カテゴリ:植物( 209 )

万葉集その五百四十二 ( 葵 )

( 冬葵 フユアオイ  春日大社神苑 万葉植物園 )
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(  同上 )
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(  同上    自宅近くの花壇で )
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(  立葵  タチアオイ  山辺の道  奈良 )
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(  同上 )
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( 同上 )
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( ウスベニアオイ    自宅 )
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( モミジアオイ   向島百花園   東京 )
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(  フタバアオイ    yahoo画像検索 )
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葵は古代「あふひ」とよばれ、万葉集に一首のみ詠われています。
他の食用の植物と共に詠われているので「冬葵」(フユアオイ)とされていますが
少数派ながら「立葵(タチアオイ)」説(牧野富太郎)もあります。

冬葵は中國原産、葵科の多年草で冬でも枯れないのでその名があり、
春から秋にかけて白や淡紅色の小花を次々と咲かせ若葉は食用に、
実は利尿に効ありとされている有用の植物です。

「 梨 棗(なつめ) 黍(きみ)に 粟(あは)つぎ 延(は)ふ葛の
      後(のち)も逢はむと 葵花(あふひはな)咲く 」
                                 巻16-3834  作者未詳


( 梨が生り棗(なつめ)や黍(きび)、さらに粟(あわ)も次々と実り、
 時節が移っているのに、あの方に逢えません。
 でも、延び続ける葛の先のように、
 「後々にでも逢うことが出来ますよ」
 と葵(あふひ)の花が咲いています。 )

言葉遊びの戯れ歌。
宴会で梨、棗(なつめ)、黍(きび)、粟(あわ)、葛、葵を詠みこめと囃されたものと
思われます。

すべて食用とされる植物ばかりで

「 季節を経て果物や作物が次から次へと収穫の日を迎えているのに、
  長い間愛しい人に逢えないでいる。
  でも葛の蔓先が長く這うように、長い日を経た後でも、きっと逢えるよと
  葵(あふひ)の花が咲いています。」

  つまり、「あふひ(葵)」を「逢う日」に掛けて見事な恋歌に仕立てたのです。

さらにこの歌は中国の艶物語「遊仙窟」の中の姉妹の次の会話をふまえているそうです。

「 相知不在棗 」 ( 相知ること棗(そう=早)にあらず) 
                ( あの方を愛しているなら早く決めなさい )

「 密不忍即分梨 」 ( 忍びずして すなわち分梨(ぶんり=離)す
                  ( あの方を愛していますが わざと離れているのです)

棗(なつめ)梨にそれぞれ「早、離」の意を含ませており、万葉歌は
この手法を応用したのかも知れません。
未詳の作者ながら相当な知識の持主。
これだけ多くの物の名を詠みこんだだけでも大した手腕です。

「 かくばかり 逢ふ日のまれに なる人を
    いかがつらしと 思はざるべき 」 
                       詠み人しらず  古今和歌集 


( これほどまでに 逢う日の稀になった人を 
  つれないと 思わずにいられましょうか )

逢う日に「あふひ(葵)」 「いかがつらし」の「がつら」に桂を掛け
葵と桂を詠みこんだ技巧歌。
愛する人に「つれなくされて辛い」と嘆く人は、男女どちらとでも解釈できそうです。

葵は京都の葵祭に欠かせないもので、ここでの葵はウマノスズクサ科の
フタバアオイ、徳川将軍家の紋所です。

「 忘れめや あふひを草に 引き結び
         かりねの野べの 露のあけぼの 」 
                      式子内親王(しょくしないしんおう) 新古今和歌集


( あの日のことを忘れることがありましょうか。
 葵を草枕として引き結んで仮寝した神域の野辺の露が
  しとどに置いたあけぼのを )

作者は後白河法皇の皇女。
若き頃、賀茂神社の神事に斎院として奉仕した頃の思い出。
詞に「神館(かんだち:修行場)で」とあるので野宿ではなく建物の中で
宿泊したもの。

「 夜がほのぼのと明けてゆく。
  ふと外を見やると霞んだ野辺に一面の葵。
  日がさしこんでくると、上に置かれた露がキラキラ光る。
  まるでダイヤモンドガ輝いているようだ。
  それは神々しい光、神の世界。 」

ここでの「あふひ」もフタバアオイです。

葵といえば立葵。
茎は直立して枝がなく2m以上にもなります。
ハート形の葉の付け根に5弁の花を付け、次々と咲き登ってゆき
紅、白、ピンク、紫など色とりどりです。

「 日につれて 咲き上りけり 立葵  」    闌更(らんこう 江戸中期)
















   
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by uqrx74fd | 2015-08-20 18:15 | 植物

万葉集その五百四十一 (朝顔、昼顔、夕顔)

( 何度も交配を重ねた変化朝顔  国立歴史民俗博物館付属 くらしの植物苑 (千葉県佐倉市)
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( ヒルガオ科  空色朝顔   同上 )
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( 昼顔   同上 )
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( 夕顔  自宅 )
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(  朝顔市  東京入谷 )
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万葉集で朝顔を詠ったものが5首あり、通説では桔梗のこととされています。
「顔」と言う字はもともと美しい容貌を言い、転じて花を指すようになったそうですが、
何故「朝顔」が「桔梗」なのか?

「 萩の花 尾花葛花 なでしこの花
   をみなへし また藤袴 朝貌(あさがほ)の花 」 
                     巻8-1538  山上憶良 (秋の七草)

「 朝顔は 朝露負(お)ひて 咲くといへど
    夕影にこそ 咲きまさりけれ 」 
                    巻10-2104 作者未詳

( 朝顔は朝露を受けて咲くというけれども、夕方の光の中でこそ、
  なお一層その美しさが際立つものなのですね。)

先ず、憶良の歌は秋に咲く花7種。
作者未詳歌は夕方になると映える花。
夏の花であり夕べに萎む朝顔はこの2首に該当しません。

さらに、我国最初の漢和辞典「新撰字鏡」(901年頃:僧 昌住著)に
「桔梗、阿佐加保(アサカホ) 又云う 岡止々支(オカトトキ=桔梗の別名)」
の記述があり、中国から朝顔(牽牛花)が渡来したのは平安時代となれば、
キキョウ説が主力となるのは無理からぬところです。

「 君来ずは たれに見せまし 我が宿の
      垣根に咲ける 朝顔の花 」      読み人知らず 拾遺和歌集


 平安時代、垣根に咲くと詠われたこの花は間違いなく朝顔です。

 然しながら、2015年7月31日付 夕刊読売新聞で伊藤重和氏(変化朝顔研究会)が
「 朝顔は奈良時代に薬草として持ち込まれた 」と述べておられ、
もしそうであるならば、下記の万葉歌は朝顔と解釈することも可能になります。

