カテゴリ:自然( 89 )

万葉集その六百十八 (三日月)

( 月齢1.8日の三日月   学友M.I さん提供 )
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(  少し太った?三日月と星     )
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( 夕焼けと月 )
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( 若草山焼きと朧月  奈良 )
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( 月の船  上田勝也画伯  奈良万葉文化館収蔵 )
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( 月の船   藤代清二展で  )
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天空の太陽、月、地球が一直線に並んだ時を「朔(さく:新月)」といい、
太陽光を反射して光る月面は地球から見えなくなります。

それから3日後、夕方太陽が沈んだ直後、西の空に月の西部分だけが
細く輝いて現れ、古代の人達はそれを「三日月」、「初月」、あるいは
美女の描く細い眉への連想から「眉月」とよびました。

朔(さく)から7日目は上弦の月、15日目は望月(満月)、23日目、下弦の月、
そして30日目に再び朔。
その公転周期は平均して29日12時間44分2,9秒とされています。

夜ごとに満ち欠けしながら形を変え、それを周期的に繰り返す月は、
人間に時を測る術を教えて大陰暦が生まれ、農耕の時節を教える重要な指針として
人々の生活に不可欠なものとなったのです。

月は太陽と共に重要な神とされ、日本神話では太陽神、天照大神の弟であり、
月読命(つくよみのみこと)とよばれています。

万葉集で登場する月は141首。
そのうち三日月は8首、それ以外に白真弓、月の船、月人壮士(おとこ)と
表現されているものもあります。

「 山の端(は)を 追ふ三日月の はつはつに
   妹をぞ見つる 恋しきまでに 」 
                      巻11-2461  作者未詳

( 山の端に向かって今にも隠れようとしている三日月のように、
     ほんのちらっとだけあの子を見ただけなのに、
     こんなに恋しくなってしまうとはなぁ。)

  「はつはつに」 : ほんのわずかに



「 三日月の さやにも見えず 雲隠(がく)り
   見まくぞ欲しき うたて このころ 」 
                        巻11-2464  作者未詳

( 三日月がはっきりと見えないままに 隠れてしまうように
あの子の姿を心ゆくまで見ることが出来ないので、逢いたくてたまらない。
この頃、妙に胸がうずいて。 )

「うたて」: なんだか不思議に

「 天の原 振り放(さ)け見れば 白真弓
        張りて懸けたり 夜道はよけむ 」 
                   巻3-289 間人宿 大浦(はしひとの すくね おほうら)

( 天つ空を遠く振り仰いで見ると、引き絞った白真弓のような月がかかっている。
 この分だと夜道はさぞ歩きやすいであろう )

題詞に初月(みかづき)の歌とあり、三日月を弓に見立てたもの。

古代人は満ちては欠け、欠けては満ちる月を命の再生の象徴とみなし、
月の光には夜の世界を跋扈する悪魔や悪霊を追い払う呪力があると信じていました。

天空から明るい光を照らしてくれる三日月は危険な夜道を急ぐ人にとって、
弓で魔物を射てくれる頼もしい守護神であったことでしょう。

なお、白真弓は木の皮を削って白くした立派な(真)弓という意味ですが、
真弓=檀(まゆみ)、梓弓、槻(つき=けやき)弓など材料の木を表すこともあります。

「張りて懸けたり 」 : 弓の弦を引いて空に架けて


 「 天(あめ)の海に 雲の波立ち 月の舟
          星の林に 漕ぎ隠るみゆ 」    
                             巻 7-1068 柿本人麻呂歌集

天を海に、雲をその海に立つ波にたとえ、月の船がそこを滑って銀河が輝く
 星の中に漕ぎ隠れて行くさまを詠んだ名歌。

 天土(あめつち)は古代の人たちにとって信仰心の表現や恋心の誓いに
 詠われることが多かったのですが、この歌は純然たる天体の光景に
想像力の翼を広げた叙景歌です。

「 天の海に 月の舟浮け 桂楫(かつらかじ)
                   懸けて漕ぐ見ゆ 月人壮士 」  
                                 巻10-2223 作者未詳

( 天の海に月の船を浮かべ、月の若者が桂で作った楫をとりつけて
  漕いでいるよ。)


「奈良県立万葉文化館」に人麻呂歌集(7-1068)にちなんだ素晴らしい絵が
展示されています。
上田勝也画伯(1944生 東京芸大大学院終了 日展会員)の作品です。

そこには 星が輝く天空の中、雲の間に人間の背丈よりやや大きい
三日月が浮かび、 眼のさめるような貴公子が手に勺を持ち、
ゆったりと月にもたれて座っている。

 上田画伯は

「 この歌に最初に出会った時、すぐ情景が目に浮かび
   イメージがどんどん膨らんでいきました。
   当時の天空へのロマンが1200年余も後の私を現代の感覚と少しも変わらぬ
   時代を超えた新鮮さで幻想の世界へ誘ってくれました。」 

述べられています。

それにしても、万葉人の豊かな想像力、そして美しい世界よ。

      「 三日月に 必ず近き 星一つ 」  素堂

                    星は金星でしょうか。



              万葉集618 (三日月)   完


              次回の更新は2月10日の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-02-02 17:50 | 自然

万葉集その六百十七 ( 落葉道とカワセミ )

( 落葉散り敷く道  国立科学博物館付属自然教育園 2017,1,25 撮影 )
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( 巨大な松   同上 )
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( コナラの林    同上 )
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( ハンの木    同上 )
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( ヤマコウバシの木  葉は枯れても落ちない   同上 )
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(  カワセミ   同上 )
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( オケラ     同上 )
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(  オケラの花  9月24日撮影   同上)
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( エゾアジサイ  まるでドライフラワーのよう  同上 )
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(  アシ、ヒメガマズミ、ススキ  同上 )
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( ヒメガマズミの幾何学模様  同上 )
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( ひょうたん池   秋の紅葉が美しい  同上 )
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( ひょうたん池幻想    同上 )
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本年4回目の植物園ブラ歩き、今回は国立科学博物館付属自然教育園です。
お目当ては分厚い絨毯のような落葉の散歩道とカワセミ。
JR目黒駅から徒歩10分足らず、交通至便、都会のど真ん中。
園の説明書きによると

「 この地は縄文中期に人が住みつき、奈良時代は武蔵国府の管轄、
広大な原野で平安時代にはムラサキの栽培も広範囲に行われていた。
室町時代には豪族が居を構え、江戸時代は増上寺の領地。
1644年徳川光圀の兄 高松藩主、松平讃岐守の下屋敷になり、
明治は陸海軍の火薬庫。
1917年、宮内省帝室林野局の管理となり白金御料地とよばれ、一部朝香邸に。
1949年、天然記念物および史跡に指定され、国立自然教育園として広く
一般に公開されるようになった。 」 そうです。

敷地面積約6万坪、環境保全のため1回300人までに入場制限されているので
ゆったりとした気分で散策できます。
入口から眺めると、松、椎、檪(いちい)、橿等の巨木が鬱蒼と立ち並んでおり、
木々の手前には季節の花々の植え込みもなされています。
奥に水鳥が生息する沼、水生植物が生い茂る湿原地などもあり、
まるで明治時代の武蔵野を歩いているようです。

 太古の時代、海の底にあった武蔵野は悠久の年を経て地上に出現し、
激しい風雨によって山の岩肌が崩れ落ちて砂礫の層を形成していきます。
周囲には盛んに火を噴く日光、浅間、八ヶ岳、富士、箱根などの活火山。
その降灰が関東平野一面を埋め尽くしていきました。

