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カテゴリ:植物

  • 万葉集遊楽その三百七十一(白つつじ)
    [ 2012-05-13 18:20 ]
  • 万葉集その三百七十(岩つつじ)
    [ 2012-05-05 09:33 ]
  • 万葉集その三百六十七(枳殻:カラタチ)
    [ 2012-04-14 17:42 ]
  • 万葉集その三百六十六(桜と蘭蕙:らんけい)
    [ 2012-04-09 08:25 ]
  • 万葉集その三百六十二(梅と蘭)
    [ 2012-03-10 18:16 ]
  • 万葉集その三百六十(山たづ=ニワトコ)
    [ 2012-02-25 20:19 ]
  • 万葉集その三百五十八(山菅=龍の髭)
    [ 2012-02-12 09:33 ]
  • 万葉集その三百五十六(山橘=藪柑子)
    [ 2012-01-29 08:38 ]
  • 万葉集その三百五十四(笹)
    [ 2012-01-15 08:09 ]
  • 万葉集その三百五十一(うけら=おけら)
    [ 2011-12-26 09:29 ]

万葉集遊楽その三百七十一(白つつじ)

( 白つつじ 学友 n.f 君提供)

( 根津神社にて )

( 同上 )

( 六義園にて )


「山の上の 躑躅の原は 莟(つぼみ)なり
     山ほととぎす 鳴くときにして 」 島木赤彦


我国自生の植物である「つつじ」は種類が多く古くは30~50種、江戸時代末期には
盆栽の流行により500種類を超えたとも言われています。(現在は300~350?)
万葉集では9首のつつじ、即ち白つつじ(3首)、岩つつじ(2首)、丹つつじ(1首)、
単なる「つつじ」(3首)が詠われていますが、現在の「どの「つつじ」に当たるのか」を
特定するのは極めて難しいようです。
古代は野性のものばかりでしょうから、「ヤマツツジ」とする説が多く、
白つつじは「ドウダンツツジ」あるいは「シロヤシオ」(白八入)とする説もあります。

「八入」(やしお)は、何度も色を重ねるという意味を持つ染色用語ですが、
「にほえ娘子(おとめ)」と詠われているイメージには小さな「ドウダン」よりも
大ぶりな花を咲かせる「シロヤシオ」の方がふさわしいように思われます。

「 風早(かざはや)の 三穂の浦みの 白つつじ
   見れどもさぶし なき人思へば 」 
                        巻3-434 河辺宮人

( 風が激しく吹く三穂の浦に咲く美しい白つつじ。
 この地で亡くなった女性のことを思うと、いくら見ても心がなごまないよ。)

三穂の浦は和歌山県日高郡美浜町三尾の海岸とされています。
711年、作者は旅の途中、かって美しい娘が溺死して白つつじに
変身したと伝えられている故地を訪ねました。

今も変わらずに咲いている白つつじを見ながら古に思いを馳せている作者。
花の白さと幻想が一体となり、さらに清純な乙女の面影を連想させる一首です。


「 をみなへし 佐紀野に生(お)ふる 白(しら)つつじ
    知らぬこと以(も)ち 言はれし我が背 」
                           巻10-1905 作者未詳


( おみなえしが咲きにおうという佐紀野に生い茂る白つつじではないが
 自身がつゆ知らぬことで、人に言い騒がれたあの方よ )

佐紀野は平城京北あたりの野 
「をみなへし」は「咲く」と「佐紀(さき)」に懸けた枕詞で、
「白つつじ」も「「知らぬ」の「しら」を掛けています。

お互い清い関係なのに周囲からあれこれと噂を立てられている二人。
「あの方はきっと迷惑しているでしょうね」と相手を気遣っている可憐な女性です。
「我が背」と言うからにはその乙女は心の奥底で男に恋心を抱いているのでしょう。

なお、「佐紀野」を「咲く野」と訓む説もあり、この場合は固有名詞ではなく
単に「おみなえしが咲く野の白つつじ」と「知らぬ」に掛かる序になります。

「 白つつじ影かと見えるうす紅の
      ほのかな色に 花々はにほふ 」 片山廣子


『 白つつじは朝の花が美しい。
  咲きたての花に近く眼を寄せてみると、ほのかな紅が芯の深みにひそんでいることがある。
 「影かと見える」という、あえかな色の捉え方も、白つつじのこまやかな
 花の色の、光りへの反応をよくあらわしている。
 咲きたてのつつじの花のつややかな花びらの可憐さを、間近にみるのもじつに美しいのである 。』   
                             ( 馬場あき子 花のうた紀行 新書館より )

「傘ふかう さして君ゆく おちかたは
        うすむらさきに  つつじ花咲く 」  与謝野晶子


ツツジ類は花期が長く、3月にミツバツツジ、4月アカヤシオ、
5月ヤマツツジ、ミヤマキリシマ、オオムラサキ、クルメツツジと
華やかな花の競演を続け、6月のサツキで締めくくります。

( シロヤシオ yahoo画像検索より )

( ドウダンツツジ 同上 )



by uqrx74fd | 2012-05-13 18:20 | 植物 | Comments(0)

万葉集その三百七十(岩つつじ)

( ミツバツツジ  新宿御苑 にて)

( 学友  n.f 君提供 )

( 葛城山 yahoo画像検索より )

( 同上 )


 「 葛城の神の鏡の春田かな 」 松本たかし

大和盆地の西南に青垣をなして連なる二上山、葛城山、金剛山の峰々は、古くは共に
葛城山と総称され、修験の霊場であるとともに古代豪族、鴨、葛城氏の本拠地でした。

今から40年ほど前、1970年のことです。
当時の葛城山は人間の背丈を越すような大きな笹(葛城笹)に覆われていました。
その笹が、ある日突然一斉に開花して実を結び、その後完全に枯れてしまったのです。
百年に一度と言われている出来事だそうですか、ところがなんと! 
笹の日蔭になっていたヤマツツジの灌木が太陽の光を受けて急成長し、たちまち
山一面のツツジの園が出現したというのです。
地元の人たちはその木を大切に育て、今や「一目百万株」といわれるツツジが群生し、
ヤマツツジ、コバノミツバツツジ、ミヤコツツジ、レンゲツツジ、モチツツジなどが
色とりどりに全山を覆いつくしています。