「 わが目妻(めづま) 人は放(さ)くれど 朝顔の
                    としさへこごと 我(わ)は離(さか)るがへ 」 
                                   巻14-3502  作者未詳
( 俺のいとしい人 他人は引き離そうとするけれど
      あのように朝顔のような美しい子を 幾年経(た)とうと離したりするものか )

目妻は愛(め)づる人。
「年さへこごと」は難解で学説が別れますが、「年を経ようとも」の意か。

正式な結婚までいっていないのでしょうか、
周りの人が反対して二人の間を割こうとしているようです。
朝顔は愛しい人を譬えたもの。

「 臥(こ)いまろび 恋ひは死ぬとも いちしろく
               色には出(い)でじ 朝顔の花 」 
                      巻10-2274 作者未詳(既出)


( あなたのことを思い悩んで夜も寝られず毎晩寝返りばかり打っている私。
  万が一、恋患いのまま死んでしまうようなことがあっても、
  朝顔の花が咲くように、はっきりと顔に出すようなことはいたしますまい )

「臥(こ)いまろび」の原文表記は「展転」:「横になってころがる」意で
「激しい嘆きや悲しみの姿態として好んで使われる言葉(伊藤博)だそうです。
「灼然(いちしろく)」は→「いちしるし」→「いちじるしい」と現代語に転訛しました。

心の内に秘めた恋の炎。
激しければ激しいほど決して顔に出すまいと決心する。
この女性に桔梗を当てはめると着物姿のキリリとした姿。
朝顔なら浴衣姿の艶な姿。
どちらも甲乙つけがたい。

「うす曇 遠かみなりを 聞く野辺の
              小草がなかの  昼顔の花 」  木下利玄


万葉集で「貌花」と詠われているものが四首あり、
昼顔、カキツバタ、オモダカ、ムクゲ、キキョウ説がありますが昼顔が有力です。

「 高円の 野辺(のへ)の貌花(かほばな) 面影に
          見えつつ妹は 忘れかねつも 」 
                          巻8-1630 大伴家持


( 高円の野辺に咲きにほふ かほ花
 この花のように面影がちらついて
 あたたを忘れようにも忘れられない )

聖武天皇東国巡幸に従った作者が妻、坂上大嬢に贈ったものですが、
昼顔は朝顔ほど華やかではなくどちらかと言えば地味。
作者は単なる美しい花の比喩で「貌花」と詠ったのかもしれません。

昼顔は全国各地の野原、道端など日当たりの良い所ならどこにでも生える
つる性の多年生草本で、夏になると付け根から花柄を出し、その先端に
5cmほどの朝顔に似た紅紫色の花を咲かせます。

「暮そめて 草の葉なびく 風のまに
     垣根すずしき 夕顔の花 」 
                        拾遺愚草 (藤原定家の私歌集)


夕顔はウリ科の蔓性1年草で、夏の夜に平たく5裂した白い花を咲かせ
翌朝には萎みます。
瓢箪と同属で、干瓢の材料となる植物ですが、夕闇に白く浮かび上がる
優雅な姿が好まれ、源氏物語に

「心あてに それかとぞ見る 白露の
             光そへたる 夕顔の花 」  (夕顔の巻)

と詠われています。

夕顔は残念ながら万葉集には登場していません。

  「 夕顔の うしろの闇の 深さかな 」 池田草衣

以下は 「杉本秀太郎著 花ごよみ 講談社学術文庫」からです。

『 江戸も末近く、文化文政の頃、朝顔は江戸の人の栽培熱をあおりたてた。
    大輪,奇花を咲かせ競うのだ。
    江戸の流行はたちまち日本中にひろがり、とび散った朝顔の種は
    庭にも、垣にも、鉢にも、路傍にも、野ずえにも、それこそ浜の真砂の数ほどの
    花を朝ごとに咲かせるようになった。
    明治の世になると、朝顔はいっこうに珍しい花ではなくなった。』
  
国立歴史民俗博物館に付属する「くらしの植物苑」で毎年7月の終わりから夏の間、
珍しい朝顔が展示されます。
突然変異した様々な朝顔を何度も交配を重ねて生み出された変化朝顔も多く、
江戸時代の栽培熱を彷彿させてくれますが、その再現には大変な苦労が
あったことでしょう。

     「 朝顔の 昔の色の 濃むらさき 」  寺谷なみ女
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by uqrx74fd | 2015-08-13 10:35 | 植物

万葉集その五百四十 (檜扇、今盛りなり)

( 檜扇の蕾  ねじれているのは花が終わったもの  春日大社神苑 万葉植物園)
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( 花が開いた瞬間は黄色です    同上 )
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(  徐々に赤くなってゆく    同上 )
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(  美しく咲きました   同上 )
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(  まだまだ咲きます   同上 )
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( 秋になると莢がふくらむ    同上)
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 ( はじけて黒い種が顔を出す 古代の人はこの玉を 「ぬばたま」とよびました  同上 )
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(  名前の由来となった葉   扇を広げたよう   同上 )
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檜扇(ヒオウギ)はアヤメ科の多年草で、根元から広がる葉が檜で作られた扇に
似ているところからその名があります。
夏になると斑点交じりの黄赤色の美しい花を咲かせますが、夕方に
ねじれた棒のようになって萎む一日花です。

「 よわよわと 咲き始めたる 射千(ひおうぎ)の
    いろかなしきは ただ一日のみ 」       斎藤茂吉

                                                                                        
檜扇は「射千(やかん)」とも書きます。
漢方に由来する名で、乾燥させた根茎を喉や咳の薬として用いています。

秋に莢が弾けて光沢がある黒い種が飛び出しますが、古代の人達はこれを
「ぬばたま」とよびました。
万葉集で「烏玉」「黒玉」と原文表記されているものがあるので
「ぬば」は「黒」を意味するものと思われます。

この黒真珠のような美しい玉に魅了された万葉人は何と!79首もの歌を残しました。
ところが、不思議なことに植物そのものを詠ったものは一首もなく、
すべて黒いものに掛かる枕詞として用いられているのです。
中でも多いのは夜(43首)、黒髪(16首) 他に夜床、黒馬、夜霧、夢、など。

照明がない時代、夜の闇は現代よりはるかに暗くて長い。
恋人と共に過ごす時間は何よりの楽しみであったことでしょう。

「 ぬばたまの 黒髪敷きて 長き夜を
    手枕(たまくら)の上に 妹待つらむか 」 
                            巻11-2631 作者未詳


