カテゴリ:植物( 207 )

万葉集その六百五十四 (秋の草花)

( カワラナデシコ  奈良万葉植物園 )
b0162728_1683923.jpg

( ナンバンギセル  同上 )
b0162728_1682682.jpg

( ハギ 山の辺の道 巻向   奈良 )
b0162728_1681135.jpg

( ヒガンバナ  明日香 稲渕棚田 )
b0162728_1675712.jpg

( ハダススキ   石舞台公園  奈良 )
b0162728_167377.jpg

( 風に靡くススキ   同上 )
b0162728_1672031.jpg

( 三輪山   山の辺の道 )
b0162728_1673100.jpg

( 今年も豊作  明日香 案山子祭り )
b0162728_1664732.jpg

万葉集その六百五十四 (秋の草花)

秋の七草といえば山上憶良が詠った
「萩、尾花、葛、なでしこ、オミナエシ、藤袴,桔梗」が定番。
ところが、最近は花期がそれぞれ異なり同じ時期に出会うことが
出来なくなっています。

あちらこちらの植物園で七草コーナーが設けられていますが、
中秋まで咲いているのはオミナエシ、ススキに藤袴。
萩、葛、なでしこ、桔梗は夏の半ばから咲きはじめ、9月中旬に
終わっていることが多く、折角のコーナーも見栄えがしません。

というわけで、彼岸も過ぎたある日、今頃どんな草花が咲いているだろうかと、
思い立ち、奈良万葉秋の草花探しに出かけました。

まずは春日大社神苑万葉植物園の撫子コーナーへ。
毎年所狭しと咲いていましたが、今年は天候不順が続いたため、あるいは
もう散ってしまったのか、残っていたのはわずか数株のみ。
それでも色美しく健気な姿を見せてくれました。

「 我がやどに 咲けるなでしこ 賄(まひ)はせむ
      ゆめ花散るな いや若変(をち)に咲け 」 
                  巻20-4446 丹比国人真人( たじひの くにひとの まひと)

( 我が家の庭に咲いている撫子よ、欲しいものは何でも差し上げよう。
 だから、決して散るなよ。 
 これからも益々若返り、咲き続けていくのだぞ。)

755年の6月の終わり頃、作者は左大臣橘諸兄の推挙により栄進。
そのお礼にと諸兄に自宅への来駕を乞い、祝宴を設けた時の歌。
撫子にことよせて主賓の諸兄の繁栄と健勝を寿いだ挨拶です。
 左大臣が部下の自宅へわざわざ足を運んだのは、よほど目にかけていたのでしょう。
作者、真人の感激と喜びが感じられる一首。

「若変(おち)」は若返る意で、撫子が初夏から秋まで次から次へと咲き続け、
常夏という別名もあるので寿ぎ歌として取り上げられたものと思われます。

植物園を巡っていると「ナンバンギセル」開花の表示の立札が。
でも、芒の茂みの下蔭で咲いているのでなかなか見つけることが出来ません。
目をこらして探すと、あった、あった。

「 道の辺(へ)の 尾花が下の 思ひ草
       今さらさらに 何をか思はむ 」 
                        巻10-2270 作者未詳

( 道のほとりに茂る尾花の下で物思いにふけっているように咲く思ひ草。
  俺はもう、その草のように今さら思い迷ったりなどするものか )

ススキが風にそよぐ音、サラサラが「今さらさらに」の語を引き出すように
詠われ、リズムが心地よい。
作者は一体何を決心したのでしょうか。
好きな女性との決別、あるいは様々な困難を乗り越えて結婚、
正反対の解釈が出来そうです。

ナンバンギセルはハマウツボ科一年草の寄生植物で、ススキや、ミョウガ、サトウキビ
などの根元に生え、その根から養分をとっています。
秋になると紫紅色の花を咲かせますが、その先端が首をかしげて
物思いにふけっている様子から、古代の人たちはこの植物を「思ひ草」とよんでいました。

この漠然とした名前が現在の何に当たるかについて諸説ありましたが、
この歌の「尾花が下の思ひ草」つまり、ススキに寄生する姿を詠っていることが
決め手となり、現在ではナンバンギセルが通説となっています。
なお、ナンバンギセルは漢字で「南蛮煙管」と書き、南蛮から渡来した煙管(きせる)の
雁首に花の形が似ているとことから命名されたそうですが、これは後代(16世紀以降)
のことです。

   「 草陰で 思ひにふける 煙管花(きせるばな)
            そは誰をし 愛(いと)し染めける 」     筆者
         
今度は山の辺の道へ。
三輪山の麓からの出発し、約8㎞のハイキング。
柿、栗、ぶどう、蜜柑、ざくろ等が枝も撓むほどに実り美味しそう。

花はコスモス、ヒマワリ、そして綿の花。
萩はほとんど終わっていましたが、幸運にも巻向山の麓で赤白一対が満開。
まるで私の来訪を待っていてくれたようです。

「 妻恋ひに 鹿(か)鳴く山辺(やまへ)の 秋萩は
    露霜寒み 盛り過ぎゆく 」 
                             巻8-1600 石川広成 

( 妻に恋焦がれて鳴く鹿がいる山辺に咲く秋萩。
  その美しい萩も、露霜が寒々と置くので、盛りが過ぎて行くなぁ。)

743年、恭仁京、大伴家持宅宴席での歌。
頃は9月の終わり、鹿の声、萩、露を取り合わせて過ぎゆく秋を惜しみ、
「のびやかでうるおいがあり、素直な抒情が快い」(伊藤博)と評されています。

翌日、明日香石舞台の奥、稲渕棚田へ。
稲が間もなく収穫期を迎える中、彼岸花が満開。
案山子祭りも行われていました。

「 道の辺(へ)の 壱師(いちし)の花の いちしろく
      人知りにけり 継ぎてし思へば 」
                 巻11-2480  柿本人麻呂歌集 別歌

( 道端の「いちし」の花ではないが、とうとう世間様の噂になってしまった。
 私が絶えずあの子の事を想っているので。)

「いちしろく」の原文は「灼然」、「著しくはっきり」という意で、
壱師(いちし)の「いち」を掛けている。

真紅に燃えるように咲き、火花を散らしたような花びらを広げる彼岸花。
私の恋の炎は一瞬たりとも消えることがない。
そんな思いがとうとう世間の人に、ばれてしまった。

「恋は秘密に」というのが当時の習い。
ひよっとしたらこの恋は壊れるのではないかと心配している純情な男です。

なお、「壱師(いちし)」が現在のどの花に該当するか、諸説ありましたが、
牧野富太郎博士は彼岸花であることを力説され、山口県に「イチジバナ」 
山口県熊毛地方に「イチシバナ」北九州小倉地方に「イチジバナ イッシセン」の
方言があることが判明し(松田修 古典植物事典 講談社学術文庫 ) 
牧野説の正当性が裏付けられています。

彼岸花は冷夏、酷暑、多雨などの悪天候に関係なく時期が到来すると
必ず花を咲かせるなど極めて生命力が強い上、鱗茎の澱粉が極めて良質なので、
飢饉に備えて田畑に多く植えられた救荒植物です。
( 鱗茎:りんけい  地下茎の一種 ユリ根、たまねぎの類 )
ただし、アルカロイド、リコリンなどの有害物資を含んでいるので、
人々は鱗茎を細かく搗き砕き、一昼夜以上流水に浸して毒性を洗い流して
そうですが、古代の人々の生活の知恵は大したもの。

  「 歩き続ける 彼岸花 咲き続ける 」     種田山頭火

明日香は見渡すかぎりの彼岸花。
ゆっくりゆっくり歩いて石舞台公園へ。
ススキが元気よく生い茂り風に靡いています。

「 かの子ろと 寝ずやなりなむ はだすすき
          宇良野の山に 月片寄るも 」 
                          巻14-3565 作者未詳

( 今夜はあの子と一緒に寝ずじまいになってしまうのかなぁ。
 はだすすきが茂る宇良野の山に月が傾いている。)

