カテゴリ:植物( 206 )

万葉集その五百六十 (十両:ヤブコウジ)

( 十両:ヤブコウジ 市川万葉植物園  千葉県 )
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(  同  六義園  東京都 )
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( ツルヤブコウジ 横に伸びる珍しい品種  奈良万葉植物園 )
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( 千両 黄色、赤色  皇居東御苑 )
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( 万両  市川万葉植物園  )
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( 手前 十両:ヤブコウジ 左:千両  右:百両  後方:万両  浜離宮庭園 )
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( 手前右  十両 
     左  一両:アリトウシ:蟻も通さない細かい刺があるのでその名があるが
        お金が年中あり通しでめでたいとされている 
  中央:百両 後方左:千両   同右:万両     六義園 )
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( 同上説明文  画面をクリックすると拡大出来ます)
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( 龍の髭  奈良万葉植物園  )
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「 鶺鴒(せきれい)の 来鳴くこのごろ 藪柑子
    はや色づきぬ 冬のかまへに 」    伊藤左千夫


十両の正式名は藪柑子(やぶこうじ)、古くは山橘とよばれ、高さ10㎝~30㎝の
常緑小低木です。
夏に白または淡緑色の小花を咲かせたのち青い実をつけ、晩秋霜下りる頃
鮮やかな赤色に熟します。
藪の中で自生し、葉の形が蜜柑に似ているのでその名があるそうですが、
鮮やかな紅色、丸々とした可愛い実はサクランボのよう。

同じヤブコウジ科で葉の下に実が付く万両、百両。
葉の上に実が付くセンリョウ科の千両。
メギ科の南天。
ともに花の乏しい冬を彩り、生花にも無くてはならない存在です。

万葉集での山橘5首、いずれも美しい色の実を愛でたものばかりで、
花を詠ったものはありません。
5mm程度の小花ゆえ、目立たなかったのでしょうか。

「 消(け)残りの 雪にあへ照る あしひきの
     山橘を つとに摘み来(こ)な 」  
                        巻20-4471 大伴家持


( 幸い消えずに残っている白い雪に映えて、ひとしお赤々と照る山橘、
 その実を土産にするため、採りに行こう )

家持難波出張の折の歌。
眼前の残雪に映える山橘を見ながら、帰途、山中の藪で美しい実を
付けているさまを想像し、奈良の都で留守番をしている妻への土産にしたいと
思っています。
赤と白の対比が鮮やかに印象に残る一首。

「あへ照る」: 雪と山橘が互いに照り映えているさま
「つと」: 藁に包んだ土産品

「 あしひきの 山橘の 色に出でて
     我(あ)は恋ひなむを 人目(ひとめ)難(かた)みすな 」
                                   巻11-2767 作者未詳


( 山の木陰の山橘の真っ赤な実のように、私の恋心はあたりかまわず
 顔に出してしまいそうだ。
 なのに、あなたは人目を気にするなんて!
 周りのことなんか気にしないでくれ 。)

「色に出でて」 山橘の赤い実のように人目につく。
「人目 難(かた)みすな」 人目に立つのを難儀に思ったりするな

 恋は秘密にと云うのが古代の流儀。
 なのに、もう我慢できないと訴える男。

「 あしひきの 山橘の 色に出(い)でよ
    語らひ継ぎて  逢ふこともあらむ 」
                           巻4-669 春日王


( 鮮やかな赤色の実をつけている山橘。
 その色のように いっそ気持ちを表に出して下さい。
 もう人目を忍ぶのはやめましょう。
 そうすればいつでも逢えるし、話もできるではありませんか。)

「なまじ人目をはばかり想いを秘めていては、いつ逢えるか分からないので
いっそのこと、思いのたけを出しましょうよ。
山橘は秋から冬にかけて青から鮮やかな赤色に変わるではありませんか。
我々もそのように変身しましょう」
と詠う作者は天智天皇の孫。

相手の女性の素性は不明ですが禁断の恋だった?

「 紫の糸をぞ 我が縒(よ)る あしひきの
    山橘を 貫(ぬ)かむと思ひて 」
                       巻7-1340 作者未詳(既出)


( 紫色の糸を私は今一生懸命に縒(よ)りあわせております。
  山橘の赤い実をこれに通そうと思って )

「山橘を貫く」は好きな相手と結ばれることをも暗示しています。
 小さな実に糸を通して薬玉を作り、惚れた相手と結ばれることを願う女心。
 赤い実が燃えさかる恋の炎を象徴しているようです。

山橘は群青色の山菅(龍の髭)と並べると色の対比が鮮やかな上、
厳寒の中を生き抜く逞しさをもつので、その生命力にあやかり、
髪飾りにしたり、祝い事のご祝儀に添えて用いられたそうです。

今年も数々の庭園や部屋の生花で新年の彩りをそえてくれることでしょう。

    「 遠き日の 小さき恋や 藪柑子 」 鈴木龍江
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by uqrx74fd | 2015-12-24 19:52 | 植物

万葉集その五百五十五 (尾花)

( 朱雀門前で靡く尾花   平城宮跡  奈良 ) 
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(  同上 )
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(  正歴寺への道の途中で   奈良 )
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(  石舞台公園  飛鳥  奈良 )
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(   同上  )
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(   同上 )
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(   同上 )
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(  仙石原    箱根 )
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( 尾花に寄生するナンバンギセル  高松塚公園  飛鳥 )
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(  尾花に寄り掛かる萩  石舞台公園   飛鳥 )
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「 たけたかく 芒(すすき)はらりと 天の澄み 」 飯田蛇笏

万葉集で秋を彩る植物と云えば黄葉と秋の七草。
             (萩、尾花、葛、撫子、女郎花、藤袴、桔梗)
中でも萩は圧倒的な人気を誇り141首も詠まれています。
ところが万葉人の中には次のように詠っている風流な御仁もいるのです。

「 人皆は 萩を秋と言ふ よし我れは
      尾花が末(すえ)を 秋とは言はむ 」 
                         巻10-2100 作者未詳(既出)


( 世の人々は 萩の花こそ秋を代表するものだという。
 なになに、俺様は尾花の穂先こそ秋の風情だと言おうではないか )

ススキの穂が波のように光りながら銀色にきらめく。
作者は日本人の心の風景とも云うべき芒が風に吹かれて靡くさまに
最高の秋らしい美観を見出しているのです。

この歌を年来の友人に紹介すると次のようなコメントをくれました。

「 実はボクも萩ではなく芒派です。
  夏の終わりごろ、まだ猛暑が続いていても芒が真新しい赤みがかった穂を
  出しているのを見かけると秋を感じます。
  写真の場合は順光で撮ることは少なく透過光による美しさを出すために
  ほとんどの場合、逆光で撮ります。 」

