カテゴリ:植物( 202 )

万葉集その五百七十五 (瀬戸の縄海苔)

( 瀬戸内海の朝  小豆島で )
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( 干潮になると島々が陸続きになる 夜明けから渡るカップルも )
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( 陸続きになった海岸を歩く  ここはエンジェルロードとよぶそうな)
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( 浅瀬で靡く縄海苔  現在名はウミゾウメン)
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(  ウミゾウメン )
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( 同上 )
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(  海藻と貝  )
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( 海底で宝石のように輝く貝 )
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( ツルモ  牧野富太郎博士は縄海苔はツルモとされている   植物図鑑より )
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( 能登土産の海ぞうめん )
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縄海苔とは波の荒い磯に付く細長いひも状の海藻で、現在名はウミゾウメンが通説と
されていますが、砂や泥質の海底に立つ長い糸状のツルモとする説(牧野富太郎)もあります。

ウミゾウメンはベニモズク科の紅藻類で長さ10~20cm、
ツルモはツルモ科の褐藻類で90㎝~3,6mもあり海でゆらゆら揺れている姿は
長いロープが垂れ下がっているようです。

古代の人にとって海藻は食用として身近な存在だったと思われますが、
縄海苔はウミゾウメン、ツルモの区別なく、紐状の藻の総称だったかもしれません。

万葉集では4首登場しますが、すべて恋の歌。
どんな対象でも愛する人に結び付ける万葉人の恋の材料の豊かさ、
発想のユニークさには毎度のことながら驚かされます。

「 海原(うなはら)の 沖つ縄海苔 うち靡き
        心もしのに 思ほゆるかも」 
                             巻11-2779 作者未詳


( 青海原の水底に生えている縄海苔が揺れ靡いているように
  私は、ただただ、あの人に惚れぬいています。
  もう、心が折れて死んでしまいそう。)

海底から長く伸びている紐糸状の海藻がゆらゆら揺れている。
この縄海苔のように自身の気持ちもあなた様に靡いて一時も忘れることがありません。
このままでは焦がれ死にしそうですと詠う乙女。

「 わたつみの 沖に生ひたる 縄海苔の
     名はかって告(の)らじ 恋は死ぬとも 」 
                         巻12-3080 作者未詳


( 大海原の底深くに根生えている縄海苔の名のように
 あなたの名(な)は決して口に出して他人に洩らしません。
 たとえ焦がれ死ぬようなことがありましても。)

恋は秘密にというのが当時のしきたり。
相手の名前を口に出すと、想いは成就しないと信じられていました。
死んでもあの人のことは誰にも言うまいと必死に耐える純情な娘です。

「 わたつみの 沖つ縄海苔 来る時と
    妹が待つらむ  月は経(へ)につつ 」 
                      巻15-3663 作者未詳


( 海の神が統べ給う海底の縄海苔
 その縄海苔を手繰るように もう帰ってくる頃だと、あの子が待っているはずの
 約束の月日はどんどん過ぎ去ってしまった。)

736年遣新羅使が都を離れて筑紫に到着した時、月を遠くにみはるかし
故郷を思い慕った歌。

縄海苔はある時期になると着床から遊離して岸に流れついていたようです。
作者は妻に「縄海苔が流れ着く頃に家へ帰るからな」と云って出かけたのでしょう。
ところが途中で遭難し、新羅どころか、まだ博多湾。
何時帰ることが出来るか分からない状態でした。
「あぁ、今ごろ首を長くして待っているだろうなぁ」と
故郷の方角に向かいながら嘆く男です。

  「 海原に 靡く縄海苔  恋心  」 筆者

縄海苔はミネラル類( 鉄、カリウム、カルシユウム、ヨード)やビタミンAが多く
含まれ、万葉人の健康を支えていたと思われますが、現在でも輪島などで
名産品として販売されています。

 「 海藻の にほひ香し  波風に
        病と闘う  友をしぞ思ふ 」    筆者

( 60年来の学友の急病。
 栄養たっぷりの海藻を召して回復を。)

小豆島の土庄港(とのしょうこう)近くにエンジェルロード、天使の散歩道と
よばれている場所があります。
干潮になると今まで海を隔てて離れていた小さな島々が陸続きになるのです。
美しい砂浜を歩くと今まで海に沈んでいた海藻や貝が砂浜に現れ、
その中にウミゾウメンも混じっていました。
「 おぁ! 万葉の縄海苔見つけた、あったぞ! 」と小躍り。
まさに天使の贈り物でした。

海は底まで見えるほど澄み切っており、浅瀬で陽の光を受けた海藻が
ゆらゆら揺れる中、貝が宝石のように光り輝き、幻想的な雰囲気を
醸し出していました。
瀬戸内海の自然の美しさを目の当たりにし、万葉人もきっとこのような
風景の中で詠ったのだろうと思ったことでした。

  「 あらうれし 瀬戸で縄海苔  見つけたり 」 筆者


             万葉集575(瀬戸の縄海苔) 完

   
   次回の更新は4月15日です。

  
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by uqrx74fd | 2016-04-08 00:00 | 植物

万葉集その五百七十四 ( 虫麻呂の桜 )

( 花の寺 長谷寺  奈良 )
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(  同上  白木蓮と桜 )
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(  同上  境内満開の桜 ) 
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(  同上 白木蓮、サンシュ、桜の競演 )
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(  二月堂参道     奈良 )
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( 桃と桜  山辺の道  奈良 )
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( 川俣神社 曽我川    奈良 )
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( 大美和の杜  後方は三輪山  山辺の道  奈良 )
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( 玄賓庵  波状の砂庭に散り落ちた桜の花びら  山辺の道 奈良 )
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( 花筏  千鳥ヶ淵  東京 )
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( まるで花吹雪のよう  千鳥ヶ淵  )
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(  京都御所御苑の枝垂れ桜 )
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( 新宿御苑  東京 )
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高橋虫麻呂は浦島伝説や筑波山の歌垣、胸元広く腰が締まった美女、
ホトトギスの托卵など36首(うち34首は虫麻呂歌集)の歌を残していますが、
その大半が地名と美しい女性が登場し、読む人を引き付けてやまない魅力を
もつものばかりです。
にもかかわらず、その経歴は全く不明。
歌から推測できるのは、藤原宇合(うまかい)の庇護を受けて共に東国、近畿を
巡り歩き、各地の伝説や言い伝えを歌に詠み、常陸国風土記を編纂したと
推定されることのみです。

宇合は時の権力者、藤原不比等の子であり、光明皇后の異母兄妹。
虫麻呂は経済的な心配何一つ無く、伸び伸びと活動できたと思われ、
その歌風は色彩的かつ幻想的で独特の美の世界を作り上げているロマンチシスト、
そして美しい女性に対する憧れが強かったにもかかわらず自身の恋の歌を
詠わない孤愁の人でした。

次の歌は桜、それも花吹雪が川に舞い落ちる美しさを詠ったものといえば、
虫麻呂はいかに現代的な感覚の歌人であったことが窺いしれましょう。
まずは長歌の訳文からです。