この出来事は遠い昔、ツツジが生い茂っていた山が笹に占領され、再び復活した
ものでしょうが、日蔭になりながらも細々と長い年月を生き延びた強靭な生命力には
驚かされます。
万葉時代の人たちも葛城山越えの旅をしながらこのツツジを愛でていたのでしょうか。

「 山越えて 遠津の浜の 岩つつじ
      我が来るまでに 含(ふふ)みてあり待て 」
           巻7-1188 作者不詳 (既出)


( 山を越えて遠く行くという「遠」の名がある遠津の浜。
  そこに美しく咲く岩躑躅よ。
  私が帰ってくるまで、蕾のままでずっと待っていておくれ )

山陽道海路の旅の歌ですが、遠津の浜は所在不明です。
「岩つつじ」は岩と岩との間に咲いているヤマツツジと思われます。
「あり待て」: 今の状態のままで待て

作者は旅の途中、岩間に蕾を膨らませているツツジを見つけ、戻るまで
散るなと願ったものですが、寓意が含まれており、土地のうら若き女性に
一目ぼれして、「他人のものになるなよ、処女のままで待っていてくれ」と詠ったようです。
伊藤博氏は
「 旅ゆく地や人へ気づかいを示した歌で、このように詠う事でこの地へ
一刻も早く帰って来ることを願い、かつ約束をしているのである。」(万葉集釋注四) 
とも述べておられます。

「 岩つづじ 折り持てぞ見る 背子が着し 
     くれなゐ染の 衣(きぬ)に似たれば 」 和泉式部


( 岩つつじを手折って じっと見つめています。
 わたしの恋しい人が着ていた紅染めの衣の色にとてもよく似ているので )

「紅染めの衣」は公家の男女装束の内着である五位の衵(あこめ=下着)の色ですが、
身分の高い男性でも下着としての着用なら珍しいことではなかったようです。
恋人と家でくつろいでいる時の姿を思い出しているのでしょう。
紅の下衣の男とは式部らしい濃艶な一首です。

以下は「加藤 廣 著 秀吉の枷 文春文庫」からです。

『 「ご無礼して、かく数寄者の風姿にて、海辺を回り道して帰らせて戴きましょうかな。
  万葉の躑躅を詠んだ歌など口ずさみながら。
  さて、さて、歌は何にしょうぞ 」
わざとらしく,小首を傾けて訊ねるような様子が挑戦的に見えた。
だが生憎秀吉の歌の薀蓄は古今集、新古今まで。
万葉集まで遡った歌の知識がなかった。
第一、万葉集に躑躅の歌があることすら知らなかった。
くやしいが黙っているしかない。
義昭は、これみよがしに朗々と口ずさみ始めた。

「 みなつたう いそのうらみの いわつつじ
      もくさくみちを またみなむかも 」

秀吉は目をつぶって歌を諳んじておくだけで精一杯。
歌の唐文字が解らないからその意味もとれない。
義昭が待たせている毛利の乗物に向かって去る後姿を、
ただ呆然と見送るだけだった。 
                         (註:義昭=足利義昭室町幕府15代将軍) 』        

「 水伝う 磯の浦みの 岩つつじ
           茂(も)く咲く道を またも見むかも 」  
                        巻2-185 作者未詳(既出)


( 水が伝い流れる池のほとり。岩と岩との間に、美しいツツジが咲き乱れています。
  これからは、この懐かしい道を再び見ることがあるだろうか? 
  もうないだろうなぁ)

この歌は689年 草壁皇子(父:天武 母:持統天皇)が28歳の若さで薨じ、
その一回忌に皇子の側近たちが詠った追悼の一首です。
明日香の皇子の宮所(島の宮)には素晴らしい庭園があり、四季折々に花が
咲き乱れ、池には水鳥が遊び、皇子存命中華やかな宴が催されていたそうです。
「磯の浦見の岩つつじ」とは池を海に見立てて、水際が湾曲したところの岩間に
植えられているつつじ花を詠ったものと思われます。
優雅で絵画的な風景ですが往時の賑やかな様子を思い浮かべるにつけ、
歌を聞いていた人たちは一層寂しさが募ってきたことでしょう。

「 松刈りし 山のひろさや 躑躅咲く 」 飯田蛇笏

by uqrx74fd | 2012-05-05 09:33 | 植物 | Comments(0)

万葉集その三百六十七(枳殻:カラタチ)

( カラタチの刺  市川万葉植物園 )

( カラタチの花  yahoo画像検索より )

( 同上 )

( カラタチの実  同上 )


「 からたちの 固くかぐろき刺(とげ)の根に
    黄色の芽あり 春たけにけり 」  木下利玄

                      (かぐろき=か黒き 「か」は接頭語)

カラタチは「唐橘:カラタチバナ」の略称でミカン科カラタチ属の落葉低木です。
8世紀ごろ遣唐使が中国から薬用として持ち帰ったものといわれており、
我国に自生する橘とは別種のものとされています。

春になると、葉に先立って直径3㎝位の白い花を開いて芳しい香りを漂わせ、
新緑の初夏にはアゲハチョウ類が産卵のために葉を求めて集まります。
花後、緑色の円い果実をつけて秋には黄色く熟しますが、酸味が強く種子が多いため
食用にはなりません。
漢方では未熟果を輪切りにして乾燥したものを枳実(きじつ)といい、健胃、整腸、
利尿などに用いているそうです。
また古くから枝や棘を活用して生垣に、近年ではミカン類の台木として重要な役割を
担っています。

