カテゴリ:自然( 94 )

万葉集その五百十五 (宇治川)

( 宇治川 )
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( 琵琶湖から流れ込む川水 )
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( 宇治橋 )
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( 壬申の乱 奈良万葉文化館 )
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( 放し飼い?の鵜 )
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( 鵜飼  大人気の女性鵜匠  yahoo画像検索より )
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( 網代 )
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( 宇治平等院鳳凰堂 )
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 ( 池に映える鳳凰堂 )
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宇治川は琵琶湖を源流とし、山間を南西に大きく迂回しながら木津川、桂川と
合流して淀川に注ぐ大河です。
古代この流域一帯は大和.近江間を結ぶ交通と物流の要衝であり、
壬申の乱の折には戦略的重要地点として争奪の戦いの舞台にもなりました。
646年、奈良元興寺の僧、道登(どうとう)によって我国最初の本格的な大橋が
架けられたと伝えられていますが、架橋するまでの移動手段は小舟によるしかなく、
熟練の船頭でも激流には手を焼いていたようです。

次の5首の歌は宇治を訪れた官人たちが川岸で酒宴を催したときのものですが、
橋がまだ架けられていなかったか、あるいは災害で流失と架橋を繰り返していた
時期であったのかは不明ですが、川渡りの様子が詠われています。

「 宇治川は 淀瀬(よどせ)なからし 網代人(あじろひと)
    舟呼ばふ声 をちこち聞こゆ 」   
                        巻7-1135 作者未詳

( ここ宇治川には歩いて渡れるような緩やかな川瀬などないらしい。
 網代人が岸に向かって舟を呼び合う声があちこちから聞こえるよ。)

伊藤博氏は宇治川の夜景とされ、

『 川の中に網代を設けて魚を捕る人の岸辺に向かって舟を呼ぶ声が
  闇夜を貫くのを聞きながら宇治川の激流を想像している
  人と川の緊張関係が影絵のようになっている点が印象的である。
  一種の宇治川賛歌といってよい。』と解説されています。 (万葉集釋注) 

網代は宇治川の代表的な景物で、秋から冬にかけて河中に上流に向かって
V字型に杭を打ち並べ、竹などで編んだ簀(す)を張り、流れと共に下ってくる
琵琶湖の小鮎を捕る仕掛けです。
琵琶湖の鮎は一般に海まで下らず、成魚でも普通の鮎の半分くらいの大きさ。
その稚魚を氷魚とよび捕えて食膳に供します。

「 宇治川に 生(お)ふる菅藻(すがも)を 川早み
    採(と)らず来にけり つとにせましを 」 
                              巻7-1136 作者未詳

( 宇治川の流れが速いので川に根生えている菅藻を採らないできてしまった。
      家への土産にすればよかったのに )

「川早やみ」 川の流れが速いので
「つと」 「包む」と同源の言葉で「土産」のこと。

菅藻とはいかなる藻か不明ですが、川に靡く藻は女性に譬えられるので、
酒宴の席に「あの美女を連れてくればよかったのに」
という意が含まれているようです。

「 宇治人の 譬(たと)えの網代 我ならば
   今は寄らまし 木屑(こつみ)来ずとも 」 
                            巻7-1137 作者未詳

( 宇治人の譬えとして誰もが持ち出す網代、私だったらとっくに
 その網代に引っかかっておりましょう。
 あなたさまの魅力を解しない木っ端女など来ないでも )

 
宴席に歌舞音曲、作歌を生業とする遊行女郎(うかれめ)が同席していたと思われます。
前の歌を受けて
「あなたが逃がした女性ほど美しくはないが私なら喜んで寄り添っていましょうに」
と冗談を言いながら座を盛り上げています。

「宇治人の 譬えの網代」とは「宇治人といえば誰もが網代を連想し、
網を張って美女をひっかける男の代名詞」の意
「木屑(こつみ)」は難解ですが「そこら辺にどこにでもいるつまらぬ木っ端女」と解します。

「 宇治川を 舟渡せをと 呼ばへども
   聞こえずあらし  楫(かじ)の音もせず 」 
                         巻7-1138 作者未詳

( 「この宇治川を舟で渡してくれ」としきりに呼んでみるが
  一向に聞こえないらしい。
  櫓の音さえしてこないよ。 )

酒食と楽しい会話を堪能し、いよいよお開きになってきた。
「さぁ、舟を呼んで帰ろうかと」思えども見当たらず。
声が届かないほど川音が大きく、また川幅が大きいと嘆息する作者。
本気で嘆いているのではなく、宇治川の大きさを褒めている土地褒めです。

「 ちはや人 宇治川波を 清みかも
    旅行く人の 立ちかてにする 」
                          巻7-1139 作者未詳

( 宇治川の川波があまりにも清らかであるからか、旅行く人がみな
 ここを立ち去りかねている )

 宴席の詠いおさめです。

「ちはや人」は宇治に掛かる枕詞で「千早振る」(畏怖すべき霊力に満ち荒々しい)という
神に掛かる枕詞の変形。

「立ちかてにする」 立ち難い

万葉集に見える宇治は18首。
そのうち宇治川,宇治の渡りが16首、万葉人にとって周りの景色より
川の方が印象深かったのでしょう。

今日の宇治はJR京都駅から奈良方面に向かう快速で20分足らず。
海外の観光客も多く、ごった返すような賑わいです。

宇治川は平等院参道入り口近くを流れており、昔の面影を残していますが、
ダムで水量を調整しているため水量も少なく、逆巻く奔流は見えません。

放し飼いにしているのでしょうか、川の真中で鵜が気持ちよさそうに羽を広げています。
川のほとりの中州に鵜小屋があり、二人の女性の手並み鮮やかな鵜飼が
観光客を湧かせているようです。

宇治といえば藤原頼道建立の平等院。(1053年)
左右の翼廊と尾廊を備えた美しい建物と中央大棟の両端を彩る金色の鳳凰。
堂内には定朝作と云われる阿弥陀仏と飛天。
いずれも素晴らしく見惚れるばかりです。
折から修学旅行の学生の大集団。
急に賑やかになった境内を後にし、近くのお茶屋で美味しい宇治茶を戴いた後、
奈良へ向かいました。

