カテゴリ:植物( 209 )

万葉集その六十「空木(ウツギ):卯の花」

「卯の花の匂う垣根に   
   ほととぎす 早も来鳴きて
   忍音もらす  夏は来ぬ」      
     (夏は来ぬ 一番より) 佐々木信綱作詞


この懐かしい歌は、江戸時代の歌人、加納諸平(かのう もろひら)の
「 山里は 卯の花垣のひまをあらみ 忍び音洩らす ほととぎすかな 」の歌を
下敷きとして作られたといわれています。

ウツギは木の幹が中空であることからその名があり「ウツギノハナ」の
「ツギ」が略されて「ウノハナ」になりました。

青葉が目に沁みる頃、山野のあちらこちらで白い花が咲き、
夏の先駆けとして季節の到来を告げてくれます。

「 五月山(さつきやま) 卯の花月夜 ほととぎす
   聞けども飽かず また鳴かぬかも 」  
            作者未詳 巻10の1953  


(五月の山を月が皓々と照らしています。
月光が卯の花をぼうっと白く浮き立たせて実に美しい。
このような素晴らしい夜に何とまぁ、ホトトギスの声が聞こえてきましたよ。
この澄み切った声はいくら聞いても飽きませんねぇ。
もう一度鳴いてくれないかなぁ。)

五月の青葉の山を「五月山」、「月夜の卯の花」を「卯の花月夜(うのはなづくよ)」
なんと美しい万葉人の詩的造語。

「 佐伯山 卯の花持ちし 愛(かな)しきが
    手をし取りてば 花は散るとも 」 作者未詳 巻7の1259


( 佐伯の山で卯の花を持っていた可愛い子、
 あの子の手を握る事ができたらなぁ。
  美しい花は散るかもしれないけど それでも本望だよ )

佐伯山:広島県佐伯郡の山といわれるが所在不明

折口信夫氏によると卯の花はその年の豊凶を占う花で
山野に長く咲く時は豊作、
長雨続きで花が少ない時は凶作と信じられていたそうです。

卯の花の白い蕾が米粒を連想させたのでしょう。
このような事から人々はこの時期の長雨を「卯の花腐(くた)し」
と呼んでいました。
大切な卯の花を長雨が腐らせてしまうという意味です。

「 卯の花を腐す長雨(ながめ)の 水始(みずはな)に
    寄る木屑(こつみ)なす 寄らむ子もがも」 
          19の4217 大伴家持


( 卯の花を痛める長雨で水かさが多くなった川、
  その流れの先に木の屑がいっぱい集まっていますよ。
  このような木屑のように私のところに美しい女性が
  集まってくれたらいいのになぁ)

水始(みずはな):「はなみず」とも読み水量の増した流れの先端のこと

「卯の花腐し」は後に「五月雨(さみだれ)」の異名となります。

 「 谷川に 卯の花腐し ほとばしる 」 高濱虚子
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by uqrx74fd | 2009-03-08 10:39 | 植物

万葉集その五十六(馬酔木:あせび、あしび)

「 まぁ これがあなたの大好きな馬酔木(あせび)の花 - -
どこか犯しがたい気品がある。それでいて、どうにでもして手折ってちよっと
人に見せたいような、いじらしい風情の花だ。 

云わば この花のそんなところが 花というものが今よりずっと意味ぶかかった
万葉人たちに、ただ綺麗なだけならもっと他にもあるのに、
それらのどの花にも増して いたく愛せられていたのだ 」

               堀 辰雄 大和路 (浄瑠璃寺の春) より

馬酔木はツツジ科の常緑低木で鈴蘭に似た白い壷形の花を鈴なりに咲かせます。
その可憐な姿に惹かれて馬がその葉を食べると酔うことからその名前が付きました。
「あしび」とは「足の痺れ」が縮まったとも言われています。

また古代の人達はその有毒性を活用して煎汁を菜類の害虫駆除等に利用したので
ハモリ(葉守り)とも呼ばれました。

 「我(わ)が背子に 我(あ)が恋ふらくは 奥山の
  馬酔木(あしび)の花の 今盛りなり 」 
             巻10の1903 作者未詳


( 馬酔木の花が今真っ盛りです。いとしいあの人に思い焦がれている私、
  花ガ美しく咲き栄えているように私のあなたに対する想いは
  溢れるばかりでどうしようもありません。
  あぁ人知れず思い悩んでいる私--)