はだすすき:「肌すすき」: 皮(苞)につつまれ未だに穂に出ていないすすき
                 ここでは宇良野の枕詞、
                 「穂の末(うれ)」の縁で「ほ」「うら」などに掛かる
宇良野:  長野県上田市浦野あたりか。

今夜は待望のデート。
約束の場所で今か今かと心をときめかせて待っていた。
ところが彼女は何時まで経っても姿を見せない。
一体どうしたのだろう? 
母親に止められたのだろうか。
それとも心変わり? 
あれこれ悩んでいるうちに月も傾き間もなく夜が明ける。
焦燥と絶望感、寂しさ、じれったさが染み入るような東歌の佳作です。

「 山陰の 野に暮れ急ぐ 芒かな 」    松窓乙二

間もなく夕暮れ時。
抜けるような青空の下、爽やかな秋の草花探しの旅でした。




           万葉集654 (秋の草花)完


            次回の更新は10月20日(金)の予定です。
[PR]

by uqrx74fd | 2017-10-12 16:18 | 植物

万葉集その六百五十一 (露草、月草)

( 露草 奈良法華寺で)
b0162728_19551353.jpg

( 露草とエノコログサ 同上 )
b0162728_19545986.jpg

( アカバナツユクサ  小石川植物園 )
b0162728_19544077.jpg

( オオボウシバナ 露草の変種   同上 )
b0162728_19542795.jpg

(  同上 )
b0162728_1954815.jpg

万葉集その六百五十一 ( 露草、月草)

  「 露草の 群生が わが目を奪う 」  高濱年尾

秋の早朝、野山を歩くと朝日を浴びた草木に置く露が
ダイヤモンドのようにキラキラ光っている。
その陰にひっそりと隠れるように咲いている一群の青い花。
近づいてよく見ると、帽子のような形をした露草です。
徳富蘇峰は「色に出た露の精」、新井白石は「月の光を浴びて咲く花」と讃え
俳人は
「 露草の 瑠璃の露落ち 瑠璃残り 」    吉岡 秋帆影

と詠いました。

露草の上に置く露は、瑠璃色の影を映して輝く。
やがて、露は滴り落ちるが花は依然として青い妖精。
美しい小宇宙の世界です。

然しながら花の命は短く、早朝に咲き夕方には萎(しぼ)む一日花。
その儚さが好まれたのか、古来多くの恋歌に詠われており、
万葉集にも9首登場します。

「 朝(あした)咲き 夕べは消(け)ぬる 月草の
      消ぬべき恋も 我(あ)れはするかも 」 
                           巻10-2291 作者未詳

( 朝に咲いては夕方に萎んでしまう露草。
 私の恋も切なくて、切なくて。
 身も心も消え果ててしまいそうな気持ちです。)

万葉集での露草は「つきくさ」とよばれています。
染料に用いるため臼で搗(つ)いて染めた、あるいは色が付き易いので
その名があるとされていますが、原文表示が「月草」となっているものが多く、
万葉人は、やはり夜の暗いうちに月の光をあびて咲くと感じていたのでしょうか。

「 うちひさす 宮にはあれど 月草の
     うつろふ心   我が思はなくに 」 
                   巻12-3058 作者未詳

( はなやかな宮廷に仕えている我が身。
 でも色の褪(さ)めやすい露草のような移り気な心、
 そんな気持ちであなた様を想っているのではありませんよ。)

露草は色が褪せやすいので、移ろいやすい恋に譬えて詠われています。

作者は宮廷に仕え、美しくも華やかな存在。
云い寄る男が多かったのでしょう。

「お前さん、他の男に気持ちが傾いているのか」と詰問する男。
「決してそんなことはありません。好きなのは あなただけ」と応える女。

「うちひさす」: 宮に掛かる枕詞 掛かり方、語義未詳なるも、
          日=太陽=天皇の連想から宮に掛かるようになったとも。

「 月草の 仮(か)れる命に ある人を
    いかに知りてか  後に逢はむと言ふ 」 
                      巻11-2756 作者未詳

( 月草のように儚い仮の命しか持ち合わせていないのに、
 それを、一体どういう身だとと思って、後にでも逢おうというのですか。)

この世の人間は仮の身しか持ち合わせていない儚い存在。
それをあなたは後々に逢いましょうとおっしゃる。
何故今すぐに逢おう、一緒になりましょうと云ってくれないのですか。

作者は女性に「またね」と婉曲に断られたのでしょう。
必死になって口説くが、脈なしか。

月草という名は江戸時代になると露草に変わります。
露を置いた姿が美しい、あるいは露が多く発生する時期に咲くことに
由来すると云われ、現在は秋の季語です。

友禅染めの下絵描きに用いられている露草の変種オオボウシバナは
その褪せやすい性質を利用したもので、上絵を描き終わった後、水で流すと
きれいに融け落ちる貴重な染料です。
夏の土用の頃の早朝に花を集め、手で絞って濃い藍色の汁を採り、
強い日ざしのもとで、和紙に刷毛で何回も塗り重ねて乾燥させ青花紙を作る。
下絵を描く時は短冊状に切って小皿にのせ、絵具のように水を含ませた
筆で溶く。
今日これに変わる染料は他にないと言われていますが、絶滅危機種です。

「 露草を 面影にして 恋ふるかな」   高濱虚子


ご参考

    京都新聞(2017,8,29)の記事から

「 友禅下絵「青花紙」、存亡の危機 
        滋賀、高齢化で生産者減 」

 友禅染の下絵描きに使われる滋賀県草津市特産の「青花紙」が、
高齢化による生産者の減少に直面している。
今年は2軒だけが紙を作っていたが、うち1人は今年限りでの引退を検討。
「紙を作る技術を伝えていきたい」と後継者を求めている。

アオバナから取れる染料は色が鮮やかで水に溶けやすいことから
友禅染に活用されてきた。
青花紙は、搾った汁を和紙に塗って天日で乾かす工程を約80回繰り返して作る。
使うときには小さく切って水に浸し、染料を溶かし出す。

 かつて青花紙は地域の名産として知られ、最盛期の大正時代には
500軒以上が生産していたとされる。
しかし、アオバナの花が咲く7~8月の炎天下で花びらを
一つずつ手作業で摘み取るため、地元では「地獄花」と呼ばれた過酷な作業や、
化学染料が普及したことで、近年は数軒だけが手掛けていた。

 生産者の1人、中村繁男さん(88)=同市上笠1丁目=は10歳のころから親の手伝いで花摘みを始め、70年近く作っていた。
最近は体調がすぐれず、重労働をこなすことが難しくなったため、
今夏、関係者に引退の意思を伝えた。
関係者は慰留しており、中村さんは後継者がいれば技術を伝えたいとしている。

中村さんは「アオバナは全国でも草津にしかない大事な花。
紙を作りたいという人がいれば、技を引き継ぎたい」と話している。
アオバナを使った特産品づくりなどを進める草津あおばな会
(事務局・草津市農林水産課)も今春、青花紙保存部会を立ち上げており、
「継承の方法を検討していきたい」としている。

   
            万葉集651(露草 月草) 完


      次回の更新は9月29日(金)の予定です。
[PR]

by uqrx74fd | 2017-09-19 20:02 | 植物

万葉集その六百五十 (天平の紫)

( 紫草の花は白くて小さい   奈良万葉植物園)
b0162728_1744121.jpg

( 紫草の根は赤い   同上 )
b0162728_17434672.jpg

( 根を臼で搗いて砕く   西川康行  万葉植物の技と心  求龍堂より )
b0162728_17433254.jpg

(  紫根の染液に浸された絹     吉岡幸雄  NHK放映 )
b0162728_17431447.jpg

(  色々な紫色に染め分けられた絹    同上 )
b0162728_17425651.jpg

( 国宝 紫紙金字金光明最勝王経  和紙を顔料のような紫で染めた上に書かれた金文字
                            奈良国立博物館蔵 )
b0162728_17423912.jpg

