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万葉集その二百十二(住吉の神様は現人神)

739年のことです。
名門貴族、石上乙麻呂が不倫の罪で土佐に配流されました。
          (いそのかみのおとまろ: 父は元左大臣 石上麻呂)

相手の女性は参議式部卿 藤原宇合(うまかい)の未亡人、久米連若売
 ( くめむらじの わかめ )。

この事件は宇合死後一年半経過しており、本来ならば罪に問わるはずがないもの
ですが生前から噂があり、何かと世間を騒がせていたようです。

ただ、事の真相は不明で人望ある乙麻呂の失脚を図ったという陰謀説もあります。

「 大君の 命(みこと)畏(かしこ)み さし並ぶ 国に出でます
   はしきやし 我が背の君を

  かけまくも ゆゆし畏し  住吉(すみのえ)の現人神  

  船舳(ふなのへ)に うしはきたまひ
  着きたまはむ  島の崎々   寄りたまはむ 磯の崎々

  荒き波 風にあはせず  障(つつ)みなく  病(やまひ)あらせず
  速(すみや)けく 帰したまはね    もとの国辺(くにへ)に 」

                      巻6-1020 1021 作者未詳

( 勅命をかしこんで承り、私の愛しい夫が海を隔てて並んでいる国(土佐)に
  配流されます。
  言葉にして申すのも憚(はばか)られ恐れ多いことでありますが
  人となって姿を現し給う住吉の神様!
  どうか船の舳先(へさき)に鎮座され、わが夫をお守り下さい。

 これからの船旅で到着する島々、寄航する崎々で荒波にも暴風にも遭遇せず、
 また不測の事故や病気にもなることがないよう。
 そして一日も早くこの国へお帰へし下さいませ )

さし並ぶ:土佐と紀伊は同じ南海道に属しかつ海を隔てて並んでいるという意味。
     四国へは和歌山市加太の港から出発したのでこのような表現となっている。

はしきやし:愛(はしき)やし、  かけまく:口に出す 

うしはき: 「領(うしは)きで占有する。 ここでは鎮座するの意」 

住吉の現人神:住吉の神は人の姿となって現れ舳先に立って航海を守るとされていた。

この真摯な祈りが届いたのでしょうか、
乙麻呂は2年後に赦免され、以降順調に累進を遂げたといわれております。

なお、この歌は第三者が歌物語風に仕立てたものと推定され、
歌番号が1020、1021となっているのは、当初「はしきやし 我が背の君を」までを
独立した短歌と見なされていた為とされています。

現在の住吉一帯は大規模な埋め立てにより昔の面影がありませんが、当時は
大社の前から遣唐使船などが出港し、わが国最古の国際港にして
シルクロードの玄関口でもありました。

住吉神社は海神である上筒之男(うわつつのお)、中筒之男(なかつつのお)、
底筒之男(そこつつのお)の三神と神功(じんぐう)皇后を合祀しており、
四座の神殿はすべて西の海の方向に向かって鎮座されています。

男神三神の名の真ん中の「筒」は星の古語「星(つづ)」で古代航海は夜空の星を
頼りにし星を神と崇めていたことによるものだそうです。

住吉の神は古代から現在にいたるまで「航海の守護神
であると共に
「住吉に歌の神あり初詣」(大橋桜披子)
と詠まれているように「和歌の神」さらには
「田植の神」(住吉のお田植神事)としても知られております。

さて、その住吉の現人神が後年思わぬ人助けをなさいます。

昭和10年、一木喜徳郎、美濃部達吉の天皇機関説に端を発する
軍部による言論弾圧は日ごとに激しさを増していました。

(註:「天皇機関説」:国家の統治権は法人である国家に属し、
   天皇はその最高機関であるとする憲法学説)

そのような時、作家の久米正雄が新聞に
満州国皇帝 溥儀(ふぎ)を「アラヒトガミ」と形容した記事を掲載し
不敬罪に問われそうになる事件が発生します。

『 久米は文学報国会の現職の事務局長なので不敬を問われて
  辞任したとなればどこまで累が及ぶか分らない。

  そのとき口を開いたのが折口信夫だった。

「 私どもの方から申しますとアラヒトガミという言葉は決して
    カミゴイチニンだけを申し上げるのではございません。」


( 作者註:カミゴイチニンの「カミ」は「お上:天皇」)