馬酔木はその房々とした花が稲の穂に似ているところから豊穣、繁栄の印とも
され祝歌としても詠われます。

「 鴛鴦(おし)の棲む 君がこの山斎(しま) 今日見れば
    馬酔木の花も 咲きにけるかも 」
       
    巻20の4511 三形王(みかたのおう;役所の長官)


この歌は式部大輔清麻呂という人の誕生日の宴席で三形王が詠ったもので
山斎とは清麻呂邸の庭園とその屋敷をいいます。

( おしどりが仲良く棲む貴方様の素晴らしいお庭。
 今日このお目出度い日にそのお庭を眺めていますと
 何とまぁ馬酔木の花も今を盛りと咲き誇って
 あなた様のご繁栄を共にお祝いしていることです)

この繁栄の象徴である「馬酔木」は日本各地で面白い風習を生み出しました。
以下は 元京都府立植物園館長 麓 次郎氏のお話です。
 
「 鳥取県米子市あたりでは「アセビ」を「ゼニカネシバ(銭金柴)」と言う。
  正月事始に自在鉤の煤をアセビの枝葉で払い、
  これを燃やして団子を煮る。
  「アセビ」の燃える「バリバリ」という音が「ゼニカネ、ゼニカネ」と
  聞こえるとしてその名を付けられ、この音に調和して「
  ゼニカネ ゼニカネ」と叫べば決して貧乏はしないという習俗が
  あったといわれる 」   
                    (四季の花事典より一部抜粋)
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by uqrx74fd | 2009-03-08 10:35 | 植物

万葉集その五十五(すみれ摘み)

「ビオラ・マンジェリカ」この響きの良い言葉は菫(すみれ)に与えられた学名です。
旧満州産のものについて命名されたので頭に「マン」と付いています。

すみれはアジアの温帯から暖帯までかなりの広範囲に分布していますが
とりわけ日本では50種類近くの品種がありスミレ王国といわれています。

スミレの語源はその花の蕾の形が大工が使う墨入れ(墨壷)に似ているため
とされていますが他に「摘まれる」からの転訛、あるいは染料に用いられる
ところから「染みれ」が「すみれ」になった等、諸説あり定まっておりません。

古代、スミレは染料に用いられたほか葉や根は食用、薬用にも供され
春になると人々はこぞって菫摘みにいそしみました。

「 春の野に すみれ摘みにと 来し我れぞ
     野をなつかしみ 一夜寝にける 」 
                  巻8の1424 山部赤人


( すみれ摘みにやってきたけれどなんと春の景色の美しいこと
  つい見とれているうちにとうとう一夜をあかしてしまいましたよ)

「野をなつかしみ」というのは「親愛のあまりそこから離れたくない」
という気持ちで
「春の野にすみれを摘みにやってきた。
摘んでいるうちにすみれが綺麗なぁ、可愛いいなぁと夢中になり
ふと気が付いてみたら日が暮れてしまっていたが、
なお立ち去りがたくとうとう一晩すみれのもとで過ごしてしまった」
という意を詠んだものです。

この歌のすみれはただの花ではなく若い乙女という説もあります。
齊藤茂吉は「可憐な菫の花の咲きつづく野を連想すべきであり、
またここに恋人などの関係があるにしても奥に潜(ひそ)める方が
鑑賞の常道のようである」
とされています。

この歌は後世、殊の外愛され、古今和歌集の序、
源氏物語(真木柱、椎木)にも引用され良寛も本歌取りをして
次のような歌を詠んでいます


「 飯(いひ)乞ふと わが来(こ)しかども 春の野に
      菫摘みつつ 時を経にけり 」  良寛(遺墨)


すみれの「すみ」に「住む」と「菫」を掛けています。

( 食べ物を頂戴しようと托鉢に出てきたけれども、
  春の野原で菫を摘んでいるうちについつい
 時間がたってしまったことだ )

その昔、江戸時代に「スミレ」とは「レンゲ(ゲンゲ)」のことであると
強く主張した人がいます。

香川景樹(かげき)という歌人ですが、レンゲはもともと中国産で
日本に渡来したのは室町時代といわれ(柳宗民説) 
万葉時代のレンゲの存在はありえない話でした。

これについて 久保田 淳さんは大変面白い話をしておられます。

「 正岡子規がこの景樹を<再び歌よみに与ふる書>で
<見識の低きこと今更申すまでもなくこれ候> とコテンパにやっつけたのに 
この子規がこともあろうに

 ( 赤人が 野をなつかしみ ねしといふ 菫の花はげんげなるべし ) 
  という歌を詠んでいるのにはこれは驚きました」 
          (花のものいう 新潮選書より)

余談ではありますが園芸品種のパンジー(三色菫)はフランス語の
パンセ(思考)に由来します。
うつむき加減に咲く花の姿が「考える人」を連想させるからなのでしょうか?

