カテゴリ:心象( 67 )

万葉集その六百二 (秋の恋歌 3)

( 沢瀉(オモダカ)の葉 奈良万葉植物園 )
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( 同 逆さにしたら人の顔?  同 )
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( 沢瀉の花 初夏  同 )
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( 写楽の切手  人の顔が沢瀉に似ている? )
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( 稲刈りのあと  明日香  奈良 )
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( 朝露   室生寺 奈良 )
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(  葛の花  奈良万葉植物園 )
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(  紅葉   奈良公園 )
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(  鹿は紅葉がお好き  同 )
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秋の恋歌の第三弾は沢瀉(おもだか)、稲刈り、露、葛、黄葉に寄せた恋歌です。
まずは貌花(かほ花)と詠われた沢瀉から。

「 石橋の 間々(まま)に生ひたる かほ花の
    花にしありけり ありつつ見れば 」
                          巻10-2288 作者未詳

( 川を渡るために置いた飛び石の合間に生えているかお花。
 その花は美しいけど実を付けない仇花だったのだな。
 やっぱり一時の浮気心だったのか。 
 こちらは真剣に付き合ってきたのに。)

「長い間、誠意を尽くして付き合ってきたのに、あの女は一向に
応えてくれない。がっかりしたなぁ。」
と実のない女に失望している男。

カホバナは容花、貌花とも書かれます。

「言海」によると「かほ」とは「形秀:かたほ」が略されたもので、
もともとは目鼻立ちの整った表面(おもてずら)を意味するそうです。

古代の人たちは「かほばな」の可憐な花の美しさに引かれてその名を
与えたのでしょうが、今日のどの花に当たるかについては昼顔、
カキツバタ、オモダカ、ムクゲ、キキョウなど諸説あり定まっていません。

この歌での「かほ花」は、川の飛び石の間に咲く花、つまり水中や湿地に生えて
いると詠われているのでオモダカ(沢瀉)かカキツバタと思われますが、
秋の相聞に分類されているのでオモダカと解釈致します。

枕草子54段 「草は」で

「 沢瀉も 名の をかしきなり。
    心あがりしけむと 思ふに。 」

( 沢瀉は面高に通じて面白い名前です。
 大柄(おおへい)に しているだろうと思いますと。)

と、あるように葉の付き具合が顔を上げて高ぶっているように
見えなくもありません。
鼻など顔の中央部が高いのを「面高」といい、転じて「高慢な」の意も。
顎が長く、鼻が大きい写楽の絵に何となく似ているような気がします。

沢瀉はオモダカ科の多年草で、夏に白い小花を咲かせ、
別名、花慈姑(ハナグワイ)。 
因みに歌舞伎の市川猿之助,段四郎の屋号は「澤瀉屋」です。

 「 澤瀉や 弓矢立てたる 水の花 」  山口素堂

葉の形を矢羽に見立てたのでしょうか。

次は稲刈に寄せる恋歌です。

「 橘を守部(もりべ)の里の 門田早稲(かどたわせ)
     刈る時過ぎぬ 来(こ)ずとすらしも 」
                     巻10-2251 作者未詳

( 守部の里の門田の早稲を刈り取る時期が過ぎてしまった。
  なのに、あの人は来てくれないつもりらしい。)

刈り入れが終わったら来ると云ったのに。
農繁期が過ぎても男が来ないと嘆く女。

男は田の世話をするため、田の前に仮小屋を作って寝泊りをしていました。
もうとっくに刈り入れが終わっているはずなのにあの人はどこへ行ったのだろう。

「橘」はここでは枕詞 大切な橘を守るの意で守部に掛かる。
              守部の所在は不詳。(奈良天理市の説あり)
「門田」:家(仮小屋)の前の田


「 露霜に 衣手濡れて 今だにも
     妹がり行(ゆ)かな 夜は更けぬとも 」
                    巻10-2257  作者未詳

( 冷たい露に衣を濡らしながらでも、今すぐあの子のところへ行こう。
 たとえ夜が更けてしまおうとも。 )

露霜は秋の露の意。
男は「今夜訪ねていくぞ」と約束していたのに、何らかの事情で遅くなった。
妻問は夜に訪れ、明け方に帰るのが習い。
今から行くと夜明けになるが「ルールなんか構うものかと」心はやる男です。

「 我がやどの 葛葉 日に異(け)に 色づきぬ
    来まさぬ君は 何心ぞも 」 
                  巻10-2295 作者未詳

( 我家の庭の葛の葉は日増しに色づいてきました。
 それなのに一向にお出でにならないあなたさま、
 一体どういうお気持ちなのでしょう。)

待てど暮らせど音沙汰がない男。
もう私に飽きたのかしら、他に女が出来たのかしらと気を揉む女。
人づてしか通信手段がない昔はただ、ただ待つだけ。

男も女もこの人一筋とばかりではなかったようです。

「 黄葉(もみちば)の 過ぎかてぬ子を 人妻と
     見つつやあらむ 恋しきものを 」 
                       巻10-2297 作者未詳

( 黄葉した葉が散り過ぎるように、あの子は去っていった。
 あぁ!これからは人妻として眺めていなければならないのか。
 こんなに恋しくて、恋しくてたまらないのに。 )

ずっと好きだったあの子。
いつかきっと一緒になってくれるだろうと夢見ていた。
なのにあの子は突然他の男と結婚してしまった。
どうしても諦めきれない、未練の男。

最後に梁塵秘抄 (物はづくし)から

「 心の澄むものは
  秋は山田の 庵(いほ)ごとに
  鹿驚かすてふ 引板(ひた)の声
  衣 しで打つ槌(つち)の音 」 
               
( カランカラン。
  秋の夜、田んぼの前の仮小屋に仕掛けてある鹿よけの鳴子の音。
  トントン、トントン。
  女性が他郷にある夫を想いつつ布を打つ砧(きぬた)の音。

  夜のしじまを破って、遠くから聞こえてくる。
  しみじみとした感興を起こさせる響きよなぁ。 )

心澄むものは: しみじみとした感興を起こさせるものは

山田の庵ごとに : 山の田にある番小屋ごとに

鹿驚かすてふ 引板の声 : 鹿を追い払うための引板(鳴子)の音

衣しで打つ   :  対座して砧(きぬた)で衣をしきりに打つ
             「しで」は「仕手」か。
              「砧」で打つのは布地をやわらげ艶を出すため。


      万葉集602(秋の恋歌3) 完


      次回の更新は10月21日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-10-13 16:50 | 心象

万葉集その六百一 (秋の恋歌2.)