( 黒髪をふさふさと敷き靡かせながら この長い夜を 手枕にむなしく身をまかせて
 あの子はしきりに待っていることであろうか )

「今夜は行くぞ」と約束したのに何らかの理由で果しえなかった男。
女が黒髪を靡かせて寝ている姿を瞼に浮かべながら一人侘びしく過ごしている。
長い長い夜。
この歌の「ぬばたま」は黒髪に掛かる枕詞ですが艶やかな光沢ある長髪を
靡かせている恋人の官能的な寝姿を想像しながら悶えている男を想起させています。

「 ぬばたまの 夜渡る月の さやけくは
     よく見てましを  君が姿を 」 
                       巻12-30007  作者未詳


( 夜空を渡って行く月が皓皓と輝いていたら
 あの方の顔や姿を心ゆくまで見ることができたのに )

明かりが乏しかった当時、月の光が一番の照明。
その月が雲に隠れていて、愛する男の顔姿が良く見えなかったと嘆く純情な乙女です。

「 ぬばたまの 夜渡る月を おもしろみ
     我が居る袖に 露ぞ置きにける 」 
                        巻7-1081 作者未詳

( 夜空を移りゆく月、 この月があまりにも爽やかなので
 寝ないで楽しんでいるうちに 着物の袖がいつの間にか濡れてしまった )

「おもしろみ」 面白いので

清らかな月の光に魅せられて時間が経つのも忘れてしまった男
ぬばたまの夜は漆黒の闇。
それだけに月の光が美しく感じられたのでしょう。
縁側で一献また一献重ねているうちに、いつのまにか夜が更けてゆく。

「 ぬばたまの 黒髪変わり 白(しら)けても
     痛き恋には 逢ふ時ありけり 」 
                          巻4-573 沙弥満誓(さみ まんぜい)

( 黒髪が真っ白に変わる年になっても
 こんなにも強く惹かれる恋心。
 そんなこともあるのですね。
 あなたが懐かしくって、懐かしくって。 )

筑紫在住の大伴旅人が都へ転任になったのち、作者が旅人に贈ったもの。
よほど心を許しあっていた友人同士だったのでしょう。
男が男に恋人仕立ての歌を贈るのは当時の流行だったらしく、この歌も
友情の強さを吐露したものです。

「 夏草の 野に咲く花の 日扇を 
                  狭庭に植つ 日々に見るかに 」  伊藤左千夫


ここ春日大社神苑 万葉植物園の檜扇は真っ盛り。
一日花ですが蕾が多く、次から次へと咲き続けています。
咲き終わった花はくるくる巻いた棒状に。
秋になれば莢が弾けて美しい玉が顔出すことでしょう。

「 九月になれば 日の光やはらかし
     射干(ひおうぎ)の実も 青くふくれて 」      斉藤茂吉

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by uqrx74fd | 2015-08-06 07:44 | 植物

万葉集その五百三十九 (川原撫子)

( カワラナデシコ  皇居東御苑 2015,6,20 )
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( カワラナデシコ  春日大社神苑 万葉植物園 2015,7,21 )
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(  同上 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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(  桔梗も満開  同上 )
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(  ヤブカンゾウ  同上 )
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( メハジキ  同上 )
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( オニユリ  同上 )
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(  ヤマユリ  同上 )
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 秋の七草といえば山上憶良が詠った
「 萩、尾花、葛、撫子、女郎花、藤袴、朝顔(桔梗) 」。

以来1250年間変わることなく不動の位置を占め、季語集も当然のごとく秋のものと
されています。(撫子は夏とされているものもある)
ところが近年、撫子は6月頃に咲きだし、秋になると枯れ果ててお目にかかれないのです。
桔梗も然り、萩さえ6月の終わり頃から咲き出している始末。
植物園に秋の七草コーナがありますが、秋まで元気なのは葛と尾花。
葛の花も八月中旬が見頃。

と言う訳で早々と万葉で26首も詠われている撫子を探しに行きました。
撫子は我国原産のものを「カワラナデシコ、大和撫子」中国産を「唐撫子、石竹」
とよんで区別し、万葉集で詠われているのはすべてカワラナデシコ(川原撫子)です。

まずは、皇居東御苑、秋の七草が集められている場所へ。
2015年6月20日のことです。
このコーナーは小さく目立たないところにありますが、3株ばかり咲いていました。
美しいピンク色、形も凛としている。
昨日今日咲いたばかりのようです。

そういえば撫子の別名は「常夏」。
花期が長いので付けられたのでしょうか。
あるいは永遠に変わらぬ美しさを願っての命名かもしれません。

「 わがやどに 蒔きしなでしこ いつしかも
    花に咲きなむ  なそへつつ見む 」
                  巻8-1448 大伴家持


( 我が家の庭に蒔いた撫子、この撫子は何時になったら美しい花になって
  咲き出るのであろうか。
  咲いたなら いつもいつもあなたと思って眺めように )

作者は11首も撫子の歌を残しています。
この歌は15歳の頃、10歳の婚約者坂上大嬢(さかのうえおおいらつめ)に
贈ったものです。
成長を心待ちにしている気持ちを伝えようとしているようですが
果たしてまだあどけない子供に細やかな恋情が理解できたかどうか?
ませていた家持は相手の成長を待ちきれず、他の女性との恋の遍歴を始めてしまいます。

「 蝉の鳴く 松の木かげに 一むらの
    うす花色の 撫子の花 」  伊藤左千夫
             

1か月後の7月21日、再び撫子を求めて奈良の春日大社神苑、万葉植物園へ。
我国最古の万葉の園、約9000坪の広い敷地で自然のままに育てられているのが魅力です。
入口にからほど近いところに春日山を源流とする美しい小川が流れ、
岸辺に山百合、オニユリが。
さらに奥に進むと撫子が群生し、辺りはピンク色に染まっています。

メハジキ、檜扇、女郎花、桔梗も所狭しと咲き、萩もボチボチ咲きはじめ。
灼熱の太陽の下の秋の花々です。

「 射目(いめ)立てて 跡見(とみ)の岡辺の なでしこの花
    ふさ手折り 我れは持ちて行く 奈良人のため 」
                     巻8-1549  紀 鹿人(きの かひと) 旋頭歌


( 跡見の岡辺に咲いている撫子の花
 この花をどっさり手折って私は持ち帰ろうと思います。
 奈良で待つ人のために )