( 訳文:巻9-1751 高橋虫麻呂 長歌)

 「島山を行き巡って流れる   
  川沿いの 岡辺の道を通って
  私が越えてきたのは ほんの昨日のことであったが
  たった一晩旅宿りしただけなのに
  もう、峰の上の桜の花は 
  滝の早瀬を ひらひらと散っては流れている

  わが君が帰り道に ご覧になるその日までは
  山おろしの風など 吹かせ給うなと
  馬にうち乗りながら せっせと越え行き、
  その名も高い風の神 龍田の杜に 
   風を鎮めるお祭りをいたしましょう 」
                               巻9-1751 高橋虫麻呂
( 訓み下し文 )

「 島山を い行(ゆ)き廻(めぐ)れる 
 川沿ひの 岡辺(おかへ)の道ゆ
 昨日(きのふ)こそ 我が越え来(こ)しか 
  一夜(ひとよ)のみ 寝たりしからに

  峰(を)の上の  桜の花は
  滝の瀬ゆ  散らひて流る

  君が見む その日までに
  山おろしの 風な吹きそと

  打ち越えて 
  名に負へる杜に 風祭りせな 」    巻9-1751 高橋虫麻呂(一部既出)


   (語句解説)

       島山: 「島」は水に面した美しい所。
             ここでは大和川が龍田山の裾を巡っている川べりの山、
             今は芝山とよばれるあたり

       山おろしの風: 山から吹き下ろしてくる激しい風

       名に負える社: 風を祀る神として知られた龍田神社

       風祭りせな:  風の神を祀って祈願しよう
                 当時、台風、風害を防ぐ官祭として4月、7月に
                 豊穣祈願祭がおこなわれていた。

この歌は726年、藤原宇合が難波宮造営の責任者に任命されたのに従い、
大和と難波を往復した時の歌です。
虫麻呂は急用ができたのか、一足先に大和へ戻る途中、龍田山の芝山辺りで
満開の桜が風に吹かれ花吹雪となっている光景に出合いました。
はらはらと舞い落ちる花びらは、川一面に散り敷き、花筏となって流れています。
あまりの見事さに虫麻呂は

「 櫻よ、龍田山の風の神様にお願いに行きますから
  もうこれ以上散らさないで下さい。
  わが主、宇合様が帰りにご覧になるまで 」と祈ったのです。

中西進氏は「 激流に もまれる花びらの美の発見者は虫麻呂だった」と
述べておられる( 旅に棲む 高橋虫麻呂論 中公文庫 )異色の長歌です。

続いて反歌です。

「 い行(ゆ)き逢ひの 坂のふもとに 咲きををる
    桜の花を 見せむ子もがも 」    
                             巻9-1752 高橋虫麻呂


( 国境の聖なる行き逢いの坂の麓に 枝もたわわに咲く桜の花。
 この美しい花を見せてあげられる 乙女でもいればよいのになぁ。 ) 
 
「咲きををる」:茂りたわむ
「い行き逢いの坂」とは隣国の神同士が両側から登りつめて、境界をきめたという
伝承をもつ神聖な坂とされ、ここは大和と河内の境をなす龍田越えの坂。
ここも桜が満開だったのでしょう。

美しい女性に対する憧れが強かった虫麻呂は、帰りの一人旅の気安さからか、
理想の美女を瞼に描きながら詠っています。

さて、この歌のどういうところが虫麻呂風なのか?
犬養孝氏は詳細に解説されていますが要約すると以下の通りです。

 1、虫麻呂の歌はほとんど土地名が出てくるがここでも冒頭に場所が示され、
   しかも、行ったことがない魅力を感じたところを描く。

 2、 花が散り落ちて流れる美に陶酔。

 3、 「 君が見む その日までには」は宇合に対する社交辞令で
    心は花の散り際の美しさによせる耽美の気持ち。
    狙いは櫻だけにある。

  4、 「風祭り」すなわち稲の豊作を祈る行事を、桜が散らないように祈る
      祭祀に利用している。
      つまり都会人の感覚で美の為の神に転用した。
     神を畏れ敬っていた昔の時代には見ることが出来ない感覚。

  5、 反歌に「見せたい児」が出てくる。
     「恋人に値する可愛い女性がいればなぁ」と詠い、
     桜に女性を添え、美を求めてやまない虫麻呂。
                               ( 高橋虫麻呂の世界: 世界思想社 )

じっくり味わうと奥深いですね。

     「 櫻花 何が不足で 散りいそぐ 」   一茶


       万葉集その574(虫麻呂の櫻 )  完

       次回の更新は4月8日です。
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by uqrx74fd | 2016-04-01 00:00 | 植物

万葉集その五百七十 (春菜美味し)

( 早蕨:さわらび  小石川植物園 )
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( 蕨とカタクリの花  森野旧薬園  奈良県 )
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( わらび餅  二月堂内の茶店で 奈良 )
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( 芹    奈良万葉植物園 )
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( 芹の花 夏開花   同上 )
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( ゼンマイ  小石川植物園 )
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( 土筆  又兵衛桜の近くで  奈良県 榛原市 )
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( ヨモギ  葛城古道  奈良県 )
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( ヨモギ餅  長谷寺参道で  奈良県 )
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( 蕗の薹    青森ねぶたの里で )
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( 雪間の菜の花 )
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「 春はきぬ 春はきぬ
  浅緑なる新草(にひぐさ)よ
  とほき野面(のもせ)を 画(えが)けかし
  さきては紅き 春花よ
  樹々(きぎ)の梢を 染めよかし

  春はきぬ 春はきぬ
  うれひの芹の 根を絶えて
  氷れる なみだ今いずこ
  つもれる雪の 消えうせて
  けふの若菜と 萌えよかし 」      ( 島崎藤村 春の歌 )

           (うれひの芹) : 憂ひせりと芹を掛けている

雪がまばらに残る早春の野山で頭をもたげるワラビ、ゼンマイ、蕗の薹。
春の日射しを受けながらスクスク育つセリ、ヨモギ、ニラ、ノビル。
古代の人達はこれらの野菜は栄養価が高く、病気への抵抗力を強くする
薬効成分が多いことを長い間の経験で会得していました。

野菜不足の冬、人々は春の兆しが見えるやいなや、喜び勇んで萌え出づる
春菜を摘みに出かけたのです。

「 -娘子(をとめ)らが 春菜摘ますと 
  紅の 赤裳の裾の 
  春雨に にほひひづちて 通ふらむ 
  時の盛りを- 」    
                  巻17-3969 大伴家持(長歌の一部)

( 乙女たちが 春菜を摘もうと 
 紅の赤裳の裾が
 春雨に濡れて 
 ひときは照り映えながら 
 行き来している
 春たけなわの時  )