( 名月 )
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( 有明の月 )
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( 鶏頭:けいとう  万葉集では韓藍:からあい と詠われている )
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( 秋風に靡くススキ  飛鳥 奈良 )
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( 秋山  室生寺 奈良 )
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( 露草   奈良万葉植物園 )
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( 藤袴と彼岸花  同上 )
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( ススキに寄生するナンバンギセル 同上 )
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(  飛鳥稲渕の棚田 )
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( 2016年案山子祭りのテーマは真田丸とオリンピック  同上 )
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( 日本チーム400mリレー 銀メダル獲得の偉業
  アレッ!ケンブリッジ選手がボルトになっているなぁ。 )
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 九月を長月(ながつき)とよぶのは、
「 陰暦9月が秋分を過ぎて1か月経ち、ようやく日が暮れやすく、
 夜が長くなるのを実感する頃による。

 必ずしも日照時間の長短のピークを指すものではなく、
 季節変化を身に実感することからくる繊細な季節感 」だそうです。
                            ( 橋本文三郎 同上語源辞典 )

陰暦9月は今の陽暦に直すと10月から11月初旬。
月が美しく澄み、紅葉が山々を彩る恋の季節です。

「 九月(ながつき)の 有明の月夜(つくよ) ありつつも
    君が来(き)まさば  我(あ)れ恋ひめやも 」 
                            巻10-2300 作者未詳

( 九月の有明の月ではないけれど、ありつつも-これからもずっと
  度々おいでくだされば、私はどうして恋焦がれることなど
  ありましょうか )

久しぶりに男が訪ねてきてくれた。
心ゆくまで一夜を過ごし今は満たされた気分。
長い間、男の顔を見ることが出来なかった苦しみが嘘のよう。
あぁ、この幸せがいつまでも続いて欲しい。
時よ止まれ!

夢のような一時は瞬く間に終わり、月も傾いてきた。
帰り支度する男に声をかける
「もっと頻繁にお出でくだされば,
恋焦がれることもありませんのに」
と、恨めしげにまたの訪れをねだる女。
「我れ恋ひめやも」は万葉恋歌の殺し文句です。

「 今よりは 秋風寒く 吹きなむを
     いかにかひとり 長き夜を寝む 」 
                           巻3-462 大伴家持

( 今から秋風がさぞ吹くであろうに、たった一人でこの秋の夜長を
  寝ようというのであろうか。)

前注に「亡妾を悲しんで詠った」とありますが、いかなる女性かは不明。
当時、正妻以外に妾をもつことは許されていたようですが、家持16歳頃とは驚き。
「秋の夜長の一人寝の寂しさ」も恋歌の常套句。
百戦錬磨のマダム、大伴坂上郎女(叔母)の指導によるものでしょうか。

「 恋ふる日の 日(け)長くしあれば 我が園の
    韓藍(からあい)の花の 色に出(い)でにけり 」
                        10-2278 作者未詳

( 毎日毎日あなたのことを想っています。
      もう心の内を隠し切れない。
      まるで我が家に咲く韓藍の花のように目立ってしまう。
      どうしょう、私。)

韓藍(からあい)は現在の鶏頭(けいとう)で赤い染料に用いたので
唐から来た藍の意。

恋は秘密にというのが当時の習い。
他人に知られたら恋は破綻すると考えられていました。

待っても待っても男の訪れがない。
我慢が出来なくなり、とうとう顔や態度に出てしまったと嘆く女。
鶏頭の赤い花の如く燃えるような恋心です。

「 我妹子(わぎもこ)の 衣にあらなむ 秋風の
    寒きこのころ  下に着ましを 」 
                       巻10-2260 作者未詳

( いとしいあの子よ、おれの衣になってくれないかなぁ。
  秋風が寒々としてきた今日このごろ。
  いつも肌身につけていたいものよ。)

秋風が身に染みる頃、一人寝のわびしさをひしひしと感じている男。
「 お前と一緒に寝ていたらどんなに暖かろう。
しかし、こうも離れていてはなぁ。」

男は旅をしているのでしょうか。

「  秋の田の 穂の上に置ける 白露の
    消(け)ぬべくも我(わ)は 思ほゆるかも 」 
                      巻10-2246 作者未詳

( 秋の田の稲穂の上に置いている白露がはかなく消えうせるように
  私も消えてしまいたいくらいに、あの人のことが想われてなりません。)

光を浴びてキラキラ美しく光る白露は一瞬の生命。
消える→はかないの連想の恋歌は数えきれないほど詠われています。

恋の切なさゆえ、もう死んでしまいたい。
美しくも清純な乙女の恋です。

「 秋山の したひが下(した)に 鳴く鳥の
    声だに聞かば 何か嘆かむ 」 
                      巻10-2239 柿本人麻呂歌集

( 秋山のもみじの蔭で鳴く鳥の声。
      その鳥の声ではないが、せめてあの方の声だけでも聞くことが出来たら
      何を嘆くことがありましょうか )

古代、赤く色づくことを「したひ」と云っていました。
「したひが下」とは黄葉した木の蔭の意です。
愛する人のことを想っていたら、鳥の鳴き声が聞こえてきた。
あれは人を恋ふる鳥、ホトトギスだろうか?

長い間逢っていない。
せめてあの人の声だけでも聞きたい。
電話などない時代、叶わぬ夢と知りつつも、つい口に出た。

「何か嘆かむ」は強い嘆きの表現。

相手の男は旅に出たのか、去ってしまった、あるいは亡くなったのかは
定かではありませんが、しみじみとした情感が漂う一首です。

4500余首ある万葉集の大半は恋の歌。
それも単に心の内を吐露するのではなく、四季折々の景観、動物、植物を
採り入れて詠う。
その語彙の豊かさ、発想の斬新さには驚くばかり。
近代の作者や歌人がなべて万葉に学んだのも肯けることです。

「 つねよりも 面影にたつ 夕べかな
     今やかぎりと 思ひなるにも 」 
                           建礼門院右京大夫

( もうこれっきりでお別れしようと思っていたのに-。
 夕方になったら、いつもより恋しく恋しく思われてなりません )

    
ご参考

「秋の恋歌」(553号 2015,11,5)の内容
           「 黄昏(たそがれ)の起源である誰(た)そかれ、
             秋萩、長雨、鳴く鶴、こおろぎ、枕と寝る、天飛ぶ雁 」

「秋の恋歌2」(601号 今回) の内容

           「 有明の月、秋風、韓藍(からあい);鶏頭、白露、 黄葉 」

「秋の恋歌3」(602号 次回)

           「 沢瀉(おもだか)、稲刈り、 露霜、  葛、  黄葉 」



                  万葉集601(秋の恋歌2)完


                  次回の更新は10月14日の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-10-06 20:08 | 心象

万葉集その五百九十五 (萩の恋歌)

( 萩のトンネル  向島百花園  東京 )
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( ミヤギノハギ )
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( ヤマハギ  万葉時代に詠われた萩 )
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( シロハギ )
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(  ダルマハギ )
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( マルバハギ )
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( ムラサキセンダイハギ )
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( 萩の新芽  4月上旬 )
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( 萩の実 )
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( 牡鹿 雌鹿  奈良公園 )
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その昔、大和に都があった頃、野にも山にも萩が溢れるほど咲き乱れ、
鹿がその間を胸でかき分けながら歩いていたそうです。
そのような様子を万葉人は「萩は鹿の花妻」「鹿の妻恋」と、
自らの妻や恋人と重ねて詠いました。