さすがカメラマン、穂が出たばかりの芒は赤いということも知っていました。
古代の人が「まそほ(蘇芳色)の芒」と呼んでいたものです。
因みに秋の七草で黄色は女郎花のみ。
あとはすべて紫がかった薄紅色。
万葉人の紫に対する憧れは大なるものがありました。
  
注: 紅葉は特定の木を指すものではなく、木々が色づいた様をいうので植物数は
   参考として取り扱われ136首。
   尾花35首 葛 20 撫子26 女郎花 15 藤袴1 桔梗(朝顔) 5首。

「 はだすすき 穂には咲き出ぬ 恋をぞ我がする
      玉かぎる ただ一目のみ 見し人ゆゑに 」
              巻10-2311  作者未詳 (旋頭歌)


( はだすすきがまだ穂には咲き出していないように
  私はそぶりには出さない秘めた恋をしています。
  玉がちらっと光るように ただ一目だけ見たあの人ゆえに )

「はだすすき」は「肌すすき」で穂が皮ごもりしている芒。
 8月~9月にかけて穂を出す芒は、葉鞘につかえてなかなか飛び出せません。
 やがて大きく膨らんで横から皮を破ってちぢれた花穂が恥じらうように顔を出します。

「 秋津野に 尾花刈り添へ 秋萩の
       花を葺(ふ)かさね 君が仮蘆(かりほ)に 」
                巻10-2292 作者未詳

( 秋津野の尾花を刈り添えて、秋萩の花をお葺きあそばせ。
  あなたさまの仮のお住まいに )

秋津野は持統天皇が好んだ吉野離宮があったところ。
吉野へ旅立つ男に仮の住まいに萩の花をのせて私を思い出して欲しいと
詠ったようです。
風雅な女性ですね。
男はお供の一人だったのでしょうか。
大人数で宿が足りず仮小屋に滞在した?

ここでは尾花が屋根葺きの材料に使われていたことを教えてくれています。

「 さを鹿の 入野のすすき 初尾花
    いづれの時か 妹が手まかむ 」
                           巻10-2277 作者未詳


( 雄鹿が分け入るという入野のすすきの初尾花
 その花のように初々しい子
 一体いつになったらあの子の手を枕にすることができるのだろうか)

相手はまだ少女。 
成人して結婚できる日を待ち焦がれている男。
入野は奥まった山の、実り豊かな野の共有林であることが多いそうです。

「 ほほけたる 尾花に風の 遊ぶ見ゆ
               尾花拒まず またあそぶらし 」    斎藤 史


「ほほけたる」 乱れほどけた

万葉人は芒の生態をよく観察し、穂が出ていないものを「はだすすき」
穂が旗のように靡くものを「はたすすき」、葉の細いものを「細野(しの)すすき」、
花のように見える「はなすすき」、屋根葺く材料を「草(かや)すすき」と区別していました。
「尾花」も花穂が動物の尻尾に似ているところから付けられたものです。

   「 しろがねの こがねの芒 鳴りわたる 」 平井照敏
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by uqrx74fd | 2015-11-21 05:55 | 植物

万葉集その五百五十四 (黄葉)

( 談山神社  奈良 )
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( 長谷寺    奈良)
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( 浄瑠璃寺   京都)
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(  同上 )
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( 大湯屋   二月堂参道の途中で   奈良 )
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( 吉城園    奈良 )
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( 春日大社参道途中のお休み処    奈良 )
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( 東大寺指図堂  奈良 )
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( 奈良公園  )
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(  同上 )
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(  同上 )
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( 正倉院近くの大仏池  奈良 )
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( 鹿は銀杏がお好き?  正倉院の前で   奈良 ) 
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「黄葉」は「もみじ」、古くは清音で「もみち」と訓みならわしていました。
秋が深まりゆくと共に、木々の葉が揉(も)み出されるように染まってゆく、
その揉出(もみち)が語源とされています。
万葉集で「もみち」は135余首も詠まれていますが、大半は「黄葉」や
「色づく」「もみつ」などと表記され「紅、赤」の字が見られるのはごく僅かです。

その理由は大和付近の山々は雑木が多く楓類が少なかった、あるいは万葉人が
黄色を好んだ、もしくは、黄も赤もすべて「黄」と表記したとも言われていますが、
定かではありません。
現在のように紅葉と表記されるようになったのは赤に対する憧れが強かった
平安時代からのようです。

「 秋山に もみつ木(こ)の葉の うつりなば
      さらにや秋を 見まく欲りせむ 」 
                           巻8-1516 山部王 (経歴未詳)


( 秋山のこの見事な黄葉、
 木の葉が散ってしまったなら、さらにいっそう見たくてたまらなくなるだろうなぁ。)

晩秋、山野のさまざまな木の葉が思い思いの色に染まって行く。
作者はその光景を眺めながら行く秋を惜しみ、翌年の黄葉に思いを馳せています。

「 あしひきの 山の黄葉(もみちば)今夜(こよひ)もか
    浮かび行(ゆ)くらむ 山川の瀬に 」 
                           巻8-1587 大伴書持(ふみもち
)

( あしひきの山の黄葉、この黄葉の葉は今夜も散って
  山あいの瀬の上を流れていることであろう )

左大臣橘諸兄の子奈良麻呂宅での宴で披露されたもの。

作者は昼間見た奥山の見事な黄葉が はらはらと散り、
川に浮かび流れている様子を瞼に思い浮かべています。
一枚また一枚、表を見せ、裏を返しながら散り落ちた色とりどりの葉が
小舟のように流れてゆく。
月の光を浴びてきらきら光りながら静かに、滑るように。

風情があり、感性豊かな作者の一首です。

「 祝(はふり)らが 斎(いは)ふ社(やしろ)の 黄葉(もみちば)も
    標縄(しめなは)越えて 散るというものを 」
                        巻10-2309 作者未詳


( 神官たちが崇(あが)め祀っているお社の黄葉(もみちば)でさえ
  しめ縄を飛び越えて散るというのに。 )

男がある女に惚れた。
ところが女は親の目を気にして外に出て逢ってくれない。

親の目を神域のしめ縄に譬え、
「 黄葉の葉でさえも軽々としめ縄を飛び越えてゆくではないか。
  お前さんも勇気を出して出ておいで」と
女に呼びかけたもの。
母親をしめ縄に例えるとは面白い。
きっと怖い存在だったのでしょう。