( 再現された天平の伎楽の紫衣装   東大寺  吉岡幸雄作 )
b0162728_17421829.jpg

万葉集その六百五十 (天平の紫)

万葉人の憧れの色、「紫」は紫草の根から生まれます。
天平時代の人々が高度な染色技術を駆使して芸術品ともいえる織物を
作り上げていたことは、現存する数々の正倉院宝物に見ることが出来ますが、
驚くなかれ、万葉集にその染色の方法や、材料が詠い込まれているのです。

紫を詠った歌は17首、そのうち13首は作者未詳の庶民。
当時、紫草は上流階級の衣服を染める貴重な染料とされ、全国各地から税として
貢納されており、庶民の歌は、その作業の過程で詠われたのでしょう。

「 紫草(むらさき)は 根をかも終ふる 人の子の
    うら愛(がな)しけを  寝を終へなくに 」 
                           巻14-3500 作者未詳

( 紫草は根が途切れる(終える)ことがあるのかなぁ。
 この俺はあの子が可愛くてならないのに、
 まだ、一緒に寝るのを終えていないんだよ。)

「根を終ふ」「寝を終ふ」の語呂合わせ。
「人の子」は親に厳しく躾けられている子の意。

紫草の根はゴボウのように地中深く伸び、横にも大きく広がります。
作者は紫草の栽培する仕事に携わっていたのでしょう。
深く根をおろし、地中に長く続いていることを理解している歌です。

「 韓人(からひと)の 衣染(そ)むとふ 紫の
    心に染みて 思ほゆるかも 」 
                  巻4-569 麻田連陽春(あさだの むらじ やす)

( かの国の人が衣を染めるという 紫の色が染みつくように
 紫の衣を召されたお姿が、私の心に染みついて、あなたさまのことばかり
 思われてなりません。)

730年、大宰府帥であった大伴旅人は大納言に任ぜられ、都に向けて
旅立ちました。
この歌はそれに先立って催された送別の宴で詠われたもので、
旅人は紫の衣で正装していたものと思われます。

「韓人の衣染む」は優れた染色技術を伝えた渡来人の意。

紫根の染織を始めた当初、恐らく色も薄く、定着も悪かったのでしょう。
この歌は、渡来人が先進技術をもたらしたことを示しています。

「 紫は灰さすものぞ 海石榴市(つばいち)の
    八十(やそ)の衢(ちまた)に逢へる子や誰(た)れ 」
                            巻12-3101 作者未詳

( 紫染めには椿の灰を加えるものです。
  その椿の名がある海石榴市で出会ったお嬢さん。
  あなたの名前はなんとおっしゃるの? )

海石榴市(奈良県桜井市)には椿の木が多く植えられていました。
この歌は椿の生木を燃やした灰を灰汁(あく)にして、媒染剤として使用し
鮮やかな紫色を生み出していたことを示すものです。
この技術の確立により、紫の染色は画期的な進歩を遂げることになります。

「 託馬野(つくまの)に 生ふる紫草(むらさき) 衣(きぬ)に染(し)め
     いまだ着ずして 色に出(い)でにけり 」 
                                  巻3-395 笠郎女

( 託馬野に生い茂る紫草、その草で着物を染めました。
 出来上がった着物をまだ着ていないのに、もう人に知られてしまいましたわ )

作者が大伴家持に贈った歌で、託馬野(つくまの)は滋賀県米原市あたりの野。
                                
「託(つく)」には「色がよく付く」が掛けられています。                           
「紫草」は家持、「衣」は自分自身を暗示しており
「まだ契りを結んでいないのにあなたを思い慕っている事が
世間の評判になってしまった」の意がこもります。


「 紫の 名高の浦の 真砂地(まなごつち)
     袖のみ触れて 寝ずかなりなむ 」 
                       巻7-1392 作者未詳

( 名高の浦の細かい砂地、あの砂地には袖が触れただけで、
  寝ころぶことも なくなってしまうのであろうか )

真砂(まなご)の原文は同音の愛子(まなご)。
細かい砂と可愛い子の両方を掛け、その子に対する淡い思いを述べています。
また、「袖のみ触れる」は言葉だけを交わす仲。
共寝までは許さない女への男の嘆きです。

「名高の浦」は和歌山県海南市の海岸
「紫」は名高の浦の枕詞で、高貴の色とされて名高い紫の意。

603年、聖徳太子は「氏」とよばれる諸豪族の血縁集団が、地位、職業に応じて
姓(かばね)という尊称を世襲的に与えられていたのを改め、個人の功績に応じて
冠位を付与すること、いわゆる「冠位十二階の制」を定めました。

位階の冠の色は紫、青、赤、黄、白、黒とし、紫が最上位。
また服装もそれに準じ、以降、紫はやんごとなき人の色となり
平安時代以降も続きます。

我国で高僧に紫袈裟が下賜されたのは735年(天平7)。
聖武天皇が興福寺に住していた玄昉(げんぼう)に与えたのが最初とされています。

紫法衣は1141年(永治元年)
鳥羽上皇から青蓮院行玄に。
宗教の世界にも紫の権威が持ち込まれたのです。

その後、後鳥羽上皇は、曹洞宗、道元に紫衣を下賜しようとしましたが、
再三にわたり辞退、遂に勅命となり已む無く拝受するも、生涯その紫衣を
着ることがなかったとか。
名誉、地位に執着しない宗教家としての矜持を示したものといえましょう。

天平の紫は染色の第一人者、吉岡幸雄氏によって古代紫や深紫色再現の
試みがなされていますが、綾1疋(布帛2反)を染めるのに、
紫草根18㎏、酢2升必要とされ、さらにその作業工程は極めて手間がかかり
しかも触媒剤の椿の灰汁の加減によって色が千変万化するそうです。

古人の工程を簡単に列記すると

紫草の根を地中から掘り出し切断。
石臼で細かく砕く。
70~80度の湯を注ぎ、手で色素を揉みだす。
出来た染料を、目の細かいふるいで漉し不純物を取り除く。
染料液に絹の布を浸して染める。
椿の生木を燃やした灰を灰汁にして媒染し色を固定した後、水洗い。

この工程を30分ずつ、交互に繰り返し、
4~5日続けると濃い紫になる。

なお、椿の灰汁(アルカリ性)を加えると青系の紫
酢(酸性)に浸すと赤系の紫になるそうです。

手間も大変ですが消費される紫根も膨大なものとなり、しかも高価。
とうとう、紫の衣は禁色となり王侯貴族しか着ることが出来ないものになりました。

現在、正倉院に聖武天皇の遺品「金光明最勝王経帙(ちつ)」。
( 帙(ちつ)とは写経した経典を10巻ほどまとめて束ねるように包むもの
 細竹を芯として、紫草の根で染められた絹糸で編む。)

奈良国立博物館に
「紫紙金字金光明最勝王経」( ししこんじ こんこうみょう さいしょうおうきょう)
( 紫根で染めた紫の和紙の上に金泥で文字が書かれたもの )

など豪華絢爛な国宝が展示されており、天平の華やかな紫を
偲ばせてくれております。

「 あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き
      野守は見ずや 君が袖振る 」 
                            巻1-20  額田王

   標野:皇族、貴族の狩猟地で立入禁止区域、紫草の栽培もされていた。

   「 白き花 地中深き赤根より
            紫の妹  にほひ出づる 」    筆者


        万葉集その650(天平の紫) 完

   次回の更新は9月20日(火) いつもより早くなります。
[PR]

by uqrx74fd | 2017-09-14 17:46 | 植物

万葉集その六百四十九 (綿の花)

( 綿の花  奈良万葉植物園)
b0162728_16223618.jpg

(  同上 )
b0162728_16222387.jpg

( 綿の実   同上 )
b0162728_1622995.jpg

( 生花の綿 北鎌倉 去来庵  当店のビーフシチューは絶品です )
b0162728_16215477.jpg

万葉集その六百四十九 (綿の花)

