2017年 07月 26日
万葉集その六百四十三 (蝉時雨)
( ヒグラシ 雌 )
万葉集その六百四十三 (蝉時雨)
夏の晴れたある日。
林の中から蝉の声。
「ジジジジジジ」と「あぶらぜみ」。
ところどころで鳴いてはすぐ止み、
しばらく経つと、またどこかで鳴きはじめる。
「カナカナカナ」(ひぐらし)、
「ミーンミンミンミンミー」(みんみんぜみ)
耳を澄ましていると、やがて大合唱。
「ツクツクボーシ」(つくつくぼうし)、
「センセンセン」(くまぜみ)、
「チ- - ジ- -」(にいにいぜみ)
色々な声が混ざり合った合唱団が奏でる美しいハーモニ-。
やがて、ぴたりと鳴き止み、まわりは元の静寂に。
このような状態を「蝉しぐれ」というのでしょう。
「 深山木(みやまき)に 雲行く蝉の 奏(しら)べかな 」 飯田蛇笏
万葉集に見える蝉は10首。
そのうち蜩(ヒグラシ)が9首もありますが、「カナカナカナ」と鳴くものか、
他の蝉かの明確な区別は不明です。
「 石(いは)走る 滝もとどろに 鳴く蝉の
声をし聞けば 都し思ほゆ 」
巻15-3617 大石蓑麻呂(おほいしの みのまろ)
( 岩に激流する滝の轟くような声で鳴きしきる蝉。
その蝉の声を聞くと、しきりに都が思い出されてならないよ。)
新羅に派遣された一行が安芸の国、長門の磯辺で停泊したときの1首。
長門の島は広島県呉市南、倉橋島。
滝をなす清流のほとりで遊宴をした折のものですが、
蝉の声を轟々と鳴る滝音に譬える天真爛漫な万葉人。
久しぶりに上陸して蝉の声を聞き、よほど嬉しかったのでしょう。
都の家の近くでも蝉が盛んに鳴いていたさまを思い出し、
しみじみと望郷にふける作者です。
「 恋繁(こひしげ)み 慰めかねて ひぐらしの
鳴く島影に 廬(いほ)りするかも 」
巻15-3620 作者未詳
( 妻恋しさに気を晴らしようもないまま ひぐらしの鳴くこの島陰で
仮の宿りをしていることよ。)
静かな島のしじまを破るように蜩の声が響いてくる。
「カナカナカナ カナカナカナ」。
身に染みるような涼やかな声。
「あの子は今頃どうしているだろうか」
我が恋の苦しみはますます深く、胸が張り裂けんばかり。
この歌も遣新羅使が長門で詠ったものです。
「 黙(もだ)もあらむ 時も鳴かなむ ひぐらしの
物思(ものも)ふ時に 鳴きつつもとな 」
巻10-1964 作者未詳
( 気持ちがゆったりしている時に鳴いて欲しいのに、
こんなに物思いしている時に、むやみやたらと鳴きたてる蜩よ。)
物思う時は女が男を今か今かと待つ夕暮れ。
「黙もあらぬむ時」は 「何もしなくてよい平静な時」
「鳴きつつもとな」の「もとな」は いたづらに
「 普段なら蜩も趣があるのに、心がせいている時はうるさいなぁ。」
「ひぐらしは 時と鳴けども 片恋に
たわや女(め) 我(あ)れは 時わかず泣く 」
巻10-1982 作者未詳
( 蜩は夜明けや日暮れに時を決めて鳴きます。
でも私は片思いのため一日中鳴いているのです )
今か今かと待ち続けているのに、あの人は来ない。
今夜も来る当てはないのでしょう。
毎日泣き続けてきた女のある日の夕方の感慨。
しんみりとした可愛い女性の歌です。
「たわやめ」は「弾力がありしなやかな」という意味の「撓(たわ)む」に
「め」(女)がついたものとされ、漢字では「手弱女」という「当て字」で
書かれることが多いので何となく「弱々しい、なよなよとした女」と
いう印象があります。
然しながら、万葉集では「祭祀と執り行う女性」、「芯が強い大和撫子」
さらに、原文表記「幼婦」を「たわやめ」と訓ませて「おさな妻」を
連想させるなど多様な使われ方をしている言葉です。
「 順番を わきまへて鳴く 山の蝉 」 福田甲子雄
蜩はその涼しげな声から秋の季語とされていますが、
実際には6月下旬からニイニイゼミと共に鳴きだし、アブラゼミ、
ミンミンゼミ、と続き、ツクツクボウシの「秋告げゼミ」で終わります。
小学生の猪瀬真作君は
「 宿題を いそげいそげと ほうしぜみ 」
という秀作句を詠み、( 倉嶋 厚氏紹介)
蝉のメスは鳴かないので、ギリシャの詩人、クセナルクスは
「 セミは幸福だった。
沈黙の妻を持つから 」
と云ったそうな。
万葉集643(蝉時雨)完
次回の更新は8月4日(金)の予定です。
by uqrx74fd | 2017-07-26 15:24 | 動物