万葉集でのカラタチは一首しかありませんが、それも極めて特異な歌です。

「 からたちの 茨(うばら)刈り除(そ)け 倉立てむ
    屎(くそ)遠くまれ 櫛(くし)つくる刀自(とじ) 」
              巻16-3832  忌部首(いむべのおびと)


( 櫛作りのおばさんよ、俺様はこれからカラタチの茨を取り除いて、そこに
 倉を建てようと思っているんだよ。
 だからさぁ、屎は遠くでやってくれよな 。)

まぁなんと!万葉集に屎(くそ)と言う上品なからざる言葉が飛び出してきました。
この歌は倉つくりに従事している下級官人が夜の宴会で数種の物の名前を歌に
詠みこめと催促され「カラタチ」「茨」「倉」「屎」「櫛」を詠みこんだ
「物名歌」といわれるものです。

指名された人は即座にひらめく機知とアッと驚かせる意外性が要求されます。
とはいえ、宴席の人々もさすがに「屎」には驚き、呆れたことでしょう。

当時、外で作業中に尿意を催したときは、辺りかまわず穴を掘って
用を足していたのですねぇ。

「屎遠くまれ」の「まれ」は排泄を意味する「まる」の命令形、
「刀自(とじ)」は一家の主婦の尊称ですがここではわざと敬語を使って
相手をからかっています。
さらに、カラタチの「ラ」うばらの「ラ」、くらの「ラ」と「ラ音」を続け、
「ク」の音も クラ、クソ、クシと揃えています。

即興でこのような歌を詠めるのは並大抵の才能ではありません。
このような歌が後々の俳諧、川柳、狂歌へと発展していったのでしようか。

古代、カラタチはその鋭い刺ゆえか人々に忌まれた植物でした。

「枕草子」133段「名恐ろしきもの」に

「 いかずち(雷)  はやち(暴風) おほかみ(狼) ろう(牢) いきすだま(生霊) 
    いりずみ(刑罰の入れ墨) むばら(茨) からたち(枳殻) 」


などとあるように人を寄せ付けない親しみにくい存在とされていました。

その傾向は平安時代から江戸時代まで続き、蕪村は
「からたちになりても花の匂ふなり」と詠んでいます。

この句はかって宮中の女官第1位にあった長橋という女性を
「さすがにそういう人は落ちぶれても立派で美しい」と詠っているのです。

「からたちになっても芳しい香を漂わせている」「腐っても鯛」という意で、
決して良い意味で引用されていません。

  その悪い印象を完全に払拭したのが北原白秋の「カラタチの花」 。

「 からたちの花が咲いたよ
  白い白い花が咲いたよ

  からたちのとげはいたいよ
 青い青いとげだよ 
 
  からたちは畑(はた)の垣根よ
  いつもいつもとほる道だよ

  からたちは秋はみのるよ
  まろいまろい金のたまだよ 」 


1924年に発表され、翌年山田耕作が作曲、 藤原義江が帝国劇場の舞台で独唱して
以来全国に知られるようになり、その美しいメロディーによってカラタチは
好ましい印象の花に変身したのです。

「 からたちの つぼみひそかに ほぐれ初む 」 清風郎

「エピローグ」

『 数年前、奈良の佐保路を散策していたとき、法華寺の白い築地塀の外側に
  さらに からたちの生垣が百メートル近く続いていたのが印象的であった。
  法華寺は、平城京にあった藤原不比等の邸宅に、
  娘の安宿姫(あすかべひめ:光明皇后) が母の橘三千代のために創建し
  「総国分尼寺」ともなった尼寺である。

  もっとも、この寺のからたちの生垣が創建の奈良時代からのものとは思わない。
  母の「県犬飼美千代」の姓の一字「橘」は後に賜姓されたものである。
  「からたち」すなわち「唐橘」の「橘」が何かしらそんなことに
  かかわりのあるものとして、後世の人たちがからたちの生垣を作ったのだろうと
  考えながら、おりからの小雨に濡れる白い花に目を落としていた。』

                (荒木靖生 万葉歌の世界より 海鳥社)

    「雨細く からたち咲きぬ 昨日より 」 岸風三楼

by uqrx74fd | 2012-04-14 17:42 | 植物 | Comments(0)

万葉集その三百六十六(桜と蘭蕙:らんけい)

( 又兵衛桜  奈良)

( 千鳥ケ淵 )

( 同上 )

(  紫蘭  入江泰吉 万葉の華 雄飛企画より)

( 千鳥ケ淵 )

747年のことです。
大伴家持は前年暮れの風邪をこじらせたのか肺炎らしき病にかかり2カ月以上も
床に臥すという長患いになってしまいました。
一時は死をも覚悟したようですが何とか持ち直し、回復に向かった2月の終わり、
現在の4月の初めのころでしょうか、歌友の大伴池主に見舞いの礼状と歌を送ります。

漢文で書かれた文の大意は次の通りです。

「 思いもよらない邪(よこしま)な病に取りつかれて寝込み、数十日も苦しみました。
  ありとあらゆる神々に祈りを捧げてお縋(すが)りし、ようやく小康を得ましたが、
  まだ体は痛み疲れており一向に力が入りません。
  そのような次第でお見舞いのお礼にも伺うことが出来ずにいますが、
  お目にかかりたい気持ちで一杯です。
  今しも時は春、花は馥郁とした香りを苑に漂わせ、鶯は高らかなる声を林に
  響かせています。
  このような時候に琴や酒樽を傍らに置いて興を尽くしたい気持ちがはやるばかり
  ですがまだ出かける労に耐えることができません。
  よって拙い歌をお送りいたします。」

