カテゴリ:動物( 77 )

万葉集その六百四十三 (蝉時雨)

( クマゼミ  学友 M.I さん提供 )
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( アブラゼミ )
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( ヒグラシ  雌 )
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( ニイニイゼミ )
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万葉集その六百四十三 (蝉時雨)

夏の晴れたある日。
林の中から蝉の声。

「ジジジジジジ」と「あぶらぜみ」。

ところどころで鳴いてはすぐ止み、
しばらく経つと、またどこかで鳴きはじめる。

「カナカナカナ」(ひぐらし)、
「ミーンミンミンミンミー」(みんみんぜみ)

耳を澄ましていると、やがて大合唱。

「ツクツクボーシ」(つくつくぼうし)、
「センセンセン」(くまぜみ)、
「チ- - ジ- -」(にいにいぜみ)

色々な声が混ざり合った合唱団が奏でる美しいハーモニ-。
やがて、ぴたりと鳴き止み、まわりは元の静寂に。

このような状態を「蝉しぐれ」というのでしょう。

  「 深山木(みやまき)に 雲行く蝉の 奏(しら)べかな 」 飯田蛇笏 

万葉集に見える蝉は10首。
そのうち蜩(ヒグラシ)が9首もありますが、「カナカナカナ」と鳴くものか、
他の蝉かの明確な区別は不明です。

「 石(いは)走る 滝もとどろに 鳴く蝉の
      声をし聞けば 都し思ほゆ 」 
                     巻15-3617 大石蓑麻呂(おほいしの みのまろ)

( 岩に激流する滝の轟くような声で鳴きしきる蝉。
 その蝉の声を聞くと、しきりに都が思い出されてならないよ。)

新羅に派遣された一行が安芸の国、長門の磯辺で停泊したときの1首。
長門の島は広島県呉市南、倉橋島。

滝をなす清流のほとりで遊宴をした折のものですが、
蝉の声を轟々と鳴る滝音に譬える天真爛漫な万葉人。

久しぶりに上陸して蝉の声を聞き、よほど嬉しかったのでしょう。
都の家の近くでも蝉が盛んに鳴いていたさまを思い出し、
しみじみと望郷にふける作者です。

「 恋繁(こひしげ)み 慰めかねて ひぐらしの
     鳴く島影に 廬(いほ)りするかも 」
                     巻15-3620   作者未詳

( 妻恋しさに気を晴らしようもないまま ひぐらしの鳴くこの島陰で
 仮の宿りをしていることよ。)

静かな島のしじまを破るように蜩の声が響いてくる。
「カナカナカナ カナカナカナ」。
身に染みるような涼やかな声。

「あの子は今頃どうしているだろうか」
我が恋の苦しみはますます深く、胸が張り裂けんばかり。

この歌も遣新羅使が長門で詠ったものです。

「 黙(もだ)もあらむ 時も鳴かなむ ひぐらしの
     物思(ものも)ふ時に 鳴きつつもとな 」 
                       巻10-1964 作者未詳

( 気持ちがゆったりしている時に鳴いて欲しいのに、
      こんなに物思いしている時に、むやみやたらと鳴きたてる蜩よ。)

物思う時は女が男を今か今かと待つ夕暮れ。

「黙もあらぬむ時」は 「何もしなくてよい平静な時」

「鳴きつつもとな」の「もとな」は いたづらに

「 普段なら蜩も趣があるのに、心がせいている時はうるさいなぁ。」

「ひぐらしは 時と鳴けども 片恋に
     たわや女(め) 我(あ)れは 時わかず泣く 」 
                             巻10-1982 作者未詳


( 蜩は夜明けや日暮れに時を決めて鳴きます。
 でも私は片思いのため一日中鳴いているのです )

今か今かと待ち続けているのに、あの人は来ない。
今夜も来る当てはないのでしょう。
毎日泣き続けてきた女のある日の夕方の感慨。
しんみりとした可愛い女性の歌です。

「たわやめ」は「弾力がありしなやかな」という意味の「撓(たわ)む」に
「め」(女)がついたものとされ、漢字では「手弱女」という「当て字」で
書かれることが多いので何となく「弱々しい、なよなよとした女」と
いう印象があります。

然しながら、万葉集では「祭祀と執り行う女性」、「芯が強い大和撫子」
さらに、原文表記「幼婦」を「たわやめ」と訓ませて「おさな妻」を
連想させるなど多様な使われ方をしている言葉です。

  「 順番を わきまへて鳴く 山の蝉 」  福田甲子雄

蜩はその涼しげな声から秋の季語とされていますが、
実際には6月下旬からニイニイゼミと共に鳴きだし、アブラゼミ、
ミンミンゼミ、と続き、ツクツクボウシの「秋告げゼミ」で終わります。

小学生の猪瀬真作君は

「 宿題を いそげいそげと ほうしぜみ 」

という秀作句を詠み、( 倉嶋 厚氏紹介)

蝉のメスは鳴かないので、ギリシャの詩人、クセナルクスは

    「 セミは幸福だった。
      沈黙の妻を持つから 」

と云ったそうな。

           万葉集643(蝉時雨)完



          次回の更新は8月4日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-07-26 15:24 | 動物

万葉集その六百三十九 (春蚕繭:はるごまゆ)

( 2017,6、18 付 読売新聞 )
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( 蚕飼する 人は 古代の姿かな  河合曾良 )
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( 多い地方では 春、夏、初秋、晩秋 晩々秋 の5回収穫する )
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( 京都 奥嵯峨野のまゆ村  )
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( 人形をつくる繭  同上 )
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( 繭人形  兎と虎  同上 )
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(  白と赤の対比が美しい人形棚  同上 )
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( ひつじ    同上 )
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万葉集その六百三十九 (春蚕繭:はるごまゆ)

春に収穫した蚕繭(ごまゆ)の出荷が始まる季節になりました。
瑞々しい桑の新芽をたんまり食べた蚕は最上の繭を生み出し、
美しい絹に生まれ変わるのです。

養蚕は今から4000年前に中国の黄河流域で始まり、漢代から絹織物を
西域に輸出していたといわれています。
古代ローマでの絹は金と同じ目方で取引されていたほどの極めて貴重品。
中國の養蚕技術は門外不出、国家機密として厳しく管理されていました。
欧州に伝わったのは6世紀頃、ペルシャ人の僧侶が竹の杖に蚕の卵を隠して
伝えたのがはじまりとか。

我が国でも弥生時代に野生種であった蚕を屋内で飼育して独自の絹を作っており、
「魏志倭人伝」に243年、卑弥呼が魏帝斉王に使いを送り、絹織物などを贈ったと
記されています。
また、5世紀中ごろ、雄略天皇が后妃に養蚕を勧め、諸国に桑を植えさせて以来、
養蚕は女性の最も大事な仕事の一つとされました。

然しながら日本の絹織物は独自のものといっても品質的には中国産に比べて
見劣りしたようです。
養蚕技術が飛躍的に向上したのは、679年遣唐使として派遣されていた
藤原鎌足の長男、僧 定恵(じょうえ)が桑を携えて帰国し、
琵琶湖東岸の古刹、桑実寺に植え、合わせて養蚕の手法を教えて以来からの
ようですが、その頃には中国の技術移転禁止令が解かれていたのでしょうか。

万葉集では春の蚕繭を詠ったものが1首残されています。

「 筑波嶺の 新桑繭(にひぐわまよ)の 衣(きぬ)は あれど
   君が御衣(みけし)し  あやに着欲しも 」 
                            巻14-3350 作者未詳

( 筑波山の麓の新桑で飼った繭の素晴らしい着物を私は持っていますが
  でも、やっぱりあなたのお召し物がむしょうに着たいものですわ)