やがて、地型が安定すると、羊歯類などの植物が繁茂して原始林が出現。
谷間からこんこんと湧き出る水は川や池そして沼地を造り、
その周りに色々な動物や人間が集まり住んで、高度な縄文文化が
形づくられていったと推定されています。

然しながら、豊かな原始林は度々の大火で焼失し、奈良、平安時代には
すでに一面見渡す限りの荒野となり、ススキや萱(かや)が生い茂っていたそうです。

奈良時代の武蔵国は、現在の東京都、埼玉県、神奈川県の横浜市、川崎市を含む
広大な地でムザシ(武蔵)とよばれており、万葉集にも登場しています。

「 武蔵野の 草葉もろ向き かもかくも
      君がまにまに 我(あ)は寄りにしを 」 
                           巻14-3377 作者未詳

(  武蔵野の草葉があちら、こちらへと風にまかせて靡くように
  私はあなた様のおっしゃるまま、自分としてはどうかと思われることでさえ
  ただただ、お言葉に従ってまいりましたのに、どうして今になって
  冷たくなさいますの )

心変わりをした男に恨みを込めながらも、自身の変わらぬ思いを込めている女。
一途に愛を捧げている心情をひたむきに詠っています。

「 わが背子を あどかも云はむ 武蔵野の
                  うけらが花の 時なきものを 」
                            巻14-3379 作者未詳

( あぁ、あの人に この私の想いを何といったらよいのか。
 武蔵野のおけらに花時がないのと同じように、
 私も時を定めずいつも想っているのに。)

「あどかも」は東国の方言で「どのように」。

地味ながらも長く咲き続ける「おけらの花」
その花のようにひっそりと男を慕い続けている女。
想いを男に言い表せないもどかしさ。
東国の可憐な女性の秘めたる恋心です。

「うけら」は現在「朮(おけら)」とよばれ、北海道を除く本州、四国、九州の
日当たりのよい山野に自生しているキク科の多年草です。
春に摘まれる若芽は「山で美味いものは、“ウケラ”に“トトキ”(ツリガネニンジン)」といわれているように、
おいしい山菜の代表格とされています。

秋になるとアザミのような白や淡紅色の小さな花を釣鐘型の総苞(そうほう)の上に
咲かせ、枯れてもドライフラワーのように長く残るので花期がはっきりしない植物です。
ウケラはかってムラサキとともに武蔵野を代表する草花でしたが、今はどちらも
幻の花となってしまいました。

   「 はっきりと 翡翠色に 飛びにけり 」    中村草田男

巨木が立ち並ぶエリアを過ぎ、コナラ(小楢)の林へ。
葉はすべて落として冬木立になっていますが、青空にシルエットが映えて美しい。
沼の近くにくると、美しい鳥が飛び過ぎていきました。
カワセミです。
昨年、子雛が生まれ子育てに忙しかったようですが、今はもう大きくなった?
一羽しか見かけないのでよく分かりませんが、美しい羽を輝かせながら
枝から枝へと飛びまわっています。

「 貎鳥(かほとり)の 間なく しば鳴く 春の野の
        草根の繁き 恋もするかも 」 
                       巻10-1898 作者未詳

( 貎鳥がしきりに鳴いている春の野。その野には草がびっしりと深く茂っています。
  私もその草のように深く、そして貌鳥の鳴き声のように絶え間なくあなたを
  恋い慕い続けております)

男性を慕っている女性の歌と思われ、鋭い声でしきりに鳴く貌鳥によせて
恋人への想いを訴えています。

「貎鳥(カホトリ)」は万葉集に登場する鳥の中でも種類を特定するのが極めて
難解なものとされていますが、万葉学者で動物に詳しい、東 光治氏は

『 「貎鳥(カホトリ)」とはその鳴き声によって名付けられたともいわれ、
  恐らく最初はカッコウに対して呼ばれたらしいが、
  後に美しい姿の鳥、即ち、「カヲヨドリ」までもカホドリと呼ぶようになり
  カワセミや雉などもカホドリの仲間入りをした。
  そのため、とうとう何を指したのか不可解な鳥名となった』
  と述べられています。(万葉動物考)

郭公、アオバト、カハカラス、トラツグミ、ヒバリ、フクロウ、キジ、ヨタカオシドリ、
など諸説あり定まっておりませんが、ここでは翡翠説に従いました。

かわせみ(翡翠)はヒスイ、ショウビンともよばれています。
その名の由来はその鳴き声が蝉に似ているところからきているといわれ、
「虫の蝉」と区別して「川の蝉」というわけです。

雄を「翡」、雌は「翠」といい、背中は光沢のあるコバルトブル-、
腹面がオレンジ、嘴は赤(雌)の美しい鳥で別名「空飛ぶ宝石」。

翡翠(ヒスイ)はこの鳥の羽色から名付けられたもので、鉱物の名前を鳥に
あてたのではなかったのです。

「 鶯の けはひ興りて 鳴きにけり 」   中村草田男 

上を見上げるとハンの木の赤茶色が青空に映えて美しい。
突然、ウグイスの鳴き声が聞こえてきました。
竹藪辺りでしょうが姿は見えません。

「 うち靡く 春ともしるく うぐひすは
    植木の木間(こま)を 鳴きわたるらむ 」 
                          巻20-4495 大伴家持

( 草木一面に靡く待ちに待った春がはっきりやってきたと分かるように
 鶯よ、この植木の木の間を鳴きわたっておくれ )

朝廷での賀式で披露しようと用意していたが、何らかの事情で叶わず
そのままにしておいた1首との詞書があります。

「 足音を つつみて落葉 あつく敷く 」  長谷川 素逝

水鳥の沼を過ぎると、落葉の散歩道が約100m続いています。
ふかふかした絨毯を歩いているようで気持ちいい。
道の両側から舞い落ちてきた葉を積るに任せてしつらえた天然もの。
ところどころに木影が落ちて、まだら模様を作り美しい。

 「 大いなる 蒲(がま)の穂わたの 通るなり 」    高野素十

やがて水生植物の群生地。
葦(あし:別名ヨシ)、ガマ、岸辺の枯れススキとともに独特の
風景を形づくっており、まるで日本画の世界。

凍った池に、折れ曲がった葦やガマが重なり、幾何学形のよう。

「 葦辺(あしへ)行く 鴨の羽音(はおと)の 音のみに
    聞きつつもとな 恋ひわたるかも 」 
                        巻12-3090  作者未詳

( 葦のあたりを飛びわたる鴨の羽音のように、噂だけを 
     ただ、いたずらに聞くばかりで私は空しくあの人のことを
     慕い続けております )

彼が私を好いてくれているという噂は一向に聞かない。
こんなに慕っているのに片想いなのか?と嘆く女。

鴨は見かけませんでしたが、シロサギが餌を探しながら歩いていました。

   「 武蔵野の 青笹匂(にほ)ふ 茅の輪かな 」  鎌須礼子

武蔵野が雑木林になったのは江戸時代からだそうです。
農家が薪炭用の材木を植林して10年~20年毎に伐採し、さらにその切り株から出る
新芽を育てて繁茂させました。
樹種は薪炭に適した櫟(くぬぎ)、コナラ、欅、エゴ、などが多く、
整然と一定の間隔を残して植えられたので、明治時代には美しい雑木林になり、
また観賞用に梅、櫻、竹、松などが加えられたと伝えられています。
また道端には美しい花々が咲き乱れており、その光景に魅かれて移り住む人も
多かったそうな。

