万葉集その六百三十三 (泊瀬の皇子たち)

( 長谷寺本坊大玄関   奈良 )
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( 白牡丹   長谷寺 )
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( 赤牡丹   同上 )
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( 黄牡丹   同上 )
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( 緋牡丹   同上 )
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( 美しき新緑  同上 )
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( 本堂から  同上 )
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( 五重塔遠景   同上 )
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( 本堂遠景    同上 )
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( 日本一美しいといわれる登廊  同上 )
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( 仁王門:山門   同上 )
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万葉集その六百三十三 (泊瀬の皇子たち)

昔々ある日、皇族の子弟達が泊瀬(はつせ)に集まり宴会を催しました。
場所は都人憧れの地、長谷寺(奈良)近辺。
山々に囲まれ、清流が爽やかな音を響かせている風光明媚な川べりで、
獲れたての鮎や新鮮な山菜を肴に、飲めや歌えやの賑やかな宴。
久しぶりの親しい仲間同士の酒席なので話も大いに弾みます。
「あぁ、酒も肴も美味い!」

席も盛り上がってきた頃合いを見計らって、侍(はべ)っていた一人が立ち上がり
「さぁ、さぁ、余興ですよ」と弓削皇子(天智天皇の子)に歌を1首
献上しました。

皇子が恋に悩んでいるという設定です

「 神(かむ)なびの 神依(よ)せ板に する杉の
     思ひも過ぎず 恋の繁きに 」 
                       巻9-1773 柿本人麻呂歌集

 ( 神なびの 神依せの板に用いる杉。
  その「すぎ」の名のように、私は貴女と何としても結ばれたいという想いを
  断ち切る(過ぎる)ことが出来ないのです。
  あぁ、この恋の苦しみよ )

神が宿るとされる「杉(すぎ)」と「思い過(すぎ)る」とを掛けた言葉遊び。

「(思ひ)過ぎる」は即ち「忘れる」、「諦める」。
「二人の間に越えることが出来ない障害があり、あれこれ思い悩んでいます」
と詠っています。

「神なび」: 神の辺(べ)で神のこもるところ、ここでは神聖な三輪山か。
「神よせ板」:神の降臨を仰ぐために叩いて音を立てる板。

それを受けて別の陪席人が舎人皇子(とねりみこ:天武天皇の皇子)に
2首奉ります。
1首目は女性の返事、2首目は恋の結末。
弓削皇子が悩んでいる様子を見て、愛する女が返事を返す。
そしてその結果は? という寸劇風に仕立てあげたのです。

「 たらちねの 母の命(みこと)の 言(こと)にあらば
    年の緒(を)長く  頼め過ぎむや 」 
                          巻9-1774 柿本人麻呂歌集

( 「恋の成就を妨げている」というあなたのお言葉が、
  もし、私のお母様ことであったなら、そのまま何年もずるずると
  結婚を当てにさせたまま放っておくことなどありえましょうか。
  決してそのようなことはいたしません )

「 愛しているのは私も同じ。
二人の仲を隔てているのは母親の反対。
でも、許しさえ得られれば、すぐにでも結婚出来ましょう。
私が必ず母親を説得致してみせます 」 と

固く誓う清純な乙女。

「母の命(みこと)」: 子の結婚に強い発言力を持つ母親を恐れ
畏(かしこ)んで敬称「命(みこと)」をつけたもの

「言にあれば」: 母の許しさえ得られたならば
「頼め過ぎむや」: 気を持たせたままにしておく

そして、懸命の説得が功を奏して、二人の仲がめでたく認められ、
男が喜び勇んで女性の許に通って行きます。

「 泊瀬川 夕渡り来て 我妹子(わぎもこ)が
    家のかな門(と)に 近づきにけり 」 
                      巻9-1775 柿本人麻呂歌集

( 泊瀬川を夕方に渡ってきて、愛しい人の家に近づいてきた
  あぁ、ついに、彼女に逢えるのか。 )


「 かな門(と)」: 道の曲がり角に面している戸口
           「かな」は曲がっているさま。
           扉や柱を金具で止めたり飾ったりしている立派な門。
           女性が上流階級であることを暗示。

この歌について伊藤博氏は次のように解説されています。(万葉集釋注5)

『 人麻呂の歌に多い、訳文を与えることを強く拒否するような歌である。
  一夕の感動は、本文を何度も朗誦して味わうにしくはない。
  そして、一首を孤立して味わっても、男の心の高鳴りは
  充分聞こえて来るけれども、三首一連の物語的構成の中に置いて味わえば、
  なおさら光彩を放つことが知られよう。
  「家のかな門に近づけり」― その向こうに何があるか。
  すべて万人の理解のうちにある。
  歌は余情を限りなく残して、終わるべきところで終わっている。』

この歌が評価されているのは、宴会での即興歌にもかかわらず二人の作者が
ピタリと息を合わせて物語風に仕立てたこと。
1首目で何故悩んでいるのかと周囲に疑問をもたせ、2首目で相思相愛であること
母親の反対が障害となっていること、そして、3首目で
めでたし、めでたしと結ぶ。
特に、結末に余韻を持たせて読者の想像の世界に誘ったことなどでしょうか。

さらに深読みすれば、最初に歌を奉られた弓削皇子は天武系全盛のにあって
唯一の天智系で壬申の乱で敗れた側。
何かにつけて肩身が狭い思いをしていました。

それを承知している心優しい天武系の皇子たちは
「やがて貴方もきっと日の目を見る時が参りますよ」と励まし、
思いやったようにも感じます。

  「 此の寺の ぼたんや 旅の拾い物 」  几董(きとう:江戸時代中期)

五月の長谷寺は全山牡丹で埋め尽くされています。
山門から上を見上げると、そこには日本一美しいといわれている
三百九十九段の登廊(のぼりろう)。
低い石段の左右に約7千株を越すと云われる色とりどりの牡丹が真っ盛り。
赤、黄、ピンク、紫、白、この豪華絢爛にして雄大な牡丹園は
もと薬草園だったらしく、移植されたのは元禄時代からと伝えられています。

余談ながら長谷寺の参道に沿って民家の裏側に流れているのが初瀬川。
今は川幅が狭く見栄えしませんが、昔は滔々と流れる大川であったようです。

人々は川床で洗濯物や野菜を洗い、上流に堰(せき)を作って清流を
生活用水として引き込み、田畑を潤しました。
初瀬川は人々の生活にとって不可欠な存在だったのです。

その川は山々の間の長い谷を縫って流れていたので、やがて
「長谷川」という名前が生まれ、次第に人の苗字になって
全国に広がっていたそうな。

生活に不可欠な水の恵みに対する感謝の念から生まれた「長谷川」。
その苗字のルーツは「泊瀬川にあり」です。

「 凛として 牡丹動かず 真昼中 」 正岡子規



万葉集633 (泊瀬の皇子たち) 完

次回の更新は5月26日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-05-18 18:15 | 生活

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