2017年 07月 20日
万葉集その六百四十二 (祭と市)
( 立佞武多 津軽 )
( 古代庶民の祭 歌垣 奈良万葉文化館 )
( 古代の市 陶器、焼き物 同上 )
( 野菜売り 同上 )
万葉集その六百四十二 (祭と市)
夏から秋にかけて全国各地は祭や市の季節到来です。
賀茂、祇園、ねぶた、立佞武多、飛騨高山、花笠、仙台七夕、郡上おどり、風の盆、
朝顔市、ほおずき市、風鈴市、草市等々、数え上げればきりがありません。
夏祭がこの時期に多いのは災害や疫病が多く発生し、それを祓おうとする
ところから起きたとされていますが、神輿や山車、祭り太鼓といった賑やかで
勇壮なものが多く、想像するだけでも浮き立つような気分になってまいります。
「祭る」は「祀る」「奉る」とも書かれるように神を崇め安置して
儀式を行うことをいいますが、中西進氏はその語源について非常に
ユニークな見解をされているので一部引用させて戴きます。
『 神は人間にとって怖く恐ろしい存在ですが、それゆえにその畏怖すべき
力を借りたい場合もあります。
その時に出てきてもらわなければならない。
一所懸命に笛を吹いたり、囃したりして、さぁ来てください、
さぁ来てくださいといって、神を待つ。
つまり「まつる」とはそういうふうに神を待つ「まつ」に「る」が付いた言葉で、
「まつり」とは「まつる」の名詞形です。
(中略)
神様は、それぞれに支配のおよぶ範囲が決まっていて、その圏内を
ほうぼう旅して回ります。
祭礼の時、社を出た神輿が仮に鎮座する場所を御旅所(おたびしょ)といいますが、
これは神様が立ち寄るところであると同時に、そのテリトリーを示すものでも
あります。
神様は「おまつり」されることで、そこへ降りて人々に恩恵を与えるのです。 』
( 「 日本語のふしぎ 」 小学館所収 )
なるほど、なるほど、お祭りとは神様が来ていただけるように、踊りや
神楽で囃しながらお迎えする、天の岩戸の天照大神以来の伝統であったのだ。
古代の人達にとって神とは太陽や月、海山や川、風や雷など
命の糧や安全にかかわる自然神や各地の地霊神でした。
人々は身近なところにある山々や海川の近くに社を作って祀り、
旅する人は自国と他国の境界を異境と感じ、その地の社や道祖神に
幣を手向けて道中の安全を祈ったのです。
幣とは白い布や紙を榊などの神木の枝に付けたもので、今でも
その名残をとどめています。
「 国々の 社の神に幣(ぬさ)奉(まつ)り
あがこひすなむ 妹が愛(かな)しさ 」
巻20-4391 結城郡 忍海部五百麻呂( おしぬみべのいほまろ)
( あちらこちらの社の神様に幣を祀って無事を
祈ってくれているだろうあの子。
おれに恋焦がれて、なんともいじらしいことよ。)
作者は結城国(茨城)出身の防人。
故郷を離れ集合地の難波に向かう途中で詠ったものです。
徒歩、野宿の長い長い旅。
山々を越えながら思い出すのは可愛い妻。
泣く泣く別れたあの日の朝。
「今ごろは、あちらこちらの社で旅の安全を祈ってくれているだろう。」と、
故郷の方角を振り返り、振り返りしながら歩いてゆく若者です。
万葉時代の祭は、新年の宴、若菜摘、曲水の宴、花見、端午の節句、
薬狩り、七夕、初穂の祭り(新嘗祭)、紅葉狩など宮廷行事に多く見られ、
次の歌は新嘗祭の寿ぎ歌です。
「 天地と 久しきまでに 万代(よろづよ)に
仕へ奉らむ 黒酒(くろき)白酒(しろき)を 」
巻19-4275 文室智努真人( ふみやの ちのの まひと)
( 天地と共に遠い遠い先々まで、万代にわたってお仕えいたしましょう。
このめでたい黒酒や白酒を奉げて。)
752年11月25日 孝謙女帝のもとで新穀を神に供える儀式、新嘗祭が
催されたのちの宴でのもの。
新米で作られた酒は、クサギという木の灰を加えたものが黒酒、
加えないものを白酒といい(延喜式)、新嘗の酒を捧げ、治世の長久を賀した一首です。