作者は友人、大伴稲公(おおともいなきみ)を訪ね、主人のもてなしに感謝しつつ
素晴らしい当地の花を手土産にしましょうと挨拶した一首。

稲公は大伴旅人の異母弟。
跡見の庄は奈良県桜井市鳥見山の東麓、飛鳥に近いところです。

「射目立てて」は 跡見の枕詞 
射目は鳥獣を射るために隠れて狙う場所、
獣の足跡を見るの意で跡見に掛かるとされている。


「 なでしこは 咲きて散りぬと 人は言えど
     我が標(し)めし野の 花にあらめやも 」 
                             巻8-1510 大伴家持


( なでしこの花は咲いてもう散ったと人は言いますが、
 よもや、私が標を張っておいた野の花のことではありますまいね )

作者が親しくしていた紀郎女(きのいらつめ)に贈った歌。

「わが標し野の花」は自分の彼女である紀郎女を暗示しており、
「咲きて散りぬ」は他人と関係をもったの意。

世間の噂に不安を感じ「よもや心変わりしたのではないでしょうね」
と言いやったもの。
尤も、相手は人妻なので言葉のお遊びかもしれません。

万葉植物園の撫子の群生。
あまりの美しさに魅かれて3日後に再び訪ねました。
ところが、うなだれた様子で元気がありません。
先日見たのは大雨の翌日、その後、連日の猛暑で参っているようです。
やはり撫子は秋がふさわしい。

隣のコーナーは檜扇、夏の花。
こちらは生き生き、今が盛りと咲き誇っていました。

「 酔うて寝む なでしこ咲ける 石の上 」 芭蕉





























 
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by uqrx74fd | 2015-07-30 19:44 | 植物

万葉集その五百三十七 (合歓の花咲く社)

( 高千穂神社  千葉県佐倉市 )
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( 合歓の花満開  見ごろは6月下旬 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 八重桜と躑躅  4月下旬 )
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(  花絨毯  5月上旬 )
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(  雨上がりの紫陽花 ) 
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(  藤棚もあります  初夏 )
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( 龍の髭:山菅の種子 秋 )
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( 雪の松  冬 )
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「 ねむの花さく ほそ道を
  かよふ朝こそ たのしけれ
  そらだのめなる 人の世を
  たのめて老いし 身なれども 」  
                           (三好達治  ねむの花咲く)

            そらだのめ:(空だのめ) あてにならないことをあてにする

千葉県佐倉市に「高千穂神社」という花の社(やしろ)があります。
今から66年前、九州宮崎の高千穂神社から下総国志津ケ峰とよばれていた
丘陵地に勧請され、菊の御紋を許されている鎮守社です。

今は亡き初代宮司、森谷鉄五郎さんは余程花を愛する方だったのでしょう。
閑静な住宅街に囲まれた約1000坪の境内に八重桜、躑躅、藤、合歓、銀杏、橿、椎、
松、蘇鉄(そてつ)、紫陽花、百合、龍の髭(山菅)、コスモス、菖蒲、嫁菜、
萱草、タンポポ、など数えきれない位多くの植物が植えられており、
四季折々咲く花が多くの人々を楽しませてくれているのです。

さて、今日のお目当ては合歓の花です。
まずは手を洗い、口をすすいで二礼二柏一礼。
神前にぬかずき祈りを捧げます。

「 天の川 瀬ごとに幣を たてまつる
    心は君を 幸く来ませと 」
                  巻10-2069  作者未詳


(  天の川の川瀬ごとに 幣を奉ります。
   無事にお渡り下さいとお祈りして )

牽牛が無事に川を渡ることを祈ったものですが、作者自身の愛する人の幸いと
来訪を待ち望む気持ちがこもっている一首です。

家族共々の無病息災を祈りつつ参拝を終え、合歓の木の下へ参ります。

「 総毛だち 花合歓 紅を ぼかし居り 」   川端茅舎

大木の枝が左右に大きく広がる。
いまを盛りと咲く花は絹の刷毛のよう。
淡いピンクと紅の繊細な色合い。
下から見上げると小さな雪洞(ぼんぼり)が無数に灯っているようです。
左右対称に開いた細長い葉は、暗くなるとピタリと閉じ合わせ、
花の心地良い寝床になるのです。

「 昼は咲き 夜は恋ひ寝(ぬ)る 合歓(ねぶ)の花
         君のみ見めや 戯奴(わけ)さへに見よ 」 
                      巻8の1461 紀 郎女(既出)


( 昼間は綺麗な花を咲かせて、夜になればぴったりと葉を合わせ、
 好きな人に抱かれるように眠る合歓。
 ほんとうに羨ましいこと。
 そんな花を主人の私だけが見てもよいものでしょうか。
 お前さんも御覧なさいな。
 あなたと一緒に見ながら抱き合いたいのよ。)

合歓の花木を添え、大伴家持に贈った一首。
漢字の「合歓」は「合歓ぶ(あいよろこぶ)」つまり男と女が抱き合うことを意味します。

年上で人妻(天智天皇の曾孫 安貴王の妻)でもある作者が
花によせて共寝を誘っているのです。
歌を通じてお互い特別親しい間柄なので、家持を下僕のように呼びかけて
戯れ興じているようですが内心は本気かもしれません。

「 君のみ見めや」 : 君は主人の意で作者自身をさす
「 戯奴(わけ) 」 : 年少の召使などを呼ぶ言葉 
              ここでは大伴家持をさし、わざと卑下した言い方をしている

「 合歓咲くや 柘(つげ)の小櫛も ほしげにて 」  巣兆

雨に打たれた花糸は共寝したあとの乱れ髪のよう。
鏡台に向かい、櫛で整えている女性を連想させるような一句です。
拝殿の周りは八重桜の老木がならびます。
以前は50本位あり壮観でしたが、今は多くが枯れて20本位。
それでも満開の時は華やかで、風に舞う花びら、散り敷くピンクの絨毯は
この世のものとも思われないほどの美しさです。

「 散る時の 牡丹桜の はげしさよ 」 高濱年尾
                  ( 牡丹桜は八重桜の別称 )


古のうら若き乙女も散る桜を眺めながら詠っています。

「 咲く花は 過(す)ぐる時あれど 我(あ)が恋ふる
          心のうちは やむ時もなし 」 
                            巻11-2785 作者未詳


( 咲く花はいずれ散って消える時があるけれども
 私の心の中の恋は とだえる時とてありません )