綿は東インド、エジプトを原産地とするアオイ科の1年生草本で、草丈60㎝~1m。
茎は直立、まばらに枝分かれして、秋に浅黄色の5弁の美しい花を咲かせます。
花後、球形の果実を結び、やがて3つに割れて白い綿毛をもった種子を
宿しますが寒気に弱く、渡来当時は栽培に苦労したようです。

人々はこの綿毛を紡いで織物の材料や、布団、衣類の中入りなどに利用し、
実から絞った油を食用、石鹸の材料にしました。

「 しらぬい 筑紫の綿は 身に付けて
    いまだ着ねど 暖けく見ゆ 」  
                     巻3-336 沙彌満誓(さみ まんぜい)

( 筑紫産の綿はまだ肌身に着けてきたことはありませんが、
 いかにも暖かそうで見事なものです )

この歌は宴席でのもので皆が奈良の都への望郷の思いを詠っている時に
「筑紫も捨てたものではないですよ」と詠ったようです。
一説によると作者は筑紫の女性と懇ろになり、既に子も産ませていたので
「筑紫の綿」は女性の肌を暗示して、「まだ着たことがないと」白々しく
とぼけたところ、周知の皆はどっと笑ったという解釈もなされています。

古代の綿は殆ど絹から加工した真綿とされていますが九州は早くから
大陸文化がもたらされており朝鮮半島経由で到来した綿花が栽培されて
いたのではないかと思われ、それを裏付ける文献として、
「続日本紀」平城京、称徳天皇の769年の記述に
「 筑紫から毎年大量に綿花や綿織物が都に送られた」とあり、
又、千葉県で奈良時代の遺跡から立派な綿の種子が発見されていることによります。

「 山高み 白木綿花(しらゆふばな)に 落ちたぎつ
     滝の河内(かふち)のは 見れど飽かぬかも 」 
                            巻6-909  笠 金村

( 山が高いので、白く清い木綿花となってほとばしり落ちる滝、
 この滝の渦巻く河内は見ても見ても見飽きることがない。)

「 泊瀬女(はつせめ)の 作る木綿花(ゆふばな) み吉野の
        滝の水沫(みなわ)に 咲きにけらずや 」
                           巻6-912  笠 金村

( 泊瀬女が作る木綿花、あの神聖な花が、今、み吉野の滝の水沫となって
 咲いているではありませんか。)

上記2首は723年 元正天皇吉野行幸の折の賛歌の一部です。

『 白木綿花(しらきゆうばな)は綿の実が裂けて中から真っ白な綿毛が
  種子を包んでパッとはじけ出しているさま。
 「泊瀬女が造る」は「泊瀬女が耕作する」 (豊田八十代 万葉学者) 』

ことであり、当時九州以外の土地でも綿の栽培が行われていたことを
窺わせています。

「 伎倍人(きへひと)の まだら衾(ぶすま)に 綿さはだ
      入りなましもの  妹が小床(をどこ)に 」 
                          巻14-3354 作者未詳

(  伎倍人(きへひと)の まだら模様の布団に綿がたっぷり。
   そうだ、そうだ あの子の床の中にどっぷりともぐりこみたいものだ。)

伎倍人(きへひと) : 渡来した機織り職人 遠州(浜松)あたりに住んでいたらしい

まだら衾:    まだらに染めた掛布団

綿さはだ: 綿が沢山入っている

入りなましも: 入ることができたらいいのに

ここでの綿は絹の真綿か。

綿に関する公式文献は、
『 「日本後紀」桓武天皇平安京時代799年7月
  崑崙(こんろん)人( 南ベトナムからインドネシア)が三河国(愛知県)に
  漂着した折、綿の種子を所持していたので、時の政府が丁重に譲り受け、
  直ちに日本各地で試験的に栽培させた』
とされています。

従来、この記録をもって綿の到来は平安時代からとの説が多かったのですが、
政府がこのような敏速な対応が出来たのは、奈良時代に既に綿栽培の経験があり、
何らかの失敗で種子が失われていたこと、更に前述の「続日本紀」の記述、
並びに豊田八十代、西川康行氏らの万葉植物学者の熱心な研究により
奈良時代には綿が既に栽培されていたことが認められつつあります。

万葉時代、貴重品であった綿は次第に普及し

   「 広々と 続く平原 綿の花 」 高濱虚子

と詠われているように各地で栽培されていましたが、今はほとんど
見かけなくなってしまいました。

   「 朝露は 雨の兆しと 綿摘まず 」  斎木涛花



                  万葉集649 (綿の花)完

               次回の更新は9月15日(金)の予定です。
[PR]

by uqrx74fd | 2017-09-07 16:30 | 植物

万葉集その六百四十六 (鶏頭)


(鶏頭 とさか状の冠の下の扁平な部分が花)

b0162728_06261023.jpg
( 同上 )
b0162728_06263905.jpg
 (丸い鶏頭)
b0162728_06265628.jpg
( 色とりどりの鶏頭  飛鳥 奈良 )
b0162728_06271892.jpg
 ( 鶏頭咲く飛鳥 )
b0162728_06274476.jpg
万葉集その六百四十六 ( 鶏頭 )

鶏頭(けいとう)はインドや熱帯アジア原産のヒユ科の1年草で、
花穂の頂が鶏の赤い

トサカ状になるためその名があります。
このトサカ状のものを花と見がちですが、そうではなく、トサカ冠の下の
扁平になった部分にびっしり付いているのが小花で、
よくよく観察しないと、
見過ごしそう。
古くは韓藍(からあい)、すなわち韓(から:中国)から渡来した藍(染料)
よばれ、
万葉集に4首。
すべて庭で栽培されている花として詠われています。

「 秋さらば 移しもせむと 我が蒔きし

        韓藍(からあゐ)の花を 誰()れか摘みけむ 」

71362  作者未詳

( 秋になったら移し染めにでもしょうと、私が蒔いておいた鶏頭の花。

その大事な花を一体誰が摘み取ってしまったのだろう。)

韓藍の花すなわち鶏頭は直播にして育て、秋に花汁を染料にしましたが、
ここでは自分の娘の譬え。

「移す」とは花を衣に直接摺りつけて染めることを言いますが、

結婚する、共寝するという意味にも用いられます。
大切に大切に育ててきたわが娘。

いずれ、頃合いをみはからって立派な男と結婚させようとしていたのに、

どこの誰が手をつけてしまったのだろうと嘆く母親。

あるいは、この子と結婚しょうと目を付けていたが、他人がさっさと

奪ってしまったと悔しがる男とも解釈できます。

「 隠(こも)りには 恋ひて死ぬとも み園生(そのふ)

     韓藍(からあゐ)の花 色に出でめやも 」  

112784 作者未詳

( あなたさまへの想いを心のうちに押し隠したまま苦しさに耐えましょう。

仮に焦がれ死にしましょうとも、庭に咲く鶏頭の花のように、

はっきり顔に出したりいたしません。 )

男が結婚をもう少し待ってくれ、他の人には内緒にして欲しいと云った。

むきになって応じたのは、惚れた女性の弱みか。

それでも、心の片隅のどこかで

「あなたほんとに大丈夫、心変わりしない」

という危惧が感じられる一首です。

「 恋ふる日の 日長(けなが)くしあれば 我が園の

    韓藍の花の  色に出でにけり  」 

102278  作者未詳

( あの方に恋してから、もうどのくらい日にちが経ったことだろう。

 我家に咲く鶏頭の花の鮮やかな色のように、とうとう私の気持ちを
表に出してしまった。)

こちらは余り長く待たされたので、とうとう口にも態度にも出してしまった。
相談した相手は母親なのでしょうか。

万葉集の鶏頭はすべて恋の歌。

属名「ケロシア」(ギリシャ語)は「燃える」の意。 

その鮮烈な赤色は恋するものにとってこの上もない表現材料だったのでしょう。

「 鶏頭の 十四五本も ありぬべし」 正岡子規

子規は病床から萩が枯れるのを見、迫りくる初冬の寒気を感じながら

塊となって咲いている鶏頭の野性の力強い姿に自らを励ましつつ、芭蕉の名句
「 鶏頭や 雁の来るとき 尚あかし」 芭蕉 

 

「なお」(赤し)の優雅さに対して、(十四五本)「も」と力強さで勝負した?