「 このしぐれ いたくな降りそ 我妹子(わぎもこ)に
    見せむがために 黄葉(もみち)取りてむ 」 
                        巻19-4222 久米広縄(ひろつな)


( この時雨よ そんなにひどく降ってくれるな
  いとしいあの子に見せるため 黄葉を折り取っておきたいのでな)

越中、広縄邸で催された宴での歌。
古代、木々の小枝を折り取って頭や着物に挿すことが粋とされ、
またその生命力にあやかろうとしていました。
黄葉を褒め、主人のもてなしへの感謝の気持ちもこめているようです。

「 あしひきの 山の黄葉に しづくあひて
     散らむ山道(やまぢ)を 君が越えまく 」
                       巻19-4225 大伴家持


( あなたさまが、これから越えて行かれる山道は険しいでしょうが
 黄葉はきっと見事なことでしょう。
 時雨と共にはらはらと散る黄葉。
 そんな山路を行かれるのですね  )

越中在任の秦伊美吉 石竹(はだのいみき いはたけ)が国政一般の報告書(朝集帳)を
都に届けるにあたって催された宴での送別歌。
遠路の任務の苦労をねぎらうと共に、美しい紅葉路を行く人に対する羨望が
感じられる1首です。

「 時雨の雨 間(ま)なくな降りそ 紅(くれなゐ)に
    にほへる山の 散らまく惜しも 」 
                           巻8-1594 作者未詳(既出)


( 時雨の雨よ そんなに絶え間なく降らないでおくれ。
  こんなに降ると美しく紅色に照り映えている山の紅葉が散ってしまうよ。
  まだまだ散らすのには惜しいものなぁ )

738年 光明皇后の祖父、藤原鎌足の70周忌にあたり法会が行われた時に
出席者一同で唱和されたもの。
一種の無常観を感じてのことのようですが、この歌はもともと仏教に関係なく、
散り失せるもみじを惜しむ心を詠んだ歌で、「紅にほう」と赤色を使用した
珍しい例です。

北から始まった紅葉前線は今や関西でたけなわ。
京都の高山寺や東福寺、奈良の室生寺や長谷寺は大勢の人たちで
ごった返していることでしょう。
ゆっくりと楽しむため早起きして一番乗り。
では、では、朝靄かすむ長谷寺の長い石段を登るといたしましょうか。

    「 大紅葉 燃え上がらんと しつつあり  」 高濱虚子
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by uqrx74fd | 2015-11-13 06:35 | 植物

万葉集その五百五十一 (芝草)

( 芝草 現代名 力芝  山辺の道 奈良)
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(  野の花々   飛鳥 )
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(  同上  芝草は花の引立て役  同上 )
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(  同上  山辺の道 )
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( 同上    同上 )
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( 薊  同上 )
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( 鶏頭   飛鳥 )
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( 彼岸花 露草 吾亦紅  同上 )
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(  ススキ キバナコシモス  同上 )
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「芝草」は現在、力芝(チカラシバ)とよばれるイネ科の多年草で全国各地の
日当たりのよい草原や道端に生えます。
地面にしっかり根を張り、力一杯引っ張ってもなかなか抜けないのでその名があり、
秋に高さ50㎝内外の茎の先にブラシのような紫色の花穂を付けますが地味、
気を付けて観察しないと見過ごしてしまいそうな存在です。
それでも美しい花々の引き立て役、歌の世界では情緒を醸し出す主役となるのです。

万葉集では2首登場し、いずれも道端に生い茂っている雑草として
詠われています。

「 たち変(かは)り 古き都と なりぬれば
      道の芝草(しばくさ) 長く生ひにけり 」
                             巻6-1048 田辺福麻呂
 

( あの華やかな都の様子がすっかり変わり、今や古びた廃墟になってしまった。
 道の芝草も生茂り、伸び放題になっていることよ )

740年 大宰府で藤原広嗣が反乱を起こしたことに衝撃を受けた聖武天皇は
平城京から恭仁京(山背)へ都を遷します。
建物はすべて解体移設され、官人たちも新しい京に異動。
きらびやかな奈良の都は瞬く間に荒廃し、人も馬も通らない道は草茫々となって
しまいました。
最後の宮廷歌人といわれる作者は元正太上天皇が新都に移住する折に長歌とともに
この歌を詠い、去りゆく旧都の地霊を鎮めたものと思われます。

   「 畳薦(たたみこも) 隔て編む数 通はさば
          道の芝草 生ひずあらましを 」
                       巻11-2777 作者未詳


( 畳にする薦(こも)を 隔て隔てして編む、 その編み目の数ほど頻繁に
  通って下さったら 道の芝草も生い茂ったりしなかったでしょうに )

畳薦(たたみこも)はイネ科のマコモで編んだむしろのような敷物。
竹の小片で作った筬(おさ)という道具を用いて編みますが大変根気がいる仕事です。
「 私のもとに通ってくれなくなってからどれくらいになるのかしら。
  あまりにも間遠くなったので、通い道が草茫々になってしまった。
  はぁー。」
と、誠意なく遠のいた男を恨む女です。

いささか大げさな詠いぶりで、宴席での余興歌であったかもしれません。

「 訪(と)ふ人も あらし吹きそふ 秋は来て
      木の葉に埋(うづ)む  宿の道芝 」 
                      俊成卿女(藤原俊成の孫娘) 新古今和歌集


( もはやあの人は訪れてこないでしょう。
 ただでさえ淋しい上に嵐が吹く秋がやってきて、
あの方が踏み分けてきた私の家の道芝は、木の葉に埋もれてしまいました )

平安時代になると芝草は道芝と詠われ、道端に生える草の総称になります。
この歌では丈の短い芝。

「訪ふ人もあらじ」「あらし吹きそふ」と、「あらし」に「嵐」と「有らじ」を掛け、
王朝時代の洗練された恋歌となっています。

一見地味な存在である道端の雑草ですが、歌人の興趣を引くのか、
今もなお四季折々の情景や野焼きの芝まで広がりを見せて詠われており、
逞しい生命力の強さを誇っているようです。

  「 枯芝の 土手の日当たり をりをりに
           土の乾きの こぼるるけはい 」   島木赤彦


ある冬の一日。
ポカポカと暖かい日ざしをうけ、かすかに湯気でも立っているのでしょうか。
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by uqrx74fd | 2015-10-22 19:42 | 植物

万葉集その五百四十八 (にこ草)