            「 宇治川の 浮鵜に こぼる 梅の花 」  筆者
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by uqrx74fd | 2015-02-12 17:08 | 自然

万葉集その五百八 (松原)

( 天橋立の松並木 )
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( エメラルド色の海が美しい  天橋立 )
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( 白い帆も浮かぶ  同上 )
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( 白砂青松    同上 )
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 ( 松の根元の紅葉も美しい  同上 )
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 (  海面すれすれの松ヶ枝  同上 )
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 (  かくれんぼ  同上 )
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( 朽ち折れた松の大木から若い木が  同上 )
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( 上から見ると龍が上るように見えるので飛龍観というそうな 案内ポスター 同上 )
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( 三保の松原 )
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( 三保の松原  歌川広重 )
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「松原遠く 見ゆるところ 
 白帆の影は 浮かぶ
 干網 浜に 高くして
 鴎は低く 波に飛ぶ
 見よ 昼の海 見よ 昼の海 」    (海 作詞作曲者未詳)

「松原」は元来「松が多く生えているところ」の意ですが、その言葉から
連想されるのは海辺の松林。
古くから防風、防砂林として日本各地で盛んに植栽され、年を経るごとに形を整えて
海岸線に連なる白砂青松となり我国独特の美観を生み出しました。

万葉集での松は長寿を象徴するもの、松籟、枝振りの美しさなど様々な形で詠われ
77首も見えますが、「松原」は旅先でのものが多いせいか、美しい景観より
旅愁を慰め、故郷を偲ぶよすがとして詠われています。
「松」が「待つ」という言葉と音が通じることから「恋人や妻との再会を待つ」
あるいは、遠くから見ると松が人の形に見えることにもよるのでしょうか。

「 わが背子を 我(あ)が松原よ 見わたせば
     海人娘子(あまをとめ)ども 玉藻刈る見ゆ 」
                     巻17-3890 三野連石守( みのの むらじ いそもり )

( 「 わが背子を私がしきりに待つ 」という、その名の松原から見渡すと、
  今しも海人娘子たちが美しい藻を刈っているのが見えるよ )

「我が松原よ」の原文は「安我松原」。
地名と「我が」を掛け、「よ」は「より」。
さらに「松原」に「松」と「待つ」を掛けるという複雑な構成。
「 私の愛しい人を私が待つという安我松原から」の意。

天平2年11月 大伴旅人は大宰府長官の任務を終え都へ戻ることになりました。
旅人は陸路をゆっくり楽しみながら歩き、側近の家来たちは海路で戻ることに
なったようです。
恐らく大きな荷物などを船に運び込んだのでしょう。
この歌は航路出発点となる大宰府の外港(荒津)からの景色を詠ったものです。
緑美しい海藻を刈る海人娘子を眺めながら、懐かしい故郷で待つ妻に想いを馳せる作者。
長い鄙勤(ひなづとめ)を終え、都への転勤に胸が躍り喜びが溢れているようです。

「 海人娘子(あまをとめ) 漁り火焚く火の おぼほしく
    角(つの)の松原 思ほゆるかも 」 
                              巻17-3899 作者未詳

( 海女のおとめが焚く漁火のように、ぼんやりと角の松原が思われて
 ならないことよ )

「おぼほしく」 ぼんやりと

風に吹かれてゆらゆら揺れている漁火を眺めているうちに、炎の中から幻想の如く
妻の面影が浮かび上がってきた。
「もうすぐ逢える!」と胸を躍らせている男。

前歌と同じ船旅で詠われたもので、角(つの)は西宮市松原町津門(つと)の海岸。
「角の松原」を「自分を待つ妻」に譬えています。
「 当時、この地は妻に見せたい景勝の地として詠われていたらしく、それが妻を
さすようになった(伊藤博)」 のだそうです。

「 朝なぎに 真楫(まかぢ)漕ぎ出て 見つつ来し
    御津(みつ)の松原 波越しに見ゆ 」 
                    巻7-1185 柿本人麻呂歌集

( 朝凪の海に 左右の櫂を貫おろして舟を漕ぎだしてゆくと、ずっと見続けていた
 御津の松原が波越に見え隠れするようになった。)

真楫(まかじ)は船の両舷に下した櫂(かい)。
御津の松原は難波の御津を中心としたあたり一帯の松原とされ、瀬戸内海を経て
九州に向かう旅と思われます。
次第に遠ざかってゆく松原を眺めながら物思いに耽る作者。

「しばらく この美しい松原ともお別れだなぁ」と、
これからの船旅の楽しさよりも故郷を離れ行く寂しさ、心細さを
感じているようです。


「 廬原(いほはら)の 清見の崎の 三保の浦の
    ゆたけき見つつ 物思ひもなし 」  
                         巻3-296 田口益人

( 廬原の清見の崎の三保の浦 そのゆったりとした海原を見ていると
  晴れ晴れとした気持ちで 何の物思いもないことだ )

708年、上野守に任命された作者が赴任の途中、駿河三保の浦で詠ったもので、
庵原は現在の静岡県庵原(いはら)郡と清水市(現静岡市)の一部とされています。
風光明媚な景色によって心が癒され、赴任にあたっての不安や悩みが消えた
ようですが、万葉集で詠われた唯一の三保の浦です。

現在の三保の松原は総延長7㎞、約3万本余の松が生い茂り、世界遺産の一部に
指定されていますが、古代人も駿河湾を挟んで望む富士山や伊豆半島の眺めに
大きな感銘を受けたことでありましょう。
当時富士山は活火山、火柱が上がり、もうもうと煙を噴き上げていたかもしれません。

「 虹立ちて 三保の松原 日当たれり 」     京極杞陽

松の木に魅かれて天橋立を訪問しました。
京都から城崎温泉行の特急で約2時間、我国唯一外洋に面さない湾内の砂州です。
文字通りの白砂青松、一帯の松は8000本とか。

好天に恵まれ3.6㎞続く松並木を散策すること往復7㎞強。
道の両側は海と云う珍しい散歩道で、海上を歩いているような気分です。
この道は上空から見ると龍が天に上るように見えるので飛龍観とよばれているそうな。