「 わが岡に さ雄鹿来鳴く 初萩の
       花妻とひに 来鳴く さ雄鹿 」 
                        巻8-1541 大伴旅人(既出)


     ( 我家近くの丘に雄鹿が来て鳴いているなぁ。
      萩の初花を自分の花妻だと慕って鳴いているのだろうよ。)

「花妻」!
なんと美しい言葉でしょうか。
この旅人の感性豊かな造語は1300年を経て、今なお使い続けられているのです。

一説によると「さ雄鹿」の「さ」は神聖を意味し、
「萩を聖処女、鹿を神と見たてたもの」とする解釈もあります。
国文学者、森朝男氏は、
「 萩に神の依代、花妻は巫女的なものを想定。
つまり初萩は訪れる神を待ち迎える聖処女、
訪なう鹿は神に擬せられる」と述べておられます。

然しながら、果たして旅人にそこまでの意図があったかどうか。
この時期、作者は最愛の妻を亡くしたばかりでした。

咲き誇る萩を眺めながら瞼を閉じると美しくも懐かしい面影が目に浮かぶ。
折から妻を求めて泣く鹿の悲しげな声。
それは己自身の叫びでもある。
「おーい、お前、今どこにいるのだ!」

やがて鹿は花の中に埋没して消えてゆく。
もう追ってもどうにもならない。
そんな心情を詠ったように思えてならないのです。

「 秋萩の 散りゆく見れば おほほしみ
    妻恋(つまごひ)すらし さを鹿鳴くも 」 
                         巻10-2150 作者未詳

( 秋萩が散ってゆくのを見て雄鹿がしきりに鳴いている。
  妻を恋しがって気がふさいでいるのだろうよ。)

この歌も萩を鹿の妻とみて「妻恋」と詠っています。
萩が散るので鹿が意気消沈し、恋しがってしきりに鳴いている。

作者は萩の落花を見ているとき、鹿の鳴き声が聞こえてきたので
自分自身も妻が恋しくなったのでしょうか。
しみじみとした感傷が感じられる一首です。

おほほしみ:心中晴れやらず、ぼんやりしたさまをいう形容詞

「 秋萩の 上に置きたる 白露の
    消(け)かも しなまし 恋ひつつあらずは 」
                     巻10-2254 作者未詳

( 秋萩の上に置いている白露がやがて消えるように
  私なんか消えうせてしまった方がましなのではないかしら。
  こんなに恋焦がれ続けてなんかいないで )

現代風にいえば
「もう死にたいくらいあの方が好き 
でも、相手は一向に靡いてくれない。
いっそのこと,露のように消えてしまいたい 」
といったところでしょうか。

万葉集で詠われている萩は142首。
そのうち「露」と取り合わせたものが34首もあります。

萩の花や枝葉に置かれた宝石のように美しく光る白露に美を見出した
万葉人の繊細な観察眼と日本的な美意識です。

なお、露を  「置く」と詠まれたものは花の最盛期、
         「競ふ」は花芽か咲きかけの直前。
                ( 開花を促す露、いやよいやよと恥じらう萩。
                  その様子を「競う」と表現。)
         「負ふ」は露の重みを背負う意で晩秋の萩を散らすもの。

 と使い分けられており、細やかな神経にも感心させられます。

「 わがやどに 咲きし秋萩 散りすぎて
                 実になるまでに 君に逢はぬかも 」 
                           10-2286 作者未詳

( 我が家の庭に咲いた秋萩、その萩が散り果てて実を結ぶようになってしまった。
 そんなにも長い間、私はあの方にお逢いしていないのですよ。
一体私のことをどう思っているのでしょうか。 )

萩は実を結んだのに私たちの仲は結ばれないと嘆く女。
今まで頻繁に通ってくれていたのに、心変わりして他の女に情を移したのか。
ただただ待ち続ける純情な乙女です。

万葉集で詠われている萩は植物中でトップ。(142首)
貴族に人気があった梅の119首を大きく引き離しています。
万葉人はなぜかくも萩を好んだのか?

切っても切ってもすぐに芽生えるその強い生命力にあやかり長寿、繁栄祈る。
紫の高貴、白の清純な色。
更に実用。
というのは、
萩の葉は乾燥させて茶葉に、実は食用、根は婦人薬(めまい、のぼせ)、
樹皮は縄、小枝は垣根、屋根葺き、箒、筆(手に持つ部分)、
さらに馬牛などの家畜の飼料など、多岐にわたって利用され、
万葉人の生活に密着した有用の植物だったのです。

 「 ほろほろと 秋風こぼす 萩がもと 」  召波(しょうは:江戸中期)


            万葉集595(萩の恋歌)完

            次回の更新は9月2日です。
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by uqrx74fd | 2016-08-25 19:30 | 心象

万葉集その五百八十九 (夏の恋歌2)

(恋の鳥ホトトギス  学友の甥御C.Yさん提供 「今日も鳥日和 極私的野鳥図鑑」)
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( 恋の花  橘 )
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( 同 卯の花 )
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( 同  ヒメウツギ:卯の花)
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( 同  カワラナデシコ)
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( 恋を歌うヒグラシ   学友N.Fさん提供 )
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( 恋の花  合歓:ネム )
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万葉集巻10には集中最大の539首の歌が収められており、作者未詳歌が
多いのが特徴です。
中には不倫など他人に知られては不都合なので、わざと名を伏せたものも
あるかも知れません。
感心するのは、整然と四季分類された上、多くの動植物、自然現象が
織り込まれており、さながら歌の教科書、現在の歳時記のようです。

以下はホトトギス、花橘、卯の花、夏日の日照り、蜩(ひぐらし)、撫子に
寄せた夏の恋歌です。

「 ほととぎす 来鳴く五月(さつき)の 短夜(みじかよ)も
    ひとりし寝(ぬ)れば 明かしかねつも 」
                           巻10-1981 作者未詳


( 時鳥がきて鳴きたてる五月の短い夜も、ただ一人で寝ると
  朝が来るのが遅く感じられてならないよ )

恋する人の一人寝の辛さは男も女も同じ。
ホトトギスの声は甲高く、心が休む間とてありません。
あーあ、と滑息が聞こえてきそうな1首です。

「 我こそば 憎くもあらめ 我が宿の
      花橘を 見には来(こ)じとや 」
                   巻10-1990 作者未詳

( この私を好ましくない女とお思いなのでしょうか。
  だから我家の花橘が美しく咲いているのに見においでに
  ならないのですか)

足が遠のいた男に花橘にかこつけて誘いかけた女。
貴方様はそんなに無風流な方なのですかとの気持ちがこもります。
花咲く頃にいつも一緒に見ていたのに、今年はあの人が来ない。
ひよっとしたら、心変わりしたのかしらと不安になる女。