初恋でしょうか。
純情一途の恋心です。

対する我が心のうちは恋桜。
桜の季節よ 早く来い(こい)。

「 龍の髭(ひげ) 葉のくらがりに 瑠璃澄ませ 」 下山博子

前庭、横庭、裏庭にも色々な植物が所狭しと植えられています。
中でも注目は龍の髭。
全く目立たないところに植えられており、よくよく注意しないと見つかりません。

「龍の髭」は古代、山菅(やますげ)とよばれた植物で別名「ジャノヒゲ」、
ユリ科の多年草です。
細くて長い葉を龍の髭に見立てたのでその名があり、初夏に白い花を下向きに咲かせます。

秋になると球形の実を結びますが、その実は成熟する過程で果皮が破裂して消滅し
種子がむき出しのままとなり、瑠璃紺色の実と見えるものは種子そのものという
珍しい植物です。
漢方では「麦門冬(バクモントウ)」とよばれ、根を煎じて咳止め、利尿、消炎に
用いられているそうです。

「 咲く花は うつろふ時あり あしひきの
     山菅(やますげ)の根し 長くはありけり 」 
                             巻20-4484 大伴家持


( はなやかに咲く花はいつか色褪せて散り過ぎる時があります。
 でも地下に根を張っている山菅はずっと長く続いているものなのです )

近親者が反逆の罪に問われ大伴一門の危機を感じている作者。
栄華を極めた大伴家が滅びゆくのを座視せざるをえない無力感。

今までの人生を振り返りつつ、これからは山菅の根のように
細く長く、そして、強く生きてゆこうと決意しているようです。

   「 ひそかなる ものは美し 龍の玉 」  中村玲子


ご参考 : 高千穂神社
        京成線 志津駅下車 
        南中野行バス 高千穂神社下車 徒歩3分

お知らせ:  次回の更新は7月26日(日曜日)です。
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by uqrx74fd | 2015-07-16 18:29 | 植物

万葉集その五百三十三 (杜若:燕子花?)

( 長岳寺  奈良県天理市 山の辺の道 )
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(  同上  カキツバタの映りこみが美しい )
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(  同上 )
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(  同上 )
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(  カキツバタ  同上 )
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( 野アヤメ  畑に咲いていた   山の辺の道 )
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(  ハナショウブ  堀切菖蒲園  東京都 )
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(  アヤメ、ハナショウブ カキツバタの見分け方 )
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( 燕子花=オオヒエンソウ カキツバタではない  牧野植物随筆 講談社学術文庫 )
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(  杜若=アオノクマタケラン  これもカキツバタではない  同上 )
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広辞苑を引くと「かきつばた」は「杜若・燕子花」と表示されます。
歳時記も同様。
さらに「どこか飛燕をおもわせるところから燕子花とも書く」との丁寧な解説も。

ところが、これらはすべて間違いとされているのです。

牧野富太郎博士によると

『 燕子花はキツネノボタン科の飛燕草属のオオヒエンソウである。
 この生木はあまり日本にはきていないようだが、中国では普通に生えている。
 図を比較してみるとホントにこんなに違ったものを誤っているとはアホラシ-。

 杜若とする旧説はもっと非である。
 古今の俳人などは依然としてそうしているけれども、これはよろしく認識を改める
 べきである。
 なんとなれば元来、杜若なるものはショウガ科のアオノクマタケランのことで
 あるからだ。』 
             ( 牧野植物随筆 講談社学術文庫より 要約)

と力説されています。

学者も誤りを認識しており、

「 カキツバタは杜若、燕子花の字があたえられ、かきつはた、かきつはな
  かきつ、かきつばた、などとよませている。
  これらの漢名は誤用されているが,一度つけられた名前は訂正することは
  困難であり、現在でも通用している 」
                        (万葉植物事典 山田卓三、中島新太郎)

と指摘。
にもかかわらず、そのまま使われ続けているとは不思議なことです。

さて、万葉集では「かきつはた」と清音で訓まれ、その語源は「掻きつけ花」が
転訛したものといわれています。
「掻きつける」とは「摺りつける」という意味で、花汁を布にこすり付けて色を移し、
「摺り染め」にすることをいいます。

「カキツケハナ」→「カキツハナ」→「カキツハタ」と変わり、現在の「カキツバタ」と
なったわけで、語尾の「ハタ」は「ハナ」の変異形です。

「 かきつはた 衣(きぬ)に摺(す)り付け ますらをの
         着襲ひ(きそひ) 猟(かり)する 月は来にけり 」 
                                巻17-3921 大伴家持(既出)


( 今年もカキツバタの花が咲き始めましたが。相変わらず綺麗な色ですねぇ。
  この花を着物に摺り付けて染め、ますらを達が薬狩りする時期がきましたよ。
  それぞれどのような衣装でやってくるのかを待ちどうしいことです )

「着襲(そ)ひ 狩りする」とは「重ね着して飾り 薬狩に行く」の意。

当時、毎年5月5日(旧暦)に薬草や鹿の若角から鹿茸(ろくじょう:強壮剤)を採る
薬狩といわれる宮中行事が催されていました。

天皇臨席のもと、粋な出で立ちの高位高官、華やかに着飾った女官たち。
カキツバタで摺り染めにされた紫の衣装も美しく映えていたことでしょう。
ピクニックをかねた遊宴、大宮びとたちが心待ちしていた行事です。
 
 「 常ならぬ 人国山の 秋津野の
       かきつはたをし 夢に見しかも 」 
                                巻7-1345 作者未詳


(  人国山の秋津野に咲くカキツバタ。
   その美しい花を 私は昨夜夢に見ました )

「常ならぬ」は「人国山」の枕詞 無常な人の世の意
「人国山の秋津野」  和歌山県田辺市秋津町あたり 

この歌は「草によせる」とあり「人国山」という地名に
「他人の国の山に咲くカキツバタ」すなわち「世にも美しい人妻」という意味が
含まれているようです。

人妻に一目惚れした男。
とうとう夢にまでみて悶々としているのです。
カクツバタは古代から美女の形容だったのですね。

「かきつはたを し」の 「し」は強意の助詞

「 かきつはた 丹(に)つらふ君を いささめに
     思ひ出(い)でつつ 嘆きつるかも 」 
                           巻11-2521 作者未詳


( かきつばたのように顔立ちの立派なあなた。
 そんなあなたを ふと思い出しては溜息ばかりついています )