「 春の花 今は盛りに にほふらむ
    折りてかざさむ 手力(たぢから)もがも 」
                     巻17-3965 大伴家持


( 春の花 今や盛りにと咲いていることでしょう。
 手折って挿頭(かざし)にできる手力があったらよいのに )

手紙と歌を受け取った池主は早速返書と歌を届けます。

「 はからずもありがたいお便りかたじけなくいただきました。
  お筆の冴えは雲を凌ぐばかりに見事で、声に出して吟じたりしてそのたびに
  お慕わしい思いをまぎらわしています。
  春は楽しむべき季節、中でも3月の季節は最も心が惹かれます。
  紅の桃は輝くばかり、浮かれ蝶は花から花へと舞いまわり、緑の柳はなよなよと、
  可憐な鶯は喜々として葉に隠れて囀っています。
  それなのに蘭と蕙そのままの二人の交わりが隔てられて琴も酒も用がないなどと
  いう事になろうとは。
  あたらこの好季節をやり過ごしてしまうとはまことに恨めしいことです。」

「 山峡(やまがひ)に 咲ける桜をただ一目
    君に見せてば 何をか思はむ 」 
                     巻17-3967 大伴池主


( 山あいに咲いている桜、その桜を一目だけでもあなたにお見せできたら
 なんの心残りがありましょう )

風雅な文のやり取りですが文中の蘭(らん)、蕙(けい)とは「シュンラン:春蘭」と
「シラン:紫蘭」ことです。
原文では
「蘭蕙(らんけい)藂(くさむら)を隔て、琴罇(きんそん)用いるところなからむとは」と
なっており、通常は君子賢人に譬えられる表現ですが、ここでは二人の親しい
交わりをいい
「お互いに逢えないので琴も酒も用いることなくいたずらに時を過ごして」の意です。

紫蘭は本州中南部、四国、九州の日当たりの良い、湿った岩上や湿原に自生する
多年草で栽培もされています。
春から初夏にかけて紅紫色の花を咲かせますが、稀に白花のものもあり
これを特にシロバナシランというそうです。

以下は「 柳 宗民著 日本の花」からの要約抜粋です。
 
『 わが国にはランの野生種が大変多い。
中でもシュンランやエビネ、フウラン、セッコクは東洋蘭の一員として
園芸化されて人気が高く、高級品扱いされることが多いが、日本の野性ランの中で
紫紅色のその花がもっとも目立ち、美しいのがこのシランであろう。
他のランは高級品扱いされるが、シランだけはポピユラーな宿根草花として
庭植えや切り花にされて楽しまれてきた。
性質が強く庭植えでよく育つためだろうか。
宿根草として扱われるが、元来は球根植物で地下に扁球状の球根があり、
その球根は白及根(はくきゅうこん)と称し薬用(筆者註:吐血など)に使われるほか、
含まれる澱粉を糊としても用いられた。

シランとは紫蘭の意で、その花色が紫色であることから付けられた名というが、
一名ベニランともいう。
これは紅蘭という事で花色が紅色であるからということらしいが、サテこの花は
紫なのか紅なのか?
じつはその中間の紫紅色なのである。 』 (ちくま新書)

「 うしろ向き 雀紫蘭の蔭に居り
         ややに射し入る 朝日の光 」 北原白秋
                     
                        (やや:少し)
 

by uqrx74fd | 2012-04-09 08:25 | 植物 | Comments(0)

万葉集その三百六十二(梅と蘭)

( 下曽我梅林 2012.3.7日撮影)

( 同上 )

( 同上 )

( 春蘭:シュンラン 入江泰吉 万葉の華 雄飛企画より )


天平2年(730) 正月の13日、大宰府長官、大伴旅人の邸宅で「筑紫歌壇ここにあり」と
大いに名をあげた一大イベント、世にいう「梅花の宴」が催されました。
主客合わせて総勢32名、一人一首づつ詠み合うという、後の歌合せや俳諧連歌の先駆を
なす我国文藝史上画期的な歌会で、都で流行の漢詩に対し「やまと言葉」で詠われたことも特筆されます。

開宴に先立ち主人の大伴旅人は以下のような挨拶をしたと思われます。(序の記述)

「 折しも初春の佳き月で、気は清く澄んで快く、風はおだやかにそよいでいる。
  梅は佳人の鏡の前の白粉(おしろい)のように白い花を咲かせ、
  蘭は貴人の飾り袋のように良い香りを発している。

  そればかりか、夜明けの峰には雲がかかり、松はその雲の薄絹をまとって
  あたかも蓋(きぬがさ)をさしかけたようだ。

  夕方の山の頂には霧がかかり、鳥は霧の帳(とばり)に閉じ込められながら
  林に飛び交うている。

  庭には春生まれた蝶がひらひら舞い、空には秋来た雁が帰って行く。-(以下省略)

  さぁ、われらもこの園の梅を題としてやまと歌を作ることにしょう。 」

まずは主客の歌から。

「 正月(むつき)立ち 春の来(きた)らば かくしこそ
    梅を招(を)きつつ 楽しき終(を)へめ 」
             巻5-815 紀卿(きのまへつきみ)


( 正月になり春がやってきたなら、毎年このように梅の花を迎えて
  楽しみのかぎりを尽くそうではないか )

「日本暦日原典」(内田正男著)によると天平2年1月13日は陽暦の2月4日、
 つまりこの日は立春であったそうです。
 旅人はこの春立つ日を期して宴を開き、紀卿の歌もそれを踏まえて
 冒頭の挨拶としたのです。

「 梅の花 今咲けるごと 散り過ぎず
    我が家(へ)の園に ありこせぬかも 」 
                 巻5-816 小野大夫(をののまへつきみ)


( 梅の花よ 今咲いているように散り過ぎてゆくことなく、
 ずっと我らの園に咲き続いて欲しいものです )