「 山路来て 何やらゆかし すみれ草(ぐさ) 」 

    芭蕉 (野ざらし紀行:大津に出づる道 山路を越えてより)

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by uqrx74fd | 2009-03-08 10:34 | 植物

万葉集その五十二(花は櫻木)

「櫻」という文字は「木」と「嬰」から成り「嬰」の貝2つは
女性の首飾りを指し「とりまく」という意味があります。

よって櫻は花が木を取りまいて咲く木の事とされています。

「櫻」という文字が初めて使われたのは「日本書紀」においてで
西暦400年、時の天皇「履中帝(りちゅうてい)」が后妃を伴い
秋の船上での酒宴のさなかに時ならぬ櫻の花びらが風に吹かれ来て
酒盃に浮かんだという風雅な光景を伝えています。

櫻の語源は諸説あります。

① 古事記に登場する伝説の女神「このはなさくやひめ(木花開耶姫)」の
  「さくや」が転じて「さくら」となった。
  また「さくや」は開映え(さきはえ)で栄えることを意味する。

② 古代稲作農民生活において山から田の神を迎える季節に
   山に咲く花は田の神の顕現とみられた。
   その花の木が「サクラ」とよばれ「サ」は田の神、稲の神の古名で
   「クラ」は神座を表わす (折口信夫、桜井 満)

③麗(うら)らかに咲くという意味の「咲麗(さきうら)」が転じた 等々

万葉人は満開の桜を見ながらその美しさを愛でます。

 「見渡せば 春日の野辺に 霞立ち 
     咲きにほへるは 桜花かも 」 
                 巻10の1872 作者未詳


( 春日野に霞が一面に立つ中、輝くばかりに色美しく咲く桜は
  今真っ盛りです)

  さらに「生命の絶頂に散るゆえ殊に愛惜される」という桜観が
  既に出てまいります。

 「 桜花 時に過ぎねど見る人の
      恋の盛りと 今は散るらむ 」 
                巻10の1855 作者未詳


( 桜の花は花の時節が過ぎ去ったわけでもないのに
  見る人が惜しんでくれる盛りだと思って今こそ散るのであろう。)

桜の自生種を「山桜」、園芸種を「里桜」といい現在二百数十種の
桜品があります。

江戸時代、豊島郡(としまこおり)染井村で発見された
大島桜と江戸彼岸桜との自然交配種である「染井吉野(ソメイヨシノ)」は
花の色が艶やかな上、花つきが多く爆発的な人気を呼び
日本全国に流行しました。
この花期が短く、夥しい落花を伴う桜はやがて歌舞伎にも取り上げられます。

小川和佑氏はその著書「桜と日本人」で
<竹田出雲などの仮名手本忠臣蔵(1748年)判官切腹の場の演出に
  「散る桜」を用い 「花は桜木 男は武士」の台詞は
  日本人の桜観を大きく変えた>と述べられています。

その桜観から「主君のために惜しむことなく潔く命を散らす」という
武士の人生観が形成されていきます。

更に近代では戦意高揚に用いられ、「同期の桜」の歌の中で
「見事に散りましょ 国のため」と歌われていきました。

しかしながら古代より王朝の瑞祥、聖樹、女身のきわみとして歌われた桜は
日本人の心の中に落花の美学があったとしても「花よ長く咲け」と祈るのが
農耕民族であった元々の願いでありました。

何故ならば桜は稲の豊作を予兆する神の花であり、花が予定よりも早く散ると
その年の収穫は悪いと信じられていたからです。

桜は日本列島を美しく彩る花であると共にわが民族の生活の中に深く根ざし
我々と共に生きて参りました。

建国以来、数知れぬ多くの人たちによって守り育てられてきた桜木は
これからも益々多くの人達に愛され続けてゆくことでありましょう 

  「さまざまの こと思ひ出す 桜かな」  芭蕉
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by uqrx74fd | 2009-03-08 10:31 | 植物

万葉集その五十一(早蕨:さわらび)

「早蕨の にぎりこぶしを振り上げて
       山の横つら春風ぞ吹く」   
         (四方赤良:江戸時代の狂歌師)