わが国経済が高度成長期にさしかかると、武蔵野周辺は開発のため見るも
無残な姿になり、御料地や官有地として保護されたものが、かろうじて残りました。
もし、自然教育園も民有地であったなら、白金という一等地だけに、今ごろは
高級邸宅やマンションが林立していたことでしょう。

  「 あらうれし 白金台に 武蔵野あり 」   筆者



          万葉集617 (落葉道とカワセミ) 完


          次回の更新は2月3日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-01-26 20:22 | 自然

万葉集その六百八 (朝露)

( 彼岸花に置かれた露  学友N.F さん提供 )
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( キス ミー ? いやいや サザンカの花びらでした  自宅 )
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( ヤマハゼ  室生寺  奈良 )
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(  南天   自宅 )
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(  柚子   同上 )
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(  薔薇   同上 )
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(  薔薇の露は甘い  棲みついたカエル君  同上 )
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(  露草  山辺の道  奈良 )
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「露」は「梅雨」「汁(つゆ)」などに関係する語で元々は「湿っている」ことに
由来するそうですが、歌の世界では秋の季語とされ様々な使い方がされています。

古歌では朝露、夕露、白露の表現が多く、露の消えやすさに人生のはかなさを譬え、
つのる思いの強さゆえにこぼれる涙を「思いの露」といい、
悲しみのためにあふれる涙は「心の露」、言葉の美しさを「言葉の露」、
情愛のうるおいは「情けの露」、縁のうすいことを「縁(ゆかり)の露」などと
言い慣わし、日本人好みの題材として数えきれないほど詠われています。

万葉集での露は115余首。
その中から早朝、草葉に降り置き、美しく輝く朝露を。

「 朝露に にほひそめたる 秋山に
    しぐれな降りそ ありわたるがね 」
                    巻10-2179 柿本人麻呂歌集

( 朝露に濡れて色づきはじめた秋の山に
      時雨よ降らないでおくれ。
      この見事な風情がいついつまで続くように )

「ありわたるがね」 長く続いて欲しい
「あり」 存続をしめす接頭語的用法 「がね」 希望的推測をしめす終助詞

当時、秋の露は紅葉を促すものと考えられていました。
折角美しく映えているのに、冷たい時雨を降らせて枯らすなと詠う作者です。

次の歌は
「白い露がどのようにして木の葉を様々な色に染め上げるのだろうか」
と戯れています。

「 白露の 色はひとつを いかにして
      秋の木(こ)の葉を ちぢにそむらむ 」
                            ( 藤原敏行 古今和歌集 )

( 白露の色は一色であるのに、どのようにして秋の木の葉を
 千々の色に染めるのだろうか )

「 朝露に 咲きすさびたる 月草の
    日(ひ)くたつなへに  消(け)ぬべく 思ほゆ 」 
                           巻10-2281 作者未詳(既出)

( 朝露をあびて咲き誇る露草が 日が傾くと共に萎むように
 日が暮れてゆくにつれて 私の心もしおれて消え入るばかりです )

咲きすさびたる : すさぶ: ほしいままに咲きほこっている
日くたつなへに :くたつ:最盛期を過ぎる 衰える

男が「今夜行くよ」と云っていたのに夜が更けても来ない。
期待に胸をふくらませていたのに、時間の経過と共に萎んでゆく。

月草は露草、朝咲き夕べに萎む儚い運命は露と同じ。

竹久夢二の「宵待草」

「 待てど 暮らせど 来ぬ人を
  宵待草の やるせなさ
  こよひは 月も 出ぬそうな 」   

を思い出させる一首です。

 「 朝露の 消(け)やすき我(あ)が身 老いぬとも
     またをちかへり  君をし待たむ 」 
                            巻11-2689 作者未詳

( 朝露のように今にも消え入りそうなこの身、そんな私の命だけれど
      どんなに老いさらばえようと、また若返ってあなたをお持ちしましょう。)

男から疎まれて振られた女、なにくそ、どんなに老いさらばえようと
必ず彼の気持ちを引き戻してみせると自ら励ましているような歌。
男にとって有りがた迷惑な話?

「 かにかくに 物は思はじ 朝露の
     我(あ)が身ひとつは 君がまにまに 」
                       巻11-2691 作者未詳

( あれやこれやと もう思い悩んだりいたしません。
  朝露のようなはかないこの身のすべては、あなたのお心のまま 。)

さまざまに悩んだ末、決心した女。
もうどうにでもして!
とは云ったものの相手の反応は鈍い?

「 かく恋ひむ ものと知りせば 夕(ゆふへ)置きて
    朝(あした)は消(け)ぬる 露にならましを 」 
                         巻12-3038 作者未詳

( これほど恋焦がれるものと知っていたら、いっそのこと
  夕方に置いて朝方に消えてしまう露であればよかった )

こんなに苦しむのであればいっそのこと露のように
消えてしまった方がましだ。
命を懸けた本気の恋とは楽しく、そして苦しいもの。
それでも諦めない万葉人。

露は晴天の風のない夜、急速に地面が冷えると多くなるそうです。
月の光を浴びながらキラキラ光る玉は正に月の雫。
日本語って美しいですね。

余談ながら「露払い」の由来を。
「露払い」とは「先触れや先導すること」をいいますが、
元々は宮中で蹴鞠(けまり)の会がある時、競技者が出る前に、道具を管理する者が
まず蹴って鞠(まり)にかかっている露を払い落したことに由来するそうです。

室町時代になると、遊芸など最初に演ずることに使われ、
さらに相撲で横綱土俵入りの前駆を勤める力士をいうようになったのは
御承知の通り。
相撲の露払いの起源は古代の蹴鞠にありです。

   「 朝露の ふるればこぼる 楽しさに 」    稲畑汀子




                万葉集608 (朝露)   完

               次回の更新は12月2日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-11-24 19:40 | 自然

万葉集その六百七 (十月時雨)

( 時雨のあと ドウダンツツジが美しい 依水園  後方東大寺南大門  奈良 )
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(  奈良公園 南大門の近くで )
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( 吉城園   奈良 )
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( 室生寺で   奈良 )
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( 長谷寺   奈良 )
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(  晴れた日の二月堂   奈良 )
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(  正倉院 この辺りは銀杏が多い 奈良 )
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(  大仏池  紅葉が池に映える  奈良 )
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(  浄瑠璃寺  京都 )
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( 大神神社の酒祭り(11月14日)の準備 杉玉は200㎏とか  月刊なららより )
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(  酒屋向けの「三輪明神 しるしの杉玉 」  大神神社で  奈良 )
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「時雨」。
秋の終わりから冬にかけて、日が射しているにもかかわらず突然雨が
パラパラと降り出して直ぐ止む。
あるいは山から山へと移り降ってゆく。

これは、西北の季節風が山に当たって吹き上がり、冷却して雲となって
雨を降らせるために生ずる現象だそうですが、特に京都のような地形で
多くみられるようです。

現在は冬の季語とされていますが、万葉人にはそのような認識はなく、
「九月(ながつき)の時雨」は黄葉を促すもの、
「十月(かむなづき)の時雨」は木々の落葉を早めるものと感じていました。
( 陰暦の9~10月は現行太陽暦の10~11月 )

「 九月(ながつき)の しぐれの雨に 濡れ通り
        春日の山は 色づきにけり 」 
                       巻10-2180 作者未詳

