カテゴリ:生活( 145 )

万葉集その十三(七夕祭り)

日本における七夕行事は,3つの伝説が習合して1300年前には既に
形作られていたと云われています。

7月7日の夜、織姫星(ヴェガ)が天の川を渡って牽牛星(アルタイル)に会う
空想豊かな中国の恋愛物語。

中国古来の行事である、女子が機織り等の手芸で巧みになる事を祈る
乞巧奠(きこうでん)。 

この二つが結びつき、
更に日本の、夏秋の行き会いの時期に水辺に掛け作りにした棚の上で
遠来の,まれびと神の訪れを待って機(ハタ)を織るタナバタツメの習俗が
合体して伝承されたものです。

タナバタツメとはタナ(横板)を付けたハタ(機)で布を織る女(ツメ)と言う意味です。

中国では織姫が牽牛を訪れますが日本では通い婚の風習があり逆に
牽牛(彦星)が織女のところへ通います。

万葉集では132首もの多くの七夕の歌が残されています。 

 「 彦星 (ひこほし) と 織女(たなばたつめ)と 今夜(こよい)会う

   天の川門(かわと)に 波立つなゆめ 」 

              巻10の2040  作者未詳


 (彦星と織姫が今宵逢う、その天の川の渡し場には波よ
  荒々しく立たないでおくれ。決して。)

 迎えに来た織姫と行き着いた牽牛とが支障なくすぐさま逢えることを
 祈った歌です。

   「天の川 川門(かわと)に立ちて 我が恋し

       君来ますなり 紐解き 待たむ 」 

                巻10の2048  作者未詳
 

(天の川の渡し場に佇んでは私が恋続けてきたあの方が
  いよいよいらっしゃるらしい。着物の紐を解いてお待ちしよう。)

 いよいよ近くに恋人がやってきた気配に身も心も躍る織女。
 紐解き待たむのあとはただ待ちに待った共寝があるばかり。
 織女にかけて自身の心情を表したもの。

 古代の「七夕」は男女共寝をする日でもありました。
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by uqrx74fd | 2009-03-08 09:52 | 生活

万葉集その十二(万葉人は掛け算がお得意)

私達が小学校で習う掛け算の9×9。千三百年前の人たちは
この計算に習熟していたことが明らかにされています。

今回は万葉仮名のお話です。まずは歌をご紹介します。

 「 若草の 新手枕(にひたまくら)を まきそめて

    夜をや隔てむ にくくあらなくに 」 

                巻11の2542  作者未詳


 どこか遠くへ旅する新婚早々の男の心境を表した歌で

 ( 若草のような新妻の手枕 その手枕を折角まきはじめたのに
 これから幾夜も会えないというのであろうか。
 可愛いくって仕方がないのに )

 さて掛け算ですが この歌の結句「にくくあらなくに」 の「にくく」 は原文で
 「二八十一」 となっています。 「二」 は 「に」 
 「八十一」は九九=八十一で 「くく」 を表すのです。

 万葉集の原文はすべて漢字で書かれています。
 当時平仮名や片仮名はまだ発明されておらず、
 万葉人は漢字の意味や音、訓をあれこれ工夫して
 日本語に表記しました。

 猪 (しし) は 十六=四四(しし) 
 平仮名の「し」は「二二」 または「重二」、「とを」は「二五」 と
 掛け算を楽しんで使用して様子が窺われます。

 又、擬声語として、例えば 「いぶせし」=(うっとうしい)の「いぶ」を示すのに
 馬音蜂音と書き「いぶ」と読ませます。
 これは万葉人が馬音を「イーン」、蜂音を「ブーン」と聞いたようです。

 その他、丸雪(あられ) 未通女(をとめ) 去家(たび) 暖(はる)
 寒(ふゆ) 往来(かよう) など手をたたきたくなるような上手な表現が
 多数あります。

 一風変わったところでは 「義之」 を手師(てし)と読ませ
 上手に字を書く人を表し中国の王義之の存在を知っていたものと
 思われます。

 歌の中には難解なものも多くあり後代の人達はその解読に
 難渋を極めました。
 遂に951年、村上天皇の勅命で万葉集に読み仮名をつける
 訓点作業プロジエクトチームが発足し
 現代の読み仮名へのスタートを切りました。

