カテゴリ:植物( 201 )

万葉集その六百六 (アケビ)

( ミツバアケビの花  向島百花園  )
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(    同上:拡大  )
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( ミツバアケビの実    同上 )
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(  枯れた実  東京都薬用植物園 )
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(  アケビの花   同上 )
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(  アケビの実   同上 )
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( 通信販売カタログ  産地は山形が圧倒的なシエァを占める )
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 アケビは本州、四国、九州に分布するアケビ科つる性の落葉樹で4~5月、
薄紫色の花を咲かせ、秋には10㎝位の楕円形の実を付けます。
完熟すると紫色の果皮がパクッと割れて白く柔らかい美味な果肉が現れるので
「開け実」とよばれていたものが「アケビ」に転訛したそうな。

古くは「狭野方(さのかた)」とよばれていた(土居文明 万葉集私注)ようですが、
植物名ではあるが未詳、あるいは地名とする説(少数)もあります。

「さのかた」が「アケビ」とされる根拠は万葉集で「葛葉(くずは)がた」と
詠われている例があり、「かた」は「蔓(つる)」の意と推測されること(伊藤博)と
「さの」は「さね」つまり「実」と解釈されたと思われるので
本稿は土居説に従います。

万葉集の「さのかた」(アケビ)は二首のみ、共に恋の歌です。

「 さのかたは 実にならずとも 花のみに
         咲きて見えこそ 恋のなぐさに 」 
                    巻10-1928  作者未詳

( さのかたは、実にならなくてもせめて花だけ咲いて見せておくれ
 この苦しい思いのせめてもの慰めに )

  「咲きて見えこそ」:「こそ」は「~してほしい」で「咲いて見せてほしい」
  「恋のなぐさに」: 「恋心を慰めるよすがとして」

男が「さのかた」を女に譬えて、結婚する気はなくとも
せめて交際だけでもして欲しいと口説いています。

本心は体の関係も持ちたいと思っている?
ところが口説かれた女性は人妻。
不倫は厳禁の時代。
女は次のような歌を返します。


「 さのかたは 実になりにしを 今さらに
         春雨降りて  花咲かめやも 」 
                    巻10-1929  作者未詳

( さのかたは とっくに実になっておりますのに 今さら春雨が降って
  花が咲くなどということがありましょうか )

「 春雨降りで」: 当時、春雨は花の開花を促すものと考えられており、
           ここでは男から誘いを受けている状態を譬えています。

「 花咲かめやも」: 「めやも」は反語。
             「あなた様と関係をもつということなどありましょうか」の意

自らを「さのかた」に譬えて、すでに人妻である(実になりし)ことを匂わせながら
相手の求めをはぐらかしています。
取りようによっては靡いてもよいとも思われそうな返事です。
相手をからかっている?
あるいは内心、一時の浮気ならと思っているのか。


「 心ぐく なりて見て居り 藪のなか
        通草(あけび)の花を 掌(て)の上におきて 」  島木赤彦

アケビは漢字で「通草」「木通」と書かれます。
蔓を煎じて飲むと利尿に効ありとされるので「小水が通じる草、木」の意とか。

この歌の作者、島木赤彦は「万葉集の鑑賞及び其の批評」という歌論書を書き、
斎藤茂吉の「万葉秀歌」と常に比較されているアララギ派の巨匠です。

「心ぐく」は「気分が晴れない」の意で万葉集に精通していた作者は
大伴家持が多用していたのを知っていて用いたのでしょうか。

「 心ぐく 思ほゆるかも 春霞
    たなびくときに 言(こと)の通えば 」 
                     巻4-789 大伴家持

( 申し訳けなさに心が晴れずもやもやした気持ちです。
      春霞がたなびくこの季節に、しきりにお便りいただくものですから )

藤原久須麻呂という人物から、まだ3才になるかならないかの家持の娘と
婚約したいとの申し出があり、困惑し、婉曲に断ったにもかかわらず
再三催促してきたのに応えたもの。
昔とはいえ、えらい気の早い男がいたものです。

「 通草(あけび)の実 ふたつに割れて そのなかの
            乳色なすを われは惜しめり 」        斎藤茂吉

山の中で実もたわわに垂れ下がっている通草。
野趣があり美味。
季節になると店頭にも出回ります。
春の若菜はおひたしや、乾燥させてお茶にしてもよし。
また、蔓は椅子や寝台、鞄やバスケット,菓子器などに加工されています。

「 瀧風に 吹きあらわれし 通草(あけび)かな 」     増田手古奈


           万葉集606 (アケビ) 完


        次回の更新は11月20(日)の予定です
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by uqrx74fd | 2016-11-10 19:16 | 植物

万葉集その六百四 (真弓)

( マユミの花 初夏  奈良万葉植物園 )
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( マユミの実  夏   同 )
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( 色づいてきました  初秋  市川万葉植物園 )
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(  完熟   学友N.F さん提供 )
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(  同上 )  
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(  オレンジ色の実  千葉 鋸南 )
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(   同上  )
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今年の5月中旬のことです。
春日大社神苑、万葉植物園を散策していると、薄緑色の真弓の花が
咲いているのを見つけました。
花びら1弁が米粒位の大きさで、よくよく気を付けて見ないと葉に紛れて、
見過ごしてしまいそう。
初めて見る可愛い花、小躍りしながらシャッタ-を切りました。

 「 若緑 まゆみの小花 愛らしき 」   筆者

真弓は日本全土の山地に自生しているニシキギ科の落葉低木で、
通常高さ3m位ですが、中には10m以上の大木に成長するものもあります。
初夏に薄白緑色の4弁の小花を咲かせた後、方形の実を結び秋には熟して
美しい深紅色になります。
葉も鮮やかに紅葉するのでヤマニシキギとも。

「まゆみ」を真弓と書くのは「真(まこと)の弓の木」の意で、
昔、この材で弓を作ったことに由来しますが、実が繭に似ているからとの
説もあります。
現在は「檀」(まゆみ)という字が当てられていますが、檀は紫檀、黒檀、白檀のように
すぐれた特性を持つ木に与えられている呼称だそうです。

真弓が古くから重要視されたのは、弓という武器の材料になるほか、
この樹皮から貴重な和紙が作られ、奉書紙や写経などに用いられたことにも
よります。
ただ、紙としてミツマタ、ガンピに比べて樹皮の繊維が短く、かつ弱いため
次第に衰退し、代わりに堅牢緻密な材質を利用して各種器具、版木、将棋駒、
こけし、櫛などに加工されるようになりました。

真弓の紅葉は「下葉より染めはじめ、次第に上に及び」しかも
長期にわたって美しさを持続するので、笑み割れた美しい実とともに
多くの人達に好まれ庭木や盆栽で愛でられています。

万葉集では14首詠われ、すべて恋の歌です。

「 白真弓(しらまゆみ) 斐太(ひだ)の細江の 菅鳥(すがとり)の
     妹に恋ふれか  寐(い)を寝(ね)かねつる 」
                               巻12-3092  作者未詳