最初の歌を受けて二番手が開宴を寿ぎ、後の歌人につないでゆきます。
「ありこせぬかも」は「あってほしいなぁ」の意。

さて、上記の序文「蘭は貴人の飾り袋のように良い香りを発している」の原文は
「 蘭は珮後(はいご)の香を薫(ゆく)らす」 と漢文調で書かれています。

「蘭:らん」は漢語。 
わが国では「らに」とよばれ、現在の「春蘭:シュンラン」とされています。

以下は 久保田淳著「野あるき花物語」(小学館)からの一部抜粋です。

『 春蘭は早春の山地に気品のある花を咲かせる東洋蘭の一つです。
  花は淡い黄緑色の咢(がく)に包まれた白くて紅紫の斑点のある唇状の花弁です。
  この花を摘んで塩漬けにして吸い物に入れたりします。
  食べるために摘んでしまうのはもったいないような気がするのですが- -。
  別名を「ほくろ」というのは、花弁の斑点を人の顔のほくろに
  見立てたのでしょうか。 』

「山にして 落葉かき分け 春蘭を
     子らと掘りつつ 楽しきろかも 」  香取秀真


春蘭は古くから我国にも自生していたようですが、当時は梅が大いに
もてはやされていた時代であったため貴族たちの興趣を惹かなかったのでしょうか。
あるいは、野にひっそりと咲いていたので目立たなかったのかもしれません。

このような美しい花がどうして詠われなかったのか不思議な気がいたしますが、
漢文に造詣が深かった大伴旅人のお蔭で蘭が万葉時代に知られていたことが窺える
貴重な一文です。

  「春蘭の 花に逢ひたる 山路かな 」     松本つや女

by uqrx74fd | 2012-03-10 18:16 | 植物 | Comments(0)

万葉集その三百六十(山たづ=ニワトコ)

( ニワトコの新芽 万葉植物園(奈良) 2012、2、24)

( ニワトコの花  やまと花万葉  東方出版より)

( ニワトコの花と実  万葉集の植物  偕成社より )

( ニワトコの花拡大画像   季節の花300より )



「 にはとこの 芽のひろげもつ対生の
    柔らかき葉に 風感じをり 」  木下利玄


昔、「山たづ」とよばれていた植物は現在のニワトコとされています。
スイカズラ科の落葉低木で、まだ寒さ厳しい2月、多くの木々が冬籠りをしている最中(さなか)に
緑も鮮やかな新芽を出し、「もうそろそろ春だよ」と告げてくれる目出度い木です。

本州、四国、九州の山野に自生し、早春、暖かくなると淡いクリーム色の
五弁の小花を房状に咲かせ、夏から秋にかけて美しい赤色の球形の実をつけます。

「ニワトコ」という名前は古事記の「山たづといふは、今の造木(みやっこぎ)をいふ」の
記述に由来し、「ミヤッコギ」が「ミヤッコ」→「ミヤトコ」→「ニヤトコ」→「ニワトコ」に転訛したものと
推定されており、現在でも八丈島、三宅島で「ミヤトコ」、伊豆大島で「ニヤット-」の方言が
使われているそうです。

万葉集での「山たづ」は2首。
いずれも「迎える」の枕詞ですが、ニワトコの葉は対生、つまり鳥の羽のように
向かい合っているように見えるので両腕を広げて人を「迎える」姿に似ている、
あるいは神迎えの霊木として用いられたことによるとの説もあります。

「 君が行(ゆ)き 日(け)長くなりぬ 山たづの
     迎へを行(ゆ)かむ 待つには待たじ 」 
                     巻2-90 衣通王(そとほりのおほきみ)
 

( 恋しいあの方との別離以来、随分長い日にちが経ちました。
  もうこれ以上待てません。 
  今すぐにでもお迎えに上がりたいのです。)

この歌の題詞に
「古事記に曰く軽太子(かるのひつぎのみこ)、軽太郎女(かるのおほいらつめ)に
姧(たは)く。
この故にその太子を伊予の湯に流す。
この時に衣通王(そとほりのおほきみ)恋慕(しのひ)に堪(あ)へずして
追ひ往(ゆ)く時に、歌ひて曰く」とあります。

軽太子は 第19代允恭天皇の皇子 木梨軽皇子
軽太郎女は 皇子の同母妹で体が光り輝き衣を通すほど美しかったので
衣通王(そとほりのおほきみ)ともよばれていました。
その二人が「同母兄妹の結婚は厳禁」という掟を破ったので皇子は伊予に流されたのです。

流罪が何時解けるか分からない皇子。
禁忌の恋といえども燃え盛った炎は簡単に消えそうにありません。
衣通姫はついに伊予まで行き皇子に逢おうとしているようです。
逢ったところでまた引き離されるだけなのに- -。

「 どうしても諦めきれない! 一目だけでもお逢いしたい!
  そしてただ、ただ一言、一緒に死のうと言って欲しい! 」

姫の悲痛な叫びが今にも聞こえてきそうです。

せめて異母兄妹であったなら許されもしたことでしょう。
このような悲恋が起きたのは兄妹別々に育てられたせいかも知れません。

この歌は古事記、日本書紀の話を形を変えて転載されたものですが
万葉集では

「 君が行き 日長くなりぬ 山尋ね
    迎へか行かむ 待ちにか待たむ 」  巻2-85 磐姫皇后


と、ほとんど同じ歌が作者を別にして掲載されています。
                  (詳しくは「320磐姫皇后の謎」を参照下さい)

「 接骨木(にはとこ)は もう葉になって 気忙しや」   富安風生

ニワトコは枝や幹を黒焼きにして骨折の治療に用いるので
接骨木(せつこつぼく)の異名があり、そのまま「にわとこ」とも訓みます。
なお、枝の髄は太くて柔らかいので簡単に取り出すことができ、これをピスと称して
顕微鏡のプレパラート作成の補助材に多用されているそうです。