「 卯の花の 咲くとはなしに ある人に
    恋ひやわたらむ  片思(かたもひ)にして 」
                         巻10-1989 作者未詳


( 卯の花の咲くように 心を開いてくれないあの人。
 私はこんなにまで片恋で恋し続けるのであろうか。) 

清純そのものの白い卯の花。
片想いの乙女は初恋なのでしょうか。

「 六月(みなつき)の 土さへ裂けて 照る日にも
    我が袖 干(ひ)めや 君に逢はずして 」 
                       巻10-1995 作者未詳


( 6月の土さへ裂けるほどに照りつける日射しにも
 私の袖の乾くことなど決してありません。
 あなたにお逢いすることが出来ないので。)

旧暦の6月は現在の7月中頃。
強烈な日差しに土も裂けると、いささか大げさな詠いぶりですが、
迫力があり、比喩も面白い。

「 ひぐらしは 時と鳴けども 片恋に
    たわやめ我は 時わかず泣く 」
                     巻10-1982 作者未詳(既出)


( ひぐらしは、いまこそ我が鳴く時とばかりに鳴いていますが、
たわやめの私は、片思いのゆえ、時かまわずに泣きくれています。)

ひぐらしは夕方に鳴くことが多いが私は終日泣きやむことがないと
一向に訪れぬ男を想いながら悲しむ女。
蜩(ひぐらし)を比喩に用いたのは「日暮し(泣く)」を想像させるからでしょうか。
哀れを誘いながらも微苦笑させられる一首です。


「 隠(こも)りのみ 恋ふれば苦し なでしこが
      花に咲き出よ 朝な朝な見む 」 
                      巻10-1992 作者未詳


( 人目を忍んで心ひそかに恋焦がれてばかりいるのも辛いことです。
  どうか撫子の花になって我家の庭に咲き出てください。
  そうしたら、毎朝見ることが出来ましょうに )

「隠(こも)りのみ」に愛してはならない相手を好きになり、
日蔭の境遇を暗示しているようです。
可憐な女性の気持ちが滲みでており、撫子の楚々とした姿と重なります。

 「 なでし子に かヽるなみだや 楠の露 」 芭蕉

( あたかも愛児に注がれる慈愛の涙のように、楠木の露が可憐な
 撫子の上にはらはらと降りかかっている。)

 なでしこに「頭を撫でる愛児」「撫子」を掛けている。



                  万葉集587 夏の恋歌2 完

               次回の更新は7月23日(土)の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-07-15 07:16 | 心象

万葉集その五百八十七 (飛鳥慕情)

( 飛鳥浄御原宮:あすか きよみがはら みや復元模型: 天武天皇造営  飛鳥資料館)
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( 聖なる山とされたミハ山  右は聖徳太子ゆかりの橘寺 )
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( 甘樫の丘の春  畝傍山 後方 二上山 )
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( 飛鳥川の飛び石 )
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( 飛鳥寺  我国最古の本格的仏教寺院 蘇我馬子開基 6世紀末 )
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(  同 復元図 )
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(  飛鳥の秋  棚田 )
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(  飛鳥の春  万葉の森 )
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(  飛鳥の秋   花々に囲まれた農家 )
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(  謎の亀石  )
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( 石舞台公園で遊ぶ子供たち )
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( 高松塚の近くの広場で  枯れ葉で作った天平美人 )
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「 大和は国の真秀(まほ)ろば 畳(たた)なづく青垣
     山籠れる 大和しうるはし 」       古事記

( 大和は素晴らしい国どころ、幾重にも重なる青々とした垣根のような山々
 その山に囲まれた美しい大和よ )

この歌を口ずさむとき瞼にすぐ思い浮かぶのは飛鳥と山辺の道。
古代大和の面影を一番強く残していると思われる地です。
標高は決して高くはないが幾重にも重なり、なだらかな稜線をえがく山々、
緑濃き木々、山の麓を取りまくように流れる飛鳥川、美しい棚田、
由緒ある寺社、巨大な古墳群、そして四季折々の花々。

古の時代、そのような光景に加えて、なんと鶴の群れが飛んでいたというのです。

まずは万葉集の訳文から。(巻3-324 山部赤人)

(  神の来臨する神なび山に
  たくさんの枝をさしのべて
  生い茂っている栂(つが)の木
  その名のように いよいよ次ぎ次ぎと
  玉葛のように 絶えることなく
  ずっとこうして いつも通いたいと思う

  明日香の古い都は
  山が高く川は広くて大きい
  春の日はずっとその山を眺めていたいし 
  秋の夜は清らかな川の音に聴き入る
  朝雲の中、鶴が乱れ飛び、 
  夕霧の中で、河鹿が鳴き騒いでいる
  あぁ、見るたびに声にだして 泣けてくる
  栄えた古を思うと )      
                                巻3-324 山部赤人


(訓み下し文)

「 みもろの 神(かむ)なび山に
  五百枝(いほえ)さし
  繁(しじ)に生ひたる 栂(つが)の木の
  いや継ぎ継ぎに
  玉葛(たまかづら) 絶ゆることなく
  ありつつも やまず通はむ

  明日香の 古き都は 
  山高み 川とほしろし
  春の日は 山し見が欲し
  秋の夜は 川しさやけし
  朝雲に 鶴(たづ)は乱れ  
  夕霧に かはづ騒(さは)く 
  見るごとに 音(ね)のみし 泣かゆ
  いにしへ思へば  」
                           巻3-324    山部赤人(一部既出)

一行づつ訓み解いてまいりましょう。

「 みもろの 神(かむ)なび山に 」

       「みもろ」は「御室」で神が来臨して籠るところ
        「神なび山」 神のいます山 橘寺東南のミハ山もしくは雷山とされる

 「 五百枝(いほえ)さし」

        枝がたくさん伸びて広がっている
   
 「 繁(しじ)に生ひたる 栂(つが)の木の 」
   
        繁(しじ)は茂で 枝が密生している 
        栂は松科の常緑高木

 「 いや継ぎ継ぎに 」
   
        いよいよ次ぎ次ぎと 
        栂(つが)と次(つぎ)を掛けている

 「玉葛(たまかづら) 絶ゆることなく 」

        伸びてゆく葛のように絶えることなく: 
        玉葛は枕詞 玉は美称、葛は蔓性植物  

  「 ありつつも やまず通はむ 」 

        ありつつも: ずっとこうして 
  
「明日香の 古き都は 」

        天武天皇が壬申の乱勝利の後造営した飛鳥浄御原宮

「山高み 川とほしろし」

        とほしろし: 大きく雄大である 
        「大」の古訓に「とほしろし」とあることによる

  「春の日は 山し見が欲し」

        「山し」の「し」は強調  春の日はずっと山を見ていたい

  「秋の夜は 川しさやけし」

         秋の夜は清かな川音を聴いていたい

  「朝雲に 鶴(たづ)は乱れ 」 

         朝雲に鶴が乱れ飛び

「夕霧に かはづ騒(さは)く 」

         夕霧の中で河鹿が鳴き騒ぐ

「見るごとに 音(ね)のみし 泣かゆ」

         あぁ、このような美しい光景をみると声を出して泣きたくなる

「いにしへ思へば 

         栄えた古の都を思うと
                                      巻3-324    山部赤人
(反歌)