「丹つらふ」は通常美しい女性の肌の形容に用いられますが
「君」とあるので、血色のよい美男子の意。
「いささめに」は 「ふと」

男を知ったばかりの女なのでしょうか。
純情な乙女を想像させる一首ですが、伊藤博氏は
「まだ慣れない共寝に対する陶酔を背景にしている」と述べておられます。

「 よりそひて 静かなるかな かきつばた 」 高濱虚子

今年も長岳寺へ行ってきました。
824年弘法大師創建と伝えられている高野山真言宗のみ寺です。

山の辺の道、桜井から天理までテクテク歩き16㎞の中間点にあり、
巨大なつつじとカキツバタが迎えてくれます。

山門から重要文化財の鐘楼門までは背の丈2mもあるツツジの並木道。
風格ある本堂には1151年作の我国最古の玉眼の本尊、阿弥陀如来三尊像。
その堂々たる量感と美しい表現は後の運慶、快慶に大きな影響を与えたと
言われている傑作です。
前庭の池の周りのカキツバタ、つつじが今は盛りと咲き競い、
堂宇とともに映り込む風景が素晴らしい。

そよ風が清々しく吹き渡り、ゆったりとした時の流れに身をまかせる
この至福の時。

木蔭に座して、遥か古の世界に思いを巡らせること暫し。
あまりの気持ち良さに瞼が重くなりウトウトと。

「 お暑いですね。 冷たいお茶でも如何ですか 」
と涼やかな女性の声で我に返る。
庭を掃除しておられたご住職の奥様でした。

お休み処でよく冷えた三輪素麺を戴き、生き返った心持。
「またおいで下さい」の声に送られ
身も心も軽ろやかに花紀行を続けてゆきました。

天理まで残り8㎞です。

「 水の面に 音なき風や 杜若 」   下村 福

            注;杜若は原文のまま
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by uqrx74fd | 2015-06-18 15:50 | 植物

万葉集その五百三十二 (豆の花咲く)

( えんどう豆の花  奈良 山辺の道 )
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(  同上 )
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(  同上 )
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(  ツルマメの花  yahoo画像検索 )
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( ヤブマメの花    同上 )
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(  大豆の花     同上 )
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( 貴族の食事  枝豆、チーズ 鮎、 鯛の和え物、鮑の雲丹和え、 瓜の粕漬け等なかなかのグルメ)
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( ノイバラ  奈良万葉植物園 )
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(  万葉という名の薔薇   京成薔薇園  千葉県  )
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「 さまざまな 色にほひたる 豆の花 」  筆者

薫風爽やかな ある日のことです。
「 国のまほろば たたなづく青垣」の山の辺の道を歩いていると、
蔓性の美しい花が咲き乱れていました。
スイトピーのような形をした色とりどりの豌豆(エンドウ)です。

近寄ってみると、莢(さや)も一杯。

思わず、あぁ、勿体ないなぁ!と呟く。

 「えんどうの 凛々たるを 朝な摘む 」  山口青邨 

と詠まれているように、この時期のみずみずしい緑色の莢は毎朝、早朝に摘んで
食するのが一番美味い。

さっと茹でてそのまま食べると甘く、
おすましの具、卵和えでもよし。

でも、このままグリンピースになるまで熟成させ豆ごはんするのもいいか。

 こんな楽しい想像をしながら万葉の世界に思いを馳せます。

 「 道の辺(へ)の 茨(うまら)の末(うれ)に 延(は)ほ豆の
         からまる君を 別(はか)れか 行かむ 」
                     巻20の4352 丈部 鳥(はせつかべのとり) (既出)

(  道端のうまらの枝先に からまりつく豆の蔓(つる)。
  その蔓のように別れを悲しんですがりつくわが妻よ。
  あぁ! いとしいお前を残して旅立たなければならないのか。)

作者は上総の国(千葉南部一帯)の人、防人として出発する時に詠われたもの。

「延(は)ほ豆」は方言で「延ふ豆」
「うまら」は「ノイバラ」とされ野生のツルバラ

もう二度と逢えないかも知れない別離。
すがりつくような必死の目ざなし。
素朴な詠いぶりながら愛し合う二人の深い悲しみがひしひしと伝わってくる
一首です。

マメは野性のヤブマメかツルマメと思われ、大豆の原生種とする説も。
 
なお、万葉集での「君」は男性や主君をさすのが習いとされているので、
「 主君の幼い若君が近習である作者を慕って離れない」とする説(伊藤博)も
ありますが、ここでは愛する女性の方がしっくりくるような気がします。

万葉集唯一の「豆」と「ノイバラ:野薔薇」です。

「  酒よろし さやえんどうの 味もよし 」    上村占魚

夏の酒のつまみには枝豆、冷奴も欠かせません。
風呂上りに冷えたビール。
採れたてをさっと塩ゆでした枝豆。
生姜と削りかつおをたっぷりのせた冷奴。
極楽、極楽。

以下は 「池波正太郎 わが家の夕めし 冷奴 」からです。

『 豆腐の製法が日本に伝わったのは、奈良時代のことだという。
  この栄養に富んだ食物の由来は、だから、まことに古い。
  いうまでもなく、豆腐は大豆をすりつぶし、これを煮立ててつくるものだ。
  ― 「冷奴」の「奴」の由来は、江戸時代の槍持ち奴などが着ていた
  制服の紋所から生まれたものである。
  およそ1寸角に切った豆腐の形が似ているからだ。

  冷奴は庶民の食べ物で、私どもには絹ごしの上等な豆腐では似合わぬ。
  木綿でこしたのを奴に切り、生醤油へ少々酒をまぜた付醤油で、
青紫蘇(あおじそ)と晒葱(さらしねぎ)の薬味で食べる。 』 (講談社文庫より)

                   筆者注:「晒し葱」
                     葱を千切りにし水に晒して余分な辛み、粘り,臭みを抜いたもの

    「 晩酌の くせのつきたる 冷奴 」 松山聲子
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by uqrx74fd | 2015-06-11 18:07 | 植物

万葉集その五百二十九 (山吹いろいろ)

( 山吹と桜の競演   新宿御苑 )
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(  見事な山吹    同上 )
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( 柳、桜、山吹   同上 )
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(  北鎌倉 明月院 )
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( 東京大学小石川植物園 )
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( 白山吹  市川万葉植物園 )
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( 八重山吹   東大小石川植物園 )
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(  薬師寺花会式のポスター )
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(  同上 山吹、梅、椿、牡丹の造花   )
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754年の4月中旬、山野に山吹が咲き乱れている頃のことです。
置始長谷(おきそめの はつせ) という人物が、明日香の別宅に滞在していた
大伴家持を訪ねました。

長谷もこの近くに住んでおり、久しぶりの顔合わせ。
手土産に自宅の山吹を手折って壺に入れて持参したところ、家持大いに喜び、
「 これは これは 何よりのお心づかい 。
  かたじけのうございます 」
と一枝を取り出し頭に挿して見せました。