 「 接骨木(にはとこ)の 花こぼれつつ 日は薄ら 」  
                                   渡辺芋城(うじょう)

by uqrx74fd | 2012-02-25 20:19 | 植物 | Comments(0)

万葉集その三百五十八(山菅=龍の髭)

( 龍:髭に注目  江戸手拭 大野屋製 )

( 龍の髭の花   季節の花300より )

( 龍の髭と玉  くさぐさの花 朝日文庫より)

( 龍の玉   熱海、お宮の松の下で )


「 龍の髭(ひげ) 葉のくらがりに 瑠璃澄ませ 」 下山博子

古代、山菅(やますげ)とよばれた植物は「龍の髭」、別名「ジャノヒゲ」という
ユリ科の多年草とされています。
全国各地の山林に生え、細くて長い葉を龍の髭に見立てたのでその名があり、
初夏に淡い紫色の花を下向きに咲かせます。

秋になると球形の実を結びますが、その実は成熟する過程で果皮が破裂して消滅し
種子がむき出しのままとなり、瑠璃紺色の実と見えるものは種子そのものという
珍しい植物です。

漢方では「麦門冬(バクモントウ)」とよばれ、根を煎じて咳止め、利尿、消炎に
用いられているようです。

「 ぬばたまの 黒髪山の山菅(やますげ)に
    小雨降りしき しくしく思ほゆ 」
              巻11-2456 柿本人麻呂歌集


( 瑞々しい女性の黒髪。 
その名を持つ山に生えている山菅に小雨がしきりに降りかかっている。
あぁ、あの人のことがむやみやたらに想われてならないことよ )

黒髪山は奈良市北部、佐保山山稜の一角で、その名は翠の黒髪の女性を
連想させ、「しくしく」は「いよいよますます」の意で雨と恋心を重ねています。

作者は山中で山菅の美しい玉を見ながら愛する女性のことを瞼に
思い浮かべているのでしょうか。
容赦なく降りかかる雨が着物を通して体に染み込み、凍えるような寒さです。
それは、悶々としている心をシクシクと突き立ててくる針のよう。

「 山川(やまがわ)の 水蔭に生ふる山菅の
    やまずも妹は 思ほゆるかも 」 
          巻12-2862 柿本人麻呂歌集


( 山川の水蔭に生い茂っている山菅。
 その名のごとく、やまずにいつもあの子は私の心から離れることがなく
 想い続けていることよ。)

 「やますげ」「やまず」と音を重ねて一途に想う心情を詠う作者。
水蔭で下向きに咲く花がつつましやかで清楚な女性を連想させます。

斎藤茂吉は「水蔭」という語に心ひかれて
「この時代の人は、幽玄などとは高調しなかったけれども、こういう
 幽かにして奥深いものに観入していて、それの写生をおろそかに
してはいないのである。」 
と高く評価しています。(万葉秀歌下 岩波新書)

「 あしひきの 山菅(やますが)の根の ねもころに
     やまず思はば 妹に逢はむかも 」 
          巻12-3053 作者未詳


( 山菅の長い根ではないが あの人のことをねんごろにずっと想い続けていたなら
 あの子に逢えるであろうか )

山菅の根茎には髭根がたくさん生えています。
その「根」と音を重ねた「ねもころ」は「ねんごろに」という意です。
ここでは一途にという気持ちなのでしょう。

「山菅」は同じユリ科の「ヤブラン」であるという説もあります。
形状がよく似ており見間違えやすい植物ですが、牧野富太郎博士は

『 「麦門冬(バクモントウ)は「リュウノヒゲ」一名「ジャノヒゲ」
古名「ヤマスゲ」の専用名である。
ヤブランの古名は全く誤り。
この歌の「ねもころに」は「こまかくからみあう」ことであり
ジャノヒゲの根に合致する』と述べておられます。

「龍の髭に深々とある龍の玉」   皿井旭川

以下は 高橋治著 「くさぐさの花」 からです

『 今はもうそんなことはいわないが、緑と青の配色は難しいとされて、
  着るものの取り合わせにも注意したものだった。
  だから緑の葉に紫紺の玉がひそむ龍の髭と同じ配色を使う青手古小谷とは
タブーに挑戦した先駆者に思える。 』    (朝日文庫)

「 少年のゆめ 老年の夢 龍の玉 」   森澄雄

瑠璃紺色の美しい種子は龍の玉。
今では見かけることはありませんが遊び道具のない昔、男の子たちはその玉を
竹鉄砲の弾丸にし、女の子は「はずみ玉」とよんで弾ませて遊んでいたそうです。

by uqrx74fd | 2012-02-12 09:33 | 植物 | Comments(0)

万葉集その三百五十六(山橘=藪柑子)

( ヤブコウジ:花の万葉秀歌 写真:熊田達夫 山と渓谷社)

( 雪間のヤブコウジ 猪名川万葉植物園(兵庫県)のHPより)

( ヤブコウジの花 やまと花万葉 写真: 片岡明巳 東方出版より)

( ヤブコウジの実  万葉の植物 写真:川本武司 偕成社より)


「 樹のうろの藪柑子にも実の一つ 」 飯田蛇笏

多くの草木が枯れ果て今や周囲は一面の冬木立。
ふと、木の根元の洞に目をやると、緑の葉の間から粉雪がうっすらと掛かった
赤い実がひょっこりと顔を出す。
小さいながらも寒さに負けない健気で凛とした姿です。

古代、山橘(ヤマタチバナ)とよばれていた藪柑子(ヤブコウジ)は常緑の小低木で、
夏に白または淡緑色の小花を下向きに咲かせます。
花は5mm程度。 余程気を付けないと見過ごしてしまいそうです。
花後、青い実をつけ、秋、霜下りる頃、鮮やかな紅赤色に熟します。
厳寒の中、春まで緑の葉と紅い玉を保つ山橘は縁起がよい植物とされ、
庭園や盆栽、祝席での生花、髪飾りなど色々なところで愛でられてきました。