ワラビはウラボシ科の多年草で平地の原野から海抜2,000m前後の
高山まで広く分布し北は北海道から南は九州まで及んでいます。

早春に拳(こぶし)状に巻いた新芽を出します。

上の狂歌は萌え出たばかりの蕨が春風に吹かれていて
その様子が握り拳を振り上げて山の横っ面を引っぱたいて
いるようだと見立てています。(横つら張ると春を掛けている)

ワラビは栄養価が極めて高く煮物や漬物にしたり又その根茎から取った
澱粉は糊やわらび餅の原料として古代から重用されてきました。

天智天皇の第七皇子である志貴(しきの)皇子は
春到来の歓びを生き生きと詠います。

「 石(いわ)走る 垂水の上の さわらびの
     萌え出づる 春になりにけるかも」 
                   巻8の1418


( しぶきをあげながら岩の上を流れる水がキラキラ光っている。
  水音も清々しい滝のほとりに ほら、早蕨が芽を出しているよ。
  あぁもう春だ。待ちに待った春がとうとうやってきたねぇ)

「歌は心の音楽」これは犬養孝さんの言葉です。
以下、犬養節名解説の一部です。

「 今日、一般に和歌を黙読することに馴れているようだが
  歌は声をあげてうたわれるべきもの。
  この歌も声を出してうたってみれば何と豊かな律動感に
  あふれている事であろうか。
 <垂水の上のさわらびの>と<の>の音を重ねてゆく呼吸は
  ぎくしゃくとしないでとけて流れてよどみない流動感にあふれている。

 その上<萌え出づる・春に・なりに・けるかも>は意味の内容から言えば
 単純なことを律動感あふれて四節にひきのばし、
 あたかも駘蕩の陶酔を思わせるようである。

  作者の志貴皇子は1260余年前に世を去ってしまっているが、
  彼が残した心の音楽はよどみない心のうねりに乗って
  千年の響きにかえって止まないようである」
                ( 犬養孝著 万葉十二ヶ月 新潮文庫より)

「早蕨」で思い出される歌といえばやはり「源氏物語」の早蕨の巻

源氏の君はすでに世を去り息子薫は二十五歳。
薫と共に仏道を学んだ「八の宮」とその娘「姉の大君」の二人に先立たれ、
ひとり淋しく宇治の山荘に残された「中の君」は気持ちが晴れず、
沈みこんで鬱々としています。
そこへ山の阿闍梨(あじゃり:父の友人で有徳の高僧)が
蕨や土筆を風流な籠に入れて贈ってくれたので中姫君は歌を返します。

 「 この春は たれにか見せむ 亡き人の
    かたみに摘める 峰の早蕨 」


「かたみ」は形見と筐(かたみ:竹篭)を掛ける

(亡き父君の形見と思って摘んで下すった山の蕨も
 姉君までお亡くなりなされた今年の春は誰に見て戴いたら
 よいのでせうか。 谷崎潤一郎訳)

この歌によりこの巻は「早蕨」と名付けられました。
また源氏絵の一つとしてよく描かれる場面です。

源氏物語五十四帳の表題の中に万葉集に出てくる言葉が多く使われています。

(早蕨、空蝉、朝顔 花散里、乙女、玉蔓、行幸、藤袴、若菜、雲隠、等)
また物語の中で万葉集の伝説を下敷きとした場面(浮舟)もあり、紫式部も万葉集から
色々な着想を得ていたようです。

また同時代の「枕草子」の作者、清少納言の父、清原元輔は高名な歌学者で
村上天皇の勅命により万葉集の訓読を手掛けた五人のメンバーの一人です。
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by uqrx74fd | 2009-03-08 10:30 | 植物

万葉集その五十(桃李)

 「 桃李云わざれども 
      下(した)自(おの)ずから 蹊(みち)を成す」(史記)


この言葉は
「桃や李(スモモ)は何も言わなくても、その美しい花や美味しい実にひかれて
多くの人が集まり、木の下には自然に小道が出来る。
立派な人格者の周りには自分は招かなくても自然と人が慕い寄ってくることの例え」
とされています。