当時、夫婦や恋人同士が互いに下着を交換して身に付ければ、
片時も離れることがないと信じる習慣がありました。
作者は、高価な絹織物より貴方が着ている衣を身にまとう方がよい、
出来れば一緒に寝たいと詠っています。

     「 美しき人や 蚕飼(こがひ)の 玉襷 」  高濱虚子

蚕は2昼夜糸を吐き続けて繭をつくりやがてその繭の中に閉じこもって
蛹になります。

志村ふくみ氏は繭の中で成長した蛹が、どのようにして外へでていくのか、
次のように述べておられます。

『 蚕がいっしんに白い糸を吐いて繭をつくり蛹になり,蛾になって
  外界に出てゆく時、どうしてあの繭から飛び立つかご存知ですか。
  勿論、繭を喰い破って穴をあけ、そこから飛び立つとお思いでしょう。
  ところが違うのです。

  蚕は口から少しずつ、アルカリを含んだ液を出して、繭の内側の壁を
  溶かしてゆき、小さな穴をあけてそこから飛び出してゆくのです。

  その穴に、大豆を1粒入れて、コロコロころがしながら、糸の口を
  みつけ、静かに引きだしますと、烟(けむり)のような一すじの糸は
  最後まで切れずに続くのです。
  乱暴に喰い破って穴をあけるのは蛹にいる寄生虫の仕業なのです。

  蚕は自分の命とひきかえにつくった白い城をどうしても喰い破ることが
  出来ず、みずからの体液でなめてなめて、溶かしながら門をひらき
  出てゆくのです。 
  一すじの糸も切ることなく。

 とあるひとが語ってくれた。 』  ( 蚕 一色一生 講談社文芸文庫所収)

「 たらちねの 母が飼ふ蚕(こ)の 繭隠(まよごも)り
     いぶせくもあるか 妹に逢はずして 」 
                            巻12-2991 作者未詳

( 母さんが飼い育てる蚕の繭ごもりのように、息がつまって、つまって
 何ともうっとうしいことよ。
 あの子に長い間逢わないでいて。)
 
健康な蚕が作った繭は極めて堅固で、湯で煮てほぐす以外に解かす
すべがありません。
身動きが出来ない心情を「いぶせくもあるか」(うっとうしい)と詠っていますが
その原文表示が傑作。

「馬声(い)、蜂音(ぶ)、石花(せ:岩石に付着している貝)
 蜘蛛(くも、)荒鹿(あるか)」と
 あらん限りの動物関係の漢字を使用しています。

「馬声」をイヒーンと聞きなした「イ」
「蜂の羽音」は「ブウーン」の「ブ」
「岩に張り付いたカメノテの固い石花」の「セ」
そして「蜘蛛」のクモ、「荒鹿」の「アルカ」

どれもこれも「うっとうしいなぁ」と。
万葉人の遊び心です。

以下は学友,T.Sさんから。

『 蚕の思い出といえば、終戦直前に3ヶ月半疎開した栃木の田舎で、
 屋根裏のようなところで蚕を飼っていたことを思い出しました。
 何となく、甘ったるい匂いがしていたような気がします。
 また、祖母が、湯に漬けた繭から、糸を引きながら、
 糸を紡いでいたことも思い出しました。
 独特な臭いがしていましたっけ。
 家の近くには、桑の木が沢山植えてありました。
 全く忘れていたことが、この歌をきっかけにいろいろと思い出すのも
 不思議な感じがします。』

「 母在りし その日のごとく 飼屋(かひや)の灯(ひ) 」   松岡悠風



          万葉集639(春蚕繭:はるごまゆ) 完


          次回の更新は7月7日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-06-29 14:33 | 動物

万葉集その六百三十五 (香魚:あゆ)

( 鮎釣る人   木津川  奈良 )
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( 鮎の川上がり    同上 )
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( 今宵の肴     自宅 )
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( 鮎の塩焼き   吉野 )
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( 蓼:タデの花 葉をすりつぶし酢を加えたものが蓼酢 ) 
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( 鮎の宿  つたや  京都 奥嵯峨 )
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( 同   平野屋     同上 )
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( 鮎菓子  奈良の老舗 鶴屋徳満 )
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万葉集その六百三十五( 香魚:あゆ )

「アユ」は その清楚な姿から川魚の王とされ、「鮎」「年魚」「香魚」とも書かれます。
古代、魚を釣って吉凶を占うことがよく行われていたらしく、伝説によると
神功皇后が征韓の成否を占うため、釣り糸を垂らしたところ立派な魚が釣れたので
大いに喜ばれ、その魚を鮎と名付けた、つまり「魚」+「占」(うらない)。

「年魚」と書かれるのは、秋に川で生まれて一冬海で過ごし、桜の季節と共に
再び清流を遡上して晩秋、産卵をして一生を終える1年限りの儚い命ゆえ。

「香魚」は石に付いた珪藻を食べながら成長し、一種独特の香気を持つため。
などと説明されています。

関東地方の鮎釣りの解禁は六月。
この日を待ちかねていた釣り人は、一斉に清流に向かいます。
然しながら、この時期の鮎はまだ小さく、しかも脂が少ない上、香りも立たず、
あまり美味くない。
というのは餌になる岩苔が雨に流されて栄養源を失った魚はガリガリに
痩せているのです。
旬は土用入りから2週間前後、通の人はこの時期の料理を楽しみます。

万葉集に見える鮎は16首。
そのうち作者名未詳ながら大伴旅人と思われる物語風の連作が11首。
ピチピチとした美女との会話を楽しむ幻想のお話。
そして、4首は鵜飼を好んだ家持。
大半が大伴親子作ですが、残念ながら食としての鮎は詠われていません。

「 年のはに  鮎し走らば  辟田川(さきたがわ)
      鵜(う)八つ潜(かづ)けて  川瀬尋ねむ 」 
                         巻19-4158 大伴家持

( 来る年ごとに、鮎が走って飛び跳ねるようになったら
 辟田川(さきたがわ)、この川に鵜を幾羽も潜らせて
 鮎を追いつつ川の瀬を辿って行こう。)

「年のは」毎年
「辟田川(さきたがわ)」所在未詳なるも、高岡市伏木近くの川と思われる。
「八つ」数が多いこと

家持はスポーツとして鵜飼を楽しんだようです。
鮎が棲んでいそうな流れの速い川に入り徒歩で進む。
背中に松明、腰に魚籠(びく)。
片手で鵜をさばきながら流れに逆らって歩く。
しかも徹夜ともなれば相当な運動量です。
もっとも、本職の鵜使いに手伝わせたようですが。

「 松浦川(まつらがわ) 川の瀬光り 鮎釣ると
       立たせる妹が 裳の裾濡れぬ 」  
                            巻5-855 大伴旅人

( 松浦川の川瀬がきらめき、鮎を釣ろうとして立っているあなた。
  ほらほら、裳の裾が、濡れていますよ。)

鮎釣りに興じている美しい乙女。
燃えるような紅の裳裾から白い素足がチラチラと見えている。
健康な色気を感じさせる幻想的な一首です。
              (作者未詳となっているが実際は大伴旅人作)

「 春されば 我家(わぎえ)の里の 川門(かわと)には
            鮎子さ走る 君待ちがてに 」 
                           巻5-859 大伴旅人

( 春になると我家の里の渡り瀬では若鮎が跳ね回っています。
  あなた様を待ちあぐんで )

上記2首は「序」と十一首の短歌群からなる空想の歌物語の一部で
肥前松浦の玉島川のほとりで遊んだ時のもの。
旅人は玉島川を美しい乙女ばかりが住む神仙境に仕立てています。