「摘ますと」は敬語で「摘まれるとて」 仙女を意識してか。
 ここでは通常語訳とした
「にほひひづちて」 濡れて色がいっそう引き立つさま
「ひづちて」は 濡れて

この歌は作者が大病を患った時、心の友、大伴池主に贈ったもので、
このような美しい光景が見ることが出来ないのは残念だと述べています。
春菜摘みは乙女たちの待望の楽しみであり、その様を見る男達にとっても
何よりの目の保養であったことでしょう。

「 いざけふは をぎの やけ原かき分けて
    手折(たおり)てを来む 春のさわらび 」      賀茂真淵

( いざいざ、今日は荻を焼いた野原をかき分け、頭を出している
      早蕨を手折ってこようぞ )
                       「手折りてをこむ」  手折ってこよう

早蕨とは芽生えたばかりのワラビ。
まだ葉がまいているころの茎は柔らかくアクも少なくて美味い。
灰を加えた水に二日ばかり浸してアクを抜き、ゆでて切りそろえ
昆布締めにして一日寝かすと絶品の酒の肴になり、また乾燥させて保存食にしたのち、
戻して和え物や煮物にします。

「 煮わらびの 淡煮の青を 小鉢盛 」 木津柳芽

8~9月頃、根をとって澱粉の原料にしたものが、ワラビ粉で、
ワラビ餅などに加工されます。
きな粉をつけて食べたり、黒蜜を加えたり、美味しいですねぇ。

「 大仏蕨餅 奈良の春にて 木皿を重ね 」 河東碧梧桐

万葉集での早蕨は一首のみですが、次の歌は屈指の名歌とされています。

「 石(いわ)走る 垂水の上の さわらびの
      萌え出づる 春になりにけるかも」  
                      巻8の1418 志貴皇子(既出
)

( しぶきをあげながら岩の上を流れる水がキラキラ光っている。
 水音も清々しい滝のほとりに ほら、早蕨が芽を出しているよ。
 あぁ、もう春だ。
 待ちに待った春がとうとうやってきたねぇ )

垂水は瀧、躍動するような軽やかなリズムが心地よく、春到来の喜びを
大らかに詠っています。
このような名歌は現代訳にすると趣が削がれ、ゆっくり口誦するに限るようです。

作者は天智天皇の皇子、当時、天武系が幅をきかす中、肩身の狭い存在でしたが、
天武の血統が絶えた後、その子白壁王が光仁天皇となり現在の皇統に続いております。

「 さすたけの きみが みためと ひさかたの
      雨間に出でて つみし 芹ぞこれ 」    良寛


( あなたさまのために 雨降る中で摘んでまいりました芹ですよ。
  これは )

「さす竹」は貴人に掛かる枕詞で「竹がさし茂る」ことから貴人の繁栄を
祝ってのもの、あるいは「立つ竹」の意で貴人の優雅な姿をたとえたとの説があり、
万葉集で既に使われています。
良寛さんは枕詞、「さすたけ」と雨(あめ)に掛かる「ひさかたの」を万葉から引用し、
さらに次の歌を本歌取りしたものと思われます。

「 あかねさす 昼は田賜(たた)びて ぬばたまの
     夜のいとまに 摘める芹これ 」  
                          巻20-4455   葛城王(既出)


( 昼間は役所の仕事で大忙し。
 それでも夜に何とか暇を見つけてやっと摘んできた芹ですぞ。これは! )

「あかねさす」「ぬばたま」は枕詞  
「昼は田賜びて」の「賜ぶ」は「賜る」の約で天皇に代わって田を
支給するのでこう言ったもの 
「夜のいとま」勤務後の余暇

729年、葛城王(かつらぎのおおきみ)、後の左大臣、橘諸兄は山背国
(やましろの国、現在の京都府南部)の班田使に任命されました。
班田使とは班田収受法に基づいて公民に田畑を与え租税を徴収する重要な仕事です。
彼は忙しいながらも暇をみて日頃から心憎からず想っていた女官に芹を摘んで
歌と共に贈ったのです。
おどけながら詠ったもので、相手は親しい間柄だったのでしょう。

芹は日本各地の湿地、水田、小川などに群生するセリ科の多年草で、
「せりあって葉を出す」ことからその名があるとされています。
数ある菜の中でも我国栽培史上最も古く、栄養価の高い野菜の一つで
今日なお、ほとんど改良の手が加えられていない昔のままの姿を持つ
数少ない貴重な植物。
現在は栽培もされているようです。

「 摘みいそげ 木曽の沢井の雪芹の
               いや清くして うまかるらしき 」   太田水穂


                                        以上
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by uqrx74fd | 2016-03-03 19:38 | 植物

万葉集その五百六十八 (梅いろいろ)

( 吉野梅郷  青梅市  ウイルス発生のため2014年すべて伐採された)
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(  同上  )
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(  同上 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 曽我梅林  小田原市)
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 浜離宮庭園 )
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二月も中旬を過ぎると各地から梅の便りが次々と届いて参ります。
早いものは1月の終わりごろから咲きはじめ、4月上旬まで咲き継ぐ。
中には早咲きの品種なのか、それともポカポカ陽気に誘われたのか、
周りが蕾のままなのに1本だけ満開になっている気が早い梅も見かけます。

この時期になるといつも思い出すのは吉野梅郷(青梅市)。
こんもりとした丘の上に色鮮やかな花を咲かせ、私たちを長らく
楽しませてくれていましたが、2014年、プラムボックスというウイルスに
罹病し、120品種1500本がすべて伐採されました。

まだまだ美しい花を咲かせることができるのに1本残らず切り倒す。
その無念さ、懸命に育ててこられた方々の心情察するに余りあります。
あの華やかな風景を再び目にすることが出来ないことは痛恨の極みであり、
他の梅林にこのようなウイルスが波及しないことを祈るばかりです。

さて今回は万葉集から近代まで、色々な梅の歌を辿ってみたいと思います。
まずは、万葉の庭に咲きだした梅から。

「 春されば まづ咲くやどの 梅の花
     ひとり見つつや 春日暮らさむ 」      巻5-818 山上憶良

( 春が来ると真っ先に咲く庭の梅の花。
 この花をただ一人見ながら、長い春の一日を思う存分過ごすことに
 なりましょうかな )

730年、九州大宰府で催された大伴旅人長官による梅花の宴。
32名の人々が集まり、一人一首づつ詠う我国最初のやまと言葉による歌会で、
文藝史上画期的な試みとされている催しですが、憶良先生は
ただ一人で梅を眺めようかと詠っています。
だが、心優しい作者、主催者を無視するようなことは考えられません。
歌の奥には「あまりにも見事な梅なので、一人で鑑賞するには勿体ない」
という心がこもり主催者に対する賛美を贈っているように思われます。

万葉人は梅を愛し、120首近くの歌を残していますが、香りを詠ったものは
次の1首しか残されていません。
梅が香はまだ歌の題とするには早かったのか、誰も思いつかなかったのか。

「 梅の花 香をかぐはしみ  遠けれど
       心もしのに 君をしぞ思ふ 」 
                      巻20-4500 市原王(既出) 

