<   2009年 05月 ( 4 )   > この月の画像一覧

万葉集その二百十六(棟:あふち)

「 せんだんの花のうすむらさき  
     ほのかなる夕(ゆふべ)ににほひ
     幽(かすか)なる 想(おもひ)の空に  
     あくがれの影をなびかす 」 
                    三木露風 ( 栴檀より )


「あふち」とは「センダン」の古名でセンダン科の落葉高木です。

初夏に紫色の小花を密集して咲かせ、周りに芳香を漂わせます。
花のあと1.5cm位の黄色い実をつけますが、古代では、その実を採り
「薬玉(くすだま)」の飾りつけの材料にしていました。

薬玉とは五月の節句の日に長寿を祈って飾る様々な香薬が入った匂い袋のことです。

「 玉に貫(ぬ)く 棟を家に植ゑたらば

    山ほととぎす 離(か)れず来むかも 」 

        巻17-3910  大伴 書持(ふみもち)


(  糸に通して薬玉にする棟。
  その棟を我家の庭に植えたならば、山のホトトギスが
  頻繁に来て啼いてくれるだろうか )

作者は大伴家持の弟。 久邇京(くにきょう:京都に近い木津川の近くに営まれた都)で
朝廷に仕える家持に贈った歌です。
当時、大伴家は藤原氏に疎まれ、政治の中枢から遠ざけられつつありました。

「あふち」には「逢う」が掛けられており、書持はその鬱々とした心情を兄に会って
語りたかったのでしょうか?

「 妹が見し 棟の花は散りぬべし

      我が泣く涙(なみた) いまだ干(ひ)なくに 」

           巻5-798 山上憶良


( 愛しい人がかって見た棟の花はもう散ってしまいそうだ。
 亡き人を偲んで流している私の涙がまだ乾かないというのに。)

728年、大宰府長官大伴旅人は最愛の妻に先立たれました。
この歌は作者が旅人の心中を察し、旅人の立場になって詠ったものです。

亡き妻は都にいた時に棟を愛し、大宰府の自宅の庭にも植えていたようです。
旅人は楚々とした上品な棟の花に妻の面影を見出していたのでしょう。
「散りゆくあふち」には再び「逢えない」悲しみを重ねています。

「 あふち咲く そともの木蔭 露落ちて

        五月雨(さみだれ)晴るる 風渡るなり 」 

                    新古今和歌集 藤原忠良


( 部屋の外で棟の花が房々と咲いています。
さきほどまで降っていた五月雨が止み、しきりに雫がしたたり落ちる中、
薫風が吹き渡りなんとも清々しいことです。 )

さみだれ(梅雨)には中休みがあり、その晴れ間のひとときの爽やかな一首です。

さて、「センダン」といえば「栴檀は双葉より香(かんば)し」という諺。

仏典「観仏三昧経(かんぶつさんまいきょう)」の
「センダンは双葉にならぬうちは香を発しないが、根芽が次第に成長しわずかに
木になろうとすると香気がまさに盛んになる」が出典とされています。

然しながら、ここでの「栴檀(せんだん)」はビヤクダン科の「白檀」のことで
棟とは全く別種のものです。


東南アジア原産、半寄生の常緑高木とされ、日本では自生しません。

インドでは古くから仏教儀礼の香木として使われ、サンスクリット語の「チャンダナ」が
漢音に訳されて「栴檀」になったものとされています。

「香」は日本にも早くから輸入され、671年に天智天皇が飛鳥寺に栴檀香、沈香を
奉納したと伝えられており(日本書紀)、特に聖武天皇時代に中国から渡来した
蘭奢待(らんじゃたい:正倉院宝物)は天下第一の名香として
つとに知られております。

 註; 「蘭奢待」はその字の中に東大寺という名が隠されている雅名。
     正式名は黄熟香(おうじゅくこう)といい沈香の中でも最良とされている伽羅。
     聖武天皇が東大寺大仏に奉納。

     「 きのふけふ棟に曇る山路かな 」  芭蕉
[PR]

by uqrx74fd | 2009-05-25 21:04 | 植物

万葉集その二百十五(隼人)

 「隼人」と云えばすぐに「薩摩隼人」が思い起されますが、上代では九州大隈半島に
 住む民族を 「大隈隼人」、薩摩半島南部の一族を「阿多隼人」と呼び、8世紀頃に
 「阿多隼人」が「薩摩隼人」という名に変わったと云われております。