玉島川はその昔、神功皇后が鮎を釣ったと伝えられる伝説の地。
それ以来、この地の女性は玉島川で鮎を釣り、男が釣っても
掛からなくなったそうな。

『 松浦川の川瀬に赤い裳裾を濡らして立っている美しい乙女たち、
  彼女達はあたかも川を自由に泳ぎまわる若鮎の化身のよう。
  「若い雌の鮎が雄の鮎を待ちかねていますよ」 と
  彼女たちは積極的に男たちに誘いかけています

勿論、男たちも拒む気持ちはありません。

  「さぁさぁ喜んで釣り上げられましょう」  』

清流のほとりで、そんな想像をしながら、しばし俗世を離れて
幻想の世界に遊んだ旅人です。

  「 鮎釣るや 奔流に岩さかのぼる 」      秋元不死男

鮎の塩焼きによく合うのは「たで酢」。
「蓼」は青タデという柳のような葉をもつ草で、これをすり鉢ですって
酢に加えますが、古代の人も同じような味わい方をしていたことが
次の歌から窺われます。

「 わが宿の 穂蓼古幹(ほたで ふるから) 摘み生(おほ)し
     実になるまでに 君をし待たむ 」 
                            巻11-2759 作者未詳

( 我家の庭の穂蓼の古い茎、その実を摘んで蒔いて育てる。
 そしてまた実が結ぶようになるまで、私はずっとあなたを待ち続けます。)

男は旅に出るのでしょうか。
結婚出来るまでいつまでも待ち続けると願う純情な乙女です。

穂蓼古幹(ほたでふるから): 穂の出た蓼(たで)の古い茎
                   蓼は水辺に自生する1年生草本。
                   秋に穂を出す。
                    葉に辛味があり摘み取って食用とした

以下は「食の万葉集」からです。(廣野卓著 中公新書)

『 現在は蓼の若芽を刺身にそえたり、蓼酢が鮎の塩焼きに不可欠な
  香味料になっているがこの歌では秋になって実を摘んでいる。
  実は香味料になり、根は漢方薬として利用されている。
  「延喜大膳式」によるとタデを4月から9月まで採集すると定めて、
  その計算単位を「把」とするので、実だけではなく
  葉も利用していたようである。』

藤原宮跡や平城京跡から発掘された木簡から「年魚」「鮎」「醤(脾塩:ひしほ)鮎」
「酢年魚」「煮干鮎」などの記述が見え、また、各地の風土記にも
(鮎)「有昧(うま)し」とあり、鮎は様々な料理にされて万葉人の舌を
満足させていたようです。

また、鮎の内臓の塩辛「あゆのうるか」も古来から好まれていたらしく、
木簡にみえる「醤鮎(ひしおあゆ)」もその一種だったかもしれません。

  「 又やたぐひ 長良(ながら)の川の 鮎なます 」 芭蕉 (笈日記)

ある一夜、招かれて長良川名物の鵜飼を初めて見物したときの句。

金華山の木陰に席が設けられていて鵜飼で獲れた鮎を鱠(なます:刺身)にして
出され、「それは それは他に比べようもないほど美味しかった」と
感嘆している作者。

「長良」に「たぐひ なから(長良)ん」つまり、「たぐひなからん美味」と
地名の「長良(なから)」を掛けた即興句です。

「 めづらしや しづく なほある 串の鮎 」    飯田蛇笏

以下は池波正太郎氏の一文から

『 魚の塩焼きといえば、何といっても鮎だろう。(中略)
  魚を食べるのが下手な私だが、気心の知れた相手との食膳ならば、
  鮎を両手に取ってむしゃむしゃとかぶりついてしまう。

  鮎はサケと同類の硬骨魚だそうな。
  清らかな川水に成育するにつれ、水中の石に付着する珪藻(けいそう)や
  藍藻(らんそう:石垢)を餌とするので、それがため、魚肉は一種特別の
  香気を帯びる。

  その香気。
  淡白の味わい。
  たおやかな姿態。
  淡い黄色もふくまれている白い腹の美しさを見ていて
  「 あぁ、処女を抱きたくなった、、、」
  突如けしからぬことを叫んだ男が、私の友だちの中にいる。

  いまは鮪でさえも養殖しょうという世の中になってしまったけれども
  鮎だけは「夏来る」の詩情を保ちつづけている。  』

                   (味と映画の歳時記 新潮文庫から)

   「 鮎の香や 膳の上なる 千曲川 」   松根東洋城 

                   千曲川を他の川名に置き換えても通用する一句。


           万葉集635 (香魚:あゆ)  完


            次回の更新は6月9日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-06-01 16:26 | 動物

万葉集その六百三十四 (雉のほろろ)

(雉のペア 左 雄 右 雌 )
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( 雄は繁殖期になると しきりに羽ばたきして鳴く : 雉のほろろ)
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( 雌は卵を産むと動かず じっと守り続ける )
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( 雉の卵は通常6~12個位 )
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( 巣を狙うカラスを撃退する雄 )
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( 生まれたばかりの雛 )
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( 雉は赤いものを敵とみなす習性があり郵便配達車も襲う。 
 車を止めると配達員の足に噛みつく      NHK放映 )
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万葉集その六百三十四 (雉のほろろ)

1948年国鳥に指定された雉(きじ)は奈良時代「きぎし」とよばれ、
平安時代以降は音の響きがよいのか「きぎす」と詠われることが多くなります。

「きじ」は「きぎし」が短縮されたもので、「きぎ」は鳴き声、
「す」は鳥を表す接尾語とか。(大言海)

春の繁殖期になると、雄は「ケーンケーン」と勇ましく、
雌は「チョン チョン」と可憐、慎ましやかに鳴きます。

雄は闘争心が強く、他の雉が縄張りに入ろうとすると鋭い爪で蹴りあげ、
嘴(くちばし)で喉元を狙って食いちぎろうとして追い払い、我が領域で
複数の雌雉と関係を持つ艶福家でもあります。

一方雌は卵を産むと(通常6~12個)、野火事があっても、外敵が来ても
じっと動かず、覆いかぶさり己を犠牲にして雛を守り続ける母親の鏡です。


「 春の野に あさる雉(きぎし)の 妻恋ひに
    おのがあたりを 人に知れつつ 」  
                       巻8-1446 大伴家持

( 春の野で餌をあさる雉が、妻恋しさにしきりに鳴きたてている。
自分の居所を人に知られてしまい、危険なのになぁ。)

雉の肉は美味、人に知られると捕えられる羽目になるだろうよと
同情している作者。
若き頃の多感な時代に詠われた一首で、前年に父、旅人を亡くし、
雄雉の妻呼ぶ声に春愁を感じているようです。

雉は隠れても頭隠して尻隠さず、しかも「雉も鳴かずば撃たれまい」の
諺の如く、よく鳴くので猟師にとっては見つけやすい獲物でした。

特に、繁殖期になると、しきりに羽ばたきをしながら大きな声で鳴くので
歌や文学の世界では「雉のほろろ」と表現されるようになります。
「ほろろ」とは「ほろほろ」の略です。

のちに「取りつくすべもない」という意味の「けんもほろろ」という言葉が
生れましたが、その由来は不明。
一説によると、「つっけんどん」の「けん」と、雉の鳴き声の「けん」を
掛けたものかとありますが、いささかこじ付けの無理筋か。

「 あしひきの 八つ峰(を)の雉(きぎし) 鳴き響(とよ)む
     朝明(あさけ)の霞 見れば悲しも 」 
                            巻19-4149  大伴家持