( あなた様のお庭の梅の香が芳(かぐわ)しく、遠く離れたところまで漂って参ります。
 その香り同様に高いあなた様の人徳。
 私はいつも心からお慕い申しております。)

758年平城京近くの中臣清麻呂宅で催された宴席での歌。
主人は大伴家持とも親しく16歳年上の57歳、式部省の次官です。

歌の作者、市原王は天智天皇の玄孫(やしゃご)で独創的なセンスの持主。
香りがもてはやされた平安時代の先駆をなす一首で、清麻呂の誕生日を寿ぎ、
その人徳を慕う気持を梅の香に託し、且つ女性の立場からの恋歌仕立てに
したものです。

梅が香は平安時代になると多く詠われるようになりますが、表現は洗練され
内容も複雑になってまいります。

「 色よりも 香こそあはれと 思ほゆれ
    誰(た)が袖ふれし 宿の梅ぞも 」  
                           よみ人しらず 古今和歌集

( お庭の梅は色もさることながら 香りが特に素晴らしいと思われます。
 いったいどんな素晴らしい方が袖をふれて香りを残されたのでしょうか )

女性の家を訪ねると馥郁と梅の香りが漂っている。
もしや自分以外の男が訪ねてきたのかしらと様子を窺う作者。
なかなか手が込んでいますね。

「 わがやどの 梅の初花 昼は雪
      夜は月かと 見えまがふかな 」  
                            よみ人しらず 後撰和歌集

終日梅見を楽しむ作者。
初花を雪か月かといとおしむ。
白梅を雪に見立てるのは万葉時代に多用されている手法です。

「 春の夜は 軒端(のきば)の梅を もる月の
     光も薫る 心地こそすれ 」 
                           藤原俊成 千載和歌集

軒端から月の光が洩れている。
その光さえも梅が薫るようだと詠う作者。
さすが垢抜けした美しい幻想の世界です。

軒端: 日や雨などを防ぐため窓、縁側、出入口などの上に設けた小屋根の端
    
近代になると生活に密着した歌も多く登場します。

「 湯の宿に 一人残りて 昼過ぎの
      静かなる庭の 梅を愛すも 」    伊藤左千夫

温泉に浸かりながら庭の梅を眺める。
燗酒がかたわらに。
いいですなぁ。

「ほのぼのと 明けゆく庭に 天雲(あまぐも)ぞ
    流れきたれる しら梅散るも 」      石川啄木

啄木さんも万葉集も勉強されていたと思われる一首。
次の歌の本歌取りではなかろうか。

「 わが園に 梅の花散る ひさかたの
    天(あめ)より雪の 流れくるかも 」 
                    巻5の822  大伴旅人(既出)

( あれっ 梅の花びらが空から降ってくる。
  まるで雪が流れてくるようだね )
 
ひらひらと舞い落ちてくる花びらが風にあおられて吹き上がり、
やがて地面を白く覆い尽くしてゆきます。
花が「流れる」という斬新な表現は万葉時代既に使われていたのです。

ざっと万葉時代から近代まで駆け抜けましたが、歌の表現、技巧は違っても
梅を愛する人の心は同じでした。

清楚で凛とした気品を持ち、百花に先駆けて咲く梅は当初、食用、薬用として
中國からもたらされた実用第一の植物でした。
万葉集で「うめ」の漢字表記は「烏梅」が多く、梅の実が烏(カラス)のごとく
真っ黒に燻した「うばい」という漢方薬や紅染の触媒剤であったことが
示されています。

花の鑑賞は後に文人たちの間で起こり、漢詩から始まりましたが、
大宰府の梅花の宴で「やまと言葉」による歌会で詠われて以来、
我国独自の境地に変化し、今日に至っております。

「 むめがかに のつと日の出る 山路かな 」 芭蕉

    むめがかに: 梅が香に

( 夜明けの山路は清冷の気に満ち、余寒が頬に冷たい。
 どこからか梅の香が漂ってきたとき、
 彼方の雲を分け のっと朝日が射し出た。 ) 「 芭蕉全句  小学館より」
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by uqrx74fd | 2016-02-19 06:48 | 植物

万葉集その五百六十六 (玉藻と海苔)

( 養殖海苔発祥地大森には問屋が多く残る)
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( 大森海苔 名産御膳乾海苔所と記されている )
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( 海苔の保存箱  お茶屋が海苔屋を兼業しているのは保存技術を生かせるから
              : 大森海苔のふるさと館 )
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( 海苔干し  大森海苔のふるさと館 )
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( 海苔船からの採取 第2次大戦後   同上)
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( 荒波で散乱した海苔を玉網ですくい取る作業 (ふっきり拾い) 同上
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( ヒビ建て  ナラやクマギの枝に海苔の胞子を付け養殖する 高下駄を履き
         太い棒を突き立て海底に穴を開けてヒビを突き立てる   同上)
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( 海苔の養殖風景  震災前の相馬双葉 )
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( 生きている海苔 大森海苔のふるさと館 水槽 )
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( ホンダワラの見本  市川万葉植物園 )
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( 羅臼昆布 )
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( 若布  鎌倉材木座 )
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( 東京湾での海苔つくり風景:江戸時代  柴田是真 諏訪神社に奉納 大森海苔のふるさと館)
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玉藻とは美しく、立派な藻の意で海藻の総称とされています。
ミネラルの宝庫、コンブ、ワカメ、アラメ、ミル、ヒジキ
風味がよいアマノリ、アオノリ、アサオ、
寒天に加工できるテングサ、フノリなど。
採集しやすく、栄養に富み、乾燥すれば持ち運びが容易な海藻は
昔も今も貴重な食材です。

延喜式によると藻の料理は醤(ヒシオ)、酢、飴、酒などの調味料を使い、
ナス、マメ、ナギ、ショウガ、ノビル、などと煮て和え物にしたり、
酢の物、吸い物など現在と変わらない食べ方をしていたようです。

万葉集では74首の藻の歌が見られ(内玉藻 57首)、身近で生活に必要不可欠な
食材であったことが窺われますが、藻そのものを詠ったものは少なく大半が恋の歌。
次の歌は藻刈を詠った数少ない例外で、百人一首で有名な「これやこの」という
言葉が既に出てまいります。

「 これやこの 名に負ふ鳴門の 渦潮に
   玉藻刈るとふ 海人娘子(あまおとめ)ども 」
                           巻15-3638  田辺秋庭


( これがまぁ、名にし負う鳴門の渦巻き。
そんな激しい渦巻きに掉さして玉藻を刈るという,海人娘子たちなのか )

新羅に派遣された使人が鳴門にさしかかった時に目にした光景。
名だたる鳴門の渦潮をものともせず、小舟を巧みに操って玉藻を刈る
娘たちに驚嘆し、褒めたたえています。
当時「藻刈舟」に乗り、竿に鎌を括り付けて海に靡く海藻を
刈り取っていましたが、女性が鳴門の渦潮逆巻く危険な場所にまで
出かけていたとは信じられないことです。
このような光景を目の当たりにした作者が驚嘆したのも無理もありません。