「 明日香川  川淀(かはよど)さらず 立つ霧の
     思ひ過ぐべき   恋にあらなくに 」 
                                    巻3-325 山部赤人

( 明日香川の 川淀を離れずに いつも立ちこめている霧
  なかなか消えないその霧のように
  すぐ消えてしまうような ちっとやそっとの想いではないのだ。
  われらの慕情は )

 思い過ぐ:想いが消える
 恋:古都への慕情  原文は孤悲、一人悲しむの意

都が飛鳥から藤原京、さらに平城京に遷った後、旧都を訪れた作者が
懐古の情に耽けりながら詠ったものです。
飛鳥の古き都は神岳に生い茂る栂の木のように、次々(栂々:ずっと)と
訪れたい地だと誉め、自然の躍動を「山と川」、「春の日と秋の夜」、
「朝、雲、鶴 と 夕、霧,河鹿」の対句表現を積み重ねて讃え、
理想的な自然の姿、生き物の躍動する世界を表現しています。

にもかかわらず、往時の人々の行き来、賑わいは絶えた。
「霧」は嘆きの溜息。
旧都への慕情を「恋」という言葉で表現した斬新な歌です。

以下は犬養孝氏の「飛鳥の鶴」からです。

「 鶴は人間がかわいがってくれるところをちゃんと知っている。
  秋10月末に、シベリヤ、蒙古の方から飛来してきて,越冬し
  春3月には、もとの地へ帰ってくるのだ。
  飛鳥の地への鶴の飛来など とうてい望むべくもないとは言い切れない。
  もし真神の原を流れる飛鳥川がきれいになって、河鹿の声がきかれるように
  なるならば「朝雲に鶴(たづ)は乱れ」は夢ではない日が来ないとも限らない。
  わたしは飛鳥川畔に立って「夕霧にかはづさはく」実景を思い、飛鳥の田に
  群れいる鶴、山地にこだまする鶴群(たづむら)の凛とした鳴き声を
  飛鳥のために、日本のために,思いえがくのである。」

                           ( 明日香風第三所収  現代教養文庫 )


     「 飛鳥寺 鐘の音響く 鶴(たづ)鳴きわたれ 」 筆者


               万葉集587 (飛鳥慕情)   完


       次回の更新は7月8日の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-07-01 07:04 | 心象

万葉集その五百八十三 (常滑:とこなめ)

( 蜻蛉の滝  吉野 奈良  学友N.F さん提供 )
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(常滑の岩  吉野から宮滝への道で )
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( 夢のわだ   吉野宮滝  吉野離宮が近くにあったとされる )
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( 奥千本より金峯山寺を臨む  吉野 )
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( 吉野奥千本  西行庵への道 )
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( 蔵王権現  金峯山寺 )
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( 長谷寺  奈良 )
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( 長谷寺講堂   奈良 )
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( 木津川  京都 )
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(  常滑焼の急須 )
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「 ナメが出来ているからき気を付けて行けよ」
これは吉野、三河、越中などで使われている方言で、雪やみぞれが降って凍ったり
川床の岩に苔が生えていて滑りやすくなっている状態を云うそうです。

万葉集で「常滑」は3首登場しますがすべて枕詞。
滑りやすいという意味のほか、転じて「苔むすほど未来永劫に」という意味を
含むものとして使われています。
 
「 見れど飽かぬ 吉野の川の 常滑の
      絶ゆることなく またかへり見む 」
                      巻1-37  柿本人麻呂

( 見ても見ても見飽きることのない吉野の川
 その川の常滑のように 絶えることなくまたやってきて
 この滝の都を見よう )

持統天皇吉野行幸の折の歌で、作者は長歌で山の神も川の神も
こぞって女帝に仕えていると讃えています。

吉野は天武天皇と共に壬申の乱の旗揚げをして政権を勝ち取った出発点。
女帝にとって特別の思い入れがある聖地でした。
作者はそのことも念頭に入れ、今の世が末長く続くであろうことを
予祝しています。

「見れど飽かぬ 吉野の川の 常滑の」の上三句は下の二句を強めるための
序詞(じょことば)の役割を果たし、軽やかなリズムを奏でており、
人麻呂の手腕を感じさせる一首です。

( 序詞 : 和歌などである語句を導き出すために前置きとして述べる言葉。
        枕詞と同じ働きをするが、1句からなる枕詞とは違い
        2句ないし3句にわたる )



「 妹が門(かど) 入り泉川の 常滑に
      み雪残れり いまだ冬かも 」
                          巻9-1695 作者未詳

( いとしい子の家の門に入っては出(い)ずという、その泉川に
  常滑の雪が残っている。
  いまだに冬なのだろうか )

時期は早春、旅をしている作者が愛し人を思い出して詠ったもの。
「妹が門 入り」までが序詞。
懐かしい人を思いだしながら詠っている気分を醸し出しています。

泉川は現在の木津川(京都)。
川から苔むした巨岩が顔を出しているのでしょう。
その上に残る残雪。 
苔の緑と雪の白の対比が美しい一首です。

「 こもりくの 豊泊瀬道(とよはつせじ)は 常滑(とこなめ)の
          かしこき道ぞ 汝(な)が心ゆめ 」 
                        巻11-2511 柿本人麻呂歌集(既出)

( こんもりとした谷あいの泊瀬の道は、いつもつるつるとした滑りやすい道です。
 そんなに急いでは危険です。 
 気を付けて下さいね! あなた。)

こもりくの豊泊瀬は山に囲まれた初瀬、今の長谷寺(奈良)近辺。
かしこき道は畏き道、ここでは危険なの意 
常滑という言葉を用いることで滑りやすい道を連想させています。

男が久しぶりに恋人に「今夜訪ねるぞ」と使いを遣り
「俺様の赤栗毛の馬はあっという間に雲に隠れてしまうほどに速いんだ。
 今夜、すっ飛んで行くから寝床の支度して待っていろよ。」
と言ったのに対して 
「早く来てくれるの嬉しいけれど気を付けてね」と思いやったもの。

明かりもない山道、しかも苔むす岩も転がっている。
危険を承知の上での馬の早駆け。
勇み立ち、心はやる男です。

常滑といえば愛知県常滑市。
知多半島西岸の中央部に位置し、中部国際空港を有する都市。
古くから常滑焼で知られていますが、ここでの「常滑」は「床滑」、
地盤(床)が粘土質で滑らかであることに由来するそうです。

伝統の常滑焼は日本六古窯(常滑、瀬戸、越前、信楽、丹波、備前)の中でも
最大の規模を誇り、特徴ある急須は多くの家庭でも見られます。

  「  常滑や 土管土留に 蕎麦畑 」     富田キヨ



    万葉集583 (常滑:とこなめ) 完


    次回の更新は6月10日の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-06-02 19:47 | 心象

万葉集その五百八十一 (老いらくの恋 2.)