( あちらこちらの峰々にいる雉が鳴きたて、夜明けの空に響いてくる。
 それに今朝は一面に霞が棚引いているなぁ。
 雉の鳴き声を聞きながら、この霞を見ていると、やたらと悲しい思いに
 かきたてられることだ。)

眠れぬままに迎えた明け方、折しも激しく鳴きたてる雉の声。
晴れぬ気持ちに覆いかぶせるような霞。
越中に赴任中の作者は都が恋しくなっていたのでしょうか。
あるいは朝廷における大伴家の勢力が衰退しつつある現状に寂しさを感じて
いたのかも知れません。

 「 きぎす鳴く 声もおぼろに聞こゆなり
       霞こめたる 野辺の通い路 」      樋口一葉

最近の雉はゴルフ場にも、街にも出没し人を全く怖がりません。
先日、赤いバイクに乗った郵便配達員が襲われている様子を放映されていましたが
赤色のものは敵とみなす習性があるそうです。
郵便配達中突然、雉が現れ足を食いつかれた人はさぞびっくり仰天した
ことでしょう。

  「 群青の すじひいて 雉 翔(かけ)りけり 」    上村占魚


雉は古来、食肉として珍重され婚礼の祝い膳にも供されていたそうです。
平城京の市でも売られており、「雉」「雉腊(きたい)」と書かれた木簡も
出土しているので人々は「生きた雉」や「干し肉」を市で購入していたことが
窺われます。
中世末には美味三鳥として雉、鶴、雁があげられており、江戸時代には
焼き鳥にされたものが非常に好まれたそうです。

以下はある友人の言です。

『 「焼け野の雉、夜の鶴」 そんな意味からすると、
  焼いてはいけませんなあ-。
  ましてや食うなんて・・・
  ところが人間はそれを「やる」
  美味いもんねぇ。アハハ。 』 

「 焼け野の雉(きぎす) 夜の鶴 」

とは雉は野が火事になっても逃げずに卵を守り、
鶴は羽を広げて子鳥を寒さから守るところから生まれた諺です。


 「 刻々と 雉子(きぎす)歩む ただ青の中 」  中村草田男



      万葉集634(雉のほろろ)完


次回の更新は 6月2日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-05-25 22:33 | 動物

万葉集その六百二十三 (ちんちん千鳥)

( ケリ 学友の甥御C.Yさん提供 「 今日も鳥日和 (極私的野鳥図鑑) 」
今日も鳥日和(極私的野鳥図鑑)

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( タイゼン 同上 )
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( ハジロコチドリ  同上 )
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( メダイチドリ   同上 )
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( 佐保川  万葉時代チドリ、カワズが多数棲息 川幅も5倍位広かった? 奈良)
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( 吉野川  同上  )
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「 ちんちん千鳥の啼く夜さは  
  啼く夜さは
  硝子戸(がらすど)しめても  まだ寒い
  まだ寒い

  ちんちん千鳥の啼く声は  
  啼く声は
  燈(あかり)を消しても まだ消えぬ
  まだ消えぬ

  ちんちん千鳥 親ないか
  親ないか
  夜風に吹かれて 川の上
  川の上    」 

               ( ちんちん千鳥  北原白秋作詞 近衛秀麿作曲)


幼い頃歌った懐かしい童謡。
澄み切った冬の空気に響きわたるような哀感ただよう曲です。

  「 わたし呼(よぶ) 女の声や 小夜ちどり 」  蕪村

絶え間なく鳴き続けるちんちん千鳥。
それは高く細く透き通るような声。
「ちんちん」とは風鈴あるいは鈴のような音を暗示しているのでしょうか。

鈴は神社の巫女さんが祭礼の時に振っているように、魂を高め、
鎮める道具とされています。
古の人たちはそのようなチドリの声を耳にすると、何とも言えない
うら悲しい気持ちになったり、懐旧の念に駆られて寒い夜を過ごしたのです。

「 さ夜中に 友よぶ千鳥 物思(ものも)ふと
      わびをる時に 鳴きつつもとな 」 
                   巻4-618 大神郎女(おほみわの いらつめ)

( 真夜中につれあいを求めて呼ぶ千鳥よ。
     物思いに沈んでしよげ返っているときに、むやみやたらと鳴いたりして。 )

大伴家持に贈った一首。
作者は奈良の三輪山付近出身の女性と思われますが詳細は未詳です。

家持に恋焦がれ何度も歌を送ったが全く反応なし。
「私にそんなに魅力がないのかしら」と思いに沈んでいる時、
恋人を呼んでいるらしい千鳥の声が響いてきた。

 澄み切った調べが夜空に高く響く。
「こんな鳴き声を聴くとますます寂しくなるではないか」
と溜息をつく作者です。

伊藤博氏によると「鳴きつつもとな」とは
『 環境の状況と作者の心情とのあいだに生ずるやりきれない違和感を
述べる表現として結句に用いられる。

相手の反応がないことを嘆いている自分なのに、
千鳥には応える友がいるらしいことが
「鳴きつつもとな」なのである。』 (万葉集釋注2)

「 夜ぐたちに 寝覚めてをれば 川瀬尋(と)め
    心もしのに 鳴く千鳥かも 」 
                        巻19-4146 大伴家持

( 夜中過ぎに眠れずにいると 川の浅瀬伝いにきて 
    我が心がうち萎れるばかりに鳴く千鳥よ。 )

「 夜ぐたちに」: 夜中を過ぎたころ。「くたち」は「盛りを過ぎる」の意

「 寝覚めてをれば」: 寝床に入っているが眠れないで目をさましていること

「 川瀬尋(と)め」: 川瀬は家持の居館近くを流れる射水川(富山)の浅瀬
             「尋(と)め」:追い求める。ここでは浅瀬伝いにきて

「心もしのに」 : 心が萎えてしまうほどに 

家持の都の留守宅は奈良の佐保川のほとり。
千鳥と河鹿(かじか)がよく鳴くことで知られていました。
真夜中に千鳥の哀しげな声を聴き、都に置いてきた妻が急に懐かしく
思い出したことでしょう。

あぁ、早く都に帰りたい!

「 夜ぐたちて 鳴く川千鳥 うべしこそ
     昔の人も 偲(しの)ひ来にけれ 」 
                       巻19-4147 大伴家持

( 夜中過ぎになって鳴く千鳥。
 昔の人もこの声の切なさに心惹かれてきたのは
 なるほど もっともなことだなぁ。 )

うべしこそ:なるほど、なるほど尤もなことだ。

家持は「昔の人」に人麻呂を意識しているようです。
人麻呂の千鳥の歌といえば

「 近江(あふみ)の海 夕波千鳥 汝(な)が鳴けば
    心もしのに いにしへ 思ほゆ 」   
                          巻3-266 柿本人麻呂

( 近江の海の夕波千鳥よ、お前たちが哀しそうに鳴くのを聞いていると
 心もうつろに萎えて、ひたすら昔のことが思われてならない )

心も萎えてしまうほどに昔が思われるのは天智天皇の近江朝。
あの華やかなりし都は壬申の乱で滅亡し今や荒れ果てた廃墟になっていたのです。

「夕暮れの波間を鳴きながら群れ飛ぶ千鳥」を、たった4文字に凝縮した「夕波千鳥」。
美しくも哀しさを感じさせる名歌中の名歌です。

    「 夕千鳥 波にまぎれし 如くなり 」 高濱年尾




       万葉集623(ちんちん千鳥)完


       次回の更新は3月19日の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-03-09 21:00 | 動物

万葉集その六百二十二 (千鳥)