( ハコネシダ  小石川植物園 )
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( 同上  奈良万葉植物園 )
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(  同上、観賞用 アジアンタムと呼ばれている  yahoo画像検索 )
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(  アマドコロ  奈良万葉植物園 )
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(  アマドコロの花     yahoo画像検索 )
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「にこ草」とは「柔らかい草」の意で、現在のイノモトソウ科の「ハコネシダ」、
ユリ科の「アマドコロ(甘野老)」の2説ありハコネシダ説が有力です。

「ハコネシダ」は江戸時代、オランダ使節の随員であったケンフエル(博物学者、医者)が
箱根で採集し、産前産後の特効薬としたことから知られるようになり、
「和蘭草(オランダソウ)」ともよばれ、また、葉が黄緑色で扇形に広がり、
銀杏に似ているとことから「銀杏草」「銀杏忍(いちようしのぶ)」の別名もあります。

色、形が美しく育てやすいので、近年「アジアンタム」の名で栽培種が出回り、
鑑賞植物として人気を博しているようです。

万葉集で詠われている「にこ草」は4首。
小さな葉がニコニコ笑っているようにも見え、いずれも明るく愉快な恋の歌ばかりです。

「 足柄(あしがり)の 箱根の嶺(ね)ろの にこ草の
    花つ妻なれや 紐解かず寝む 」 
                          巻14-3370 作者未詳(既出)


( お前さんは箱根山の高嶺に咲いている「にこ草」かい。
 まるで手が届かない聖女、花妻みたいじゃないか。
 おれと寝るのが嫌なの?
 そうでないなら、紐を解いて一緒に寝ようよ。
 それとも 体の具合が悪いのかい?)
  

何らかの事情で妻から夜の共寝を拒絶された男の嘆き節。
「花つ妻」という美しい造語は清純な乙女を想像させ、神祭りの時などに
触れてはならない期間の妻、あるいは月の障りかもしれません。

当時、箱根で多く咲いていたのでしょう。
ハコネシダ説を裏付ける根拠になっている一首です。

「 葦垣(あしかき)の 中の にこ草 にこよかに
    我れと笑(え)まして 人に知らゆな 」 
                       巻11-2762 作者未詳


( 葦垣の中に隠れている にこ草。
 その名のように にこよかに私にだけ微笑みかけて下さいな。
 決して周りの人にそれと知られないようにね )

恋は秘密にと言うのが当時の鉄則。
人の噂になるとその恋は成就しないと信じられていた時代です。
初恋なのでしょうか。
憧れの目ざなしで夢みるような うら若き乙女です。

「 秋風に 靡く川びの にこ草の
    にこよかにしも 思ほゆるかも 」 
                      巻20-4309 大伴家持


( 秋風に靡く 川辺の にこ草ではないが
 もう秋風が吹きはじめたかと思うと にこにこ嬉しさがこみあげてくる)

この歌に
「七夕の歌、一人 天の川を仰ぎて作る」との詞書があります。

牽牛、織姫の待ちに待った再会に思いをいたしながら、自身も恋人との
逢い引きを頭にえがいているようです。
相好を崩しながら詠っている作者の様子が目に浮かぶ一首。

「 射(い)ゆ鹿(しし)を 認(つな)ぐ川辺の にこ草の
    身の若かへに さ寝し子らはも 」
                           巻16-3874 作者未詳


( 昔、狩りで矢を射立てた手負いの鹿の足跡を追って歩き廻ったものだ。
 そうそう、川のほとりで「にこ草」が咲いていた。
あの草のように俺もまだ若かったなぁ。
共寝した可愛いあの子は今頃どうしているだろうか  )

若き日の甘い恋を回想している一老人。
ここでの にこ草は柔らかい若草。
その上で一緒に寝たのです。

「認(つなぐ)」は「綱」と同根 足跡を追って追い求めるの意。
手負いの鹿は水を飲みに里へ出て斃れる習性をもつのだそうです。
「身の若かへに」 わが身が若かりし頃
 
男は好きな女性を見かけ、驚かそうと息をつめて後を追っていた?
鹿狩りに寓した野性の恋。

4首の「にこ草」には箱根、蘆垣、川のほとり(2首)と生育地が示されています。
箱根は別にして他の3首は、ハコネシダと断定するにはいささか無理があります。
シダ類は岩壁にへばりつくように生え、花も咲きません。

そこで出てきたのは「アマドコロ」説。
初夏に細長い釣鐘形の白い小花を咲かせます。
根茎は食用になり甘味があるので「甘野老」という漢字があてられ
「アマドコロ」と訓みます。

古くは「エミクサ」とよばれたことが「にこ草」説の根拠になっていますが
これは「海老草」(えびくさ)が訛ったもので「笑み草」ではありません。
根が肥厚して横に這う姿が海老に似ているところからその名があります。

漢方で強精剤として使われており、飲むと元気になるので「笑み草」?
いやいや、これは無理、無理。

結局のところ「にこ草」は 最初の歌はハコネシダ、残る3首は
柔らかい草の総称と考えるしかないようです。

  「 にこ草の 笑みにあふれる 恋心 」  筆者























 
   
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by uqrx74fd | 2015-10-01 19:39 | 植物

万葉集その五百四十七 (山藍:やまあい)

( 山藍 奈良万葉植物園   花芽から白い小花が咲く )
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( 山藍染めの製作工程 西川康行著 万葉植物の技と心 求龍堂 )
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( 同上  藤色に染め上る )
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( 巫女の神事の時の衣装  白い衣に染められた山藍の模様  どんど焼き 奈良春日大社)
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( 同上  大神神社  )
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( 唐橋幻想  本稿の万葉歌をイメージ  堀 泰明 奈良万葉文化館所収 )
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(  小忌衣:おみごろも  yahoo画像検索  )
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( 徳島藍染   同上 )
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山藍はトウダイ草科の多年草で我国最古の染料とされています。
山地の木陰に群生し、3月から4月にかけて白緑色の小さな花を咲かせ、葉は常緑。
古代の人はその葉や根をすりつぶして出た汁を直接衣類に摺りつけて染めていました。

この植物は藍という名前がついているにもかかわらず、濃紺のインディゴという
色素を含まないため、淡い青緑や薄紫色にしか染まらなかったようですが
青々と茂る葉から染められた上品な色は神聖かつ目出度いものとされ、
白衣に花や鳥の模様を摺りつけた神事用の衣服、とりわけ天皇の大嘗会に
着用する小忌衣(おみごろも)に用いられ現代にまで脈々と継続されています。
 