( 万葉恋の花  ニオイスミレ  学友n.f さん提供 )
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( 同  アカネ  根が赤く染料になる )
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( 同    ヒトリシズカ )
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( 同    フタリシズカ )
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( 同   ノイバラ 世界の薔薇10原種の1つ )
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(  万葉という名の薔薇  京成薔薇園 )
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( カノコユリ )
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740年、大伴家持23歳の頃のお話です。
事もあろうに10歳以上年上、しかも人妻に惚れてしまったのです。
よほど魅力を感じたのか、それとも妾腹ゆえ幼い頃(10歳)に生母と離されて
父、旅人に大宰府で育てられた淋しさから、その女性の母性に憧れを抱いたものか。
兎も角、何度も云い寄ったのでしょう。
その熱心さに根負けした相手から次のような歌2首贈られてきました。

「 神さぶと いなにはあらず はたやはた
        かくして後に さぶしけむか 」
                              巻4-762 紀郎女

( もう老いぼれだから 恋どころではないと拒むのではないのです。
 とはいうものの、こうしてお断りしたあとで淋しい気持ちになるかも
 しれません )

「神さぶ」 : 本来は「神々しく古びた」の意だが ここでは「年老いた」
「いなにはあらず」: 「私が年取っているので否というのではありませんが」
「はたやはた」:    さりとて

紀郎女は志貴皇子の孫といわれる安貴王の妻。
天智天皇の血筋を引く畏れ多い名門の主の伴侶です。
貴公子家持、よくもまぁ、思い切って口説いたものです。
さらにもう1首。

「 玉の緒を 沫緒(あわを)に縒(よ)りて 結べらば
     ありて後にも 逢はずあらめや 」 
                       巻4-763 紀郎女

( お互いの玉の緒の命を 沫緒(あわお)のように柔らかく縒り合わせて
結んでおいたならば、生き長らえたのちに お逢いできないことがありましょうや。 )

玉の緒:  「長らえる命」を「玉の緒」にみたてたもの 
玉には魂がこもるとされていた。

沫緒:   糸をゆるく縒り合わせた緒か。
      伸び縮みに融通がきくことから、「今は駄目でも将来は」の意を含む
ありて後にも:  生きながらえた後にも

将来に望みを託する形で言外に今逢うことを断った郎女。
子供のような家持をなだめながら、いささかもてあましていたのかもしれません。

当時、女性の33歳はすでに初老。(30代後半との説もあり)
とはいえまだまだ色気たっぷりの美女。
しかも、思わせぶりが窺える内容の歌です。

さて、表向きは やんわりと断られた家持は、
「これは、これは脈あり」と受け止めたのでしょう。
諦めるどころか益々熱を上げます。

「 百年(ももとせ)に 老舌(おひした)出でて よよむとも
      我れはいとはじ  恋ひは増すとも 」
                              巻4-764 大伴家持

( あなたが百歳のお婆さんになって 老舌をのどかせ、よぼよぼになっても
 私は決して嫌がったりいたしません。
 それどころか、ますます恋しさが募ることでしょう。 )

老舌: 歯が抜けた口から舌の先が見えるさまをいう
よよむ: 腰が曲がってひよろひよろする
いとはじ:  嫌う

結末はどうなったのか不明ですが、若い頃から女性に関して百戦錬磨の家持のこと。
ちやっかり不倫の関係をもったかもしれません。

それにしても二人のエスプリのきいた応酬。
粋な恋をしながら楽しんでいた万葉貴族です。

「 老いて今 ひろった ちさき恋の花
            有効期限 すぎぬまに咲け 」    佐藤愛(85歳)


「ちさき」は「小さき」
この年齢にしてこの情熱。
ただただ恐れ入るばかり。

また、読売新聞読者の声に次のような投稿がありました。

『 70代後半の一人暮しの女性です。
  15年ほど前に夫に先立たれ、それ以来子どもたちに迷惑をかけぬよう
  静かに暮らしてきました。
  ところが2年前、同じような境遇の男性と知り合いました。
  初めは話をするだけでしたが、やがて深い仲に。
  彼は
「 残り少ない人生、楽しく暮らさないと老いる一方です。
    誰にも迷惑をかけなければいい。
    二人だけの秘密にしましょう」 
  と云います。
  彼の優しさが涙の出るほどうれしく、元気をもらった気がしています。
  ただ、一人で考えると心配なことも。
  子どもが知ったらどう思うでしょうか。
  また、ほかの人と親しげに話していると激しい嫉妬に襲われ
自分が嫌になります。
でも彼のことはあきらめられず、次に会うのを楽しみにしている私。
こんな恋は不倫ですか。
老いらくの恋はいけないことでしょうか。
恋は元気の源なのでしようか 』  (2010年1月8日)
 
現代人も万葉人に負けず劣らずの老いらくの恋。
受け止め方もまた、人それぞれでありましょう。

恋に限らず高齢になっても、なお心身共に衰えず、生涯現役を貫いている方々に
共通していることは、次の詩を実践し続けておられる結果ではないでしょうか。

「 青春とは人生のある期間を言うのではなく心の持ちかた言う。
  たくましい意思、ゆたかな想像力、炎える情熱、
  臆病で弱い意思を却(しりぞけ)る勇気、安易を振り捨てる冒険心、
  こういう様相を青春というのだ。
  年を重ねただけで人は老いない。
  理想を失うとき初めて老いがくる。 」
                         サムエル・ウルマン 青春(一部を意訳)


               万葉集581(老いらくの恋2)  完


               次回の更新は5月27日の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-05-20 05:40 | 心象

万葉集その五百八十 (老いらくの恋 1)

( 万葉恋の花  紫陽花 )
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(  同  アヤメ )
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(  同 カキツバタ )
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(  同  白山吹 )
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(  同   山吹 )
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(  同   紅花 )
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(  同   ミズアオイ )
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(  同   山百合 )
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人生、人さまざま。
70~80歳になって燃えるような恋をする人もおれば、50歳で早や仙人のような
心境になって晴耕雨読に励む方々もおられます。
愛妻ひとすじ、老いて益々盛んという方もおられましょう。

人間50年の短き人生、一夫多妻の時代ともなればなおさらのこと。
万葉紳士、淑女たちは「年甲斐もなく」と照れながら、堂々と2度、3度の
恋をしたのです。

「 石上(いそのかみ) 布留(ふる)の神杉(かむすぎ) 神さびて
    恋をも 我(あ)れは さらにするかも 」
                         巻11-2417 柿本人麻呂歌集 (既出)

