万葉集その六百三十五 (香魚:あゆ)

( 鮎釣る人   木津川  奈良 )
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( 鮎の川上がり    同上 )
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( 今宵の肴     自宅 )
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( 鮎の塩焼き   吉野 )
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( 蓼:タデの花 葉をすりつぶし酢を加えたものが蓼酢 ) 
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( 鮎の宿  つたや  京都 奥嵯峨 )
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( 同   平野屋     同上 )
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( 鮎菓子  奈良の老舗 鶴屋徳満 )
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万葉集その六百三十五( 香魚:あゆ )

「アユ」は その清楚な姿から川魚の王とされ、「鮎」「年魚」「香魚」とも書かれます。
古代、魚を釣って吉凶を占うことがよく行われていたらしく、伝説によると
神功皇后が征韓の成否を占うため、釣り糸を垂らしたところ立派な魚が釣れたので
大いに喜ばれ、その魚を鮎と名付けた、つまり「魚」+「占」(うらない)。

「年魚」と書かれるのは、秋に川で生まれて一冬海で過ごし、桜の季節と共に
再び清流を遡上して晩秋、産卵をして一生を終える1年限りの儚い命ゆえ。

「香魚」は石に付いた珪藻を食べながら成長し、一種独特の香気を持つため。
などと説明されています。

関東地方の鮎釣りの解禁は六月。
この日を待ちかねていた釣り人は、一斉に清流に向かいます。
然しながら、この時期の鮎はまだ小さく、しかも脂が少ない上、香りも立たず、
あまり美味くない。
というのは餌になる岩苔が雨に流されて栄養源を失った魚はガリガリに
痩せているのです。
旬は土用入りから2週間前後、通の人はこの時期の料理を楽しみます。

万葉集に見える鮎は16首。
そのうち作者名未詳ながら大伴旅人と思われる物語風の連作が11首。
ピチピチとした美女との会話を楽しむ幻想のお話。
そして、4首は鵜飼を好んだ家持。
大半が大伴親子作ですが、残念ながら食としての鮎は詠われていません。

「 年のはに  鮎し走らば  辟田川(さきたがわ)
      鵜(う)八つ潜(かづ)けて  川瀬尋ねむ 」 
                         巻19-4158 大伴家持

( 来る年ごとに、鮎が走って飛び跳ねるようになったら
 辟田川(さきたがわ)、この川に鵜を幾羽も潜らせて
 鮎を追いつつ川の瀬を辿って行こう。)

「年のは」毎年
「辟田川(さきたがわ)」所在未詳なるも、高岡市伏木近くの川と思われる。
「八つ」数が多いこと

家持はスポーツとして鵜飼を楽しんだようです。
鮎が棲んでいそうな流れの速い川に入り徒歩で進む。
背中に松明、腰に魚籠(びく)。
片手で鵜をさばきながら流れに逆らって歩く。
しかも徹夜ともなれば相当な運動量です。
もっとも、本職の鵜使いに手伝わせたようですが。

「 松浦川(まつらがわ) 川の瀬光り 鮎釣ると
       立たせる妹が 裳の裾濡れぬ 」  
                            巻5-855 大伴旅人

( 松浦川の川瀬がきらめき、鮎を釣ろうとして立っているあなた。
  ほらほら、裳の裾が、濡れていますよ。)

鮎釣りに興じている美しい乙女。
燃えるような紅の裳裾から白い素足がチラチラと見えている。
健康な色気を感じさせる幻想的な一首です。
              (作者未詳となっているが実際は大伴旅人作)

「 春されば 我家(わぎえ)の里の 川門(かわと)には
            鮎子さ走る 君待ちがてに 」 
                           巻5-859 大伴旅人

( 春になると我家の里の渡り瀬では若鮎が跳ね回っています。
  あなた様を待ちあぐんで )

上記2首は「序」と十一首の短歌群からなる空想の歌物語の一部で
肥前松浦の玉島川のほとりで遊んだ時のもの。
旅人は玉島川を美しい乙女ばかりが住む神仙境に仕立てています。

玉島川はその昔、神功皇后が鮎を釣ったと伝えられる伝説の地。
それ以来、この地の女性は玉島川で鮎を釣り、男が釣っても
掛からなくなったそうな。

『 松浦川の川瀬に赤い裳裾を濡らして立っている美しい乙女たち、
  彼女達はあたかも川を自由に泳ぎまわる若鮎の化身のよう。
  「若い雌の鮎が雄の鮎を待ちかねていますよ」 と
  彼女たちは積極的に男たちに誘いかけています