「 雑踏の 中に草市 立つらしき 」 高濱虚子
草市: 盆の時期に供え物の蓮の葉などの植物や食物、用具を売る市
市の歴史は古く西暦280年頃に立った軽の市(奈良県橿原市)が
我が国最古のものとされています。
当時の市は露天であったので、木陰を確保するために色々な樹木を植え、
海石榴市(つばいち:椿)、桑市(桑)、餌香市(えがいち:橘)、軽市(槻:けやき)
などと呼ばれました。
平城京の時代になると物資の交換の場として東西の官営市が設けられましたが、
掘割などの水運をともなう大規模なもので、東市は51店舗、西市は33店舗あり、
取扱い品は各地から運ばれた衣食住に関連するもののほか武器なども扱っていたとか。
朝廷が官営の市を運営したのは、全国各地から税として納められる物産や
現物支給の役人の給与を金銭や必要な物資に交換するためです。
一方、海石榴市、軽の市、阿倍の市(駿河)など市井のものは自由な雰囲気で、
時には歌垣なども行われており、男女の出会いの場となっていました。
「 紫は灰さすものぞ 海石榴市(つばいち)の
八十(やそ)の衢(ちまた)に 逢える子や誰(た)れ 」
巻12-3101 作者未詳
( 紫染めには椿の灰を加えるものです。
海石榴市の分かれ道で出会ったお嬢さん!
あなたは何処のどなたですか?
お名前を教えてくれませんか?)
八十の衢:諸方へ四通八達に道が分かれる要衢の辻
紫染めの触媒に椿の灰汁(あく)を使います。
この歌では紫を女性、椿の灰を男性の意を含めて、“混わる”すなわち結婚の
誘いかけをしています。
当時は女性の親だけが知っている「本名」と「通り名」があり本名を男に告げることは
求婚の承諾につながりました。
さて女性はどのように返事をしたのでしょうか?
「 たらちねの 母が呼ぶ名を申(まお)さめど
道行く人を 誰(た)れと知りてか 」
巻12-3102 作者未詳
( 母が呼ぶ名前を申さないわけではありませんが、でもどこのどなたか分らない
行きずりの方にそう簡単にお教えすることなど出来るものでしょうか?)
海石榴市は歌垣が行われるところとしても有名で、性の解放も行われていました。
男にとってラブハントは当然の事と声をかけたところ
女性は「教えないわけではないが」と思わせぶりに気を引いておいて、
やんわりと断ったのです。
なかなかしっかりした女性ですなぁ。
「 西の市に ただ一人出(い)でて 目並べず
買ひてし絹の 商(あき)じこりかも 」
巻7-1264 作者未詳
( 西の市にただ一人出かけ、自分の目だけで判断して買ってきた絹は
とんでもない品だったよ。
あぁ安物買いの銭失いだ。)
官営市は厳格な管理がなされていましたが、それでも盗品や偽物を持ち込む
怪しからぬ輩もいたらしく、騙されて悔しがっている男です。
(目並べず) 自分だけの判断で他のものと比較もせず
(商じこり) 商いの仕損じ
「 朝顔の 模様の法被(はっぴ) 市の者」 高濱年尾
朝顔は奈良時代に中国から渡来して、「牽牛花(けんぎゅうか)」とよばれ、
七夕伝説の彦星に擬されていました。
それに因んだのは東京入谷の鬼子母神で開かれる朝顔まつり。(7月6,7,8日)
早朝5時から色とりどりの朝顔が売られ、浴衣姿の人々で賑わいます。
「 みくじ手に 鬼灯市(ほおずきいち)を 覗きけり 」 阿久津 渓音子
こちらは、ほぼ同じ日に浅草寺の縁日に立つ酸漿(鬼灯)市(ほおずきいち)
この日にお参りすると1日で4万6千日分のご利益があるといいます。
どちらもお江戸の伝統の市。
万葉時代から続く市は形を変え、いまだに健在です。
「 鬼灯市 夕風のたつ ところかな 」 岸田 稚魚
暑かった一日にも夕風が吹きわたってきた。
店先に吊るされた風鈴の涼しげな響きの心地よさ。
万葉集641(祭と市)完
次回の更新は 7月28日(金)の予定です。
by uqrx74fd | 2017-07-20 17:07 | 生活