( イカルチドリ 学友の甥御 C.Y さん提供 「今日も鳥日和(極私的野鳥図鑑)」
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( コチドリ  同上 )
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( シロチドリ  同上 )
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( 蛙の仲間たち  動物図鑑  万葉人は河鹿:カジカの声を楽しんだ )
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「千鳥」とは元々数多くの鳥の意で群を作って飛ぶところから、その名がある、
あるいは鳥が「チ、チ」と鳴くと聞きなし、「チ+トリ」になったともいわれています。

その種類は多く、チドリ科、シギ科、カモメ科、ウミスズメ科など19科、
約390種類の水鳥、海鳥が含まれており、学術的には鷸(シギ)千鳥目に
総括されていますが、数が多すぎ素人が一瞬で見分けるのは難しいようです。

歌の世界ではチドリ科のうち大型のケリ類を除いたものをいい、コチドリ、
イカルチドリ、シロチドリの3種が日本で繁殖しています。
(コチドリは夏鳥として渡来)

「ピォ ピォ ビユ-、ビュ-」 と鳴くのはコチドリ
「ピォ ピオ 」は イカルチドリ
「ククリ ククリ」は メダイチドリ 、オオメダイチドリ
「ピヨイ ピヨイ ピピピ 」が 白チドリ

その特異な声は哀調を感じさせる上、水辺をチョコチョコと走り廻る姿が
愛らしく、古くから無数の歌や俳句に詠まれてきました。
現在は冬の季語とされていますが、万葉集では26首、季節に関係なく
詠われています。

「 千鳥鳴く み吉野の川の 川音の
     やむ時なしに 思ほゆる君 」
                    巻6-915 車持千年(くるまもちの ちとせ)

(  千鳥鳴く吉野川の川音のように、一時とてやむときもなく
   あの方のことが思われます。)

723年、持統天皇吉野離宮行幸の折の歌。

この歌の前の長歌で
「 朝霧が立ち、河鹿が鳴く美しい吉野を自分一人で眺めるのは残念だ。
  都に残してきたあの人にもこの素晴らしい光景を見せたいものだ」

と詠った後の或る本による反歌。

異境を旅する時はまず土地褒めをするのが当時の習い。
女帝に従ってきた女官も多くいたので女性の立場で詠ったものと思われます。

きらびやかな衣装をまとった都人。
風光明媚な吉野。
男も女も、都に残してきた愛する人を思い出しながら、千鳥の声に
聴き惚れていたことでしょう。

次の2首は問答とされる二人の掛け合いの歌です。

「 佐保川に 鳴くなる千鳥 何しかも
    川原(かはら)を偲(しの)ひ  いや川上(かはのぼ)る 」
                         巻7-1251  作者未詳
( 佐保川で鳴いている千鳥よ。
 なんでそんなに川原を愛しんで、ずんずん川を上ってくるのか )

「 人こそは おほにも言はめ 我がここだ
          偲(しの)ふ川原を 標(しめ)結ふな ゆめ 」
                    巻7-1252  作者未詳

( 人々は平凡な景色だというかもしれません。
 だけど、私がこんなに愛しんでいる場所ですから
 勝手に標を張って締め出すようなことはしないで下さいな )

「おほにも」: 「凡(おほ)にも」で「いい加減に」
「ここだ」: こんなにも甚だしく
「標結ふ」:立ち入り禁止の標識 女を独占したい男の立場で用いることが多い

ある人が千鳥に向かって問いかけ、千鳥の立場で答える形になっています。

伊藤博氏は
『 ただ、これだけでは意味をなさないので、千鳥を男、川原を愛する女に譬え、
ある第3者が「お前何であんなつまらぬ女に惚れて通っているのだ」

とからかったところ

「 つまらぬ女かも知れないが、俺にとっては愛しい人。
  無用な邪魔立てはするなよ。
  もしかしたら油断させて横取りする気ではあるまいな 」
  と答えたものらしい。』

とされています。

この解説がないと、理解が難しい問答歌です。

「 我が門(かど)の 榎(え)の実もり食(は)む 百千鳥(ももちどり)
         千鳥は来れど 君ぞ来まさぬ 」   
                                  巻16-3872 作者未詳

( 我が家の門口の榎の実を もぐもぐと食べ尽くす群鳥、
  群鳥はいっぱいやってくるけれど、私が待つ肝心の君は
  一向においでにならないわ。)

榎はエノ木科の落葉高木、赤黒い小さな実を求めてムクドリが群れて
食するそうですが、ここでの百千鳥は群れをなした鳥。

この歌は筑前国の謡ものらしく
「もり食む」に貪欲な、「百千鳥」に多くの男達を寓し

「 女好きな男たちは私の体を求めて、うようよやって来るけれど
肝心なあなたは来ない。
  そんなに邪険にしていると他の男と一緒になってしまうよ 」
とからかっているように思われます。
周りが囃しながら歌う宴席での定番だったのでしょう。

   「 入り乱れ 入り乱れつつ 百千鳥 」 正岡子規

万葉人の造語、百千鳥は一体何の鳥か諸説ありましたが、現在では
種類も様々な小鳥が野山で鳴き交わす様子を言う四季の季語です。

「 佐保川の 清き川原(かわら)に 鳴く千鳥
     かわづと二つ 忘れかねつも 」       巻7-1123 作者未詳

( 佐保川の清らかな川原で鳴く千鳥と河鹿。忘れようにも忘れられないなぁ。
 早く旅を終えて家に帰りたいよ )

佐保川は春日山に発し、奈良市を西南に流れる川で千鳥と河鹿が名物と
されていました。
清流に鈴を転がすように鳴く「かじか」。
河鹿と書きますが実は蛙の一種です。

晩春から雄のみが雌を求めて「フィフィフィフィフィフィ、フィーフィー」と
鳴き出し初秋には鳴きやみます。
古代の人達は千鳥と河鹿の美しい二重奏を楽しんでいたのです。
優雅ですねぇ。

佐保川の千鳥も河鹿も今は姿を消し、狭くなった川の土手は桜並木に
なっています。
川べりに座ってせせらぎの音を聴いていると、往時の様子が
目に浮かんでくるようです。

余談ながら、酒に酔った人の足取りを千鳥足と云いますが、これは千鳥類などが
蟹などを捕えるため歩行中頻繁に向きを変え、踏み跡がジグザグになるようすに
由来するそうな。

     「 酔ひ足りて 心閑(しづ)かや 遠千鳥 」 日野草城 



     万葉集622 (千鳥) 完


     次回の更新は3月10日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-03-02 20:26 | 動物

万葉集その五百十九 (狐)

( キタキツネ丹頂鶴の餌を狙う  学友M.I さん提供 )
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( キタキツネ  同上 )
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( ギンギツネ  同上 )
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( 蔵王キタキツネ村         yahoo画像検索 )
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( 鳥獣戯画  高山寺 京都 )
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( 歌舞伎稲荷大明神  歌舞伎座正面右脇 )
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( 同上 )
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( 狐の嫁入り          yahoo画像検索 )
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(  同上 )
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「遠ざかる 狐の声の あはれにも
   谷にしみいる 山彦となる 」       土屋文明

キツネは肉食目犬科の動物で古くは「キツ」とよばれていました。
ヨーロッパ、アジア、北アメリカに多くの種類が分布し、わが国でも北海道には
キタキツネ、本州、四国、九州にホンドギツネが生息しています。
縄文後期から弥生時代にかけて稲作が盛んになると、ネズミやモグラが田の土手に
穴をあけて水を抜いたり穀物を食い荒らしたりするので、これらを捕食する狐は
益獣として大切にされていました。
そのことは、田を守る神の使いとして後の稲荷信仰に結びついてゆきます。

万葉集に登場する狐は1首のみですが、我国詩歌史上重要な歌です。

今から約1300年前のある夜、官人たちが大勢集まって宴会を楽しんでいました。
酒盛りも佳境に入った真夜中の12時ころ、山から人里に下りてきたのでしょうか、
突然、「コン」! と狐の鳴き声が聞こえてきました。