 その後現在に至るまで専門家による解読、研究がなされていますが、
 未だに読み仮名が確定しない歌もいくつか残されています。
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by uqrx74fd | 2009-03-08 09:51 | 生活

万葉集その十(すまじきものは宮仕え)

つい最近、奈良正倉院に残る文書2通を鑑定した結果、
奈良時代の下級役人が同族の上役に「付け届け」をして
役職に就けてもらえるように頼んだ手紙であったことが
判明しました。

1通目は「軍隊の末席でもいいから官を望みます」と登用を依頼、
5日後の2通目では 「生イワシ60匹を貢ぎます」
そしてその手紙には不採用を示す「用不」と
大きく書かれていたそうです。

万葉集でも当時の宮仕えの様子を活き活きと伝えてくれています。

 「 天(あま)離(ざか)る 鄙(ひな)に五年(いつとせ) 

     住まひつつ

     都のてぶり 忘らえにけり 」 

            巻5の880 山上憶良


 (遠い田舎(九州)に5年も住み続けてきて都の洗練された
  風習(てぶり)をすっかり忘れてしまったよ。
  いつまで地方勤務をさせるのだろう。
  そろそろ本社に戻してくれないかな)

当時(725726年)国守の任期は4年と定められていました。
教養人である山上憶良は自分の気持ちを抑えてこの歌を詠みましたが
とうとう我慢が出来なくなり、上司の大伴旅人に直訴します。

 「我(あ)が主の 御霊(みたま)賜ひて 春さらば

   奈良の都に召上(めさ)げ たまわね」 

                巻5の882 山上憶良
 

(あなた様のお力で春になったら奈良の都に転勤させて下さい)

次は勤務時間中のサボタージュが見つかり厳罰を受けた男の歌

 「梅柳 過ぐらく惜しみ 佐保の内に

    遊びしことを 宮もとどろに」 

             巻6の949 作者未詳


 (梅や柳の美しい見頃が過ぎてしまうのが惜しさに佐保の里で
 楽しく遊んだだけなのに 何とまあ宮廷が轟くばかりに騒ぎたてて)

 727年初春、天皇の身辺警護を任務とする役人達が勤務時間中に
 春日野で打毬(うちまりー現在のホッケーのような球技)に興じていました。

 折りしも急に稲妻を伴って雨が降り出し、警護の人を欠いた宮中はてんてこ舞い。

 打毬に興じていた人々は勅令により全員職務怠慢の罪に問われて
 授刀寮(後の近衛府)に閉じ込められ禁足処分となりました。

 宮人達はそれ見たことかと大喜びで騒ぎ立て、
 「まあ何と口さがない世間であることか。それにつけてもわが身の情けなさよ」と
 ぼやいている情景であります。
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by uqrx74fd | 2009-03-08 09:49 | 生活

万葉集その九(ぼやきの一つも言いたくなるさ)

万葉集は1300年前の歌と共に当時のさまざまな生活を私達に
活き活きと伝えてくれています。
今回は万葉人の「ぼやき」です。
さあ、耳を澄ませて聴いてみましょう。

 「 西の市に ただ一人出(い)でて 目並べず 

    買ひてし絹の 商(あき)じこりかも 」 

                      巻7ー1264 作者未詳


 (目並べず) 自分だけの判断で 
 (商じこり) 商いの仕損じ

 奈良の都では人々が各地から集まって交易する東西の市がありました。
 この歌は物々交換の市で不良品をつかまされ口惜しがっている時の
 「ぼやき」です。

 (西の市にただ一人出かけ、自分の目だけで判断して買ってきた絹は
 とんでもない品だったよ。あぁ安物買いの銭失いだ。)

 現在でもバーゲンセールで良くあることですね。

 ところで、この歌には裏の意味があるようです。

市と云えば人が行き交う場所。
ここでは男と女が集い、お互いに歌を
掛け合って恋人を見つける「歌垣」が行われていました。
                                                                   このような背景を考えますと
「他人の意見も聞かずに有頂天で我が物にした女がとんだ食わせ物だった」
と嘆いている歌ともとれます。