エメラルド色の美しい海。
白い帆を目いっぱいに広げて走る船。
晩秋なのに潮風が暖かい。

海面すれすれにまで枝を伸ばす老松が寄せる波に打たれている。
他では見られない独特の風景です。
松に絡みつく蔦の紅葉も美しく、湧水があるのも珍しい。

流石、日本三景の一つ。
万葉の歌が見えないのが残念でした。

「 人おして 廻旋橋の ひらくとき
                    くろ雲うごく  天の橋立  」  与謝野晶子

           廻旋橋(かいせんばし): 船が通る度、人力で橋を回転させます。
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by uqrx74fd | 2014-12-25 16:03 | 自然

万葉集その五百六 (吉城川:よしきがわ)

( 吉城川  奈良公園 東大寺南大門前 )
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( 同上 )
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( 左 依水園 中央 吉城川 右 吉城園 )
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( 吉城園 )
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(  同上 )
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(  同上 )
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( 依水園 後方 若草山 東大寺南大門 )
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( 依水園 吉城川から流れる水 )
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( 氷室神社の枝垂桜 )
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吉城川は御蓋山(みかさやま)の上流、水屋峰を源とし隣の若草山との間から
東大寺南大門前を経て佐保川にいたる川で、古くは宜寸川(よしきがわ)と書かれました。

平城京の時代、水屋峰は気温が低く厚い氷が張ったので、冬の間に切り出して
幾重もの藁や草に包んで氷室に貯蔵し、夏に宮中に献上、大宮人たちはこの氷で
オンザロックを飲んでいたという記録も残ります。
中世になると氷室は氷室神社として現在の奈良国立博物館の近くに移され、
毎年5月1日、古式ゆかしい献氷祭がおこなわれています。
また、社前の巨大な枝垂桜の枝振りも見事です。

吉城川は水量が少ないため川底の岩が露出しているところが多く、公園で遊ぶ鹿の
水飲み場になっており、また、川の両岸に多くの楓が植えられているので紅葉撮影の
穴場でもあります。

万葉集での吉城川は1首のみ、それも恋歌です。

 
「 我妹子(わぎもこ)に 衣春日の(ころもかすがの) 宜寸川(よしきがわ)
            よしもあらぬか 妹が目を見む 」 
                                       巻12-3011 作者未詳

( いとしい子に 衣を貸すという春日の宜寸川(よしきがわ)
 その名のように何かよい方法がないだろうか。
 あの子に逢いたくてしょうがないんだ。)

「衣 貸す」と「かすが(春日)」の「かす」、「吉城川」の「よし」と「よしもあらぬか」の「よし」が
二重に懸けられている言葉遊びです。

「よしもあらぬか」は「縁(よし)もあらぬか」で「手掛かりがないだろうか」の意。
 
「衣貸す」は共寝の時にお互いの衣を交換して敷いて寝ることをいい、
「 逢って寝たい、なにかいい方法がないだろうか 」と悩む男です。

東大寺の近くに吉城園、依水園(国の名勝)という美しい日本庭園があり
両園の間を吉城川が流れています。
吉城園は周辺一帯地下水脈が豊富に流れ込んでいるため庭全面が苔に覆われており、
秋深まる頃、緑苔に赤、黄葉が散り敷くさまは、えも言われぬ美しさ。
茶室もあり一服戴きながら、はらはらと風に流れる紅葉を眺めると
別世界の感があります。

依水園は川の流れを庭園に引き込んでいるため
「吉城川の水に依って作られた庭園」即ち「依水園」の名があると云われ、
東大寺南大門、若草山を借景とした景観は見事。
( 名については杜甫の漢詩「名園依緑水」によるという説もあり)

とりわけ巨大なドウダンツツジの燃えるような赤色が映えている様は素晴らしく、
奈良には珍しい池泉回遊式庭園です。

古びた建物の中で庭園を眺めながら「むぎとろ」を戴くのもよし。

    「依水園の 紅葉の中の とろろ茶屋 」 近藤正
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by uqrx74fd | 2014-12-11 22:45 | 自然

万葉集その五百五 (泊瀬川:はつせがは)

( 泊瀬川 春は桜並木が美しい  対岸は昔 海石榴市があったといわれる)
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( 泊瀬川の上流 長谷寺への参道の脇を流れている )
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( 長谷寺 奈良県 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 同上 )」
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( 同上 )
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( 紅葉が美しい長谷寺 )
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( 長谷路の民家 )
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(  名物 よもぎ餅  出来立ての熱々が美味しい  長谷寺の前で )
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泊瀬川は長谷寺の東北奥、小夫(おうぶ)、白木を源流とし、三輪山の麓では
三輪川、海柘榴市あたりで大和川とよばれ、やがて淀川に合流する一級河川です。

現在は水量も少なく水も澄んでいるとは言えませんが、古代は遣隋使、遣唐使船が
着岸したり、藤原京造営の資材運搬に利用されるなど重要な水路とされ、川幅は
今の2倍以上あったと思われます。

沿岸は伊勢街道。
長谷寺、伊勢参りの旅人が賑わう宿場町で、海柘榴市とよばれた市が立ち、
若い男女が集まって歌垣が行われるなど殷賑を極めていました。
旅行く人達は泊瀬川のほとりで疲れた体を癒しながら、滔々と流れる川を眺め、
初瀬の山を分け入り、四季折々の風景を楽しんだことでしょう。

万葉集で泊瀬という地名が登場するのは30余首。
多くの人たちを魅了した「こもりくの泊瀬」と「泊瀬川」です。


「 石(いは)走り たぎち流るる 泊瀬川
    絶ゆることなく またも来て見む 」 
                     巻6-991 紀 鹿人( きの かひと)

( 岩に激してほとばしり流れる泊瀬川 、この川の流れが絶えないように
 私もまた絶えることなくこの地の川を見にこよう )

「 岩にあたって砕け散る川波
  あぁ! 何と清々しいことよ
  幾度でも来て見たいものだ 」

と詠う作者は大伴家持と親しかった紀郎女の父。
大伴氏の私領 跡見(とみ)の庄を訪ねた帰りに三輪山麓、海石榴市あたりで
詠ったものです。
庄には大伴坂上郎女と弟稲公(いなきみ)住んでいたらしく、大伴、紀家の親密な
関係が窺われます。