( 斐太の細江に棲む菅鳥が、妻を求めて鳴くように、
  あの子に恋い焦がれているせいか、なかなか寝付かれないなぁ。 )

  斐太は所在不明。
  「寐(い)を寝(ね)かねつる」: 寝ることもできかねている

 一人悶々と過ごす夜、鳥の声を妻を求めて鳴くものと聞いています。

 白真弓は白木の真弓、 斐太に掛かる枕詞として用いられていますが、
 掛かり方は未詳。

 菅鳥はいかなる鳥か不明ですが、鴛鴦(おしどり)がこの歌に最も当てはまる
 ようです。( 飛騨鳥類研究家 川口孫次郎) 

「 陸奥(みちのく)の 安達太良真弓(あだたらまゆみ) はじき置きて
      反(せ)らしめきなば 弦(つら)はかめかも 」
                             巻14-3437   陸奥国の歌

( 陸奥の安達太良真弓、この真弓は弓弦(ゆづる)を弾(はじ)いたままにして
  反(そ)っくり返らせるようなことをしたら、もう二度と弦を張ることなど
  できませんよ、お前さん 。)

「はじきおきて」 弓の使用を終えてそのままにしておくこと
「反らしめ きなば」 弓身が曲がったままになり普通の形に戻らない状態

夫に浮気の気配を感じた妻は「安達太良真弓」を自分に、
「弦はく」に夫と元との関係に戻ることを譬えたようです。
「このまま他の女との関係を続けるなら、私にも覚悟がありますよ」
 と開き直る女。
 さてさて、男はどう答えたのでしょうか。
 残念ながら、返歌はありませんが、男は「 降参、降参 」と
 頭を下げたような気がします。

安達太良山(福島県)近辺は当時、弓の生産地として名高く、
都に貢物として送られていました。

「 陸奥(みちのく)の安達太良真弓 弦(つら)着(は)けて
       引かばか人の 我を言(こと)なさむ 」 
                            巻7-1329 作者未詳

( 真弓で作った弓に弦をつけて引張るように、あの女の気を引いたら
  世間の人はあれこれと噂を立てるだろうなぁ )

ここでの「弦をつけて引く」(弦を張って引く)は「女性の気を引いて誘う」
喩えとして用いられています。

何でもかんでも恋の材料にして詠う万葉人。
東北の訛りもあり、微笑ましい一首です。

「 村人の 明るさこそは 檀の実 」  高澤良一

檀の実は遠くから見ると赤い花のように見えますが、近づくと
パクッと割れた殻から赤い実(種)が頭を出しています。
その可愛げな様子が好まれ、紅葉の枝と共に生花の好材料とも
されているようです。

「 檀の実 持てば 嶺越しの 風の音 」 加藤楸邨



              万葉集604(真弓)完

              次回の更新は11月4日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-10-27 19:44 | 植物

万葉集その六百三 (さねかずら)

( サネカズラの花  国立科学館付属自然教育園 東京目黒区)
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(  同 拡大  )
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( 実がつきました   奈良万葉植物園 )
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( 徐々に大きくなり   同 )
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( 秋に色づきはじめます  同 )
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( 完熟    同 )
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( そろそろ終わりです   同 )
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サネカズラは関東以西に自生するモクレン科の常緑つる性植物で、
実(さね)が美しいので漢字で「実葛」「核葛」と書かれます。
夏から初秋にかけ黄白色の小さな花を下向きに咲かせ、秋深まる頃
円形に固まって垂れ下がる大きな実を熟成、それはそれは鮮やかな赤紫色。
まるで京菓子の鹿の子のようです。

葉や茎から粘り気がある粘液が出、昔、男の整髪料に用いられたので、
美男葛(ビナンカズラ)ともよばれ、実を乾燥させて煎じて飲むと、
胃腸、滋養強壮,咳き止めに効ある有用の木です。

   「 実となりて 美男かづらの 現れぬ 」  島田みつ子

万葉集では9首、サナカズラとも詠まれ、すべて恋の歌です。

「 あしひきの 山さな葛(かづら) もみつまで
     妹に逢はずや 我(あ)が恋ひ居らむ 」 
                        巻10-2296 作者未詳

( この山のさな葛が、色づくようになるまで
 いとしいあの子に逢えないまま、私はずっと恋い焦がれていなければ
 ならないのだろうか。 )

「もみつ」は通常、紅葉することをいいますが、常緑の葉が紅葉するはずがないので
「永久に逢えないのだという心がこもる」という意の説と、
熟して真っ赤に色づいた実-「燃えるような恋心」と解する説があり、
後者の方がこの歌にはふさわしいように思われます。

長い間逢えないと嘆く男は旅の途中なのか、あるいは相手の女性が
親から交際を禁じられているのか。

なお、9首あるサナカズラの中で植物を題材としているのはこの1首のみ。
残りは「後で逢おう」「必ず逢おう」の意をもつ枕詞として用いられています。
その理由は、サナカズラの蔓(つる)が長く延び、先端がどこかで絡み合うので、
「さ寝(ね)」つまり、男女の共寝を暗示しているそうな。

「 さね葛(かづら) 後(のち)も逢はむと 夢(いめ)のみに
     うけひわたりて 年は経(へ)につつ 」 
                      巻11-2479   柿本人麻呂歌集

( さね葛が伸び、あとで絡まり合うように、後にでも逢おうと
     夢の中ばかりで祈り続けているうちに、年はいたずらに過ぎて行きます。)

         「夢のみに うけひわたりて」
  
           「うけふ」 あることを心に誓って神に祈り神意をうかがうこと。
           寝る前にしかじかの夢をみたら後に逢えると誓い、
           その夢で一心不乱に祈っての意 

「 木綿畳(ゆふたたみ) 田上山(たなかみやま)の さな葛
     ありさりてしも 今にあらずとも 」 
                          巻12-3070  作者未詳

( 田上山のさね葛 その葛が伸び続けるように
      このままずっと生きながらえて あの子にいつか逢いたい。
      今でなくてもよいから。)

とはいうものの、今すぐにでも逢いたいと思い続ける男。
相手は高貴な高嶺の花の女性なのでしょうか。

       木綿畳: 木綿を折りたたんだ神祭りの幣帛(へいはく) 田上山の枕詞
             長い蔓にあやかり生命の長久や永遠を寿ぐものとされた。

       田上山: 滋賀県大津市南部の山 藤原京造営の丸太を伐り出した産地

       ありさりてしも: 「ありしありても」の約 「あり」は動作の継続を表す
                  「し」強意の助詞 ずっと生きながらえての意

サネカズラは花、実共に鑑賞価値が高いので蔓を垣根に這わせたり、
盆栽仕立てや生花の材料とされ、また、樹液は和紙を漉く時の
糊料(こりょう)に用いられているので「布海苔葛(ふのりかずら)」
「ところ葛」ともよばれています。
  