中国では早くから「桃李」は熟字として使われ美人の形容に「容華桃李の如し」
(芸文類聚)とも用いられました。

日本では日本書紀に616年「春正月に桃李実(みな)れり」
626年「春正月に桃李咲けり」と出てまいります。

万葉時代、宮廷貴族にとって漢詩は必須の教養で唐詩選なども
競って読まれ751年には我が国最初の漢詩集「懐風藻」が編まれます。

越中にあった大伴家持も父旅人の薫陶よろしきを得、深く漢詩を学び
750年着想をえて「桃李」二首の歌を詠いました。

所謂越中名吟の始まりです。

「 春の苑(その) 紅にほふ 桃の花
     下照る道に 出(い)で立つ 少女(おとめ) 」 
                巻19の4139

「 わが園の 李(すもも)の花が 庭に降る
     はだれのいまだ 残りたるかも」 
              巻19の4140


  はだれ:斑雪(まだらゆき)

( 春の盛りの今、庭園には桃の花が咲き誇っています。
  花もまわりも光に映えて紅色に染まるばかり。
  木の下へ つと出てきた娘子もまた全身を紅色に染め
 輝くばかりの美しさです。あぁ何と素晴らしい景色だろう ) 

( あれっこちらの庭園の上に白いものが見えるよ。
 あれは李の花が散っているのだろうか 
 それとも消え残った雪だろうか。
 空を見上げると李が満開でまるで雪のようだね)

この歌は華麗なる桃の花の「紅」 純白な李の「白」の「紅白」を
取り合わせ、さらに父、大伴旅人の名歌

「わが園に 梅の花散るひさかたの 天より雪の流れくるかも」
を踏まえた構成となっており
「まさに美の最高の一つのピークに登りえたと思う (犬養孝)」とまで
賞賛されています。

特に紅の桃と美少女の取合せは正倉院の「樹下美人図」を連想させ
正に幻想の世界です。

さらにこの二首は唐詩選にある劉庭芝(りゅうていし)の「代悲白頭翁」という詩との
関連をも指摘されております。(北陸学院短大 梶井名誉教授) 

「 洛陽城東 桃李の花 飛びきたり飛び去って誰が家に落つ  
  洛陽の女児顔色好し 行く落花に逢(お)うて 長嘆息す 」


この詩はさらにかの有名な

「年々歳々 花相似たり 歳々年々人同じからず」
という成句に続いていき 多くの万葉人に愛唱されたものと思われます。

さて、このような夢のような光景は果たして実在したのでしょうか?

伊藤博、大岡信の両氏は
家持のこの二首は上記のような中国漢詩の詩的感興に裏打ちされていること
及びそのあまりにも美しい情景ではあるが北の国、越中では桃と李が同時に
咲くことはまずありえないなどのことから、この桃李は家持の幻想の世界に
咲いた花で桃の下に立ち出でた美少女も想像上の佳人ではないかと
されています。

多くの万葉人は心の思いのたけを素直に詠いました。
家持は別の次元、つまり創作、文学への道を開拓しつつあったと言えるのです。

この二首を出発点とした越中名吟は爾後、家持の創作意欲をさらにかきたて、
遂に生涯の最高峰とも言うべき作品群の高みへ登り古今和歌集へと
バトンタッチされていきます。
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by uqrx74fd | 2009-03-08 10:29 | 植物

万葉集その四十八(柳は緑)

「柳は緑 花は紅」 この言葉は13世紀南宋の
道川(どうせん)という禅僧が
「目前ニ法無シ サモアラバアレ 柳ハ緑 華ハ紅」
と説いたことに由来します。

「すべて あるがまま 自然のままに受け入れる心にこそ
悟りの境地がある」と言う意味です。

その言葉が転じて「春の眺めの美しさ」の例えとして用いられ、
さらに花と柳をあわせて遊里、遊女をさす「花柳」という言葉も生まれました。

柳は生命力が強く、春一番に芽を吹くことから我が国では古くから
長寿や繁栄の象徴とされ、さらにその頼もしい生命力に頼り、
悪い妖気を払う守護神として屋敷の周辺や水辺を取り巻くように植えられました。

 古来「柳」という字は葉が細かくて枝か柔らかく垂れる「シダレヤナギ」に用い
「楊」のほうは葉に丸みがあり枝が堅く上向くヤナギ つまり「ネコヤナギ」や
「ヤマネコヤナギ」に用います。

ネコヤナギは芽が銀色に光り柔らかく猫の毛に見えるのでその名があり
二~三月頃に芽吹き、二ヶ月くらい後にシダレヤナギの花が咲きます。

「うちのぼる 佐保の川原の 青柳は 
       今は春へと なりにけるかも」 
               巻8の1433 大伴坂上郎女


( 春ですねぇ 佐保川の流れに沿ってのぼっていくと柳も
  すっかり芽吹きそよ風に揺れてなんと気持ちの良いこと )