( 長月の時雨の雨に濡れ通って、春日の山はすっかり色づいてきた )

「濡れ通り」とは時雨が木々を隅々まで濡れ徹(とお)らせての意。

「 調子が一気に徹(とお)り、うるおい、響きがある。
現代語訳に置き換える無力さを感じさせ、
繰り返し吟唱するにしくはない」(伊藤博) と評価されている秀歌です。

「 十月(かむなづき)  しぐれにあへる 黄葉(もみちば)の
             吹かば散りなむ  風のまにまに 」 
                             巻8-1590 大伴池主

( 十月の時雨に出会って色づいたもみじ、これと同じ山のもみじは
  風が吹いたら吹かれるままに、散ってしまうことでしょう。)


738年 橘奈良麻呂(左大臣諸兄の子)邸宅での宴歌で
日頃親しくしていた人々11人集まり黄葉を詠ったもの。
全山、赤、黄色に染まった美しい彩りを愛でながら盃を傾けています。

旧交を温め、会話も弾んでいる最中(さなか)、突然、一陣の風にあおられて
木々の葉が舞う。
パラパラと軽く降る雨。
濡れた黄葉は一段と色鮮やかです。
そして、何事もなかったように再び晴れ間が。

そのような情景を思い浮かべさせる一首、作者は大伴家持の歌友です。

「 十月(かむなづき) しぐれの常か わが背子が
         やどの黄葉(もみちば)  散りぬべく見ゆ 」
                             巻19-4259 大伴家持

( 十月:かむなづき、この時雨の雨の習いなのか あなた様の庭のもみじは
  一段と美しく色づいて、今にも散りそうに見えます。
  いつまでもそのままでありたいものですね。)

751年 紀 飯麻呂(きの いひまろ)宅の宴での歌。
「我が背子」は主人、紀麻呂を親しみをこめて呼んだもの。

庭の紅葉の見事さを讃え、一家の繁栄を寿いだ一首。
あえて散りそうな黄葉を詠うことにより、今の盛りを大切に
楽しもうという心を含めたようです。

作者は恭仁京から奈良に戻り、少納言に昇進したばかり。
意気軒昂の時期です。

次の二首は問答とされ男女の掛け合いです。


「 十月(かむなづき) しぐれの雨に 濡れつつか
          君が行くらむ 宿か借(か)るらむ 」 
                          巻12-3213 作者未詳(女)

( もう十月、あの方は今頃冷たいしぐれの雨に濡れながら旅を続けて
 おられるのでしょうか、それとも、どこかで宿を借りておられるのでしょうか。)

初冬の雨に旅先の夫を案じる妻

「 十月(かみなづき) 雨間(あまま)も置かず 降りにせば
          いづれの里の 宿か借らまし 」 
                     巻12-3214 作者未詳(男)

( この寒い十月というのに 晴れ間もなしに 雨が降り続いたら
  一体どこの村里の宿を借りたらよいのであろうか。 )

泊めてくれそうな心当たりもない異郷の広野を旅してゆく不安。
時雨は雨間があるのが普通なのに、ひっきりなしに降る。
これから先、どうすればよいのか、心細くなる男。

十月(かみなづき)は現在「神無月:かんなづき」と書かれますが、
日本中の神々が出雲大社に集まり不在になるとの言い伝えによります。
ただし、出雲だけは神様がおられるので「神有月」と呼ぶそうな。

尤も語源は諸説あり、雷が無くなるので「雷無月(かみなし月)」、
あるいは、新酒が出来るので「醸成月:かもなしつき」が訛ったとも。
後者は、酒好きな人が命名したのでしょう。

   「 あらうれし 杉玉緑 三輪の里 」    筆者

   酒の神様、大神神社の杉の葉で作られた杉玉は新酒入荷の合図。
   全国の酒屋、飲み屋の軒先に掛けられます。
   本殿に飾られる杉玉は200㎏の重さだとか。

         万葉集697 (十月時雨 )完

      次回の更新は11月25日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-11-19 17:27 | 自然

万葉集その六百五 (雲によせて)

( 夏と秋が行き交うころ )
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( 流れる )
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( ツバメ ? )
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( 大鵬 上の部分はE.T? )
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( 結ぶ )
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( 怪鳥 )
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( 夕焼け雲 )
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( いわし雲 )
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( 巻向山 弓月が嶽 手前は井沢池  山辺の道  奈良 )
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「 庭にたちいで ただひとり
  秋海棠の 花を分け
  空ながむれば 行く雲の
  更に秘密を 開くかな 」    
              ( 島崎藤村 雲のゆくへ) より

コバルトブル-の秋の空。
その中に浮かぶ雲は、風に流されながら様々な形に変え、
あっという間に移動してゆきます。

人の顔、動物、乗り物、怪獣、等々。
古代の人々はそのような雲を眺めながら、そこに霊魂が宿っていると信じ、
朝に夕に雲を見ながら、思う人を偲ぶよすがとしたのです。

さぁさぁ、早速、万葉人の秘密を開いてみましょう。

「 朽網山(くたみやま) 夕居る雲の 薄れゆかば
    我(あ)れは恋ひなむ  君が目を欲(ほ)り 」 
                           巻11-2674 作者未詳

( 朽網山に夕方かかっている雲が薄れて見えなくなったら
 私はひたすら恋しくなるでしょうね。
 あの方のお顔が見たくなって。 )

愛しい人は朽網山を越えて遠くに旅立っていったのでしょうか。
夕居る雲は山にかかった雲がしばらく動かない状態をいいます。
暮れゆく空、あなたと思って眺めていた雲もやがて消えてしまう。
また明日までお別れね。
毎日、毎日旅の安全を祈る心優しい女性です。

朽網山(くたみやま)は 大分県竹田市の久住山(1787m)。

「 君が着る 御笠の山に 居る雲の
    立てば継がるる 恋をするかも 」
                 巻11-2675  作者未詳

( あの方がかぶる笠、その御笠の山にかかる雲がまた湧き出るように
     あとからあとから燃え立つ切ない恋をしています )

「立てば継がるる」は雲がむくむく湧き上がるように次から次へとの意。

愛する人への思いが込み上がり、抑えようもないこの気持ち。
春日山前方の御蓋山(奈良)を毎日眺めながら、愛する人の面影を
目に浮かべている可憐な乙女です。

「 ひさかたの 天飛ぶ雲に ありてしか
                  君を相見む おつる日なしに 」 
                           巻11-2676 作者未詳

( 天空を飛び通う雲になりたい!
 そうしたら思うままにあの方に逢える。
 1日たりとも欠ける日なしに。)

私は雲になりたい。
何とロマンティックな女性なのでしょう。
まだ男を知らない純情な夢見る女性でしょうか。

「おつる日なし」は「欠ける日なし」つまり「毎日逢える」

「 夕されば み山を去らぬ 布雲(にのくも)の
    あぜか絶えむと 言ひし子ろばも 」 
                      巻14-3513 作者未詳

( 夕方になると、いつもあのお山について離れない雲
  その途切れない雲のように 
  「何であなたとの仲が絶えたりしましょうか」
  と云っていたあの子は。あぁ。 )

布雲(にのくも):「ぬのくも」の東国訛りで晒し布のように長くて切れ目がない雲
「あなたとの仲が切れるはずがない」と云っていた女性がもういない。
亡くなったのか、遠くの地へ行ってしまったのか、
あるいは、心変わりしたのか?