次の歌は万葉集で唯一山藍。
若い女性も山藍染めの衣服を着ていたことを示すものです。

まずは訳文から

「 ここ 片足羽川(かたしは がわ)の 
 赤い丹塗りの大橋
 この橋の上を 紅に染めた美しい裳裾を長く引き
 山藍染めの薄青い着物を着て
 ただ一人渡って行く子

あの子は若々しい夫がいる身なのか
それとも橿の実のように 独り夜を過ごす身なのか。
妻問いに行きたい可愛い子だけれど
どこのお人か知りたいが その家が分からないことよ 」 
                               巻9-1742 高橋虫麻呂

「 しなでる 片足羽川(かたしはがわ)の 
  さ丹塗りの 大橋の上ゆ
  紅の 赤裳裾引き(あかもすそびき)き 
  山藍(やまあい)もち 摺れる衣(きぬ)着て
  ただひとり い渡らす子は
  若草の 夫(つま)かあるらむ
  橿(かし)の実の  ひとりか寝(ぬ)らむ
  問(と)はまくの 欲しき我妹(わぎも)が  家の知らなく 」
 
                                巻9-1742   高橋虫麻呂

語句解釈

「しなでる」 (級照る) 片足羽川の枕詞
               片のつく地名にかかる
               級(しな)とは坂、階段の意で
               重なるように日が照る、あるいは
               葛(くず:かたともいう)の葉が層をなして重なり日に照るの意とも。

「片足羽川」   大和川が竜田から河内へ流れ出たあたりの川

「橿の実の」   「ひとり」の枕詞 
           橿の実は一つの殻に実が一つしか入っていないことによる

裳裾は腰から下を被う衣服で現在の巻きスカートのようなもの。
紅の赤裳裾を引く女性の姿は当時の男性にとって官能をそそる魅力あるものでした。

朱塗りの大橋の上を一人行く美女に淡い憧れの情をよせる作者。
恐らく夕暮れのひとときなのでしょう。
茜色の夕焼け、朱色の橋、紅色の裳裾に山藍染の衣。

想像するだけでも色彩感豊かな情景が目に浮かびます。
ロマンティックな雰囲気の中にも作者の孤愁が漂う虫麻呂独特の世界です。

反歌

「 大橋の 頭(つめ)に家あらば ま悲しく
              ひとり行く子に やど貸さましを 」 
                                  巻9-1743 高橋虫麻呂


( 大橋のたもとに私の家があったら 
  わびしげに行くあの子に 宿を貸してあげたいのだがなぁ )

   「 頭(つめ) 」 端(つま)と同根の言葉。 ここでは「橋のたもと」

   「 ま悲しく 」  「わびしそうに」の意であるが 悲しは「愛(かな)し」で
             「いとおしい」気持ちが含まれる。

当時河内は渡来人が多く住む先進文化の地で、丹塗りの大橋が掛かるところは高級住宅街。
麗しき女性は上流階級の子女だったのでしょうか。
家の所在が分かれば求婚をしたいという作者の気持ちが籠ります。

「 石根山(いわねやま) やま藍(ゐ)にすれる 小忌衣(をみごろも)
      袂(たもと)ゆたかに 立つぞうれしき 」
            大江匡房(おおえまさふさ)  新千載和歌集

( 石根山で採った山藍で摺り染めた小忌衣
 そのあでやかな袂のように 満を持して皇位にお立ちになるめでたさよ )

石根山は滋賀県甲賀郡の岩根山

鳥羽天皇の大嘗会の席上での賀歌
大嘗会は天皇即位後初めて新穀を神に奉げる一代一回の極めて重要な祭りごとです。

「小忌衣」(おみごろも)とは白布に山藍の汁で草木や小鳥などの文様を描いて
摺りつけた狩衣に似た衣装で、現在、京都の石清水八幡宮で採れる山藍が
用いられ、京都の葵祭、奈良の春日大社の衣装にも使われているそうです。

「 ゆふだすき 千歳(ちとせ)をかけて あしびきの
   山藍の色は かはらざりけり 」   
                                賀歌 新古今和歌集


( 神事に奉仕するときに木綿襷(ゆふたすき)をかけて着る山藍摺りの衣の色は
 千歳にわたって変わらないなぁ )

神事の長さを詠うことによって、その神に守られている天皇を慶祝する意味を
籠めています。
染色法も摺り染めから、乾燥したものを搗き出して銅塩などの媒染剤を
用いたりして安定したものになっていたようです。

一方、純粋な藍染めは4~5世紀にかけて中国からタデ科のタデが渡来しており
その美しい色は多くの人々を魅了し、播磨、京都、摂津、和歌山ほか
各地で盛んに生産され、税としても貢納されました。

奈良時代には既に高度な染色技術が確立しており、衣服、料紙、経典など
様々なものに用いられ、正倉院御物にも色鮮やかな作品が残されています。

藍染が最盛期を迎えるのは木綿が安価に供給されるようになった江戸時代からで
特に徳島の阿波藍は全国の生産量の三分の一を占めたと云われています。

明治維新以降安価で色鮮やかなインド藍が輸入されるようになると
タデ藍の生産は大打撃をうけ、さらに1897年に始まったドイツのバイエル社による
合成インジゴの生産により、タデ、インド藍による染色は共に壊滅的な打撃を
受けました。

今日、安全志向が高まる中、再び天然染料が注目され、技術保存の努力もなされて、
徐々に生産復活の兆しが見えるようです。

    「 ふるさとや 今も名残の 藍植うる 」  清水良艸(りょうそう)
























 
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by uqrx74fd | 2015-09-26 21:09 | 植物

万葉集その五百四十三 (ノキシノブ)

( 巨木に生えているノキシノブ  唐招提寺 奈良 )
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( ノキシノブの胞子嚢(ほうしのう)  長谷寺  奈良 )
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( 神木杉の苔と一緒に生えているノキシノブ  大神神社  奈良 )
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( ツリシノブ   ほおずき市  浅草 )
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( ほおずきと一緒にならぶツリシノブ)
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( ほおずき市は美人揃い  浅草 )
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(  同上 ついつい買ってしまいます )
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( 万葉人が 恋忘れ草 と呼んだヤブカンゾウ )
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( 同上  ノカンゾウ )
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「ノキシノブ」はウラボシ科の常緑多年草で古くは「シダクサ」とよばれました。
古木の樹皮や岩、崖、家の屋根などに根茎を分枝して着生する羊歯(しだ)類で
昔、屋根の軒場(のきば)によく生えていたことに由来する命名です。