      「 葉がくれに 現れし実の さねかずら 」 高濱虚子



         万葉集603 (さねかずら)完

         次回の更新は10月28日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-10-20 17:29 | 植物

万葉集その五百九十六( 姫押:をみなへし)

( 秋空に咲き誇るオミナエシ  市川万葉植物園 )
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( 万葉人はこの花を美女も圧倒する美しさと称えた  山辺の道 奈良 )
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(  オミナエシとオニユリ  同上 )
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(  オミナエシとススキ   同上 )
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(  オミナエシと蝶   同上 )
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(   同上  )
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「女郎花」という字がまだ使われていなかった万葉時代、
「姫押」「姫部志」「美人部志」「佳人部為」「娘子部四」などという字を当て、
すべて「をみなへし」と訓みなしていました。
いずれも美しい女性を思い起こさせ、万葉人のこの花にかける憧れや想いが
伝わってくるものばかりです。

「姫押」は「美人(姫)」を「圧倒する(押))ばかりに美しい花の意で、
この字を「をみな(姫)へし(押)」の語源とする説もあります。

「 をみなへし(姫押) 佐紀沢の辺(へ)の 真葛原(まくずはら)
     いつかも繰(く)りて  我が衣(きぬ)に着む 」
                           巻7-1346 作者未詳

( おみなえしが咲き、葛が生い茂る野原。
 あの葛は何時になったら糸に繰って私の着物として
 着ることができるのであろうか。 )

古代、葛の根は食用、茎は衣料に用いられていました。
作者は葛を少女に譬え、その少女の早い成長を待って結婚したいと
願っています。

「繰りて我が衣に着る」は妻にしたいの意で、余程美しい少女だったのでしょう。
佐紀沢は現在の奈良市佐紀町、平城京に近いところです。

「 をみなへし 秋萩しのぎ さを鹿の
     露別け鳴かむ 高円(たかまと)の野ぞ 」
                    巻20-4297  大伴家持(既出)

( ここ高円の野は一面のおみなえしや秋萩。
     そのような中を、雄鹿が白露をいっぱい置いた花々を踏み分け、
     やがて鳴きたてることであろう )

753年作者は2~3人の官人と連れだって高円山麓の小高い丘に登り
酒宴を催しました。
野辺一面におみなえしと萩が咲き乱れ、秋真っ盛り。
そのような中を雄鹿が萩の白露を散らしながら悠然と通ってゆきました。
なんと優雅な光景でしょうか。
眼を閉じるとそのさまが思い浮かんでまいります。

高円山麓は聖武天皇の離宮や志貴皇子(天智天皇の子)の宮があった
ところで、萩の寺で知られる白毫寺周辺。

「秋萩しのぎ」 「しのぐ」は押し伏せる
「露別け」 おみなえしや萩に置く露を胸で押しのけての意

「 高円の 宮の裾(すそ)みの 野づかさに
    今咲けるらむ をみなへしはも 」 
                         巻20-4316  大伴家持

( 高円の宮の裾野のあちらこちらの高みで、今ごろ盛んに咲いているだろうな。
 おみなえしの花は )

作者は難波で防人を九州へ送りだす仕事に携わっており、多忙を極めていました。
高円での楽しかった酒宴を懐かしみ、その光景を思い浮かべながら、
今は亡き聖武天皇を追悼していたものと思われます。

「野づかさ」 小高いところ

「おみなえし」は全国いたるところに原生するオミナエシ科の多年草で
秋の七草の一つとされていますが、気の早いものは夏の盛りから黄色い小花を
密集させて咲かせます。
そのさまは「蒸した粟飯(あわめし)」(今のものでいえばブロッコリ-) のようです。

古代の女性は粟(あわ)を主食にしていたため粟飯を「をんなめし」とよんでおり、
その「をんなめし」が花の名前に転訛したとの説もあります。
つまり「をんな」→「をみな」「めし」→「へし」。

      「 面影の 幾日変らで 女郎花 」 几董(きとう:江戸中期)

「女郎花」という字が見えるのは平安時代からで万葉の「姫」「美人」「佳人」
「娘子」などを一括したものと考えられています。
「女郎」は元々「いらつめ」と訓み、主として「上流階級の女性」の名前として
使われ、次第に「若い女」あるいは「広く女性をいう」言葉になりました。
「遊女(傾城:けいせい)」をさすようになったのは後々のことです。

          「女郎花には こまやかな 黄を賜ひ 」 田畑美穂女



            万葉集596(姫押:をみなへし ) 完



            次回の更新は9月9日の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-09-01 17:27 | 植物

万葉集その五百九十三(麻いろいろ2)

( 亜麻の花   学友M.I さん提供 )
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( 亜麻の原種   小石川植物園 )
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(  奈良の麻専門店 おかい: 以下の写真は同店のご厚意で撮影させていただきました)
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(  麻の繊維   おかい提供 )
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(  近世の織機   同 )
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(  麻布    同  )
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(  古代の手拭   同  )
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(   麻のスカーフ   同 )
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(   着物地     同  )
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(   同     奈良町センター )
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古代、麻にかかわる仕事はすべて女性の役割とされていました。
種蒔き、刈取りまたは抜き取り、皮むき、蒸し、晒し、糸にして布を織る。
根気がいる重労働です。
しかも、軽くて美しい上物は生活の糧として売り、自分たちは分厚な重い衣を着る。
そのような苦しい生活にもかかわらず、万葉の女性は恋をしながら、楽しく
作業の様子を詠うのです。

「 千(ちぢ)の名に 人は云ふとも 織り継がむ
     わが機物(はたもの)の 白き麻衣(あさごろも) 」 
                           巻7-1298 作者未詳

( あれこれと世間の人が噂を立てようとも、私は機にかけた白い衣を
 織り続けましょう。)

「白い麻衣」に「初々しい若者」を「織り継がむ」に「思い続けよう」の
意がこもり、世間が色々噂を立てようとも、私はあの人を一途に愛し続けようと
決心する乙女。

「千(ちぢ)の名」:「千にもおよぶ浮名が立てられようとも」
「白き麻衣」: 麻を晒して白くしたもの

「 娘子(をとめ)らが 績(う)み麻(を)の たたり 打ち麻(そ)懸け
    うむ時なしに 恋ひわたるかも 」 
                          巻12-2990 作者未詳

( 娘たちの麻紡ぎのたたり、そのたたりで打った麻を掛けて
  糸を績(う)み続ける私。
  それと同じようにあの方を倦(う)むことなく、焦がれ続けております。)

「たたり」: 糸紡ぎの緒を掛ける道具で、台付の柱を3本立て、その柱の
頭が三角形になるように置いて糸を巻きつける。

「績み麻」: 麻の繊維を紡いで作った糸。 績(うみ)と「倦み」を掛けている
「打ち麻(そ)」:木づちで打って柔らかくした麻の繊維

「 麻の葉の きりこみ深く 涼徹す 」  大野林火(りんか)