 注; 古い研究書では「仲人口にだまされて見掛け倒しの配偶者を得たことを
     悔いる気持ちの比喩歌」との解釈もなされています。

 次は、身分の高い家の女を妻にした男が気苦労の多さにぼやいている歌です。

 「 橡(つるはみ)の 衣(きぬ)は人皆(ひとみな) 事なしと

     言ひし時より 着欲しく思ほゆ 」 
                       巻7ー1311 作者未詳


 橡はくぬぎ、 その実どんぐりを煎じた汁に鉄を加え紺黒または黒色に
 染めた着物は身分が低い階級が着るものとされていました。

 「事なし」とは男女間のわずらわしさがないこと 「着欲しく」は女と契ること

 (つるばみで染めた着物は気楽だと世間の人々が口々に言うのを聞いてから
  あぁ、着たいものだと思えてならない)

 つまり身分は低くても、心映えの優しい気楽な女性と結婚すればよかったと
 嘆いている様で、恐らく毎日小うるさく言われ尻に敷かれているものと
 想像されます。

 「いい気な贅沢をいうな」と言われそうな歌ですが今も昔も変わらぬ
 人間の心理には驚かされます。
 
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by uqrx74fd | 2009-03-08 09:48 | 生活

万葉集その五(万葉人はお酒がなによりもお好き)

「ワインは人と人との心を結び、楽しさを倍加する酒、
ウヰスキーは人を孤独にする酒 」 (木村尚三郎) 
なれば 「日本酒はワイワイ酒か」(永井路子)


さあ、さあ、ご一緒に飲みましょう。

729年、大宰府長官大伴旅人は山上憶良ら5人と酒盛りをしていた時のお話です。
ひとしきり酔いがまわりはじめたころ、旅人がまず詠います。

  「 験(しるし)なき ものを思はずは 一杯(ひとつき)の

      濁れる酒を 飲むべくあるらし 」  

               巻3-338 大伴旅人


    ( この人生、くよくよ甲斐のない物思いなどにふけるより
      一杯の濁り酒を飲んだ方がよっぽどましだよ )

      (験): 効能、効き目  (思はずは): 思わないでいっそのこと

  「 なかなかに 人とあらずは 酒壷(さかつほ)に

     なりにてしかも 酒に染み(しみ)なむ 」  

                     巻3-343 大伴旅人


( なまじっか分別くさい人間として生きているよりいっそ
  酒壷になってしまいたいなぁ。
  そうしたら何時も酒びたりになっていられように )

 (なかなかに): なまじっか (なりにてしかも):いっそのことなってしまいたい

色々な歌のやり取りのなか、宴は盛り上がっていきます。
そのとき山上憶良は突然立ち上がり詠いました。

  「憶良(おくら)らは 今は罷(まか)らむ 子泣くらむ

     それその母も 我(わ)を 待つらむぞ 」  

     巻3-337 山上憶良
 

 ( 憶良めは、そろそろ失礼いたします。家では子供が泣いていましょう、
   多分その子の母も 私の帰りを待っていますので )

    (今は罷らむ): 貴人のもとを退出する意 
     (その母)  : 直接妻と云わないところに笑いがこもります

  当時憶良は70歳近くでマイホームパパだったようです。
  宴席の途中から退席するのはなかなかタイミングが難しいものですが
  一同をどっと沸かせるような逃げ口上を置き土産にして去りました。


男ばかりではなく女性にも酒豪だったと思わせる歌もあります。

   「酒杯(さかづき)に 梅の花浮かべ 思ふどち

     飲みてののちは 散りぬともよし 」 

          巻8-1656 大伴坂上郎女
 

( 酒杯に梅の花を浮かべて心の通じ合うもの同士が飲みあった後は、
  梅の花など散ってもかまいませんわ。 )

  (思うどち): 心の通じあうもの同士 、作者は大伴旅人の異母妹

 この歌は、親しいもの同士の宴会での主人としての歓迎の挨拶で
 「さぁ、今宵は宴を尽くして飲み明かしましょう」というのが本意です。

当時は禁酒令が出ていましたが、2~3人の親しいもの同士なら良いとの
お上のお達しがあったそうです。 女性同士の徹夜酒だったのでしょうか?

  「世の中に たのしみ多し 然れども
      酒なしにして なにのたのしみ 」 若山牧水
   

 昔も今もこの酒好きな人々です!
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by uqrx74fd | 2009-03-08 09:44 | 生活