( ご参考:百人一首 

  「 これやこの 行くも帰るも 別れては
           知るも知らぬも 逢坂の関 」  蝉丸 )

「 風高く 辺(へ)には吹けども 妹がため
         袖さへ濡れて 刈れる玉藻ぞ 」 
                            巻4-782 紀郎女(きのいらつめ)


( 風が高く吹き渡り岸辺に激しい波がよせていました。
 でも、これは、あなたのためにと思って袖まで濡らして
 刈り取った藻ですよ。)

こちらは磯の岩礁に貼りついた海藻を鎌で刈り採ったもの。
詞書に藻に何かを包んで友に渡したとあり、親しい女友達に贈り物をしたときに
添えた歌のようです。
乾いた海藻に海産物でも包んだのでしょうか。
藻でプレゼントを包んだというのも奇抜な趣向が面白く、受け取った女性は
さぞ驚き喜んだことでしょう。
当時の女性の髪は長く、緑なす黒髪にはヨードを大量に含む海藻を食することが
何よりも効果的でした。

「 荒磯(ありそ)越す 波は畏(かしこ)し しかすがに
      海の玉藻は 憎くはあらずて 」
                           巻7-1397 作者未詳

( 荒磯を越す波は恐ろしい。
 でも、波に寄せられる玉藻は決して憎くはないんだよ )

こちらは恋の歌、美しい女に惚れた男が女を玉藻に譬え、
どんなに苦難があろうとも荒波を乗り越えて結ばれたいと願っています。
当時、娘の結婚については母親の発言力が強かったので、
何らかの事情で猛烈に反対されていたのかも知れません。

「 花のごと 流るる海苔を すくひ網 」  高濱虚子

海苔は太古の時代から食されていたと推定されていますが、文献での記述は
奈良時代に編纂された「常陸国風土記」の
「ヤマトタケルが常陸国乗浜で海苔を干しているのを見た」
「出雲国風土記」の
「紫菜(のり)は楯縫郡(たてぬひのこほり:島根県出雲)がもっとも優れている」
などに見られ、さらに公式文書としては、701年に公布された大宝律令に
税(調)の対象として紫菜(のり)の貢納を定めた記述などがあります。

当時は生海苔か、素干しだったので日持ちがせず、極めて高級品として
扱われていました。
因みに「のり」の語源は、生海苔のぬるぬるした感触をさす「滑(ぬら)」が
転訛したものとか。

鎌倉時代、源頼朝が伊豆名産の海苔を4回にわたって朝廷に献上し、
以来、岩海苔は贈答用に使われ、室町時代は僧坊料理や喫茶の茶うけとしても
食されました。

「 海苔の香や 障子にうつる 僧二人 」 
                      梅室 (ばいしつ:江戸末期の俳人)

今日の一般的な「板海苔」の誕生は江戸時代からで、「ヒビ」といわれる
生簀の柵で養殖がはじまり、生海苔を細かく刻んで水に溶かし、
紙漉の要領よろしくスノコで薄く延ばして作る製法が確立すると
生産が飛躍的に向上し、巻きずしなど江戸っ子には欠かせないものになりました。

昭和24年、イギリスの海藻学者ドリユー女史が海苔の糸状体を発見。
これにより海苔のライフサイクルが解明され、不確定な天然採苗に変わり
人工採苗が実用化され大量生産が可能となりました。

2月6日は海苔の日。
この日は、大宝律令が施行された大宝2年1月1日を西暦に換算すると
702年2月6日になるとのことで、昭和41年、海からの贈り物、
海苔に対する感謝の気持ちを込めて全海苔漁連が定めたそうです。

  「 海苔あぶる 手もとも袖も 美しき 」 滝井孝作
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by uqrx74fd | 2016-02-05 06:30 | 植物

万葉集その五百六十二 (玉箒:たまばはき)

( 玉箒:たまばはき  現代名 コウヤボウキ  この枝を束ねて箒を作る  奈良万葉植物園)
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( 同上 )
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( コウヤボウキの花  秋9~10月に咲く   かんな屑のような花穂が可愛い 同上)
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( 玉箒   正倉院、複製が東京国立博物館に収蔵されている )
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玉箒はキク科の落葉低木で、葉が落ちた後の枝を束ねて箒にし、ガラス玉の
飾りを付けたことからその名があります。
元々、蚕の床を払う用具とされていましたが、次第に華美になり装飾品になったようです。

現在名はコウヤボウキ。
その昔、高野山で竹を植えることを禁じていたので、この植物の枝を
箒にしたことから命名されたとか。
何故、竹を植えることが禁じられたかというと、竹は筍が育ち、色々な用具の
材料になることから、人間の欲望を生じさせるものとされ、戒律が厳しかった
空海の寺ならではのことです。

万葉集では2首登場し、一首は新春を寿ぐ下賜品、残りは単なる箒として
詠われています。

「 初春の 初子(はつね)の今日の 玉箒(たまばはき)
   手に取るからに  揺らく玉の緒 」 
                          巻20-4493 大伴家持 (既出)


( 初春の初子の今日、お上から玉箒を賜りました。
  手に取ると玉がゆらゆらと揺れ妙なる音を立てます。 
  何とめでたい佳き日でしょか )

玉の緒とは玉を通した紐。
古代、玉は命、魂とされ、緒に貫くことにより生命の永続を願ったのです。

華やかに「初春の」「初子(はつね)の」「今日の」と「の」で繋いだ
流れるようなリズムが快く響き、玉がかすかに触れ合う音、「たまゆら(玉響)」が
いまにも聞こえてきそうな新春にふさわしい名歌です。

この歌の詞書によると次のようなことが記されています。
『 758年正月3日の最初の子の日に宮中で孝謙天皇主催の農耕、養蚕を
勧奨する行事が催され、農耕の具である辛鋤(からすき:鋤)と
蚕の床を払う玉箒が神前に供えられ、その年の収穫の豊かならんことを祈られた。
その後、伺候している王族や官僚たちに「玉箒」を下賜され、
宴席で「自分たちの技量に応じそれぞれ自由に歌をつくって披露せよ」と命じられた。
しかしながら、(家持は行事を司る部署であったためか忙しく)、その折の歌を
手に入れることが出来なかった 』

なお、この日に使われた「玉箒」(子日 目利箒:ねのひの めとき の ほうき)は
東大寺から皇室に献上され現在、正倉院に、また、その複製品が
東京国立博物館に収められています。

根元を金糸で束ねた美麗なもので当時の華やかな宴会の様子が偲ばれますが、
色とりどりに飾られた瑠璃(ガラス)は、ほとんど脱落して2~3個の残すのみです。

「 玉掃(たまばはき) 刈り来(こ) 鎌麻呂 むろの木と
     棗(なつめ)が本(もと)と かき掃(は)かむため 」 巻16-3830 
                            長忌寸 意吉麻呂(ながのいむきの おきまろ)