人々は麻で衣類のみならず掛布団や寝間着などの寝具も作りました。

「 庭に立つ 麻手小衾(あさでこむすま) 今夜(こよひ)だに
         夫(つま)寄(よ)しこそね 麻手小衾(あさでこぶすま) 」
                           巻14-3454 作者未詳

( 庭畑に茂り立つ麻 その麻で作った夜着よ、
 せめて今夜だけでも愛する夫をここに呼び寄せておくれ。
 麻の夜着よ )

当時、寝具に男の来訪を呼び寄せる力があったと信じられていました。
男は遠方を旅しているのでしょうか。
壁に掛かった男の夜着には夫の霊魂が宿っている。
その方に向かって熱心に祈る健気な女です。

「麻手小衾」(あさでこぶすま) 麻で作った寝具。
言葉を二度繰り返すことによって霊力を得たいとの心がこもります。 

「 今年行(ゆ)く 新島守(にひしまもり)が 麻衣(あさごろも)
    肩のまよひは 誰(たれ)か取り見む 」
                             巻7-1265  作者未詳

(  今年出かけてゆく新しい島守の 麻の衣
  その衣の肩のほつれは いったい誰が繕ってやるのであろうか)

島守は諸国の軍団の兵士から選ばれ、筑紫、壱岐、対馬の辺境の
守備にあたった防人。
愛しい人、または子供を防人に送りだす妻か母が気づかって詠んだもの。

「衣の肩のほつれを繕う人もいないのに、さぞ不便なことだろう。
 私が傍に居てあげられたらいいのに 」

「まよひ」生地が薄くなってほつれること

「 白露に 紫映える 亜麻の花 」  筆者

麻の歴史を画期的に変えたのは亜麻。
中東原産のアマ科の一年草で、我国には江戸時代、元禄の頃に渡来したと
いわれています。
当初、小石川御薬園で薬種として種子を採るために栽培されましたが、
中国から容易に輸入出来たので定着せず、本格的な栽培は明治の北海道開拓時代、
榎本武揚によってなされ、繊維用として第2次大戦頃にピークに達しました。

戦後、化学繊維の台頭で没落しましたが、近年、栽培適地の北海道で
多年草の園芸種の亜麻の花の美しさに人気が高まり、札幌市の麻生町、
苗穂、当別町では亜麻を生かした街づくりが行われ、
多彩な行事が開催されています。

なお、亜麻の茎の繊維は大麻、苧麻より上質かつ強靭で柔らかく、
リンネル(リネン:薄地織物)の製品ほか、高級衣料や女性の高級下着
(ランジェリ-)にも使われています。
また、成熟した種子から亜麻仁油が得られ、食用に供されるほか、
油絵具の材料としても用いられている有用の植物です。

因みに亜麻色とは「黄みを帯びた茶色」。
金髪とは少しイメージが違い、栗毛に近いそうな。

「 亜麻の花 ふるればもろく 散りにけり 」  角川照子

ご参考
 「本麻奈良晒 」
   近世奈良を中心として生産された麻織物。
  室町時代寺院の注文により生産されていたが、慶長16年(1611)徳川家康の
  上意により、大久保長安が奈良の具足師、岩井与左衛門に書状を与えて
  保護し、幕府の御用品と認めたので全国的に知られた。
  以後、享保年間まで30~40万疋の生産を続け、奈良隋一の産業となった。
  宝暦4年(1754)刊行の「日本山海名物図会 」には
  「 麻の最上は南都なり。 
    近国よりその品数々出れども、染めて色よく、着て身にまとわらず、
    汗をはじく故に世に奈良晒として重宝するなり 」
 と評価された。
現在、奈良晒を営む者は僅かになったが、旧来の伝統を守り伝えている。

  ( 本麻奈良晒織元 株式会社 岡井麻布商店
               麻布 おかい )  提供の説明書要約

     
           万葉集593 (麻いろいろ2 ) 完


           次回の更新は8月19日です。
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by uqrx74fd | 2016-08-12 07:12 | 植物

万葉集その五百九十二 (麻いろいろ1)

( 亜麻の花  学友m.i さん提供 )
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( 苧麻:ちょま カラムシともいう   奈良万葉植物園 )
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( 大麻  新北海道の花より  学友m.i さん提供 )
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( 亜麻  小石川植物園  我国で初めて栽培されたのは小石川御薬園 )
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( 麻のれん、繊維   麻専門店 おかい(岡井)  奈良市 )
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( 復元機織具 弥生時代  橿原考古学研究所  奈良 )
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( 機織具を使って麻を織る女性   同上 )
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( 麻のレース  吉田蚊帳店  奈良町 )
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(  麻の蚊帳  奈良町資料館 )
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( 麻のタペストリー  奈良町センター )
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縄文時代晩期、古代の人達は麻、苧麻(ちょま)、藤、楮、三椏、葛、芭蕉布などの
内皮を利用して衣類や袋、縄、網などの生活用品を作っていました。
とりわけ麻、苧麻は栽培が容易で短期間に大量に収穫でき、しかも質の良い
靭皮を採る作業も比較的簡単なので広く使用され、奈良時代になると
持統天皇が苧麻の栽培を推奨する詔を出されています。(692年)
やがて、亜麻、黄麻(こうま:ジュート)、サイザル麻などが渡来すると、
それら麻類を一括して麻と呼ぶようになり元来の麻は大麻と呼んで区別しました。
大麻とは大きく成長する麻の意です。

万葉集に登場する麻は二十八首、種蒔き、刈り取り、布作り、晒し、
機織りなどすべての生産工程が歌に詠まれています。

「 夏麻(なつそ)引(び)く 海上潟(うなかみがた)の 沖つ洲に
     鳥は すだけど 君の音もせず 」  
                               巻7-1176 作者未詳

( 海上潟の沖の砂州に鳥が群がって騒いでいるけれども
 あなたからは一向に音沙汰もありません。
 いったいどうなさったのでしょうか。 )

「夏麻(なつそ)引く」は「海上潟」の枕詞 
夏の麻を引いて衣に績(う)む、あるいは夏の麻を引き抜く畝(うね)の意で
「ウ」の音を冠する地名「ウナカミ」「ウナヒ」に掛かる。

「海上潟(うなかみがた)」 千葉県銚子市海上郡地方の海岸の千潟

ここでの麻は「引く=引き抜く」とあるのでアサ科の1年草の大麻、
雌雄異株です。
名の由来は茎が青みを帯びた皮の繊維であることから青麻(あおそ)とよばれて
いたものが「あさ(麻)」に転訛したとされています。
原産地は中央アジアから西アジア。
日本では弥生時代の栽培とみられています。

春に播種し、品質を高めるため密植する。(さもないと枝分かれして品質が落ちる)
夏に草丈2~3mで抜き取り蒸して皮を剥いで繊維を採ります。
開花は夏。秋に果実となった苧実(おのみ:麻美)は七味唐辛子の薬味の一つ。
食用油、工業油も採れます。(毒性のないものの栽培は免許制)

