、
「虫の蝉」と区別して「川の蝉」というわけです。

雄を「翡」、雌は「翠」といい、背中は光沢のあるコバルトブル-、
腹面がオレンジ、嘴は赤(雌)の美しい鳥で別名「空飛ぶ宝石」。

翡翠(ヒスイ)はこの鳥の羽色から名付けられたもので、鉱物の名前を鳥に
あてたのではなかったのです。

「 鶯の けはひ興りて 鳴きにけり 」   中村草田男 

上を見上げるとハンの木の赤茶色が青空に映えて美しい。
突然、ウグイスの鳴き声が聞こえてきました。
竹藪辺りでしょうが姿は見えません。

「 うち靡く 春ともしるく うぐひすは
    植木の木間(こま)を 鳴きわたるらむ 」 
                          巻20-4495 大伴家持

( 草木一面に靡く待ちに待った春がはっきりやってきたと分かるように
 鶯よ、この植木の木の間を鳴きわたっておくれ )

朝廷での賀式で披露しようと用意していたが、何らかの事情で叶わず
そのままにしておいた1首との詞書があります。

「 足音を つつみて落葉 あつく敷く 」  長谷川 素逝

水鳥の沼を過ぎると、落葉の散歩道が約100m続いています。
ふかふかした絨毯を歩いているようで気持ちいい。
道の両側から舞い落ちてきた葉を積るに任せてしつらえた天然もの。
ところどころに木影が落ちて、まだら模様を作り美しい。

 「 大いなる 蒲(がま)の穂わたの 通るなり 」    高野素十

やがて水生植物の群生地。
葦(あし:別名ヨシ)、ガマ、岸辺の枯れススキとともに独特の
風景を形づくっており、まるで日本画の世界。

凍った池に、折れ曲がった葦やガマが重なり、幾何学形のよう。

「 葦辺(あしへ)行く 鴨の羽音(はおと)の 音のみに
    聞きつつもとな 恋ひわたるかも 」 
                        巻12-3090  作者未詳

( 葦のあたりを飛びわたる鴨の羽音のように、噂だけを 
     ただ、いたずらに聞くばかりで私は空しくあの人のことを
     慕い続けております )

彼が私を好いてくれているという噂は一向に聞かない。
こんなに慕っているのに片想いなのか?と嘆く女。

鴨は見かけませんでしたが、シロサギが餌を探しながら歩いていました。

   「 武蔵野の 青笹匂(にほ)ふ 茅の輪かな 」  鎌須礼子

武蔵野が雑木林になったのは江戸時代からだそうです。
農家が薪炭用の材木を植林して10年~20年毎に伐採し、さらにその切り株から出る
新芽を育てて繁茂させました。
樹種は薪炭に適した櫟(くぬぎ)、コナラ、欅、エゴ、などが多く、
整然と一定の間隔を残して植えられたので、明治時代には美しい雑木林になり、
また観賞用に梅、櫻、竹、松などが加えられたと伝えられています。
また道端には美しい花々が咲き乱れており、その光景に魅かれて移り住む人も
多かったそうな。

わが国経済が高度成長期にさしかかると、武蔵野周辺は開発のため見るも
無残な姿になり、御料地や官有地として保護されたものが、かろうじて残りました。
もし、自然教育園も民有地であったなら、白金という一等地だけに、今ごろは
高級邸宅やマンションが林立していたことでしょう。

  「 あらうれし 白金台に 武蔵野あり 」   筆者



          万葉集617 (落葉道とカワセミ) 完


          次回の更新は2月3日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-01-26 20:22 | 自然

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