( 鎌麻呂よ 箒にする玉掃を刈ってこい。
 むろの木と棗(なつめ)の木の根元を掃除するために )

「 玉掃 鎌、むろの木 棗(なつめ) 」を詠めといわれ、
  清掃を主題にまとめた宴席での歌。

「棗」は「そう」とも訓み「掃」「早」を懸け「掃除のために早く刈ってこい」
さらに、「刈り」(カリ)、「来」(コ) 、鎌麻呂(カママロ)と「カ」行を重ねた
機知ある一首です。

「むろの木」はヒノキ科ビャクシン属の針葉樹で「実が多くつく」
すなわち「実群(み むろ)」の意からその名があるといわれています。

葉は硬質。鋭く尖っていて、触ると痛いので、昔の人は鼠の通り穴に置いて
その出没を防いだことから「ネズミサシ」、「ネズ」の別名があり、
漢方ではその実を杜松子(としょうじつ)といい利尿、リュウマチに薬効ありと
されています。

更に棗(なつめ)の枝にも棘があり、そのような歌を即座に思い浮かべることが
出来る作者は大変な才能の持主。
宴席の人気者だったことでしょう。

「 玉ばはき 星を見るにも 君が代は
         ちりおさまりて  いやさかへなん 」 
                               権僧正公朝


( あなた様の代は これから 星のように輝き、
 玉箒で払いのけた塵が散りおさまるごとく
 大いに栄えることでございましょう。)

      新しい年が皆様にとって良い年でありますように
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by uqrx74fd | 2016-01-08 06:17 | 植物

万葉集その五百六十 (十両:ヤブコウジ)

( 十両:ヤブコウジ 市川万葉植物園  千葉県 )
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(  同  六義園  東京都 )
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( ツルヤブコウジ 横に伸びる珍しい品種  奈良万葉植物園 )
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( 千両 黄色、赤色  皇居東御苑 )
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( 万両  市川万葉植物園  )
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( 手前 十両:ヤブコウジ 左:千両  右:百両  後方:万両  浜離宮庭園 )
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( 手前右  十両 
     左  一両:アリトウシ:蟻も通さない細かい刺があるのでその名があるが
        お金が年中あり通しでめでたいとされている 
  中央:百両 後方左:千両   同右:万両     六義園 )
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( 同上説明文  画面をクリックすると拡大出来ます)
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( 龍の髭  奈良万葉植物園  )
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「 鶺鴒(せきれい)の 来鳴くこのごろ 藪柑子
    はや色づきぬ 冬のかまへに 」    伊藤左千夫


十両の正式名は藪柑子(やぶこうじ)、古くは山橘とよばれ、高さ10㎝~30㎝の
常緑小低木です。
夏に白または淡緑色の小花を咲かせたのち青い実をつけ、晩秋霜下りる頃
鮮やかな赤色に熟します。
藪の中で自生し、葉の形が蜜柑に似ているのでその名があるそうですが、
鮮やかな紅色、丸々とした可愛い実はサクランボのよう。

同じヤブコウジ科で葉の下に実が付く万両、百両。
葉の上に実が付くセンリョウ科の千両。
メギ科の南天。
ともに花の乏しい冬を彩り、生花にも無くてはならない存在です。

万葉集での山橘5首、いずれも美しい色の実を愛でたものばかりで、
花を詠ったものはありません。
5mm程度の小花ゆえ、目立たなかったのでしょうか。

「 消(け)残りの 雪にあへ照る あしひきの
     山橘を つとに摘み来(こ)な 」  
                        巻20-4471 大伴家持


( 幸い消えずに残っている白い雪に映えて、ひとしお赤々と照る山橘、
 その実を土産にするため、採りに行こう )

家持難波出張の折の歌。
眼前の残雪に映える山橘を見ながら、帰途、山中の藪で美しい実を
付けているさまを想像し、奈良の都で留守番をしている妻への土産にしたいと
思っています。
赤と白の対比が鮮やかに印象に残る一首。

「あへ照る」: 雪と山橘が互いに照り映えているさま
「つと」: 藁に包んだ土産品

「 あしひきの 山橘の 色に出でて
     我(あ)は恋ひなむを 人目(ひとめ)難(かた)みすな 」
                                   巻11-2767 作者未詳


( 山の木陰の山橘の真っ赤な実のように、私の恋心はあたりかまわず
 顔に出してしまいそうだ。
 なのに、あなたは人目を気にするなんて!
 周りのことなんか気にしないでくれ 。)

「色に出でて」 山橘の赤い実のように人目につく。
「人目 難(かた)みすな」 人目に立つのを難儀に思ったりするな

 恋は秘密にと云うのが古代の流儀。
 なのに、もう我慢できないと訴える男。

「 あしひきの 山橘の 色に出(い)でよ
    語らひ継ぎて  逢ふこともあらむ 」
                           巻4-669 春日王


( 鮮やかな赤色の実をつけている山橘。
 その色のように いっそ気持ちを表に出して下さい。
 もう人目を忍ぶのはやめましょう。
 そうすればいつでも逢えるし、話もできるではありませんか。)

「なまじ人目をはばかり想いを秘めていては、いつ逢えるか分からないので
いっそのこと、思いのたけを出しましょうよ。
山橘は秋から冬にかけて青から鮮やかな赤色に変わるではありませんか。
我々もそのように変身しましょう」
と詠う作者は天智天皇の孫。

相手の女性の素性は不明ですが禁断の恋だった?

「 紫の糸をぞ 我が縒(よ)る あしひきの
    山橘を 貫(ぬ)かむと思ひて 」
                       巻7-1340 作者未詳(既出)


( 紫色の糸を私は今一生懸命に縒(よ)りあわせております。
  山橘の赤い実をこれに通そうと思って )

「山橘を貫く」は好きな相手と結ばれることをも暗示しています。
 小さな実に糸を通して薬玉を作り、惚れた相手と結ばれることを願う女心。
 赤い実が燃えさかる恋の炎を象徴しているようです。

山橘は群青色の山菅(龍の髭)と並べると色の対比が鮮やかな上、
厳寒の中を生き抜く逞しさをもつので、その生命力にあやかり、
髪飾りにしたり、祝い事のご祝儀に添えて用いられたそうです。

今年も数々の庭園や部屋の生花で新年の彩りをそえてくれることでしょう。

    「 遠き日の 小さき恋や 藪柑子 」 鈴木龍江
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by uqrx74fd | 2015-12-24 19:52 | 植物

万葉集その五百五十五 (尾花)

( 朱雀門前で靡く尾花   平城宮跡  奈良 ) 
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(  同上 )
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(  正歴寺への道の途中で   奈良 )
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(  石舞台公園  飛鳥  奈良 )
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(   同上  )
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(   同上 )
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(   同上 )
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(  仙石原    箱根 )
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( 尾花に寄生するナンバンギセル  高松塚公園  飛鳥 )
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(  尾花に寄り掛かる萩  石舞台公園   飛鳥 )
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「 たけたかく 芒(すすき)はらりと 天の澄み 」 飯田蛇笏