成熟した雌株の葉から分泌する樹脂をハシーシュ、栽培種の花序からのをガンジャ、
野生種の花序や葉からのをマリファナと云うそうです。(禁制品:昭和23年大麻取締法)

「 庭に立つ 麻手(あさで) 刈り干し 布 曝(さら)す
    東女(あづまおみな)を 忘れたまふな 」 
                         巻4-521 常陸娘子(既出)

( 庭に生い立つ麻 それを手で刈り取り、干し、布に織って晒す私。
 この東女をどうぞ忘れないで下さいね ) 

この歌は藤原宇合(うまかい:藤原不比等の第三子)が常陸守の任を離れて帰京する際
親しかった女性が詠ったもの。
麻に関わる作業過程が次々と重ねられ、忙しく立ち働く東国女性の姿が想像されます。
たった31文字で麻にかかわる作業と恋歌を重ねた驚異的な手腕。
相当な教養の持主だったのでしょう。

ここでの麻は苧麻(ちょま)。
一年草の大麻は引き抜きますが多年草の苧麻は刈り取る。
翌年に同じ株から新しい茎が成長し、同じ作業が数年に及びます。

苧麻は真苧(まお)、カラムシ、ラミーともよばれるイラクサ科の草木で
春に根分けして植え、夏に茎を刈り、皮を剥いで中の繊維を採ります。
粗繊維を灰汁に漬けて水で晒すと美しい光沢がある糸や布に。

苧麻(一般にはカラムシとよばれる)から作られる越後布は古くから良品として
知られ、朝廷にも貢納されて正倉院に収蔵されています。

中世、越後の国は日本一の苧麻の産地で上杉謙信と執政、直江兼続は
衣類の原料として京都などに積極的に売り出し、江戸時代初期、技術改良を重ねて
高級苧麻布を生み出しました。
中でも新潟県、魚沼地方の越後上布、小千谷縮(おぢやちぢみ)は名高く、
元禄年間に将軍家の御用縮、武家の式服、諸大名は麻裃(かみしも)に
用いられ、金持ちの商人もこぞって買い求めたようです。
現在、国の重要無形文化財に指定されている「小千谷縮・越後上布」の原料である
苧麻は本州唯一の産地、福島県会津地方の昭和村で栽培されています。

江戸時代、魚沼出身の鈴木牧之(ぼくし:1770~1842)はその著
「北越雪譜:ほくえつせっぷ」(岩波文庫)で次のように記しています。

「 雪中に糸となし、雪中に織り、雪水に洒(そそ)ぎ、雪上に晒(さら)す、
  雪ありて縮あり、されば越後縮は雪と人と気力相半(あいなかば)して
  名産の名あり。
  魚沼郡(うをぬまこほり)の雪は縮の親といふべし。」

縮布の「雪晒し」は、太陽の紫外線が作り出すオゾンによる漂白作業で、
縮に独特の風合いを与えましたが、雪中での作業の連続は過酷を極め、
極めて忍耐力が必要とされたようです。

川端康成は小説「雪国」で縮の記述の多くを同著に拠り、主人公(島村)は
自分の着る麻の縮を「古着屋で漁って夏衣にし」毎年晒して着る人物で、
次のように書いています。

『 自分の縮を島村は今でも「雪晒し」に出す。
  誰が肌につけたかもしれない古着を、毎年産地へ晒しに送るなど
  厄介だけれども、昔の雪ごもりの丹精を思ふと、やはりその織子の土地で
  ほんたうの晒し方をしてやりたいのだった。

  深い雪の上に晒した白麻に朝日が照って、雪か布かが紅(くれなゐ)に
  染まるありさまを考えるだけでも、夏のよごれが取れそうだし、
  我が身をさらされるやうに気持ちよかった。』 
                                   (川端康成 雪国 新潮社)

   「 苧(からむし)の 露白々と 結びけり 」 奥園操子

  
            万葉集592(麻いろいろ1) 完




           次回の更新は8月12日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-08-04 19:15 | 植物

万葉集その五百八十六 (小楢:こなら)

( 初夏の小楢  赤塚植物園   東京都板橋区 )
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(  同上 万葉歌 )
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( 小楢の新芽  くらしの植物苑  佐倉市 )
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(  垂れさがる花穂    同上 )
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(  黄葉のころ   同上 )
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(  小楢の実  : どんぐりは楢、樫、椎などの木の実の総称)  
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(  樫の実 )
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( 椎の実  )
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小楢(こなら)は山野によく見られるブナ科の落葉高木で、一般的には
楢(なら)とよばれています。
生命力極めて旺盛な樹木で、根元から切断しても、その切り株から
新芽を伸ばして再び大きくなり、古くから薪炭の材料やシイタケ培養の
ホダ木として重宝されてきました。

春先、新しい枝に尾状の黄褐色の花穂を垂らして小さな花を付けますが、
まるで風に揺れる簪(かんざし)の飾りのよう。
万葉人もその様子を見て、美しい女性を連想したようです。
また、青葉の頃の瑞々しい葉裏は白くて柔らかい毛が密生して銀色に輝き、
幻想的な雰囲気を醸し出してくれます。

秋には黄葉が山野を美しく彩り、シカ、イノシシ、ネズミなどの大好物、
団栗を大量に地面に落として、命の糧を恵む。
勿論、古代の人達の食用にも供していましたが、タンニンが多く含まれている為
アクが強く、何度も流水で洗わなければなりませんでした。

ナラの名は滑葉(なめらば)、あるいは奈良に多く群生していたので
地名に由来するとも。

万葉集では2首、共に恋の歌です。

「 下つ毛の 三毳(みかも)の山の 小楢(こなら)のす
    まぐはし子ろは 誰(た)が笥(け)か持たむ 」 
                            巻14-3424 作者未詳

( 下野の三毳(みかも)の山に生い立つ小楢の木
 その瑞々しい若葉のように目にも爽やかなあの子は一体誰の
 お椀を世話することになるのだろうか )

「三毳(みかも)の山」は栃木県佐野市東方の大和田山か。
「小楢のす」の「のす」は「なす」の訛り
「まぐはし子ろ 」 「まぐはし」は目にも艶々として鮮やかなさま
「誰が笥(け)か持たむ」 笥は食器。食事の世話を妻がするのでこの表現がある。

本当は自分の妻にしたいのだけれど高嶺の花と半ば諦めている?男。
この歌の評価は高く、次のような解説がなされています。

「 小楢の葉のような美しい少女というのも如何にも山国の人たちらしい形容で、
  新鮮味があり生々溌剌たる少女の健康美を的確に描き出している 」
                  ( 佐佐木信綱 評釈)

「 妻を笥(食椀)という語であらわしているのも実際生活に即している言い方で
  一首おのずから素朴な地方色をたたえている。
  愛すべき魅力ある歌。
  男の深い懸念を活写して、すこぶる新鮮、集中でも特記すべき表現」 (伊藤博 釋注)