   万葉集646 (鶏頭)完

次回の更新は8月25日(金)の予定です。


[PR]

by uqrx74fd | 2017-08-17 06:28 | 植物

万葉集その六百四十一 (紅花の季節)

( 紅花  長福寿寺   千葉 )
b0162728_19441732.jpg

(  同上 )
b0162728_1944543.jpg

(  長福寿寺の紅花畑  この地方の紅花が最上に移されたとの説がある )
b0162728_1943533.jpg

( 乾燥させた紅花   国立歴史民俗博物館  佐倉市 )
b0162728_19433734.jpg

(  紅餅   同上 )
b0162728_19432233.jpg

( 最上から京へ   紅花船   同上 )
b0162728_1943768.jpg

( 紅花染めの実演  長福寿寺 )
b0162728_19425214.jpg

( 古代の紅花染振袖  少し黄色ががっている  
              中江克己著 色の名前で読み解く日本史 青春出版社 )
b0162728_19423886.jpg


万葉集その六百四十一 (紅花の季節)

古代赤色植物染料の主役は我国原産の茜と紅花。
中でも紅の鮮やかな色は人々の憧れの的でした。
中近東、エジプトを経て3世紀頃中国、呉から我国に渡来した紅花は
当初「呉の藍」(「藍」は染料の総称)、すなわち「呉から来た染料」とよばれました。

その「呉の藍」(くれのあい)が縮まって「くれない」となり、「紅」の字が
当てられたのですが、不思議なことに大宝衣服令で「紅」を
「ひ」(緋:黄色かかった赤色)と訓ませています。

というのは、紅花には赤と黄の色素が含まれており、当時の技術では
鮮やかな赤色だけをうまく分離させて抽出することが不可能で、
黄味をおびた赤色にしか染めることが出来なかったのです。

古代王朝人にとって燃えるような赤は紫とともに夢の色。
なんとか鮮やかな濃紅を作りだしたいと試行錯誤を繰り返し、
ついに黄色の色素は水に流れ、赤は水溶性がないことを突き止めます。

紅花は7月ごろに鮮黄色の花が咲き、やがて赤みを増していきますが、
赤くなる前に摘み、花びらを水で洗って黄色素を流出させ、
残った花びらを絞って染液を取り出す。

それでも、まだまだ満足できる赤が生まれません。

失敗を繰り返しながら根気よく情熱を傾けて取り組む。
その結果、奈良時代の終わりから平安時代にかけ、遂に理想としていた
鮮紅色に染め上げる方法を見つけ出しました。

まず、染めた衣の色を定着させるため、黄色素に染まらない麻布を染める。
薄赤に染まった麻布取り出し灰汁につけ紅色素を溶かす。
そこに梅酢をくわえ、絹布を浸して赤色に染める。
これを何度も繰り返すと鮮やかな紅色になったのです。
灰汁や梅酢の成分や配合は各職人の秘伝。
同じように染めても、色が微妙に違うのは致し方ありません。

「 紅の 深染めの衣(きぬ) 下に着て
     上に取り着(き)ば 言(こと)なさむかも 」 
                        巻7-1313 作者未詳

( 濃い紅色で染めた着物、それを肌着にしていたあとで
 改めてよそ行きとして上に着たりしたら、世間様は噂を立てるだろうかな。)

深染めの衣は美しい女を比喩しています。
「下に着る」は女との内々の関係、「上に着る」は正式な妻として迎えることを
指しているようです。

噂を気にしなければならないのは、なにか障りがある関係なのでしょうか。
例えば遊女、人妻、釣り合わない身分など。

濃紅の衣を染めるには、絹2反に対して紅花12㎏必要とされ
途方もない高価な贅沢品。
宮廷の女房の公服などに使うと、大変な浪費になるので朝廷は禁色にしますが、
貴族や大金持は内々に着物を作り、女性に与えていたのでしょう。

濃紅の衣は何度も染めるので「八汐の衣」ともいいます。

八しほ: 「八」 回数が多いの意。
     「しほ」 衣を染料に浸す回数をしめす言葉

「 言ふ言(こと)の 恐(かしこ)き国ぞ 紅(くれなゐ)の
    色にな出(い)でそ  思ひ死ぬとも 」 
                      巻4-638  大伴坂上郎女

( 他人の噂が怖い国がらです。
 だから、あなた、想う気持ちを顔に出してはいけませんよ 。
 たとえ焦がれ死にするようなことがあっても 。)

相手は誰か不明ですが、この歌の後に6首も続いているので
甥の大伴家持に恋歌の手ほどきをしているのかもしれません。

「紅の色に出で」: 鮮やかの色のように他人に知られるの意。
「な―そ」で禁止の言葉となる。(色にな出でそ)
当時,人の噂になったらその恋は成就しなくなると信じられていました。

「 紅に 染めてし衣(ころも) 雨降りて
     にほひは すとも うつろはめやも 」 
                    巻16-3877 作者未詳

( 紅にしっぽり染め上げた衣だもの 雨に降られて、一層美しく
  映えるようなことがあっても、色褪せるなどありましょうや。)

大分県南部の海人郡で詠われたと註にあり。
「紅に染めてし衣」は深い契りを交わした仲。
「雨降るは二人の仲を裂こうとする人がいる」譬え。

親か周りのものが反対しているのかもしれませんが、
なかなか艶っぽい歌です。

「 紅摘みに 露の干ぬ間と いふ時間 」 田畑美穂女

紅花を摘む作業は刺(とげ)がチクチクと皮膚を刺すので、早朝、朝露で刺が
柔らかくなっている間に行い、茎の先端に咲く花を摘み取ることから
「末摘花」ともよばれています。

紅花から染料や口紅を作るのは大変な作業が必要とされました。
花を摘み、水洗いをして黄色い色素を洗い流し、
発酵させて餅のように搗いた後、筵に並べてせんべい状にしてから乾燥させ
紅餅といわれるものをつくる。
出来上がった紅餅は、紅花商人を経て都の紅屋売られ、それぞれの秘伝の技術や
灰汁などを加えてようやく染料や口紅になったのです。

紅花の栽培地は山形県の月山の麓や最上川のほとりがよく知られていますが、
昔は伊勢、武蔵、上総、下総など二十四か国が税として納めており、
出羽最上が産地として台頭するのは江戸時代からです。

その種は長南(千葉県)からもたらされたとも伝えられていますが、
栽培の最適地は、花が成長する春から夏にかけて朝霧が立ち、
直接日光が当たる時間が短い場所。
この条件に合うのなら全国どこでも栽培できたようです。

以下は 水上勉著 「紅花物語」からです。

『  花は紅花というて、最上川や仙台にでける花と、伊賀にでける花とがある。
   どちらも似たようなもんやけど、それぞれ土地の性質が花に出て、
   とれる紅はちがうんや。

  その点、わいのつかう紅には、最上の紅がいちばんよいが、伊賀にも
  よいのはある、、、、。

  花は毎年四月、八十八夜にタネをまいて、、、、丹精した畠でつくるんやけんど、
  紅花はぜいたくな苗で、土みしりしよる。
  去年の畠では でけんのや。

  ナスやキュウリとちがうて、めんどうなもんでな。
  四月にまいたタネが苗になると すこしずつ つまびいて、
  畔に二列に、とびとびにして大きくしてゆくわけや。
  花は七月に咲きよる。
  これがなんとケシの花みたいで、まっ黄色い。

  ところが、これを摘んで、団子にしてゆくうちに、だんだん紅うなってきよる。
  不思議な花や。 』
                                   ( 主婦の友社より)

   「 奈良へ通ふ 商人住めり 紅の花 」 正岡子規

          奈良の月ヶ瀬は梅の名所。
          梅酢は紅作りの重要な原料です。




           万葉集641 (紅花の季節) 完


          次回の更新は7月21日の予定です。
[PR]

by uqrx74fd | 2017-07-13 19:45 | 植物

万葉集その六百三十二 (つつじ 今盛りなり )