( 石上の布留の年古りた神杉 
  その神杉のような年になって私はまたまた恋に陥ってしまったことよ )

石上は奈良県天理市の石上神宮付近から西方一帯にかけて広く称した名で、
布留は神宮の付近。

作者は「年甲斐もなくまた恋をしてしまったことよ」と詠っていますが、
浮き浮きしたような気分がうかがえ、
「おれも満更ではなさそうだ。まだまだ若いぞ」
という声が聞こえてきそうです。

 「 事もなく 生き来(こ)しものを 老いなみに
    かかる恋にも 我は逢へるかも 」 
                            巻4-559 大伴百代

( これまで平穏無事に生きてきたのに 年よりだてらに
  なんとまぁ こんな苦しい恋にでくわす羽目になろうとは )

作者は大宰府の大監(だいげん:三等官)。
大伴家との血縁関係は不明。
宴席で老いらくの恋を演じてみせたもので、それほどの老年ではなかったようです。
これに応じて恋の達人、万葉マダムが2首続けて詠います。

「 黒髪に 白髪(しろかみ)交り 老ゆるまで
     かかる恋には いまだ逢はなくに 」
                           巻4-563 大伴坂上郎女

( 黒髪に白髪が入り交じり こんなに年寄るまで 私もこれほど
  激しい恋に出くわしたことがありません )

「 山菅の 実ならぬことを 我に寄(よ)そり
        言はれし君は 誰れと寝(ぬ)らむ 」 
                          巻4-564 大伴坂上郎女

( 山に生える菅は実がならないと云いますが、しょせん実らぬ間柄なのに
  私と結び付けられて世間から取り沙汰されたあなたさまは
  どこのどなたと寝ているのやら )

大伴百代の歌に応じて老いらくの恋を演じたと思いきや、

「 あなたは浮気者、誰と寝ているかわかったものでありません。
  私が恋をしているのは別の方ですよ」と

どんでん返しをして酒席をどっと沸かせたもの。
流石、歌の名手です。

「 古(ふ)りにし 嫗(おみな)にしてや かくばかり
       恋に沈まむ たわらはのごと 」 
                       巻2-129 石川郎女


( 老いぼれた婆さんのくせに こんなに訳もなく恋の思いに溺れるものでしょうか。
 聞き分けのない幼子のように )

「た わらは のごと」:「わらは」は幼児または童女
「た」は強調語

大伴旅人ならびに大伴田主の弟、宿奈麻呂(すくなまろ)に贈った歌。

作者は若き頃、草壁、大津皇子の寵を得て宮廷にその名を轟かした美女。
それから20余年後、40余歳の頃か。
大伴家の宴席で
「 往年、二人の皇子に愛され、もてもてのあなたでしたが、今は如何 ? 」
とからかわれて詠ったようです。

老いてなお身内にたぎる情熱、自嘲と云うポーズを取っているが本心は
いささかも老いてしまったとは思っていません。
まだまだ自信満々。
激しさと苦しさを宿す、万葉マダム老いらくの恋。
お相手は一体誰だったのでしょう。

「 のび盛り 生意気盛り 花盛り
    老い盛りぞと  言はせたきもの 」  築地(ついじ)正子


            万葉集580 (老いらくの恋 )完


             次回の更新は 5月20日の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-05-14 20:42 | 心象

万葉集その五百七十八(夏の恋歌1)

( ホトトギス: 学友m.iさんの甥御c.y氏提供 「今日も鳥日和 極私的野鳥図鑑 」)
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( ササユリ   大神神社ゆりの園 奈良 )
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(  同上 )
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( 卯の花 :ウツギ     小石川植物園  東京)
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( 花橘    奈良万葉植物園 )
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( 露草    同上 )
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万葉人は四季折々の景物を歌に詠み込み、胸に溢れる恋心を美しく彩りました。
詠んだ歌は相手に贈られたか、自分自身の心の奥に秘めていたか、
定かではありませんが、その感性の豊かさと多彩さには驚くばかり。
もし、そんな歌を贈られたら、たちまちその魅力に引き込まれそうに
なることでしょう。

万葉集20巻中、巻8,10には春夏秋冬の相聞として区分されている歌群があります。
以下はその中からの一部。
夏相聞のホトトギス、姫百合、卯の花、花橘、夏草の露の歌です。

「 暇(いとま)なみ 来まさむ君に ほととぎず
     我(あ)れかく恋ふと 行(ゆ)きて告げこそ 」 
                         巻8-1489 大伴坂上郎女


( 「暇がないから」といってちっともお見えにならないあの方。
 ホトトギスよ、私がこんなにも恋焦がれてお待ちしていると、
 あの人のところへ飛んで行ってお伝えしておくれ )
 
古代ホトトギスは恋の使いとされていました。
「 キョツキョ キョキョキョ 」あるいは「ピピピピ」と絹を裂くような
鋭い声で鳴く。
作者はその鳴き声を「カッコウ(かく恋ふ)」と聴きなしたのでしょうか。
ホトトギスはカッコウ科の鳥なのです。
お相手は残念ながらわかりませんが、恋の達人の万葉マダム。
きっと素敵な方だったことでしょう。

「 夏の野の 茂みに咲ける 姫百合の
          知らえぬ恋は 苦しきものぞ 」 
                   巻8-1500 大伴坂上郎女(既出)

( 夏の野の草むらにひっそりと咲いている姫百合。
 こんなにも可憐で美しいのに誰も気が付きません。
 私の恋も姫百合と同じ、あの方に知ってもらえないのです。
 もう、切なくて、苦しくて。 )

人に知られないように心の奥底にしまっている片恋。
恋の達人、郎女にもこのような可憐な時代があったのです。

姫百合は小さな百合の意で「姫」に「秘め」が掛けられています。
万葉女流歌人額田王と双璧をなすと称される片鱗を窺わせる一首。

大伴旅人の異母妹である作者は13歳にして天武天皇の子、穂積皇子に嫁ぎ、
幼妻として可愛がられましたが、2年で死別、その後藤原家の御曹司、麻呂と
2年の相聞往来を経て、異母兄、宿奈麻呂(すくなまろ)と結婚。
これまた2年で25歳の時に死別するという数奇な運命を辿りました。
その後、長い独身生活の間に様々な恋を経験し、やがて大伴家の家政を
取り仕切る刀自(とじ)になり、甥の家持に歌や恋の手ほどきをするようになったのです。

「 ほととぎす 鳴く峰(を)の上の 卯の花の
           憂きことあれや 君が来まさぬ 」 
                巻8-1501 小治田広耳(をはりだ ひろみみ)


( 時鳥が鳴く山の頂に咲いている卯の花。
 その名のように私を憂く、いとわしい気持ちがあるからか
 あの方は一向にお見えになりませんのよ )