その名の由来は「隼のように勇猛、敏捷な人」、あるいは、ル-ツが南方系の民族とも
推定されているところから「南風(はえ)の人が訛ったもの」など諸説あります。

「隼人族」は移住性に富み、5世紀頃には近畿地方、特に山城(京都府綴喜郡)に多くの
人々が住みつき、諸国との交易を営んだほか竹製品の生産や鵜飼などを生業と
していたようです。

特に竹については薩摩の特産品であると共に、神に供える聖なるものとされており、
「笛竹」を天皇家に献上したり、朝廷に弓矢や筆用の竹、籠製品などを納めていました。

また時代が下ると、エジソンが電球を発明する時に使用した竹は隼人達が京都の
八幡に植えたもの (網野善彦、森浩一:この国の姿と歴史 朝日選書) との
指摘もあります。

薩摩隼人は大宝律令制定(701年)に伴い「隼人司」の下で宮門警護や歌舞などの
儀式の任に就きますが、720年には九州で大和朝廷に対して大規模な反乱を起こし、
大伴旅人を将軍とする朝廷軍に鎮圧されるなど波乱に満ちた歴史をもつ一族です。

 「 隼人(はやひと)の 薩摩の瀬戸を雲居なす

       遠くも我れは今日(けふ)見つるかも 」 
                 巻3-248 長田 王(天武天皇系か?)


( あれが隼人の住むという薩摩の瀬戸なのだなぁ。
 はるか彼方に浮かぶ雲のように、遠くからではあるが今日初めてこの目で
 見ることが出来たぞ )

作者は奈良朝廷で風流侍従と仇名された人物。
公用で筑紫に派遣され、水島(熊本県八代市)に渡る時での一首です。

「薩摩の瀬戸」は現在「黒の瀬戸」とよばれており、天草諸島最南端の長島と
鹿児島県阿久根市黒之浜との間の狭い海峡とされています。

干潮時の流れは速く、大きな渦が幾つも輪をなしてごうごうと音をたてており、
その凄まじさは都でも音に聞こえていたのでしょう。

逆巻く渦を目のあたりにした感動、そして「思えば遠くまで来たものだ」という感慨、
さらには宮廷で活躍する隼人への親しみが感じられる一首です。

「 隼人の 名負(なお)ふ夜声の いちしろく

    我が名は告(の)りつ 妻と頼ませ 」 
                      巻11-2497 作者未詳


( 隼人の名だたる夜警の声。その大きな声のようにはっきりと私の名を申しました。
 この上は私を妻として頼みになさって下さいませ。)

隼人は宮廷警護の見廻りにあたって吠声(はいせい)を発していたそうです。

「吠声」とは犬の吠える声をまねたものですが、邪神、悪鬼を追い払い
あたりを祓い清める呪術とされ、日常の警護のほか天皇の行幸の際にも
大声を出しながら先頭を歩いていたので人々にもよく知られていたのでしょう。

古代では女性が相手に名前を教えることは結婚の受諾を意味していましたが
それにしても面白い譬えを持ち出したものです。

『これ(作者註:吠声)は 宮中の儀式に欠くべからざるものとして長く残り、
幕末の嘉永元年(1848年)孝明帝の即位の次の年に京都御所でおこなわれた
大嘗祭の式次にすら、そういう近世になってすら「隼人発声」というものが
おこなわれた。

むろん、このときの隼人は、まさかあの日本最大の雄藩になっている
藩の士をつれてきたわけではなかった。

朝廷の小吏がかりに隼人になり、裸同然のすがたで宮門のわきに立ち
門外にむかって一声、二声高く吠えた。

ということなどを考えてゆくと薩摩隼人というのは存外朝廷と近い。
憎々しく反逆するにせよ、愛くるしくなつくにせよ、近畿あたりの
他の諸国の住民よりも上代以来中央政権と近い関係にあったことがわかる
薩摩性格の一面である。 』

              ( 司馬遼太郎 「歴史を紀行する」より:文春文庫)

     「 燕ひくくとべり 隼人の町とほる 」   山口青邨
[PR]

by uqrx74fd | 2009-05-18 19:47 | 生活

万葉集その二百十四(孤愁の鳥: ホトトギス)

