カテゴリ:自然( 94 )

万葉集その五百九十七 ( 松籟、爽籟、秋の風 )

( 松わたる風の響き 松籟  皇居東御苑 )
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( 緑鮮やかな松の絵のスカーフ  エルメス製 )
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( ススキの葉擦れの音  爽籟:そうらい  飛鳥 奈良 )
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( 稲穂そよがせる秋風  飛鳥 奈良 )
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( 緑の杉玉は新酒到来の合図  揮毫は東大寺長老 上野道善師 )
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( 酒樽  春日大社 )
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(  京都御所の簾:すだれ )
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( 秋の彩り    三越本店ショーウインドウ )
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( 秋の実り    歌舞伎座地下で )
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『 日本人は古くから常緑の松を称えて「色変えぬ松」(秋の季語)なる言葉を残した。
  また、その松を渡る微細な風の音を「松籟(しょうらい)」とよんで
  大事にしてきた。
  四季折々にその音色を楽しんできたが、ことに秋の松籟は爽やかな風の響きが
  楽しめるところから「爽籟(そうらい)」という秋の季語を生み出した。
  この「籟」なる文字、穴の三つある笛のことで、その笛を吹くことを
  吹籟(すいらい)といった。
  風の吹き通る音を、その吹籟の笛の調べになぞらえた日本人好みの言葉である。』
                                 ( 榎本好宏著 風のなまえ 白水社 より )

風の音に繊細な美意識を見出した万葉人は二人。
市原王と額田王です。
特に市原王は松の梢をわたる風の響きを詠っており、松籟の先駆けと云えましょう。

「 一つ松 幾代か経(へ)ぬる 吹く風の
    音の清きは 年深みかも 」  
                        巻6-1042 市原王(既出) 

( 一本松よ おまえは幾代もの長い歳月を経てきたのだろうなぁ。
  風が爽やかに吹き、こんなにも清らかな音を響かせているのは
  お前が逞しく生き抜いてきたことを寿いでいるようだねぇ)

744年1月、貴族の子弟たちが聖武天皇皇子、安積王の宮近く、
活道岡(いくじがおか;京都) とよばれる丘の上に立つ松の大樹の下で
酒宴を開きました。
冬晴れの暖かい好日。
紺碧の空の下、松の梢に風が渡り莢かな音が響く。
作者は新年を賀し、
「老松にあやかり各々がた末永く長寿であれ」と祈っています。

悠久の時の流れの中での心地よいひととき。
気品と透明感があふれ「王朝時代の松風の美感を先取りした(山本健吉)」、
万葉集唯一、松渡る風の歌です。
なお作者は天智天皇の5代目にあたり、歌の名手、志貴皇子の曾孫。

「 君待つと 我が恋おれば わが屋戸(やど)の
          簾(すだれ)動かし 秋の風吹く 」 
                           巻4-488  額田王(既出)

 額田王が大津宮で天智天皇を想って詠んだ歌。

「 天皇を恋しく思って、その訪れを今か今かと待っている。
  静かに座りながらどんな音も聞き漏らすまいと、じっと耳を澄ます。
  折から一陣の風。
  簾がサラサラと音をたて、風がスゥーと吹き渡っていく。
  一瞬、はっとするが、待ち人来たらず。
  あとは、ただ静寂あるのみ。」

愛人を待つ微妙な女心のゆらぎを風に託した繊細な表現。
流石、額田王、秋の風、爽籟を詠った万葉屈指の名歌です。

大海人皇子(後の天武天皇)との間で一女(十市皇女)をなしたにもかかわらず、
天智天皇の後宮に入った作者は二人の天皇から愛された稀有の女性。
よほどの美貌と知性を兼ね備えた魅力ある佳人だったのでしょう。

「 秋風の ふけども青し 栗のいが 」 芭蕉

残暑まだ厳しい夏の終わり。
早朝に起きて庭に出る。
ひんやりとした涼風が頬をなでて通り過ぎてゆく。
おぉ! 秋が来たぞ! と実感する一瞬です。

「 秋風の 吹きにし日より いつしかと
               我(あ)が待ち恋ひし 君ぞ来ませる 」
                           巻8-1523  山上憶良

( 秋風が吹きはじめた日から いついついらっしゃるかと
 恋焦がれていたあなた。
 とうとう今、お出でになったのですね )

七夕の日、待ちに待った牽牛を迎えた喜びを織姫の立場で詠っています。
旧暦の8月、現在の9月7日頃。
大宰府長官、大伴旅人邸での宴席の余興。
この歌を自身の恋人を迎えた喜びとしても、そのまま通用します。

「 昨日こそ 早苗とりしか いつのまに
    稲葉そよぎて 秋風の吹く 」 
                     よみ人しらず 古今和歌集 

(  ついつい昨日早苗をとって田植えをしたばかりと思っていたのに
  いったい、いつのまにこのように秋風が吹いて
  稲の葉がそよぐようになったのだろう )

時の移り変わりの速さに驚きつつ、秋到来を喜ぶ。
稲の穂のゆらぎに秋を見出した1首。

「 あはれ いかに 草葉の露の こぼるらむ
            秋風立ちぬ  宮城野の原 」    西行

( あぁ、秋風が立ちはじめた。
  あの懐かしい宮城野の原の草葉の露はどれだけこぼれ落ちているだろうか。)

秋風が吹いたと感じると共に、かって訪れた宮城野を
思い出しながらその様を懐かしく瞼に思い浮かべています。
宮城野は萩が群生する広大な野原、仙台東方一帯。

「 秋かぜや 日本(やまと)の国の 稲の穂の
               酒のあじはひ 日にまさり来れ 」   若山牧水

秋は新酒の季節。
酒好きな作者は田園に満ち満ちた稲の香りを
しみじみと味わっているのでしょう。
「 あぁ、日本人に生れてよかった 」 という思いが
「やまとの国の」にこもっているようです。

澄み切った清々しい秋の風は「色なき風」。
芭蕉は
   「石山の 石より白し 秋の風 

と詠みました。
次の句は秋風と鶴の白を重ねたもので、
鶴はタンチョウでしょうか。

 「 吹き起こる 秋風鶴を あゆましむ 」 石田波郷


            万葉集597 (松籟、爽籟、秋の風 ) 完


            次回の更新は 9月16日 の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-09-08 20:18 | 自然

万葉集その五百九十四 (海神:わたつみ)

( わたつみ    ハワイ )
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(  城ケ島  神奈川県三浦半島 )
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(  同上 )
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(  稚内  後方 利尻富士 )
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(  千枚田と能登の海 )
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(  能登の海 )
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(   安房鴨川  )
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(  住吉神社  全国2300余ある住吉神社の総本社 )
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(  同上 本殿  折しも結婚式が行われていた )
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海神という言葉は「わた」「つ」「み」の三つから成るそうです。