( 藤万葉  東京大学付属 小石川植物園 )
b0162728_2282896.jpg

( 飛鳥川   同上 )
b0162728_2281699.jpg

( 尾引絞    同上 )
b0162728_2275637.jpg

( 白琉球    同上 )
b0162728_2274460.jpg

( ケラマツツジ  絶滅危機種   同上 )
b0162728_2273110.jpg

( ジングウツツジ   絶滅危機種  同上 )
b0162728_2271796.jpg

( サキシマツツジ      同上 )
b0162728_226586.jpg

( ヤエヤマツツジ     同上 )
b0162728_2264159.jpg

( トウゴクミツバツツジ   同上 )
b0162728_2262568.jpg

( 千重大紫     同上 )
b0162728_2261097.jpg


万葉集その六百三十二 (つつじ 今盛りなり)

 桜が散り爽やかな気候になると、野山を美しく彩る主役は「つつじ」。
早咲きのミツバツツジは3月から既に咲き始めており、4月アカヤシオ、
5月はヤマツツジ、ミヤマキリシマ、オオムラサキ、クルメツツジと
華やかな競演を繰り広げ、6月のサツキで締めくくります。

「つつじ」の語源は次々と咲く「続き咲き」が訛ったもの、あるいは
花が筒状であることから「つつ」と呼ばれ、次第に「つつじ」に
なったとも云われています。

江戸時代、盆栽の流行で多くの品種が生み出されましたが、それらを
すべてひっくるめた総称が「つつじ」。
現在300~350種類もあるといわれる個々の花にすべて名前が
付けられていますが、一目見て言い当てるのは素人には難しいようです。

万葉集では白つつじ(3首)、岩つつじ(2首)、丹つつじ(1首)、「つつじ」(3首)、と
9首詠われていますが、現在の どの「つつじ」に当たるのかは
特定されていません。

ただ、専門家の間では「ヤマツツジ」とする説が多く、
「つつじ花 にほえ娘子(おとめ)」と詠われているイメージには、
大ぶりな紅白の花を幾重にも咲かせる野性のものがふさわしいようです。

次の歌は男と女の掛け合いで、「問答」といわれていますが、
類似の長歌が、「巻13-3309 柿本人麻呂歌集」にあり、作者は人麻呂の歌に
触発されて、寸劇風のものに仕立て直したとも考えられています。

( 人麻呂歌集13-3309については 万葉集遊楽その369 
         「 つつじ花 にほえ乙女 」 をご参照下さい。)

( 問答 男 )

「 物思はず 道行(ゆ)く行くも
  青山を ふりさけ見れば
  つつじ花  にほえ娘子(をとめ)
  桜花  栄え娘子(をとめ)

  汝(な)れをぞも  我れに寄すといふ
  我れをもぞ   汝れに寄すといふ

  荒山も 人し寄すれば
  寄そるとぞ いふ
  汝(な)が心 ゆめ  」   
                      巻13-3305  作者未詳
(訳文)


( 何の物思いもせずに 道を辿りながら
 青々と茂る山を 振り仰いで見ると
 目に入るのは 色美しい つつじ花
 その花のように  においやかな乙女よ
 咲き誇っている 桜花
 その花のように  照り輝く乙女よ

 そんなお前さんを  世間では
 私といい仲だと  噂しているそうだ
 こんな私を お前さんといい仲だと 噂しているそうだ

 荒山だって 人が引き寄せれば 
 寄せられるものという。
 お前さん ゆめゆめ油断するなよ )   13-3305

「物思はず」 : 無心に 

「道行く行くも」:  道を行きながら

「寄す」 :   心を寄せていると人が噂する

「荒山」: びくともしない山

「寄そる」: 動いて寄せられる

「汝が心ゆめ」: 心を引き締めて用心せよ

なお、「匂う」という動詞は今日、嗅覚に関する語として用いられていますが、元々は
内面の奥に隠れているものが何かに触発されて表面に美しく映え出たさまを云いました。

(反歌) 男

「 いかにして 恋やむものぞ 天地の
     神を祈れど  我れや思ひ増す 」 
                         巻13-3306 作者未詳


( どのようにしたら この苦しみは収まるものなのであろうか。
 天地の神々に祈っているけれども、 わたしの思いは
 いよいよつのるばかり。)

「用心しないと、噂通り俺のような荒々しい男といい仲になってしまうぞ。
 始めは何ともなかっても、噂が機縁となって一緒になってしまうことなど
 よくあることだ。 」

と半ば脅かすような口調で口説いていますが、本心は惚れて惚れて
メロメロなのです。

(それに対する女の答え)

「 しかれこそ 年の八年(やとせ)を 
  切り髪の   よち子を過ぎ 
  橘の ほつ枝を過ぎて
  この川の 下にも長く  
  汝が心待て 」  
                   巻13-3307 作者未詳


( だからこそ この私は 長の年月を 
 そう、あの切り髪の年頃を過ごして
 橘の上枝(うわえだ)より 背丈が伸びた今の今まで、
 この川底、 そんな心の奥底まで 長い間
 お前さんの心がこっちに向くのを 待っていたのですよ。
 それなのに、なんという云い草。)

「年の八年」: 長い間

「切り髪」 肩のあたりで切りそろえる少女の髪型

「よち子」 原文「吾同子」 自分と同じ年頃の若い子
 
「ほつ枝」 秀(ほ)つ枝 枝振りがよい 

「過ぎて」  背丈が枝を超え

(反歌)

「 天地の 神をも我は 祈りてき
    恋といふものは かってやまずけり 」  
                            巻13-3308  作者未詳

( 天地の神々にまで 私は私でお祈りいたしました。
 でも 恋と云うものはきっぱりと止みはしませんでしたよ )

 「 かってやまず 」: 少しも止まない

「 何をいまさらこんなことをおっしゃるの。
  私は小さい頃からあんたの気持ちがこちらに向くのを待っていたのだよ。
  あなたの気持ちなどとっくに承知。
  それをご用心なんて、よくも白々しいことを 」

とやり返す女。

お互い相思相愛。めでたし、めでたし。
宴席での掛け合い歌だったのかもしれません。

「 分け行けば 躑躅の花粉 袖にあり 」 高濱虚子

「ツツジ」は漢字で「躑躅」と書き、極めて難解な文字です。
植物の名前に何故動物の「足」編なのか?

その由来は
「 羊この葉を食せば躑躅(てきちょく)として斃(たお)る。 
ゆえに名づく」(和名抄)
からきていると言われております。

躑躅(てきちょく)とは「あがく、あしずりする」という意味で、
「羊がこの花を食べると、あがいて倒れてしまう」
だから皆が有毒だと認識しやすいように躑躅(てきちょく)=躑躅(ツツジ)と
したわけです。

ただ、ツツジはレンゲツツジ以外は無毒なので、当初は同じツツジ科の馬酔木(有毒)に
躑躅があてられ、次第にツツジ類全般を「躑躅」とするようになったとも。

余談ながら、五月は別名を「さつき(皐月)」といいますが、これは
つつじの「さつき」とは無関係です。

皐月(さつき) の「さ」は「神聖」なものと「田」の意があり、
「さ開き」 は「田の植え始め」 「さ上(の)ぼり」は「田植の終わり」。
「さつき」は「田植をする月」 のこととされています。

「 紫の 映山紅(つつじ)となりぬ 夕月夜 」 泉鏡花


「映山紅」と書いて「つつじ」と読む珍しい例。
文字通り山に映える一面の赤。
その美しさに見惚れていると、やがて月が出て
紅色の花が、紫に変わる。
スケールが大きく、鏡花の世界である艶めかしい色気さえ
感じさせるような一首です。


         万葉集631 (つつじ 今盛りなり) 完


    次回の更新は5月19日(金曜日)の予定、(通常に戻ります)
[PR]

by uqrx74fd | 2017-05-08 22:08 | 植物

万葉集その六百二十九 (八重桜)