万葉集で秋を彩る植物と云えば黄葉と秋の七草。
             (萩、尾花、葛、撫子、女郎花、藤袴、桔梗)
中でも萩は圧倒的な人気を誇り141首も詠まれています。
ところが万葉人の中には次のように詠っている風流な御仁もいるのです。

「 人皆は 萩を秋と言ふ よし我れは
      尾花が末(すえ)を 秋とは言はむ 」 
                         巻10-2100 作者未詳(既出)


( 世の人々は 萩の花こそ秋を代表するものだという。
 なになに、俺様は尾花の穂先こそ秋の風情だと言おうではないか )

ススキの穂が波のように光りながら銀色にきらめく。
作者は日本人の心の風景とも云うべき芒が風に吹かれて靡くさまに
最高の秋らしい美観を見出しているのです。

この歌を年来の友人に紹介すると次のようなコメントをくれました。

「 実はボクも萩ではなく芒派です。
  夏の終わりごろ、まだ猛暑が続いていても芒が真新しい赤みがかった穂を
  出しているのを見かけると秋を感じます。
  写真の場合は順光で撮ることは少なく透過光による美しさを出すために
  ほとんどの場合、逆光で撮ります。 」

さすがカメラマン、穂が出たばかりの芒は赤いということも知っていました。
古代の人が「まそほ(蘇芳色)の芒」と呼んでいたものです。
因みに秋の七草で黄色は女郎花のみ。
あとはすべて紫がかった薄紅色。
万葉人の紫に対する憧れは大なるものがありました。
  
注: 紅葉は特定の木を指すものではなく、木々が色づいた様をいうので植物数は
   参考として取り扱われ136首。
   尾花35首 葛 20 撫子26 女郎花 15 藤袴1 桔梗(朝顔) 5首。

「 はだすすき 穂には咲き出ぬ 恋をぞ我がする
      玉かぎる ただ一目のみ 見し人ゆゑに 」
              巻10-2311  作者未詳 (旋頭歌)


( はだすすきがまだ穂には咲き出していないように
  私はそぶりには出さない秘めた恋をしています。
  玉がちらっと光るように ただ一目だけ見たあの人ゆえに )

「はだすすき」は「肌すすき」で穂が皮ごもりしている芒。
 8月~9月にかけて穂を出す芒は、葉鞘につかえてなかなか飛び出せません。
 やがて大きく膨らんで横から皮を破ってちぢれた花穂が恥じらうように顔を出します。

「 秋津野に 尾花刈り添へ 秋萩の
       花を葺(ふ)かさね 君が仮蘆(かりほ)に 」
                巻10-2292 作者未詳

( 秋津野の尾花を刈り添えて、秋萩の花をお葺きあそばせ。
  あなたさまの仮のお住まいに )

秋津野は持統天皇が好んだ吉野離宮があったところ。
吉野へ旅立つ男に仮の住まいに萩の花をのせて私を思い出して欲しいと
詠ったようです。
風雅な女性ですね。
男はお供の一人だったのでしょうか。
大人数で宿が足りず仮小屋に滞在した?

ここでは尾花が屋根葺きの材料に使われていたことを教えてくれています。

「 さを鹿の 入野のすすき 初尾花
    いづれの時か 妹が手まかむ 」
                           巻10-2277 作者未詳


( 雄鹿が分け入るという入野のすすきの初尾花
 その花のように初々しい子
 一体いつになったらあの子の手を枕にすることができるのだろうか)

相手はまだ少女。 
成人して結婚できる日を待ち焦がれている男。
入野は奥まった山の、実り豊かな野の共有林であることが多いそうです。

「 ほほけたる 尾花に風の 遊ぶ見ゆ
               尾花拒まず またあそぶらし 」    斎藤 史


「ほほけたる」 乱れほどけた

万葉人は芒の生態をよく観察し、穂が出ていないものを「はだすすき」
穂が旗のように靡くものを「はたすすき」、葉の細いものを「細野(しの)すすき」、
花のように見える「はなすすき」、屋根葺く材料を「草(かや)すすき」と区別していました。
「尾花」も花穂が動物の尻尾に似ているところから付けられたものです。

   「 しろがねの こがねの芒 鳴りわたる 」 平井照敏
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by uqrx74fd | 2015-11-21 05:55 | 植物

万葉集その五百五十四 (黄葉)

( 談山神社  奈良 )
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( 長谷寺    奈良)
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( 浄瑠璃寺   京都)
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(  同上 )
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( 大湯屋   二月堂参道の途中で   奈良 )
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( 吉城園    奈良 )
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( 春日大社参道途中のお休み処    奈良 )
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( 東大寺指図堂  奈良 )
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( 奈良公園  )
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(  同上 )
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(  同上 )
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( 正倉院近くの大仏池  奈良 )
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( 鹿は銀杏がお好き?  正倉院の前で   奈良 ) 
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「黄葉」は「もみじ」、古くは清音で「もみち」と訓みならわしていました。
秋が深まりゆくと共に、木々の葉が揉(も)み出されるように染まってゆく、
その揉出(もみち)が語源とされています。
万葉集で「もみち」は135余首も詠まれていますが、大半は「黄葉」や
「色づく」「もみつ」などと表記され「紅、赤」の字が見られるのはごく僅かです。

その理由は大和付近の山々は雑木が多く楓類が少なかった、あるいは万葉人が
黄色を好んだ、もしくは、黄も赤もすべて「黄」と表記したとも言われていますが、
定かではありません。
現在のように紅葉と表記されるようになったのは赤に対する憧れが強かった
平安時代からのようです。

「 秋山に もみつ木(こ)の葉の うつりなば
      さらにや秋を 見まく欲りせむ 」 
                           巻8-1516 山部王 (経歴未詳)


( 秋山のこの見事な黄葉、
 木の葉が散ってしまったなら、さらにいっそう見たくてたまらなくなるだろうなぁ。)

晩秋、山野のさまざまな木の葉が思い思いの色に染まって行く。
作者はその光景を眺めながら行く秋を惜しみ、翌年の黄葉に思いを馳せています。

「 あしひきの 山の黄葉(もみちば)今夜(こよひ)もか
    浮かび行(ゆ)くらむ 山川の瀬に 」 
                           巻8-1587 大伴書持(ふみもち
)

( あしひきの山の黄葉、この黄葉の葉は今夜も散って
  山あいの瀬の上を流れていることであろう )

左大臣橘諸兄の子奈良麻呂宅での宴で披露されたもの。

作者は昼間見た奥山の見事な黄葉が はらはらと散り、
川に浮かび流れている様子を瞼に思い浮かべています。
一枚また一枚、表を見せ、裏を返しながら散り落ちた色とりどりの葉が
小舟のように流れてゆく。
月の光を浴びてきらきら光りながら静かに、滑るように。

風情があり、感性豊かな作者の一首です。

「 祝(はふり)らが 斎(いは)ふ社(やしろ)の 黄葉(もみちば)も
    標縄(しめなは)越えて 散るというものを 」
                        巻10-2309 作者未詳