新明解語源辞典によると

「わた」: 「渡る」の意で上古における海の彼方は他界と考えた
       あるいは他界、遠処を示す「ヲト(ヲチ)」が「ワタ」に転訛した。
「つ」は助詞、天つ空 山つ神と同様「の」と同じ
「み」は祇(み)で神霊を意味する

とあります。
つまり、海の果ては人間の住む世界ではなく、神がおわすところと
考えられており、次第に海そのものも意味するようになったのです。

万葉集での「海神」は、清音「わたつみ」と訓まれ、
「海の神」「海」両方の使い分けがなされています。


「 潮満たば いかにせむとか 海神(わたつみ)の
      神が手渡る 海人娘子(あまをとめ)ども 」 
                             巻7-1216 作者未詳

( 潮が満ちてきたら、いったいどうするつもりなのか。
 海神の支配する恐ろしい難所を泳いでいる海人の娘子らは )

和歌山市の南部、雑賀野(さいかの)というところから海を見下ろしながら
旅行中の官人が詠ったもの。

穏(おだや)かな海面。
海女達が海に潜って鮑や白玉(真珠)を採っている。
一度潜るとなかなか浮き上がってこない。
このような光景を初めて見る都人は、驚嘆しつつも海が荒れたら
どうするのだろうかと、他所ながら心配しています。

海女は巧みな者で30m以上も潜り、波間に顔を出したとき鋭く息をします。
その音が笛のように聞こえるので磯笛とよばれるそうな。

「 海神の いづれの神を 祈らばか
    行くさも来(く)さも 船の早けむ 」 
                      巻9-1784 作者未詳


( 海を支配する神のどの神様に祈りを捧げたならば
 行きも帰りも、御船がすいすいと海を渡れるのでしょうか )

遣唐使が出発するにあたって贈られた歌ですが、作者、年代不明。
当時の航海は海図も十分でなく、嵐に遭遇する危険も多い命懸けの渡航でした。
遣唐使は出発の際、海の神、住吉神社に祈願するのが当時の習いでしたが
作者はどの神様にお願いしたのでしょうか。

「行くさも来(く)さも」: 行き帰り
「さ」は移動の途中であることを示す接頭語

「 わたつみの 沖の玉藻の 靡き寝む
    早(はや)来ませ君 待たば苦しも 」 
                        巻12-3079 作者未詳

( 大海原の底にくねり靡く玉藻のように
 あなたに寄り添って寝たい。
 あなた、早く来て抱いて!
 これ以上待つのは苦しくって苦しくって。)

ここでの「わたつみ」は「海」の意。
「靡き寝む」は体をくねらせ髪を振り乱して抱き合う様を想像させ官能的。
「女子の歌にしては珍しくあらわだが、緊迫感が正直に出ていてよい」
とは粋な伊藤博氏の評です。(万葉集釋注6)

「 わたつみの わが身越す浪 立ち返り
     海人のすむてふ うらみつるかな 」
              古今和歌集 詠み人知らず

( 大海の波が私の身の丈を越すほどに、打ち寄せてきては返すように
 私も何度も何度も激しくあの方が住んでいるというあたりに
 思いやってお恨みしております。)

平安時代になると「わたつみ」は海の意が多くなり、「わたつうみ」とも
詠われています。

愛する人が訪れなくなった。
目の前の海は大波が立ち、寄せては返す。
恋人の住む方角を眺めながら

「 あなたどうしたの。こんなに私が恋焦がれているのに。
  もし心変わりしたのなら、お恨みいたしますことよ。」
と呟く女。
潮騒の音が聞こえてくるような恋歌です。

立ち返り  寄せては返す波 何度もの意を掛ける
海人    海辺の労働者と自分の男を掛ける
うらみつる  漁師が海を見る(浦見)と恨みを掛ける

「 年は今 立ちかへるらん わだつみの
           波のほの上に  日はいでにけり 」 太田水穂

              波のほ:波の穂  波がしら

         万葉集594 「 海神:わたつみ 」  完

         ご参照   万葉集331 「きけ わだつみのこえ」  

         次回の更新は8月26日です。
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by uqrx74fd | 2016-08-18 15:36 | 自然

万葉集その五百九十 (青雲・白雲)

( 色々な形の雲  畝傍山  後方 金剛葛城山脈  奈良 )
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( 平城京跡  大極殿 )
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(  甘樫の丘から  後方 畝傍山:見る方角により形が変わる)
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( 巻向山  山の辺の道で )
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(  春日野  後方 高円山:たかまどやま )
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(  江の島 )
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(  天狗?)
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(  飛天 )
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( 怪魚 ? )
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( 福笑い )
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「 ひかる青雲 風さえ 薫る 」 
これはある大学の応援歌のイントロですが、青雲ってどんな雲なのでしょうか?
普段何気なく使っている言葉ですが、改めて聞かれるとすぐに答えられません。

さてさてと広辞苑を紐解くと

「青雲」: 「淡青色や淡灰色の雲 一説に、青空を雲に見立てたという」
 
 つまり青雲=青空と解釈する場合もあるようです。
とすると、上記の応援歌の「青雲」は「澄み切った青い空」と考えた方が
ぐっとスケールが大きくなりそうですが如何でしょうか。

 古代の「青」は「青緑色から灰色までを含む広い範囲の色彩」とされています。
雲以外にも「青馬」「青駒」などの例があり、いずれも灰色がかった馬の意です。

万葉集でも青雲は多く詠われていますが、次の歌は晴天にたなびく青味掛かった
灰色まじりの雲と解釈いたします。

「 大君の 命畏(みことかしこ)み 青雲(あをくむ)の
    とのびく山を 越(こ)よて 来のかむ 」 
                   巻20-4403 小長谷部 笠麻呂(をばつせべの かさまろ)


( 大君の仰せが畏れ多いので それに従って青雲のたなびく山
 その高い山々を越えて俺はここまでやってきたよ。 )

作者は信濃の国の防人。
方言が混じる素朴な歌で「とのびく」は「たなびく」。
勅命ゆえ拒めないという嘆きがこもります。

信濃から難波まで数々の山を越え苦労してやっとここまで来た。
故郷に残してきた父母、妻子を偲びつつ来し方、行くすえの遠い道のりに
思いを寄せている。
ここ難波から再び大宰府への長い船旅。
「3年間の長い勤め、無事生還ができるかしら」との溜息が聞こえてきそうです。

「 汝(な)が母に 憤(こ)られ我(あ)は行く 青雲の                
    出で来(こ)我妹子(わぎもこ) 相見て行かむ 」 
                              巻14-3519 作者未詳


( お前のおっかさんに怒られて俺は行っちまうんだ。
  雲間の青空のように 少しの間でもいいから顔をみせてくれよ。
  なぁ お前、一目でいいからさ。 )