「再読精読して思うには、どうもこの歌言外に
  あの子はきっとおれの妻になるんだという含みがあるようだ」
                         ( 遠藤一雄 東歌防人歌の鑑賞 )

「 み狩する 雁羽(かりは)の小野の 櫟柴(ならしば)の
     なれはまさらず 恋こそまされ 」
                          巻12-3048 作者未詳

( み狩りにちなむ雁羽の小野の 楢の雑木ではありませんが
 あなたと馴れ親しむ機会が一向増さず、お会いできない苦しみばかりが
 増す一方です )

み狩(かり)と雁(かり)羽、櫟(なら)柴と馴(なれ)とを掛ける。
一向に見えないのはどうしたことかと嘆く女。
男は心変わりして足遠くなったのでしょうか。

雁羽の小野の所在は未詳。
「み狩り」は天皇、皇族の狩をいう(沢瀉久孝)のでこのあたりに皇室の
 猟場があったと思われます。

柴は小さい雑木。

 「 山の田に 日かげをなせる 楢の木の
        若葉は白くやわらかに見ゆ 」   島木赤彦
 
以下は足田輝一著「雑木林の博物誌 新潮選書」からです。

『 コナラの若葉は、小さいながらもその縁にぎざぎざの鋸歯をもち、
  くるつと下向きに反転した形で伸びてくる。
  その葉の表面には、絹のように光った銀色の細毛が、みっしり生えている。
  この密毛の反射が、遠くから見ると、うす緑の上に銀鼠のもやをかけたように
  見えるのだ。
  この細毛は、コナラの葉がきりっと伸びきり、一人前の木の葉となるころは
  なくなってしまう。
  コナラは古くから日本人に愛された木だった。 』

   「 団栗(どんぐり)や ころり 子供の言ふなりに 」  一茶


           万葉集586(小楢:こなら)完


          次回の更新は7月1日の予定です。


  
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by uqrx74fd | 2016-06-24 07:11 | 植物

万葉集その五百七十九 (春の萩と藤)

( 季節はずれの萩 5月1日撮影 谷中 宋林寺 )
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( 野生の藤    春日大社境内  奈良 )
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( 白藤    万葉植物園:春日大社神苑  奈良 )  
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(  臥龍の藤  イチイガシの大木に絡みついた藤  同上 )
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(  奈良公園の藤の老木 )
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(  万葉植物園 :春日大社神苑 )
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( 向島百花園  東京 )
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(  同上 )
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( 亀戸天神  東京 )
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( 同上 )
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本年の5月1日のことです。
谷中の夕焼けだんだん坂を下って最初の曲がり角を左へ約100mほど歩くと、
宗林寺という古刹があり、美しい花々が咲き乱れていました。
ところが何と!
入口の躑躅の植え込みの前に萩の花が咲いていたのです。
「 エッ― なんで今ごろ!」と驚きながら境内に入っていくと数本の萩が
満開ではありませんか。
4月の終わり頃から咲きはじめたのでしょう。
狂い咲きかな?と思いましたが、最近では二度咲き、春咲きの品種もあるそうな。

昔、季節はずれのことを「不時」(ときじ)といい「その時ではない」あるいは
「思いがけない」という意味に使っていました。

次の歌は大伴家持が通常春に咲く藤が真夏に咲いたのを見て驚き、
妻、坂上大嬢 (さかのうえ おほいらつめ)に贈ったものです。

「 わがやどの 時じき藤の めづらしく
      今日も見てしか 妹が笑(ゑ)まひを 」
              巻8-1627 大伴家持(既出)


( 我家の庭の季節外れに咲いた藤の花、この花のように愛しい貴女の笑顔を
 久しぶりに今すぐにでも見たいものです)

当時は通い婚。
大嬢(おほいらつめ)は母と共に住み家持と離れて暮らしていました。
使者に花と歌を持たせた粋なラブレターです。

この歌の藤を萩と入れ替えてもそのまま通用します。

「 わがやどの 時じき萩の めづらしく
     今日も見てしか 妹が笑(ゑ)まひを 」 
                         巻8-1627の替え歌


家持さんも春咲く萩を見たら、このように詠ったことでしょう。

746年、都で青春を謳歌していた家持は越中国守に栄転することになりました。
弱冠29歳、意気揚々と赴任します。

着任してから1か月経ち、藤が満開になるのを見計らって、国守の館で
挨拶と歓迎を兼ねた宴が催されました。
爽やかな薫風、藤、牡丹、芍薬、菖蒲、杜若などが咲き匂ほふ庭園を眺めながら、
一同心地良く一献また一献。
宴もたけなわ、各々ほろ酔い加減の中、国分寺の僧が次のような古歌を披露します。

「 妹が家に 伊久里(いくり)の杜の 藤の花
   今来む春も 常かくし見む 」 
                 巻17-3952 古歌(僧 玄勝が伝誦)

( 愛しいあの子の家に行くという、ここ伊久里の森の藤の花。
 これからも巡ってくる春ごとに、この美しい花を愛でに
 参りましょう。 )

「伊久里(いくり)」と「行(い)く」を掛けた洒落。
「常かくし」:いつもこのように 「かくし」は「斯の如くし」の略

伊久里の所在は不明ですが富山県砺波郡井栗谷と平城京説あり、
ここでは、井栗谷説がふさわしく思われます。

藤は藤波と詠われることが多く「藤の花」は万葉集中この1首のみ。
わざわざ花としたのは女性を寓したものか?

伊藤博氏は
「 玄勝がこの歌を披露したのは、都の女性もよいが、
越中の女性(藤の花)もまた佳なりとして地名を詠みこんだものを
披露したのでは? 」と推測されています。(万葉集釋注7)

単身赴任の家持は大いに羽を伸ばしたかったことでしょうが、今は国守の身。
部下の目もあり、そうもいかなかったかも知れません。
逆に、浮気して大噂になっている部下を説教した面白い歌が残っています。
              ( 万葉集遊楽32 「部下の恋狂い」 ジャンル:心象 ご参照)

「 藤波の 花は盛りに なりにけり
     奈良の都を 思ほすや君 」  
             巻3-330 大伴四綱(既出)

( ここ大宰府では、藤の花が真っ盛りになりました。
あなたさまも、奈良の都を懐かしく思われていることでしょう。)

こちらは大宰府帥(そち:長官)、大伴旅人宅宴席での歌。
当時、旅人は65歳、生まれ育った奈良への望郷の念に駆られている日々でした。

「もう二度とあの懐かしい都や青春を過ごした飛鳥を見ることが出来ない
かもしれない」

そのような旅人の気持ちを察して、部下である作者が
「さぞお懐かしいことでしょう」と思いやったのです。

それから暫くして、朝廷から旅人に帰京の知らせが届きました。
長年の功が認められ大納言に昇進。
めでたし、めでたしです。
    
「 草臥(くたびれ)て 宿かる比(ころ)や 藤の花 」 芭蕉

( 大和路を1日歩き疲れ、宿を求める日暮れ。
 薄紫の藤の花が咲きこぼれているのを見かけた。
 懐旧の情と旅愁と春愁(しゅんしゅう)が渾然一体。) (芭蕉全句 小学館より)



    万葉集その579 (春の萩と藤) 完


   次回の更新は5月15日(日)の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-05-06 06:27 | 植物

万葉集その五百七十七(竹は木か草か?)