このあと折口はアラヒトガミというのは生き神で今では天子さま(天皇:作者註)
お一人指すというのが普通だが古代においては違う。

神性を表す一つの言葉に過ぎない から固定的に天皇のみに
用いるわけではない。

住吉の神という例が万葉集にもある。と述べたのである。

事態はこの折口の発言により沈静化した。 』 

     (上野誠 魂の古代学より要約抜粋 新潮選書)

  泣く子も黙る軍部を沈黙させた万葉集と住吉の神様恐るべしです。

  ご参考 :
本稿関連作品: 「万葉集その百五十(現人神の登場)」 
              (カテゴリー:生活) を ご参照下さい。

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by uqrx74fd | 2009-04-27 19:46 | 生活

万葉集その二百十一(たたなづく青垣)


「 大和は国の真秀(まほ)ろば 畳(たた)なづく青垣
     山籠れる 大和しうるはし 」      古事記


( 大和は素晴らしい国どころ、幾重にも重なる青々とした垣根のような山々
 その山に囲まれた美しい大和よ )

『 国土平定のため転戦、席暖まる暇もなくついに征途に薨ずるヤマトタケルが最後に
発した。病すでに重く死の迫ってきたのを自覚した時、命(みこと)の心には故郷を思う
情がにわかに切になったのであろう。

まず心に思い描かれるものは緑なす山々に囲まれたわが国土の中心大和の自然であった。

辺土から辺土へと戦いの半生を経てきた命にとって少年時代をすごした大和の地こそ
帰るべき心の故郷であったに違いない。( 青木生子:「万葉の美と心」より要約抜粋 ) 』

原始時代、平野も木々で鬱蒼と覆われていました。

やがて平野が開墾され水田が大きくひらけてくると、向こう側に青々とした山々が
くっきりと浮かび上がります。
それは青い垣根あるいは襖のように見えたことでしょう。

「 -吉野の宮は たたなづく青垣隠(ごも)り 川なみの清き河内ぞ  
春へは花の咲きををり  秋されば霧たちわたる - 」
                 巻6-923 山部赤人(長歌の一部)


( - 吉野の宮は 幾重にも重なる青い垣のような山々に囲まれ、
川の流れの清らかな河の内にある。
春には野にも山にも花々が咲きみだれ。秋には川面一面に霧がたちわたる ― )

聖武天皇吉野行幸の折、自然の美しさを讃えながら天皇の繁栄を寿いだ歌です。

かって持統天皇行幸時に柿本人麻呂が詠った現人神崇拝の言葉は消え、
景観の美しさを全面的に押し出しているところに時代の変化が感じられます。
山と川を対比させながら生き生きと自然を詠う赤人の一首です。

「 たたなづく青垣山の へなりなば
    しばしば君を 言(こと)とはじかも 」 
                巻12-3187 作者未詳

( 幾重にも重なる青垣山が私達の間を隔ててしまったならば、
  あなたさまに度々お便りできなくなりますまいか )

美しい山に囲まれた大和は安泰な生活を意味するものでした。

その安全な土地から危険極まりない土地へ旅する男の身を案じるとともに
もう二度と会えないかもしれないと懸念を抱いている女性です。

ここでの青垣山は愛する二人にとって仲を隔てる高い垣根のように
見えたことでしょう。

関東平野を除きことごとく三方四方、山に囲まれた我が国土。
「青垣 山籠れる 大和しうるはし」という望郷の歌は、
やがて広く日本人に共通する景観感覚となり、
大和のみならず日本国全体を讃える美称となって
今もなお生き続けております。

「 古の事は知らぬを 耳無や
       畝火香具山 青葉しみやま」 伊藤左千夫

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by uqrx74fd | 2009-04-21 14:20 | 自然

万葉集その二百十(結ぶ)

日本人は古代から「結ぶ」という言葉に特別な思いを抱いているようです。
縁を結ぶ、夫婦の契りを結ぶ、御神籤を結ぶ、紐を結ぶ、苔むす、
印を結ぶ、など数え上げればきりがありません。

では「結ぶ」とはどういう意味をもつのでしょうか?