ホトトギスは春から夏にかけて産卵しますが、自らは巣を作ったり卵を温めたりせず、
ウグイス、ミソサザイ、まれにクロツグミの巣に一つずつ卵を産みこんで育ててもらう
習性(託卵本能)があります。

養い親とするべく鳥の巣に目をつけると鷹に似たような身振りをしながら近づき、
鳥が驚いて逃げた後に悠々とその巣に卵を産み付け、終わるとさっさと飛び立ち
再び戻ることはないそうです。

ホトトギスの卵はウグイスより大きめながら、色がよく似ており(薄茶色)、巣に戻った
親鳥は自分の卵と分け隔てなく温め、雛に孵っても懸命に餌を与えて育てます。

「うぐひすの卵(かひご)の中にほととぎす ひとり生まれて
   汝(な)が父に似ては鳴かず  汝が母に似ては鳴かず

  卯の花の 咲きたる野辺ゆ 飛び翔(かけ)り 来鳴き響(とよ)もし
  橘の花を居(い)散らし ひねもすに鳴けど聞きよし

  賄(まひ)はせむ 遠くな行(ゆ)きそ 
  我がやどの花橘に 棲(す)みわたれ鳥 」  巻9-1755 高橋虫麻呂

 「 かき霧(き)らし 雨の降る夜をほととぎす
     鳴きて行(ゆ)くなり あはれその鳥 」  巻9-1756 同


( 鶯の卵に混じってただ一人生まれ出てきたホトトギスよ。
 お前は父に似た鳴き声も立てなければ 母に似た声でも鳴かない。

 でもお前は、卯の花の咲いている野辺を伸び伸びと飛び翔り、こちらへ来ては
 あたりを響かせて鳴いている。
 また時々、橘の枝に止まって花を啄ばんで散らしている姿も無邪気で可愛らしい。

 お前の声は終日聞いていても飽きることがないなぁ。
 ご褒美をあげるから遠くへ行くなよ。
 わが庭の花橘にいつまでも住みついてくれ。ホトトギスよ ) 9-1755

( 空がかき曇り、雨が降る夜なのに ホトトギスは鳴きながら飛び去って行く。
 あぁ、孤独な鳥よ!)  9-1756 

ホトトギスの習性を熟知していた作者です。
夏鳥として5月頃に渡来し、普段は山奥に住む鳥をこのように細かく観察していたとは
驚嘆の念を禁じえません。

虫麻呂はホトトギスに深い同情と慈しみの目を向け、その姿や鳴声を最大限に美しく
褒めることにより、その孤独な姿を一層浮き立たせています。

万葉集でホトトギスを詠んだ歌は155首。
動物の中では最多の座を占めますが、大半はその初音を愛でたり花との取り合わせを
賛美した歌です。

多くの解説では「虫麻呂の歌はホトトギスの習性を詠った珍重すべきもの」とされて
いますが、犬養 孝氏は 

「 そうではない。詠っていることはホトトギスのことだけど、
    これは全く人間の孤独を言っているのだ」と強調されておられます。 


                  ( 高橋虫麻呂:世界思想社)

その解釈に立つと作者の本意は

「 生まれた時から親を知らないお前。それでも元気に育ってくれたなぁ。
 こうやって無心に遊んでいる姿はこの上もなく可愛いよ。
 それだけにお前の将来を想うと哀れさが一層募ってくる。
 遠くへ行くなよ。俺が見守って大事に育ててやるからな 」

ということでしょうか。
旅から旅を重ねた作者は到る所で多くの親なき子に遭遇したことでしょう。

それにもかかわらずホトトギスは霧がかかっている雨の夜に飛び去って行きました。
濡れながら とぼとぼと歩いて次第に遠ざかって行く幼き子。

 『 このシーンは反歌の「あはれその鳥」と詠うところです。
    
      実は虫麻呂がほかの歌で、ロマンティックな世界を描く心持が
      これでわかると思うのです。

     孤独、孤愁であるということ。

     自分のそういう世界を見せない虫麻呂は、すごいような孤独を
     味わっている人です。
     だからあんなに愉快なおしゃべり屋にもなるのでしょう 』

                               (犬養孝:同.大意要約)