( 竹の秋と藤   山の辺の道  奈良 )
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( 京都嵯峨野の竹林 )
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( ムクロジの木の幹を突き破って生え出た驚異的な生命力の竹  奈良公園 )
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( 脱皮して竹になる  皇居東御苑 )
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( 美しい竹の色    同上 )
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( 六義園の竹垣と門   東京 )
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( 披雲閣の竹垣  玉藻公園  高松城跡 )
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( 京都祇王寺の入り口 )
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( 掬月亭の竹垣  高松栗林公園 )
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( 京都嵯峨野の竹垣と竹籠 )」
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( 池波正太郎が愛した筍料理 刺身、煮物、付け焼き、木の芽和え、など、包丁好みより  )
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「 木にもあらず 草にもあらぬ 竹のよの
     はしにわが身は 成りぬべらなり 」  
                           高津皇女(桓武天皇皇女) 古今和歌集


( 木でもなく草でもない竹の、その節(よ)と節(よ)の間(はし)のように
  私は中空のどっちつかずの状態の身になってしまいそうだ )

恋に焦がれて身も心もうつろな作者ですが、この歌は、紀元300年頃の中国の人、
戴凱之(たいがいし)の「竹譜」に見える
「竹は剛ならず,柔ならず、草にあらず、木にあらず」に拠っているそうです。

「竹は木か草か」という議論は古くからあり、今でも続いています。
草説が多いようですが、その理由として竹は、

1、生えた根が伸びて次々に芽を出し繁殖する。
2、節は空洞。
3、花は60~120年に1回しか咲かないが、咲くとすべて枯れ果てる。
4、年輪がない。 
5、成長が異常に早く、マダケで1日121㎝、モウソウチクで119㎝の記録がある。

など、木にはない特性を持つことがあげられています。

竹の歴史は古く、縄文晩期(前1000~前300)の竹製品が亀ヶ岡遺跡(つがる市)や
是川遺跡(八戸市)から出土されており、それも、笊(ざる)、籠、
籃胎漆器(らんたいしっき:竹を編み漆を塗った器)など、高度な加工品。
身近なところから得られ、しかも加工しやすいため色々な生活用品が作られたと
思われますが、早くも漆塗り製品が作られていたとは驚きです。

なお、現在どこにでも見られる孟宗竹は1763年頃の江戸時代、中国からの渡来と
されているので古代の竹はマダケと笹と思われます。

筍も古くから食されていました。
奈良時代の平城京木簡に筍を大量に購入して代金を支払ったとの記録があり、
廣野卓氏は「薬効を目的として焼いて食べたらしいが、ワカメと和えて食した」
とも推定されており(食の万葉集、中公新書)、今も昔も変わらぬ季節の食物として
好まれていたことが窺われます。

万葉集では、竹、笹、篠なども含めて四十首近く詠われ、群竹、竹垣、竹葉、
竹玉(神事用)、細竹、小竹、植え竹など多彩な表現がなされています。

「 我がやどの いささ群竹(むらたけ) 吹く風の
   音のかそけき この夕(ゆふへ)かも 」
                               巻19-4291 大伴家持(既出)


753年4月(旧暦)の初めに詠まれた三連首のうちの一。

庭の一隅のわずかな竹林に一陣の風が吹き渡ってゆく。
作者の研ぎ澄まされた神経に微かに聴こえてくる風の音。
それは揺れる竹の葉であるとともに家持の心の揺らぎ。
誰もが浮き浮きとした気分の麗(うら)らかな春日であるにもかかわらず、
晴れやらぬ気持で一人孤独を感じている。

「まさにこの歌はバイオリンの細かい旋律を聞くみたい。
震えるような心」(犬養孝)とも評されている万葉屈指の名歌です。

さらに大岡信氏は

「 何ともとらえどころのない気分そのものを制作のモチーフしたもので
万葉集の他の作者たちの歌とは極めて異質な出来栄えを示しているばかりではなく
平安朝の和歌とも画然と異なるところのある作。
このような歌は、近代人のものの感じ方、はっきりいえば、感傷に大きな価値を
見出すようになった近代以降の感受性のありかたに、意外なほど近親性をもって
いるものだと云える」
              と述べておられます。(私の万葉集5 講談社)

「 あらたまの 寸戸(きへ)が竹垣 編目ゆも
    妹し見えなば 我(あ)れ恋ひめやも 」 
                             巻11-2530 作者未詳


「寸戸(きへ)が竹垣」は 特殊な形をした家の周囲を囲んでいる竹垣。

( 寸戸(きへ)の竹垣、このわずかな編み目からでも お前の姿を
 一目見ることが出来たら、俺はこんなに恋焦がれたりするもんか)

男が女性の家を訪ねたが女は家に閉じ籠って顔を見せない。
せめて一目だけでもと家の周りをうろつく。
女性は母親から交際を禁じられ、強く叱責されたのでしょうか。
うろうろしながら、家の中を覗き込んでいる男の様子を想像すると、
いささか微笑を禁じ得ない一首です。

「 大和には 聞こえも行くか 大我野(おほがの)の
    竹葉刈り敷き 廬(いほ)りせりとは 」 
                          巻9-1677 作者未詳


( ここ大我野の竹の葉を刈り敷いて 私が廬に籠っているということを
 いとしい人が待つ大和に噂で聞こえていったかな )

701年持統、文武天皇が紀伊の牟婁(むろ)温泉に行幸された時、
供奉した作者が帰路で詠ったもの。

大我野は和歌山と奈良の間にある地名。
「 あと1日でいよいよ妻に逢える。
私がここまで来ていることを風の便りに聞いてくれただろうか 」
とそわそわしている男です。

「 妹らがり 我が通い道(ぢ)の 小竹(しの)すすき
      我(わ)れし通はば 靡け小篠原 」 
                            巻7-1121 作者未詳


( あの子のもとにいつも通っている道に生い茂っている篠竹や薄よ。
私が通るときは地面に伏して靡け、靡け。)

愛する女の許に通う時はいつも夜。
道をふさぐ篠竹や芒に足をとられて転ぶこともあったことでしょう。
心がはやり、靡け、靡け、道を広げろと願う男。

「妹らがり」は「妹が在り」で愛しい子の許へ 
「妹ら」の「ら」は親愛を示す

「 我が背子を いづち行かめと さき竹の
   そがひに寝しく  今し悔しも 」 
                       巻7-1412 作者未詳


( 私の愛しい人、あの人にかぎって何処へも行くはずがないと思っていた。
 それなのに、急にいなくなって。
 今となっては割き竹のように背中を向けて寝たことが、悔やまれてなりません。)

