( ミツバツツジ 新宿御苑 にて)

( 学友 n.f 君提供 )

( 葛城山 yahoo画像検索より )

( 同上 )
「 葛城の神の鏡の春田かな 」 松本たかし大和盆地の西南に青垣をなして連なる二上山、葛城山、金剛山の峰々は、古くは共に
葛城山と総称され、修験の霊場であるとともに古代豪族、鴨、葛城氏の本拠地でした。
今から40年ほど前、1970年のことです。
当時の葛城山は人間の背丈を越すような大きな笹(葛城笹)に覆われていました。
その笹が、ある日突然一斉に開花して実を結び、その後完全に枯れてしまったのです。
百年に一度と言われている出来事だそうですか、ところがなんと!
笹の日蔭になっていたヤマツツジの灌木が太陽の光を受けて急成長し、たちまち
山一面のツツジの園が出現したというのです。
地元の人たちはその木を大切に育て、今や「一目百万株」といわれるツツジが群生し、
ヤマツツジ、コバノミツバツツジ、ミヤコツツジ、レンゲツツジ、モチツツジなどが
色とりどりに全山を覆いつくしています。
この出来事は遠い昔、ツツジが生い茂っていた山が笹に占領され、再び復活した
ものでしょうが、日蔭になりながらも細々と長い年月を生き延びた強靭な生命力には
驚かされます。
万葉時代の人たちも葛城山越えの旅をしながらこのツツジを愛でていたのでしょうか。
「 山越えて 遠津の浜の 岩つつじ
我が来るまでに 含(ふふ)みてあり待て 」
巻7-1188 作者不詳 (既出)( 山を越えて遠く行くという「遠」の名がある遠津の浜。
そこに美しく咲く岩躑躅よ。
私が帰ってくるまで、蕾のままでずっと待っていておくれ )
山陽道海路の旅の歌ですが、遠津の浜は所在不明です。
「岩つつじ」は岩と岩との間に咲いているヤマツツジと思われます。
「あり待て」: 今の状態のままで待て
作者は旅の途中、岩間に蕾を膨らませているツツジを見つけ、戻るまで
散るなと願ったものですが、寓意が含まれており、土地のうら若き女性に
一目ぼれして、「他人のものになるなよ、処女のままで待っていてくれ」と詠ったようです。
伊藤博氏は
「 旅ゆく地や人へ気づかいを示した歌で、このように詠う事でこの地へ
一刻も早く帰って来ることを願い、かつ約束をしているのである。」(万葉集釋注四)
とも述べておられます。
「 岩つづじ 折り持てぞ見る 背子が着し
くれなゐ染の 衣(きぬ)に似たれば 」 和泉式部( 岩つつじを手折って じっと見つめています。
わたしの恋しい人が着ていた紅染めの衣の色にとてもよく似ているので )
「紅染めの衣」は公家の男女装束の内着である五位の衵(あこめ=下着)の色ですが、
身分の高い男性でも下着としての着用なら珍しいことではなかったようです。
恋人と家でくつろいでいる時の姿を思い出しているのでしょう。
紅の下衣の男とは式部らしい濃艶な一首です。
以下は「加藤 廣 著 秀吉の枷 文春文庫」からです。
『 「ご無礼して、かく数寄者の風姿にて、海辺を回り道して帰らせて戴きましょうかな。
万葉の躑躅を詠んだ歌など口ずさみながら。
さて、さて、歌は何にしょうぞ 」
わざとらしく,小首を傾けて訊ねるような様子が挑戦的に見えた。
だが生憎秀吉の歌の薀蓄は古今集、新古今まで。
万葉集まで遡った歌の知識がなかった。
第一、万葉集に躑躅の歌があることすら知らなかった。
くやしいが黙っているしかない。
義昭は、これみよがしに朗々と口ずさみ始めた。
「 みなつたう いそのうらみの いわつつじ
もくさくみちを またみなむかも 」
秀吉は目をつぶって歌を諳んじておくだけで精一杯。
歌の唐文字が解らないからその意味もとれない。
義昭が待たせている毛利の乗物に向かって去る後姿を、
ただ呆然と見送るだけだった。
(註:義昭=足利義昭室町幕府15代将軍) 』
「 水伝う 磯の浦みの 岩つつじ
茂(も)く咲く道を またも見むかも 」
巻2-185 作者未詳(既出)( 水が伝い流れる池のほとり。岩と岩との間に、美しいツツジが咲き乱れています。
これからは、この懐かしい道を再び見ることがあるだろうか?
もうないだろうなぁ)
この歌は689年 草壁皇子(父:天武 母:持統天皇)が28歳の若さで薨じ、
その一回忌に皇子の側近たちが詠った追悼の一首です。
明日香の皇子の宮所(島の宮)には素晴らしい庭園があり、四季折々に花が
咲き乱れ、池には水鳥が遊び、皇子存命中華やかな宴が催されていたそうです。
「磯の浦見の岩つつじ」とは池を海に見立てて、水際が湾曲したところの岩間に
植えられているつつじ花を詠ったものと思われます。
優雅で絵画的な風景ですが往時の賑やかな様子を思い浮かべるにつけ、
歌を聞いていた人たちは一層寂しさが募ってきたことでしょう。
「 松刈りし 山のひろさや 躑躅咲く 」 飯田蛇笏