万葉集での山橘は5首。
そのうち4首が野性のもの、1首が飾り玉として詠われています。

「 この雪の 消(け)残る時に いざ行(ゆ)かな
      山たちばなの 実の照るも見む 」 
                         巻19-4226 大伴家持


( みなさん!この雪が消えてしまわないうちに参りましょう。
  そして、山橘の赤い実が雪に照り映えているさまも見ましょうよ。 )

雪見の宴で同席の人たちに声をかけた作者。
雪の白、ヤブコウジの赤。
色の対比が鮮烈な歌です。
「実が照る」とは白い雪に照り映えるの意で、雪間から緑の葉と赤い実が
顔を出している美しい様が目に浮かびます。

「 紫の糸をぞ我が縒(よ)る あしひきの
   山たちばなを 貫(ぬ)かむと思ひて 」
                       巻7-1340 作者未詳


( 紫色の糸を私は今一生懸命に縒(よ)りあわせております。
  山たちばなの赤い実をこれに通そうと思って )

「山橘を貫く」は好きな相手と結ばれることをも暗示しています。
 小さな実に糸を通して薬玉を作り、惚れた相手と結ばれることを願う女心。
 赤い実が燃えさかる恋の炎を象徴しているようです。

「 綿雪をかつぎて赤し藪柑子 」    辺見吉茄子(きっかし)

明治時代中期のことです。
藪柑子の盆栽ブームが起きました。
人々は珍しい品種を競って買い求め、高じて新潟県を中心とした投機騒ぎにまで
ヒートアップしたのです。
実に狂気の沙汰ともいうべきもので、当時の金で1千円、今でいえば4~5千万円の
高値で売買され、中には倍の2千円(1億円)にもなり、ついに県令を発して売買を
禁止する事態になったと伝えられています。

短期間で収束したそうですが、何やらオランダからヨーロッパ中に広がった
チューリップ狂乱を思い出させるとような出来事です。

藪柑子は漢名「紫金牛(しきんぎゅう)」とも言い、漢方では解毒、解熱、
利尿などに効ありとされています。
また、赤い実を付ける木々はそれぞれ、万両(マンリョウ)、千両(センリョウ)、
百両(カラタチバナ)、十両(ヤブコウジ)とよばれていますが、そのうち千両は
ヤブコウジ類とは全く類縁のないセンリョウ科に属する植物です。

    「 山深く神の庭あり藪柑子 」 江原巨江

ご参考;それぞれの見分け方

万両 : 葉の下側に実を付ける。 葉は互生(茎に互い違い) 高さは1m位。
千両 : 葉の上に実。 葉は対生(1つの茎の節に葉が左右対称につく) 高さは50㎝位。
百両 : 葉は細長く先端が尖り基部は広い(披針形) 高さ1m位 実は万両に似るが少ない
十両(藪柑子) : 葉を輪状型に付ける。
            葉の形が蜜柑に似ているので柑子の名が付いた。(江戸時代)
            実の付き方はサクランボに似る 高さ10~30㎝位で小さい。
                                           (以上)

by uqrx74fd | 2012-01-29 08:38 | 植物 | Comments(0)

万葉集その三百五十四(笹)

( ササはやっぱりパンダ君  上野動物園 )

( クマザサ 市川万葉植物園) 

( 笹の群生 上野動物園 )

( み湯立神事:奈良時代絵巻「おん祭り」の前の清め: 巫女が笹でたぎる釜から湯を振りまく。
  奈良の祭り: 野本暉房 東方出版 より )


「ササ」はイネ科の竹亜科に属する植物でクマザサ、ミヤコザサ、ヤダケ、チマキザサ、
ネガマリダケなどがその仲間です。
竹の中でも比較的小さいものを「ササ」とよんでいますが、植物学的には
成長すると若い芽を包んでいる皮(稈鞘:かんしょう)が脱落するものを竹(マダケ、ハチク、孟宗竹)、
皮が枯れるまで付いているものがササとされています。

「笹」という字は葉の省略体である「世」に「竹」をのせたもので、風に吹かれた
葉の微妙な揺れや微かな音を「ささめく」、「ささやく」というところから竹の葉を
意識した国字だそうです。
また「ささ」は小さい、細かいという意味があり小竹とも書かれます。

「 小竹(ささ)の葉は み山もさやに乱(さや)げども
         我れは妹を思ふ 別れ来(き)ぬれば 」
                   巻2-133 柿本人麻呂


( 笹の葉は み山全体にさやさやとそよいでいるけれども
  私の耳にはその音も耳に入らない。
  別れきたばかりの愛しいあの子をただただ想うゆえに- -。)

現在の鳥取県西部、当時石見(いはみ)と呼ばれた地に官人として赴任していた作者が
任を終え都に戻る途中詠ったもので、恋の相手は現地妻、依羅娘子(よさみのおとめ)と
思われます。

再び会うことがない別れ。
見納めの山を後にして身を切られるような想い。
石見の海を遥かに眺めつつ妻の住むあたりを幾度か振り返り、ついには
視界を遮る神の山に対して「靡けこの山」(邪魔だ!動け!) と長歌で激しく詠う作者。
世に石見相聞歌として高い評価を受けている長短歌三首のうちの一です。

笹山が神の声を伝えるように揺れ動き、音を立てている。
古代の人たちにとって神は絶対的なものでした。
その神に対する恐れを物ともせず、愛する人との別れの悲しみを絶唱する人麻呂。
サ行の音の繰り返しが快く響く名歌です。

なお、「乱(さや)げども」を「乱(みだ)れども」と訓む説もあり、
「み山」の「み」は尊称で神が住むの意を含んでいます。

「 はなはだも 夜更けてな行き 道の辺(へ)の
    ゆ笹の上に 霜の降る夜を 」 
                      巻10-2336 作者未詳


( こんなにひどく夜が更けてから帰らないで下さい。
  道のほとりの笹の上に霜がしとどに置く寒い夜なのに )