 作家 栗田勇さんは次のような名解説をされています。

「いかにも春が柳の緑となって押し寄せてきているという迫力を感じます。
何故か一本ではなく河岸沿いに新芽がうねっているようです。

本当に躍動するエネルギーのうねりが目に見える歌といえるでしょう。
柳の持っている生命力、芽を吹く不思議な力がせせらぐ流水と一つになって
実感されます」
           「花のある暮らし 岩波新書」より

万葉人は柳の若葉から女性の眉を連想し「柳眉(りゅうび)」という言葉は
美人の代名詞となります。
また女性の美しく細くしなやかな腰を「柳腰」ともいいます。


「梅の花 取り持ちみれば わが屋前(やど)の 
       柳の眉し 思ほゆるかも」      
              巻10の1853 作者未詳


( 梅の花を手折ってじっと見つめていると あの柳の若葉のような
  美しい眉をした新妻が思われてならないよ )

私たちは柳の木をその神秘な生命力にあやかり現在でもなお
「柳の祝い箸」「爪楊枝」
「餅花飾り(米の粉を丸めて作る団子や繭形の餅を柳の木に飾る)」
「結び柳(生け花で柳を輪にして新春に飾る)」など様々な用途に用いています。

余談ではありますが「青柳」という貝があり料理や寿司のネタに使われます。

バカガイの剥き身をいい、足の形が柳の葉に似ており、また千葉県の
青柳で昔たくさん採れたところからその名があるそうです。

また「柳川」という「どじょう鍋」料理がありますが、これは天保時代に江戸の
「柳川」という店で始め、大いに流行ったところからその名が付きました。

従って福岡県の「柳川市」も「柳の下の泥鰌」という諺も
「柳川」という料理名の由来とは無関係のようです。

因みに柳川市の名物料理は「鰻のせいろ蒸し」でこれは
絶品であります。
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by uqrx74fd | 2009-03-08 10:27 | 植物

万葉集その四十六(つらつら椿から椿姫へ)

「椿」はツバキ科の常緑高木で葉が厚く、つややかなので「艶葉(つやば)の木」が
転訛して「つばき」になった、或いは連なって咲くところから「つらつら椿」とよばれ
「つらつら」が詰まって「つらき」から「つばき」になったとも云われています。

「椿」の字は春に咲く木を意味する国訓で中国では「山茶」と書き中国で使われる
「椿」は日本とは別種の木です。

日本原産である椿の原種は四種あり全国に広く分布する「ヤブツバキ」
積雪地帯に咲く「ユキツバキ」、九州に自生する秋咲きの「サザンカ」、
ほのかな香りをもつ沖縄の「ヒメサザンカ」です。

「 川の上(べ)の つらつら椿 つらつらに
       見れども飽かず 巨勢(こせ)の春野は 」 
            巻1の56 春日老(かすがのおゆ)


   巨勢;奈良県御所市古瀬

( わぁ-椿がきれい! 川のほとりにまるで帯のように赤い花が並んでいる。
 いつまで見ていても飽きないなぁ。本当に巨勢の春の眺めは素晴らしいよ )

古代から椿は聖樹であると伝えられ、古事記に「斉(ゆ)つ真椿(まつばき)=神聖な椿」の
語が見えます。
この歌謡は雄略天皇が新嘗祭の酒宴をされたときに皇后が歌われた歌詞の一部とされています。

日本民族学を創始した柳田国男氏によれば「椿」が北海道以外の全国各地に見られるのは
信仰を広める人々が長い間、椿を聖なる木として携え歩き廻った結果だとのことです。

また椿の木から農具やお椀等が作られ、その種子は椿油に、椿炭は漆工芸の研磨用に
椿灰は草木染めの媒染剤として日常生活に欠くことが出来ない有用の花木であることも
全国に広がった理由の一つと考えられています。

然しながら万葉時代に崇められた椿は平安貴族の好みに合わなかったのか古今和歌集
新古今和歌集には全く登場しません。

椿が再び姿を現すのは鎌倉末期から室町、桃山時代にかけてです。

武家社会や貴族社会の生活様式が確立され住居も武家造りや寝殿造りが一般的になり
連歌や生け花、茶の湯が盛んになるにつれ椿の寂びた奥深い姿が見直されたのです。

豊臣秀吉は伏見城に多数の椿を植えました。茶室に好まれる「侘助(わびすけ)」は
秀吉の朝鮮侵攻の際、侘助という男が持ち帰ったのでその名があり「トウツバキ」系と
みられています。