女に逢いに来たところ母親に見つかり、こっぴどく怒られ追い返された。
未練たらしく、あとを振り向き振り向きしながら嘆く男。

ここでの青雲は雲に覆われた中の青空、女性の顔。

「 白雲の たなびく山の 高々に
       我が思(も)ふ妹を 見むよしもがも 」
                巻4-758  大伴 田村大嬢(おほとも たむらおほいらつめ)

( 白雲のたなびく山が聳え立つように 私が高々と爪先立ちする思いで
  逢いたいと思っているあなた。
  なんとか逢うすべはないものでしょうか )

異母妹、大伴坂上大嬢に贈った1首。
女性同士の恋歌仕立てにして楽しんでいます。
一夫多妻の時代、姉妹といえども逢う機会があまりなかったのでしょうか。

「 ちぎれ雲 走りつくして夕空に
    とよはた雲の  しづかにたかし 」  木下利玄

この歌は万葉の最高傑作とされる次の歌を意識して詠われたと思われます。

「 海神(わたつみ)の 豊旗雲に 入日さし
   今夜(こよひ)の 月夜(つくよ) さやけくありこそ 」 
             巻1-15 中大兄皇子(のちの天智天皇 既出)

( 空を見上げると海神が棚引かせたまう豊旗雲、何と素晴らしい光景だろう。
おぉ、夕陽が射しこんできて空はすっかり茜色に染まってきたぞ。
今宵の月夜はきっと清々しいことであろうなぁ。 )

661年、斉明天皇が征新羅のために九州行幸された途中、播磨灘海岸辺りで
詠まれたもので、額田王が天皇になり替って作ったとも推定されている一首。
天には茜色の巨大な豊旗雲、海上には軍船の、陸上には軍団の無数の旌旗が靡き、
実に雄大、荘厳な光景が想像されます。

万葉唯一の「豊旗雲」。
「豊」はその立派さ、壮麗さを讃えた言葉、
「旗雲」は幡(ばん)のような横に靡いている吹流しのような雲をいいます。

「くも」の語源は「太陽が籠って隠れている」意の「コモリ」が
「クモリ」「クモ」に転訛したもの(歳時記語源辞典 文芸社) で、
文学上、雲の総称は「浮雲」といわれ、上記の「ちぎれ雲」も浮雲の一つ。

また、浮雲は「心が落ち着かない、思い通りにはいかない」例えとしても
用いられ、
「さらさら さっと書き流せばアラ,無情(うたて)始末にゆかぬ浮雲めが- 」
(二葉亭四迷 浮雲 はしがき) などとあります。

「 夕ぐれは 雲のはたてに ものぞ思ふ
     天つ空なる 人を恋ふとて 」 
                よみ人しらず 古今和歌集


( 夕暮れになると 雲の果ての方を眺めて物思いにふけっています。
 私をうわの空にさせるあの人を恋しく思って。)

恋の想いがあると、空を眺めるというのが当時の習い。
それにしても洗練された美しい恋歌です。

     「 雲の峰 ならんで低し 海のはて 」 正岡子規



                万葉集590(青雲・白雲) 完

                次回の更新は7月29日です。
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by uqrx74fd | 2016-07-22 20:21 | 自然

万葉集その五百八十八 (浜辺の歌)

( あした 浜辺を   小豆島の夜明け )
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( さまよえば     小豆島 )
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( 昔のことぞ    稲村ケ崎海岸  )
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( しのばるる    安房鴨川海岸 )
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( 風の音よ     能登 )
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(  雲のさまよ   三浦海岸 )
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(  寄する波も    銚子 犬吠埼 )
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(  貝の色も   小豆島 )
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(  間奏     ハワイ )
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( ゆうべ浜辺を もとおれば  逗子海岸の夕暮れ  学友 J.K さん提供 )
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(  昔の 人ぞ しのばるる    同上 )
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(浜辺の歌)

「 あした(朝) 浜辺を さまよえば
  昔のことぞ  偲のばるる
  風の音よ 雲のさまよ
  よする波も 貝の色も 

  ゆうべ浜辺を 廻(もとお)れば
  昔の人ぞ  偲ばるる
  寄する波よ 返す波よ
  月の色も  星のかげも  」

                   ( 作詞 林 古渓 作曲 成田為三)

この歌は 林 古渓が若かりし頃、神奈川県辻堂東海岸、成田為三は能登の
海岸をイメージして作られたといわれています。

幼い頃、母が海辺で歌ってくれた懐かしい歌。
ゆったりと流れる美しい旋律は、いまや名曲となり世界各国で
演奏されているそうです。

四方山々に囲まれた奈良に都があった頃、多くの人々は海に憧れ、
近くの紀伊や難波に足をのばし、その感動を語っています。
さらに、律令国家の統一が成ると全国に国府が置かれ、
また、難波が防人の集結拠点になると、人々が海に接する機会が飛躍的に多くなり、
船旅も頻繁に行われて、多くの歌が詠われました。

万葉集で海は260余首。

美しい海、清き浜辺、寄せる波、返す波、潮騒、浜の真砂、荒海等々。
その中から冒頭の「浜辺の歌」と雰囲気が似ているものを
ピックアップしてみましょう。

「 大伴の 御津(みつ)の浜辺(はまへ)を うちさらし
    寄せ来る波の   ゆくへ知らずも 」 
                            巻7-1151 作者未詳

( 大伴の御津の浜辺を 洗いさらすようにして打ち寄せて来る波、
      この波はいったいどこへ流れ去っていくのだろうか )

     「大伴の御津」 難波の津 「大伴」は大阪から堺にかけての総称。
              大伴氏の領地があったことによる。

作者は鴨長明の
「ゆく川の流れは絶えずして、しかも もとの水にはあらず」(方丈記)の
無常観を感じているのか「ゆくへ知らずも」と詠っています。

寄せては返す波を眺めながら、昔の人を偲んでいたのでしょうか。

「 住吉(すみのえ)の 名児(なご)の浜辺に 馬立てて
   玉拾(たまひり)ひしく 常忘らえず 」 
                              巻7-1153 作者未詳

( 住吉の 名児の浜辺に 馬をとどめて 玉を拾ったその楽しさは
  いつも心に残って忘れられない )

住吉の名児: 住吉の海岸であるが所在は未詳 粉浜説あり。

作者は都から難波に出かけて美しい石や貝を拾いあげて
お土産にしたようです。
寄せる波に打ち上げられる玉のような貝は桜色?
初めて海を見たのでしょうか。
その熱い感動ぶりが伝わってくる一首です。

「 冬の日の 疾風(はやち)するにも 似て赤き 
           さみだれ晴の 海の夕雲 」   与謝野晶子

さて、「浜辺の歌」には3番が存在し、昭和22年7月 中等音楽から
削除されているのを御存じでしょうか。
1~2番とは打って変わり、雰囲気が一変しています。
解釈が難しいこと、前の歌とのつながりが不明なので
唱歌にそぐわないと判断されたのでしょうか?