伊藤博氏は次のように評されています。

「 調べ高く 哀感が深くこもって東歌の中では文学性が高い歌の一つ。
  山をみ山とよび、横に棚引く雲を布雲ととらえたところ、
  東国人の土のにおいも出ている 」( 万葉集釋注7)

最後に雲を詠った万葉屈指の名作を。

「  あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに
     弓月が嶽に 雲立ち渡る 」 
                   巻7-1088 柿本人麻呂歌集(既出)

轟々と響き渡る川音を耳にしながら、山雲が湧き立つさまを
じっと見ている作者。(人麻呂と確信されている)

「 一気呵成、鳴り響く声調の中に山水の緊張関係がさらに深められ
  躍動する自然の力は神秘でさえある。
  弓月の山水はこうして永遠の命を確立した。
  万葉集の中でも、もっともすぐれた歌の一つといってよかろう 」
                            ( 伊藤博 万葉集釋注4)

山の辺の道、檜原神社を下ったところに井寺池があります。
ここから弓月が嶽、三輪山が臨まれ、川端康成氏揮毫の碑、

「 大和は 国のまほろば 
  たたなづく 青かき
  山ごもれる
  大和し うるはし 」 

また、麓の村の入口、小さなせせらぎが流れるところに上記人麻呂の歌碑が
建てられています。
この場所は昔、川幅も大きく鬱蒼とした森に囲まれていたのでしょうか。

目を閉じて川音に耳を澄ませていると、遥か昔の世界に引き込まれて
ゆくようです。

「 高根に登り まなじりを
  きはめて望み 眺むれば
  わがゆくさきの 山河は
  目にもほがらに 見ゆるかな
  みそらを凌ぐ 雲の峯
  砕けて遠く 青に入る 」
                    (島崎藤村 高山に登りて遠く望むの歌)

      きはめて望み : 果てまで見渡して




          万葉集605 (雲によせて) 完

          次回の更新は11月11日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-11-03 19:51 | 自然

万葉集その五百九十七 ( 松籟、爽籟、秋の風 )

( 松わたる風の響き 松籟  皇居東御苑 )
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( 緑鮮やかな松の絵のスカーフ  エルメス製 )
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( ススキの葉擦れの音  爽籟:そうらい  飛鳥 奈良 )
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( 稲穂そよがせる秋風  飛鳥 奈良 )
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( 緑の杉玉は新酒到来の合図  揮毫は東大寺長老 上野道善師 )
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( 酒樽  春日大社 )
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(  京都御所の簾:すだれ )
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( 秋の彩り    三越本店ショーウインドウ )
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( 秋の実り    歌舞伎座地下で )
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『 日本人は古くから常緑の松を称えて「色変えぬ松」(秋の季語)なる言葉を残した。
  また、その松を渡る微細な風の音を「松籟(しょうらい)」とよんで
  大事にしてきた。
  四季折々にその音色を楽しんできたが、ことに秋の松籟は爽やかな風の響きが
  楽しめるところから「爽籟(そうらい)」という秋の季語を生み出した。
  この「籟」なる文字、穴の三つある笛のことで、その笛を吹くことを
  吹籟(すいらい)といった。
  風の吹き通る音を、その吹籟の笛の調べになぞらえた日本人好みの言葉である。』
                                 ( 榎本好宏著 風のなまえ 白水社 より )

風の音に繊細な美意識を見出した万葉人は二人。
市原王と額田王です。
特に市原王は松の梢をわたる風の響きを詠っており、松籟の先駆けと云えましょう。

「 一つ松 幾代か経(へ)ぬる 吹く風の
    音の清きは 年深みかも 」  
                        巻6-1042 市原王(既出) 

( 一本松よ おまえは幾代もの長い歳月を経てきたのだろうなぁ。
  風が爽やかに吹き、こんなにも清らかな音を響かせているのは
  お前が逞しく生き抜いてきたことを寿いでいるようだねぇ)

744年1月、貴族の子弟たちが聖武天皇皇子、安積王の宮近く、
活道岡(いくじがおか;京都) とよばれる丘の上に立つ松の大樹の下で
酒宴を開きました。
冬晴れの暖かい好日。
紺碧の空の下、松の梢に風が渡り莢かな音が響く。
作者は新年を賀し、
「老松にあやかり各々がた末永く長寿であれ」と祈っています。

悠久の時の流れの中での心地よいひととき。
気品と透明感があふれ「王朝時代の松風の美感を先取りした(山本健吉)」、
万葉集唯一、松渡る風の歌です。
なお作者は天智天皇の5代目にあたり、歌の名手、志貴皇子の曾孫。

「 君待つと 我が恋おれば わが屋戸(やど)の
          簾(すだれ)動かし 秋の風吹く 」 
                           巻4-488  額田王(既出)

 額田王が大津宮で天智天皇を想って詠んだ歌。

「 天皇を恋しく思って、その訪れを今か今かと待っている。
  静かに座りながらどんな音も聞き漏らすまいと、じっと耳を澄ます。
  折から一陣の風。
  簾がサラサラと音をたて、風がスゥーと吹き渡っていく。
  一瞬、はっとするが、待ち人来たらず。
  あとは、ただ静寂あるのみ。」

愛人を待つ微妙な女心のゆらぎを風に託した繊細な表現。
流石、額田王、秋の風、爽籟を詠った万葉屈指の名歌です。

大海人皇子(後の天武天皇)との間で一女(十市皇女)をなしたにもかかわらず、
天智天皇の後宮に入った作者は二人の天皇から愛された稀有の女性。
よほどの美貌と知性を兼ね備えた魅力ある佳人だったのでしょう。

「 秋風の ふけども青し 栗のいが 」 芭蕉

残暑まだ厳しい夏の終わり。
早朝に起きて庭に出る。
ひんやりとした涼風が頬をなでて通り過ぎてゆく。
おぉ! 秋が来たぞ! と実感する一瞬です。

「 秋風の 吹きにし日より いつしかと
               我(あ)が待ち恋ひし 君ぞ来ませる 」
                           巻8-1523  山上憶良

( 秋風が吹きはじめた日から いついついらっしゃるかと
 恋焦がれていたあなた。
 とうとう今、お出でになったのですね )

七夕の日、待ちに待った牽牛を迎えた喜びを織姫の立場で詠っています。
旧暦の8月、現在の9月7日頃。
大宰府長官、大伴旅人邸での宴席の余興。
この歌を自身の恋人を迎えた喜びとしても、そのまま通用します。

「 昨日こそ 早苗とりしか いつのまに
    稲葉そよぎて 秋風の吹く 」 
                     よみ人しらず 古今和歌集 

(  ついつい昨日早苗をとって田植えをしたばかりと思っていたのに
  いったい、いつのまにこのように秋風が吹いて
  稲の葉がそよぐようになったのだろう )

時の移り変わりの速さに驚きつつ、秋到来を喜ぶ。
稲の穂のゆらぎに秋を見出した1首。

「 あはれ いかに 草葉の露の こぼるらむ
            秋風立ちぬ  宮城野の原 」    西行

( あぁ、秋風が立ちはじめた。
  あの懐かしい宮城野の原の草葉の露はどれだけこぼれ落ちているだろうか。)