「 泊瀬川 流るる水脈(みを)の 瀬を早み
     ゐで越す波の 音の清けく 」 
                          巻7-1108 作者未詳

( 泊瀬川の 渦巻き流れる川の瀬が早いので
 堰(せき)を越えてほとばしる波、その波音が清らかに聞こえてくる )

「ゐで」川の流れを堰き止める堤
「瀬を早み」は瀬が早いので

清流、泊瀬川に鮎が棲んでいたらしく鵜飼も行われていたようです。
土手に桜なども植えられ、周囲の山々の彩りも美しかったことでしょう。

「 泊瀬川(はつせがは) 早み早瀬を むすび上げて
   飽かずや妹と 問ひし君はも 」 
                          巻11-2706 作者未詳

( 泊瀬川のほとばしる早瀬の水 その水を手に掬(すく)い上げて
 飲ませてくれながら 
 「お前さん おいしいだろう 十分に満足したかい」と
 尋ねて下さったあの人。
 今ごろどうなさっているのでしょう )

「泊瀬川(はつせがわ)」、早み(はやみ)、「早瀬」(はやせ) と「ハ」を3回重ねる
軽快なリズムは清冽な流れを思い起こさせます。

「むすび上げて」の「結ぶ」は両手で水をすくうことですが、二人の肉体関係をも
暗示しているように感じるのは深読みか。

川を眺めながら、かっての情景を思い浮かべ恋人の手のぬくもりを感じている。
愛する人は今何処。
男は遠くを旅しているのか。
あるいは過ぎ去りし若き頃の楽しい初恋の思い出なのでしょうか。
作者未詳歌ながら味わい深い一首です。

初瀬川に掛かる馬井手橋の中央に佇むと左手に三輪山、中央に忍坂山(おさかやま:外鎌山)、
右手に音羽山。
振り返ると遥か彼方に二上山と金剛葛城山脈。
古の華やかな時代の様子を瞼に浮かべながら長谷寺へと向かいました。

  「 時雨降る またも来て見む 泊瀬川 」 筆者
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by uqrx74fd | 2014-12-04 19:38 | 自然

万葉集その五百一 (山 色づきぬ)

( 春日野にて  前方の山は御蓋山  後方春日山  奈良 )
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( 奈良公園 )
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( 奈良公園の鹿 )
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( 遊ぶ子供たち )
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( 手向山八幡宮  奈良 )
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( 同上 )
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( 大仏池 )
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(  長谷寺  奈良 )
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( 杉玉  揮毫は前東大寺管長 上野道善師 (筆者学友)
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「 拝啓 林間に酒を温めて、紅葉を焚く時候と相成りました。
  銘酒あり、一献献上、御来駕あれ 」

このような粋なお誘いを受けて断るわけにはまいりません。
何はともあれ古都奈良へ馳せ参じて全員集合。
澄み切った青空の下、万葉の故地、春日野、初瀬、三輪、龍田を巡ります。

まずは春日野から仰ぎ見る春日、高円、御蓋の山々。
今年も美しく色づきはじめていました。

 
「 雁がねの 寒く鳴きしゆ 春日なる
    三笠の山は 色づきにけり 」   
                  巻10-2212 作者未詳

(雁が寒々と鳴いてからというもの 春日、三笠の山は美しく色づいてきましたね。)

「 山粧ふ (やま よそおふ) 」という言葉があります。
11世紀の中國北宋の画家、郭煕(かくき)の造語とされ、山笑う、山滴る、山眠ると共に
四季の山の表情を生き生きと表現したものとしてよく使われていますが、「粧ふ」は
豪華絢爛、錦の山を想像させます。

対する万葉人の「色づく」は、「ほんのり」と薄化粧。
紅葉は一気に赤や黄色になるのではなく、山の上から下へと向かって時雨に
濡れそぼちながら徐々に徐々にと彩りをそえてまいります。
古代の人はこのようなさまを草木の葉が「もみだされるように」変色すると感じ
「黄変」と書き「もみつ」と云っていました。
「もみつ」という動詞が名詞の「もみち」、さらに転訛して「もみぢ」になったのです。


「 こもりくの 泊瀬(はつせ)の山は 色づきぬ
    しぐれの雨は 降りにけらしも 」    
                            巻8-1593 大伴坂上郎女

( こもりくの初瀬の山は見事に色づいてきました。
時雨が早くもあの山々に降ったのでしょうね。)
作者は耳成山東北の地、大伴家の私領、竹田庄に行っていたようです。
古代、早秋の時雨は紅葉の色づきを早め、晩秋のそれは落葉を促すものと
考えられていました。
泊瀬の紅葉は昼夜寒暖の差が大きく色鮮やか、とりわけ長谷寺の堂宇の間から臨む
色とりどりの美しさはこの世のものとは思えません。

大和朝倉、長谷寺あたりはその昔「隠国(こもりく)の泊瀬(はつせ)」とよばれていました。
「はつせ(またはハセ)」は初瀬、泊瀬、長谷とも書きますがいずれも正しいとされ、
初(ハツ)は「初め」、泊は「終わり」、「長谷」は「狭くて長い谷」
そして「こもりく(隠国)」は「山々に囲まれた国」の意です。

すなわち「こもりくのはつせ」は「山々に囲まれた長い谷」にある霊験あらたかなる
観音様を拝して心機一転の「新しい人生を初め」、生涯の果ては「人生の泊(とま)りどころ」
つまり墓所が営まれた聖なる地なのです。

「 味酒(うまさけ) 三輪の社(やしろ)の山照らす
     秋の黄葉(もみち)の 散らまく惜しも 」
                              巻8-1517 長屋王

( 三輪の社の山を照り輝かしている秋のもみじ、その黄葉の散ってしまうのが
 惜しまれてならぬなぁ )

三輪の社は山そのものがご神体とされている三輪山
「味酒(うまさけ)三輪」は味(うま)い酒を盛ったみわ(御わ:土製の容器)の意で
神に供えることから三輪山に掛かる枕詞として使われています。