徳川時代になると二代将軍秀忠が我国椿の普及に大きな役割を果たしました。

椿を好んだ秀忠は江戸城に国中の椿を集めた結果、多彩な品種が生まれ、また
庶民も盛んに栽培をするようになりました。さらに元禄時代(1688~1702)には
空前の椿ブームになり内外の商人達が競って長崎から西欧へ名花の苗や種を輸出します。

椿の西欧での最初の開花はイングランドの南部の温室だそうです。
アメリカにはヨーロッパから渡り、リンカーン大統領在任中(1860~1865)には日本から
直接苗木が送られたと言われています。

西欧の椿ブームの様子を栗田勇さんは次のように生き生きと描写されています。(要約)

「19世紀後半、欧州にこれまた絢爛豪華な大輪の椿ブームを引き起こしました。
その象徴とも云うべきものがフランスのデュマ・フイス(小デュマ)の小説「椿姫」です。
1848年に小説として発表され、翌年戯曲に改作され1952年初演の芝居は大当たりを
取りました。

濃艶な高級娼婦が初めて純粋な恋をするが愛する青年のため身を引き犠牲と成り果てる。
義理と人情の板挟み、それも絢爛たる趣はまるで歌舞伎の舞台のようです。
その芝居を見て感動したイタリアの作曲家ヴェルディは「ラ・トラヴィアータ」 と
題したオペラを作りこれも大当たりとなりました」
                    (花を旅する 岩波文庫)より

注1:「ラ・トラヴィアータ」は「道に外れた女」の意
注2:オペラの初演は歌手のミスキャストにより大失敗。再演で好評を得た

 かくして古代日本の原産「つらつら椿」は品種改良を重ねて今や世界各国で
七~八千種類もの花木が栽培されています。
そして、プラシド・ドミンゴやマリア・カラス達が声高に歌う「乾杯の歌」や
「ああ そは 彼(か)の人か」「さよなら 過ぎ去った日よ」などの美しい歌曲と共に
世界中の人々から愛され続けているのです。
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by uqrx74fd | 2009-03-08 10:26 | 植物

万葉集その四十五(梅は母の木)

梅の字は「木」と「毎」の組合せから成っています。
「毎」の原義は母が頭飾りをして正装している姿をさし、
また母の字の中の二つの点(:)は女性の乳房を表し、
子供に対する授乳を強調したものだそうです。

梅が母の木とされたのは「つわり」に酸っぱい実が好まれたから(水上静夫説)と
云われています。

ウメの発音の由来は原産地中国の六朝時代に「梅」を「メエイ」とよんだのが
日本では「ウメ」となり、また唐時代に「梅」を「ンバイ」と発音していたのが
日本に渡り「バイ」という音読みになりました。

梅の歴史は古く今から3200年前の殷代の青銅器からウメの核(サネ)が出土しており
食用、調味料、薬用に用いられ、花の観賞は漢代からと云われています。

日本に初めて到来したのは奈良時代の終わり頃で、九州大宰府の庭で開花しました。

730年大宰府長官の大伴旅人は九州全島から主だった役人を集め官邸で華やかな
梅花の宴を催しました。

「わが園に 梅の花散る ひさかたの
   天(あめ)より雪の 流れくるかも 」 
            巻5の822 大伴旅人


白梅の花散る光景を天からの雪に紛うものとして詠いその美しさを讃えています。

( あれっ 雪かな 
 あぁ梅の花びらがまるで空から雪が降ってくるようで綺麗だなぁ。花の舞ですね )

列席の官人達も負けじと続いて詠います

「梅の花 今盛りなり 百鳥(ももどり)の 
         声の恋(こほ)しき 春来るらし」 

         巻5の834 田氏肥人(でんしのうまひと)
  

 「百鳥」色々なたくさんの鳥

( 梅の花が今満開だ。
  賑やかな鳥のさえずりの心躍る春がまさしくやってきたらしいよ)