そこで一同、歌の名手とされていた意吉麻呂(おきまろ)に
「 食器類、雑器、狐の声、河の橋 」を詠みこんで、何でもよいから歌を作れ」と
囃したところ彼は即座に詠い出しました。

「 さし鍋に 湯沸(わ)かせ 子ども 櫟津(いちひつ)の
     檜橋(ひばし)より来(こ)む  狐に浴(あ)むさむ 」

                巻16-3824 長 忌寸 意吉麻呂(ながの いみき おきまろ)

(  さし鍋で 湯を沸かせよ ご一同。
  檪津の檜橋を渡って コムコムと鳴きながらやって来る狐めに
  湯を浴びせてやるのだ )

「さし鍋」  注ぎ口のある鍋で食器、古代、撰具(せんぐ)とよばれた。
「子ども」  周囲の人に対する呼びかけ
「檪津(いちひつ)」 狐の渡ってきた橋のある場所の名。
中に「櫃(ひつ)の音が含まれ雑器を詠みこんでいる
「檪津(いちひつ)」の場所は奈良県天理市櫟本あたり

「来む」 狐の鳴き声「コム(コン)」が隠されている
「檜橋」 檜造りの立派な橋、

「 狐め! 人間様のための檜の立派な橋を大威張りで渡ってくるとはけしからん。
  湯でもぶっかけてやろうではないか? 皆の衆 」とおどけた即興歌です。

この歌は「物名歌(ぶつめいか)」すなわち指定された物の名前を歌に詠みこんで
楽しむ遊びの先駆けで、平安時代に盛んに行われるようになります。
大岡信氏はこの歌を大いに評価され

『 日本の詩は、きわめて早い段階において、いわゆる言葉遊びに関してだけでも
  すでに一流の域に達していたのだということを忘れてはならない 』と
述べておられます。  ( 私の万葉集 講談社現代新書 )

「  ここに来て 狐を見るは 楽しかり
      狐の香(か)こそ 日本古代の香(か) 」     斎藤茂吉


  獣はそれぞれに独特の体臭をもち、互いに嗅ぎ合いますが、
  狐の体臭から古代日本をとらえたユニークな一首です。

さて、稲荷神社です。
現在全国の神社は約8万社と言われていますがそのうち3万2千社が稲荷神社と
その系統だそうです。
実に40%。 
何故、稲荷信仰がかくも多く、そして、どのようにして狐と結びついたのでしょうか?

稲荷は元々稲生り(イナリ)または稲成に「稲荷」の字があてられた稲の神様です。
その主神は宇迦之御霊神(うがの みたま)、別名、御撰津神(みけつ の かみ)と
いいましたが、誤って「三狐神(みけつのかみ)」と書かれたため、狐は神様の化身、
後には神そのものになってしまったといわれています。
御撰(みけつ)とは食物の意です。

さらに「山城国風土記」逸文によると

「 渡来の豪族秦氏(はたし)の先祖である伊呂具 秦君(いろぐの はたのきみ)という
人物が富裕に驕って餅を的にして弓矢を射ったところ、その餅は白い鳥に化して
山頂に飛び去った。
そして、その場所に稲が生ったので「稲生り」という神名になった。
それを知った伊呂具はその場所に行き過去の過ちを悔い、神社の木を
根ごと抜いて屋敷に植えそれを祀り氏神とした」
その故事が稲荷神社のはじまりと伝えられています。

その後、食物、農業の神様として全国に広まり、さらに商業、漁業、屋敷の
守護神ともなり現在に至っていますが、面白いことに、江戸時代に芝居の神にも
なり、芝居小屋の楽屋裏に稲荷明神の祭壇が置かれ、現在の歌舞伎座の正面脇にも
稲荷大明神が鎮座まします。

3万2千の稲荷神社の総本社は京都の伏見稲荷大社で白狐がシンボル。
神前に稲荷寿司を供えるのは米俵を模したもので、肉食の狐が油揚げを
好むわけではないそうです

「秋の火や 山は狐の 嫁入り雨 」 小林一茶


都が平安京に遷されると、この地を地盤にしていた秦氏の力はさらに強くなり、
東寺建造の際に稲荷山から木材を提供したことで稲荷神は東寺の守護神と
みなされるようになります。
東寺では真言密教における茶枳尼天(だきにてん:インドの悪神ダーキニー)と
習合させたため、真言宗が全国に広まると狐は祟り神の側面も持つようになり、
狐は人を化かすという迷信が生まれ、狐火、狐の嫁入りなどが登場します。
一茶の句の嫁入り雨とは天気雨のことで、狐火は農作物に不可欠なリン類の
発光と考えられているそうです。

なお、現在、新潟県東蒲郡郡、三重県四日市など各地で観光イベントとして
狐の嫁入り行列が行われています。

「 銀の尾の 冬毛の狐 あゆみいる
   遥かなる野を おもふ風の夜 」  小島ゆかり


    銀狐と黒狐の毛で作られた襟巻は高級品で寒い所に棲むものほど優良な毛の
    持主とされています。
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by uqrx74fd | 2015-03-12 20:26 | 動物

万葉集その四百九十五(こほろぎ鳴くも)

( フアーブルの昆虫記 )
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( 向島百花園 虫ききの会案内ポスター)
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( こおろぎ  向島百花園 )
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( 鈴虫  同上 )
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(  竹細工 こおろぎとキリギリス )
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( 案山子  虫たちの演奏会  明日香稲渕案山子祭り 奈良)
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古代、秋に鳴く虫はすべて蟋蟀(こおろぎ)とよばれており、スズムシ、マツムシ、クツワムシなどと区別し、
鳴く音を聞き分けるようになったのは平安時代からと いわれています。                       いわば、万葉人は虫の演奏をシンフォニーとして聴きなし、王朝人はソナタを鑑賞していたとでも
いえましょうか。

万葉集での蟋蟀は7首。                                         
いずれもその美しい演奏に耳を傾けながら行く秋の夜長を楽しんでいるものばかりです。

「 秋風の 寒く吹くなへ 我がやどの
         浅茅がもとに こほろぎ鳴くも 」    
                    巻10-2158 作者未詳

( 秋風が寒く感じる位に吹くおりしも、我家の庭の浅茅の根元で
  こおろぎが鳴いていますよ )

「なへ」 ~するにつれて 二つの事象が併行して進さまをいう

なんとなく肌寒い気配。
ふと気が付くと虫たちが盛んに鳴いている。
深まりゆく秋をしみじみと感じている作者。
調べよく、爽やかな涼気が漂う一首です。

「 夕月夜(ゆうづくよ) 心もしのに 白露の
     置くこの庭に こほろぎ鳴くも 」 
                           巻8の1552 湯原王(ゆはらのおほきみ:既出)

( 月の出ている夕暮れ、心が萎れてしまうばかりに蟋蟀が鳴いています。
    白露の置くこの庭で  )

作者は天智天皇の玄孫(やしゃご)で、父、志貴皇子と共に気品のある秀歌を多く
残しています。

「心もしのに」は「心も萎れてしまうばかりに」の意。

月夜の中、蟋蟀の演奏がバイオリンのように響く。
高く、低く、長く。
心に滲み入るような哀感。

月、白露、こおろぎと代表的な秋の情景を配し、作者の心情を見事に歌い上げた秀歌で、
その繊細な感覚は古今集の時代を先取りしているようです。

「 こほろぎの 我(あ)が床の辺(へ)に 鳴きつつもとな
    起き居つつ 君に恋ふるに 寐寝(いね)かてなくに 」

                巻10-2310 作者未詳 (旋頭歌577.577を基調とする)

( こおろぎが私の寝床あたりでむやみやたらに鳴いている。
  私はあの方に恋焦がれて眠れず、起き上がって座ったままでいるのに )

「鳴きつつもとな」:「もとな」(元無) は 「むやみに」
「起き居つつ」 起きて床の上に座っているさま

「寐寝(いね)かてなくに」  「かて」は~することが出来る であるが後に「なくに」という否定語があるので 
「寝ることが出来ない」の意となる

ある男性に恋焦がれている女。
恋苦しさに何度も寝返りをうち、とうとう起き上って居ずまいを正して座った。
庭で鳴いていた蟋蟀の鳴き声が一段と高くなっている。
床の下にまで潜っているのだろうか。
もぉう! むやみやたらに楽しげに鳴いて!
私は苦しくって寝られないというのに!