米の収穫が終わり酒の仕込みの時期になると、神様に感謝を捧げると共に、
裏山で採った杉の葉先を玉にして全国の酒屋に配ります。
店先に飾られた青々とした杉玉は「新酒できましたよ」のお知らせ。
時の経過とともに褐色に変色するのは酒の成熟度を示すのだそうです。

「 雁がねの 来鳴きし なへに 韓衣(からころも)
     龍田の山は  もみちそめたり 」  
                               巻10-2194 作者未詳

( 雁が渡ってきて鳴くやいなや、韓衣を裁(た)つと云う名の龍田の山が
  色づきはじめました)

韓衣(からころも)は大陸風の衣装、ここでは衣を裁つ(龍)の意で龍田に掛かる枕詞。
龍田の山は現在その名が存在しませんが、生駒山の最南端信貴山に連なる
西の山とされています。
古代 難波と大和を結ぶ官道がここを通っており、平安時代になると麓を流れる
龍田川が紅葉の名所とされましたが、万葉集では川の紅葉は詠われていません。

「 かくしつつ 遊び飲みこそ 草木すら
    春は生(お)ひつつ 秋は散りゆく 」 
                             巻6-995 大伴坂上娘女(既出)

( さぁ 皆さん 今夜は思う存分飲んで楽しく過ごして下さい。
  草や木でさえ春には生まれ秋に散ってゆくのです。
  我々も短い人生を大いに楽しみましょう )

再び春日野に戻って飲めや歌えの大酒盛り。
ここは山の麓の隠れ宿。
三笠の山に月が出た。

一献、また一献 。
美酒(うまさけ)、旨肴、云う事なし。
何よりのご馳走は、友との尽きせぬ語り合い。

楽しきかな、愉快かな。
隣の女性も仲間入り。
なんと! 遥々スエ-デンから見えた実業家、
英語達者が通訳し、
イングリッド・バーグマンに似ていると大騒ぎ。

かくして またたく間に秋の夜が更けてゆきました。

「 酒の燗(かん) せきに客くる 紅葉茶屋 」 穂北燦々

           せきに : (酒はまだかぁと) せかしに 
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by uqrx74fd | 2014-11-07 05:37 | 自然

万葉集その四百九十九 (白露)

( 白露  学友N.Fさん提供 )
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( 露草  山の辺の道  奈良 )
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( 同上 )
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( 薔薇の新葉に置く露 )
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( 千畳敷カールで  中央アルプス )
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(  同上 )
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( 同上 )
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(テルリコフスカ著 しずくのぼうけん :一粒の雫が旅に出て、雲や雨になり
 川となって流れ、つららになって春を待つお話です )
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「あさ つゆをみると むねが ふるえる 」    ( 八木重吉 詩稿 ことば)

深まりゆく秋の早朝、野原の草花の上に置かれた露は太陽の光を受けて
小粒のダイヤモンドを撒き散らしたようにキラキラと輝きます。
思わず「ワァー」と歓声を上げたくなるような美しさ。
花の露ともよばれる雫は、植物や昆虫など生きとし生けるものに用意された
自然の飲み物であり、彼らが美しい色に変化するのは虹色に光る玉を飲んで
育ったからなのでしょうか。

古代の人々はこのような美しい玉水を白露とよび、木の葉を染めて
紅葉させるものと考えていました。

「 秋されば 置く白露に わが門(かど)の
      浅茅が末葉(うらば) 色づきにけり 」 
                         巻10-2186 作者未詳

( 秋がやってまいりましたね。
  我が家の茅(ちがや)の葉先も置く露のために美しく色づいてきましたよ )

 
「我が門(かど)」は男女が逢い別れるところをさし(伊藤博)ここでは宴席のようです。
庭先で行く秋の紅葉を楽しんでいる男女、虫の音も涼やかに響いていたことでしょう。
浅茅は丈の低い茅(ちがや)、末葉は葉の先。 

「 妹が袖  巻来(まきき)の山の 朝露に
     にほふ黄葉(もみち)の 散らまく惜しも 」
                            巻10-2187 作者未詳

( いとしい子の袖を巻くという巻来(まきき)の山の 朝露に色づいた黄葉が散るのが
 今から惜しまれることです )


前の歌の男女の出会いの場「門」から「妹が袖を巻く」(共寝する)を連想させる
「巻来(まきき)の山」という枕詞を用いています。(所在未詳)

今は盛りの黄葉が散るのを惜しんだ歌ですが、女性との一夜が早く終わってしまうのが
惜しいという気持ちが籠っているのかも知れません。

「 さを鹿の 朝立つ野辺(のへ)の 秋萩に
     玉と見るまで 置ける白露 」 
                       巻8-1598 大伴家持

( 雄鹿が朝佇んでいる野辺の秋萩
 その上に玉と見まごうばかりに置いている白露よ。)


牡鹿は萩が咲く頃妻を求めて鳴くので「萩は鹿の花妻」といわれます。
鹿が妻問したあとの後朝(きぬぎぬ)の別れ。
白露は別れの涙でしょうか。

霧の帳(とばり)がかかる明け方の野原。
咲き乱れる萩に置く露。
悲しげにミユーンと鳴く鹿。
優美かつ哀韻響く一首です。

「 玉に貫(ぬ)き 消たず賜(たば)らむ 秋萩の
    末(うれ)わくらばに 置ける白露 」
                             巻8-1618 湯原王

( 秋萩の枝先にとりわけ際立って見事に宿っている白露。
それを白玉として糸に貫き、消さないままで戴きたいものです)

 
ある乙女に贈った歌。
もとより出来ないことを所望した戯れですが、優雅な求愛ともとれる一首です。
「末(うれ)」 : 枝先
「わくらば」は「別くらば」で「他と区別できるほど際立って美しい」

万葉集に見える露は115首余。
豊かにして繊細な日本人の感受性は月の雫(露の異名)、朝露、暁露(あかときつゆ)、
露霜(つゆじも)、露の身、露の命などの美しい言葉を生み出し、今もなお秋を代表する
季語として詠われ続けているのです。

 「 露の玉 つまんでみたる わらは哉 」 一茶 (おらが春)