勿論、男たちも拒む気持ちはありません。

  「さぁさぁ喜んで釣り上げられましょう」  』

清流のほとりで、そんな想像をしながら、しばし俗世を離れて
幻想の世界に遊んだ旅人です。

  「 鮎釣るや 奔流に岩さかのぼる 」      秋元不死男

鮎の塩焼きによく合うのは「たで酢」。
「蓼」は青タデという柳のような葉をもつ草で、これをすり鉢ですって
酢に加えますが、古代の人も同じような味わい方をしていたことが
次の歌から窺われます。

「 わが宿の 穂蓼古幹(ほたで ふるから) 摘み生(おほ)し
     実になるまでに 君をし待たむ 」 
                            巻11-2759 作者未詳

( 我家の庭の穂蓼の古い茎、その実を摘んで蒔いて育てる。
 そしてまた実が結ぶようになるまで、私はずっとあなたを待ち続けます。)

男は旅に出るのでしょうか。
結婚出来るまでいつまでも待ち続けると願う純情な乙女です。

穂蓼古幹(ほたでふるから): 穂の出た蓼(たで)の古い茎
                   蓼は水辺に自生する1年生草本。
                   秋に穂を出す。
                    葉に辛味があり摘み取って食用とした

以下は「食の万葉集」からです。(廣野卓著 中公新書)

『 現在は蓼の若芽を刺身にそえたり、蓼酢が鮎の塩焼きに不可欠な
  香味料になっているがこの歌では秋になって実を摘んでいる。
  実は香味料になり、根は漢方薬として利用されている。
  「延喜大膳式」によるとタデを4月から9月まで採集すると定めて、
  その計算単位を「把」とするので、実だけではなく
  葉も利用していたようである。』

藤原宮跡や平城京跡から発掘された木簡から「年魚」「鮎」「醤(脾塩:ひしほ)鮎」
「酢年魚」「煮干鮎」などの記述が見え、また、各地の風土記にも
(鮎)「有昧(うま)し」とあり、鮎は様々な料理にされて万葉人の舌を
満足させていたようです。

また、鮎の内臓の塩辛「あゆのうるか」も古来から好まれていたらしく、
木簡にみえる「醤鮎(ひしおあゆ)」もその一種だったかもしれません。

  「 又やたぐひ 長良(ながら)の川の 鮎なます 」 芭蕉 (笈日記)

ある一夜、招かれて長良川名物の鵜飼を初めて見物したときの句。

金華山の木陰に席が設けられていて鵜飼で獲れた鮎を鱠(なます:刺身)にして
出され、「それは それは他に比べようもないほど美味しかった」と
感嘆している作者。

「長良」に「たぐひ なから(長良)ん」つまり、「たぐひなからん美味」と
地名の「長良(なから)」を掛けた即興句です。

「 めづらしや しづく なほある 串の鮎 」    飯田蛇笏

以下は池波正太郎氏の一文から

『 魚の塩焼きといえば、何といっても鮎だろう。(中略)
  魚を食べるのが下手な私だが、気心の知れた相手との食膳ならば、
  鮎を両手に取ってむしゃむしゃとかぶりついてしまう。

  鮎はサケと同類の硬骨魚だそうな。
  清らかな川水に成育するにつれ、水中の石に付着する珪藻(けいそう)や
  藍藻(らんそう:石垢)を餌とするので、それがため、魚肉は一種特別の
  香気を帯びる。

  その香気。
  淡白の味わい。
  たおやかな姿態。
  淡い黄色もふくまれている白い腹の美しさを見ていて
  「 あぁ、処女を抱きたくなった、、、」
  突如けしからぬことを叫んだ男が、私の友だちの中にいる。

  いまは鮪でさえも養殖しょうという世の中になってしまったけれども
  鮎だけは「夏来る」の詩情を保ちつづけている。  』

                   (味と映画の歳時記 新潮文庫から)

   「 鮎の香や 膳の上なる 千曲川 」   松根東洋城 

                   千曲川を他の川名に置き換えても通用する一句。


           万葉集635 (香魚:あゆ)  完


            次回の更新は6月9日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-06-01 16:26 | 動物

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