花は咲かず、20㎝ほどの葉は柳のように細長く、表面は緑。
裏面に褐色の胞子嚢(ほうしのう)があり

「 朽ちかけて 苔むす幹の しのぶ草
        ことごとく葉うらに 胞子をやどす 」    坂本凱二


とも詠われています。

乾燥して煎じて飲めば利尿に効ありとされ、別名ヤツメランとも。

「 わがやどは 甍(いらか)しだ草 生ひたれど
       恋忘れ草 見るに いまだ生ひず 」 
                      巻11-2475 柿本人麻呂歌集(既出)


 ( 我家の屋根の軒(甍)に「しだ草」がいっぱい生えているけれど、
  恋の苦しみを忘れさせるという恋忘れ草はいくら探してみても
  ちっとも生えてくれません。 )
 
万葉集唯一の「しだ草」です。
恋の苦しさから逃れたいと願いながらも忘れることが出来ず悶々としている男。

「忘れ草」とは現在の萱草とされ、「萱」という字には忘れるという意味があるそうです。
別名「ヤブカンゾウ」ともよばれ、中国原産の「本萱草」の変種とされていますが、
この母種は我国には存在せず、古い昔に渡来したものが今では完全に我が風土に
帰化したものと考えられています。

夏の山々や高原を美しく彩る「ニッコウキスゲ」、「ユウスゲ」、「エゾキスゲ」
「ノカンゾウ」なども同じワスレグサ属の仲間です。

平安時代になると「しだ草」は「忍ぶ草」という優雅な名前に変わります。

「 わが宿の 忍ぶ草おふる 板間あらみ
     降る春雨の もりやしぬなむ 」        紀貫之


( 我家は忍ぶ草が生い茂ってる古家。
 板を張った屋根の隙間が荒いので春雨が漏っているのではないかなぁ。)

「ポトリ、ポトリ」と音が聞こえてくる。
草茫々の屋根から雨漏りがしているのかしらと訝(いぶか)る作者。
荒れ放題の屋敷で悠然と春雨を楽しんでいる姿が目に浮かびます。

「 君しのぶ 草に やつるる ふるさとは
     松虫の音(ね)ぞ 悲しかりける 」
                            古今和歌集 詠み人しらず


( あなたを偲ぶという名をもつ「忍草」が生い茂って荒れ果てているこの地。
 お出ましを待って鳴く松虫の声が悲しく聞こえておりますこと )

「(あなた)を偲ぶ」と「忍草」、 「松虫」と「待つ」を掛けています。

「やつるる」は 荒れ果てた 
「ふるさと」は 二人で過ごした思い出の地

男が通ってこなくなった女の悲しみ。
茫々に生えた忍草と松虫の声が寂寥感を誘います。

ノキシノブは古木、岸壁、古家などいたるところで見られますが
「釣りしのぶ」は夏の風物詩。
葉のついた忍草の根茎を井桁(いげた)や舟形に仕立てたもので
軒や出窓につるし、水を滴らせたりします。

江戸時代、深川周辺の植木屋によって作られ、出入りの屋敷で飾られるように
なったそうですが、深山に生える苔や羊歯の清涼感と
疫病、魔除けとして取り付けられた風鈴の涼やかな音が人気をよび、
瞬く間に全国に広まったそうです。

現在は一般の家庭で飾るところは少ないようですが、毎年7月上旬、
浅草寺境内で催される「ほおずき市」でその風雅な姿を見ることができます。

「 忍ぶ釣 軒に寄添ふ 女かな 」 高桑蘭更(たかくわ らんこう)
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by uqrx74fd | 2015-08-27 17:04 | 植物

万葉集その五百四十二 ( 葵 )

( 冬葵 フユアオイ  春日大社神苑 万葉植物園 )
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(  同上 )
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(  同上    自宅近くの花壇で )
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(  立葵  タチアオイ  山辺の道  奈良 )
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(  同上 )
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( 同上 )
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( ウスベニアオイ    自宅 )
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( モミジアオイ   向島百花園   東京 )
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(  フタバアオイ    yahoo画像検索 )
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葵は古代「あふひ」とよばれ、万葉集に一首のみ詠われています。
他の食用の植物と共に詠われているので「冬葵」(フユアオイ)とされていますが
少数派ながら「立葵(タチアオイ)」説(牧野富太郎)もあります。

冬葵は中國原産、葵科の多年草で冬でも枯れないのでその名があり、
春から秋にかけて白や淡紅色の小花を次々と咲かせ若葉は食用に、
実は利尿に効ありとされている有用の植物です。

「 梨 棗(なつめ) 黍(きみ)に 粟(あは)つぎ 延(は)ふ葛の
      後(のち)も逢はむと 葵花(あふひはな)咲く 」
                                 巻16-3834  作者未詳


( 梨が生り棗(なつめ)や黍(きび)、さらに粟(あわ)も次々と実り、
 時節が移っているのに、あの方に逢えません。
 でも、延び続ける葛の先のように、
 「後々にでも逢うことが出来ますよ」
 と葵(あふひ)の花が咲いています。 )

言葉遊びの戯れ歌。
宴会で梨、棗(なつめ)、黍(きび)、粟(あわ)、葛、葵を詠みこめと囃されたものと
思われます。

すべて食用とされる植物ばかりで

「 季節を経て果物や作物が次から次へと収穫の日を迎えているのに、
  長い間愛しい人に逢えないでいる。
  でも葛の蔓先が長く這うように、長い日を経た後でも、きっと逢えるよと
  葵(あふひ)の花が咲いています。」

  つまり、「あふひ(葵)」を「逢う日」に掛けて見事な恋歌に仕立てたのです。

さらにこの歌は中国の艶物語「遊仙窟」の中の姉妹の次の会話をふまえているそうです。

「 相知不在棗 」 ( 相知ること棗(そう=早)にあらず) 
                ( あの方を愛しているなら早く決めなさい )

「 密不忍即分梨 」 ( 忍びずして すなわち分梨(ぶんり=離)す
                  ( あの方を愛していますが わざと離れているのです)

棗(なつめ)梨にそれぞれ「早、離」の意を含ませており、万葉歌は
この手法を応用したのかも知れません。
未詳の作者ながら相当な知識の持主。
これだけ多くの物の名を詠みこんだだけでも大した手腕です。

「 かくばかり 逢ふ日のまれに なる人を
    いかがつらしと 思はざるべき 」 
                       詠み人しらず  古今和歌集 


( これほどまでに 逢う日の稀になった人を 
  つれないと 思わずにいられましょうか )