「 疾風(はやち)たちまち  波を吹き
  赤裳の裾(すそ)ぞ  濡れ漬(ひ)じし
  病みし我は  すでに癒えて
  浜辺の真砂  まなご(愛子)いまは 」
  
                     ( 作詞 林 古渓 作曲 成田為三)

「 突然、疾風(しっぷう)が吹いて 波が立ち
  わが愛する人の赤裳(着物の赤い下着)が ずぶ濡れになってしまった。
  大病を患った私は、既に癒えたが あの人はもういない。
  浜の小さな砂、そして愛する人は 今元気でいるのだろうか。」

 と解釈すると、1~2番の「昔の人、昔のこと」は病気を患う前に愛した人
 そして逢い引きした様々な出来事を思いだしながら、浜辺をあてどもなく
 彷徨している姿が思い浮かべられるのです。

「 白波の 寄そる浜辺(はまへ)に 別れなば
          いともすべなみ 八(や)たび袖振る 」 巻20-4379 
                    大舎人部 禰麻呂( おほとねりべの ねまろ) 足利の防人

( 白波の寄せるこの浜辺で 故郷から遠く離れて
  愛する人と別れてしまったからには、もう、どうしょうも無い。
 ただただ、何度も何度も袖を振るばかりだ )

防人の任期は3年。
往きは官費、帰りは自費。
旅費が尽きて、行き倒れとなる人も多く生還が期し難い旅です。
愛する人と別れなければならない深い悲しみがこもり、浜辺の歌の
気持に通じます。

さて、浜辺の歌3番の「赤裳」。
古の男を魅了してやまなかった赤い下着のことです。
波や雨に濡れてたくしあげると白い太ももがチラッと見える。
その官能に大いにくすぐられた万葉男は多くの歌を詠っています。


「 我妹子(わぎもこ)が 赤裳の裾の ひづつらむ
    今日の小雨に 我さへ濡れな 」 
                          巻7-1090 作者未詳

( いとしいあの子は、今日の小雨で今ごろ赤裳の裾を濡らしていることであろう。
      よ-し、俺様も濡れて行こう 。)

自分も濡れることによって共に一体だと詠っています。

「浜辺の歌」で「赤裳」「ひづつ」という言葉が出てきたのには
「びっくりぽん」。

一体なんで こんなところに出てきたのか?
林 古渓さんも万葉集を勉強していたのかしらん。

「 なびきあひ くだけてひろき 夕凪の
                九十九里が浜の  波のましろさ 」  若山牧水



              万葉集588(浜辺の歌) 完

              次回の更新は7月15日です
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by uqrx74fd | 2016-07-08 00:00 | 自然

万葉集その五百八十四 (雲流れゆく)

( 飛鳥 石舞台   奈良)
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( ドーナツ雲  飛鳥 後方はミハ山   )
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( 三輪山   奈良 )
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( 金剛葛城山脈   奈良 )
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(  飛鳥  後方 多武峰  )
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(  万葉ゆかりの安達太良山:後方  福島 )
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( 天橋立 京都 )
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( 南アルプスの夜明け )
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(  夕焼け雲  奈良で )
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(  大鵬飛翔  )
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晴れた日に芝生の上に寝転がって空を眺めていると雲が流れている。
むくむくと湧き上がって龍や鳳(おおとり)などさまざまな動物の形になり、
時には母や懐かしい人々の顔となって微笑みかけてくれる。
終日見続けていても飽きることがなく人を引き付けてやまない雲。

俳聖芭蕉も雲に誘われ、旅に出て不朽の名作を残しました。

「 日々は百代の過客にして,行きかふ年もまた旅人なり。
舟の上に生涯を浮かべ、馬の口をとらへて老いを迎ふる者は、
日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。
古人も多く旅に死せるあり。
予もいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風に誘はれて
漂泊の思ひやまず 」         ( 芭蕉 奥の細道 序の一部)

( 月日は永遠の旅客、行き交う年もまた、旅人である。
 舟の上に生涯をおくる舟子も、馬のくつわをとって老いを迎える馬子も、
 その日その日が旅であり、旅を栖(すみか)としている。
 古人も旅に死んだ者が多い。
 私もまた何時の年からか、ちぎれ雲のように風にまかせて
 漂泊の思いが止まず )


雲に魅せられた万葉人も200首余の歌を詠っています。
その表現も、豊旗雲、青雲、天雲、白雲、布雲,八雲、出雲、雲居、
雲の波、山雲、風雲、横雲、雲隠り、雲の衣、雲間など、
その語彙の豊かさ、造語の妙。
しかも、現在でも使われている言葉が大半なのです。

「 ここにして 家もやいづち 白雲の
      たなびく山を 越えて来(き)にけり 」 
                     巻3-287 石上卿(伝未詳)

( ここからだと我が家はどの方向になるのだろう。
 思えば白雲のたなびく山、あの山々を越えてはるばるやってきたものだ)
前注に近江で詠われたとあり、719年元正天皇美濃行幸の折のものと
推定されています。
大和から近江までそれ程遠いとは思われませんが、早くも故郷が
恋しくなったのでしょうか。

「ここにして」 は「ここにありて」の意
「家もや いづち」 「家」:「妻子の住む家」 
「いづち」:「何処(いずこ)」

なお、遠くまできたことを「雲の余所(よそ)」ともいいます。

「 青山の 嶺の白雲 朝に日(け)に
      常に見れども めづらし我が君 」 
                    巻3-377 湯原王

( 青い山の嶺にかかる白雲、その雲のように朝夕いつもあなたさまに
お逢いしていますが、少しも見飽きることがありませんねぇ )

宴での客人歓迎の挨拶歌。
相手は親しい間柄なのでしょうが詳細は不明です。
作者は志貴皇子の子、天智天皇の孫。
父同様、歌の名手でした。

「めづらし」は「愛づらし」で「心ひかれる」の意。

「 こもりくの 泊瀬(はつせ)の山の 山の際(ま)に
         いさよふ雲は 妹にかあるらむ 」
                    巻3-428 柿本人麻呂

( こもりくの初瀬 この初瀬の山あいに 行きもやらずに たゆとう白雲、
 あれはわがいとしい人なのであろうか )

後宮に仕える土形(ひじかた)娘子(伝未詳)が亡くなった折(自殺?)、
火葬された煙を見ながら悼んだ一首。
火葬は700年、僧道照に始まり、皇族では持統太上天皇が初(702年)。
煙を雲に見立て亡き人の魂とみる挽歌。

以下は伊藤博氏の解説です。

『 「いさよふ雲」までたたみかけるように詠って押さえ、最後の
「妹にかあるらむ」と悼む対象を重く据えたうたいぶりにも魅力がある。
哀感が湧き出るような歌で、やはり人麻呂の歌はいい。』 (万葉集釋注2)