                     「わらは」 童子
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by uqrx74fd | 2014-10-23 17:54 | 自然

万葉集その四百九十三 (月読み:つくよみ)

( 春日山の月  奈良市 )
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( 同上 :  古都の空 紫にして 月白し  高濱虚子 )
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( 仲秋の名月 )
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( スーパームーン 2014.9.9 )
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(  観月賛仏会  唐招提寺  奈良市 )
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「月読み」とは元々、古事記や日本書紀に登場する夜を支配する神、月読命(つくよみのみこと)を
指すものとされています。
古代の人は刻々と形を変え一定の期間を置いてまた復活する月に生命の永遠性を感じ、
神と崇めていました。
「読む」は「数える」を意味し、月の形で日数を数えることにより時の推移と
潮の満ち欠けを把握していたことによります。

万葉集での「月読み」は7首。
単なる月として詠われていますが、わざわざ「月読み」としたのは、畏敬の気持ちと共に
歌の初句に用いると調べが良くなり、後に続く光を導きやすいこともあったようです。

「 月読みの 光を清み 神島の
        磯みの浦ゆ 船出す我れは 」
                      巻15-3599 作者未詳(遣新羅使人)

( お月様の光が清らかなので、それを頼りに神島の岩の多い入江から
  船出をするのだ。 われらは )

新羅へ派遣された使人が難波津を出航し、瀬戸内海、鞆の浦を経て
九州に向かう時の歌。
神島は福山市西部にあり、風待ちの寄港地であったようです。
夜の船出を詠った珍しい例ですが、この辺りは季節風が吹き昼は逆風のため
順風の夜を待って出航したものと思われます。

「月(つく)読みの 光に来ませ あしひきの 
             山きへなりて 遠からなくに」
                        巻4の670 湯原王 (既出)

 (  ねぇ、月の光をたよりにお出かけくださいませよ。
    貴方様のお住まいと私の家は、山が隔てていて遠いというわけではありませんのよ )

「山きへなりて」 「山き」の「き」は刻みの意で断絶を表すか(橋本四郎)
「へなる」  隔てとなる。

宴席の余興で作者が男の訪れを誘う女の立場で詠ったもの。
当時の妻問いは月の光を頼りに行くのが習いでした。

続いて男の立場での返歌。

「 月読の 光は清く 照らせれど
            惑へる心 思ひあへなくに 」   巻4-671 作者未詳

( なるほど、お月様の光は清らかにそそいでいますが、私のあなたを想う気持ちは
 千々に乱れる心の闇。
 先が見えなくなって、踏ん切りがつきかねているのです )

「 惑へる心 」  恋に分別をなくした私の心 
「思ひあえなくに」 思いを定めかねている 「あふ」は 「~出来る」で反語を伴う

「あなたを想うあまり心が乱れ、先が見えなくなっているのです」と
前歌の月の光に対して心の闇を配したもの。

この歌は作者未詳となっていますが、興に乗って湯原王が一人二役を
演じたのかもしれません、
楽しそうな月見の宴が目に浮かぶような一幕です。

「 月(つく)読みの 光を待ちて 帰りませ 
                 山路は栗の いがの多きに 」  良寛

湯原王の歌を本歌取りしたもの。

良寛の家に風雅の友でもあり、有力な後援者でもあった阿部定珍(さだよし)と
話し込んでいるうちに日が暮れてしまい、慌てて帰ろうとする定珍を引きとめ、
また、帰路を気遣かった歌です。
本が買えない良寛は人から借り、要点を書きとめ、その恐るべき記憶力で
心にかなった歌や表現をたちまち暗記し自由自在に使ったといわれています。

(注: 本歌取りとは和歌、連歌などを意識的に先人の作の用語などを取り入れて作る事。
    背後にある古歌(本歌)と二重写しになって余情を高める効果がある。)

「 天(あめ)にいます 月読壮士(つくよみをとこ) 賄(まい)はせむ
   今夜(こよひ)の長さ 五百夜(いほよ) 継ぎこそ 」 
                                    巻6-985 湯原王

( 天にまします月読壮士さま 贈り物ならいくらでもいたしましょう。
      どうか今宵の長さを五百夜分も繋ぎあわせて下さいませ )

宴席で女の立場で詠ったもの。
美しい月、今夜限りではなく五百夜までも見たいものですと楽しげに詠う作者。
「月読壮士(つくよみをとこ)」に男神の名残が見られます。

作者は歌の名手、志貴皇子(天智天皇の皇子)の子。
ロマンあふれる秀歌を19首も残していますが、平安朝の歌を先取りしたような
優美な調べのものばかりです。

今年の仲秋の名月は9月8日。
翌9日はスーパームーン、月が一番大きく見える日です。
全国各地で古式豊かな月見の宴が行われたことでしょう。

「 名月や 只美しく 澄みわたる 」    三浦樗良(ちょら) 江戸中期

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by uqrx74fd | 2014-09-12 06:38 | 自然

万葉集その四百六十八(春霞)

( 霞む葛城金剛山脈 山辺の道から)
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( 春日野の朝  後方 春日山 奈良市 )
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( 菜の花畑  後方に霞む二上山  山辺の道から )
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( 梅 後方に三輪山  山の辺の道から )
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(  畝傍山 耳成山 後方金剛葛城山脈 山の辺の道から )
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( 畝傍山  香具山の麓で )
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( 早春の山辺の道   後方二上山)
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( 若草山焼きと朧月)
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( 春日山から顔を出した月 )
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立春を過ぎると歌の世界では今まで霧とよばれていたものが春霞という優雅な言葉に変身します。
しかも夜は朧(おぼろ)とよぶ念の入りようで、季節の移り変わりを観察し
美しい日本語を造り出す昔の人の繊細さには、ただただ驚かされるばかりです。
そもそも現代の人で立つ霧に春を感じる人は一体何人いるでしょうか。

「 うぐひすの 春になるらし 春日山
     霞たなびく 夜目に見れども 」 
                  巻10-1845 作者未詳

( もう、鶯の鳴く季節になったらしいなぁ。
    春日山にもう霞がたなびいているのが夜目にもはっきりとわかるよ )