逢う日に「あふひ(葵)」 「いかがつらし」の「がつら」に桂を掛け
葵と桂を詠みこんだ技巧歌。
愛する人に「つれなくされて辛い」と嘆く人は、男女どちらとでも解釈できそうです。

葵は京都の葵祭に欠かせないもので、ここでの葵はウマノスズクサ科の
フタバアオイ、徳川将軍家の紋所です。

「 忘れめや あふひを草に 引き結び
         かりねの野べの 露のあけぼの 」 
                      式子内親王(しょくしないしんおう) 新古今和歌集


( あの日のことを忘れることがありましょうか。
 葵を草枕として引き結んで仮寝した神域の野辺の露が
  しとどに置いたあけぼのを )

作者は後白河法皇の皇女。
若き頃、賀茂神社の神事に斎院として奉仕した頃の思い出。
詞に「神館(かんだち:修行場)で」とあるので野宿ではなく建物の中で
宿泊したもの。

「 夜がほのぼのと明けてゆく。
  ふと外を見やると霞んだ野辺に一面の葵。
  日がさしこんでくると、上に置かれた露がキラキラ光る。
  まるでダイヤモンドガ輝いているようだ。
  それは神々しい光、神の世界。 」

ここでの「あふひ」もフタバアオイです。

葵といえば立葵。
茎は直立して枝がなく2m以上にもなります。
ハート形の葉の付け根に5弁の花を付け、次々と咲き登ってゆき
紅、白、ピンク、紫など色とりどりです。

「 日につれて 咲き上りけり 立葵  」    闌更(らんこう 江戸中期)
















   
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by uqrx74fd | 2015-08-20 18:15 | 植物

万葉集その五百四十一 (朝顔、昼顔、夕顔)

( 何度も交配を重ねた変化朝顔  国立歴史民俗博物館付属 くらしの植物苑 (千葉県佐倉市)
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( ヒルガオ科  空色朝顔   同上 )
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( 昼顔   同上 )
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( 夕顔  自宅 )
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(  朝顔市  東京入谷 )
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万葉集で朝顔を詠ったものが5首あり、通説では桔梗のこととされています。
「顔」と言う字はもともと美しい容貌を言い、転じて花を指すようになったそうですが、
何故「朝顔」が「桔梗」なのか?

「 萩の花 尾花葛花 なでしこの花
   をみなへし また藤袴 朝貌(あさがほ)の花 」 
                     巻8-1538  山上憶良 (秋の七草)

「 朝顔は 朝露負(お)ひて 咲くといへど
    夕影にこそ 咲きまさりけれ 」 
                    巻10-2104 作者未詳

( 朝顔は朝露を受けて咲くというけれども、夕方の光の中でこそ、
  なお一層その美しさが際立つものなのですね。)

先ず、憶良の歌は秋に咲く花7種。
作者未詳歌は夕方になると映える花。
夏の花であり夕べに萎む朝顔はこの2首に該当しません。

さらに、我国最初の漢和辞典「新撰字鏡」(901年頃:僧 昌住著)に
「桔梗、阿佐加保(アサカホ) 又云う 岡止々支(オカトトキ=桔梗の別名)」
の記述があり、中国から朝顔(牽牛花)が渡来したのは平安時代となれば、
キキョウ説が主力となるのは無理からぬところです。

「 君来ずは たれに見せまし 我が宿の
      垣根に咲ける 朝顔の花 」      読み人知らず 拾遺和歌集


 平安時代、垣根に咲くと詠われたこの花は間違いなく朝顔です。

 然しながら、2015年7月31日付 夕刊読売新聞で伊藤重和氏(変化朝顔研究会)が
「 朝顔は奈良時代に薬草として持ち込まれた 」と述べておられ、
もしそうであるならば、下記の万葉歌は朝顔と解釈することも可能になります。

「 わが目妻(めづま) 人は放(さ)くれど 朝顔の
                    としさへこごと 我(わ)は離(さか)るがへ 」 
                                   巻14-3502  作者未詳
( 俺のいとしい人 他人は引き離そうとするけれど
      あのように朝顔のような美しい子を 幾年経(た)とうと離したりするものか )

目妻は愛(め)づる人。
「年さへこごと」は難解で学説が別れますが、「年を経ようとも」の意か。

正式な結婚までいっていないのでしょうか、
周りの人が反対して二人の間を割こうとしているようです。
朝顔は愛しい人を譬えたもの。

「 臥(こ)いまろび 恋ひは死ぬとも いちしろく
               色には出(い)でじ 朝顔の花 」 
                      巻10-2274 作者未詳(既出)


( あなたのことを思い悩んで夜も寝られず毎晩寝返りばかり打っている私。
  万が一、恋患いのまま死んでしまうようなことがあっても、
  朝顔の花が咲くように、はっきりと顔に出すようなことはいたしますまい )

「臥(こ)いまろび」の原文表記は「展転」:「横になってころがる」意で
「激しい嘆きや悲しみの姿態として好んで使われる言葉(伊藤博)だそうです。
「灼然(いちしろく)」は→「いちしるし」→「いちじるしい」と現代語に転訛しました。

心の内に秘めた恋の炎。
激しければ激しいほど決して顔に出すまいと決心する。
この女性に桔梗を当てはめると着物姿のキリリとした姿。
朝顔なら浴衣姿の艶な姿。
どちらも甲乙つけがたい。

「うす曇 遠かみなりを 聞く野辺の
              小草がなかの  昼顔の花 」  木下利玄


万葉集で「貌花」と詠われているものが四首あり、
昼顔、カキツバタ、オモダカ、ムクゲ、キキョウ説がありますが昼顔が有力です。

「 高円の 野辺(のへ)の貌花(かほばな) 面影に
          見えつつ妹は 忘れかねつも 」 
                          巻8-1630 大伴家持


( 高円の野辺に咲きにほふ かほ花
 この花のように面影がちらついて
 あたたを忘れようにも忘れられない )

聖武天皇東国巡幸に従った作者が妻、坂上大嬢に贈ったものですが、
昼顔は朝顔ほど華やかではなくどちらかと言えば地味。
作者は単なる美しい花の比喩で「貌花」と詠ったのかもしれません。

昼顔は全国各地の野原、道端など日当たりの良い所ならどこにでも生える
つる性の多年生草本で、夏になると付け根から花柄を出し、その先端に
5cmほどの朝顔に似た紅紫色の花を咲かせます。

「暮そめて 草の葉なびく 風のまに
     垣根すずしき 夕顔の花 」 
                        拾遺愚草 (藤原定家の私歌集)