禁断の恋(?)の噂を耳にし、自身の愛人に仕立てて詠ったものと思われ、
挽歌を文学的表現に昇華させた見事な一首です。

「 白雲の蒲団(ふとん)の中につゝまれて 
              ならんで寝たり 女体男体 」    正岡子規

万葉人は筑波山で行われた歌垣で自由な性を謳歌しました。
双峰の男体山、女体山の名にかけて戯れに詠ったもの。


         万葉集584 (雲流れゆく) 完

      次回の更新は 6月17日の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-06-10 07:07 | 自然

万葉集その五百七十一 (霞立つ春)

( 朧月夜   春日山  奈良)
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( 春霞  後方 金剛葛城山脈 山の辺の道から  奈良 )
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( 同上 )
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( 高円山   同上 )
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( 二上山  山の辺の道から  同上 )
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(  同上  )
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( 桜、桃 山の辺の道 後方の山々は霞で見えない )
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(  大和三山  山の辺の道から )
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( 御蓋山   奈良春日野から )
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( 三輪山  奈良 )
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( 天の香久山  藤原京跡  奈良 )
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「 春はきぬ 春はきぬ
  霞よ雲よ 動(ゆる)ぎいで
  氷れる空を あたためよ
  花の香おくる 春風よ
  眠れる山を 吹きさませ 」           (島崎藤村 春の歌)

「 ねむげの春よ さめよ春
  さかしきひとの みざるまに
  若紫の朝霞
  かすみの袖を みにまとへ
  はつねうれしき うぐひすの
  鳥のしらべを うたへかし 」          (島崎藤村  佐保姫)

昔々、奈良の佐保山に春の女神がおわすと信じられていました。
その方の名を佐保姫と申します。
藤村さんは、「佐保姫に気付かれないよう、そっと薄紫色の霞の衣を身にまとわせよ」
と詠っています。
春風駘蕩、ほのぼのとした気分にさせてくれる美しい詩です。

「霧、霞、朧」
これらはいずれも同じ自然現象ですが、歌や文学の世界では立春を境に
今まで霧とよばれていたものが、昼は霞、夜は朧という優雅な言葉に変身します。
寒そうな霧からほんわかと暖かそうな春霞と朧。
たった一字の漢字が変わるだけで全く違う雰囲気を醸し出す。
語感の妙、万葉人の造語の豊かさです。

「 ひさかたの 天(あめ)の香具山 この夕べ
       霞たなびく 春立つらしも 」 
                       巻10-1812 柿本人麻呂歌集(既出)

(  この夕べ、天の香久山に霞がたなびいている。
       いよいよ春が来たのだなぁ )

藤原京に近い聖なる山、香久山の立春の頃の長閑な風景を、美しい調べ、
堂々たる風格で詠った名歌です。
「この夕べ」の「この」で「今日の夕べ」という時をはっきり限定し
「春立つらしも」と詠い収め「暦が春になったその日」即ち
「立春」を寿ぎ、五穀豊穣を予祝する国見歌でもあるともされています。

「 巻向の 檜原(ひはら)に立てる 春霞
    おほにし思はば  なずみ来めやも 」 
                           巻10-1813 柿本人麻呂歌集


( ここ巻向の檜原にほんわかと立ちこめている春霞
 その春霞のように、あなたのことをぼおぅといい加減に思っているのなら
 なんでこんな歩きにくい道を、そんなに苦労してまで来ましょうか。
 あなたが好きで好きでたまらないからなのですよ。)

この地に愛人がいて足しげく通っていた人麻呂。
彼の想いを告白した一首と思われますが、伊藤博氏は前掲の歌が国見歌であり、
相聞的発想をとることによってその場所を賛美したもの(万葉集釋注5)ともされています。

檜原は高台にあり、大和三山、二上山、金剛葛城山脈が臨まれる絶好の地。
伊勢神宮ゆかりの檜原神社が鎮座まします。

「 春霞 たなびく今日の 夕月夜(ゆふづくよ)
    清く照るらむ 高松の野に 」 
                            巻10―1874  作者未詳


( 春霞がたなびいている中で淡く照っている今宵の月は
 あの高松の野あたりも、さぞ清らかに照らしていることであろう )

高松は春日山の隣、高円(たかまど)。
作者は朧月を眺めながら、高円の野の情景を想像しています。
ひよっとしたら この辺りに恋人がいたのかもしれません。
美しい女性を照らす月。
ロマンティックですね。

「 春霞 井の上ゆ直(ただ)に 道はあれど
     君に逢はむと た廻(もとほ)り来(く)も 」 
                            巻7-1256 作者未詳


( 水汲み場のあたりから我家までまっすぐに道は通じているけれど
  あの人に逢いたくて回り道をしてきたのよ )

水道などなかった時代、共同井戸へ水を汲みに行くのは若い女性の仕事でした。
重くて大変な作業ですが外へ出るには絶好の機会。

「好きなあの方に逢いたい!
遠回りして行こう。
ひよっとしたら逢えるかもしれないわ 」

と胸をわくわくさせている可憐な乙女です。

井の上ゆ: 井戸のほとり 「ゆ」は起点を示す
たもとほり(た廻り) : 迂回して

 「 春なれや 名もなき山の 薄霞 」 芭蕉

万葉集で詠われた霞は79首(うち春霞18首)。
炭火や薪などで暖を取り、衣類を何重にも着込んで厳しい寒さを
耐え忍んでいた人々は如何に春到来を待ち望んでいたことか。
まだ寒さが残る早朝、山々に紫色の霞が棚引いているのを見て、
思わず「おぁ!春だ、春が来た」と歓声をあげたことでしょう。

「 風鐸の かすむとみゆる 塔庇(とうひさし)」 飯田蛇笏

                                     以上

             次回の更新は3月19日(土)です
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by uqrx74fd | 2016-03-11 06:56 | 自然

万葉集その五百六十四 (み雪降りたり)

( 万葉人にとって松と雪は繁栄のしるし )
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( 大雪の日 )
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( 筑波山の雪 )
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( 同 紅梅白梅)
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( 同 紅梅 )
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( 老桜の雪 )
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(  桜の蕾も寒そう )
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( 笹雪 )
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( サザンカ:山茶花 )
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(  樹氷 朝になるとキラキラ光るでしょう )
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山々に囲まれた盆地の大和国原。
冬は厳寒にもかかわらず、雪は滅多に降りません。
それでも万葉集で150首余の雪歌が登場するのです。
なぜ、こんなにも多く詠われたのでしょうか?