秋風が吹いたと感じると共に、かって訪れた宮城野を
思い出しながらその様を懐かしく瞼に思い浮かべています。
宮城野は萩が群生する広大な野原、仙台東方一帯。

「 秋かぜや 日本(やまと)の国の 稲の穂の
               酒のあじはひ 日にまさり来れ 」   若山牧水

秋は新酒の季節。
酒好きな作者は田園に満ち満ちた稲の香りを
しみじみと味わっているのでしょう。
「 あぁ、日本人に生れてよかった 」 という思いが
「やまとの国の」にこもっているようです。

澄み切った清々しい秋の風は「色なき風」。
芭蕉は
   「石山の 石より白し 秋の風 

と詠みました。
次の句は秋風と鶴の白を重ねたもので、
鶴はタンチョウでしょうか。

 「 吹き起こる 秋風鶴を あゆましむ 」 石田波郷


            万葉集597 (松籟、爽籟、秋の風 ) 完


            次回の更新は 9月16日 の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-09-08 20:18 | 自然

万葉集その五百九十四 (海神:わたつみ)

( わたつみ    ハワイ )
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(  城ケ島  神奈川県三浦半島 )
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(  同上 )
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(  稚内  後方 利尻富士 )
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(  千枚田と能登の海 )
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(  能登の海 )
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(   安房鴨川  )
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(  住吉神社  全国2300余ある住吉神社の総本社 )
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(  同上 本殿  折しも結婚式が行われていた )
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海神という言葉は「わた」「つ」「み」の三つから成るそうです。

新明解語源辞典によると

「わた」: 「渡る」の意で上古における海の彼方は他界と考えた
       あるいは他界、遠処を示す「ヲト(ヲチ)」が「ワタ」に転訛した。
「つ」は助詞、天つ空 山つ神と同様「の」と同じ
「み」は祇(み)で神霊を意味する

とあります。
つまり、海の果ては人間の住む世界ではなく、神がおわすところと
考えられており、次第に海そのものも意味するようになったのです。

万葉集での「海神」は、清音「わたつみ」と訓まれ、
「海の神」「海」両方の使い分けがなされています。


「 潮満たば いかにせむとか 海神(わたつみ)の
      神が手渡る 海人娘子(あまをとめ)ども 」 
                             巻7-1216 作者未詳

( 潮が満ちてきたら、いったいどうするつもりなのか。
 海神の支配する恐ろしい難所を泳いでいる海人の娘子らは )

和歌山市の南部、雑賀野(さいかの)というところから海を見下ろしながら
旅行中の官人が詠ったもの。

穏(おだや)かな海面。
海女達が海に潜って鮑や白玉(真珠)を採っている。
一度潜るとなかなか浮き上がってこない。
このような光景を初めて見る都人は、驚嘆しつつも海が荒れたら
どうするのだろうかと、他所ながら心配しています。

海女は巧みな者で30m以上も潜り、波間に顔を出したとき鋭く息をします。
その音が笛のように聞こえるので磯笛とよばれるそうな。

「 海神の いづれの神を 祈らばか
    行くさも来(く)さも 船の早けむ 」 
                      巻9-1784 作者未詳


( 海を支配する神のどの神様に祈りを捧げたならば
 行きも帰りも、御船がすいすいと海を渡れるのでしょうか )

遣唐使が出発するにあたって贈られた歌ですが、作者、年代不明。
当時の航海は海図も十分でなく、嵐に遭遇する危険も多い命懸けの渡航でした。
遣唐使は出発の際、海の神、住吉神社に祈願するのが当時の習いでしたが
作者はどの神様にお願いしたのでしょうか。

「行くさも来(く)さも」: 行き帰り
「さ」は移動の途中であることを示す接頭語

「 わたつみの 沖の玉藻の 靡き寝む
    早(はや)来ませ君 待たば苦しも 」 
                        巻12-3079 作者未詳

( 大海原の底にくねり靡く玉藻のように
 あなたに寄り添って寝たい。
 あなた、早く来て抱いて!
 これ以上待つのは苦しくって苦しくって。)

ここでの「わたつみ」は「海」の意。
「靡き寝む」は体をくねらせ髪を振り乱して抱き合う様を想像させ官能的。
「女子の歌にしては珍しくあらわだが、緊迫感が正直に出ていてよい」
とは粋な伊藤博氏の評です。(万葉集釋注6)

「 わたつみの わが身越す浪 立ち返り
     海人のすむてふ うらみつるかな 」
              古今和歌集 詠み人知らず

( 大海の波が私の身の丈を越すほどに、打ち寄せてきては返すように
 私も何度も何度も激しくあの方が住んでいるというあたりに
 思いやってお恨みしております。)

平安時代になると「わたつみ」は海の意が多くなり、「わたつうみ」とも
詠われています。

愛する人が訪れなくなった。
目の前の海は大波が立ち、寄せては返す。
恋人の住む方角を眺めながら

「 あなたどうしたの。こんなに私が恋焦がれているのに。
  もし心変わりしたのなら、お恨みいたしますことよ。」
と呟く女。
潮騒の音が聞こえてくるような恋歌です。

立ち返り  寄せては返す波 何度もの意を掛ける
海人    海辺の労働者と自分の男を掛ける
うらみつる  漁師が海を見る(浦見)と恨みを掛ける

「 年は今 立ちかへるらん わだつみの
           波のほの上に  日はいでにけり 」 太田水穂

              波のほ:波の穂  波がしら

         万葉集594 「 海神:わたつみ 」  完

         ご参照   万葉集331 「きけ わだつみのこえ」  

         次回の更新は8月26日です。
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by uqrx74fd | 2016-08-18 15:36 | 自然

万葉集その五百九十 (青雲・白雲)

( 色々な形の雲  畝傍山  後方 金剛葛城山脈  奈良 )
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( 平城京跡  大極殿 )
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(  甘樫の丘から  後方 畝傍山:見る方角により形が変わる)
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( 巻向山  山の辺の道で )
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(  春日野  後方 高円山:たかまどやま )
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(  江の島 )
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(  天狗?)
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(  飛天 )
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( 怪魚 ? )
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( 福笑い )
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「 ひかる青雲 風さえ 薫る 」 
これはある大学の応援歌のイントロですが、青雲ってどんな雲なのでしょうか?
普段何気なく使っている言葉ですが、改めて聞かれるとすぐに答えられません。

さてさてと広辞苑を紐解くと

「青雲」: 「淡青色や淡灰色の雲 一説に、青空を雲に見立てたという」
 
 つまり青雲=青空と解釈する場合もあるようです。
とすると、上記の応援歌の「青雲」は「澄み切った青い空」と考えた方が
ぐっとスケールが大きくなりそうですが如何でしょうか。

 古代の「青」は「青緑色から灰色までを含む広い範囲の色彩」とされています。
雲以外にも「青馬」「青駒」などの例があり、いずれも灰色がかった馬の意です。

万葉集でも青雲は多く詠われていますが、次の歌は晴天にたなびく青味掛かった
灰色まじりの雲と解釈いたします。

「 大君の 命畏(みことかしこ)み 青雲(あをくむ)の
    とのびく山を 越(こ)よて 来のかむ 」 
                   巻20-4403 小長谷部 笠麻呂(をばつせべの かさまろ)


( 大君の仰せが畏れ多いので それに従って青雲のたなびく山
 その高い山々を越えて俺はここまでやってきたよ。 )

作者は信濃の国の防人。
方言が混じる素朴な歌で「とのびく」は「たなびく」。
勅命ゆえ拒めないという嘆きがこもります。

信濃から難波まで数々の山を越え苦労してやっとここまで来た。
故郷に残してきた父母、妻子を偲びつつ来し方、行くすえの遠い道のりに
思いを寄せている。
ここ難波から再び大宰府への長い船旅。
「3年間の長い勤め、無事生還ができるかしら」との溜息が聞こえてきそうです。