『 それは生命の誕生にかかわる言葉である。
「むす」は「生(ム)す」、「産(ム)す」で生まれる、発生するという意味を持つ。


従って男と女が結ばれて生まれた男は「むす+こ」女は「むす+め」』
なのだそうです。
           (中西進「日本語のふしぎ」より要約)

万葉集では草の根や松の枝を結ぶという用例もありますが「紐を結ぶ」という
表現が特に多くみられます。

「 ふたりして 結びし紐を ひとりして
    我(あ)れは解きみじ 直(ただ)に逢ふまでは 」 
                        巻12-2919 作者未詳


( あの子と二人で結び合った着物の紐。
  再会するまでは決して一人で解いたりはすまいぞ。その紐を。)

紐とは下紐とされ、上下の下ではなく内側、つまり肌着の紐のことです。
前結びの紐、リボン状のもの、腰紐のようなものなど諸説ありますが、
日常生活の不便さを考えますとリボンのような簡単なものではないでしょうか?
「解きみじ」の「みじ」は「見じ」で「かりそめにも解いてみたりはしない」の意です。

古代、男女が旅などで別れ別れになる時、下紐をお互いに結び合わせ、
再会した時に解き交わすという習俗がありました。
お互いの魂を紐に結びこめて不変の愛情を誓い、一人で勝手に解くのは
他の相手と関係することを意味していたのです。

「 筑紫なる にほふ子ゆゑに 陸奥(みちのく)の
   かとり娘子(をとめ)の 結(ゆ)ひし紐解く 」 
                     巻14-3427 作者未詳


( 筑紫の美しい女のお蔭で故郷かとりに住む恋人が結んでくれた紐を
とうとうおれは解いてしまったよ )

防人に派遣された陸奥男の歌。
「かとり娘子」の「かとり」は陸奥のどこかを指しますが所在は不明です。
当時防人の任期は3年。故郷から遠く離れている男は寂しさを紛らわすため
ついつい魅力ある筑紫女に心を奪われ禁を破ってしまったのでしょう。

男の偽りのない心情を吐露した一首ですが、防人の中には任期が終わっても
故郷に帰らない、あるいは路銀がなくて帰れないものも多くいたようです。

なおこの歌は筑紫から陸奥にきた人が広めた女性の労働歌(伊藤博)と
いう説もありますが通説に従いました。

では、「紐(ひも)」は何故それほど大切なものとされていたのでしょうか?

『 「ひも」の「ヒ」は「霊」(ヒ)で超自然的な霊威力を表す言葉。

「モ」は赤裳、麻裳、裳裾など衣服の「裳」であるが、男女の衣服に
分化する以前の最も原始的な裳であろう。

さらに身体の「身(ミ)」が「モ」に意味変化したものと考えられる。

従って「ヒモ」は「霊裳」であり
「霊魂の宿る身体を包む裳」というのが原義』であるとされています。

( 吉田金彦 : 万葉語源より要約抜粋) 

かくして「紐を結ぶ」という行為は「御神籤を神木に結ぶ」、
「慶弔の袋を紐(水引)で結ぶ」、「組み紐」、さらには
「印刷された贈答用の水引き付熨斗紙で包む」等、形を変えながらも
古代から今日まで延々と受け継がれている
「幸いの永遠を心を込めて祈るもの」であるといえましょう。

「 - -あぁ この二人よ
      かくも結ばれ かくも交遊す
      楽しきかな  奇(く)しきかな -」
             ( 坂村真民 交遊唱和より一部抜粋)
    
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by uqrx74fd | 2009-04-13 06:29 | 生活

万葉集その二百九(すみれの花咲く頃)