鶯の初音と霞。
聴覚と視覚で春到来を感じ取った一首です。

暮れなずむ夕べ。
夜の帳が降りようとする頃、妙なる調べが聞こえてきた。
ふと春日山の方角をみると青白い朧が棚引いている。
幻想的な風景です。

「 雪見れば いまだ冬なり しかすがに
   春霞立ち 梅は散りつつ 」
                     巻10-1862 作者未詳 

(  雪が降り、まだ冬の寒さ。
  でも あたりは霞が立ち
  梅の花がもう散りはじめている。
  春が来ているのは間違いないのだなぁ )

予期しない春の雪。
梅の花びらも流れている。
雪か梅か、見まごうばかり。
山見れば残雪の中に棚引く霞
白一色の世界。
寒さの中で春の訪れをしみじみと実感している作者です。

「 春霞 立つ春日野を 行(ゆ)き返り 
     我れは相見む いや年のはに 」
                 巻10-1881 作者未詳  


( 春霞が立ちこめる春日野 この野を行きつ戻りつして
 われらは共に眺めよう。
 来る年も来る年も いついつまでも )

「いや 年のはに」 「いや」は「ますます」
             「年のはに」は 「毎年」

以下は自由意訳です

「 春日野で酒盛りやろうや 」と
  年来の親しい友が集まった

  広い野原の向こうには
  春日、御蓋、高円山
  棚引く霞は紫の帳 

  鹿も顔出し興を添え、
  歌えや踊れ おらが友。
  杯重ね また一献

  黄昏こめる春日野に
  お寺の鐘が鳴り響く。
  盡きることなき語り合い
  楽しきかな、愉快かな

  残り少ない人生を
  共に長生きいたしましょう 
  変わることなき友情は
  生きる元気の飯の種  」     (筆者)
 

「 風鐸の 霞むとみゆる 塔庇(とうひさし) 」  飯田蛇笏  

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by uqrx74fd | 2014-03-21 08:09 | 自然

万葉集その四百五十二(山粧う)

( 奈良県庁屋上より 大仏殿)
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( 同上 若草山、御蓋山 後方春日山)
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( 衣水園より 後方 南大門、若草山)
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( 長谷寺本堂より )
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( 同上 )
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( 長谷寺五重塔 )
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( 長谷寺境内 )
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( 室生寺 )
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 「 しぐれ降る 野山は錦 今日は旅 」  筆者

秋晴れの中、紅葉便りに誘われ、「そうだ 奈良へ行こう!」と早朝、新幹線,
JRを乗り継いで奈良駅に到着したのが午前11時すぎ。
なんと青空が一転かき曇り時雨が降り出しました。

古都の紅葉狩りは県庁の屋上からスタート。
平日の勤務時間内なら外部の人にも無料で開放してくれている有難い役所です。

展望所に立って東を臨むと若草山、春日山、御蓋山、高円山が連なり、大仏殿
二月堂、南大門が甍を並べています。
南に目を転じると佐保丘陵、その昔、大伴一族が邸宅を構えていたところ。
西には大阪につながる生駒山、北の方角は遥かに三輪山、葛城金剛山。

ビル屋上の回廊を巡りながら奈良市内を360度パノラマ状に俯瞰できる
とっておきの場所なのです。

「 雁がねの 声聞くなへに  明日よりは
   春日の山は もみちそめけむ 」   巻10-2195 作者未詳


( 雁の鳴き声が聞こえるようになったなぁ。
  明日からは春日の山も色づきはじめることであろう )

「なへに」は「~につれて」
 
古代の人たちは秋になると草木が赤や黄色に変わる現象を時雨によって
「揉(も)みだされている」と感じ「もみつ」と言い習わしていました。
雁が音を聞きながら、「さぁ紅葉の季節がきたぞと」胸を膨らませている作者。

県庁の屋上から見える春日山はまさに紅葉が始まろうとしているかのように
うっすらと粧いはじめており、麓の正倉院、奈良公園付近は今が見ごろ。
銀杏や楓が錦を織りなしたように美しい。

「 十月(かむなづき) しぐれにあへる 黄葉(もみちば)の
     吹かば散りなむ 風のまにまに 」 
                              巻8-1590 大伴池主


( 十月の時雨に出逢って色づいたもみじ これと同じ山のもみじの葉は
  風が吹いたら 吹かれるままに散ってしまうことであろう )

旧暦の10月は現在の11月中旬。
晩秋から初冬にかけて急にパラパラと降っては止む小雨は奈良の風物詩。
時雨は万葉人にとって、木の葉を美しく色づかせるとともに折角の紅葉を
散らしてしまう雨でもありました。

 「 こもりくの泊瀬(はつせ)の山は 色づきぬ
      しぐれの雨は 降りにけらしも 」 
                   巻8-1593 大伴坂上郎女


( こもりくの 初瀬の山は見事に色づいてきました。
  時雨が早くもあの山々に降ったらしい )

「季節の移ろいに驚く風雅の心、流石に時代の新しさを感じさせる(伊藤博)」と
評されている1首。

「山々に囲まれた」という意味を持つ「こもりく(隠国)」の里 。
初瀬の紅葉は今年も見事な粧いを見せてくれました。

長谷寺の懸造(かけづくり)の舞台から眺める山々は時雨に濡れそぼち、
霧が立ち上っています。
春の桜、初夏の牡丹、秋の黄葉、冬は寒牡丹と温泉。
四季折々私たちを癒してくれる初瀬は万葉人の憧れの場所でもありました。
帰りの参道でつまみ食いした「よもぎ餅」の美味しかったこと。

「黄葉(もみちは)の 過ぎまく惜しみ 思ふどち
   遊ぶ今夜(こよひ)は 明けずもあらぬか 」 
                     巻8-1591 大伴家持(既出) 


( もみぢが散ってゆくのを惜しんで 気の逢うもの同士で遊ぶ今宵。
 このまま明けずにいてくれないものか )

燗酒をちびりちびりとやりながら親しいもの同士で語り合う楽しさ。
話題は男と女の恋物語です。

「 松の葉に 月はゆつりぬ 黄葉(もみぢば)の
   過ぐれや君が 逢はぬ夜の多き 」
               巻4-623 池辺王(いけへのおほきみ)