コオロギの鳴き音は3種類あるそうです。 
                                
「コロコロコロコロ」  ひとり鳴き                                  
「コロコロリ・・・コロコロリ」  切ない響き、雄の求愛                        
「キリキリキリッ 」  縄張り争いの喧嘩鳴き

この女性が聴いたのは切ない求愛の鳴き声だったのでしょうか。

最後に三好達治氏のユーモラスな詩をどうぞ。

『 新聞紙に音をたてて
  葡萄のやうな腹の 蟋蟀が一匹とびだした
  あすはクリスマス
  この独りの夜を
 「 愕かすじゃないか 魔法使いじゃあるまいね
   そんなに向こう見ずに私の膝にとび乗って 」
 「 ごめんなさい 何しろ寒くって ・ ・ ・ 」 』
                                       (蟋蟀より) 

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by uqrx74fd | 2014-09-26 16:26 | 動物

万葉集その四百八十(年魚:あゆ)

( 鮎釣る人  木津川 奈良)
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( 堰を飛び越える鮎  言葉の季節 小学館より 撮影 水野克比古氏 )
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( 今夜の食卓に  5月初旬 まだ小さいなぁ )
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( 鮎の塩焼き    菊乃屋(鳥取)
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( 琵琶湖の小鮎の佃煮 )
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( 銘菓 吉野川  鶴屋徳満(奈良の老舗)
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( 鮎の宿  平野屋 京都奥嵯峨 )
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( 鮎の宿  つたや 同 )
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( 平野屋の大提灯  あゆよろし )
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「 岩間ゆく 清き河瀬に 遊びけむ
    鮎にしあれや 見るも涼しき 」   伊藤左千夫


6月は鮎解禁月。
秋に川で生まれた鮎は一冬海で過ごし、桜の季節と共に群れをなして清流を遡上します。
所々の段差をものともせず飛び越えること1m。
石に付いた珪藻を食べながら成長し独特の香りをもつので香魚ともよばれ
旬は土用の2週間前後。
晩秋に産卵してその短い一生を終えるので年魚とも書かれます。

古代の人たちは鮎が好物だったのか、竿で釣り、梁を仕掛け、鵜飼も行い、
朝廷では直属の鵜飼部を置き、天皇に新鮮なものも供していたようです。
文献にはありませんが塩焼き、刺身、鮎鮨、腸の塩漬け-「うるか」なども
食されていたかも知れません。
木簡の記録によると税として各地から納入されたものは、天日干し、塩漬け、佃煮
酢漬、粕漬などの長期保存が出来る加工品。
塩漬けなどは煮戻すと食べやすい固さと味になる工夫がなされていたようです。

万葉集に見える鮎は16首。
そのうち大伴旅人と思われる物語風の連作が9首、鵜飼を好んだ家持が4首と
大半が大伴親子作。よほど鮎が好きだったのでしょう。
以下は家持の鵜飼の様子を詠ったものです。
先ずは訳文から。

訳文
「 年が改まって春がやってくると  
  花々があたり一面に咲き匂う
  百花繚乱の山裾一帯を響かせて
  落ち激(たぎ)って流れる 辟田川(さきたがは)
  その川の瀬に 鮎がすいすい走って飛び跳ねている

  島つ鳥の鵜、その鵜飼の者どもを引き連れて篝火(かがりび)を焚き
  流れにもまれて上ってゆくと 
  愛しい人が私を偲ぶよすがにと
  紅色に念入りに染め上げて送ってくれた着物の裾も
  どっぷりと濡れてしまった 」  
                                   巻19-4156 大伴家持

訓み下し文

あらたまの 年行きかはり 
春されば  花のみにほふ 
あしひきの 山下響(とよ)み 
落ち激(たぎ)ち  流る辟田(さきた)の 
川の瀬に  鮎子さ走る  

島つ鳥  鵜飼伴なへ 
篝(かがり)さし  なづさひ行(ゆ)けば  
我妹子(わぎもこ)が   形見がてらと 
紅の  八しほに染めて 
おこせたる  衣の裾(すそ)も 
通りて濡れぬ 」 
                 巻19-4156 大伴家持


一行づつ訓み下してまいりましょう。 (右は語句解釈)

あらたまの 年行きかはり 

        「あらたまの」 年の枕詞
        「年行きかはり」 年が過ぎ改まって

春されば  花のみにほふ 

      「春されば」 春になると 
       「花のみにほふ」 花が一斉に咲いて目立つさまを「のみ」と表現

 あしひきの 山下響(とよ)み 

       「あしひきの」山の枕詞 
        山裾一帯を響かせて 

落ち激(たぎ)ち  流る辟田(さきた)の   

         急流が流れる辟田川
         「辟田川」 高岡市伏木あたりの川か

川の瀬に  鮎子さ走る
 
           「鮎子」 若鮎
           「さ走る」上下に跳ねたり水平にすいすい泳いでいるさま
            万葉人の素晴らしい造語。
           「さ」は接頭語 語の前につけて意味を付け加えたり文法上の変化をもたらす
                 (例)さ迷う、ご親切

島つ鳥  鵜飼伴なへ 

          「島つ鳥」 鵜飼の枕詞  鵜飼人を伴って

篝(かがり)さし  なづさひ行(ゆ)けば  

       「篝さし」 当時の鵜飼は夜、かがり火を頼りに歩行して行う
       「なづさひ行けば」 流れにもまれ抗しながら行く

我妹子(わぎもこ)が   形見がてらと 

              「 形見がてらと」  偲ぶよすがにと

紅の  八しほに染めて 

          「八入(やしほ)に染めて」 紅で何度も何度も染めて

おこせたる  衣の裾(すそ)も 
 
         「おこせたる」  送ってよこした
 
通りて濡れぬ  

       「通りて」 水が通って
                             巻19-4156 大伴家持

反歌

「 年のはに  鮎し走らば  辟田川(さきたがは)
   鵜(う)八つ潜(かづ)けて  川瀬尋ねむ 」 
                         巻19-4158 大伴家持(既出)


( 鮎が飛び跳ねる季節になったら 毎年来て、この辟田川に鵜を幾羽も潜らせて
 鮎を追いつつ川の瀬を辿って行こう )

「年のは」毎年
「八つ」数が多いこと

家持はスポーツとして鵜飼を楽しんだようです。
鮎が棲んでいそうな流れの速い川に入り徒歩で進む。
背中に松明、腰に魚籠(びく)。
片手で鵜をさばきながら流れに逆らって歩き、しかも徹夜ともなれば
相当な運動量になったことでしょう。
もっとも、本職の鵜使いに手伝わせたようですが。

家持も旅人も鮎を食べることには関心がなかったのか、食に関する歌が
見えないのが残念です。

「 魚の塩焼きといえば何といっても鮎だろう。
  ただし、焼き立てをすぐさま頬張らないとどうにもならぬ」

とは池波正太郎氏の弁。 (味と映画の歳時記)