我国はスミレ王国といわれ、スミレ科に属する花は50種類前後もあるそうです。
(柳 宗民)
北は北海道から南は沖縄まで、野にも山にもに咲くその可憐な姿は古くから多くの
人々に愛されてきました。

万葉集でのスミレは四首。そのうち二首は「つほすみれ」という名で詠われています。

「つほすみれ」とは現在の「タチツボ(立坪)スミレ」とされ、「立」は花の盛りを過ぎると茎が
次第に立ち上がる、「坪」は「庭」の意で身近なところに咲くことに由来するそうです。

ハート形の可愛い葉をもち、薄紫色の花を咲かせます。

「 山吹の咲きたる野辺(のへ)の つほすみれ
    この春の雨に盛りなりけり 」  巻8-1444  高田女王(おほきみ)


( 山吹が咲いている野辺。 すみれも負けじと一面に咲いています。
 この春の雨に早く咲け、早く咲けと促されたのでしょうか )

作者は大伴旅人と親しかった高安王の娘。
春の雨、緑の野原、山吹の黄、すみれの紫、色彩感と情緒あふれる中にも
可憐な風情を感じさせる一首です。

「 芽花(つばな)抜く 浅芽が原の つほすみれ
     今盛りなり 我(あ)が恋ふらくは 」 
                巻8-1449 田村大嬢(おほいらつめ)


(  いつも芽花を抜いている浅芽が原では「つぼすみれ」がまっ盛り。
  あなたさまをお慕いしている私の気持も満開の花のようです。 )

芽花とは芽萱(チガヤ:イネ科のつばな)の若い花穂のことで食用と
されていました。
ここでは浅芽が原(奈良公園)に掛かる枕詞的な用法となっています。

作者は大伴坂上大嬢(家持の妻)の異母姉。妹を思う心を詠んだもので、
スミレの上品な薄紫色が姉妹の姿を象徴しているようです。

なお、現在「ツボスミレ」とよばれる「白地の花弁に薄紫色のすじ」をもつスミレが
ありますが、万葉集で詠われたものとは別種のものと考えられています。

「 箱根山 うすむらさきの つぼすみれ
     二入三入(ふたしほ みしほ) たれか染めけん 」 大江匡房(まさふさ)


(箱根山の薄紫色のツボスミレは、一体誰が染料に二度、三度と浸して染めたので
 あろうか?) 

万葉時代清音で読まれていた「ツホスミレ」は、平安時代から「ツボスミレ」と
濁音になりました。
ここでの「つぼすみれ」も「うすむらさき」とあるので「タチツボスミレ」と思われます。

「一入(ひとしお)」という名詞は染物を染液に一回浸すことですが、副詞として使われる
場合は「ひとしお身に沁みる」等と表現されています。

「 むらさきに菫の花はひらくなり
    人を思へば春はあけぼの 」     宮 柊二(しゅうじ)


「スミレ」は「菫」という字が当てられていますが、牧野富太郎博士は
「 昔から菫という字をスミレだとしているのはこのうえもない大間違いで菫は
なんらスミレと関係はない。

いくら中国の字典を引いてみても菫をスミレとする解説はいっこうにない。
昔の日本の学者が何に戸惑うたかこれをスミレだというのは、ばからしいことである。

それを昔から今日に至るまでのいっさいの日本人が古い一人の学者にそう瞞着
(まんちゃく:筆者註 だますこと) せられていたことはそのおめでたさ加減、
マーなんということだろう。

菫(きん)という植物は元来、圃(はたけ)に作る蔬菜(そさい)の名であって植物学上の
所属はカラカサバナ科(今ではセリ科)で、かのセロリがそれである。

今日ではこの和名をオランダミツバというからすなわち菫は確かにオランダミツバと
せねばならない」    (植物知識より要約抜粋) 

と声を大にしてその誤用を説いておられますが習慣とは恐ろしいもので未だに
広辞苑さえも訂正されておりません。

「 鉛筆で仰向けみたり壷菫 」     高濱虚子

             
 
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by uqrx74fd | 2009-04-05 09:19 | 植物