( 神官たちが崇(あが)め祀っているお社の黄葉(もみちば)でさえ
  しめ縄を飛び越えて散るというのに。 )

男がある女に惚れた。
ところが女は親の目を気にして外に出て逢ってくれない。

親の目を神域のしめ縄に譬え、
「 黄葉の葉でさえも軽々としめ縄を飛び越えてゆくではないか。
  お前さんも勇気を出して出ておいで」と
女に呼びかけたもの。
母親をしめ縄に例えるとは面白い。
きっと怖い存在だったのでしょう。

「 このしぐれ いたくな降りそ 我妹子(わぎもこ)に
    見せむがために 黄葉(もみち)取りてむ 」 
                        巻19-4222 久米広縄(ひろつな)


( この時雨よ そんなにひどく降ってくれるな
  いとしいあの子に見せるため 黄葉を折り取っておきたいのでな)

越中、広縄邸で催された宴での歌。
古代、木々の小枝を折り取って頭や着物に挿すことが粋とされ、
またその生命力にあやかろうとしていました。
黄葉を褒め、主人のもてなしへの感謝の気持ちもこめているようです。

「 あしひきの 山の黄葉に しづくあひて
     散らむ山道(やまぢ)を 君が越えまく 」
                       巻19-4225 大伴家持


( あなたさまが、これから越えて行かれる山道は険しいでしょうが
 黄葉はきっと見事なことでしょう。
 時雨と共にはらはらと散る黄葉。
 そんな山路を行かれるのですね  )

越中在任の秦伊美吉 石竹(はだのいみき いはたけ)が国政一般の報告書(朝集帳)を
都に届けるにあたって催された宴での送別歌。
遠路の任務の苦労をねぎらうと共に、美しい紅葉路を行く人に対する羨望が
感じられる1首です。

「 時雨の雨 間(ま)なくな降りそ 紅(くれなゐ)に
    にほへる山の 散らまく惜しも 」 
                           巻8-1594 作者未詳(既出)


( 時雨の雨よ そんなに絶え間なく降らないでおくれ。
  こんなに降ると美しく紅色に照り映えている山の紅葉が散ってしまうよ。
  まだまだ散らすのには惜しいものなぁ )

738年 光明皇后の祖父、藤原鎌足の70周忌にあたり法会が行われた時に
出席者一同で唱和されたもの。
一種の無常観を感じてのことのようですが、この歌はもともと仏教に関係なく、
散り失せるもみじを惜しむ心を詠んだ歌で、「紅にほう」と赤色を使用した
珍しい例です。

北から始まった紅葉前線は今や関西でたけなわ。
京都の高山寺や東福寺、奈良の室生寺や長谷寺は大勢の人たちで
ごった返していることでしょう。
ゆっくりと楽しむため早起きして一番乗り。
では、では、朝靄かすむ長谷寺の長い石段を登るといたしましょうか。

    「 大紅葉 燃え上がらんと しつつあり  」 高濱虚子
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by uqrx74fd | 2015-11-13 06:35 | 植物

万葉集その五百五十一 (芝草)

( 芝草 現代名 力芝  山辺の道 奈良)
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(  野の花々   飛鳥 )
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(  同上  芝草は花の引立て役  同上 )
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(  同上  山辺の道 )
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( 同上    同上 )
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( 薊  同上 )
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( 鶏頭   飛鳥 )
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( 彼岸花 露草 吾亦紅  同上 )
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(  ススキ キバナコシモス  同上 )
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「芝草」は現在、力芝(チカラシバ)とよばれるイネ科の多年草で全国各地の
日当たりのよい草原や道端に生えます。
地面にしっかり根を張り、力一杯引っ張ってもなかなか抜けないのでその名があり、
秋に高さ50㎝内外の茎の先にブラシのような紫色の花穂を付けますが地味、
気を付けて観察しないと見過ごしてしまいそうな存在です。
それでも美しい花々の引き立て役、歌の世界では情緒を醸し出す主役となるのです。

万葉集では2首登場し、いずれも道端に生い茂っている雑草として
詠われています。

「 たち変(かは)り 古き都と なりぬれば
      道の芝草(しばくさ) 長く生ひにけり 」
                             巻6-1048 田辺福麻呂
 

( あの華やかな都の様子がすっかり変わり、今や古びた廃墟になってしまった。
 道の芝草も生茂り、伸び放題になっていることよ )

740年 大宰府で藤原広嗣が反乱を起こしたことに衝撃を受けた聖武天皇は
平城京から恭仁京(山背)へ都を遷します。
建物はすべて解体移設され、官人たちも新しい京に異動。
きらびやかな奈良の都は瞬く間に荒廃し、人も馬も通らない道は草茫々となって
しまいました。
最後の宮廷歌人といわれる作者は元正太上天皇が新都に移住する折に長歌とともに
この歌を詠い、去りゆく旧都の地霊を鎮めたものと思われます。

   「 畳薦(たたみこも) 隔て編む数 通はさば
          道の芝草 生ひずあらましを 」
                       巻11-2777 作者未詳


( 畳にする薦(こも)を 隔て隔てして編む、 その編み目の数ほど頻繁に
  通って下さったら 道の芝草も生い茂ったりしなかったでしょうに )

畳薦(たたみこも)はイネ科のマコモで編んだむしろのような敷物。
竹の小片で作った筬(おさ)という道具を用いて編みますが大変根気がいる仕事です。
「 私のもとに通ってくれなくなってからどれくらいになるのかしら。
  あまりにも間遠くなったので、通い道が草茫々になってしまった。
  はぁー。」
と、誠意なく遠のいた男を恨む女です。

いささか大げさな詠いぶりで、宴席での余興歌であったかもしれません。

「 訪(と)ふ人も あらし吹きそふ 秋は来て
      木の葉に埋(うづ)む  宿の道芝 」 
                      俊成卿女(藤原俊成の孫娘) 新古今和歌集


( もはやあの人は訪れてこないでしょう。
 ただでさえ淋しい上に嵐が吹く秋がやってきて、
あの方が踏み分けてきた私の家の道芝は、木の葉に埋もれてしまいました )

平安時代になると芝草は道芝と詠われ、道端に生える草の総称になります。
この歌では丈の短い芝。

「訪ふ人もあらじ」「あらし吹きそふ」と、「あらし」に「嵐」と「有らじ」を掛け、
王朝時代の洗練された恋歌となっています。

一見地味な存在である道端の雑草ですが、歌人の興趣を引くのか、
今もなお四季折々の情景や野焼きの芝まで広がりを見せて詠われており、
逞しい生命力の強さを誇っているようです。

  「 枯芝の 土手の日当たり をりをりに
           土の乾きの こぼるるけはい 」   島木赤彦


ある冬の一日。
ポカポカと暖かい日ざしをうけ、かすかに湯気でも立っているのでしょうか。
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by uqrx74fd | 2015-10-22 19:42 | 植物