カリカリと焼き上がった鮎を緑鮮やかな蓼酢を付けて戴く。
夏最高の御馳走です。
さぁ、とれたての鮎を求めて奥嵯峨や吉野へでも参りましょうか。

  「 飛ぶ鮎の 底に雲ゆく 流れかな 」 上島鬼貫
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by uqrx74fd | 2014-06-13 06:37 | 動物

万葉集その四百七十六(桃、藤、ホトトギス)

( 満開の桜の下で咲く桃の花 山の辺の道 奈良 )
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( 同上 )
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( 藤  春日大社境内 奈良 )
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( 藤  春日大社神苑 万葉植物園 )
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( 巨大なイチイガシに絡む臥龍の藤  同上 )
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( ホトトギス 俳句の鳥虫図鑑 成美堂出版より)
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( 平城京天平祭のポスターより )
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( 楽しそうな乙女たち  同上 )
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749年前後の風薫る5月の半ばころ。
越中在住の大伴家持はホトトギスと藤の花を題にした長短歌を作りました。
数ある万葉歌人の中でも家持ほどホトトギスを好み、その初音を待ち望んだ人は
他に見当たりません。
何しろ万葉集で詠まれたホトトギス155首のうち66首が家持の作なのです。

以下は桃、青柳、乙女、ホトトギス、月、藤の花がちりばめられ、さながら
協奏曲のような調べが奏でられており、家持の陶酔ぶりが窺われる長歌です。

まずは意訳文から

(長歌意訳)


「 桃の花のように華やかに映えている顔
  青柳の葉のような細い眉
  その眉が曲がるほどに笑いこぼれている乙女の
  楽しそうな表情を鏡に写している朝の姿の
  なんと美しいことよ

  乙女の手に取っている真澄の鏡の蓋(ふた)ではないが
  その「ふた」という名をもつ二上山の
  木が生い茂る暗き谷あたりを 
  ホトトギスが朝になると
  鳴き声を響かせながら飛び渡ってゆく

  夕方、月が出る頃になると
  光かすかな野辺で 遥かかなたで鳴くホトトギスが
  藤の花に触れて、はろはろと散らす

  そんな藤の花を好もしく思って
  手元に引きよせて手折り
  我が衣の袖に入れた
  着物が染まるなら染まってもかまわないと思って 」 
                                   19-4192 大伴家持

訓み下し文

(ホトトギスあわせて藤の花を詠む)

「 桃の花 紅色に 
にほひたる 面輪(おもわ)のうちに 
青柳の 細き眉根を 
笑み曲がり 朝影見つつ 
娘子(をとめ)らが  手に取り持てる 

まそ鏡  二上山に 
木(こ)の暗(くれ)の  茂き谷辺(たにへ)を 
呼び響(とよ)め  朝飛び渡り 

夕月夜 かそけき野辺に 
はろはろに 鳴くほととぎす
立ち潜(く)くと 羽触(はぶ)れに散らす 

藤波の   花なつかしみ 
引き攀(よ)じて  袖に扱入(こき)れつ 
染(し)まば 染(し)むとも 」
                        巻19-4192 大伴家持


(1行づつの訳文と語句解釈)

桃の花 紅(くれなひ)色に 

        ( 桃の花のような 紅色に)

にほひたる 面輪(おもわ)のうちに 

        ( 美しく映えている 顔の中で )

             面輪は顔の輪郭の意で顔つき

青柳の 細き眉根を 

        ( 青柳の葉のような細い眉 )

         女性の細くてしなやかな眉を柳に例えたもの。柳眉

笑み曲がり 朝影見つつ 

      ( その眉が曲がるほどに 笑いこぼれている朝の容姿を見ながら )

娘子(をとめ)らが  手に取り持てる 

      ( 乙女たちが 手に取っている )

まそ鏡  二上山に 

      (鏡の蓋(ふた)ではないが その「ふた」の名を持つ二上山に)

      まそ鏡 鏡箱の蓋の意   
      二上山 高岡市北方の山

木(こ)の暗(くれ)の  茂き谷辺(たにへ)を 

      ( 暗くなるほど茂った木の下の谷辺を )

呼び響(とよ)め  朝飛び渡り 

      (  鳴き声を響かせながら 朝 飛び渡り )

夕月夜 かそけき野辺に
 
          ( 夕月のかすかな 野辺に )

          かそけき:光のかすかなさま、家持の造語

はろはろに 鳴くほととぎす

        ( 遥かなたから鳴く ホトトギス )

         はろはろに:遥か彼方からかすかに

立ち潜(く)くと 羽触(はぶ)れに散らす 

       ( そのホトトギスが翔けくぐって 羽に触れて散らす)

          立ち潜くく 枝の狭い間をくぐること
          羽触れ 羽が触れること

藤波の   花なつかしみ 

       ( 藤の花をいとおしく思って )

         花なつかしみ : 花が散るのが惜しくて心惹かれるの意

引き攀(よ)じて  袖に扱入(こき)れつ

       (引きよせて袖に むしり入れた) 

         扱(こき)入れ:手でむしりとる

染(し)まば 染(し)むとも 

        (着物が染まるなら それでもいいと思って)

          とも:放任の意
                巻19-4192 大伴家持

反歌

「 ほととぎす 鳴く羽触(はぶ)れにも 散りにけり
    盛り過ぐらし 藤波の花 」     巻19-4193 大伴家持

( ホトトギスが鳴きながら飛び、藤の花に羽が触れるだけでも
  ほろほろと散ってしまうよ。
  花の盛りが過ぎてゆくらしいなぁ )

この長歌の特異なところは冒頭の「桃の花」から「まそ鏡」まで
二上山を起こす「序詞」となっていることです。
序詞とは「ある語句を導き出すための前置きとして述べる言葉で、
枕詞と同じ働きをしますが、4音5音からなる枕詞と異なり2句ないし4句にわたるのが通常です。
この歌では11句という長い序詞、さらに
冒頭の「桃の花」は家持の秀歌

「 春の苑 紅にほふ 桃の花
    下照る道に 出でたつ娘子(おとめ)」  巻19-4139 大伴家持


を意識したものと思われ、そこには妻大伴坂上大嬢の面影を重ねているようです。
妻とともにホトトギスの初音を聴き、藤の花を眺めている情景を思い浮かべている。
伊藤博氏はこの歌はすべて幻想をもとにして詠われたものとされていますが、
実景として取り扱っても差支えがないようにも感じられます。

ただ、序の内容があまりにも長くも美しいため、本題がかすんでしまった感があり
専門家の評価が分かれるところです。

それにしても家持のホトトギスに対する執着は尋常ではありません。
一体何に魅力を感じたのでしょうか?
詠われた66首の内容を見ると
「初音」「鳴声ない恨み節」「名のる鳥」「網で獲り飼育する」
「蝶の幼虫を産み付ける橘を庭に植えそれを食べるホトトギスを誘う」
「卯の花、藤、菖蒲、栴檀、萩との取り合わせる」「夏到来」
などありとあらゆる場面で詠われています。

万葉人によって詠われたホトトギスはその後、古今集、新古今集の時代にも
受け継がれ、春の花、夏のホトトギス、秋の月、冬の雪という四季を代表する
詠題となり、およそ歌を口にする人にとって一通りホトトギスの事を知っておかないと
歌人の資格がないと云われるほど重要な季語になりました。
家持の影響恐るべしです。

  「 ほととぎす あすはあの山 こえて行こう」 種田山頭火














  
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by uqrx74fd | 2014-05-16 06:58 | 動物