( 知足院山門  ナラヤエザクラの発祥地   奈良 正倉院東側 )
b0162728_19564260.jpg

(  同上  本堂 )
b0162728_19552668.jpg

( ナラヤエザクラ  知足院 )
b0162728_1955629.jpg

(  新宿御苑  東京 )
b0162728_19545116.jpg

(  同上 )
b0162728_19542682.jpg

( 同上 )
b0162728_1954899.jpg

( 鬱金桜:うこんざくら  新宿御苑 )
b0162728_19535639.jpg

( 高千穂神社    佐倉市)
b0162728_1953397.jpg

(  同上 )
b0162728_19531760.jpg

( 同上 )
b0162728_1952592.jpg

( 京都御所 御苑 )
b0162728_1952354.jpg

( 同上 )
b0162728_19521073.jpg


万葉集その六百二十九 (八重桜)

「 いにしへの奈良の都の八重桜
    けふ九重(ここのへ)に にほひぬるかな 」  
                       伊勢大輔(いせのたいふ) 詞花集 百人一首

一条天皇の御代、奈良の八重桜が献上された際、作者が受取人となり、
藤原道長から「その花を題にして歌を詠め」と命じられ即座に詠んだもの。
上の句で古き都の栄光を背負っているような見事な八重桜を強調し、
下の句でそれが平安京の宮廷(九重)で絢爛と輝く有様を述べて詠嘆した。

「いにしへ」と「けふ」、「八重」と「九重」を対比し、古都の桜を称え
平安宮廷の繁栄を明るく高らかに詠いあげた名作。
この一首により八重桜と云えば奈良、不変のものとなりました。

八重桜は桜の一品種ではなく、八重咲きに花をつける桜の総称で、
我国では「関山(カンザン)、「一葉(イチヨウ)」、「普賢象(フゲンゾウ)」、
「八重紅枝垂れ」、そして淡い黄色の「鬱金(ウコン)」などが知られています。

多くはヤマザクラやソメイヨシノに比べて開花期が遅く、見頃は4月中旬~下旬。
散り始めまでの期間が長くゆっくり楽しめ、風に舞う花びらや花絨毯も美しい。

万葉集には八重桜という言葉は見えませんが、聖武天皇がご覧になって
いたく感心されたという記述もあるので、平城京の周囲には多く咲き誇って
いたことでしょう。

「 あをによし 奈良の都は 咲く花の
   にほふがごとく 今盛りなり 」 
                        巻3-328 小野 老(おゆ)

( 奈良の都は咲き誇る花の色香が匂ひ映えるごとく、今真っ盛り。)

大宰府で勤務している作者が公用で都に上り、桜満開の素晴らしさを
宴席で語ったもの。
豪華絢爛な八重桜が咲き誇る奈良の春を世にも美しく詠い、
長く愛唱されている一首です。

「 見渡せば 春日の野辺(のへ)に 霞立ち
    咲きにほへるは 桜花かも  」  
                        巻10-1872  作者未詳

( 遠く見渡すと、春日の野辺一帯に霞がたちこめ、花が美しく咲き誇っている。
 あれは、桜の花だろうか。)

「 遠く霞の中に咲きにほふ桜花の眺め。
今も美しい日本の春の典型的な景色である 」( 佐佐木信綱 万葉集評釈)

と評される平安朝和歌の先駆をなすもの。
今日の飛火野から奈良公園一帯にその面影が残ります。

「 千歳すむ 池のみぎはの 八重桜
           かげさへ底に 重ねてぞ見る 」    藤原俊忠 千載和歌集

八重桜はオクヤマザクラが重弁化して生まれたものと考えられています。

以下は小清水 卓司奈良女子大名誉教授の記述からの要約です。

『 その昔、聖武天皇が弥生の頃三笠山の奥に行幸された時、
谷間にいとも麗しい八重桜の咲いているのをご覧になり、
宮廷に帰って光明皇后に伝えたところ、皇后は非常にお喜びになり
その桜の一枝なりとも見たいと御所望になり、臣下が気を利かせて
宮廷に移植して御覧に入れ、以来春ごとにこの桜花を愛でられていた。

ところが女帝孝謙天皇のころになって、当時飛ぶ鳥も落とす勢力を
誇示していた興福寺の僧達はこの名桜を宮廷に置くことを喜ばず
権力をもってこの桜を興福寺の東円堂前(旧奈良学芸大学正門内)に
移植して興福寺の名桜として誇っていた。
との言い伝えがある。

しかし、多数の古歌、古図、史実に掲載されている桜が
いかなる種類に属する桜であるか検討したものがなかった。

大正11年(1922) 植物学の権威である三好学博士が
一般の桜がほぼ散った4月の末の頃、奈良の正倉院東隣の丘の上にある
世人から隔離され、訪ねる人も少ない知足院の裏山の藪の中に
赤い芽ざしの葉と花とを調和よく同時につけ、いとも優雅な気品のある
他に類例を見ない八重桜が咲き盛っているのを見て、調査の結果
これこそ古来から古記録、古歌、史実などに現れている貴重な八重桜と
よく符合することを確認して、その結果を植物学雑誌に独文で報告、
記述し、桜の新種「ナラノヤエザクラ」と発表した。

さらに大正12年(1923)には、文学上、歴史、植物学上貴重であり、
稀珍な存在であるとして、知足院奈良八重桜を天然記念物に指定して
今日に及んでいる。
なお、この桜の増殖は非常に困難であり、保存に意を用いないと
絶滅する運命にあり、この種の老樹は、ほとんど枯れてしまっているのは
残念である。 』                 ( 万葉の草、木、花 朝日新聞社 )

「 『 いにしへの 寧楽(なら)のみやこの やえざくら 』―
                ふとくちずさみ 涙うかべり  」    土岐善麿

ナラヤエザクラは増殖力が弱く、現在は東大寺知足院で小ぶりのものしか
見ることが出来ませんが、他の種の八重桜はいたるところで豪華絢爛な花を
咲かせており、中でも、新宿御苑、大阪の造幣局の「桜の通り抜け」が
よく知られています。

    「 奈良七重 七堂伽藍 八重ざくら 」   芭蕉




                  万葉集629 ( 八重桜 )完



                  次回の更新は4月28日の予定です。
[PR]

by uqrx74fd | 2017-04-20 19:57 | 植物

万葉集その六百二十八 (あだ桜)

( 吉高大桜  千葉県印旛村 )
b0162728_2203799.jpg

( 三春滝桜   福島県 )
b0162728_2201194.jpg

( 上田城   長野県 )
b0162728_2159519.jpg

( 又兵衛桜  奈良県 )
b0162728_21593228.jpg

( 千鳥ヶ淵   東京 )
b0162728_2159586.jpg

( 六義園枝垂れ桜     東京 )
b0162728_21583611.jpg

( 醍醐寺   京都 )
b0162728_21581049.jpg

(  玄賓庵   山辺の道  奈良 )
b0162728_21575210.jpg

(  高千穂神社   佐倉市 )
b0162728_21572588.jpg

(  新宿御苑   東京 )
b0162728_2157161.jpg

(  同上 )
b0162728_21563857.jpg


万葉集その六百二十八 (あだ桜)

「 明日ありと 思ふ心の あだ桜
         夜半に嵐の 吹かぬものかは 」 親鸞聖人絵詞伝

親鸞聖人9歳の時に詠んだと伝えられる一首。(ほんとかしら?)