古代、山吹は神聖なものとされ、魔除け厄除けに効ありと信じられていたので
心からの感謝の意を示したのでしょう。

長谷は思わずにっこりと笑い、詠います。

「 山吹は 撫でつつ生(お)ほさむ ありつつも
     君来ましつつ かざしたりけり 」 
                    巻20-4302 置始連長谷(おきそめの むらじ はつせ)

( この山吹の花は これからも慈しんで育てましょう。
 このように変わらずに咲いているからこそ あなたがここにおいでになって
 髪飾りにして下さったのですから )

「つつ」を3回も重ね、決して上手とは言えない武骨な歌ですが、
精一杯の気持ちをこめて絞り出すように詠った?1首です。

「 撫でつつ生(お)ほさむ 」 大切に育てる
 「 ありつつも 」    そのままの状態で
「 君 来ましつつ 」   あなた様(家持)が例年おいで下さって

作者は伝未詳の人物ですが、皇后の前で維摩経を唱えたとの記録があります。

返す家持。

「 わが背子が やどの山吹 咲きてあらば
    やまず通はむ いや年のはに 」
                         巻20-4303 大伴家持


( あなたのお庭の山吹 その花がいつもこんなに美しく咲いているのなら
 これから先も しょっちゅう お訪ねいたしましよう。
 来る年も来る年も )

「わが背子」 置始長谷(おきそめのはせ)を親しみこめていったもの
「咲きてあらば」 咲いている限りずっと
「年のはに」 「年毎に」(としのはに) で毎年々々

万葉集で詠まれた山吹は17首ありますが、そのうち家持作が7首。
よほどこの花が好きだったのでしょう。

歌の挨拶が終わり、欅の大木の下で酒を酌み交わし旧交を温める二人。
一献また一献。
爽やかな風が通り過ぎてゆく五月晴の一日です。

山吹好きと言えば、左大臣 橘諸兄。
天平の頃 諸兄は山城の国(京都),井手の里、玉川のほとりに山荘を営み、
遣水した庭園を中心に山吹を植え、さらに川の両岸も花で埋め尽くし、
黄金の世界、極楽浄土を出現させました。
それを耳にした聖武天皇がわざわざ行幸され(740年)、天下に喧伝されて以来、
「井手の玉川」は山吹の名所として詩歌に数えきれないほど詠われるようになります。

「 駒とめて なほ水かはむ 山吹の
    花の露そふ  井手の玉川 」    
                         藤原俊成 (新古今和歌集)

( 馬を止めて水を飲ませよう。
 そして私はその間、心行くまで山吹を眺めよう。
 花に置く露が流れ落ちているこの井手の玉川で。)

露は玉川の玉と縁語、あたかも山吹が泣きぬれた女性であるかのような
艶なる趣を醸し出しており、美女と逢瀬を楽しんだのかもしれません。

流石に俊成、洗練された詠み口ですが、万葉集に本歌があります。

「 さ檜(ひ)の隈(くま) 檜(ひ)の隈川に 馬とどめ、
    馬に水飼(か)へ 我(わ)れ外(よそ)に見む 」 
                            巻12-3097 作者未詳


( さ檜隈を流れる檜隈川の岸に馬を止めて、馬に水を飲ませて下さい。
 その間にも私は脇からあなた様の姿をこっそりと見ましょう)

素朴な田舎の女性が詠んだ歌のようですが、男に憧れる乙女の純真な気持ちが
感じられ、うっとりとした表情が目に浮かぶ1首です。

「さ檜の隈 檜の隈川」は奈良県明日香村檜前(ひのくま)を流れる川

「 恋の山吹 情けの菖蒲(あやめ)
      秋の枯草 しをれ草 」  (山家鳥虫歌) 



  恋の山、情けのあや、秋の飽き、失恋のしおれ などを掛けて
  女心を詠ったもの

今年は山吹の開花が早かったせいか、桜との共演が随処でみられ
桃色と黄色の取り合わせは女性の艶やかな踊りを見るようでした。
特に新宿御苑の「 桜、柳、山吹をこきまぜた」風景は見事。
まさに万葉の世界にひたっているような気分でありました。



お知らせ :
次回の投稿は5月31日(日曜日)になります。

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by uqrx74fd | 2015-05-21 21:09 | 植物

万葉集その五百二十五 ( 散る桜 )

( 寒緋桜の花筏   横浜 山手11番館の近くで )
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(  同上 )
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( 玄賓庵の砂庭に散り敷かれた桜の花びら  山の辺の道 奈良 )
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(  醍醐寺  京都 )
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(  同上 )
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(  同上 可憐なスミレが美しい )
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(  八重桜の絨毯   高千穂神社 佐倉市 )
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(  つつじの上に散った桜  同上 )
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( 千鳥ケ淵  東京 )
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(  同上 )
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(  同上 )
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「 空をゆく 一とかたまりの 花吹雪 」    高野素十

数年前のことです。
石仏で有名な般若寺を参拝した後、奈良坂から佐保丘陵を横切るような形で
佐保路、平城京跡へ向かいました。
丘の麓に佐保川が流れ、遠い昔、大伴旅人の邸宅があったと伝えられているところです。

好天に恵まれ、紺碧の空。
杉木立が続く細い道を通り抜けるとやがて桜並木。
山桜の大木が「にほふがごとく 今盛りなり」と咲き誇っています。
あまりの見事さにしばし立ち止まって見上げていると、突然一陣の強い風が吹き起こり、
花びらが舞い上がりました。

あっという間もなく次から次へと散ってゆく。
まるで雪が降りそそいでいるような花吹雪です。
時折、地面に届きそうになった花びらが下からの風にあおられて再び舞い上がり
思いきり高く飛んでゆく。
驚き、その美しさに感動し、ただただ呆然と見惚れるのみでした。

満開の桜は見事だが、舞い落ちながら散り敷く桜はさらに美しい。
西行は昼間のこのような光景を夢にまで見て次のように詠っています。

  「 春風の 花を散らすと 見る夢は
         さめても胸の さわぐなりけり 」     西行   山家集

私が歩いてきた佐保丘陵は昔、桜の名所であったらしく万葉集に次のような歌が
残されています。
    
「 阿保山の 桜の花は 今日(けふ)もかも
     散り乱(まが)ふらむ  見る人なしに 」 
                         巻10-1867 作者未詳

( 阿保山の桜の花は 今日もまたいたずらに散り乱れているだろうか。
 見る人もいないままに )