古の人々は土地の精霊が豊年のしるしとして雪を降らせるのだと考え、
雪を稲の花の象徴だと信じていました。
大雪ともなれば大豊作。
農耕に関係のない都人にとっても五穀豊穣は国土繁栄の吉兆、み雪と崇め
天皇以下こぞって寿いだのです。

「 池の辺(へ)の 松の末葉(うらば)に 降る雪は
        五百重(いほへ)降りしけ 明日さへも見む 」
                        巻8-1650  作者未詳

( 池のほとりの松の枝先の葉に降る雪よ、幾重々々にも降り積もれ。
 明日も重ねて見ように )

聖武天皇が平城京、西の池で催された豊明(とよのあかり:宮中の宴会)で
安倍虫麻呂(大伴坂上郎女の従弟)が、古歌として披露したもの。
常緑の松に降り敷く雪は国土と天皇の繁栄を寿ぐにふさわしく、
宴席も賑々しく華やかなものになったことでしょう。

「 大殿の この廻(もとほ)りの 
  雪な踏みそね
  しばしばも 降らぬ雪ぞ
  山のみに 降りし雪ぞ
  ゆめ寄るな 人や 
  な踏みそね 雪は 」   
                      巻19-4227 三方沙弥(みかたのさみ)

( 大殿の この周りの
 雪を 踏み荒らすなよ
 めったに降らない雪なのだ
 山だけに降った雪なのだ
 ゆめ近寄るなよ
 そこの人 踏むなよ 雪を )     巻19-2227 

この歌は藤原不比等の子、藤原房前が降る雪を見ながら、歌を詠めと
臣下に命じ、作者が応じたもの。
大殿は天皇をさすのが習いなので、非公式の宴席での戯れ歌と思われます。

山でしか降らないものだと思っていた雪が降っている。
「ワァーイ!雪やコンコン 」と子供のように大はしゃぎ。
飛び跳ねるような調子が面白く、お上も笑い転げられたことでありましょう。


「 夜を寒み 朝戸を開き 出(い)で見れば
     庭も はだらに み雪降りたり 」
                     巻10-2318 作者未詳


( 夜通し寒かったので、朝、戸を開けて外へ出て見ると
 なんと、庭中うっすらと雪が降り積もっているではないか )

自然現象の中で唯一「み」という接頭美称語で飾られている雪。
万葉人の雪に対する思いが好ましいものであったことが窺われる一首です。

夜中に寒さを感じ、早朝、戸を開けて見ると庭一面白くなっている。
「 おぉ! 雪だ。」と歓声を上げる作者。
「はだら」は「うっすら積もる」

「 梅の花 枝にか散ると 見るまでに
    風に乱れて 雪ぞ降り来る 」 
                    巻8-1647 忌部黒麻呂(いむべの くろまろ)


( 梅の花が枝に散りかかるのかと,見まごうばかりに
  風に吹き乱れて雪が降ってくるよ )

万葉時代、花と云えば梅。 
それも白梅です。
寒さ厳しい中、庭の梅の木を眺めながら開花を待ち望んでいる。
折から一陣の風と共に、雪が流れこんできた。
一瞬、梅の花びらかと錯覚した作者。

古くから信仰の対象とされた雪は次第に冬の美を讃える文学、詩的なもの
変化してゆき、平安時代以降、数えきれないほどの歌が詠い継がれて
ゆくようになりました。

山本健吉氏は
「 雪の信仰が古くからあって日本人は雪をよろこび 雪見などといって
  それを観賞する態度が導き出されてくる。
 雪は今でも私たちを童心にかえらせる何物かがある。
 雪は思郷、回想をさそう種である 」と述べておられます。
                           ( ことばの歳時記 文芸春秋社より)

「 故郷は いかにふりつむ けふならん
    奈良の飛鳥の 寺の初雪 」       上田秋成

             ふりつむ: 降り積む 
                 けふ:今日

















                                    
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by uqrx74fd | 2016-01-22 06:51 | 自然

万葉集その五百五十九 (光と影)

( 月影 皆既月食の日 2014,10,8撮影 )
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( 富士の水影  精進湖 )
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(  松影  浜離宮庭園 )
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(  同上 )
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(  雪の朝影 )
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(  光と影  陰翳礼讃の世界  明月院  北鎌倉 )
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( ガラスの人影  天龍寺 京都 )
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( 池面の影   湯河原万葉公園 )
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(  人の顔のような影   武蔵野 )
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絵画や写真の世界で光と蔭は重要な構成要素の一つとされていますが、
歌や文学での「かげ」も実に多様かつ微妙なニユーアンスを含む
使われ方がなされています。

広辞苑を紐解くと「かげ」: 影、蔭、陰 翳

1、日、月、灯火などの光  (主として影という字を使用)

2、光によってそのものの他にできるそのものの姿  (影)


        水や鏡の面にうつるものの形や色
        物体が光をさえぎったため、光源と反対側にできる暗い部分
        比喩的な用法 ( 離れずつきまとう、やせ細ったもの、薄くぼんやり見える、
                   ほのかに現れた好ましくない兆候 など)

3、物の姿  (影)

     見るかげもない  面影  肖像や模造品

4、物の後の暗い隠れたところ  (蔭 翳)

     物に遮られ覆われた背面、後方の場所
     他のものを覆うようにして及ぶその恩恵,庇護
     人目の届かない、 隠されたところ
            例:蔭ながら成功を祈る
     人目に隠れた暗い面 かげり
             例:彼の人生には翳りがある
     正式なものに対して略式に行う方法
              例:略祭 略式命令
5、下級女郎  (影)   

その他: 蔭間(かげま) -江戸時代の男娼 
影武者- 敵をあざむく身代わり、黒幕
等と説明されています。

万葉集では面影、磯影、松陰、朝影、夕影、月影などと使い分けられ、
月影は月光に照らされて出来る影ではなく月そのもののことです。

「 木(こ)の間より うつろふ月の 影を惜しみ
     立ち廻(もとほ)るに さ夜更けにけり 」
                               巻11-2821 作者未詳


( 木の間隠れに移って行く美しい月の光に見惚れて 
  あちらこちら歩き廻っているうちに
 すっかり夜が更けてしまったのです )

この歌は男が女に逢いに行き家の門前で
「 これほどまでに じらされても貴女を待つことになるのか。
  夜が更けてから昇ってきた月が傾くころになっているのに 」

と問いかけたのに対して

「月に見惚れていたのよ」と小馬鹿にしたように答えたものですが、
頭から逢う気がなかったのか、あるいは出たくても女の母親の監視が厳しくて
外に出られないのか?
返歌しているところから後者とも思われます。

「 燈火(ともしび)の 影にかがよふ うつせみの
     妹が笑(え)まひし  面影に見ゆ 」
                        巻11-2642 作者未詳(既出)


( 燈火の火影に揺れ輝いている、生き生きとしたあの子の笑顔、
 その顔がちらちらと目の前に浮かんでくる )

