万葉集その六百四十四 ( 海 )

( 江の島 )
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( 三浦海岸 )
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( 安房鴨川 )
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( 小豆島 )
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( 二十四の瞳の教室から   小豆島 )
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( 懐かしの映画 二十四の瞳 )
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( 天橋立 )
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(  海王丸 )
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万葉集その六百四十四 (海)

夏本番、海山の季節です。
人々は涼を求めて海水浴や山登りに繰り出しますが、残念ながら
大和は美しき群山(むらやま)あれど、海には縁なき国。
ところが驚くなかれ、万葉人は海の歌を300首以上も詠っているのです。

一体、彼らはどこで詠ったのか?
天皇がたびたび行幸された伊勢、遣唐使が立ち寄った対馬、難波宮近くの住吉、
防人の航路である瀬戸内海から九州、それに能登や若狭等々。
行幸や防人、遣唐使、遣新羅使などは一度に多くの人が海路を利用するので
必然的に歌も多くなりますが、官人の公用も多かったのでしょう。

人々は全国いたるところで海を見て感動し、海人の姿を楽しみ、潮騒を聞き
時には恐れおののきながら旅を続けていたのです。

「大海に 島もあらなくに 海原(うなはら)の
     たゆたふ波に 立てる白雲 」 
                          巻7-1089  伊勢の従駕(おほみとも)

( ここ大海原には島影一つないのに、海上のたゆたう波の上に
 白雲が立ちわたっている。
 なんという美しい光景だろう。)

作者は天皇の行幸にお供し、生まれて初めて海を見たようです。
今まで雲は山の上にしか立たないと信じていた。
ところが水平線の彼方に雲がむくむくわきあがっている。
エェーッ! 島もないのに雲が! 

自然の神秘に驚嘆しながらも船上で少し心細さも感じている。
子どものような素直さが微笑ましい秀歌です。

「 大海(おほうみ)の 水底(みなそこ)響(とよ)み 立つ波の
      寄せむと思へる 磯のさやけさ 」
                           巻7-1201 作者未詳

( 大海原の水底までとどろかせながら立つ波。
 磯に打ち寄せようとしているさまの、なんと清々しいことか 。)

寄せる波が岩にあたって砕け散る。
海鳴りがごうごうと響き渡り、また波が引いてゆく。
波濤や真砂の白さが目に染みる。
あぁ、なんと清々しいことよ。

「 黒牛の海 紅にほふ ももしきの
        大宮人し あさりすらしも 」 
                    巻7-1218 藤原卿

( 黒牛の海が紅に照り映えている。
     大宮に仕える女官たちが、浜辺で漁り(すなどり)しているらしいなぁ。)

作者は藤原一族の高官。(不比等か:伊藤博)
701年持統太政天皇、文武天皇紀伊行幸の折の歌。
黒牛の海は和歌県海南市黒江、黒と赤の対比に興趣を感じた一首です。

都から大勢の美しい女官がお供してきたのでしょう。
自由な時間を与えられて、磯で貝などを漁りながら楽しい時間を過ごしている。

波がおし寄せて来ると大きな声をあげて飛び跳ね、
赤い裳裾(もすそ:スカートのようなもの)の割れ目から、
白い素足が見え、男の官能をくすぐる。
作者が目を細めて眺めている光景が浮かんでくるようです。

「 伊勢の海の 磯もとどろに 寄する波
     畏(かしこ)き人に  恋ひわたるかも 」
                        巻4-600  笠 郎女

( 伊勢の海の磯をとどろかせて打ち寄せる波。
 その波のように畏れ多い方に、私は恋い続けているのです。)

作者は大伴家持に一方的に恋をして、24通の恋文を送りました。
家格が高い相手では成就の見込みがないと思っていたのか「畏き人」と詠っています。
家持の反応は全くなし。
一方的な片恋に終わりましたが、その情熱的な恋歌は私たちを引き付けて
やみません。

「 静けくも 岸には波は 寄せけるか
        これの屋(や)通し 聞きつつ居れば 」 
                         巻7-1237 作者未詳

( この旅寝の襖(ふすま)越しに耳を澄ませて聞いていると、
    潮騒が聞こえてくる。
    今夜の波は、なんと静かにうちよせているのだろう。)

持統天皇伊勢行幸の折、お供した人の作。
賑やかな宴会が終わり、部屋でくつろいでいると、波音が聞こえてくる。
あぁ、今宵は静かだなぁ。
昼間はあんなに大きな音が鳴り響いていたのに。

それにしても都に残してきた妻は今頃どうしていることだろう。

大和から伊勢までは近いといっても徒歩の長旅。
そろそろ郷愁を感じはじめた作者です。

    「 古(いにしえ)の 海を渡りし 名僧の
               肩に止りて 行きし蝶あり 」   石田 比呂志

以下は長谷川櫂氏の解説です。

 「 空海も最澄も中国に留学して仏教を学んだ。
   1200年前のことである。
   その人の肩にとまって1羽の蝶が海を渡っていったという。
   何と軽やかな空想だろうか。
   蝶は未知の国への憧れのようでもあり、その人の英知の輝きの
   ようでもある。」

                    ( 四季のうた―詩歌のくに 中公新書より)


              万葉集644(海)完


        次回の更新は8月11日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-08-03 16:28 | 自然

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