作者は昨日見た桜の花びらの乱舞が目に焼き付いていたのでしょうか。

「 散る桜の美しさを愛でる人がいないのは惜しいなぁ。
  自分も見たかったのに今日行けないのが残念だ 」

阿保山は奈良市の西北の丘稜、在原業平ゆかりの不退寺の裏山とされていますが、
その近くに光明皇后が晩年住んでいたとされる法華寺や磐姫皇后の御陵もあり
少し足をのばすと平城京跡です。

「 花びらの 山を動かす さくらかな 」   酒井抱一


満開の花、風が吹くたびにひらひら散るはなびら。 
山全体が揺れ動くような酔い心地。

散る桜を愛でる万葉人。
そこには後世に見られる命のはかなさを詠う無常観は微塵もみられません
古代の人にとって精一杯咲き、散るべき時に散る桜は命の再生と農作物の豊穣を
予祝するめでたきものでした。

以下は栗田勇さんのお話です。

『 どんな花でも散りますが、なぜ散る桜なのか。
  満開で強風の時でさえも1枚の花びらが散らないのに、突然わずかな風に
  舞い上がって桜吹雪になっている。
  とことんまで咲ききって、ある時期が来たら一瞬にして、一斉に思い切って散ってゆく。

  こうした生ききって身を捨てるという散り際のよさが、日本人にはこたえられないのではないでしょうか。
  そこに人生を重ねて見るんですね。
  静かに散るのではなく、花吹雪となって散るという生き生きとした
  エネルギーさえも桜から感じられるのです。

  散ると言っても、衰えてボタンと落ちるのではないのです。
  むしろ散ることによって、次の生命が春になったらまた姿をあらわす、
  私は生命の交代という深い意味でのエロティシズムの極地のようなものが
  そこに見えるのではないかといいう気がします。 』

                                     ( 花を旅する 岩波新書 )

    「花吹雪 浴びてしづかに 昂奮し」 神田敏子
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by uqrx74fd | 2015-04-23 21:06 | 植物

万葉集その五百二十 (春柳 )

( 柳が芽吹きました  東京国立博物館  2015,3,6撮影)
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(  梅から柳へ    同上 )
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(  東大寺三月堂前 )
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(  奈良ホテルの近くで )
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( しだれ柳と枝垂れ桜   氷室神社  奈良国立博物館の近く )
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( 東大寺大仏殿前 )
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( 同上 )
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( 朱雀門  平城京跡 )
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( 皇居前の大柳 )
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柳は中国から渡来したヤナギ科の植物で遣唐使がもたらしたものとされています。
世界で400種、我国でも約40種あるそうですが、専門家といえども全ての種を
見ただけで正確に特定することは難しいようです。

我国で多いのはシダレヤナギ。
早春、梅が芳しい香りを漂わせ、やがて散りはじめる頃になると、今まで固く
閉じていた芽が一斉に開き、清々しい浅緑色の枝を風に靡かせます。

万葉集での柳は36首(別途川楊4首)、そのうち梅と共に詠われているのが16首もあり、
両々相まって春をもたらす景物として愛でられていました。

「 春雨に 萌えし柳か 梅の花
   ともに後れぬ 常の物かも 」 
                      巻17-3903  大伴書持(ふみもち)


( この柳は春雨に誘われて萌え出たものか。
 それとも梅の花が咲き揃うにつれて遅れじと萌え出すいつもの柳なのか )

梅に誘われたように芽吹いた柳。
春雨は花の開花を促すものと考えられていましたが、作者は
「いや、これはきっと梅に誘われて萌えだしたに違いない」と詠っています。
待ちに待った春到来の喜び。

「 朝な朝な 我が見る柳 うぐひすの
     来居(きい)て鳴くべく 茂(しげ)に早やなれ 」 
                           巻10-1850 作者未詳


( 来る朝ごとに私が見ている柳よ、
 鶯が飛んできて枝に止まって鳴けるように
 一日も早く大きな茂みになれよ )

青々とした芽が少し頭を出したばかりなのでしょう。
鶯の囀りを心待ちにしている作者。
梅や竹との取り合わせは多く見られますが、柳に鶯が止まるのかなぁ?

「 ももしきの 大宮人の かづらける
     しだり柳は 見れど飽かぬかも 」
                          巻10-1852 作者未詳

     〈 大宮びとが蘰(かずら)にしているしだれ柳。
       見ても見ても飽かないことよ 〉

平城京の大通りで風に靡く柳並木の下を颯爽と闊歩するきらびやかな大宮人。

古代の人達は柳の若々しい生気を身に受けるため、細い枝を丸く輪にして
頭に巻いたり、載せたりして長寿と幸いを祈りました。
作者が眺めている柳はもう大きくなり青々としているのでしょう。

「 柳こそ 伐(き)れば生えすれ 人の世の
    恋に死なむを いかにせよとぞ 」
                           巻14-3491  作者未詳


( 柳なら伐ってもまた生えもいたしましょう。
 でもこの私は生身、あなたに恋い焦がれ死にそうになっているのに
 どうしろとおっしゃるのですか )

片想いの苦しさを訴える女。(男説もあり)

「 柳は何度でも再生出来るのに、人は死んだら終わり。
  さぁさぁ、どうしてくれますの 」
と云う調子で迫られたら怖いですね。

柳はその生命力の強さから神霊が宿ると信じられて寺社、屋敷の外側に植えられ
悪霊を追い払う守護神とされました。
池の周りや田の近くに植えられているのは長く伸びる根で堤防を強化することも
兼ねているとか。

柳は様々な用途があり、枝を切り取って苗代の水口に挿して豊作を祈願し、
正月の雑煮に柳箸や餅花の飾りに。
弓矢を作って山の神に供え、丈夫な柳行李にも変身します。
行李になるのはコリヤナギという種類です。
特筆されるのはセイヨウシロヤナギ。

紀元前400年頃、ヒポクラテスは病人の熱や痛みを軽減するためにヤナギの樹皮を用い、
また、分娩時の痛みを和らげるために柳葉を使用していたという驚くべき記録が
残っているそうです。

それから長い年月を経て19世紀にヤナギの木からサルチル酸が分離され、
遂に1897年、ドイツのバイエル社、フェリックス・ホフマンが副作用が少ない
アセチルサリチル酸、世界で初めて人工合成された医薬品「アスピリン」を
誕生させました。

今やあらゆる病気の消炎、解熱、鎮痛や抗血小板作用に不可欠な医薬品となっており、
人類に対する貢献度は目覚ましいものがあります。

アスピリンのルーツとなった柳のエキス。
その生命力恐るべしです。

  「 みわたせば 柳桜をこきまぜて
         都ぞ春の 錦なりける 」   素性   古今和歌集 



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by uqrx74fd | 2015-03-19 17:11 | 植物