燈火のなかにいる女性の浮き立つような面影。
美しい情景をえがいた秀作です。

燈火(ともしび)は松脂(まつやに)に山吹の軸の芯を乾燥させて燈心とする
明かりで、「かがよふ」はちらちら揺れて輝く 
ここでの影は光と影が混然一体となっています。

うつせみ 生身の姿 妹の実在感を高めるための言葉

「 磯影の 見ゆる池水照るまでに
     咲ける馬酔木の 散らまく惜しも 」
                   巻20-4513 甘南備 伊香真人(かむなびいかごのまひと)



( 磯の影がくっきり映っている池の水 その水も照り輝くばかりに
  咲き誇る馬酔木の花が散ってしまうのは惜しまれてなりません)

中臣清麻呂(なかとみのきよまろ)邸での宴の歌。
池面に映える情景は、波のゆらめきとあいまって美しい幻想の世界を
作り出します。

「 白鳥の 鷺坂山の松陰に
     宿りて行(ゆ)かな 夜も更けゆくを 」 
                            巻9-1687 作者未詳


( 白鳥の鷺坂山の松、この人待ち顔の松の木陰で一夜の宿をとっていこう。
  夜も更けていくことだろうし。 )

「松」に「待つ」をかけ家で待つ妻を連想しているようです。

 鷺坂山 京都府城陽市、大和から近江へ通じる山道
 白鳥は枕詞、土地褒めと望郷の念

物体が光をさえぎったため、光源と反対側に出来る暗い部分の松陰。

「 朝影に 我(あ)が身はなりぬ 韓衣(からころも)
      裾(すそ)のあはずて 久しくなれば 」 
                            巻11-2619 作者未詳


( 私は韓衣の裾が合わないように、まるで朝日に映る影法師のような、
  ひょろ長い身になってしまった。
  随分長い間、愛しい人に逢わないまま日が経っているので
  恋しくて恋しくて。)

男、女不明ながら男の心情か?
韓衣 大陸風の衣装 丸襟(まるえり)で裾が膝丈よりやや長く、
その左右を合わせず着用した。

太陽が照ると道に細長い自分の影が出来る。
まるで恋焦がれたひよろひよろの影法師のよう。

「 我妹子(わぎもこ)が 笑(え)まひ 眉引(まよび)き 面影に
      かかりてもとな  思ほゆるかも 」
                         巻12-2900 作者未詳


( あの子の笑顔や眉、その可愛らしさが目の前にちらついて
  むやみやたらと愛しくてならない )

もとな: 元無で むやみやたらに、無性に
面影: 恋人の姿を瞼に思い浮かべる

翳と云う字はあまり使われていませんが、谷崎潤一郎に「陰翳礼讃」という
著書があり、和室の障子や床の間の美しさを褒めたたえた一文があります。

「 もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり
  床の間は最も濃い部分である。

  私は数奇を凝らした日本座敷の床の間を見るたびに、いかに日本人が
  陰翳の秘密を理解し、光と蔭の使い分けに巧妙であるかに感嘆する。

  なぜなら、そこにはこれという特別なしつらえがあるのではない。
  要するにただ清楚な木材と清楚な壁とを以て一つの凹んだ空間を仕切り、
  そこに引き入られた光線が凹みの此処彼処へ朦朧たる隈を生むようにする。

  にもかかわらず、われらは落懸(おとしがけ)のうしろや、花活の周囲や、
  違い棚の下などを填(う)めている闇を眺めて、それが何でもない蔭であることを
  知りながらも、そこの空気だけがシーンと沈みきっているような、
  永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける。
    -―
  われらの祖先の天才は、虚無の空間を任意に遮断して、自ずから生ずる
  陰翳の世界に、いかなる壁画や装飾にも優る幽玄味を持たせたのである。」
                                          (中公文庫より一部抜粋)


 「 新畳(あらだたみ) 敷きならしたる 月かげに 」 
                         岡田野水(おかだ やすい: 江戸時代の俳人)
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by uqrx74fd | 2015-12-17 17:36 | 自然

万葉集その五百五十二 (秋の夜半)

( 仲秋の名月  )
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( 月に雁  歌川広重展ポスター )
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(  月に雁の希少切手 )
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( 雁  JR和歌山線で  )
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(  雁行   yahoo画像検索 )
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(  白鳥の村 本埜:もとの  千葉県 )
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(  色々な雁 )
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( 秋草  菱田春草 )
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(  武蔵野  菱田春草 )
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「 秋の夜半の み空澄みて
  月の光 清く白く
  雁の群れの 近く来るよ
  一つ二つ 五つ七つ 

 家を離れ 国を出でて
 ひとり遠く 学ぶ我が身
 親を思う 思いしげし
 雁の声に 月の影に 」         佐々木信綱 作詞
                         ウエーバ 作曲 
                      ( 注: 思いしげし:思いがつのる)

少年時代に習い覚えた懐かしい歌。
歌劇「魔弾の射手序曲」の旋律からこのような郷愁をそそる歌詞を生み出した
発想豊かな歌人にして歌学者、佐佐木信綱氏は万葉研究の大家でもありました。

この歌のキーワードは「月の光 雁、別離 親を思う」です。
では、万葉人はどのように詠ったのでしょうか?

まずは月の光からです。

「 ももしきの 大宮人の罷(まか)り出て
          遊ぶ今夜(こよひ)の 月のさやけさ 」
                 巻7-1076 作者未詳

( 大宮人が退出して宴を楽しんでいる今宵の月
この月の何と清々しく爽やかなことか )

「 雨晴れて 清く照りたる この月夜(つくよ)
    またさらにして 雲なたなびき 」 
                   巻8-1569 大伴家持


( 雨が晴れて清らかに照りわたっている月。
 この月夜の空に、雲よ再びまた棚引かないでくれよ )

  また更にして : 折角雨が晴れて月が出たのだから再び
  雲なたなびき : 雲よ棚引くな 「な」は禁止を表す用法

月の光を「さやけく」「清く」と表現した万葉人。
次は雁。

「 秋風に 大和へ越ゆる 雁がねは
   いや遠ざかる 雲隠りつつ 」 
                      巻10-2128 作者未詳


( 秋風の吹く中を大和の方へ越えて飛んでゆく雁は、いよいよ遠ざかってゆく。
  雲に隠れながら )

作者は旅先で故郷大和の方に向かって飛んでゆく雁を眺めているようです。
暮れなずむ空の中、列をなして雁行していく。
あぁ、あの方向に故郷、大和があるのだ。
瞼に浮かぶは懐かしい山川。

最後に別離、父母。

「 忘らむて 野行き山行き 我れ来れど
        我が父母は 忘れせのかも 」
                巻20-4344  商長 首麻呂( あきのをさの おびとまろ)

( 故郷のことなど忘れてしまおうと思って 野を越え山を越えて俺はここまで
 やってきたが、父さん、母さんのことは忘れられないよ )