「 汝(な)が母に 憤(こ)られ我(あ)は行く 青雲の                
    出で来(こ)我妹子(わぎもこ) 相見て行かむ 」 
                              巻14-3519 作者未詳


( お前のおっかさんに怒られて俺は行っちまうんだ。
  雲間の青空のように 少しの間でもいいから顔をみせてくれよ。
  なぁ お前、一目でいいからさ。 )

女に逢いに来たところ母親に見つかり、こっぴどく怒られ追い返された。
未練たらしく、あとを振り向き振り向きしながら嘆く男。

ここでの青雲は雲に覆われた中の青空、女性の顔。

「 白雲の たなびく山の 高々に
       我が思(も)ふ妹を 見むよしもがも 」
                巻4-758  大伴 田村大嬢(おほとも たむらおほいらつめ)

( 白雲のたなびく山が聳え立つように 私が高々と爪先立ちする思いで
  逢いたいと思っているあなた。
  なんとか逢うすべはないものでしょうか )

異母妹、大伴坂上大嬢に贈った1首。
女性同士の恋歌仕立てにして楽しんでいます。
一夫多妻の時代、姉妹といえども逢う機会があまりなかったのでしょうか。

「 ちぎれ雲 走りつくして夕空に
    とよはた雲の  しづかにたかし 」  木下利玄

この歌は万葉の最高傑作とされる次の歌を意識して詠われたと思われます。

「 海神(わたつみ)の 豊旗雲に 入日さし
   今夜(こよひ)の 月夜(つくよ) さやけくありこそ 」 
             巻1-15 中大兄皇子(のちの天智天皇 既出)

( 空を見上げると海神が棚引かせたまう豊旗雲、何と素晴らしい光景だろう。
おぉ、夕陽が射しこんできて空はすっかり茜色に染まってきたぞ。
今宵の月夜はきっと清々しいことであろうなぁ。 )

661年、斉明天皇が征新羅のために九州行幸された途中、播磨灘海岸辺りで
詠まれたもので、額田王が天皇になり替って作ったとも推定されている一首。
天には茜色の巨大な豊旗雲、海上には軍船の、陸上には軍団の無数の旌旗が靡き、
実に雄大、荘厳な光景が想像されます。

万葉唯一の「豊旗雲」。
「豊」はその立派さ、壮麗さを讃えた言葉、
「旗雲」は幡(ばん)のような横に靡いている吹流しのような雲をいいます。

「くも」の語源は「太陽が籠って隠れている」意の「コモリ」が
「クモリ」「クモ」に転訛したもの(歳時記語源辞典 文芸社) で、
文学上、雲の総称は「浮雲」といわれ、上記の「ちぎれ雲」も浮雲の一つ。

また、浮雲は「心が落ち着かない、思い通りにはいかない」例えとしても
用いられ、
「さらさら さっと書き流せばアラ,無情(うたて)始末にゆかぬ浮雲めが- 」
(二葉亭四迷 浮雲 はしがき) などとあります。

「 夕ぐれは 雲のはたてに ものぞ思ふ
     天つ空なる 人を恋ふとて 」 
                よみ人しらず 古今和歌集


( 夕暮れになると 雲の果ての方を眺めて物思いにふけっています。
 私をうわの空にさせるあの人を恋しく思って。)

恋の想いがあると、空を眺めるというのが当時の習い。
それにしても洗練された美しい恋歌です。

     「 雲の峰 ならんで低し 海のはて 」 正岡子規



                万葉集590(青雲・白雲) 完

                次回の更新は7月29日です。
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by uqrx74fd | 2016-07-22 20:21 | 自然

万葉集その五百八十八 (浜辺の歌)

( あした 浜辺を   小豆島の夜明け )
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( さまよえば     小豆島 )
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( 昔のことぞ    稲村ケ崎海岸  )
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( しのばるる    安房鴨川海岸 )
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( 風の音よ     能登 )
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(  雲のさまよ   三浦海岸 )
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(  寄する波も    銚子 犬吠埼 )
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(  貝の色も   小豆島 )
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(  間奏     ハワイ )
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( ゆうべ浜辺を もとおれば  逗子海岸の夕暮れ  学友 J.K さん提供 )
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(  昔の 人ぞ しのばるる    同上 )
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(浜辺の歌)

「 あした(朝) 浜辺を さまよえば
  昔のことぞ  偲のばるる
  風の音よ 雲のさまよ
  よする波も 貝の色も 

  ゆうべ浜辺を 廻(もとお)れば
  昔の人ぞ  偲ばるる
  寄する波よ 返す波よ
  月の色も  星のかげも  」

                   ( 作詞 林 古渓 作曲 成田為三)

この歌は 林 古渓が若かりし頃、神奈川県辻堂東海岸、成田為三は能登の
海岸をイメージして作られたといわれています。

幼い頃、母が海辺で歌ってくれた懐かしい歌。
ゆったりと流れる美しい旋律は、いまや名曲となり世界各国で
演奏されているそうです。

四方山々に囲まれた奈良に都があった頃、多くの人々は海に憧れ、
近くの紀伊や難波に足をのばし、その感動を語っています。
さらに、律令国家の統一が成ると全国に国府が置かれ、
また、難波が防人の集結拠点になると、人々が海に接する機会が飛躍的に多くなり、
船旅も頻繁に行われて、多くの歌が詠われました。

万葉集で海は260余首。

美しい海、清き浜辺、寄せる波、返す波、潮騒、浜の真砂、荒海等々。
その中から冒頭の「浜辺の歌」と雰囲気が似ているものを
ピックアップしてみましょう。

「 大伴の 御津(みつ)の浜辺(はまへ)を うちさらし
    寄せ来る波の   ゆくへ知らずも 」 
                            巻7-1151 作者未詳

( 大伴の御津の浜辺を 洗いさらすようにして打ち寄せて来る波、
      この波はいったいどこへ流れ去っていくのだろうか )

     「大伴の御津」 難波の津 「大伴」は大阪から堺にかけての総称。
              大伴氏の領地があったことによる。

作者は鴨長明の
「ゆく川の流れは絶えずして、しかも もとの水にはあらず」(方丈記)の
無常観を感じているのか「ゆくへ知らずも」と詠っています。

寄せては返す波を眺めながら、昔の人を偲んでいたのでしょうか。

「 住吉(すみのえ)の 名児(なご)の浜辺に 馬立てて
   玉拾(たまひり)ひしく 常忘らえず 」 
                              巻7-1153 作者未詳

( 住吉の 名児の浜辺に 馬をとどめて 玉を拾ったその楽しさは
  いつも心に残って忘れられない )

住吉の名児: 住吉の海岸であるが所在は未詳 粉浜説あり。

作者は都から難波に出かけて美しい石や貝を拾いあげて
お土産にしたようです。
寄せる波に打ち上げられる玉のような貝は桜色?
初めて海を見たのでしょうか。
その熱い感動ぶりが伝わってくる一首です。

「 冬の日の 疾風(はやち)するにも 似て赤き 
           さみだれ晴の 海の夕雲 」   与謝野晶子

さて、「浜辺の歌」には3番が存在し、昭和22年7月 中等音楽から
削除されているのを御存じでしょうか。
1~2番とは打って変わり、雰囲気が一変しています。
解釈が難しいこと、前の歌とのつながりが不明なので
唱歌にそぐわないと判断されたのでしょうか?