( の葉ごしに 月さま渡る。 
  おいでを待つうち ひと月経った。
  あの世へ行ったか 彼(か)の様の 
  こうも夜離(よがれ)は何とした。) 

万葉学者、橋本四郎氏の名訳。
作者は額田王の曾孫、なかなか洒脱な歌を詠む人物であったようです。

「松の葉」に「待つの端、すなわち、待ったあげく」を掛け 
「月はゆつりぬ」に天体の運行と暦月の推移
「黄葉過ぐ」に 訪れない相手の死に見立てており、

間遠くなった男への恨み節。
後世の

「こなた思うたらこれほど痩せた 
二重(ふたへ)回りが 三重(みへ)回る」 
                    河内の民謡
  回るのは帯
「 声はすれども姿は見えぬ 
              君は深山(みやま)のきりぎりす」
                和泉の民謡  
  キリギリスはコオロギの古称
などを思い出させるお座敷歌です。

深々と更けて行く秋の夜。
万葉人の宴会はまだまだ続いておりますが、我々はここでお別れです。

  「 山暮れて 紅葉の朱(あか)を 奪ひけり 」 蕪村
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by uqrx74fd | 2013-11-29 14:24 | 自然

万葉集その四百五十一(朝霧、山霧)

( 中央アルプス  千畳敷カール )
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( 同上 宝剣岳真下 )
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( 同上 )
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( 南アルプス )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 上高地 )
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( 同上 )
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霧 靄(もや)、霞。
いずれも地表や海面近くの空気が冷却され、その水蒸気が小さな水滴になって
浮遊している現象をいい、気象庁では1㎞先のものが見える時は「靄(もや)」
見えない時は「霧」とよび分けています。
「霞(かすみ)」は気象用語に関係なく、文学、詩歌の世界のものとされ、
古くは万葉集で「霞立つ」と詠われていますが「春の霞」「秋の霧」という
四季の美意識が定着するのは平安時代からです。

万葉集で詠われている霧は70余首、「山霧」「朝霧」「夕霧」「雨霧」
「夜霧」「霧隠(こも)り」「天つ霧」など多彩な表現がなされています。
季節は秋が圧倒的に多く、春のものは2首しかありません。
やはりなんとなく儚さと物寂しさを感じさせる霧は秋にふさわしいのでしょう。

「 九月(ながつき)の しぐれの雨の 山霧の
   いぶせき我(あ)が胸  誰(た)を見ば やまむ 」
                              巻10-2263 作者未詳


( 九月の時雨の雨が霧となって山を包み隠すように、うっとうしく
 晴れ晴れしない我が胸の思い。
この思いは一体どなたを見たら晴れるのでしょうか )

この歌には次のような表現もあるという注記がなされています。

「 十月(かむなづき) しぐれの雨降り 山霧の
    いぶせき我(あ)が胸  誰(た)を見ば やまむ 」
                        ( 巻10-2263 作者未詳 )


「いぶせき」は「心が晴れない」の意で、訪れない男を待ちわび、
「あなたのお顔をみれば晴れ晴れするのに どうして来て下さらないの」と嘆く女。
時雨、山霧が憂鬱な気分を引き立てている1首です。

「 我がゆゑに 言はれし妹は 高山の
   嶺(みね)の朝霧 過ぎにけむかも 」 
                   巻11-2455 柿本人麻呂歌集


( 私のせいでとやかく噂されたあの子、
 あの子は噂に悩むあまり 高山にかかる朝霧がまたまく間に消えて果てるように、
 私から遠のいてしまったのであろうか )

晴れた日の朝霧はあっという間に消えてしまいます。
深い仲になってしまった二人、それは禁断の恋だったのでしょうか。
周囲からあれやこれやと云われ、とうとう居たたまれなくなり朝霧のように
姿を消してしまった乙女。
「あの子は今頃どうしている、無事だろうか、可哀想なことをした」と
万感の思いがこもる作者。

「 我妹子(わぎもこ)に 恋ひすべながり 胸を熱み
     朝戸開くれば 見ゆる霧かも 」
                     巻12-3034  作者未詳


( あの子が恋しくてどうしょうもなく 胸が焼けて痛くなるほどに苦しい。
 悶々としているうちに とうとう朝を迎えてしまった。
 戸を開けると周り一面に霧が立ちこめていることよ )
 
古代の人は「嘆息は霧になる」と信じていたことが次の歌からも窺えます。

「 君が行く 海辺の宿に 霧立たば
     我(あ)が立ち嘆く 息と知りませ 」   
                    巻15-3580  遣新羅使人の妻 (既出)


恋に悶えて寝もやらぬ一夜を過ごした男。
辺り一面に立ちこめる霧は自分自身の嘆きだと詠っているのです。
「恋ひすべながり」は「恋すべ無くあり」で「恋してしまってどうしょうもない」の意 

「 暁(あかとき)の 朝霧隠(ごも)り かへらばに
    何しか恋の 色に出でにける 」  
                      巻12-3035 作者未詳


(  夜明け前の暗がりに朝霧が立ちこめ、何も見えない。
  そのように包み隠したつもりなのに、一体どうしたことか!
  私の恋心が面に出てしまい相手に知られてまったようだ )

「かへらばに」は「自分の思惑と反対に」の意で
 「 心に秘め、隠しおおせていると思っていた恋が、相手に悟られ、
   世間の噂にもなってしまった。
   困ったなぁ。」と嘆きながらも内心喜んでいる男。
 相手は人妻? あるいは 手が届かない高貴な美女? 

 
「 霧にほふ おもき戸障子の うちにねむる 」 石橋辰之助

霧が立ち上るさまは「香のゆくり」のように見えることから
「霧匂ふ」「霧の香」ともよばれます。
 美しくも優雅な言葉です。

霧匂ふ上高地の朝。
日が差すとともに立ち流れてゆく。
夕霧こもる南アルプス。
ところどころに紅葉が斑に浮かび幻想的な世界を醸し出してくれました。

「山霧の 梢に透る 朝日かな 」 召波
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by uqrx74fd | 2013-11-23 22:55 | 自然