恋の使い鳥、ホトトギスと卯の花の取り合わせ。
卯の花の「う」と「憂」(うとましい)を掛けています。
女の立場で詠っているので、宴席での戯れ歌かもしれません。

「卯の花の 匂う 垣根に
 時鳥 早もきなきて
 忍び音もらす 夏は来ぬ 」 佐々木信綱
や、竹久夢二の絵を思い出させるような一首です。

「 五月(さつき)の 花橘を 君がため
    玉にこそ貫け 散らまく惜しみ 」
                    巻8-1502 大伴坂上郎女


( 五月の橘の花 その花をあなたのために糸に通して薬玉にこしらえました。
 散らせてしまうのが惜しいので )

花橘を糸に通して歌を添えたもの。
気にいっていただけたでしょうか?との気持ちを含みます。
薬効ありとされていた橘、糸で繋いで輪にし、私だと思って
身につけて欲しいと願う作者。

「 夏草の 露別け衣 着(つ)けなくに
         我が衣手の 干(ふ)る時もなき 」 
                     巻10-1994 作者未詳


( 夏草の露を踏み分けて濡れた着物。
 そんな着物を着たおぼえもないのに、どうして私の着物の袖は
 乾く間もないのでしょうか )

「夏草の露別け衣」は作者の造語、
「女の家に通う男が夏草の夜露を踏み分けて行くために濡れる衣」の意と思われます。
「自分はそんな衣を着たおぼえがないのに、どうしてこんなに袖が濡れるのでしょう。
 あなたがおいでにならないので涙が乾く暇もありません 」と
訴える女です。

  「 待てど 暮らせど
    来ぬひとを
    宵待草の やるせなさ
    こよいは 月も
    出ぬそうな  」    竹久夢二作詞

  「 暮れて 河原に 
    星一つ
    宵待草の  花の露
    更けては  風も
    泣くそうな 」        西条八十 二番補作


   万葉集その578 (夏の恋歌1) 完

                次回の更新は5月6日の予定です。


  
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by uqrx74fd | 2016-04-29 07:09 | 心象

万葉集その五百七十三 (恋のおもしろ歌 2)

( 恋の歌に登場する花  カワラナデシコ )
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(   同   ササユリ )
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(   同    合歓:ねむ  )
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( 同  檜扇:ひおうぎ )
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(  同  ヒメウツギ )
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( シエーの出典は万葉集 )
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(  万葉人のシエー  ??   奈良万葉文化館 )
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(  天平の伎楽面 )
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万葉集で恋は「孤悲」と漢字表記されているものが多く見られます。
結婚していても男が女の許に通う時代、お互いに会えるのは月に1~2回。
女は男が訪ねて来るのを今か今かと待ち続け、男は
「彼女は今頃どうしているだろう、他の男に心を奪われていないだろうか」
などと気をもみ、お互いに悶々と「独り悲しむ」のが昔の恋でした。

お互いの気持ちを伝える手段は歌しかありません。
それも使いに持たせ、返事を今か今かと待ち続ける。
まどろっこしいこと限りなしです。

ところが現実は ままならぬもの。
予想もしないことが次から次へと出て参ります。
相手が思ってくれていると信じていたのに片想いだった、あるいは心変わり、
嫉妬、はては人妻まで懸想する男も珍しくなく、また逆に妻子持ちの男に
惚れる女に一夜妻。
このような気持ちを万葉人は実に率直に詠っています。

後世の歌集では絶対見られない珠玉の赤裸々な表現。
しかも庶民がこのような歌を1300年前に詠い、万葉集に残されているとは、
正に奇跡に近いといえましょう。

まずは、男と約束をしたのに、いくら待っても来ないと激怒する女の歌から。

「 我が背子が 来むと語りし 夜は過ぎぬ
    しゑや さらさら しこり来めやも 」
                           巻12-2870 作者未詳

( 「今夜行くよ」と約束したのに!
  もう夜が更けてしまった。
  シエ-ッ! もう今さら 間違っても来るもんか! )

「さらさら」 今さら  
「しこり」 間違っても

何と!赤塚不二夫の人気漫画「おそ松くん」の決まり文句「シェ-ッ」が
万葉集に出ているとは、びっくり仰天。
まさか、この歌からヒントを得られたのではありますまいね。

尤もここでの「しゑ-や」は少しニユーアンスが違い「コン畜生」くらいの
意味でしょうか。
作者は気性の激しい女性だったようですが未練が断ち切れない気持が漂います。

「 悩ましけ 人妻かもよ 漕ぐ舟の
      忘れはせなな  いや思ひ増すに 」 
                           巻14-3557 作者未詳

( 悩ましい人妻だなぁ。
 漕ぎ行く舟のように遠く離れ去るどころか、いつまでも忘れ去ることが出来ない。
 いよいよ益々想いがつのるばかりだぜ )

東国あたりの方言まじりの歌。
作者は漁師なのでしょうか?
色気たっぷりの人妻のうしろ姿を見つめながら、ヒユ-とからかいの口笛を吹く。
そんな場面を彷彿させるような1首です。

憧れの目ざなしで眺めているだけなら問題ないが、抑えきれず次のような不埒な男も。

「 人妻を何(あ)せか 其(そ)をいはむ 然(しか)らばか
     隣の衣(きぬ)を 借りて着なはも 」 
                             巻14-3472 作者未詳(既出)

( 何だって! 人妻と寝てはいけないって! 
 なんでそんなことを言うんだよ!
 隣の家の着物を借りて着るなんて毎度のことじゃん。
 まぁ同じようなこった。
 気にしない、気にしない。)

大らかなものですなぁ。
当時、上流階級では不倫は厳禁、とは云え一夫多妻の時代です。
庶民にとってはお遊び感覚が強かったのかもしれません。

「 恋ひ死なば 恋ひも死ねとか 我妹子(わぎもこ)が
       我家(わぎへ)の門(かど)を 過ぎて行くらむ 」 
                             巻11-2401 作者未詳


( 恋死(こいしに)したければ 勝手に焦がれ死んでしまえという気なのか。
 惚れて惚れぬいているあの子が、俺の家の前を知らん顔して
 素通りして行くなんて。)

永井路子さんは
『  ほっそりした腰つきの、しかし、どこか男をひきつけずにはおかない
   セクシュアルな魅力を漂わせている冷たい眼差(まざなし)の美女。
   彼女は男の心は百も承知なのだ。
   知っていて、わざと冷たくするのである。
   男の胸はかきむしられる。
   まったくの拒否かといえば、そうでもないような思わせぶりな彼女の
   態度に、男は完全に引廻されている感じである。 』

 さすが女流作家、想像力豊かな解説です。(万葉恋歌 光文社)

「 こなた思えば千里も一里 
                逢わず戻れば一里が千里 」   (山城国歌謡)


         万葉集遊楽(恋のおもしろ歌2)  完

    「恋のおもしろ歌1」は 万葉集遊楽その6 をご参照下さい。

    次回の更新は4月1日(金) です。
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by uqrx74fd | 2016-03-24 07:51 | 心象