「 疾風(はやち)たちまち  波を吹き
  赤裳の裾(すそ)ぞ  濡れ漬(ひ)じし
  病みし我は  すでに癒えて
  浜辺の真砂  まなご(愛子)いまは 」
  
                     ( 作詞 林 古渓 作曲 成田為三)

「 突然、疾風(しっぷう)が吹いて 波が立ち
  わが愛する人の赤裳(着物の赤い下着)が ずぶ濡れになってしまった。
  大病を患った私は、既に癒えたが あの人はもういない。
  浜の小さな砂、そして愛する人は 今元気でいるのだろうか。」

 と解釈すると、1~2番の「昔の人、昔のこと」は病気を患う前に愛した人
 そして逢い引きした様々な出来事を思いだしながら、浜辺をあてどもなく
 彷徨している姿が思い浮かべられるのです。

「 白波の 寄そる浜辺(はまへ)に 別れなば
          いともすべなみ 八(や)たび袖振る 」 巻20-4379 
                    大舎人部 禰麻呂( おほとねりべの ねまろ) 足利の防人

( 白波の寄せるこの浜辺で 故郷から遠く離れて
  愛する人と別れてしまったからには、もう、どうしょうも無い。
 ただただ、何度も何度も袖を振るばかりだ )

防人の任期は3年。
往きは官費、帰りは自費。
旅費が尽きて、行き倒れとなる人も多く生還が期し難い旅です。
愛する人と別れなければならない深い悲しみがこもり、浜辺の歌の
気持に通じます。

さて、浜辺の歌3番の「赤裳」。
古の男を魅了してやまなかった赤い下着のことです。
波や雨に濡れてたくしあげると白い太ももがチラッと見える。
その官能に大いにくすぐられた万葉男は多くの歌を詠っています。


「 我妹子(わぎもこ)が 赤裳の裾の ひづつらむ
    今日の小雨に 我さへ濡れな 」 
                          巻7-1090 作者未詳

( いとしいあの子は、今日の小雨で今ごろ赤裳の裾を濡らしていることであろう。
      よ-し、俺様も濡れて行こう 。)

自分も濡れることによって共に一体だと詠っています。

「浜辺の歌」で「赤裳」「ひづつ」という言葉が出てきたのには
「びっくりぽん」。

一体なんで こんなところに出てきたのか?
林 古渓さんも万葉集を勉強していたのかしらん。

「 なびきあひ くだけてひろき 夕凪の
                九十九里が浜の  波のましろさ 」  若山牧水



              万葉集588(浜辺の歌) 完

              次回の更新は7月15日です
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by uqrx74fd | 2016-07-08 00:00 | 自然

万葉集その五百八十四 (雲流れゆく)

( 飛鳥 石舞台   奈良)
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( ドーナツ雲  飛鳥 後方はミハ山   )
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( 三輪山   奈良 )
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( 金剛葛城山脈   奈良 )
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(  飛鳥  後方 多武峰  )
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(  万葉ゆかりの安達太良山:後方  福島 )
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( 天橋立 京都 )
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( 南アルプスの夜明け )
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(  夕焼け雲  奈良で )
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(  大鵬飛翔  )
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晴れた日に芝生の上に寝転がって空を眺めていると雲が流れている。
むくむくと湧き上がって龍や鳳(おおとり)などさまざまな動物の形になり、
時には母や懐かしい人々の顔となって微笑みかけてくれる。
終日見続けていても飽きることがなく人を引き付けてやまない雲。

俳聖芭蕉も雲に誘われ、旅に出て不朽の名作を残しました。

「 日々は百代の過客にして,行きかふ年もまた旅人なり。
舟の上に生涯を浮かべ、馬の口をとらへて老いを迎ふる者は、
日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。
古人も多く旅に死せるあり。
予もいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風に誘はれて
漂泊の思ひやまず 」         ( 芭蕉 奥の細道 序の一部)

( 月日は永遠の旅客、行き交う年もまた、旅人である。
 舟の上に生涯をおくる舟子も、馬のくつわをとって老いを迎える馬子も、
 その日その日が旅であり、旅を栖(すみか)としている。
 古人も旅に死んだ者が多い。
 私もまた何時の年からか、ちぎれ雲のように風にまかせて
 漂泊の思いが止まず )


雲に魅せられた万葉人も200首余の歌を詠っています。
その表現も、豊旗雲、青雲、天雲、白雲、布雲,八雲、出雲、雲居、
雲の波、山雲、風雲、横雲、雲隠り、雲の衣、雲間など、
その語彙の豊かさ、造語の妙。
しかも、現在でも使われている言葉が大半なのです。

「 ここにして 家もやいづち 白雲の
      たなびく山を 越えて来(き)にけり 」 
                     巻3-287 石上卿(伝未詳)

( ここからだと我が家はどの方向になるのだろう。
 思えば白雲のたなびく山、あの山々を越えてはるばるやってきたものだ)
前注に近江で詠われたとあり、719年元正天皇美濃行幸の折のものと
推定されています。
大和から近江までそれ程遠いとは思われませんが、早くも故郷が
恋しくなったのでしょうか。

「ここにして」 は「ここにありて」の意
「家もや いづち」 「家」:「妻子の住む家」 
「いづち」:「何処(いずこ)」

なお、遠くまできたことを「雲の余所(よそ)」ともいいます。

「 青山の 嶺の白雲 朝に日(け)に
      常に見れども めづらし我が君 」 
                    巻3-377 湯原王

( 青い山の嶺にかかる白雲、その雲のように朝夕いつもあなたさまに
お逢いしていますが、少しも見飽きることがありませんねぇ )

宴での客人歓迎の挨拶歌。
相手は親しい間柄なのでしょうが詳細は不明です。
作者は志貴皇子の子、天智天皇の孫。
父同様、歌の名手でした。

「めづらし」は「愛づらし」で「心ひかれる」の意。

「 こもりくの 泊瀬(はつせ)の山の 山の際(ま)に
         いさよふ雲は 妹にかあるらむ 」
                    巻3-428 柿本人麻呂

( こもりくの初瀬 この初瀬の山あいに 行きもやらずに たゆとう白雲、
 あれはわがいとしい人なのであろうか )

後宮に仕える土形(ひじかた)娘子(伝未詳)が亡くなった折(自殺?)、
火葬された煙を見ながら悼んだ一首。
火葬は700年、僧道照に始まり、皇族では持統太上天皇が初(702年)。
煙を雲に見立て亡き人の魂とみる挽歌。

以下は伊藤博氏の解説です。

『 「いさよふ雲」までたたみかけるように詠って押さえ、最後の
「妹にかあるらむ」と悼む対象を重く据えたうたいぶりにも魅力がある。
哀感が湧き出るような歌で、やはり人麻呂の歌はいい。』 (万葉集釋注2)

禁断の恋(?)の噂を耳にし、自身の愛人に仕立てて詠ったものと思われ、
挽歌を文学的表現に昇華させた見事な一首です。

「 白雲の蒲団(ふとん)の中につゝまれて 
              ならんで寝たり 女体男体 」    正岡子規

万葉人は筑波山で行われた歌垣で自由な性を謳歌しました。
双峰の男体山、女体山の名にかけて戯れに詠ったもの。


         万葉集584 (雲流れゆく) 完

      次回の更新は 6月17日の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-06-10 07:07 | 自然