得度(僧侶になること)するために青蓮院の慈円和尚を訪れたが、生憎夜中。
慈円は「今日は遅いから明日に」と云った時に答えた歌とされています。

「この世は無常であり、今を盛りと咲く桜が夜中の嵐で
 散ってしまうかもしれません。
 私の命も同じように何時果てるかもわからない。
 どうか、今ここで得度の儀式を執り行って下さい」 と
お願いして了解を得たそうな。

この歌を人生で最初に覚えたとされる向田邦子さんは
「あだ桜」という随筆で

「 人生の折り返し地点をはるかに過ぎ、残された明日は日一日と
  少なくなっているのに、まだ明日をたのむ気持ちは直っていない。
  さしあたって一番大切な、しなくてはならないことを先に延ばし、
  しなくてもいいこと、してはならないことをしたくなる性分は
  かえって年ごとに強くなってゆくような気がする。」

と述べておられます。( 父の詫び状 所収 文芸春秋社)

「思い立つた日が吉日」という言葉もあり、花見も散らぬうちに
 楽しみたいものです。

さて、こちら万葉人は風流な恋歌であだ桜を楽しんでいます。

「 やどにある 桜の花は 今もかも
      松風早み 土に散るらむ 」  
                      巻8-1458 厚見 王

( 庭に植えてある桜の花は 今ごろ松風がひどく吹いて
  ひらひらと地面に散っていることだろうか。)

作者は官人(少納言) 。
749年奉幣使として伊勢神宮に遣わされたの記録がありますが
詳しいことは未詳。

「やどにある桜」: 女の家の庭の桜を我家のもののように
            馴れ馴れしく云っており相手の女性は
            我がものという意識が底にある

女の家の落花の美しさを思いやった風流を装いながら、
他の男に心を移しているのではないかと疑っているのです。

それに対して女性は

「 世間(よのなか)も 常にしあらねば やどにある
    桜の花の 散れるころかも 」 
                     巻8-1459 久米女郎

( 人の世は 定まりないものです。
  我家の庭の桜も、空しく散ってしまいましたよ。 )

あなたこそ、一向に訪れがないものですから、待ちくたびれて
他の男に魅かれてしまいましたと応えたもの。

色よい返事を期待していた男はあっけにとられたことでしょう。
久米女郎の経歴は未詳、万葉集でこの1首のみです。

  世間(よのなか): 無常の人の世の意で男女の仲を譬えている

「 あしひきの 山の際(ま)照らす 桜花(さくらばな)
     この春雨に 散りゆかむかも 」 
                            巻10-1864 作者未詳

( 山あいを明るく照らして咲いている桜の花。
  この春雨に散ってゆくことだろうか。)

作者は前の日に満開に咲く桜を見てきたのでしょうか。
今降る春雨に打たれて散っているだろうかと、惜しんでいます。

万葉人にとっての桜は、明るく生きる生命の象徴、
散る桜は命の再生の肥やし。そして稲の神様の化身。
桜咲く時期になると山の神様がそろそろ田植えだよと教え、
花が多ければ多いほど、散る時期が遅ければ遅いほどその年は
豊年と信じられていたのです。

万葉人の詠んだ散る桜。
そこには親鸞聖人が詠った仏教的無常観は微塵も見られません。
「世間(よのなか)も常にしあれば」と詠っても、彼らにとっては
男と女の間の話。

あだ桜は万葉人にとって恋のあだ花だったのでしょう。


        「 桜花 何が不足で 散りいそぐ 」  一茶




    万葉集628(あだ桜)完

次回の更新は4月21日(金)の予定です。
[PR]

by uqrx74fd | 2017-04-13 22:02 | 植物

万葉集その六百二十七 ( 桜の歌 )

( 長谷寺 奈良 )
b0162728_112177.jpg

( 同上 )
b0162728_1115713.jpg

( 同上 )
b0162728_1112987.jpg

( 山辺の道 桃と桜  奈良 )
b0162728_1105491.jpg

( 美和の杜  山辺の道  奈良 )
b0162728_110331.jpg

(  同上 後方は三輪山  奈良 )
b0162728_110158.jpg

( 浮御堂  奈良 )
b0162728_10584988.jpg

( 薬師寺遠望  奈良 )
b0162728_10583215.jpg

(  同上  前方は大池 )
b0162728_10581514.jpg

( 甘橿の丘  奈良 )
b0162728_10575228.jpg

( 吉野山  奈良 )
b0162728_10572773.jpg


万葉集その六百二十七 (櫻の歌)

「 さくら さくら
  野山も里も  見渡すかぎり
  かすみか雲か  朝日に匂う
  さくら さくら   花ざかり 」  (日本古謡)

桜前線の北上が始まり、琴の調べとともに流れてくるこの曲を耳にすると、
たちまち浮き浮きするような気分になります。
南の小さな島々から、北海道の隅々まで順次桜で埋め尽くされてゆく。
このような国は世界広しと云えども、我国だけでありましょう。
あぁ!日本人に生れてよかった!としみじみ感じる季節です。

万葉人もこのような光景を「国のはたてに」( 国の隅々まで)と詠い
桜の到来を寿ぎました。

「 娘子(をとめ)らが かざしのために 
  風流士(みやびを)が かづらのためと
  敷きませる
  国のはたてに 咲きにける
  桜の花の  にほひはも あなに 」 

         巻8-1429 若宮年魚麻呂(わかみやのあゆまろ)口誦

 ( 乙女たちの 挿頭(かざし)のために
   風流士(みやびを)の蘰(かずら)のためにと
   大君がお治めになる
   国の隅々まで 咲き満ちている
   桜の花の まぁ何と輝くばかりの美しさよ )

「 かざし」: 花や小枝を髪に挿して飾りとしたもの

「 風流士(みやびを)」 : 都会風の風流を解する教養ある男子

「 かづら 」: 柳や蔓草などを頭に巻く髪飾り

「 敷きませる 」: 天皇が国を統治し領有しておられる

「 国のはたてに 」: 端手、涯 :隅から隅までも 国の果てまで

「 にほひはも あなに 」: にほひ:明るく照り映える
               はも: 感動の助詞
               あなに: あぁ、ほんとうに の意の詠嘆

「 去年(こぞ)の春  逢へりし君に 恋ひにてし
     桜の花は 迎へけらしも 」 
                           巻8-1430  同上

( 去年の春 お逢いしたあなたに恋焦がれて 桜の花は
 この春もこんなにも美しく咲いて あなたをお迎えしたのですよ )

作者は宴会の席で,古歌として伝えられているものを口誦したようです。
桜を擬人法的に詠っています。

国の隅々まで桜が咲き誇り、美しい花の化身である輝くばかりの乙女が
私を迎えてくれた。
それは桜と同時に生命に対する賛歌でもあります。

 「 あしひきの 山桜花 一目だに
      君とし見てば  我(あ)れ恋ひめやも 」
                 巻17-3970   大伴家持

( 山々に咲き匂う桜の花。
 その花を、あなたと一緒に一目だけでも見ることができたら
 こんなに想い焦がれることもないことでしょうに 。 )

家持が大病を患い床に臥せていた時、歌友、大伴池主と歌のやり取りを
していた中の一首。
恋文仕立てで詠うことにより、親愛の情を示したもので、古代ではよく
用いられた手法です。

万葉時代の桜はすべて山桜か遅咲きのカスミザクラ。
カスミザクラの突然変種がナラヤエザクラになったともいわれ、
現在、東大寺近くにある智足院で栽培されたものが残っています。

自然の中で咲く山桜について 小清水 卓司氏が次のように述べておられます。

『 桜の中で日本の精を包含した花として謳歌されるものは、山桜系である。
  この桜の類は何れも、花と葉が同時に開くいかにも清浄な清々しいもので、
  多種多様な変種があるが、みなその背景を必要とし、しかもその背景は
  人工的な物体ではなく、どこまでも大自然そのもの、例えば常緑樹や、
  山川渓谷等の背景が配されてこそ、真のよさや、真の表情が
  表れるものである。』
                              (万葉の草・木・花 朝日新聞社)

今やソメイヨシノ全盛の時代。
それでもよく気を付けて見ると山桜が逞しく生き残っています。

古びた山里を歩いている時、一本の大木が満開の花を咲かせている。
それこそ絵になる風景、感動もひとしおなのです。

 「 やどりして 春の山辺に ねたる夜は
           夢のうちにも 花ぞちりける 」 
                        紀貫之 (古今和歌集)


        万葉集627(桜の歌)完

     次回の更新は4月14日(金)の予定です。
[PR]

by uqrx74fd | 2017-04-06 11:04 | 植物