夫婦喧嘩をして、すねて背を向けて寝た直後に夫がいなくなった。
防人として旅立ったのか、腹を立てて家出をしたのか、それとも急死?
涙にくれながら共に過ごした日を思い出し、もっと優しくしてあげればよかったと
悔やむ女。

さき竹は割れて二つになった竹。
それにしても万葉人は面白い表現をするものです。

   「 竹の子や 藪の中から 酒買ひに 」     泉鏡花

いよいよ待ちに待った筍の季節。
以下は 池波正太郎の「包丁ごよみ」(新潮文庫)からです。

『 京都の南郊、乙訓(おとくに)は、見事な竹藪で有名だ。
 その乙訓の長岡天神の池畔に「錦水亭」という筍料理専門の料理屋があって、
  むかしは、食べさせるだけでなく,泊めてもくれた。
  池のほとりに、大小の離れ屋がたちならび、ここに泊まると、別世界へ
  来た思いがした。
  掘りたての筍を、吸い物,炊き合わせ、刺身、木の芽和え、でんがく、天麩羅。
  すべて筍料理だが、その旨いことは、私の友人の言葉ではないが
  「おはなしにならない」のであった。
  掘りたての筍が、こんなに、やわらかくて旨いものだと知ったのは
  むかし、錦水亭に泊まってからだ。
  いまも私は、筍が大好きである。 』 

筍と云う字は「竹」と「旬」から成り、一旬は10日すなわち竹の早い成長を
表す文字だそうです。
朝露が残る掘りたての筍は、えぐ味がないので、ゆでてアク抜きする必要がなく、
刺身にしてもよし、カツオの出汁で煮てもこれが同じ筍かと思うくらい美味い。
さぁ、さぁ、旬の香りと味を楽しみましょう。

     「 松風に 筍飯を さましけり 」   長谷川かな女



              万葉集577(竹は木か草か?) 完

    
       
       次回の更新は4月29日です
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by uqrx74fd | 2016-04-21 21:18 | 植物

万葉集その五百七十五 (瀬戸の縄海苔)

( 瀬戸内海の朝  小豆島で )
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( 干潮になると島々が陸続きになる 夜明けから渡るカップルも )
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( 陸続きになった海岸を歩く  ここはエンジェルロードとよぶそうな)
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( 浅瀬で靡く縄海苔  現在名はウミゾウメン)
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(  ウミゾウメン )
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( 同上 )
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(  海藻と貝  )
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( 海底で宝石のように輝く貝 )
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( ツルモ  牧野富太郎博士は縄海苔はツルモとされている   植物図鑑より )
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( 能登土産の海ぞうめん )
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縄海苔とは波の荒い磯に付く細長いひも状の海藻で、現在名はウミゾウメンが通説と
されていますが、砂や泥質の海底に立つ長い糸状のツルモとする説(牧野富太郎)もあります。

ウミゾウメンはベニモズク科の紅藻類で長さ10~20cm、
ツルモはツルモ科の褐藻類で90㎝~3,6mもあり海でゆらゆら揺れている姿は
長いロープが垂れ下がっているようです。

古代の人にとって海藻は食用として身近な存在だったと思われますが、
縄海苔はウミゾウメン、ツルモの区別なく、紐状の藻の総称だったかもしれません。

万葉集では4首登場しますが、すべて恋の歌。
どんな対象でも愛する人に結び付ける万葉人の恋の材料の豊かさ、
発想のユニークさには毎度のことながら驚かされます。

「 海原(うなはら)の 沖つ縄海苔 うち靡き
        心もしのに 思ほゆるかも」 
                             巻11-2779 作者未詳


( 青海原の水底に生えている縄海苔が揺れ靡いているように
  私は、ただただ、あの人に惚れぬいています。
  もう、心が折れて死んでしまいそう。)

海底から長く伸びている紐糸状の海藻がゆらゆら揺れている。
この縄海苔のように自身の気持ちもあなた様に靡いて一時も忘れることがありません。
このままでは焦がれ死にしそうですと詠う乙女。

「 わたつみの 沖に生ひたる 縄海苔の
     名はかって告(の)らじ 恋は死ぬとも 」 
                         巻12-3080 作者未詳


( 大海原の底深くに根生えている縄海苔の名のように
 あなたの名(な)は決して口に出して他人に洩らしません。
 たとえ焦がれ死ぬようなことがありましても。)

恋は秘密にというのが当時のしきたり。
相手の名前を口に出すと、想いは成就しないと信じられていました。
死んでもあの人のことは誰にも言うまいと必死に耐える純情な娘です。

「 わたつみの 沖つ縄海苔 来る時と
    妹が待つらむ  月は経(へ)につつ 」 
                      巻15-3663 作者未詳


( 海の神が統べ給う海底の縄海苔
 その縄海苔を手繰るように もう帰ってくる頃だと、あの子が待っているはずの
 約束の月日はどんどん過ぎ去ってしまった。)

736年遣新羅使が都を離れて筑紫に到着した時、月を遠くにみはるかし
故郷を思い慕った歌。

縄海苔はある時期になると着床から遊離して岸に流れついていたようです。
作者は妻に「縄海苔が流れ着く頃に家へ帰るからな」と云って出かけたのでしょう。
ところが途中で遭難し、新羅どころか、まだ博多湾。
何時帰ることが出来るか分からない状態でした。
「あぁ、今ごろ首を長くして待っているだろうなぁ」と
故郷の方角に向かいながら嘆く男です。

  「 海原に 靡く縄海苔  恋心  」 筆者

縄海苔はミネラル類( 鉄、カリウム、カルシユウム、ヨード)やビタミンAが多く
含まれ、万葉人の健康を支えていたと思われますが、現在でも輪島などで
名産品として販売されています。

 「 海藻の にほひ香し  波風に
        病と闘う  友をしぞ思ふ 」    筆者

( 60年来の学友の急病。
 栄養たっぷりの海藻を召して回復を。)

小豆島の土庄港(とのしょうこう)近くにエンジェルロード、天使の散歩道と
よばれている場所があります。
干潮になると今まで海を隔てて離れていた小さな島々が陸続きになるのです。
美しい砂浜を歩くと今まで海に沈んでいた海藻や貝が砂浜に現れ、
その中にウミゾウメンも混じっていました。
「 おぁ! 万葉の縄海苔見つけた、あったぞ! 」と小躍り。
まさに天使の贈り物でした。

海は底まで見えるほど澄み切っており、浅瀬で陽の光を受けた海藻が
ゆらゆら揺れる中、貝が宝石のように光り輝き、幻想的な雰囲気を
醸し出していました。
瀬戸内海の自然の美しさを目の当たりにし、万葉人もきっとこのような
風景の中で詠ったのだろうと思ったことでした。

  「 あらうれし 瀬戸で縄海苔  見つけたり 」 筆者


             万葉集575(瀬戸の縄海苔) 完

   
   次回の更新は4月15日です。

  
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by uqrx74fd | 2016-04-08 00:00 | 植物