万葉集その六百二十四 ( 柳の道)

( 柳と梅  東京国立博物館内の庭園 )
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( 東大寺三月堂前の柳の新芽 )
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( 東大寺大仏殿前 )
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( 荒池前の柳  奈良ホテルの対岸 )
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( 平城宮跡 朱雀門 )
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( 朱雀大路復元工事完成予想図 柳の街路樹 )
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( 二条大路復元工事 完成予想図 同上 後方若草山 )
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( 氷室神社  桜のころ  奈良国立博物館前 )
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( 興福寺五重塔  柳の蕾はまだ固い )
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(  猿沢池 後方の建物は老舗のうどん屋 )
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「平安京へ続く 柳の並木道」
2017年2月22日付、読売新聞朝刊の見出しです。

記事によると、
『 古代の幹線道路「山陰道」が通った鳥取市の青谷横木遺跡で、
平安時代(9世紀後半~10世紀頃) に植えられた街路樹とみられる柳の根が見つかり
鳥取県埋蔵文化財センターが21日発表した。

「続日本紀」など古代の街路樹に関する記述があるが、存在を裏付ける遺構が
 確認されたのは初めて。

 根は2015年8~9月の発掘調査で、古代山陰道の遺構(幅7m)に沿った
長さ20mの区画2か所の盛り土から出土。
3~5㎝大の黒ずんだ根が密集した直径約10㎝の株が計18本あり
0.5~2m間隔で1列に植えられていた。

成分分析の結果、樹木は柳で、植えられたのは盛り土が造成された時期と
一致すると判明。
往来する人の日よけとして活用された可能性が高いという。』

「 浅緑 染め懸(か)けたりと 見るまでに
   春の柳は 萌えにけるかも 」 
                      巻10-1846 作者未詳

( 浅緑色に糸を染めて木に懸けたと見まごうほどに
 春の柳は青々と芽を吹き出しましたよ。)

柳の種類は多く世界で約400種といわれていますが、我国で多いのは
シダレヤナギです。
早春、梅が芳しい香りを漂わせ、やがて散りはじめる頃になると、
今まで固く閉じていた芽が一斉に開き、瑞々しい浅緑色の枝を風に靡かせます。

中國原産の柳を我国にもたらしたのは遣唐使。
成長が早く、生命力が強いので悪霊を追い払う守護神として寺社や屋敷の外側に、
また、根が長く伸びるので池の周りや田の近くに植えて堤防を強化したりなど、
奈良時代には都をはじめ東国に至るまで盛んに植えられました。

万葉集には36首登場。

次の歌は平城京朱雀門に通じる街路樹の柳を詠ったものです。

「 ももしきの 大宮人の かづらける
     しだり柳は 見れど飽かぬかも 」
                  巻10-1852 作者未詳

( 大宮びとが蘰(かずら)にしているしだれ柳。
      見ても見ても飽かないことよ )

平城京の大通りで風に靡く柳並木の下を颯爽と闊歩するきらびやかな大宮人。
古代の人達は柳の若々しい生気を身に受けるため、細い枝を丸く輪にして
頭に巻いたり、載せたりして長寿と幸いを祈りました。

平城京は東西約4,2㎞、南北約4,8㎞の本格的な計画都市。
大路、小路とも碁盤目に整然と区画され、メインストリートの朱雀大路は3,8㎞、
道幅は75mという巨大なもので、路の両端に柳の街路樹を植えて国家的な儀式、
パレード、海外使節一行を迎える場としての美観を整えていただけに
さぞ壮観だったことでしょう。

柳が芽吹くと恋の季節。
次の歌は柳に寄せたものです。

「 春されば しだり柳の とををにも
     心は妹に 乗りにけるかも 」 
                       巻10-1896 柿本人麻呂歌集

( 春になると しだれ柳がしなってくるように
 心がしなうほどどかっとあの子は俺の心に乗りかかってしまったよ。)

とををにも: 細長いものが撓(たわ)みしなうさま
心に乗る: 相手が自分の心に乗りかかって消えやらぬ

心に焼き付いて離れないのは柳腰の佳人なのでしょうか。

街道にも延々と柳道が続いていました。

「 うらもなく 我が行く道に 青柳の
      萌(は)りて立てれば   物思ひ出(で)づも 」 
                              巻14-3443 作者未詳

( 無心に我らが辿って行く、その道に傍らに青柳が芽吹いて立っているので
 ふと物思いにふけってしまった。)

うらもなく : 故郷を振り切って旅人に徹しながら前向きに歩いてゆく気持ち

作者は商用で旅をしているのか、防人として都をめざしているのか。
妻子がいる故郷を断腸の思いで振り切って旅立ったが途中で柳が芽吹いているのを見て
望郷の念にかられたようです。

都から離れた東国にも柳が。

「 わが門(かづ)の 五本柳(いつもとやなぎ) いつもいつも
    母(おも)が恋すす  業(な)りましつしも 」
                    巻20-4386  矢作部 真長(やはぎべの まなが)
                                         結城国(茨城県)の防人

( 我が家の門口に立つ五本柳(いつもとやなぎ) 
その名のようにいつもいつも 母さんはこの俺のことを想いながら
働いていることだろうなぁ )

五本柳(いつもとやなぎ): 家の前に何本も植えてある柳。
生命力が強い柳は繁栄を予祝して家の前に植えられ、風よけにもされていたのでしょう。

栗田勇氏によると
「柳は生命力が強すぎるので家の中に植えるのはいささか恐ろしい。
よって家中はご遠慮願って外に植え、悪霊を追い払って戴くようになった」
( 花のある暮らし 岩波新書)
という面白い解説をされていますが、言われてみれば屋敷の中の柳は
ほとんど見ませんね。

    恋すす: 継続を表す: 恋しながら、ここでは「俺のことを想いながら」
    業(な)り: 農作業をする

「 昼の夢 ひとりたのしむ 柳かな 」 千代女

都に街路樹が植えられたのは759年から。
東大寺の僧普照(ふしょう)の献策により、朝廷は畿内七道諸国の駅路に
果樹並木を植え始めました。
当時、防人や諸国からの税 (調、庸) を都に運搬する人々がその往還に
大変な苦労を重ねており、それらの人々の辛苦を救うためといわれています。
普照は遣唐使に従って渡唐し、20年間かの地で学び754年に帰国するときに
鑑真を日本に招いたといわれる人物です。

 「 君ゆくや 柳みどりに 道長し 」 蕪村

平安京の柳の道は
「木陰を作る実用性とともに、都につながる道という格式高い空間を
意識したもの」( 近江俊秀 文化財調査官) だそうですが、
 柳は旅立ちや別れを象徴する木でもありました。



万葉集624(柳の道) 完

次回の更新は3月24日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-03-18 18:26 | 植物

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