 春まだ浅き頃に凛と咲き、ほのかに甘い香りを運んでくる中国渡来の白梅に
 万葉人はまさに欣喜雀躍し、百十八首もの梅の歌を詠みました。

 しかしながら「香り」を読み込んだ歌はたった一首しかなく万葉集不思議の
 一つとされています。

 また紅梅が本格的に渡来したのは平安時代になってからのことです。

 万葉人は「香り」よりも梅と動植物、自然とのかかわりのほうに
 興味を持ち、雪をはじめ鶯、柳、霞、春雨などと取り合わせ
 更に月光の中で梅の花びらが舞い落ちる能の舞台のような歌をも詠みました。

「誰(た)が園の 梅の花ぞも ひさかたの
      清き月夜(つくよ)に ここだ散り来る 」 
                10の2325 作者未詳


「ここだ」 こんなにもたくさん

( どこの方の庭の梅でしょうか。月の光が皓々と照るなかで
  花びらがこんなにもたくさんひらひらと舞い落ちてきますよ。
  空気も澄み切って素晴らしい夜ですね )

この歌は香りは詠みこまれていなくても月夜の中から馥郁たる匂いが
漂ってくる気配を感じさせてくれます。
万葉歌では珍しい雅の世界です。
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by uqrx74fd | 2009-03-08 10:24 | 植物

万葉集その四十四(翁草・茂吉・接吻)

立春の歌枕の一つである翁草(おきな草)

その花は紫掛かった深紅色で釣鐘形をしています。
うつむき加減に咲くその姿は可憐な女性を連想させ、古代から多くの人々に
愛されてきました。

花がすむと花柱が白い羽毛状に変わり、それを白頭の老人にみたてて翁草と
言います。
大名行列で奴が持つ毛槍の穂先や禅僧が持つ払子(ほっす)に例えられる事も
あります。

また東国地方では花茎よりも根のほうが長いところから「ねっこ草」と名付けられ
女性の姿態を思わせる花姿から「寝っ娘(こ)」即ち共寝した娘と掛けて詠われます。

 「 芝付(しばつき)の御宇良崎(みうらさき)なる ねつこ草
     相見(あいみ)ずあれば 我(あ)れ恋ひめやも 」 
                巻14の3508 作者未詳
 

 芝付の御宇良崎は神奈川県の三浦半島とされています。

 ( 三浦崎に咲くねっこ草のような可憐なあの娘ととうとう共寝してしまった。

 ますます想いが募って仕方がないよ。あの娘と会うことがなかったら

 こんなに思い焦がれることもないのに一目惚れだよ。これは )

 近代の歌人齊藤茂吉も万葉人と同じように翁草をこよなく愛し多くの歌を残しました。

 「 おきなぐさ 唇ふれて 帰りしが
      あはれ あはれ いま思い出(いで)つも 」 (赤光)より
 

 若き日の回想を詠ったものです。

 茂吉がいとおしく思い、唇を触れたのは「深紅の花」にですが
 「下句の表現から恋愛的抒情表現として受け止められてもそれはそれでも
 かまわない」と意味深長なことを述べています。

 1922年 茂吉はウイーンに外遊中、生まれて初めてでしょうか、
 「接吻」の場面に出くわし強烈な印象を受けました。

 帰国後その体験を「接吻」と題する随筆に書いています。
 (齊藤茂吉随筆集 岩波文庫)

 茂吉は公園を散歩しているうちに二人の男女が抱き合っている場面に遭遇し
 木陰に身をよせて立ち、じっと観察します。

 < その接吻は実にいつまでもつづいた。一時間あまり経った頃、
    僕は木かげから身を離して急ぎ足でそこを去った。
    「ながいなぁ、実にながいなぁ」こう僕は独語した。
    そして、とある居酒屋に入って麦酒の大杯を三息(みいき)ぐらいで飲みほした。
    そして両手で頭を抱えて「どうも長かったなぁ、実にながいなぁ」こう独語した。
    そこでなお1杯の麦酒を傾けた> とあります。

 さらに接吻という言葉の由来は旧約聖書で英語からの漢訳に「この子に吻接せよ」
 「我に吻接せよ」などあり、この漢訳から思い付いて邦訳で「接吻」としたかも
 しれぬとしています。

 最後に <僕はいつぞや「おきな草 くちびるふれて かへりしが」などという歌を
 こしらえたことがあり、ある詩人は既に「くちふれよ」「くちふれあいし」とも
 用いている > と結んでいるのです。

 一時間にわたる接吻とは茂吉も驚嘆したことでしょうが、
 それにしても、よく動かずにじっと観察していたものだと感心いたします。
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by uqrx74fd | 2009-03-08 10:23 | 植物