駿河国の防人が任地大宰府へ向かう途上での歌。
辛い別離を忘れ、これからの任務のことを考えようと、急ぎに急いで
野山を越えた。
しかし、いつのまにか父母のことを思い出している。
作者はまだ独身の若者なのでしょう。
方言を交えた素朴な詠いぶりはが心を打ちます。

このように万葉集を紐解いてゆくと日本人の心情は昔も今も変わらないことを
痛感します。
佐佐木信綱氏もこのような万葉歌を頭に思い浮かべながら作詞されたのでしょうか。

ウエーバの「魔弾の射手」を聞きながら過ごす秋の長夜。
庭の片隅から虫の声が聞こえてきました。

   「 万葉の 世界に浸る 秋の夜半 」  筆者
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by uqrx74fd | 2015-10-30 03:46 | 自然

万葉集その五百四十五 (草の露白し)

( 草の露白し  学友 N.F さん提供 )
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( 露草 山の辺の道 奈良 )
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( 萩    同上  )
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(  薔薇  自宅 )
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( 桔梗  山の辺の道  奈良 )
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( 高砂百合   自宅近くで )
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(  馬酔木   正倉院 )
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(  駒ヶ岳 千畳敷カールで )
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(  芙蓉   自宅近くで )
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( 海棠桜   自宅 )
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( ミヤマオダマキ  礼文島 北海道 )
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( ヒオウギズイセン   自宅  )
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( ハマナス  知床  北海道 )
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季節には太陽暦の1年を4等分した春夏秋冬のほか24等分した二十四節季
72等分した七十二候があります。
「草の露白し」は七十二候の一つで、現在の9月7日~11日頃に
あたるそうです。  (二十四節季の白露は9月8日)

厳しかった夏の暑さが和らぎ、朝夕の涼しさが際立つころ、草に降りた露は
光を浴びて、さながらダイヤモンドのように美しく光り輝きます。
俳人、川端茅舎はこのような光景を凝縮し、

「 金剛の 露ひとつぶや 石の上 」    (川端茅舎)

と、大粒の露が石の上で燦然と光り輝いているさまを詠みました。
もろさの象徴、消えるべきものの代表である露に金剛(ダイヤモンド)の
強さを見出した意表をつく名句です。

万葉人も露の美しさを愛で、
「まるで真珠のようだ、糸につなぎたい」と優雅に詠っています。

「 我が宿の 尾花が上の白露を 
              消(け)たずて玉に 貫くものにもが 」 
                            巻8-1572 大伴家持


( 我が家の庭の尾花の上の白露 この見事な白露を
 消さずに 玉として通せたらよいのに )

消たずて : 消さないで
貫くものにもが:「もが」は実現不可能なことへの願望

「 秋萩に 置ける白露 朝な朝な
        玉としぞ見る 置ける白露 」 
                         巻10-2168 作者未詳


( 秋萩に置いている白露 その白露を毎朝毎朝玉だと思って見てしまう。 
その美しい白露を。)
古代の人達は露や時雨は紅葉を促すものと考えていました。
秋の深まりと共に大地が急速に冷え、日中の寒暖差が大きくなるほど色鮮やかな紅葉。
間もなく紅葉狩りの季節が近づいてまいります。

「 九月(ながつき)の 白露負ひて あしひきの
              山の もみたむ 見まくしもよし」 
                       巻10-2200 作者未詳



( 9月の白露を浴びて 山々が一面に色づく。
 その様をもうすぐ見ることができるなぁ。
 心楽しく待ちどうしいことよ )

白露負ひて: 一面に露浴びて
もみたむ:揉むように色づく 
見まくしもよし: 「しも」は強調 見ようの意を強めたもの

「 白露に 鏡のごとき 御空かな 」 川端茅舎

露は晴天の風のない夜に多く、早朝に目覚めて外に出ると、草一面の露。

「 朝戸開けて 物思ふ時に白露の
           置ける秋萩 見えつつもとな 」
                          巻8-1579  文忌寸馬養(あやのいみき うまかひ)


( 朝起きて戸をあけ 物思いに耽っているときに
  白露の置いている秋萩 その あはれな風情が目について
  しかたがありません )

見えつつもとな: 露を置いた萩を見ると物思いがつのるばかりなので
見まいとするが、あまりの美しさについつい見てしまうの意

対馬からの遠来の客を迎えて橘諸兄邸での宴席での歌。

恋煩いなのか、床の中でぼんやりと物思いに耽っている。
思い切って起き、戸を開けるとひんやりとした空気が心地よく入ってきた。
庭の秋萩は満開、夜の冷気を存分に吸った美しい白玉がキラキラと輝いている。
「露はすぐ消えるので儚い、我が恋も」と一瞬頭をよぎるが、あまりの美しさに
見惚れてしまい、「これではますます物思いが募るなぁ」と呟く作者。

日が上るとあっという間に消える儚い命は恋の歌の絶好の材料です。

「夕(ゆうへ)置きて 朝(あした)は消(け)ぬる白露の
               消ぬべき恋も 我(あ)れはするかも 」
                          巻12-3039  作者未詳


( 夕方に置いて朝には消えてしまう白露
 そんなはかない白露のように 私は身も消え果ててしまいそうな
 切ない恋をしています )

「 夕月夜(ゆうづくよ) 心もしのに 白露の
     置くこの庭に こおろぎ鳴くも 」 
                         巻8の1552 湯原王(既出)


作者の湯原王(ゆはらのおおきみ)は天智天皇の曾孫、父は志貴皇子。
親子共に気品のある秀歌を多く残しています。

「心もしのに」とは心も萎れてしまうばかりにの意。
心情の世界と夕月夜、白露、こおろぎ、という自然の景とを融合させ
染み入るような寂寥感をうちだしています。

佐々木信綱氏は
「 情緒細やかにして玲瓏たる歌調、風韻豊かな作である。
  作者の感じた秋のあわれは千年の時の隔たりを超えて今日の読者の
  胸臆(きょうおく)にもそっくりそのまま流れて沁みこむ思いがする」

と絶賛されている万葉屈指の名歌です。

万葉集での露は115余首。
白露のほか暁露(あかときつゆ)、朝露、夕露、露霜、露の白玉、露の風、
など様々な表現で詠われていますが、いつ、どこでも見られるありきたりの
小さな自然現象にもかかわらず、その中に美を見出した古代の人達の
繊細な感覚にはただただ驚くばかりです。
その伝統は今なお引き継がれ、露は秋の季語として欠かせない存在に
なっております。

「 芋の露 連山影を 正しうす 」 飯田蛇笏

里芋の葉に露が宿り、その一粒一粒に山々が影を宿している。
小さい中の大きな世界。
作者一代の名句です。
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by uqrx74fd | 2015-09-10 22:21 | 自然