夕顔はウリ科の蔓性1年草で、夏の夜に平たく5裂した白い花を咲かせ
翌朝には萎みます。
瓢箪と同属で、干瓢の材料となる植物ですが、夕闇に白く浮かび上がる
優雅な姿が好まれ、源氏物語に

「心あてに それかとぞ見る 白露の
             光そへたる 夕顔の花 」  (夕顔の巻)

と詠われています。

夕顔は残念ながら万葉集には登場していません。

  「 夕顔の うしろの闇の 深さかな 」 池田草衣

以下は 「杉本秀太郎著 花ごよみ 講談社学術文庫」からです。

『 江戸も末近く、文化文政の頃、朝顔は江戸の人の栽培熱をあおりたてた。
    大輪,奇花を咲かせ競うのだ。
    江戸の流行はたちまち日本中にひろがり、とび散った朝顔の種は
    庭にも、垣にも、鉢にも、路傍にも、野ずえにも、それこそ浜の真砂の数ほどの
    花を朝ごとに咲かせるようになった。
    明治の世になると、朝顔はいっこうに珍しい花ではなくなった。』
  
国立歴史民俗博物館に付属する「くらしの植物苑」で毎年7月の終わりから夏の間、
珍しい朝顔が展示されます。
突然変異した様々な朝顔を何度も交配を重ねて生み出された変化朝顔も多く、
江戸時代の栽培熱を彷彿させてくれますが、その再現には大変な苦労が
あったことでしょう。

     「 朝顔の 昔の色の 濃むらさき 」  寺谷なみ女
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by uqrx74fd | 2015-08-13 10:35 | 植物

万葉集その五百四十 (檜扇、今盛りなり)

( 檜扇の蕾  ねじれているのは花が終わったもの  春日大社神苑 万葉植物園)
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( 花が開いた瞬間は黄色です    同上 )
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(  徐々に赤くなってゆく    同上 )
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(  美しく咲きました   同上 )
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(  まだまだ咲きます   同上 )
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( 秋になると莢がふくらむ    同上)
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 ( はじけて黒い種が顔を出す 古代の人はこの玉を 「ぬばたま」とよびました  同上 )
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(  名前の由来となった葉   扇を広げたよう   同上 )
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檜扇(ヒオウギ)はアヤメ科の多年草で、根元から広がる葉が檜で作られた扇に
似ているところからその名があります。
夏になると斑点交じりの黄赤色の美しい花を咲かせますが、夕方に
ねじれた棒のようになって萎む一日花です。

「 よわよわと 咲き始めたる 射千(ひおうぎ)の
    いろかなしきは ただ一日のみ 」       斎藤茂吉

                                                                                        
檜扇は「射千(やかん)」とも書きます。
漢方に由来する名で、乾燥させた根茎を喉や咳の薬として用いています。

秋に莢が弾けて光沢がある黒い種が飛び出しますが、古代の人達はこれを
「ぬばたま」とよびました。
万葉集で「烏玉」「黒玉」と原文表記されているものがあるので
「ぬば」は「黒」を意味するものと思われます。

この黒真珠のような美しい玉に魅了された万葉人は何と!79首もの歌を残しました。
ところが、不思議なことに植物そのものを詠ったものは一首もなく、
すべて黒いものに掛かる枕詞として用いられているのです。
中でも多いのは夜(43首)、黒髪(16首) 他に夜床、黒馬、夜霧、夢、など。

照明がない時代、夜の闇は現代よりはるかに暗くて長い。
恋人と共に過ごす時間は何よりの楽しみであったことでしょう。

「 ぬばたまの 黒髪敷きて 長き夜を
    手枕(たまくら)の上に 妹待つらむか 」 
                            巻11-2631 作者未詳


( 黒髪をふさふさと敷き靡かせながら この長い夜を 手枕にむなしく身をまかせて
 あの子はしきりに待っていることであろうか )

「今夜は行くぞ」と約束したのに何らかの理由で果しえなかった男。
女が黒髪を靡かせて寝ている姿を瞼に浮かべながら一人侘びしく過ごしている。
長い長い夜。
この歌の「ぬばたま」は黒髪に掛かる枕詞ですが艶やかな光沢ある長髪を
靡かせている恋人の官能的な寝姿を想像しながら悶えている男を想起させています。

「 ぬばたまの 夜渡る月の さやけくは
     よく見てましを  君が姿を 」 
                       巻12-30007  作者未詳


( 夜空を渡って行く月が皓皓と輝いていたら
 あの方の顔や姿を心ゆくまで見ることができたのに )

明かりが乏しかった当時、月の光が一番の照明。
その月が雲に隠れていて、愛する男の顔姿が良く見えなかったと嘆く純情な乙女です。

「 ぬばたまの 夜渡る月を おもしろみ
     我が居る袖に 露ぞ置きにける 」 
                        巻7-1081 作者未詳

( 夜空を移りゆく月、 この月があまりにも爽やかなので
 寝ないで楽しんでいるうちに 着物の袖がいつの間にか濡れてしまった )

「おもしろみ」 面白いので

清らかな月の光に魅せられて時間が経つのも忘れてしまった男
ぬばたまの夜は漆黒の闇。
それだけに月の光が美しく感じられたのでしょう。
縁側で一献また一献重ねているうちに、いつのまにか夜が更けてゆく。

「 ぬばたまの 黒髪変わり 白(しら)けても
     痛き恋には 逢ふ時ありけり 」 
                          巻4-573 沙弥満誓(さみ まんぜい)

( 黒髪が真っ白に変わる年になっても
 こんなにも強く惹かれる恋心。
 そんなこともあるのですね。
 あなたが懐かしくって、懐かしくって。 )

筑紫在住の大伴旅人が都へ転任になったのち、作者が旅人に贈ったもの。
よほど心を許しあっていた友人同士だったのでしょう。
男が男に恋人仕立ての歌を贈るのは当時の流行だったらしく、この歌も
友情の強さを吐露したものです。

「 夏草の 野に咲く花の 日扇を 
                  狭庭に植つ 日々に見るかに 」  伊藤左千夫


ここ春日大社神苑 万葉植物園の檜扇は真っ盛り。
一日花ですが蕾が多く、次から次へと咲き続けています。
咲き終わった花はくるくる巻いた棒状に。
秋になれば莢が弾けて美しい玉が顔出すことでしょう。

「 九月になれば 日の光やはらかし
     射干(ひおうぎ)の実も 青くふくれて 」      斉藤茂吉

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by uqrx74fd | 2015-08-06 07:44 | 植物