寒夜に帰ろうとする男を引きとめようとする女。
「力感のある調べの中に女の真率な情がよく出ている」(伊藤博)一首です。

「ゆ笹」は「斎笹」で古代から「ササ」が神の拠りどころとして神事や神楽に
用いられていることを示しており、霜の白さと相まって清らかさを感じさせます。
また能の舞台でシテ(主役)がササを手にしていると、その人物が神憑りである
ことを象徴しているそうです。

「 笹の葉の さやぐ霜夜に 七重着(か)る
   衣に増せる 子ろが肌はも 」
            巻20-4431  防人の歌


( 笹の葉がそよぐこの寒い霜夜に七重も重ねて着る衣。
 その衣にもまさるあの子の肌よ。あぁ。一緒に寝たい!)

万葉集で詠われているササは五首。
そのうち四首が雪や霜と取り合わされており、冬の景物をされてきたようです。

「ササ」が風に吹かれさま「さやぐ」は視覚とともにに「サヤサヤ」という
軽快で爽やかな音感をもたらす効果があります。

よく使われる表現ですが下記は時代小説ながら格調高く書かれている一例です。

『 「 竹藪を渡ってくる風が何ともよい風情だ。 」
   武家は西日を浴びた丸窓を あごで指し示した。
   (料亭)折鶴が使う障子紙は、極上の美濃紙である。
   薄いながらも腰はすこぶる強い。
   その美濃紙の向こうから、強い西日が差している。
   陽は笹の葉を、影絵にして映し出していた。
    風が渡れば、笹がゆれる。
    揺れる葉は、葉ずれの音を立てている。
    西日が美濃紙に描く影絵は、笹ずれの音まで描き出しているかのようだ。 』
               ( 山本一力著 早刷り岩次郎  朝日文庫より)
     

「 短か日の 光つめたき笹の葉に
    雨さゐさゐと 降りいでにけり 」 北原白秋


ササの中でよく知られているのは「クマザサ」。
葉の縁が白いところからその名があり、よく「熊笹」と表記されますが本来は
「隈笹」とされるべきものです。

「 笹の葉に小路埋もれておもしろき 」 沾圃(せんぽ)

by uqrx74fd | 2012-01-15 08:09 | 植物 | Comments(0)

万葉集その三百五十一(うけら=おけら)

( おけらの花  やまと花万葉  中村明巳写真 東方出版より )

( 京都 八坂神社)

( 同 おけら祭り )

「うけら」は現在「朮(おけら)」とよばれ、北海道を除く本州、四国、九州の日当たりの
よい山野に自生しているキク科の多年草です。
春に摘まれる若芽は「山で美味いものは、“ウケラ”に“トトキ”(ツリガネニンジン)」
といわれているように、おいしい山菜の代表格とされています。
秋になるとアザミのような白や淡紅色の小さな花を釣鐘型の総苞(そうほう)の上に
咲かせ、枯れてもドライフラワーのように長く残るので花期がはっきりしない植物です。

「 わが背子を あどかも云はむ 武蔵野の
       うけらが花の 時なきものを 」
              巻14-3379 作者未詳


( あぁ、あの人にこの私の想いを何といったらよいのか。
 武蔵野のおけらに花時がないのと同じように、
 私も時を定めずいつも想っているのに。)

「あどかも」は東国の方言で「どのように」、「武蔵野」は「むざしの」と濁音で
発音していたようです。
 
地味ながらも長く咲き続ける「おけらの花」
その花のようにひっそりと男を慕い続けている女。
想いを男に言い表せないもどかしさ。
東国の可憐な女性の秘めたる恋心です。

「 恋しけば 袖も振らむを 武蔵野の
     うけらが花の 色に出(づ)なゆめ 」 
                  巻14-3376 作者未詳


( 恋しかったら私のほうから袖でも振りましょう。
 あなたは武蔵野のおけらの花のように恋心を表に出したりなんかしないで下さいね。
 決して。 )

二人の仲をだれにも知られたくない女心。
男は人が大勢いる前で感情を抑え切れず、ついつい手を振ってしまったのでしょう。
当時、恋していることを他人に知られて噂になったら、二人の仲は終ってしまうと
信じられていたのです。

「武蔵野の うけらが花は 春駒に
      踏まれながらも 咲きにけるかも 」    安藤野雁 


ウケラはかってムラサキとともに武蔵野を代表する草花でしたが、今はどちらも
幻の花となってしまいました。

万葉集で詠われているうけらは三首あり、すべて東国のものです。
山野に住む人たちは、その若菜を摘んで和え物やおひたしにして食べたほか
根茎は利尿、解熱、胃腸などに効ありとされていたので漢方薬や屠蘇に用いていました。
また強い芳香があるので陰干しにし、梅雨の頃これを焚いて湿気や悪臭を
取り除いたり、邪気を取り払うと信じて一種の厄よけにもしています。

「白朮火(おけらび)の 風にみだれし 焔(ほのお)かな 」    田村ふみよ

京都の八坂神社の朮祭(おけらまつり)を詠んだものです。
大晦日から元旦にかけて神職が切った鑽火(きりび)で朮(おけら)を焚き、
篝火(かがりび)で邪気を払う行事です。

参詣者はその浄火を火縄に移し、消えないようにくるくる廻しながら持ち帰り
その火で雑煮を炊いて元旦を祝うと、厄災を逃れ無病息災に過ごすことが
出来るといわれています。
現在では竃(かまど)を使う家庭はほとんどないでしょうが、伝統ある行事として
受け継がれている年の暮れの風物詩です。

「まはさねば きゆる白朮火(おけらび) まはしつつ」     井上治憧
 

by uqrx74fd | 2011-12-26 09:29 | 植物 | Comments(0)