       「 山々は 萌黄浅黄や ほととぎす」 正岡子規

                         ( 註:「子規」はホトトギスの異名 )
[PR]

by uqrx74fd | 2009-05-10 08:29 | 動物

万葉集その二百十三(お母さん)


 「 母は七十になられても
       まだつやつやとした髪をしておられる
       - -
       母は七十になられても
       朝夕鍬を持ち
       野菜や蝶や鳥たちと
       話をしていられる
        - -
      七十になられても
      母の火は阿蘇の火のように燃え、
      五人の子を乳(ち)たらい給うた
      二つの乳房はしぼんでしまったが 
      その胸には温かい泉を
      まだこんこんとたたえていられる 」  
         
        坂村真民(精神の火と泉より)


「たらちね」(足乳根:垂乳根)という母に懸かる枕詞があります。
「たらち」は「乳が満ち足りている」、「ね」は「根」で「磐石」。

深い愛情で包み込みんでくれている母親、そしてその母に対する揺ぎ無い
信頼感を表す言葉です。

 「 たらちねの母が飼ふ蚕(こ)の繭隠(まよごも)り

         いぶせくもあるか妹に逢はずして 」 

                 巻12-2991 作者未詳


( あの子に逢えないのでうっとうしくて仕方がないよ。
 まるで母さんが飼っている蚕が繭の中に閉じこもっているようなもんだ )

好きな娘に会うことが出来ない気持を“まるで繭の中に閉じ込められてようだ”と
ぼやいていると共に
「相手の母親が娘を蚕のように繭の中に固く守っている」ことも嘆いているのでしょう。

 通い婚の古代では子供の教育や躾、監督はすべて母親に委ねられていました。
特に娘に対しては将来その家の祭祀を継承し一家の大黒柱となるだけに
その監督はかなり厳しいものであったようです。

なお、この歌での「いぶせくもあるか」
「重苦しくて気が晴れない」という意味ですが原文では

 「馬聲(イ)蜂音(ブ)石花(セ)蜘蛛(クモ)荒鹿(アルカ)」

と思いつく限りの動物を動員しています。

これは戯書といいますが、作者は鬱々とした気持をこのような遊び心で
晴らしていたのでしょう。

因みに、馬の鳴き声を「イヒーン」蜂の羽音を「ブウーン」と聞きなし、
石花は岩石に付着している貝、荒鹿は野生の鹿のことです。


遥かなる時空を飛び越えて私たちを笑わせてくれる何とも愉快な万葉人よ!
 
「玉垂(たまだれ)の 小簾(をす)のすけきに入り通ひ来(こ)ね

      たらちねの母が問(と)はさば 風と申(まを)さむ 」
 
                      巻11-2364 作者未詳


( 玉簾(たますだれ)の隙間からそーおっと入ってきてね。
 もし、簾に触れて玉が鳴り、母さんが「何の音?」と尋ねたら 
 「風よ」と申しましょう。)

母親の厳しい目から逃れて何とか風のように自在に行き来したいと願う乙女。

「軽快、明朗にして覚えず微笑の誘われる歌である。諧調の爽やかさも気持がよい。
恋愛は単純な娘子にもかかる機知を昔から教えた」(佐々木信綱)
とも評されている歌です。

「 真木柱(まけはしら)ほめて造れる殿のごと

       いませ母刀自(ははとじ)面(おめ)変りせず」

    巻20-4342 坂田部 首麻呂(おびとまろ) 駿河国防人


( 立派な柱を讃えながら立てた御殿のように、お母上様いつまでもご達者で!
  今と変わらない若々しいお顔をまたお会いする時に見せて下さい。)

刀自(とじ): 家の内を取り仕切る主婦の尊称で「戸主(とぬし)」が訛ったもの

永遠に若々しく美しい母であって欲しいと願う任地に旅立つ防人の歌です。

真木は檜、杉等良材の総称で立派な御殿を建てるにあたって現在の
上棟式のように祝詞を唱えていたことが「ほめて造れる」の語句から伺われます。

作者は大工のような仕事をしていたのでしょうか。
母を想う真情あふれる一首です。

 「 母はまた われらが幸(さち)を ひたすらに

       身にかへてとも いのりますなり 」    岡 稻里

[PR]

by uqrx74fd | 2009-05-04 19:30 | 生活